ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(9)

2008-06-27 17:41:21 | Weblog
6月27日 
拝啓 ミャオ様
 四日前、散歩に連れ出したまま、オマエを置き去りにして、家を出て行ったのは、本当に申し訳ないと思っている。
 四年前に母が亡くなってから、オマエを一人残して、北海道に行かざるをえなくなって、これまで、もう十回余り、オマエとのつらい別れを繰り返してきた。
 それは、オマエの嘆きほどではないけれども、私にとっても、本当につらいことなのだ。今にして私は、幼い私を預けて働きに出ていた、母の気持ちが良く分かる。そのことについては、前回の別れの時(5月11日の項)にも、書いていたが、今回も同じことだ。
 こちらに着いた翌日は、確かにオマエの涙雨ではないかと思うほど、一日中雨が降り続き、私もすっかり滅入ってしまった。お互いに一人同士なのに、そして仲良くやっていけるのに、どうして遠く離れて暮らさなければならないのか。
 私が北海道に行かないで、ずっと九州にいるか、それともミャオを北海道に連れて来て、一緒に暮らすかなのだけれど、それはお互いに理由があって、どちらとも不可能だ。
 オマエがノラになって、つらい心休まらない毎日を送っているかと思うと、いいカゲンな飼い主とはいえ、長い間、同居人として暮らしてきた私は、自責の念に駆られ、いたたまれない気持ちになる。
 しかし、解決できない問題を、あれこれと思い悩んでいても仕方がない。人は皆、いつしか忙しい日常にまぎれて、少しずつそのつらさを忘れていくことだろう。あの映画「ライム・ライト」の中で、チャップリンの言った言葉、”The time is a great authour.”(時は、偉大な作家だ)のように、時が解決してくれるまで・・・。
 もちろん、一日たりとも、オマエのことを忘れてはいない。ミャオは、小さくても重たい文鎮のように、しっかりと私の心の中にあるからだ。時が、オマエと私を再び会わせるその日を信じて、ミャオ、辛抱して生きていてくれ。

 私がこちらに来て、三日目の午後から、ようやく晴れてきた。大きな青空の下、さわやかな風が吹きわたり、そこに、輝く北海道の初夏の光景があった。
 町まで買い物に行く途中、左右に流れていく田園風景を眺めながら、この二日ほどのつらい気持ちから抜け出て、ようやく北海道に帰ってきた喜びを味わうことができた。
 夏の盛りに、収穫期を迎える小麦畑が、今その成長の盛りにあった。そのすがすがしい薄青緑色のじゅうたんの広がりが、十勝晴れの青空の下に続いている。
 暗い雨の日ばかりは続かない。すっきりと晴れ渡る日もあるのだ。
 さらに次の日に、私は山に登ってきた。新緑に溢れる尾根道を歩き、頂から周囲の高い山々を眺めてきた。そのことについては、次の回に書こう。
 ともかく、私は少しずつ、北海道の生活に戻っていこうとしている。ミャオの場合は、そんな余裕もなく、つらく厳しい毎日だけなのだろうが、しかし一方では、外にいる時のオマエの、あの生き生きとした瞳の輝きに、私はノラとしてのたくましさも信じていたいのだ。勝手な飼い主で申し訳ないが。なんとか、元気で居てくれ。

              飼い主より 敬具