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花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

第2回「鎌倉八十八カ所お寺巡り」(その4)

2020年11月23日 | 鎌倉散策
この三連休はお天気に恵まれ、穏やかな日和が続いていますね。
見上げる高さの「皇帝ダリア」が、散歩中の目を楽しませてくれてます



Go toトラベルを使っての紅葉狩り等で、日本各地の観光地の人出が凄い事になっていますね。

ただ私は床の物を拾おうとして、膝も曲げずに手を伸ばしたら腰が「ギクッ!」
コロナ感染者も急増し「我慢の三連休」と言われている事ですし、、、
大人しく過ごしていますよ



その上、PCと一眼レフカメラの調子も悪くて、ブログの更新に苦労し投げ出したくなりました。
ならば手作りマスクの作成をと思い、ミシンを取り出したら動かない

我が家は家主も精密機器もポンコツ状態です



我が家近くの公園の「ケヤキ」も色付きました
黄葉を楽しんだ「銀杏」は11/20の強い南風で、ほとんど散ってしまいましたが
ご近所仲間のお宅の「モミジ」はまだ3分の色付きです

今年の私の紅葉狩りは近場で我慢我慢

近々再開されるワンゲルの「鎌倉88カ所お寺巡り」の第三回に参加するために
まずは腰を治すことが先決ですね。

第2回「鎌倉88カ所お寺巡り」に参加(2月22日)
前回紹介した「アーチゾン美術館」に行った翌々日に参加した、ワンゲル鎌倉お寺巡り
ブログでの紹介は終わっていたと思っていましたが、実はまだでした

すでにこの日から丁度9カ月が経ちましたが、遅まきながら「万福寺」からUP致します。
今回の(その4)の前の記事(その2)(その3)もよろしかったら参考になさって下さい。

㉒龍護山医王院「万福寺」(真言宗)


天平年(744年)創建、聖武天皇の命によって疫病追放を命じられた行基が草庵、開山は伝行
ご本尊は薬師如来像です。



文治元年(1185年)源義経が腰越にあるこの寺に泊まり、対面がかなわない頼朝に
書状(腰越状)を書いて出したとされる伝承で有名なお寺です。

歴史好きな仲間のお話では「このお寺にある実存の証拠は弁慶の書だけ」と・・・
義経の書の下書きと言われているようですが・・・?



200円を払って本堂に入ります。
※コロナ禍の現在は拝観中止です。お出かけの時は調べて行くようにお勧めします。


最初に目を惹くのは義経・弁慶の襖絵義経と静御前の別れの場等を描いた三十二面の襖絵です

特に古い絵ではなさそうですね。



天井画の「龍」も力強くて見事です。



鎌倉彫に描かれた天井画も素晴らしい・・・



見学とトイレで与えられた時間は40分、ジックリ見学させていただきました。



江ノ電の脇を歩いて次のお寺に向かいます。

㉓顕證寺(本門佛立宗)
江ノ電の踏切を渡って坂を登って行くと、撮影禁止の看板が目に入りました。



お寺と言う感じがしなくて、特に見るべきものもありません。
江の島と富士山も見えると言う、目の前の海の眺めが唯一でした。



調べても歴史は分かりませんでしたが、お寺と言うよりも墓地の売り出しが目につきました。


住宅街の中の階段を登って、次のお寺を目指します古都鎌倉では日蓮の足跡を示した石碑がいたる所で見られます

今回で最終章にするつもりでしたが・・・
PCを長く使っているとシャットダウンするので、エピローグ編は次回といたします。

先週後半、高校時代の友人と「北鎌倉の紅葉とお食事」を楽しむ予定でしたが
5月に心筋梗塞で入院した彼女から、コロナ第3波襲来のニュースに「今回はパス」との電話がありました。
快気祝いをやっている場合ではありませんね

私のホームドクターの話では、我が住宅地でもついにコロナ感染者が出たらしい
その話を息子に告げると、すぐお隣の息子が住む住宅地でも40代の主婦が感染しホテルに隔離中とか

もうコロナは身近な所まで来ていて、いつ自分が感染するか分からない
コロナと言う地雷を踏むのも「運次第」と思えてきましたわ




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八カ月ぶりのワンゲル参加・「鎌倉谷戸歩き」

2020年11月04日 | 鎌倉散策
快晴に恵まれた今朝(11月4日・AM7:30)、ラジオ体操の行われた公園南側の道路から見た富士山です。
横浜で一昨日の午後から昨日の朝まで降っていた雨が、富士山では雪だったようですね



頂上付近が雪で白くなっている富士山は右手(山梨県側)の方の雪が多くて、、、
まるで白いベレー帽を少々斜めにかぶっているような富士山の姿は、晩秋特有の姿でもあります。

プチご無沙汰しました
9月下旬から畑作業や庭仕事が忙しくて、その上PCとデジイチとコンデジカメラの調子も悪くて
半年ぶりに体操教室やコーラスも始まり、体力的にもきつくてPCから少し離れていました

コメントをくださるブログ仲間の皆様の所にも、中々ご訪問できず失礼して申し訳ないと思っています

ワンゲル鎌倉歩き「谷戸を歩く」に参加(10月31日)
9月からワンゲルも再開しましたが、我が家から遠い秩父方面や奥多摩の山が殆どでパス
まずは10月末の鎌倉歩きから参加しました。

AM10:00、大船駅に集合、快晴に恵まれたこの日の参加者は16名
モノレールに乗り、二つ目の駅「町屋」で下車し、歩いて10分の「鎌倉中央公園」を目指しました。

「鎌倉中央公園」
この自然公園には4年前の6月の半夏生が咲く時期に、写真仲間のSさんに案内され来ています。
その時見た谷戸の様子などはこちらをご覧ください。




住宅街の寺分口から入りましたが、ケヤキが黄色に色付き始めていました。
(真ん中の丸く茂った「ケヤキ」の奥の、控えめな枝ぶりの2本の木は「武蔵野ケヤキ」です)



鮮やかな朱色の「ドウダン」も目を惹きます。園内は秋を感じさせる風景が広がっていました。



私と同じカメラも趣味のOさんが「ツリフネソウ」の群落を見つけました。
殿方のH氏も交えて3人でカメラ撮影をしてから、その先のトイレのある広場に行ったが
仲間の姿が見えない、迷子になってしまった

リーダーのY氏に電話すると(今は便利ね)、手前右手の階段を登って丘の上の「疎林広場」に進んだようだ。
前回はそのまま里山と田んぼが広がる谷戸方面に進んだ覚えがありますが
山屋は上に登って行くのが習性らしい。「谷戸を歩く」と言うキャッチフレーズとは違いますわ

前回と同じ「梶原口」から公園の外に出ましたがすぐまた林の中の道に入ります

前回はSさんの案内で住宅街をそのまま登って行き、縁結びで人気の「葛原岡神社」に出ましたが
今回のリーダーさんは人出の多いコースは一切避けて、マイナーなコースを進みます。



山道を行き、その後右手の急坂をドンと下り住宅街に出ると、朽ち果てたような門が見えてきました。

この北鎌倉の山崎の地には、篆刻家 ・ 画家 ・ 陶芸家 ・ 書道家 ・ 漆芸家 ・ 料理家 ・ 美食家 などの
様々な顔を持っていた芸術家「北大路魯山人」の旧宅がありましたが・・・.

