季節の変化

活動の状況

岡本太郎が縄文美術を発見した

2012-01-15 00:01:15 | Weblog
岡本太郎が「縄文美術」を発見した。
弥生時代の埴輪(はにわ)から始まった日本の歴史の教科書を、
縄文時代から始まるようにしたのは、岡本太郎である。

それまでの「縄文土器」は、時代を考証する研究対象だったが、
岡本太郎が「縄文土器」を優れた芸術品とした。

「井戸尻考古館」には「水煙渦巻文深鉢
(すいえんうずまきもんふかばち)がある。

曽利遺跡。縄文時代中期。
「井戸尻考古館」の絵はがきから。
左の把手は「太陽」、対象の右は「月」を表しているという。

すばらしいと思う。
どうして、こんな芸術品が生まれたのだろう。

この「水煙渦巻文深鉢」は、
「井戸尻考古館」の自慢の一つで、
スタッフはつぎのように話してくれる。

パリで開催された「日本古美術展」に出品されました(1963年)、
10円はがきのモデルになりました(1972年)、
「岡本太郎と縄文展」に出品されました(2001年、2006年)、
北は帯広から、南は沖縄まで巡回しました。

岡本太郎は、東京国立博物館で、
縄文土器」と出会って、衝撃を受けた(1951年)。

「縄文土器」と出会ったときの様子を、
岡本太郎は、つぎのように言っている。

「戦後のある日、私は、
心身がひっくりかえるような発見をしたのだ。
偶然、上野の博物館へ行った。
考古学の資料だけ展示してある一隅(いちぐう)に、
不思議なモノがあった。
ものすごい、こちらに迫ってくるような強烈な表情だ」
「自伝抄・挑む」、読売新聞、1976年10月14日。

「縄文土器」に出会ってから、
岡本太郎は「縄文土器」の調査を始めた。

母校の慶応大学に出向いて教えを乞い、
東京大学や明治大学、国分寺文化財保存館を回り、
諏訪の「尖石(とがりいし)遺跡」、
井戸尻(いどじり)遺跡」を紹介されて訪れた。
「縄文土器」や「土偶」を見て写真を撮った。

そして、美術誌「みづゑ」に「縄文土器論」を発表した。
縄文土器の芸術性を絶賛している(1952年)。

「みづゑ」(1952年)に掲載された「縄文土器論」は、
「日本の伝統」として編纂されて、
光文社から発行された(1956年)。

岡本太郎はつぎのように書いている。
縄文土器論」-民族の生命力
「現代人の神経にとっては、まったく怪奇だが、
この圧倒的な凄(すご)みは、日本人の祖先の誇った美意識だ。
それは今日なお、われわれの血の深い底流にひそんでいる」
「この非日本的と思われるほど強烈な美学を、
ふたたび、われわれのものとして取りもどしたい」

岡本太朗は、諏訪を40回近く訪れている。
当然のように「井戸尻考古館」も訪れて、
「岡本太郎さんは何回か来られて、撮影されました」

「四次元との対話-縄文土器」、みづゑ、1952年2月号では、
岡本太郎はつぎのように書いている。

「激しく追いかぶさり重なり合って、
隆起し、下降し、旋回する隆線紋。
これでもかこれでもかと執拗に迫る緊張感。
しかも純粋に透った神経の鋭さ。
堂々芸術の本質として超自然的激超を主張する私でさえ、
思わず叫びたくなる凄みである」

「井戸尻考古館」の「水煙渦巻文深鉢」を、
目の前にしているようじゃないか?

「井戸尻考古館」発行の「井戸尻」には、
縄文時代の文化的頂点は「藤内(とうない)遺跡」である、
と、書いてある。

「藤内遺跡」から出た土器や土偶199点は、
重要文化財になっている。

「神像筒型土器」(しんぞうつつがたどき)、
「巳を戴く神子」(へびをいただくみこ)、
「半人半蛙文有孔鍔付土器」(はんじんはんあもんゆうこうふちつきどき)、
「双眼五重深鉢」(そうがんごじゅうふかばち)、
を見ると、縄文芸術の頂点を極めたことを実感する

神像筒型土器」(しんぞうつつがたどき)。重要文化財、「藤内遺跡」。

縄文人は神をイメージした。
「井戸尻考古館」の絵はがきから。

巳を戴く神子」(へびをいただくみこ)。重要文化財、「藤内遺跡」。

頭の「まむし」は、今にも襲いかかってきそうだ。
「井戸尻考古館」の絵はがきから。
エジプトの王(ファラオ)は、
コブラは守護神であり、王権のシンボルとして、
頭につけたり、王冠につけている。
ヘビを神とする共通を思わせる。

半人半蛙文有孔鍔付土器
(はんじんはんあもんゆうこうふちつきどき)。
重要文化財、「藤内遺跡」。

人と蛙のハーフで、背中は女性器を表している。
「井戸尻考古館」の絵はがきから。

双眼五重深鉢」(そうがんごじゅうふかばち)。重要文化財、「藤内遺跡」。

上部にかえるの2つの眼、下部は5層になって、さまざまな文様がある。
「井戸尻考古館」の絵はがきから。

よくもまあ、変化に富んだ芸術品が、生まれたものだ。
躍動的で、エネルギーにあふれている。
諏訪には「縄文美術学校」があった?
「5000年前の岡本太郎」が、うじゃうじゃいる?

梅原猛、新潟県十日町市博物館名誉館長は、
新潟県、福井県で講演されている。
「岡本太郎は縄文土器の芸術性を発見した、大した人だと思います」
「岡本太郎の発言を契機にして縄文土器は芸術になった」

新潟県で。
「縄文中期の土器は何処が一番良いのか。
明らかに長野県から新潟県にかけてです。
諏訪湖周辺の地域から素晴らしい縄文土器が出る。
信州からここにかけて縄文中期は一番文化が栄えた

福井県で。
「縄文中期において最も優れた土器を産出するのは、
諏訪湖の周辺であります。
今から五千年から四千年前、縄文中期と言われる時代においては、
諏訪地方が日本の文化の中心地方であったと思われます」

御柱」の説明もしている。
「柱はを結ぶもの、神が柱を下って人間のところへやってきて、
人間も柱を上がって神のところへ行く。
柱はそういう天と地、神と人間を媒介するものであると思います」
「柱の遺跡が、諏訪神社の6年に一回、巨大な柱を建てる儀式や、
20年に一回、お遷宮をする伊勢神宮の神事と結び付いているに違いないと思います」

「井戸尻遺跡群」の土器や土偶、
「尖石縄文考古館」の「縄文のビーナス」日本最古の国宝、


仮面の女神」重要文化財を見ると、

「縄文王国」諏訪は、
縄文時代の文化的頂点であり、
日本の文化の中心であったことを実感する。
「仮面の女神」は、2014年に国宝になる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする