ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

認知症あるはそれに近い状態の老人と話をしていて感じること

2015-09-15 00:00:00 | Weblog

前にも記事を書きましたように、最近認知症あるいはそれに近い状態の老人と話をすることが、仕事の1つになっています。

で、そのような老人と話をしていて、こんなところが共通しています。

表情の変化に乏しい:実にのっぺりとした平板な表情や口調で話をします。話をしても、なかなか反応に乏しい。精神を病んでいる人も似たようなところがありまして、こういうところは共通しているようです。

詳しい人にその話をすると、認知症になる前、なった後では、使用前、使用後くらい顔がちがうと話してくれました。うーん、言い得て妙である、と思いました。

こちらが聞いていないことを話す:こちらは、仕事に関係するところのことを聞いているわけですが、私の聞きたいこととは関係ないことを話しはじめます。話を傾聴することも仕事のうちという人もいますが、私はそういう仕事ではないので、申し訳ないですが、そのような状況になりそうなときは、すぐに「あ、その点は大丈夫です」ということにしています。その対応が正しいかはともかく、聞かなければいけないことがたくさんあるもので。

認知症になると怒りっぽくなるという話もあり、幸い私は怒られたことはないですが、別に悪いことをしたわけでもないのに怒られたり不快な思いをするのは迷惑な話ですよね。家族とか我慢するのが仕事ならまだしも、関係ない人間にとっては「てめえ、いかげんにしろ」といいたくなる瞬間もあります。いったってしょうがありませんが、人間「やってられん」と思うこともあります。

私の母の知り合いに、旧制の学校制度の時代に医者になった女性(母が親しいのは、その女性の子ども夫婦です)がいまして(すでに故人です)、優秀な人で、地域の医師会とかでもそれなりに活躍した人らしいのですが、やはり認知症になってしかも物盗られ妄想が起きてしまい、周囲の人間はひどく困惑したという話を聞いたことがあります。認知症になんかなりたくないのは山々ですが、なっちゃったらどうしようもないですしね。時と状況によっては、周囲に半端でない迷惑をかける場合もあります。そうなったらいろんな意味で困ったことになります。しかしその時はすでに心神喪失状態かそれに近い常態である可能性もありますから、いまさら刑法や刑事訴訟法でどうこうという話でもなくなります。前の記事でとりあげた阪急電鉄でのデロリアン事件も、けっきょく不起訴でしたしね。

物盗られ妄想とかのように周囲が嫌な思いをするだけというのもひどいストレスですが、デロリアン事件などは運転している老人が逮捕されたくらいで話が済んでよかったわけで、あれで電車と衝突していたら、老人が死ぬのはどうしようもないとしても、損害賠償の話などになってしまったらいろいろ不都合です。

うーん、認知症の人の話をするといろいろネタがつきませんね。誰でもならない保証はないし、自分は違っても身近にかならず誰か認知症の人はいる。いろいろ考えさせられます。

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