今では建物や工房などすべてが茨城県笠間市に移築され、広い敷地には何もありませんでした。



リーダーはそのまま山崎小学校方面に進み、その先の道なき道を行きます。



ハゼの葉が赤く染まっていましたよ
12時を過ぎて、皆そろそろお腹が空いてきました。ガス欠気味です



やっと普通の山道が現れて、ちょっとした広場に出ました。ここで昼食ね



食後再び登りの道を進みます。
海以外の三方を山に囲まれている鎌倉は、主要道路以外の道は山に通じます。



ガイドブックに載っているハイキングコースと違って、すれ違うハイカーも数える人のみ・・・



この辺一帯は鎌倉市の三大緑地(広町・台峯・常盤山)のうちの台峯地区の一部です。
(主に鎌倉中央公園の東側に隣接する約27.5ha)

その豊かな自然環境を保全・活用するため、平成19年度(2007年度)から都市公園としての
整備事業に取り組んでいる所のようです。



見晴らしの良い所に出ました。見えているのは「六国見山」の山並みだそうです。

雲一つない秋晴れに恵まれたこの日、モノレールの窓から綺麗な富士山がクッキリ見えましたが
残念ながら、今回のコースは富士山の見える方向ではありません

やがて「北鎌倉女子学園」のグランド裏に出て、北鎌倉駅まで歩いて行き解散でした。
昼食時間を入れておよそ4時間、歩数はこの時点で18000歩弱でした。
買い物して帰宅後の歩数は2万歩を超えましたが・・・

八カ月ぶりに参加したワンゲルですが、日々朝の散歩で40~50分歩いているとはいえ
マスクをしながら上り下りを繰り返すのはしんどいものがありましたね

手作りの布マスクとマスクガード
元々喉が弱い私、コロナ騒ぎが起こった2月からノド飴が手離せなくなりました
時々赤く炎症し、主治医から漢方薬の「キキョウトウ」を処方してもらったりしています。

特にマスクをして、人とたくさん話したりすると症状が顕著になるので
マスクが原因か?と感じています。



いつも外出時は使い捨ての不織紙マスクをしていますが、八カ月ぶりのワンゲル参加の日は
朝一緒に散歩しているご近所仲間のFさんからもらった、手作りの布マスクをしていきました。

下のピンクのマスクは着物の端切れ布で、私が真似して作った絹のマスクです。



こちらはコーラスの講師が勧める「マスクガード」
マスクをして歌うと酸素不足になるとかで、これをマスクの下に入れて歌うようにと言われました。
(2枚入って一袋300円)

今回のワンゲルの鎌倉歩きにこれも着装して行きました。
マスクと鼻や口との間に空間ができて、息苦しさが少し解消されたような気がします。

今までマスクをして人と長時間話したりすると、喉がイガイガしていた私ですが
今回は大丈夫のようです

布マスクは不織紙マスクに比べ若干効果は劣るそうですが、、、
戸外での活動時は布マスクでも良いのではないかと思うようになりました。

畑作業が一段落し暇な時間ができたら、チクチクと手を動かして「マスク作り」に励む事に致します

コメント (16)
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久しぶりの北鎌倉(2)「浄智寺」

2020年07月09日 | 鎌倉散策
7月に入り、北上した梅雨前線が九州や岐阜・長野などの各地に多大な被害を出しています。
その豪雨の爪痕の凄まじさに唖然とするのみ・・・

ここ数年「心からお見舞い申し上げます」と言う言葉を、毎年この時期に記しているような気がします。
日本の自然はもっと優しかったはず、いつからこのように狂暴になったのでしょう



こちら横浜も連日雨が降ったりやんだりの日々が続いています。
先週から今週にかけては風雨共に強くて「今年の梅雨は暴れ梅雨だわ」と呟いたほどです。

それでも先週は4日間、今週は今の所3日間、恒例の朝のラジオ体操&散歩ができました
公園や家々の庭のアジサイに代わって、6月下旬からあちこちで咲いているのが「アガパンサス」

薄紫の大輪の花の横にひっそりと咲いている花を見つけました白もあります。まるで「高山植物」のような可憐さです

ラジオ体操仲間に聞くと「昼咲き月見草」と教えてくれました。

公園のユリはもう終わっていますが、家に戻ると我が家の庭のユリ漸くが咲き出していました



ユリは強い風に大きく揺れて、慌てて支柱を立てましたわ。

今朝は5時半過ぎに目覚め、ベランダに出て梅雨空を見上げてみると雨は降っていませんでした。
ラジオ体操参加の準備をしていると、TVから「緊急地震速報」が流れた
震源地は茨城県で震度4(横浜は震度3)、前回は千葉沖でしたね。

コロナ禍の中、豪雨水害に春から頻発している地震
日本は大丈夫かしら~

結局今朝はラジオ体操終了後に雨が降りだして、ご近所仲間のFさんと散歩を諦めて帰宅しました。

北鎌倉「浄智寺」(6月23日)
前回紹介した「東慶寺」の岩タバコが終わっていたので、私は次にお隣の「浄智寺」に行きました。

庭仕事&畑作業に精を出し、ブログの更新が延びてしまいましたが・・・
東慶寺から歩いて5分の「浄智寺」の紹介をしたいと思います。



東慶寺から歩いて5~6分の、臨済宗円覚寺派の禅寺の浄智寺は鎌倉五山第四位の
かつて大いに栄えたお寺ですが、自然豊かな中に存在する野生的な雰囲気が魅力です。

「寶所在近」の文字が掲げられた山門


その前の池には苔むした石の反橋がかかり、脇に鎌倉十井のひとつ「甘露ノ井」があります。
6月下旬のこの日は、池の脇にギボウシの花が咲いていました。

山門をくぐり、緑深い中の階段を登って行くと受付です。200円を払って境内に入りました。

鎌倉では珍しい唐様の鐘楼門
浄智寺は鎌倉幕府第5代執権北条時頼の三男である北条宗政が亡くなった折
その菩提を弔うために1281年頃に創建されました。



当時は中国(宋)からの渡来僧も多く、最盛期には七堂伽藍を備え、塔頭も11寺院に達しました。
現存する鐘楼門や本堂の様子などより、「宋風」という当時の中国の様式をうかがうことが出来ます。

2007年に再建された鐘楼門は「山居幽勝」の額が掲げられ、花頭窓のある上層には
1649年(慶安2年)の梵鐘が吊るされています。

浄智寺本堂。曇華殿(どんげでん)
暗くて写真には写っていませんが、本尊の木造三世仏座像は神奈川県の重要文化財に指定されています。



左から『阿弥陀・釈迦・弥勒』の各如来で、『過去・現在・ 未来』の時を象徴しているとか
各如来は衣の裾を台座に長くたらした様式で、鎌倉仏の特徴をよく表したお姿をしています。

本堂の曇華殿の裏側には鎌倉三十三観音霊の一つ観音菩薩像も祀られています。
趣ある茅葺きの書院の自然流のお庭を右に見ながら奥に進みます。



左側は山、道路わきに最後のアジサイが咲いていました。

裏山のやぐら
突き当りの「墓地」の前を右に折れるとやぐらが見えてきます。
お寺の裏手には谷戸が広がり、鎌倉ならではの風景が・・・
三方を山に囲まれ一方は海の鎌倉は平地が少ないハイキングで歩くと必ず目にするやぐらです



柔らかい鎌倉石の山を掘った祠(ほこら)をやぐらといいます。
やぐらは当時の僧侶が修行に使用したり、また地位の高い人のお墓などとして使用されていました。
平地が少ない鎌倉の特徴的な遺跡です。

布袋尊
この日の撮影目的の「岩タバコ」がある布袋尊がおあします左手の谷戸に向かいました。



タバコの葉によく似た葉が崖一面に生えていましたが、残念ながらお花の姿は見えませんでした



鎌倉七福神のひとつである布袋尊さま、福徳円満のご利益があると言われます。
お腹を撫でると元気がもらえると伝えられているので、多くの人々に撫でられたお腹は
とてもツルツルとしていますが、、、

