6月29日
拝啓 ミャオ様
四日間続いた晴れの日も終わり、今日は曇り空のまま夕方には小雨が降り出し、気温も16度位と肌寒い。
この北海道の家に戻ってきてから、少しずつやっている草取り、草刈作業がなかなか終わらない。道の両側、車を停めるところ、畑の周り、庭とすべてを草刈鎌だけでやっているから、仕事がはかどらないのだ。
今日もその草刈作業を二時間ほどした後、部屋に戻って一休み。新聞を広げながら聴いていたCDの音の流れが、いつしか私の心の中で、もの哀しく膨れ上がっていった。ミャオに会いたい。ミャオの体をなでて、可愛がってあげたい。
ミャオが、半ノラからようやく我が家のネコに戻ったのに、私は再びミャオをひとり残して北海道に来てしまったのだ。それまでの、ほんの数日だったが、ミャオはずっと家に居て、私も傍にいて、なんと心穏やかな日々だったことだろう。
人はいつも、一人になって、初めてなくしたものの大きさに気づくのだ。
聴いていた音楽は、グレゴリオ聖歌集だ。音楽的には、中世の時代に成立したといわれる、キリスト教の聖歌を教会での典礼に従っててまとめたもので、西洋クラッシク音楽の源流の一つだとされている。
さらに旋律的に言えば、モノフォニーからポリフォニーへなどと難しいこともあるのだが、そんなことまで知らなくてもいいし、わが国でいえば、あのお遍路さんたちが唱える御詠歌みたいなものなのだ。
クラッシク音楽という難しいくくりに入れなくて、単純にヒーリング(いやし)・ミュージックだと思えばいい。事実、十数年前には、そのグレゴリオ聖歌集のCDが、世界中で大ヒットしたのだ。
手元にあるCDは、「CANTO GREGORIANO」(ドキュメント・レーベル 10枚組み 1790円)という格安ボックス・セットなのだが、値段のわりに、十分納得して聞くことのできる、グレゴリオ聖歌集である。
もちろんこの値段からして分かるように、他のCDのような正式な教会での合唱演奏ではなく、寄せ集めの合唱隊によるものだから、その筋の学究的な人々からは問題外の演奏だとされている。
しかしよほどの専門家でない限り、ラテン語で歌われている意味を読み取り、聞く必要などないし、一つの音楽として、折にふれて聞けばいい。その意味では私の愛聴盤だとも言える。
レコード時代のものでは、フランスのDECCAレーベルから20枚のシリーズとして出されたガジャール神父、クレール神父の指揮によるサン・ピエール・ド・ソレム修道院聖歌隊によるものが、教会での臨場感に溢れ、その素朴な歌声が素晴らしかった。
普通のレコード・ジャケットの倍の厚みがあり、その装丁はまるで美術本のようだった。フラ・アンジェリコやラファエロの素晴らしさを、その時にはじめて知ったのだ。私は、そのシリーズのうちのわずか6枚しか持っていないが、レコードが聴けなくなっても、決して手放すことはないだろう。
こうしてここまで書いてきて、ようやくつらい気持ちが大分おさまってきた。元来、日記というものは、古典文学の土佐日記、更級日記などに始まり、樋口一葉や永井荷風などと興味深いものが多く、一大ジャンルとなっているほどだが、個々人が書く日記は、もちろんそこまでの文学性などはないし、書き捨てるだけのものにせよ、「心のうさの捨て所」としての効用は十分にあるだろう。
ところで、本題として書くつもりの山の話がすっかり遅くなってしまった。三日前、日高山脈の伏見岳(1792m)に登ってきた。今までに何度も登っているのだが、それは雪のある頃か紅葉の頃で、初夏の今に時期に登るのは初めてだった。
晴れ渡った空の下、新緑のダケカンバの尾根道が気持ちよく、傍らに咲くヤマツツジやシラネアオイの花々を眺めながら、二時間半ほどで頂に立つことができた。
東側に広がる十勝平野を除いて、日高山脈の山々がぐるりと取り囲む、展望の山なのだ。戸蔦別岳を前衛にした幌尻岳が素晴らしいのはもちろんだが、私の好きなのは、南側に戸蔦別川を挟んで相対するエサオマントッタベツ岳の姿だ(写真)。
左にJ.P(ジャンクション・ピーク)があり、右の頂上との間に北東カール、頂上から右手に北カールが見えている。(J.Pの上にのぞいているのはカムイエク)
このエサオマンをさらによく見るためには、積雪期に、その手前にあるカムイ岳の肩にまで登らなければならないが、その苦労に値する息を呑む眺めである。
ともかく、今回の伏見岳では、数人の登山者に出会ったが、それぞれずっと離れていて、静かな新緑の展望の山を十分に楽しむことができた。道のない山の多い日高山脈だが、芽室岳、十勝幌尻岳、楽古岳と伴に、登山道が整備されていて、手軽に登れるいい山である。
初夏の好天が続くこの時期に、まだまだ登りたい山が幾つもある。ミャオには申し訳ないが、これが、私が北海道にいたい理由の一つなのだ。
飼い主より 敬具
