しばらく記事を書いていませんでした。少々忙しかったこともあるのですが、「書きたい」ことがあるものの、「重い」「暗い」...のでは? と、考えたこともあり、やはり「明るいネタ」の方がよいか? なんて考えていたりして、「書けない」状況でした。
私が住む「茨城」には、「東海村」もあるし、地元「大洗」にも、「原子力研究所」やら、その関連施設もあり、昔から「原子力」という言葉に、馴染み深い土地であります。更に、我が夫は、「原子力」の専門家でもあり、ちょっとした概念は、素人の私でも、いくらか持ち合わせている状況です。(ちなみに、夫は、電力会社勤務ではなく、一民間企業の社員です。)
私が、ずっと心を痛めている問題は、今現在、問題となっている福島の原発で、実際に事故処理に当たっている現場作業員の皆さんのことです。危険な現場で、決して良くない住環境で、過酷な労働をせざるを得ない状況だそうです。先日、その人たちを診察した医師が、テレビで話していましたが、「自ら被災者であること。過酷な状況であること。そして、‘東電関係者'ということで、避難所でも‘白い目'で見られること。」の三重苦だそうです。
そして、更に、最近耳にするのは、原発近くの町から、避難している人たちや、転校した子どもたちが、「差別」に遭っているという事実。
「電力」を作るには、「タービン」を回さなくてはいけない。そのためには、「動力」がいる。「火力」の場合、原油コストが上がっていること、地球温暖化対策には、適さないこと、将来的に、原油などは枯渇する日が来ること、その辺りから、「原子力」を推奨してきた状況。「太陽光」や「風力」はあるけれど、実際に供給されているのは、まだ少ない割合らしい。
今まで、「使い放題」に使ってきた「電力」の約四分の一は、「原子力」に頼ってきた事実を、皆で理解する必要があると思う。しかも、「東京電力」なのに、置かせてもらっているのは、東北地方である「福島県」。
今回の事故にしても、単なる「事故」ではなく、想定外の「大津波」による被害。その「想定」など、細かいことに対する問題は、多々あるのかもしれないけれど、実際、その対処に当たっているのは、現場の人たちだということを、忘れてはいけないと思う。「ブレーキが壊れた暴走列車」、あるいは、「調教師を失った猛獣」のごとく、次から次へと起こってくる、難しい局面。それと闘っている人たちに、「愛の手を」。そして、「近くに住んでいた」ということで、避難せざるを得なかった人たちを、「差別」することなど、言語道断だと思う。むしろ、感謝して、精一杯のケアをすべきじゃないのか...?
そんなことを思いつつ、さて、自分に何ができるのか...?
考えながら、時間が過ぎていく日々です。
「ハワイアンズ」「猪苗代湖」「五色沼」「磐梯高原」.....何かと思い出多い「福島県」。大学時代の合唱サークルのメンバーにも、出身者がたくさんいる。
そういう「福島県」を、助けてあげたい。とりあえず、毎朝、「お祈り」は続けていますが...。