コロナ騒ぎで布袋様には近づけない

書院
大正13年に建てられた風情ある茅葺の建物です。



庭園側から見ても、正面から見ても実に美しい佇まいです。

25年くらい昔、このお座敷で「精進料理」を食べた思い出がありますが
今はもうやっていないようでした。



奥のお庭にピントを合わせて、ズームで撮ってみました。
やぐらに向かう時は庭の向こう側の道を歩きましたね。

浄智寺の裏山、谷戸の奥には鎌倉大仏や銭洗弁天など鎌倉人気のスポットを結ぶ
ハイキングコースが伸びていて、、、
鎌倉でも人気の、葛原岡・大仏ハイキングコースの起点にもなっています。

浄智寺を後にした時はまだ11時を過ぎたばかりでした。
近くの円覚寺に向かうつもりで歩きだしましたが・・・

コロナ禍の中、私は不特定多数が利用する観光地や繁華街の「公衆トイレ」には
生理的に拒絶反応が出ます

クルーズ船ダイヤモンドプリンセス号を調査した際、各部屋のトイレの床に
一番多くのコロナウィルスが残っていたと聞いています。

そんな状態では半日の外出が限界です。私は「北鎌倉駅」に向かいました。

          

北鎌倉に行った週はシティーマダムに戻るべく、3カ月ぶりに美容院に行ったり
期限切れが迫っていた(息子夫婦に誕生祝でもらった)リラクゼーションコーナーの利用券を
使ってのマッサージを受けたりして、積極的に街にでましたが・・・

東京のコロナ感染者が日に日に増え、横浜も20~30人の感染者がでたりで
私は相変わらず、農家のおばさんしています。



花々や野菜は手をかければ応えてくれますね

連日キューリやトマトが採れて、朝の散歩がてら息子宅に届けたり
畑をやっていないご近所仲間に配っている今日この頃です。

そして今日の東京の感染者は224人とか、70%が症状の軽い20~30代だそうですが
いずれリスクの高い、中高年にも影響を及ぼすことでしょう。

先が見えないコロナ禍で、私の農家のおばさん生活はまだまだ続きそうですわ。


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久しぶりの北鎌倉「東慶寺」

2020年06月25日 | 鎌倉散策
最近はすっかり朝型人間になった私、今朝も4時半過ぎに目覚めて枕元のラジオを付けました。

そしてベッド横のベランダに通じるガラスドァーを開けて空を見上げるのが最近の日課です。
5時まで横になっていようと再びべッドに戻った時に揺れ出し
ラジオが「震源地は千葉東方沖で最大震度は千葉県の5弱」と伝えていたので慌てずに済みました。
それにしても最近地震が多いですね



この所、毎朝梅雨空が広がっています。
霧雨程度ならラジオ体操はやるので身支度を整えに1Fのリビングに降りると、
16畳の部屋がクチナシの香りに溢れていました。

先週後半から庭の八重のクチナシが次々と咲き出し、花瓶に生けたのです。


(2014年6月23日・北鎌倉東慶寺にて撮影)

今朝は雨がどんどん強くなり、いつものラジオ体操&散歩は諦めましたが
一昨日は霧雨の中、傘をさしてパンを買いがてらいつもの公園に行くと10人程度が
東屋や大きな木の下でラジオ体操をやっていて、私も慌てて参加

その内雨が止んだので「今日は北鎌倉に行き、岩タバコの花を撮影しよう」と突然思いました。

北鎌倉「東慶寺」へ(6月23日)
マイブログで「岩タバコ」をUPした日を調べると、丁度6年前の同じ日に行っていて
綺麗な写真をUPしていることを知りましたこちらで紹介しています。



駆け込み寺で有名な東慶寺、北鎌倉から歩いて5分で風情ある小さな山門が見えてきます。



我が家から電動自転車で10分足らずのJRの駅まで行き、電車乗って10分で北鎌倉駅に着きます。
一昨日は朝10時前に到着、まだ人の姿は少ない・・・



今年はコロナ騒ぎで、この東慶寺も6月19日の日本全国移動解除のあった日まで閉鎖していたとか
通常なら受付で200円払うのですが、この日は無料で入れましたよ。



臨済宗円覚寺派「松岡山 東慶寺」、開基は北条貞時、開山は覚山尼と伝えられる尼寺でした。
簡単に離婚ができなかった江戸時代、女性はこのお寺の境内に入れば縁が切れると知られていたようです。



本堂の中に鎮座しているのはご本尊の木造 釈迦如来坐像。
静寂の中で女性が一人読書中、こんな時間を持つのも良いですね。



でも私は一眼レフカメラを抱え、綺麗なお花を求めてウロウロ
アジサイはまだ咲いていますが、アップに耐える美しさは見られない・・・

アジサイは我が家にもあり、今年は朝の散歩やラジオ体操の会場の公園でたくさん見てきたけど
「岩タバコ」は鎌倉以外で見た覚えがない

目的の「岩タバコ」、咲いていることを願って崖のある奥に進みました。



崖のずっと上の方に辛うじて数輪咲いているだけで
他には全く見当たららずアチャ~



星形の可愛いお花が足元にたくさん落ちていました。
ここから先はお墓です。回れ右しました。

私がOLとして勤めていた会社の創設者や当時の重役さんたちのお墓があり
創設者が尊愛していた禅学者の「鈴木大拙氏」設立の松ヶ岡文庫が東慶寺の敷地内にあり
私も美術館に勤めるOL時代、何度か仕事で通ったこのお寺・・・



境内はさして広くはありませんが、四季折々のお花が楽しめるので時々思い出しては
懐かしくなり訪ねたくなるお寺です。

我が家の庭では嫌われ者のドクダミも、東慶寺では八重の可憐なドクダミが見られます

爽やかな明月院ブルーの姫アジサイも終わりに近くて6年前の同じ日に来た時は新鮮な姿で咲いていた桔梗も最後です

今回つくづくお花が早い温暖化を実感しましたね。



朝まで雨が降っていたので空気がシットリとしていて、マスクをした顔には優しい感じがしました。
梅雨時らしい苔の緑が柔らかくて美しい・・・



アジサイ寺と言われる明月院や長谷寺から見れば数が少ないアジサイですが
カメラを通すと絵になる東慶寺です。

女性のグループと、カメラを手にした単身のおじ様の姿がありました(私はオジサン化しているわ)



殆ど空振りだった「岩タバコ」、すぐ近くの「浄智寺」の布袋様の周りの崖に咲いていた事を思い出し
東慶寺を後にしました。

東慶寺が一番輝くのは花菖蒲が咲き、アジサイや岩がらみ、そして岩タバコが咲き乱れる6月上旬です。
新型コロナ騒ぎでその時期閉鎖になったのは東慶寺大好き人間には残念なことでした。

まだイベントやコンサートなどの人数縛りはありますが、、、
6月19日の日本全国の移動の自粛が解除となり、飲食店の終了時間も延びて人々が街に出だしましたね。

一週間が過ぎ、私も少しづつ行動半径を広げようと、4カ月ぶりに電車に乗りやってきた北鎌倉
例年のこの時期と比べると人出は少なくて、静かな鎌倉でした。

「これなら大丈夫そうだから又来よう」とこの時思いましたが・・・
昨日今日の東京のコロナ感染者(昨日は55人、今日は48人)の人数を知り、ちょっと躊躇しています。

人気の鎌倉は東京方面からもたくさんの観光客が集まる街、小町通りは混みだしたと聞いていて、
「人の少ない場所を選ばねばならない?、もう少し様子見かな?」と思った次第です


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第2回「鎌倉八十八カ所お寺巡り」(その3)と、鎌倉アジサイ情報

