ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシの飼い主(18)

2008-06-14 18:37:01 | Weblog
6月14日 うす曇り、気温23度。
 「昨日は、梅雨の晴れ間の一日で、九州の各地も30度を越えていたが、比較的に湿度が低く、からっとした暑さだったようだ。
 山の上なら、さらにさわやかな気分になれるだろう。ということで、またもや、九重の山に行く。一昨日の大雨の後、空気も澄んで、山もきれいに見えることだろう。もちろん、ミヤマキリシマの花を見るためでもあるのだが、今年は開花が早めで、さらにあの大雨のために花も散り、もう盛りを過ぎているのかもしれないのだが・・・。
 満開だけれど天気の悪い日と、咲き始めのころや盛りを過ぎてはいるが天気の良い日との、どちらかを選ぶとすれば、それは何を見に行くのかという目的によって異なるのだろうが、私はやはり天気の日のほうがいい。
 まして快晴の朝だ。ミャオは部屋の中で寝ている。静かにドアを閉めて家を出る。長者原の登山口の駐車場には、まだ十分に余裕があった。雨ガ池を越えて坊ガツルに出る。九重の山々に囲まれて、穏やかな草原・湿地が広がっている。
 まだ中学生だったころ、大人に連れられて来て、ここにテントを張り、いくつかの山に登った。夏にしては、空気の澄んだ晴れた日で、遠く雲仙の山までがはっきりと見えた。それが、私の初めての山だった。天気の良い日に、良い山に登ること、それが山が好きになるきっかけになるのかもしれない。
 しかし、それは規律的な集団登山(山にとっても百害あって一利なし)であってはいけない。あくまでも、少人数で行って、自然の奥深さに親しむための登山であるべきだ。
 さて、長者原からの登山者の殆どは、ここ坊ガツルからミヤマキリシマの二大名所である、平治岳か大船山に登るのだが、私はそのまま山すそにある法華院温泉へと向かう。
 これも昔の話だが、もう老年に近かった母と叔父を連れて、同じコースを歩いて法華院温泉に泊まったことがある。普段歩き慣れていない二人には、つらい歩行だったことだろうが、白濁の硫黄の臭い漂う、湯治場的な温泉山小屋を大変喜んでくれた。その二人も、今はもういない。
 そんな思い出に浸りながら、法華院から北へ、くたみ分かれ(くじゅうの語源とも言われ、万葉集にその名が出てくる)方面へと向かう。鉾立峠に着き、左に立中山への道をたどる。その南斜面には、少し盛りを過ぎていたが、鮮やかにミヤマキリシマが点在していた。
 なだらかな頂上に着く。東側に、白口岳、中岳、天狗ガ城そして三俣山(写真)、西に平治岳、大船山、南に遠く祖母、傾の山々・・・そよ風、快晴の空、他に誰もいない。なんという幸せなひとときだろう。生きていることに感謝するばかりだ・・・。
 しかし、そこから大船山への道は踏み跡と言うにふさわしく、リョウブなどの藪が道を被い、二度ほど迷って何とか道を見つけるほどだった。決して他の人に薦められる道ではない。楽しいひと時があれば、つらい不安なときもあるのだ。
 あとは、人々の賑わいの中、今が盛りのミヤマキリシマで溢れんばかりの北大船から、さらに平治岳に登って、長者原に戻った。7時間余りの、私には適度な山登りだった。

 家に戻ると、ずっと部屋にいたらしいミャオは、ミャーと鳴いて私を迎えてくれた。いつものサカナをやると、すっかり元気になってミャーミャーとうるさく鳴いて、散歩に行きたがった。私は山歩きで疲れていたが、一緒にいつもの散歩コースを歩いて行くと、また先の草薮の中に入っていってしまった。呼んでも戻ってこない。
 私はそのままひとりで帰ってきた。ミャオは夜になっても戻らなかった。また朝になって探しに行かなければ・・・。」


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