ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

靖国神社へ『樺太1945年夏 氷雪の門』を見に行く(2)

2008-08-07 23:11:19 | 映画


この「樺太1945年夏 『氷雪の門』」(以下、『氷雪の門』と略します)は、1974年に東宝系で公開される予定だった映画で、村山三男監督、主演は二木てるみ、岡田可愛、丹波哲郎、などなど、なかなかしっかりしたキャストです。ところが公開間際になって、配給を担当する東宝が公開を中止してしまいました。当時のソ連が、この作品を非難する声明をだしたりしていたので、ソ連の圧力といわれました。この件については、次回に少し突っ込んで書いてみたいと思います。なお、この映画は、一部の映画館で細々と上映されたり、自主上映などはされました。


私がなぜこの映画『氷雪の門』に興味を抱いたかというと、今年の春にあった映画『靖国』の上映中止にまつわる問題でです。この問題で、ひどく形勢の悪くなった代議士稲田朋美*1を助けるためか、この『氷雪の門』がソ連の横槍で上映中止になった話を持ち出す人たちがいたのです。具体例をあげると、荒木和博のブログ大原康男の「産経新聞」の正論欄での文章です。ほかにも、私が目にしていないだけのものもあるかもしれません。

正直、私はこれらの文章を読んで失笑しました。彼らは、ソ連の話を持ち出して、このときの「左翼」がこの上映中止問題を批判しなかったのはおかしいじゃないかと主張しているらしいのですが、だからどうだって言うんでしょうね。それって、この連中や稲田とかのお友達(いや、そのものか)の右翼が、連中の大嫌いな(でしょう、おそろく)ソ連と同類だっていうだけの話じゃないですか。

さすがにこれらの意見は、あまり世間の支持を得るにいたらなかったようで、『靖国』はふつうに公開されていますし、彼らもあまりこの件については蒸し返すのは得策でないと思っているようで、現在ではあまり触れたがりませんが、こんな子供だましの文章を真に受ける人もいるみたいです。こちらにその一例があります。

しかし、こういった連中の言い草は別として、この映画の上映中止問題は、非常に興味深いものがあります。なぜ、配給会社の東宝は、この映画の配給を拒否するにいたったか、なぜソ連はこの映画にかなり無茶苦茶な圧力をかけたのか、なぜこの映画は今日右翼側の「象徴(?)」みたいな扱いになっているのか・・・・考えれば考えるほど、興味が尽きることはありません。

で、この映画を私はぜひ見てみたいと思っていたのですが、DVDが8,000円もするので、なかなか買う気がしません。何とかしてこの映画を見てみたいなあと常に考えていたのですが、靖国神社でこの映画の上映が行われているということで見に行ったわけです。

それにしても、上映拒否の憂き目にあいそうになった映画『靖国』の舞台となったまさに靖国神社その場所にてかつて上映を拒否された『氷雪の門』が上映されるとは、なかなかすごい皮肉ではないかと思います。

前にも書きましたが、私は「この映画は見せるのはよくない」というので映画の上映反対運動をするのには反対です。また、出来がいいと思えば素直に「出来がいい」と批評すればいいと思います。ただ、「しかしこの映画の歴史認識には賛成できない」(と、もし思えば)と書けばいいのです。