2020年06月08日 | 鎌倉散策
6月に入り、連日夏日が続いています。
今週後半はいよいよ関東地方も梅雨入りでしょうか・・・



我が家の庭のアジサイが咲き出しました。
南・東・北側に三種類のアジサイがあるのですが、去年バッサリ切ったせいか?、
今年はどれもお花の数が少ないのが残念です



毎朝、ラジオ体操で通っている公園のアジサイは見事に咲いています。
年に2回、市の委託で業者が入りますから剪定はバッチリですね。



ガクアジサイも素敵です

この色を見ていると、「大きな一眼レフカメラを抱えて鎌倉に行きたい」と思いました。
我が家近くの駅から電車に10分乗れば行ける「鎌倉」・・・


この色を見ると、明月院ブルーを思い出すガクアジサイの「墨田の花火」はあちこちに・・・

「鎌倉のアジサイを撮りたくなった」と写真仲間にLINEしたら、「長谷寺は予約制」との返事が返って来た

調べてみると、明月院は鎌倉市民のみに開放で、長谷寺は往復ハガキでの予約制
毎年混雑するアジサイ寺はどこも「蜜」ですものね
お出かけを計画している方は調べてから行くことをお勧めします

緊急事態宣言が解除されて2週間、そろそろ行動範囲を少し広げたいと思ったけど
今年の夏は誰でも自由にフラリと好きな場所に行けるわけではないらしい

芋の子洗うように混雑する湘南海岸の海水浴場も、今年は海の家などの施設の開設は無し
海に入るのは自由ですが、ライフセーバーなども居ませんから、くれぐれも気を付けて下さい。
湘南地方の各市役所が、浜辺でのソーシャルディスタンスの管理は無理と判断したようです。

隅田川の花火を始め、あちこちの花火大会も中止・・・
我が住宅地の「連合夏祭り」も中止で、夏のお楽しみも無くなりました。
緊急事態宣言は解除されたものの、withコロナの夏はどう過ごそうかと迷います。


ワンゲル・第2回「鎌倉八十八カ所お寺巡り」(2月22日)
2月に第2回目が開催されたまま、その後コロナ騒ぎで延期になっているワンゲルの
「鎌倉お寺巡り」の続きを載せたいと思います。

⑲龍口山 勘行寺(日蓮宗)
門もなくお寺の名称がどこにも無くて、窓枠にかかる幕に僅か勘行寺講演会と書かれているのみ・・・



鎌倉市腰越にある勧行寺は龍口寺輪番八ヶ寺のひとつであり
嘉元元年(1303年)但馬阿闍梨日実上人の開山と伝えられています。



本尊は三宝祖師。
天和3年(1683年)に火災で堂を焼失、寛政3年(1791年)には大暴風雨で潰され
大正12年(1923年)には関東大震災で倒壊したが、その都度再建されてきた。

⑳龍口山 妙典寺(日蓮宗)
こちらのお寺も山号は「龍口山」、龍口寺輪番八ヶ寺のひとつです。



延慶元年(1308)4月、中老僧 美濃阿闍梨天目上人によって開かれたお寺で、
鎌倉比企谷妙本寺の末寺。



本堂前の、福徳大黒天像。



谷の奥深くにあったことから、通称「腰越の谷戸寺」と呼ばれ、
堂内には本尊・諸尊の他に池上宗仲作の開山天目像をお祀りしています。

㉑龍口山 東漸寺(日蓮宗)
千葉県、中山・法華経寺の末寺にあたります。


この薬医門(三門)は、龍口寺の門前で饅頭屋を商う店の主人が早逝した妻の菩提を弔うために寄進したもの。



正中2年(1325年)龍ノ口霊場護持のため、法華経寺の命に依り、 開山日東上人が差し向けられ
龍口輪番八ヶ寺の寺として、550年の長きにわたりました。。



まだまだ寒い2月22日、多くのお寺の本堂の扉が閉められているのが残念でした。



東漸寺を後にし、江ノ電の踏切を渡ってすぐの義経伝説で有名な「満福寺」に向かいました。
このお寺は画像がたくさんありますので、次回に紹介したいと思います。

                

ラジオ体操&朝の散歩をするようになった私は、夜型人間から変わって
今までよりも早く寝るようになりました。

朝5時半に起きて洗濯機を回し、登山用のスタイルで身支度を整え、お茶を2杯飲んで
日焼け止めクリームだけ塗り、6時過ぎに家を出て公園を2周してからラジオ体操
その後体調に合わせて3000歩コース・4000歩コース・5000歩コースの散歩をして・・・



帰宅後1時間庭仕事、びっしょり汗をかいてシャワーを浴びてやっと食事にありつけるのはAM9時
基本朝は和食ですが、たまの冷たいサラダうどんがとても美味しい
トマト以外は全部畑の野菜で賄えます(畑のトマトはまだ青い)

午前中は家事・買い物などにも出かけて、午後は昼食後一休みしてから畑作業・・・
疲れて夜はウツラウツラ状態です

ご近所仲間のLINEに「ラジオ体操に参加しています」と記したら
先週から元スッチーのFさんが加わり、一緒に散歩もするようになりました。

2人なら5000歩コースの早朝の里山も怖くはありません。
2人なら「歴史あるコースを通って隣町まで買い物にも行けるよ」との情報も交換できて実行できる。

6月4日、キューリ&ピーマン初収穫、レタスとエンドウは最後です昨日収穫した50個の玉ねぎは肥料不足で小粒

11月に苗を買って植えた玉ねぎは12月と2月の2回、牛糞の追肥をするのですが
去年の12月は友人の事で、心を痛めることが多々ありすぎて大忙し
畑どころではなくなり、追肥をすっかり忘れてしまいました。

それが一転コロナ騒ぎで、3月からは人と交わることが遮断されました。
畑の作物や庭の花々など自然相手は手をかければ応えてくれて、それはそれで嬉しい事ですが・・・
人間、人との関わり無しでは生きられません。

withコロナの生活は、仲間達との交流をどのように展開していけば良いのかと迷います。
まずはFさんと北側の里山から「馬洗い川」に沿って歩き、隣町の大型生協に買い物に行ってきますね。

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第2回「鎌倉八十八カ所お寺巡り」(その2)と、GWの断捨離

2020年05月10日 | 鎌倉散策
大型GWも5月6日で終わり(私的には10日までがGWでは?とも思いますが)
緊急事態宣言は5月の末まで延びて、相変わらず外出自粛生活は続いています。

全国の新型コロナウィルス感染者は国民一人一人の「我慢」が効いて、減少傾向にあり
TVのニュースなどを視ると、少し気分が緩んでいるのではないかと感じられますが・・・
今後が大いに気になる所です。



先週、我が家のバラ「クィーンエリザベス」も咲き出しました
早速手折って、夫の遺影の前に飾りましたよ。

新緑も美しくて一年中で一番良い季節、私の一番好きな季節なのです



夫が買って北側に植えた「箱根更紗ドウダン」(更紗満天星)も地味に見頃です。

前回のマイブログでは「私のGWは晴耕雨読です」と書いたのに、息子の一言で
このゴールデンウィークは大々的な「断捨離」作業で、三日間費やしました

もう全身筋肉痛でヘロヘロ、詳しくは文末で記しています。



こちらはお嫁ちゃんから少し早く届いた、母の日の「カーネーション」
バームクーヘンが一緒に入っていて、お三時に食べています。ありがとう

まずは自分自身の記録の為に少しづつUPしている、2月22日に行ったワンゲルの
第2回「鎌倉八十八カ所お寺巡り」の続きを綴りたいと思います。

ワンゲル第2回「鎌倉八十八カ所お寺巡り」その2(2月22日)
(今回から何カ所目のお寺なのかを、番号付けて行こうと思っています)

