ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(49)

2008-06-04 18:30:43 | Weblog
6月4日 曇り空で、時折、霧雨が降っている。気温17度。
 どっこい、ワタシはしぶとく生きている。昨日の夜、今日の朝と、ニャーオ、ニャーオと鳴いてまわる人がいた。さらに昼前にも、またやってきては呼びかけている。その時、ワタシは気がついた。あれは、間違いなく飼い主の声だ。
 人の住んでいない家の、縁側のところにいたワタシは、気がついて思わず大きな声で鳴いてしまった。それから飼い主とワタシは、お互いに続けざまに鳴き交わしながら近づいた。飼い主が何事かを言いながら、座り込んでワタシの体をなでてくれた。なつかしい飼い主の匂い、手のぬくもりだ。
 ようやく安心して、可愛がってもらえたのだが、四週間もの間、決まった棲家もなく、いつもおびえながら暮らしてきたワタシには、何か落ち着かない。周りを見回し、何度も辺りをうかがいながら、飼い主の後についていく。余りにワタシが後ろを振り返り動かないので、飼い主は、何度もワタシを抱き上げて運んだ。
 しかし家に近づいて来るのがわかると、さすがにワタシも嬉しくなって、飼い主の前になって小走りになり、家に入った。やはりこの家にいれば、安心なのだ。それでもまだ、外の気配が気になる。しばらくは、飼い主のそばで寝ていた。
 長い間、外で暮らしていて気が張っていたためか、いつしかぐっすりと眠ってしまい。車で買い物に行ってたらしい飼い主が戻ってきて、一人にされていたのに気がついた。飼い主は、おーよしよしと、ムツゴロウさん可愛がりをしてワタシをなで、目の前に、生のコアジを二匹出してくれた。
 たまらん、やっぱりうまいなー、ナマザカナは。長い間、ワタシを置き去りにしていた飼い主に対する、不満や積もる話も、バリバリと音を立てて食べる魚の前では、もうすっかり忘れてしまった。ともかく、これでしばらくは一安心だ。
 飼い主からも、言いたいことがあるようで・・・。
 
「帰ってきたのは夕方で、それから二度ほど近くを探したがいない。気にかかりながらも、昨日はそのまま寝て、さて今日だ。
 朝、エサをあげてもらっているおじさんの所へ行くと。なんと、ミャオは始めのうちは来ていたのに、このところ来ていないとのこと。
 ほかの人に簡単になつくようなネコではないし、用心深いネコだから車にはねられたりすることもないはず。エサをもらえるのは、あのおじさんの家だけだし、他に行くとこはない。
 その生命線でもあるおじさんの家に行っていないということは、先日、傷を負わされたばかりの他のネコに、またやられて身動きが取れない状態なのか。あるいは・・・と、悪いことばかり考えてしまう。
 重たい気持ちのまま、家の片付けをしていたところへ、おじさんがやって来て、他の人がミャオらしいネコを見かけたそうだと、教えてくれた。それではと、家から5,600m離れたその辺りを行ったり来たりして、ミャーオ、ミャーオと鳴き声を出していると、すぐそばからミャオの声。ああ、良かった。ミャオ、元気でいてくれたか。
 しかし、やはり体はやせていて、少し汚れている。ただ毛づやが滑らかで、体調も悪くはなさそうだ。びくびくしているミャオを、何とか家まで連れて帰り、一安心。
 部屋でゆっくりと寝ていたミャオに、生のコアジを二匹出してやると、音を立てて食べてくれた。これで大丈夫だ。
 ところがその後、なんと、あのマイケルがやってきたのだ。勝手知ったる他人の家といった感じで。ミャオは、野生そのままの目を見開いて(写真)、マイケルを見つめ、少しうなり声を上げた。まだ、マイケルに付きまとわれていたのだ。なんという、男と女(オス、メスというより)の関係なのだろう。確かネコのサカリの時期は、冬から6月くらいまで続くのだと、物の本には書いてあったが、二匹の間も続いていたのだ。しかし、ミャオは明らかに恐れ、嫌がっていた。
 私は、マイケルを追い払った。私が家にいるときは、ミャオはそこに逃げ戻ってくればいい。しかし、いない時、逃げても逃げても相手は追ってくるのだ。心休まらない日々だったことだろう。ミャオ、長い間、ごめんな。
 しばらくの間だけど、ともかくは心配ないからね。」

飼い主よりミャオへ(8)