前回見た『南京の真実』は、とてもまともな映画とはいえない代物でしたが、はてこちらはいかがでしょうか。


最初に、つぎのようなコメントが出ます。




すでに、画面はかなり退色してしまっていて、この映画が歩んだ過酷な運命を垣間見ることができます。

この映画のストーリーについては、私がつたない要約をするより、こちらのサイトから引用させていただきます。



<<太平洋戦争は既に終末を迎えようとしていたが、戦渦を浴びない樺太は緊張の中にも平和な日々が続いていた。

だが、ソ連が突如として参戦、日本への進撃を開始した。

北緯五十度の防禦線はまたたく間に突破され、ソ連軍は戦車を先頭に怒涛の如く南下して来た。

羅災者たちは長蛇の列をなして、西海岸の真岡の町をめざして逃げた。

真岡郵便局の交換嬢たちは、四班交替で勤務についていた。

彼女たちの中には、爆発を浴びた広島に肉親を持つ者がいる。最前線の国境に恋人を送り出した者がいる。

戦火に追われて真岡をめざす姉を気づかう者がいる。

彼女たちは刻々と迫るソ連軍の情報と、急を告げる逼泊した会話を胸の張り裂ける思いで、

息をひそめて聞き入るほかになすすべもなかった。



八月十五日、全く突然に終戦の報がもたらされた。



敗戦国の婦女子がたどる暗い運命、生きられるかも知れないという希望、さまざまな思いが交錯する中で、

樺太全土に婦女子の疎開命令が出た。

一人、また一人と、交換手たちも引き揚げていく。

しかし、ソ連の進攻はやまなかった。むしろ激しさを加え、殺りくを重ねた。

戦争はもう終ったのではないのか? 人々は驚愕し、混乱した。

それは八月二十日、霧の深い早朝であった。突如、ソ連艦隊が現われ、真岡の町に艦砲射撃を開始した。

町は紅連の焔に包まれ、戦場と化した。この時、第一班の交換嬢たち九人は局にいた。

緊急を告げる電話の回線、避難経路の指示、多くの人々の生命を守るため、彼女たちは職場を離れなかった。

局の窓から迫るソ連兵の姿が見えた。路上の親子が銃火を浴びた。



もはや、これまでだった。

班長はたった一本残った回線に「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」と叫ぶと

静かにプラグを引き抜いた。>>



と、このサイトにはここまでしか話は書いていませんが、この後9人の交換手たちはいっせいに持ち込んでいた青酸カリを服毒して自殺します。映画は俯瞰ショットで9人のなきがらを捉えて、現在の(この映画製作時)氷雪の門を写して映画は終わります。


個人的な感想を書くと、結構面白い映画だったなと思いました。演出もそれなりのものだし、配役、技術なども悪くありません。特撮シーン(ソ連の艦砲射撃のシーンなど)も、時代の制約は無論ありますが、なかなかです。住民たちの避難シーンなどはかなりリアルでしたし、市街戦のシーンもよく出来ていました。

逆に、やや出来がよくなかったところをあげると、登場人物が多すぎて、人間関係が複雑で分かりにくいこと。上のシノプシスにはありませんが、郵便局長が、交換手たちに本土へ退避することの話をするくだりで、交換手たちが職業的使命感から退避したくないと必死に訴えるシーンが、少々きれいごとに見えたこと(ここ、後になってみると、結構本質的な問題であることに気づきました。後述)。交換手を演じる女優たちの中に、やや演技が稚拙な人たちがいたところなども引っかかりました。が、総合的にはなかなか面白かったと思います。

余談ですが、ソ連が嫌がったと思われるシーンはいくつもありましたが、日本軍の軍使が白旗を掲げて攻撃をやめるよう訴えたところ、機関銃で皆殺しにするシーンがとくに嫌がったのかなと思いました。この辺確認はしていませんが。

それにしても、なぜこの映画は、右翼が好み、靖国神社で公開されるようになったのでしょうか。おそらく、ソ連が公開に不快感を示したことが格好の反共宣伝になるということもあったでしょうが、この交換手たちの自殺が、いわゆる殉国美談だということが本質的な原因でしょう。個人的には、殉国美談というのは私がもっとも嫌うものですが、しかしこの映画を見た人たちの多くは、女性たちの殉国、殉職に感動するより、彼女たちを非常に気の毒に思うのではないでしょうか。私はそう思いました。もし、右翼や靖国神社の人たちが、この映画を殉国美談として考えているのであれば、あまり成功しないように思います。むしろ戦争とは本当にひどいものだと考えるでしょう。


そういうわけで、このブログに感想を書こうと思い、いくつかのサイトで若干の不審な部分の確認をしたところ、この映画を論評するということは、単純に感想を書けばいいというものでもないことがわかりました。よって、いくつか事実を調査した上で記事を書くことにしたわけです。

明日、そのことについて書かせていただきます。


*1この人物に対して敬称をつける気が全くしないので、敬称は省きます。以下、荒木大原も同じ。
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2 コメント

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歴史の事実を素直に知るべし (まっつん)
2021-08-11 12:38:35
はじめまして
靖国神社で上映されると知り、上映期間を確認すべくネット検索にて立ち寄りました。

歴史の事実は事実である。
右翼だ左翼だ、共産党だ等々、戦争美談等々の大雑把な取り扱いは捨て置き。

事実は事実として、それを映画化したのならば見る。
そして自分なりに詳細を探索し把握し解釈する。
それでいい。

当時のソ連の悪行を知る、そこに殉じた人々の生き様を知る、そして悼む。
その上で、現在時点での世界情勢を深慮する。
こういう映画や書物等は、現在の我々がどう生きるべきかを学ぶためにある、そう断言しても差し支えなしと判断します。

冥福を捧げるにおいて、靖国神社における上映はまさに当地にてこそと、日本国民であるわたくしは断言致します。

さようなら
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>まっつんさん (Bill McCreary)
2021-08-15 18:26:22
やはり靖国神社のようなところでこの映画を上映するのなら、もう少し靖国神社が戦争を反省する立場に立たねばいけないなと私は思います。
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