ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

追悼・シルヴィア・クリステル

2012-10-20 00:00:00 | 美女探求
シルヴィア・クリステルが亡くなりました。記事はこちらより。

>シルビア・クリステルさん死去=「エマニエル夫人」が世界的ヒット
時事通信 10月18日(木)18時23分配信

 【パリ時事】世界的ヒットとなったフランスの官能映画「エマニエル夫人」で主役を演じたオランダの女優シルビア・クリステルさんが死去した。60歳だった。AFP通信が18日報じた。
 6月に咽頭がんの治療を受けた後、脳卒中を起こし危険な状態が続いていた。17日夜から18日にかけての就寝中に亡くなったという。死去した場所は明らかにされていない。
 アムステルダム郊外のユトレヒト生まれ。20歳の時にミス・テレビ・ヨーロッパで優勝し映画デビュー。エマニエル・アルサンの小説を映画化した1974年公開の「エマニエル夫人」で、奔放な性生活を送る主演の若妻役に抜てきされた。同作品は記録的ロングランとなる成功を収め、一躍トップスターの座を射止めた。
 その後、続編の「続エマニエル夫人」(75年)、「さよならエマニエル夫人」(77年)、「エマニュエル」(84年)にも出演した。その他の出演作に「チャタレイ夫人の恋人」(81年)、「プライベイト・レッスン」(81年)など。


こちらも。

>シルビア・クリステルさん死去、「エマニエル夫人」で主演
ロイター 10月19日(金)8時22分配信

アムステルダム 18日 ロイター] 映画「エマニエル夫人」で知られるオランダの女優シルビア・クリステルさんが、18日までにアムステルダムで死去したことが分かった。60歳だった。代理人が明らかにした。

クリステルさんは30年余りで50本以上の国際作品に出演。1974年にフランスで製作された主演作「エマニエル夫人」で一躍脚光を浴びた。

ほかにも「プライベート・レッスン」(81年)や「チャタレイ夫人の恋人」(同)などに出演した。

最近になって病気で体調を崩すまで、アムステルダムで舞台作品に出演する準備を進めていたという。

クリステルさんには、ベルギーの作家との間に生まれた息子1人がいる。


昨日(2012年10月18日)は、夕方は予定が立て込んでいてネットのニュースをチェックしていませんでした。本日(10月19日)の朝、拙ブログのアクセスチェックをしたところ、彼女の記事のアクセスが多かったので、「あ、彼女お亡くなりになったのかな・・・」と思ってネットをチェックし、彼女の死を知りました。

がん闘病中でおまけに脳卒中まで患ってしまっている状態でしたので、正直今年の9月の彼女の60歳の誕生日に予定した記事も「彼女それまで大丈夫だろうか・・・」と思っていました。残念ながら60歳になってまもなくお亡くなりになってしまったので、追悼記事を書かねばなりません。

私はさすがに彼女がバリバリの現役時代は知りませんが、彼女のさほどシャープとは言えない美貌はそれなりに印象に残っていました。彼女は11歳の時すでにヘヴィースモーカーで、たぶんストレスをやわらげるためでしょう、ドラッグにもはまっていたようです。そういう意味では、たぶん彼女はあまり幸せな人生を送ったわけではないのでしょう。

というわけで今回も、このエポックメイキングな女優の写真をたくさんお見せして、彼女の死を追悼しようと思います。



のっけからいかにも彼女らしからぬ写真。1973年のもの。



2006年ごろの彼女。自叙伝出版の際の写真。





(たぶん)1977年ごろの彼女。







たぶん同じ時に撮った写真。やはり自叙伝発売の際のもの。この写真と一緒に撮影されたショットを以前の記事で紹介しました。



1977年の彼女。







(たぶん)「エアポート80」での彼女。スタイルがいいから、客室乗務員姿も似合います。











もう1回記事を書きます。なお、ただいま2012年10月19日の午後7時過ぎですが、20日の記事にすることをご了解ください。
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