ポテト姫の気まぐれ雑記 part2

つれづれなるままに、気ままに綴るエッセイ集

科学と歴史

2011-04-28 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日の読売新聞に、興味深い記事が載っていました。「古今をちこち」という題名で、書いたのは、茨城大学准教授で日本史家でもある「磯田 道史」氏。映画「武士の家計簿」の元となった本を書いたことでも有名な方です。

 その内容によると、今回の地震&津波と同じ規模の災害が、約1,100年前に起きていた話(西暦869年の「貞観(じょうがん)津波」)は、最近ポピュラーになっていますが、実は、その他にも起きている、という話です。

 話題の「貞観津波」については、「三代実録(さんだいじつろく)」という書物に記録されているそうですが、その他に、「地震古文書集『大日本地震資料』」という資料によると、今回の地震&津波と同じ地域では、4~500年に一度は、同じようなのが起きている可能性があり、100年に一度は、けっこう大きな津波が来ているそうな...。

 ただ、磯田氏の文によると、朝廷がしっかりしていた古代の頃の方が、地方で起こったことまで、けっこう資料が残っているものの、中世~戦国時代~江戸時代初め頃までの期間の場合、京都周辺のことは記録が残っているものの、東北などの地方の記録は、ほとんど残っていないそうな...。

 でも、「記録にない」ことと、「起こっていない」こととは違う、とのこと。1605年に西南日本を襲った「慶長(けいちょう)津波」の場合は、20種類以上の情報が残っているそうだけど、1611年、伊達政宗の時代に東北地方を襲った「東北の慶長津波」の場合は、同じ話を反復記録するだけで、5種類ほどの情報しかないそうです。この津波は、やはり巨大地震だったらしい記録が、別な資料に残っているそうな。

 伊達政宗の使者が、徳川家康に献上品を届けに来た際、この津波の状況を語り、その内容が「駿府記(すんぷき)」に書き残されているそうです。「伊達政宗領」で「海辺の人家に大津波が来て、溺死者が五千人出た。」とのこと。当時の日本の人口は、現在の十分の一くらいだそうで、とういうことは、やはり甚大な被害だったらしいです。

 今日の新聞には、「科学的な地震学」の方面についての記事があったようですが、「科学的な資料」となると、過去100年前からの資料しかないように書いてあったような...。

 ここで、私の勝手な発想ですが、文系の「歴史」と理系の「科学」とでは、相容れない学問のようで、担っている人たちが提携できるかどうか、よくわかりませんが、今後は、古文書の中から、そういう「科学的な視点」の資料をピックアップして、未来の地震予想などに利用すべきなのでは? ということを考えました。

 まあ、簡単に言うと、「温故知新」ってことですかね。

コメント (3)
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