ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(51)

2008-06-15 16:51:22 | Weblog
6月15日 終日、雨が降り続いている。気温14度という肌寒さだ。ワタシは低く入れてもらったコタツの中で寝ている。6月半ばというのに・・・。
 居間の方から、飼い主の聞くCDの音が聞こえてきた。上品な、しかし、なんと鮮やかに、情感たっぷりに踊りまわるヴァイオリンの音だろう。ネコに小判ながら、あとで飼い主に聞いたところ、バロック時代のイタリアの作曲家、タルティーニ(1692-1770)によるものだとのこと。
 このタルティーニは、有名な「悪魔のトリル」で代表されるように、ヴァイオリンの技巧を発揮させるように作られた曲が多く、そのために、これ見よがしで表面的過ぎると学究派からは批判されることも多い。200曲ものヴァイオリン・ソナタと135曲ものヴァイオリン協奏曲があるのに、録音されているものは少なく、正当に評価されていないのかもしれない、と飼い主が言っていた。
 ついでながら、このCDはいつものことながら、あの安物買いの飼い主の趣向に合うものらしく、ブリリアント・レーベルの3枚組みで1,680円ということだ。
 雨の日に静かに聞くには、それほどはしゃぎすぎでもなく、かといって深刻に考え込むこともない、いい音楽だとワタシも思う。
 
 さて、ワタシの話だが、二日前飼い主が山から戻ってきた後、さっそくサカナをもらい、元気いっぱいになったワタシは、一日家にいて、外に出たくなった。しきりに鳴いて、飼い主を散歩に誘う。
 山歩きで疲れていただろう飼い主は、それでも文句も言わず、一緒に出てくれた。それは、ワタシを長い間、放って置いたことへの罪滅ぼしの気持ちからだったのかもしれないが、まあそれはいい。
 ともかくいつものコースを二人で歩いていき、そして例のポンプ小屋の少し手前のところにある、広い草むらの中にワタシは入り込んだ。そこでじっと身を潜める。ここには、野ネズミや野ウサギ、それにエサになる昆虫類もいるからだ。
 しかし、飼い主は待ちきれずに、先に一人で帰ってしまった。日が暮れて、夜になって、ワタシは隠れなれた近くのポンプ小屋に向かった。闇の中、家に帰るよりはこちらの方が安全だったからである。
 次に日(昨日)の朝早く、さっそく飼い主が迎えにきた。お互いに、ミャーミャー鳴いて呼び交わし、そしてわずか700mほどのところを、40分近くもかけて一緒に家に帰った。
 飼い主はもう、私を抱え上げて無理に連れて行こうとはせず、ワタシが休んだり、他の生き物の臭いをかぐために少し草むらに入っても、辛抱強く待っててくれたのだ。ほう、やればできるじゃない、とワタシは飼い主を見上げて、ミャーと鳴いた。
 そして、ワタシは昨日の夜、外に出たが、明け方には帰ってきた。今日は雨も降っているし、ずっと家の中にいる。マイケルは、飼い主が追い払ってくれたおかげで、このところ来ていないようだ。
 ワタシだって、何も好き好んで、あんなポンプ小屋にいたいわけではない。飼い主がそばにいて、ちゃんとサカナとミルクをくれるこの家にいるのが、一番いいのだ。そこんとこ、よろしく・・・といっても、また北海道へ行くんでしょうがね。どもならんわ、この鬼瓦は、とぼけた顔して、チャカチャカとパソコンを叩いて。


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