この日はプロローグ編で紹介した「瀧口寺」の山号を付けたお寺を中心に
鎌倉の腰越地区のお寺を巡りました。

⑮龍松山「本行寺」(日蓮宗)
道路に面して1階は駐車場、2階は本堂、3階から上は住居のように見えます。
石碑に龍松山本行寺と書かれていますが・・・

普通のお寺と違ってビルになっていて、私たちは表階段を登って行きました。



戸が閉まっていて中は見えません。
リーダーに渡された資料には「祈祷道場の石柱があるが特に見るものなし」
とそっけなく記されていました

⑯小動山「淨泉寺」(真言宗)



新田義貞の稲村ケ崎越えを見守った真言宗の古刹、空海が開いたと伝わるお寺さんです。



左剣不動明王という左に剣を持ち腕を交差させた不動明王が御本尊。

小動神社(こゆるぎじんじゃ)のすぐ向かい側にある赤い門が「淨泉寺」の入り口ですが
私たちは横から出入りしたので、写真は撮りそこないました

⑰龍口山本成寺(日蓮宗)
日蓮宗の聖地・龍口を支えた腰越六寺のひとつで、腰越の住宅地にひっそりと建つ、日蓮宗のお寺さんです。



本堂前にある松は見事なもので、いかにも松らしい美しさ

このシリーズ2のプロローグ編で紹介した、日蓮上人が仏法の力によって処刑を免れた
といわれる聖地・龍口刑場(後の龍口寺)を護持するために建てられた腰越六寺のひとつです。



龍口寺には選任住職は置かれず、腰越六寺が輪番で維持しました。

その後、藤沢市片瀬のふたつの寺院を追加し龍口寺輪番八ヶ寺となり
明治19年(1886年)龍口寺に住職が置かれるまでこの制度が続きました。

⑱瀧口山本龍寺(日蓮宗)
日行上人を開山に、乾元元年(1302年)に創建された、龍口寺輪番八ヶ寺の中では最も古いお寺です。



龍口寺輪番八ヶ寺とは、片瀬常立寺、本蓮寺、腰越本龍寺、勧行寺、法源寺、妙典寺
本成寺、東漸寺の八ヵ所。



唐破風玄関に龍の彫刻が見え、木鼻も龍であるのは珍しいとか・・・



本堂横にはたくさんのサクラソウの鉢が並んでいました。

我々が訪ねた2月下旬に咲いていたのはクリスマスローズたくさんの鉢に多くのクリスマスローズが咲いていました

ランチは皆揃って「シラス丼」セット
寒い季節の鎌倉歩きは持参のお弁当を食べる場所も限られます。
それでリーダーが貸し切りで予約してくれたのがこのお店



新型コロナのニュースが日に日に大きくなってきた頃でしたから、朝の集合時リーダーから皆に
ジプロッグに入ったアルコール消毒薬を浸したティッシュが配られました。

シラスのかき揚げも付いて、凄いボリュームにビックリイワシのつみれ入りのお吸い物も美味しい

お腹が苦しくなり少しご飯を残しました、これで税抜き1380円とはお安いです
一同大満足で次のお寺を目指しました。

私はこの2月22日以来、仲間との外食はしていない、日々淋しい個食が続いています

GWは息子と二人で「断捨離」
最近あちこちで地震が頻発し、首都圏は緊急地震警報が二晩続けて流れて
怖い思いをしました。(あの音を聞くだけで心臓に悪い!)



5月3日、犬の小太郎の散歩がてらやって来た息子
いつものように父親の遺影の前で手を合わせてから、二階の元自分の部屋に行き

「お袋、本箱移動しないと地震が来た時逃げられないぞ」とつぶやきました。
今は私が寝起きしている部屋になっているのです。



それから始まった「断捨離」
5月4日の朝9時半から夜の7時近くまで、夫のベッドと本棚一つを解体し中の本200冊以上を破棄
残りの二つの本棚や机も納戸(元寝室)に移動し、私の部屋から棚類を無くした。


今までもベッド近くに本棚は置いていませんでしたが、上の三つの本棚が私の部屋にあったのです
ベッドが無くなった10畳の寝室を納戸とし、そちらに移しましたよ。

正面が入り口ドァー、右がクロゼットで左側に本棚が並んでいた漸く自分のベッドで眠れます。飛騨の家具は兎に角重い!

息子がサラリーマンになって、時々家に戻って来た時に使っていたソファーベッドは
寝心地がイマイチだったのです

通路がすっきりしたので、就寝時地震が起きたら何とか部屋から逃れられそうです。

写真左端の梯子は、ロフト(4畳半の屋根裏部屋)用ですが、嗚呼ロフトにも
息子のスキー道具と漫画本が山のように置いてあるんだわ



ベッドが二つに箪笥が2竿占領していた主賓室は、季節の変わり目の衣類や布団類を取りに入るだけで
この5年半は雨戸も閉めっぱなし・・・
それが日当たりの良い明るい納戸に生まれ変わりました。

夫のベッドが無くなると、気持ち的に少し解放され踏ん切りがついた感じがします。
夫が突然亡くなって、この8月で6年になりますものね。

私の手が届かなかったクロゼットの上の天袋も息子に整理してもらいました。
出た一般ゴミは90Lのゴミ袋6個分と電ノコで切った木材類

それを5月5日(火)の一般ゴミの日に、ゴミ収集ステーションに運ぶまでを
息子に協力してもらいました。

後は本類や衣類の資源ゴミと、有料の大型ゴミに出す品々がマットレスを含めて3個
今駐車場に入れていますが、徐々に捨てていくしかありません。

我が家は門から玄関までが10段、玄関から二階までの階段が14段・・・
私は2日間で合計24段の階段を50回くらい往復した感じです

部屋は大部片付きましたが、三日目は体中が筋肉痛で、足腰は重くてダウン寸前でした





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第2回「鎌倉八十八カ所お寺巡り」(その1)と現在の私の日々

2020年04月19日 | 鎌倉散策
昨日の土曜日(4月18日)は春の嵐で風雨共に凄まじく、雷鳴まで轟いて
私は一日中雨戸を閉めたまま巣ごもりをしていました。

そして翌日の今日はピカピカのお天気で
朝ベッドから起き上がり、西側のベランダに通じるドァーのロールカーテンを上げると
真っ白な富士山が見えていました。



朝食&家事&洗濯を済ませてから、デジイチを抱えて散歩がてら畑の脇道を通り
里山に通じる森の中の高台まで登って行きました。

暖かいと言うより暑い日和で、汗が出た

この春孫のハー君が卒業し、妹の奈菜ちゃんが入学した中学校の向こうに
大きな富士山が見えていました。

右手には大山を中心とした丹沢の山々が連なっています。



中学校に向かう階段を少し下ると左手に雲が沸き上がっている富士山が見えてきます。
左手には箱根の山々が連なり、独特な形の金時山も見えています。

時間は10時10分・・・
澄み切った富士山が仰げるギリギリの時間のようですね。

案の定今日の夕方の西側の空は灰色の雲に覆われていました



そのまま中学の隣の小学校近くまで行き公園の見事な「八重桜」をカメラに収めました。
最近はふんわりとした優しい感じの「八重桜」も好きになりましたね

緊急事態宣言が出された今は、私の活動も半径3km以内・・・

取りあえず2月に行ったワンゲル「鎌倉八十八カ所お寺巡り」第二回目編を
自分自身の為にも記録していきたいと思います。

第二回「鎌倉八十八カ所お寺巡り」(2月22日)
モノレール終点の「江の島」駅近くの「寂光山 龍口寺」を見学してから
この日は日蓮宗のお寺を中心に14カ所のお寺を巡りました。

