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東山魁夷の「北山初雪」は残っていた

2012-03-11 00:00:08 | Weblog
東山魁夷の「北山初雪」は、
川端康成のコレクションになっている。
川端康成がノーベル賞を受賞したお祝いに、
東山魁夷が贈っているから(1968年)。

「現代日本の美術」、「東山魁夷」。集英社、1976年発行から。

川端康成の所蔵品となっている「北山初雪」は、
山梨県立美術館の企画展、
「川端康成コレクションと東山魁夷」で、
見ることができた(2011年)。


「本物に逢えた!」
満足! 満足!
「もう、逢えないだろう?」
そんな気がして、ジ~ッと見た。

東山魁夷と川端康成の親交は厚かった。
東山魁夷は川端康成に手紙を送っている(1955年)。
「甚(はなは)だ不躾(ぶしつけ)ながら前々より、
一度お訪ね申し上げたく存じておりました」
と、川端康成の美術コレクションを見たかった。

それで、東山魁夷は川端康成の家を訪ねて、
所蔵する美術品を見せてもらっている。
最初の対面となったのは、東山魁夷47歳、
川端康成56歳のときである。

東山魁夷は、川端康成に、お礼の手紙を送っている。
「日頃の念願が叶い、
先生にお目にかゝることが出来ました上に、
貴重な御所蔵の御品々を拝見させて戴きまして、
誠に有難く存じます」
「川端康成と東山魁夷」、求龍堂発行から。

川端康成が文化勲章を受章したお祝いに(1962年)、
東山魁夷は、「冬の花」を贈っている。
冬の花」(北山杉)。1962年。

「今、ふたたびの京都」、平山三男編、求龍堂発行から。

川端康成の小説「古都」の舞台となった京都の北山杉に、
東山魁夷は関心を持ち、描いたのだろう?
「冬の花」という画題は、川端康成の小説「古都」の、
終章の見出しからとった。
川端康成は、「冬の花」(北山杉)を小説「古都」の口絵にした。

それから、川端康成は、東山魁夷に進言している。
「京都は、今描いていただかないと、なくなります。
京都のあるうちに、描いておいてください」

それで、東山魁夷は「京洛四季」を描いた。
「京洛四季」の一つが「北山初雪」である。
「冬の花」(北山杉)と同じ構図である。

「北山初雪」の京都を見に行った。
北山とは、どんなところだろう?
北山杉は、どんなか? 見たくなるじゃないか。

京都駅から周山行きのJRバスで1時間。
「北山グリーンガーデン」で降りる。
降りようとすると、
「ここで降りても、なんにもありませんよ」
と、バスのドライバーは、
降りるのを制止するかのように言う。
「北山杉資料館へ行きたいんですが」
「北山杉資料館は、もう、やっていません」
降りてもしょうがない、と言っている。
「・・・?」

乗客数名は土地の人。成り行きを見ているようだ。
「北山杉を見たいんですが、まだ乗っていたほうがいいですか?」
「ここら辺が北山杉です。この先にはありません」
「じゃ、ここで降ります」

「変わった旅行客だな!」
という顔をしていたな。

橋の先、「北山杉資料館」のゲートは閉じていた。

あたりは、山の上まで杉。
つぎの「北山杉の里 中川 散策マップ」で①の場所である。

「北山杉の里 中川 散策マップ」。

「京都北山杉の里総合センター」でもらった。

右下にある全体のマップを拡大。


国道162号の「周山街道」を京都方向にもどると、
「北山丸太」を天日乾燥している。2012年。

山の上まで杉。
手前は、「北山丸太」を立てかける架台。

「周山街道」は、車の行き来は多いが、
道を歩いている人が、まったくいない。
観光客もいなければ、土地の人もいない。
それで、近くの家へ寄ってみた。

「北山杉資料館」は個人経営です。
体調をくずして、閉館しています。
とのことだった。

それで、「どこへ行ったらいいですか?」
聞いてみた。
といっても、具体的には、
東山魁夷の「北山初雪」のモデルはどこですか? ということと、
「台杉」は、どこに行けば見ることができますか? ということ。

「台杉」は、あちこちにある。
詳しいことは、この下にある、
「京都北山杉の里総合センター」で、
教えてくれるでしょう。

たしかに、台杉はあちこちにあった。

伐採すると、あとからまた杉が生えてくる。
1本だけがスクーッと伸びていた。

「周山街道」を、さらに京都方向にもどった。
左右の北山杉を見ながら、写真を撮りながら、10分ほど歩くと、
京都北山杉の里総合センター」があった。散策マップで②。

山の上まで杉、杉、杉。
東山魁夷の「北山初雪」のモデルは、北山のどこにでもある。

杉材で囲まれた展示ホールで、ちょっと一休み。
コーヒーがうまかった。
水が湧くという。その水がうまい。
お代わりをした。

「北山丸太」ができるまでのビデオを見てから、敷地にある、
「京都北山丸太生産協同組合」のでかい倉庫を見せてもらった。

スタッフが案内してくれるという。
名刺をいただいたら、理事とある、敬礼。

理事さんが、電気を点けると、
白い艶の丸太が浮かび上がる。
丸太、丸太、丸太・・・、壮観だった。
磨丸太の長さは3メートルと4メートルという。
2,500本ほどあった。