2008-06-01 15:28:15 | Weblog
6月1日
拝啓 ミャオ様
 
 雨が降っている。一昨日から三日間、10度以下という肌寒い日が続いて、薪ストーヴを燃やしている。ミャオのいる九州の今日の予想気温は28、29度だから、その差は20度もあることになる。毛が抜け変わって夏服になったオマエには、耐えられない寒さだろう。
 ところが、下界は曇り空でも、山の上では晴れていることがある。5月18日のところで書いていた、例のオホーツク海高気圧が張り出してきたときだ。
 三日前の朝、起きてすぐに、インターネットで気象衛星の写真を見る。外の重たい曇り空と同じく、十勝の平野部は白く覆われているが、日高山脈は黒く映し出されている。次に、国道の峠情報のライブカメラを見ると、標高600mの狩勝峠では霧だったが、1000mの日勝峠では晴れている。
 今朝は起きるのが遅かったので、急いで朝食を済ませて家を出たが、御影の芽室岳登山口に着いたのは、もう7時に近かった。他に車が一台。
 その登山者にしばらく登ったところで出会うと、もう他には誰もいなかった。次第に雲が取れてきて、見上げる木々の間に青空が広がっていく。なんとも嬉しくなり、展望への期待に胸膨らむ一瞬だ。木々の向こうからは、コマドリやルリビタキのさえずりが聞こえてきた。
 ハイマツとダケカンバの尾根道の右手には、谷筋に残雪を刻みつけた西芽室岳の姿が美しい。その分岐になるコブのところから、残雪の斜面をトラヴァース(横切る)すると、ハイマツの稜線に出て、展望が一気に開ける。
 待望の日高核心部の山々は、先ほどから気になっていた雲が、少しかかっている。快晴の日の展望を知っているだけに、残念な気もするが、まあ、ようやく天気のいい日に登れただけでも、よしとするべきだろう。3時間ほどで頂上(1754m)に着く。
 東側から、十勝幌尻岳、札内岳、エサオマントッタベツ岳(雲かかり見えない)、伏見岳、ピパイロ岳、幌尻岳(西芽室岳のほうが良く見える)、1967峰、西に離れてチロロ岳と日高山脈の山々を眺め、さらに天気がよければ、十勝岳連峰、トムラウシ山、大雪山、ニペソツ山、ウペペサンケ山と見ることができるのだが、今日は目を凝らしてやっと分かるくらいだった。十勝平野側は、一面の雲海だ。(写真はピパイロ岳と1967峰、その間に幌尻岳)。
 芽室岳はこれで数度目だが、印象深いのは、この芽室岳から続く日高山脈の主稜線を南に下って、1726峰、ルベシベ山へと往復した時だ。5月中旬のことで、雪もまだたっぷりとあり、道のない稜線に続いている残雪を伝っていくことができた。天気のいい日に、残雪の山をひとり歩いていくことの楽しみ・・・雪を踏みしめる靴音の他には、風の音と鳥の声が聞こえるだけ、そして一面の青空の下に雪に縁取られた山々が並んでいる・・・ああ、たまらん。
 ミャオ、オマエは、また飼い主のマゾ趣味が始まったと思っているのかもしれないが、そうじゃなくて、にしおかすみこが最近、あまり女王様スタイルをしなくなったのと同じで(関係ないか)、最近では確かに、若い人には自分の体を痛めつけてまでする山登りなんかは流行らないし、こうして汗水たらして、つらい思いをしてまで山に登るのは、単純に自然の景色を見るのが好きだということもあるが、幾つになっても、何かに立ち向かおうとする気持ちがあるからなのだ。75歳でチョモランマ(エヴェレスト)に登った三浦さん、いろいろ問題はあるにせよ、ともかく登ったというそのことは素晴らしいのだ。
 さて、下のほうから雲も湧き上がってきたので、30分程で頂上を後にする。今回は、天気も今ひとつだし、他に用事もあったので、西芽室岳(往復一時間)には行かずに、そのまま下るが、尾根の東側に残る雪堤(まだ2m以上の厚みがある)の上に出て、尻セード(お尻ですべる)をしたりして、ずんずんと下って行く。しかし、久しぶりの登山ということもあって、やはりヒザが痛くなってしまい、あとはゆっくりと、ツバメノオモトやオオバナノエンレイソウ、オオサクラソウの花などを見ながら、2時間半ほどで降りてくる。
 日高山脈の山々は、まだ道がつけられていないところが多く、それだけに、冬から春にかけての雪の尾根を伝って登ったり、夏から秋に谷をつめての沢登りも楽しいが、そうした上級者向きだけではなく、残雪の時期から紅葉の秋までは、この芽室岳のように、登山道があって手軽に行ける山もあるのだ。ヒグマについては、いつかまたゆっくり話したい。長年、北海道の山に登ってきて、今ではそうビクビクはしていないが、それでも怖いことに変わりはない。ただし、めったに出会うことはないのだ、出会えば終わりかもしれないが。
 今回の北海道は、わずか四週間ほどの滞在で、天気もあまりよくなく、山に行けたのはこの一回だけ、残念だけれども、ともかく登れてよかったとも言えるのだが。
 さて、今日はいろいろと家のことを片付けて、ミャオ、後三日で、九州に戻るからな。とは言っても、予報では、その日から北海道の天気は良くなり、九州は梅雨に入るとか・・・どーゆーこっちゃ。

飼い主より                 敬具