「龍口山 法源寺」(日蓮宗)通称”ぼたもち寺”
龍口寺を守った腰越六寺(後に龍口寺輪番八ケ寺)の一つで
境内には日蓮像が安置されています。



常栄寺とともに鎌倉に2つある「ぼたもち寺」の一つで、龍ノ口法難の際
日蓮にぼたもちを差し出した桟敷の尼の実家の菩提寺であったそうです。

本堂でお参りしました日蓮の身の安全を守ったという稲荷堂

稲荷堂には文殊菩薩像が安置されているそうです。

本堂の横の「河津桜」が満開でした境内正面には端正な竹林があります

龍口山 霊鷲寺(りょうじゅうじ・日蓮宗)
仏眼宗(ぶつげんしゅう)菊池霊鷲により1951年に開かれました。


お寺と言うより、大きめの普通の一軒家と言う建物です。

宝善院(真言宗大覚寺派)
腰越にある真言宗のお寺さんです。



腰越の海近くの山裾にあり、とても静かで清々しい空気が感じられました。



白山信仰の神の山、白山を開き“越の大徳”といわれた泰澄大師が開いた寺院として
とても存在感がありました。



宝善院の十一面観音坐像は平安中期の作とされ、鎌倉最古の十一面観音像です。

こちらの境内にも満開の「河津桜」が・・・「ロウバイ」がまだ残っていました

賑やかな20人近い団体に、お寺の奥様がビックリして出てきました。

お話し好きな感じの奥様で、私は「我が家のお墓も大船近くの真言宗〇〇院にあります」
と言うと、「〇〇院の方々はお元気かしら?」と・・・
こちらのお寺とも関わりがあるようなお話でした。



お墓の周りは梅や桃などが綺麗に咲いています。
「ぜひ見て行ってください」と言われ皆で行きました。
桃源郷のような美しさで感動しましたね

※尚、この鎌倉歩きはコロナ騒ぎがまだここまで大きくなる前の2月の催しです。
その後鎌倉にもコロナ感染者が出て、このシリーズは2月の第二回を最後に中止、、、
ワンゲルの他の催しも4月から5月末まではすべて中止となりました。



                       

7都府県に緊急事態宣言が出されて10日以上が過ぎ、更にその対象が全国に拡大されました。

私の生活は朝20~30分の庭の草取りと、午後からの畑作業に時間を費やしています。
約20分のストレッチ体操と、お天気の良い日はカメラを抱えての30分程度の散歩

食料は基本は「生協の宅配便」です。

植えた覚えのない所に「トウハツアヤメ」が咲き出し水仙の葉の間にシラーの花を見つけました

庭や畑作業は肩や腰に負担がかかり、正直背中はバリバリに張っていて辛い
無理をしないことにしました。

先週の金曜日(4/17)、駅前の銀行&ドコモショップ&スーパーと行きました。
緊急事態宣言が出される前日に行って以来でしたから、街の様子も様変わりしていました。

銀行は半分が在宅勤務だそうで、カウンターの窓口も狭くなっていて・・・
あえて年金支給日の15日を外したのでとても空いていました。

私は生協の宅配の引き落としを郵便局にしたので、定期を一本解約し郵便局の口座に振り込みです。
窓口のお姉さんとは透明のビニール越しの手続きでした。

ショッピングセンター内のスーパーのレジも同じようにビニール越でしたが
こちらは相変わらず混んでいました。

2F以上の専門店は閉まっていて、エスカレーターも動いていません
デパートも地下の食品売り場の営業だけです。

ドコモショップも相変わらず混んでいましたが、ビニールはなく
正直対面での応対はまずいなぁ~と思いましたが・・・

番号札を配るお姉さんが教えてくれて(携帯メールとワイハイにロックがかかっていた)
5分で解決しました。ホッ

用件を済ませるとすぐに電動自転車で帰宅しましたが、人出の多い所に行くととにかく疲れます。
コロナ騒ぎは一体いつまで続くのでしょうか

日本と違い徹底的なPCR検査を進めたお隣の国韓国は、感染者数が一けた台に減り
外出禁止が解除されたようですね。

日本はどうなりますでしょうか・・・?、不安です



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ワンゲル「鎌倉88カ所・お寺巡り」・第一回(その3)

2020年02月23日 | 鎌倉散策
2月初旬は寒さが厳しい日もありましたが、陽の光は一日ごとに春めいてきました。
我が家の庭の梅は散りだしていますが、「クリスマスローズ」が次々と咲き出しています



連日新型コロナウィルス騒ぎが拡大し、クルーズ船「ダイヤモンドプリンセス号」が停泊している我が街横浜は
クルーズ船を降りたウィルス陰性の人々が、最寄りの駅から公的交通機関を使って家路に着いたそうで
その方々の中に陽性の人が見つかったとのニュースもあり

普段から外人観光客のみならず外人就労者も多い関係上、地方の友人から見れば完全に横浜は
「汚染地域」と見られているようで、最近お見舞いのメールやラインなどが届きます

そんな横浜の郊外に住んでいる私はいつもの通り、2月の第二週目は趣味の会に通い
息抜きに友人とのランチを楽しんだり、美術館に行ったりしていました。

TVでは新型コロナウィルスの市中感染の脅威が伝えられ、私は不安が高まりノイローゼになりそうで
TVを消して、好きな音楽などを聴く事にしています

リスクの高い年寄りはできるだけ不要不急の外出は避けるようにとのお上のお達しですが・・・
外出時のマスクとアルコール消毒用のティッシュは必ず持参して、ストレス解消をせねばとは思っています。

ウィルスに勝つには「免疫力」が大事

免疫力を高めるには「バランスの良い食事・十分な睡眠・運動」と、いつも体操の講師に言われていますので
それらを実践し、ワンゲルの鎌倉の88カ所のお寺巡りの催しは完遂したいと思っています。



南関東地方は昨日の2月22日に強い南風の「春一番」が吹きました。
丁度ワンゲルの「鎌倉88カ所巡り」の第二回目の日で、、、

早咲きの「河津桜」があちこちのお寺で満開を迎え、梅との競演が綺麗でした

今回は「江の島」に近い日蓮宗の総本山の「龍口寺」から歩き始めました。
本当にストレス解消になりましたわ

私はまだ1回目に歩いた先月の玉縄城を中心としたお寺の紹介も全部終えていません
書き方がまずくて誤解もあったようなので、このシリーズの題名を一部手直しをしました。

玉縄城を中心とした大船のお寺を巡る・その3(1月24日)

北条早雲が小田原城の支城として、現在の鎌倉市大船地区に玉縄城を築きましたが
城主氏勝が豊臣秀吉に敗れ、元和5年(1619)徳川氏が城郭を廃棄・・・

(今回は真冬でしたが)まさに「夏草や、兵どもが夢の後」状態の玉縄城址を見学後
私たちは坂を下り植木地区に歩いていきました。

光円山・久成寺(くじょうじ)」日蓮宗
光円山久成寺は、永正17年(1520)に日蓮宗の熱心な信者であったといわれる後北条氏の家臣
梅田尾張守秀長が宅地を寄進して、日瞬を開山に迎えて建立したといわれる日蓮宗の寺院です。



小田原の陣に出陣中の徳川家康公が久成寺に立ち寄り、四代住職日顗上人の祈祷の恩賞として
三石を与えたといわれている。



その後、鷹狩りの折立ち寄った際、日顗が柚子を献上し
家康公からは「葵の紋」入りの弁当箱を授けられたそうです。



この弁当箱は行厨(こうちゅう)あるいは破子(わりご)と称し、久成寺の寺宝となっています。



葵のご紋が徳川家ゆかりのお寺だと思わせてくれますね。



中々立派な風情ある境内です。
徳川家康が二度立ち寄ったといういわれもうなずける感じがしました。

城護山明王院・円光寺(真言宗)
初代玉縄城主だった北条氏時が僧澄範を開山として招き、永禄年間(1558年〜1570年)に城内に創建したお寺で
山号の「城護山」がそれを示しているとか。。。



