ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(54)

2008-06-24 16:13:27 | Weblog
6月24日 雨が降っている。また、ひとりぽっちのノラになった、ワタシの涙雨だ。
 一昨日の夕方、飼い主は大きなアジを一匹、ワタシにくれた。日ごろもらうものよりは、ずっと大きめのサカナで、ワタシが食べにくいだろうと、飼い主が二つに切ってくれた。
 時間をかけてゆっくりと、その大きなサカナを食べきった。そのまま、家で横になっていて、夜、トイレも含めて外に出ていたが、すぐに家に戻った。
 そして昨日の朝、いつものように、飼い主が起きて部屋から出てくると、ワタシはニャーと鳴いて、朝の挨拶をした。
 あの飼い主の200m走で家に戻ってから、四日間、ワタシはもう、隠れ家のポンプ小屋に行くことはなくなっていた。すっかり、この家のネコに戻っていたのだ。
 だから、朝、飼い主にかけたワタシの鳴き声も、何かを訴えたり、甘えたりするときの声とは違って、ネコなで声の、小さな優しい声になっているのが、自分でも分かった。
 人は、そしてネコもまた、心と体が満足すれば、誰にでも優しい気持ちになれるのではないだろうか。もちろん、それはいつも満たされていて、もののありがたみも分からないほどの、裕福な状態にあれば、なかなか気づくこともないだろうが。むしろ、辛い哀しい経験をした後にこそ、満たされたもののありがたさに気づくのだ。

 そして、テレビを見ながら、朝食をとっている飼い主の傍で、ワタシは丸くなって寝ていた。しばらく、家のあちこちで、ゴトゴトいわせていた飼い主が、ワタシを呼ぶ。
 昨日は、朝から、少し日も差していたし、これは散歩だなと、飼い主の後について外に出る。梅雨らしい、雨の日が続いたから、久しぶりに日の当たる朝の道を、歩いて行くのは気持ちがよかった。
 一緒に、ポンプ小屋方面への道を来たとき、ワタシが先になって、小さな石段の道を降りたのだが、その後になかなか飼い主が降りてこない。しばらく待っていたが、そのうちに、草むらの虫や小鳥の物音に、興味が引かれて、その辺りを歩き回って遊んでいた。
 何時間ほどたっただろうか、ワタシは少しおなかがすいて、家に戻った。すると、ベランダに、ほんの少しだけのキャットフードが置かれているだけで、ドアも雨戸も堅く閉められていた。夜でもないのに。
 ガーン、ワタシはやっと気づいた。飼い主が、また居なくなったのだ。鳴き声をあげながら、家の回りをまわってみたが、入り込む隙間はどこにもなかった。
 しかし、涙に暮れているわけにはいかない。この家には、またマイケルや他のネコたちがやってくるだろう。あのポンプ小屋に戻るしかないのだ。

 そして今日、雨が降っていて、外には出られない。もう丸一日、何も食べていない。ああ、あの大きなサカナが最後だったのか。夕暮れ時になったら、あのおじさんの所に、エサをもらいに行くしかない。これからまた、きびしいノラの生活が続くのだ。
 飼い主様、お願いですから、一日も早く帰ってきて下さい。