天日乾燥のあと、ここで乾燥させるが、別に暖房はない。
外の気温と同じ6~7℃、長くいると寒い。

北山杉は、30年たつと、秋に伐採し、皮をむき、冬に丸太磨きをして、
ここに集められ、月に一度、セリにかけられる。
と、説明してくれる。

丸太の下は、四角錐にとがらせてあった。鉛筆の先のように。
丸太をくるくる回して、真っ直ぐか?
磨きぐあいは? 絞(しぼり)は?
などをチェックするという。

絞(しぼり)には、天然にできるものと、人造の絞があって、
天然絞のほうが高いという。

人造絞の作り方を見せてもらった。

杉の外周に杉の小枝を、
針金でギュウ、ギュウと巻きつけて、凹凸を作る。

杉の皮むきは、竹の「へら」を使うという。

理事さんは、奥から竹の「へら」を持ってきてくれた。
その竹の「へら」を持って、撮影した。

昔は、竹の「へら」を使ったが、
秋になると皮は硬くなって、ムキにくい。
今では、高圧の水をかけて皮をムクという。

左奥は、小枝を払うときの「はしご」。
はしごは、不要となった杉で作る。
持たせてもらったら、軽かった。

「北山磨丸太」は、高いもので1本30万円。
「北山杉」の需要は落ちているという。
床柱、ポーチ柱、棟木に使うが、
和式の建築が減っていることが原因。

もの珍しさから、いろんなことを聞いた。
「林業関係ですか?」
と、理事さんから聞かれた。

それで、東山魁夷の「北山初雪」を見に来たが、
北山杉は、どこで撮ればいいですか?
大きい「台杉」は、どこで見ることができますか?

「北山杉」の写真は、
「京都北山杉の里総合センター」の入り口から、
奥を撮ればいいという。

手前は清滝川。

そして、「台杉」の大きいのは、
4キロ下流の中川の菩提道にある。
しかし、「歩いたら、かなりある」という。

理事さん、ありがとうございました。
おかげで、「北山杉」の理解が深まりました。

大きい「台杉」を見に、
中川の菩提道まで歩きだした。

バスで来た「周山街道」を下る。
途中、清滝川に木の橋がかかっていた。

「渡ってくれ!」と、木の橋は誘ったから?
バランスをとりながら、滑って落ちないように、
恐るおそる渡って、山に入ると、運搬機があった。散策マップで③。

運搬機で伐採した杉を下ろす。
奥には、大きな台杉が数本あった。
シーンとして、だーれもいなかった。

中川地域に入ると、中川小学校があった。散策マップで④。

山の上まで、北山杉。

立派な学校に、全校生徒10人。
再来年には「廃校」になるとのこと。
土地の人が教えてくれた。

中川の菩提道まで来た。
旧道に入った。お婆さんに道を聞いた。
「大きい『台杉』は、どこにありますか?」

「50メートル先だよ」
「近くにお寺があるから、その庭も見るといいよ」
と、お婆さんは元気に教えてくれた。

それで、大きい「台杉」にたどり着いた。散策マップで⑤。

生命力がある。「生きてるぞ!」といっている。
数本の若杉が空に伸びていた。

中川地域。散策マップで⑥。

左は磨丸太倉庫群。使われていないようだ。

清滝川の右の道路は「周山街道」、奥から下ってきた。
そして、中川の菩提道のバス停から京都にもどってきた。

「北山グリーンガーデン」(散策マップで①)から、
中川の菩提道(散策マップで⑦)まで、
「周山街道」沿いを4時間の散策。
それにバスで往復2時間、6時間の旅だった。

天日乾燥、「京都北山杉の里総合センター」と倉庫、
運搬機、中川小学校、台杉、磨丸太倉庫群・・を、
見ることができた。それに、人が良かったな!

川端康成は、評している。「川端康成と東山魁夷」、求龍堂から。
「『京洛四季』の『北山初雪』、
これを北山に住む林業家の幾人もが見て、
このような感じの雪景は、
一年に一度か二度あるかなし、
しかもその時間は極めて短い、
それをよく捉えたと、
声を合せて讃えた」

北山杉の散策は、一杯のコーヒーと、
水のお代わりだけだったが、
疲れはなかった。
東山魁夷の「北山初雪」のモデルは、
どこにでもあった。満足!  満足!

美しさを切り取る東山魁夷の才で、「北山初雪」は生まれた。

「京都は、今描いていただかないと、なくなります。
京都のあるうちに、描いておいてください」
という川端康成の進言で描いた「北山初雪」。
それから半世紀たつが、
東山魁夷の「北山初雪」は残っていた。
北山には、まだ京都がある。
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