城中や城下の平安を祈る祈願所だったが、元和5年(1619年)玉縄城が廃城となってから
現在の場所に移ってきたそうです。



ご本尊は「不動明王」



本堂右手に建つ薬師堂(昭和53年(1978年)に改築)には行基作と伝わる薬師如来像のほか
十二神将像が祀られ、60年に一度(!)開帳されるそうです。

玉縄山珠光院・貞宗寺(浄土宗)
慶長16年(1611年)に、徳川2代将軍秀忠公の祖母「貞秀院」が晩年を過ごした
屋敷の跡地に建てられたお寺です。



ご本尊は「阿弥陀三尊}、障子が閉まっていたのが残念でした。



竹の緑が印象的なお寺でした。



ワンゲルの最後は必ず(?)裏山に登ります。

最後の「貞宗寺」を後にし住宅地を進むと、夫が良く通っていた大型ホームセンター「コウナン」でした。
ここでトイレとお茶タイム



そこから更に30分近く歩いて丁度4時に、朝出発した「大船駅」に到着し解散です。
夕日に照らされた「大船観音」が出迎えてくれました。

朝10時に出発し、食事休憩を入れて6時間、私のスマホの歩数計は22562歩でした。

                  

女二人のささやかな新年会(1月30日)
写真仲間のSさんと毎年夏と冬の2回、飲みながら食べながらの「女子会」をやっています。



今回は彼女が駅の近くに良いお店を見つけ、そこのランチが安くて美味しいと言うので
昼間のランチを楽しみました。



お寿司膳やステーキ丼など、5種類のセットメニューがすべて1100円(毎月メニューは変わります)
私たちはお店の名前の付いた定番の「せのうみ膳」を頂き、ビールを1本頼んで
二人で新年の乾杯をしました。

毎度書きますが、夫を突然失い落ち込んていた時、一番付き添ってくれたSさんです
墓地探しにも協力してくれて、ついには同じ墓友になりましたよ。




二次会は駅前ショッピングセンターの落ち着いたカフェで、コーヒーとケーキでお喋りです。
気が付いたら、いつもの夜の居酒屋さんと同じ5時間が過ぎていました。

私の夫は5年半前の夏、ある日突然発熱し肺炎と診断され総合病院に入院したが
抗生物質が全く効かず、原因不明でわずか二週間で亡くなりました。

脚立の三段目から落ち、頸椎ねん挫で整形外科に通い薬を飲んでいましたが
入院の5日前まで、夫婦で軽井沢のオーナーズビラで5日間避暑を楽しんでいました。

医師の話では「原因はウイルス・多量の薬・肺挫傷」のいずれかが考えられるとの事でした。
今回の新型コロナウィルス肺炎騒ぎをニュースで見るたびに、入院中の夫の事が思い出され
私は恐怖を感じます。

不安を感じるたびに私はSさんに長電話やラインをしてしまいます
そんな私に何時間も付き合ってくれる彼女に感謝していますよ

昨日(2/22)歩いた第二回目の「鎌倉88カ所お寺巡り」で見つけたリュウキンカのお花です



22日の夕方の5時半過ぎにワンゲルの鎌倉歩きから帰宅すると、すぐにケアプラザから電話が入りました。

「地域での行事や催し物などの集まりは控えるように」という、横浜市からのお達しで、
月に一回通っているコーラスサークルも今月はお休みとのことでした。

新型ウィルス騒ぎはいよいよそこまで~~~

私の属している防犯パトロールの「女子会懇親会」が、順番で今年は私が幹事で
3月3日のひな祭りの日に集まることになっています。

2~3日前に代表の女性から「外での食事会を不安に思っている人が居るのよ」
「中華街なら分かるけど、こんな横浜での片隅でもとびっくりしたけど。。。」
「結論は幹事さんが決めてね」と言われていました。

パトロールの会は一応地域活動です。ケァープラザからの電話で決心がつき
今日は朝から参加予定の13人に「延期」の電話をして、お店にもキャンセルの電話を入れました。

今の状況が続けば、中小の観光業界や飲食店は潰れる所が増えるのでは?
日本の経済は今後どうなるのだろうとかと心配になりました。



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ワンゲル「鎌倉88カ所・お寺巡り」・第一回(その2)

2020年02月14日 | 鎌倉散策
暖冬と言われる今年の冬、大寒中も暖かい日々でしたが・・・
節分・立春と終えたとたんに寒さがやってきて、先週後半は震えました。

2月7日、OL時代の仲間4人で谷中から根津神社と歩きましたが、皆モコモココートに帽子姿。



そんな中、我が家の庭の梅が咲き出し(2/10写す)気持ちがほっこりしましたが・・・
この2~3日は南風が吹きだして、20度近い気温が続き梅も一気に満開になりました。

昨日(2月13日)ワンゲルで生田緑地の梅園に行きましたが、こちらはもう満開は過ぎていました
気温の急変に体調を保つのが大変ですが、今風邪をひいたら新型ウィルス騒ぎに巻き込まれそうで怖いです

ワンゲル「鎌倉88カ所巡り」その2(1月24日)
前回紹介した大船周辺のお寺巡りの続きです。

「玉縄首塚」
大船軒で昼食を終えてから歩きだし、道路わきの「首塚」の石碑やお地蔵様を見ながら
次のお寺を目指します。



大永6年(1526年)、下総小弓の城主里見氏との戦いで戦死した35人の首を
その時の玉縄城主、北条氏時が埋めて塚を築いた。

この石碑の横にお地蔵さまがズラリと並んでいました。

「聖天山・玉泉寺」(真言宗)
大船軒から歩いて20分の住宅地の中に佇むお寺です。山門はありませんでした。



祭られているお不動様の胎内には小さな不動(胎内不動)が入っているそうです。

秘仏本尊なので、正月三が日だけ御開帳されるとか・・・
私たちはお参りしましたが、ご本尊を見ることができませんでした。

境内には6体の欲張り地蔵が祭られています地獄道・飢餓道・畜生道・修護道・人間道・天道とあります




山に囲まれ、平地の少ない鎌倉のお墓はこのような「やぐら」が多い

「陽谷山・龍宝寺」(曹洞宗)
文亀3年(1503年)、玉縄城主北条綱成が城の東北地に建てたお寺です。
その後天生3年(1575年)、北条氏勝(4代城主)により今の場所に移されました。



この山門は元禄年間にできたそうです。



冬桜が咲く境内には新井白石の碑があるとか・・・



昭和26年(1952年)に火災により焼け、昭和35年(1960年)に再建されました。



本尊は釈迦如来像で、五山レベルに匹敵するほどの広い境内は印象的でした。

「諏訪神社」
永正9年(1512)、北条早雲が小田原城の支城として玉縄城を築いた際、城内東北隅 (諏訪壇)に
鬼門除の鎮護神として信州諏訪神社を勧請しました。

玉縄城が廃城になった時、この場所に移されたとか長い長い階段を登って行きます

参道階段を登り切ると左に本殿、右に神楽殿があります。木々に囲まれた山深い中に神社はありました。



城主氏勝が豊臣秀吉に敗れ、元和5年(1619)徳川氏が城郭を廃棄する時
村民が神社の荒廃を憂い現地に奉遷したそうですが・・・

歴史ある古い神楽殿には大きな落書きが書かれて、寂れた感じが漂っていました。

七曲・玉縄城大手門入り口・玉縄城址
玉縄城大手門に至る坂道を登って行きました。



玉縄城は自然の利を生かした山城です。
海までが見渡せるので攻めてくる敵も一目瞭然私たちはひたすら登って行きました

玉縄城址は登った先の住宅地の中に建つ「清泉女学校」の敷地内の山の上にありました。
前もってリーダーが許可を得ていたので、學校の門は鍵が開けられていました。



外堀すら自然の利を生かしていたようで、石積みなどの遺跡も何一つ残っていない城址です。



二等三角点と看板だけが山の頂上にありました。「山城」とはそのような場所なのですね。

(2/15・追記)この玉縄城址のすぐそばにある大船フラワーセンターにはこの地で生まれ育った
「玉縄桜」があります。



私は今から8年前の3月22日に、カメラ友のSさんとNHKTVで紹介されてすぐに観に行きました。
花期が2月中旬から3月下旬と大変早く、約1ヶ月の長期にわたって鑑賞できるのが特徴です。



