私は近くの駅前のショッピングセンターに買い物に出かけた際、ミニシアターのポスターに
”本日「アイガー・北壁」最終日”と書かれているのを見つけて、思わず入って観てしまいました。
《ナチス政権下、若き登山家が挑んだ前代未聞の絶壁ーー》
《アルプス登攀史上、最大の事件と呼ばれた衝撃の実話!》
ポスターに書かれた文字に惹きこまれてしまったのです。
1930年代、ヨーロッパ最後の難所と呼ばれ、何人もの一流アルピニストの挑戦を阻んできたアイガー北壁。
ベルリン・オリンピックを目前に控えた1936年夏、
ナチス政府は国家の優位性を世界に示すべく、ドイツ人によるアイガー北壁初登頂を
大きな目標に掲げ、成功者にはオリンピックと同じ金メダルを授与すると約束していた。
そして、トニー・クルツとアンディ・ヒンターシュトイサーの2人のドイツ人と
オーストリアの2人の登山家がアイガー北壁への挑戦を開始する。
麓には、今度こその期待を膨らませた記者や見物客が押し寄せ、彼らの命を懸けた闘いを固唾を呑んで見守る。
そんな中、快調に北壁を登っていく4人の登山家たちだったが…
スイスのベルナーオーバーランド地方の美しい山岳風景を舞台に話は進み、前半は楽しんで観ていましたが
一転、後半の壮絶な猛吹雪の中の遭難場面は悲惨で、観ている私も力が入り体中が固くなってしまいました
「人間は何故?こんな危険を冒してまで山に登るのだろう」
征服欲?功名心?
山国で育った幼馴染の2人はただただ純粋に「山が大好きで、山を愛していた」だけだったのに・・・
「ベルリンオリンピック」を政治的に利用しようとしたヒットラーは、登山の領域までも手を広げ、
そしてマスコミもそれに加担して、国家高揚を煽って行ったのです。
気象観測も今ほど発達していない中での「運まかせの登山」
山の装備も貧弱です。
若き登山家トニー・クルツの元恋人、雑誌記者のルィーゼは、ユングフラウ登山鉄道駅
「アイガーヴァント駅」の氷河への出入り口から大声でトニーの名前を叫びます。
ナント!その声が聞こえる位置で生死の戦いに挑んでいるトニー・クルツがいるのです。
10年前の結婚30周年の時に行った私の「スイスハイキング旅行」のアルバムを開いてみました。
その中にユングフラウヨッホ駅から自宅宛に出した1枚の絵葉書があります。
日付が2000年7月11日、
10年前のまさに今日、私たち夫婦がユングフラウヨッホで書いた絵葉書でした
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標高3456mの所にあるユングフラウヨッホ駅には、日本でお馴染みの見慣れたポストがありました。
現地の郵便局が日本の富士郵便局と姉妹関係にあるそうで、この世界一高い所にあるポストは日本製
この絵葉書には
「今、ユングフラウヨッホのスフインクス展望台です。一面雪の世界・・・
何も見えなくて残念ですが、いつか叉必ず訪れたいです」
という私の文字が綴られています。
そして
「頭がボォ~っとしています。外は真っ白、世界で一番高い郵便局より発信します」
という主人の文字が並んで書かれています。
この時、主人は高山病気味だったことが分りました
2000年7月11日
朝一番の電車に乗ってホテルのあるインターラーケンからグリンデルバルトに向かいました。
残念ながらお天気は下り坂・・・
山々は雲の中でした。
童話の世界に出てくるような美しいグリンデルバルトの村から更にゴンドラに乗って上ります。
一面霧の中で何も見えません。
牛さん達のカウベルの音だけが下から聞こえてきました。
我々も「アイガー」「メンヒ」「ユングフラウ」の三山を眺めながら、
このような美しい中を歩くはずだったのですが・・・
7月上旬だというのに雪がどんどんひどくなり、まるで「「八甲田山雪中行軍」状態
私の持っていたミニ傘の骨も雪の重みで折れました
スイスのお天気が安定しているのは9月と聞きますが、やはり高山植物の美しい季節に行きたいものです。
この時も、スイス三大名花の一つ、ピンクの「アルペンローゼ」が綺麗でしたが
トラノオもご覧の通り雪に埋もれていましたよ
ようやく「クライネシャイディック」に到着して昼食タイムでしたが、
手足がすっかり凍えていました。
「お天気が良ければ、目の前がアイガー北壁よ~」と添乗員のみ~ちゃんが説明してくれましたが
今考えると、この時の北壁は強烈な吹雪状態だったのでしょうね。
まさに「山には魔物が住んでいる」と言われる所以です。
私たちはクライネシャイディックからユングフラウヨッホまで登山電車に乗りました。
この「ユングフラウ鉄道」は1896年着工、1912年に開通した、全長9.3kmの山岳鉄道です。
そのほとんどがトンネルで7.4キロメートルにも及びます。
途中の「アイガーグレッチャー駅」(2320m)と「アイガーヴァント駅」(2865m)からは
外の氷河を望むことが出来るので、停車時間も長く設けられています。
私たちもシッカリと氷河を覗きました。
この映画でも、ルィーゼはこの「アイガーヴァント駅」から、必至でトニーの名前を呼び
頭を下げて来てもらった救援隊共々氷河へと一歩を歩み出すのですが、
猛吹雪に阻まれて・・・
今回観た映画は、このように10年前の「スイスハイキング旅行」を思い出させてくれた映画でした。
日本での封切りは今年の3月だったので、今興行している劇場はないかもしれませんが、DVDも出ているようです。
興味のある方はオフィシャルサイトのこちらをご覧下さい。
こちらのザックは、ユングフラウ鉄道のキオスクでしか売っていないもの・・・
肩賭けショルダーとリュックの両方が使える優れものです。
ベルト部分のチロリアンテープがとても可愛い
スイスで連日一緒にハイキングを楽しんだ奥様同士、現地ガイドさんが持っていたこのバッグが気に入り
親しくなった4人が買いました。
夫たちは「どうせ押入れのゴミと化すから止めておけ」と反対したのですが・・・
私はカメラを入れて、近場の鎌倉歩きなどに重宝していますよ
これを買ってもう10年が過ぎたのですね。
まだ全然傷んでいません。
鎌倉でこのザックを背負った中高年女性を見つけたらそれは私です。
是非声をかけてくださいね。
母の入院に関しては皆様からたくさんの温かい励ましを戴き感謝しております。
お陰様で最近の母は38度以上あった熱も37度前後の微熱に下がり、少し食欲も出てきました。
「肺炎」は併発していないようなので私もホッとしています(まだまだ楽観はできませんが)
すると途端に医師から「退院話」が出てきて、大変戸惑っています。
まだ微熱もあり血尿も出ていますし、タンの吸引などもやってもらっているのに何故
「つまりは病院を追い出されるってわけ」ですか?