拝啓 ミャオ様
四日間続いた晴れの日も終わり、今日は曇り空のまま夕方には小雨が降り出し、気温も16度位と肌寒い。
この北海道の家に戻ってきてから、少しずつやっている草取り、草刈作業がなかなか終わらない。道の両側、車を停めるところ、畑の周り、庭とすべてを草刈鎌だけでやっているから、仕事がはかどらないのだ。
今日もその草刈作業を二時間ほどした後、部屋に戻って一休み。新聞を広げながら聴いていたCDの音の流れが、いつしか私の心の中で、もの哀しく膨れ上がっていった。ミャオに会いたい。ミャオの体をなでて、可愛がってあげたい。
ミャオが、半ノラからようやく我が家のネコに戻ったのに、私は再びミャオをひとり残して北海道に来てしまったのだ。それまでの、ほんの数日だったが、ミャオはずっと家に居て、私も傍にいて、なんと心穏やかな日々だったことだろう。
人はいつも、一人になって、初めてなくしたものの大きさに気づくのだ。
聴いていた音楽は、グレゴリオ聖歌集だ。音楽的には、中世の時代に成立したといわれる、キリスト教の聖歌を教会での典礼に従っててまとめたもので、西洋クラッシク音楽の源流の一つだとされている。
さらに旋律的に言えば、モノフォニーからポリフォニーへなどと難しいこともあるのだが、そんなことまで知らなくてもいいし、わが国でいえば、あのお遍路さんたちが唱える御詠歌みたいなものなのだ。
クラッシク音楽という難しいくくりに入れなくて、単純にヒーリング(いやし)・ミュージックだと思えばいい。事実、十数年前には、そのグレゴリオ聖歌集のCDが、世界中で大ヒットしたのだ。
手元にあるCDは、「CANTO GREGORIANO」(ドキュメント・レーベル 10枚組み 1790円)という格安ボックス・セットなのだが、値段のわりに、十分納得して聞くことのできる、グレゴリオ聖歌集である。
もちろんこの値段からして分かるように、他のCDのような正式な教会での合唱演奏ではなく、寄せ集めの合唱隊によるものだから、その筋の学究的な人々からは問題外の演奏だとされている。
しかしよほどの専門家でない限り、ラテン語で歌われている意味を読み取り、聞く必要などないし、一つの音楽として、折にふれて聞けばいい。その意味では私の愛聴盤だとも言える。
レコード時代のものでは、フランスのDECCAレーベルから20枚のシリーズとして出されたガジャール神父、クレール神父の指揮によるサン・ピエール・ド・ソレム修道院聖歌隊によるものが、教会での臨場感に溢れ、その素朴な歌声が素晴らしかった。
普通のレコード・ジャケットの倍の厚みがあり、その装丁はまるで美術本のようだった。フラ・アンジェリコやラファエロの素晴らしさを、その時にはじめて知ったのだ。私は、そのシリーズのうちのわずか6枚しか持っていないが、レコードが聴けなくなっても、決して手放すことはないだろう。
こうしてここまで書いてきて、ようやくつらい気持ちが大分おさまってきた。元来、日記というものは、古典文学の土佐日記、更級日記などに始まり、樋口一葉や永井荷風などと興味深いものが多く、一大ジャンルとなっているほどだが、個々人が書く日記は、もちろんそこまでの文学性などはないし、書き捨てるだけのものにせよ、「心のうさの捨て所」としての効用は十分にあるだろう。
ところで、本題として書くつもりの山の話がすっかり遅くなってしまった。三日前、日高山脈の伏見岳(1792m)に登ってきた。今までに何度も登っているのだが、それは雪のある頃か紅葉の頃で、初夏の今に時期に登るのは初めてだった。
晴れ渡った空の下、新緑のダケカンバの尾根道が気持ちよく、傍らに咲くヤマツツジやシラネアオイの花々を眺めながら、二時間半ほどで頂に立つことができた。
東側に広がる十勝平野を除いて、日高山脈の山々がぐるりと取り囲む、展望の山なのだ。戸蔦別岳を前衛にした幌尻岳が素晴らしいのはもちろんだが、私の好きなのは、南側に戸蔦別川を挟んで相対するエサオマントッタベツ岳の姿だ(写真)。
左にJ.P(ジャンクション・ピーク)があり、右の頂上との間に北東カール、頂上から右手に北カールが見えている。(J.Pの上にのぞいているのはカムイエク)
このエサオマンをさらによく見るためには、積雪期に、その手前にあるカムイ岳の肩にまで登らなければならないが、その苦労に値する息を呑む眺めである。
ともかく、今回の伏見岳では、数人の登山者に出会ったが、それぞれずっと離れていて、静かな新緑の展望の山を十分に楽しむことができた。道のない山の多い日高山脈だが、芽室岳、十勝幌尻岳、楽古岳と伴に、登山道が整備されていて、手軽に登れるいい山である。
初夏の好天が続くこの時期に、まだまだ登りたい山が幾つもある。ミャオには申し訳ないが、これが、私が北海道にいたい理由の一つなのだ。
飼い主より 敬具