昭和44年に台木養成を目的に「染井吉野」の種子を播種
その苗の中に発芽が半月ほど早い株があることを発見し、そのまま育成、昭和49年に初めて開花

花は「染井吉野」に似ていますが、20日ほど開花が早いことを確認、平成2年に種苗登録されたそうです。
品種名は、フラワーセンター近くの由緒ある地名の「玉縄」を「桜」に冠したものだそうです。

今年は暖冬ですから、そろそろ咲き始めるかも・・・?
今後ホームページの「開花情報」をチェックをしていこうと思います。

                  

「ダイヤモンドプリンセス号」の新型ウィルスの感染者の数には驚かされますが
あくまでも「検疫中」という事で、管理されていると思っていましたが・・・

ついに我が神奈川県から、日本初の新型コロナウィルス肺炎での死者が出ました。

今夜のニュースでは他にも千葉・和歌山・名古屋・札幌と、中国に関係しない感染ルートの分からない患者が
次々に出たと聞きショックを受けました。
新型ウィルスはすでに市中に潜んでいるようでね。

2/7の谷中歩きや、2/13の「生田緑地の観梅」参加時、ラッシュの時間に電車に乗りましたが
どちらもマスク着装率は40~50%程度、サラリーマンの着装率が特に少なかった感じです。

東京のタクシー運転手の例では「屋形船での新年会」が原因
私もまだまだこれからコーラスやパトロールの会の新年会の予定が入っています。

「60歳以上の高齢者はできるだけ人混みに出ない事」とTVでは発信していますが、う~~んどうしよう
家に1人でこもっていると、私は不安から神経が危なくなりそうで怖いです


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ワンゲル「鎌倉88カ所・お寺巡り」・第一回(その1)

2020年02月02日 | 鎌倉散策
気が付けば早2月、明日は節分で、明後日は立春・・・
あっと言う間に令和2年の1月が終わってしまいました

「大寒」中は雪がちらつく寒い日の翌日が最高気温18度の春の陽気になったりの
身体がビックリするようなお天気が続いていましたが・・・
昨日今日は例年通りの気温に戻った感じです。



我が家の庭の梅の蕾も膨らみだして、水仙も満開です
毎年、お正月が近づくと咲き出す薄い黄色の日本水仙が、今年はどうした事かあまり咲かず
そのあとに咲く濃い黄色の水仙が見頃です。

私の今年のワンゲル初歩きは「鎌倉寺巡り」
前回のマイブログで紹介した「横浜そごう・樹木希林展」に行った翌日に参加しました。

鎌倉は近場だし、山ではなくてお寺巡りだしと軽く考えていましたが・・・
歩数は24000歩程度だったものの、どのお寺も神社も階段が長くて
その日の夜中には膝が重くて何度も目が覚めました。

神社仏閣巡りは足腰丈夫なうちにとお勧めします。

ワンゲル「鎌倉88カ所・お寺巡り(1)」1月24日
”鎌倉駅周辺のみならず、市全域に点在する名もない小さな寺院も含めて訪れる企画のスタートです。
全域を10地域に分け八十八のお寺を主として約一年かけて巡る予定です”
というお誘い文に惹かれて参加しました。



この日の予定は「大船駅・南口」に10:00集合で、この図の13カ所の赤丸の神社仏閣&遺跡を巡ります。

「無我想山・黙仙寺」(曹洞宗)
最初に訪ねたのは駅そばのお寺です。



明治の末に浜地八郎と言う人が、自分で信仰する金剛経を広めるために
曹洞宗・永平寺管長であった雑宝駄仙師を開山として開いたお寺です。



昨年の2度の台風襲来で階段横の斜面が崩れ、登った上の境内も木々が倒れて工事中
お寺もシャッターで閉ざされ、参拝もできませんでした

「大船観音寺」(有料)
JR「大船駅」からも良く見える大きな上半身の観音像は、私も常々電車の中から目にしていますが
訪ねるのは初めてでした。



この日の参加者は男性4名・女性12名の計16名
丘の上に建つ観音像に会いに斜面を登って行きました。



300円を払って山門をくぐります。



昭和4年4月14日に建立の工事が着手されたが、資金不足のため中断、昭和32年5月18日に起工式が行われ
昭和35年4月28日に、高さ25mの大船観世音菩薩の落成式が行われたそうです。



更に長い階段を登って行くと・・・



観音像が姿を現しました



微笑んでいるような表情の、慈愛深いお顔の大きな観音菩薩
見る方向で表情も微妙に変わります。



中にも入れます。内部も観音様が祭られていました。

境内の白梅も3分咲きとなっていて・・・ミツマタの小さな蕾も見られました




戦没者慰霊碑や原爆犠牲者慰霊碑もありました。



1945(昭和20)年、広島市に投下された原子爆弾。実は、その戦火を自分のカイロに移し
自宅へ持ち帰った方がいらっしゃったそうだ。
その貴重な火を受け継いでいるのが、同寺の「原爆犠牲者慰霊碑」です。

平和と子宝に御利益のある大船観音です。

昼食は「大船軒」本店で
まだ11時を少し過ぎた時間でしたが、一同アジの押し寿司で有名な大船軒で昼食です。
私はアジと小ダイの押し寿司を頂きました昭和の雰囲気の中で食後のコーヒーも・・・

「アジの押し寿司弁当」は大船駅でもいつでも買えますね。

             

鎌倉を歩いた翌日は「私の誕生日」
去年は誕生日当日がワンゲルの鎌倉のハイキングコース歩きで・・・
山の頂上でワンゲル仲間が「桜餅」と「ハッピバスデーの歌」で祝ってくれて感動しました



息子一家は例年、お寿司の居酒屋さんで食べ放題飲み放題でご馳走してくれて
プレゼントは孫が選んだ小さな花束でした。

でも今年はお兄ちゃん孫が受験生で塾通い、孫娘も土日は遠い町田までチァーダンスの教室に通っている。
親はその送り迎えに忙しそうで・・・

食事会はお兄ちゃん孫の午後2時半から7時半までの塾に行く前に「近所のイタリアンでのランチ
私だけ白ワインを頂きました、残念ながら奈菜ちゃんは欠席です。



今回のプレゼントはリラクゼーションのお店のマッサージ券4枚
肩こり症の私はこのプレゼントが一番うれしいわ、ありがとう

 この一週間、新型コロナウィルスのニュースが日に日にエスカレートし、他人事ではなくなり
1/29(水)、美容院に行ったついでにマスクを買い求めました。

駅近のショッピングモールの大型ドラッグストアーのマスク売り場の棚は半分以上が空で
「お一人様一個の販売です」と書かれたポスターが貼られていました。

私は残っていた60枚入りの箱を一箱買って帰宅(自宅には取り置き用の箱に30~40枚残っています)

翌日、ご近所仲間からのLINEで1/30(木)はどこもマスクが売り切れ状態で
購入困難の様子を知りました。
ネット購入も、届くまで一週間以上かかり高騰しているとの情報です

国際都市の横浜は世界中の人々が集まりますので、人混みに出ることを躊躇してしまいます。
早く収拾して欲しいですね。


コメント (18)
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