Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

おしりぺんぺんまる。

2016-04-26 00:00:13 | days
油断するとマジメになるのが、ぼくの悪いところ。
マジメになりすぎたら、裸踊りでもして取り戻すしかない!
と考えていたら、
小学生のときのともだちを思いだしたのでした。

小学校4年生のときに引っ越してきた、
いっこ上の男の子は、
一日に何回もおしりを丸出しにして、
そのおしりをぺちぺち叩いて
ひとを馬鹿にしながら逃げていくひとだったんだけど、
それがみんなに大うけだった。
ぼくもすかさず友だちになって、
一年後には親友になっていた。
こういうひとのこういう精神ってじつは大事じゃない?

そのひとは、
そこから火遊び、万引き、ケンカとエスカレートしていった。
もともとひとにお菓子だとかよく奢る人で、
金遣いが荒かったんだけれど、
そのうち、友だちにお金を借りても返さないだとかで
トラブっていった。
でも、にくめない感じだったんだよなあ。

手段はよくなかったけれど、
その元となる精神のなにかは素晴らしかったと思うんだ。
かいかぶっているかもしれないけれど、
そのはじめのお尻を丸出しにしていたころの彼には、
愉快さ、痛快さ、突き抜けた楽しさがあったんだ。

おしりぺんぺん、フォーエバー。

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ネット空間はなぜピリピリするのか?

2016-04-25 13:01:46 | 考えの切れ端
既得権益にのうのうとする権力者の傲慢に端を発すると思うんですよ、
ピリピリネット空間って。

権力者に対抗するためにはみんなを扇動しなきゃ、と考えるひとがいた。
そういう手段に頼るしかないところに追い詰められた
と考えるひとの姿勢が伝染して、今こうなんじゃないかな?

はじめは、既得権益層なんかにダメージを与えることができた、
スゲー、っていう少ない例がではじめて、
その成功体験に酔っぱらってしまったんだと思うんですよ。
なんでもまくしたてた者勝ちだ、
っていうあまりよからぬ方向に進んでも、
かつての成功体験を見知っているから、
盲目的になってしまう。

たとえば、その少ない例について言えば、
ぼくがネットをはじめて数年たった2000年前後のころに、
某有名企業T社の製品にクレームをつけたんだけど、
まともにとりあってくれないどころか、
電話応対がまともじゃなかった、というのを
録音してネットに公開して告発していたのがありました。
おおやけにすることで、
某社が権益にあぐらをかいているのをただそうとする意図も
あったと思います。
個人的な憤怒だけじゃなくて。

また、
ぼくが20代前半だったころにWEBで知り合ったひとが、
とある掲示板なんかで言いたいことを言っていて、
「建設的にやっていこう」と書きながらも権力に挑んでいった。
裏では、アジテーターだとかなんとかいって、
クレーマーぎりぎりのポジションで、意見していたと思う。

そういう方法はいちおう即効性があったから、
世間にもどんどん広まっていったんじゃないだろうか。
逆に言えば、そうでもしなければ、変わらないように見えた社会だった。
そのなれの果てが今の不謹慎狩りだとかの風潮なのかもしれない。
意見を言ったり、攻撃したりする自己の行為に無批判だったからだ。

やっぱり内省って大事だよなあ。
権力者もそれ以外のひとも、内省するひとがおおければ、
こんなにぎすぎすしてとがったネット空間だとかにならないはずだもの。
サイレントマジョリティに期待するわけじゃないけど、
そんなひとたちばかりでもないよね。
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『日本語のレトリック』

2016-04-24 22:16:04 | 読書。
読書。
『日本語のレトリック』 瀬戸賢一
を読んだ。

隠喩や直喩などポピュラーなレトリック表現から、
撞着法や含意法などの、
説明があってこそはっきり気がついたというような
レトリック表現まで、
30に分類して紹介・説明する本です。

もともと、
こうやってブログを書くひとではありましたが、
小説を書くようになって、
レトリック(修辞技法)というものを知りたい!
と思うようになってきたのです。
それで、この本を読みました。
さすが、言葉を扱う本なだけあって、
文章が巧みでわかりやすく、おもしろかったです。

とくに緩叙法の効果には、
そういやそうなんだよなあ、
とあらためて気がつかされました。
誇張法とちがって、控えめに、おさえていうことで、
逆にその言いたいことがはっきりするのが、
緩叙法なんです。
「ちょっと」だとか「すこし」だとかつけるのもそうだし、
「大好きです!」なんていわずに「好きです」
とだけいうのも緩叙法なんですよ。
ぼくは誇張法より好きかな。

一度読むだけでは、
30の修辞技法のすべてを覚えられないので、
折にふれて何度も本書を手に取れば、
いつのまにか、技法のマジシャンのように
なれるかもしれない。

例文には、夏目漱石や川端康成などの文豪から、
村上春樹、江國香織、筒井康隆ら現代作家まではばひろく、
名文を引用しています。

そこそこ難儀なところがあっても、
わかりやすい文章なので、まずは読み通せるでしょう。

物書きのエキスパートをめざすならば、
まず手始めにこの本から学ぶのもよいでしょう。


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『自助論』

2016-04-20 22:35:00 | 読書。
読書。
『自助論』 S・スマイルズ 竹内均 訳
を読んだ。

およそ150年前のイギリスで出版された世界的名著です。
日本でも明治時代に翻訳されて、当時で100万部ほど読まれたそう。

ぼくが読書や思索をかさねていく目的の大きな一つは、
じぶんやみんなの「生きづらさ」を解消するなにかを見つけるためです。
指針ややりかた、スタンスや意識のありかた、
世の空気やシステムについて変えるべきものなんなのか、などを探っている。
そして、そのなかでも個人のあり方としては
「自助」をつよく推奨してきました。
それで、じゃあ「自助」を掘り下げて考えるとどういうことをすることなの?
という問いが生まれます。
漠然と、こうだろう、と考えていた「自助」というものの捉え方を、
そんな150年前の書物で確かめ、アップデートするのが目的の読書でした。
温故知新です。

自助・共助・公助のどれがいちばん大事だろうか、
というと、最近では共助がもっとも大事だ、
という答えが多いように見受けています。
そこには、前提として自助が行われいるというのがあるかもしれない。
自助が最低条件としてあって、そのうえで、
共助が大事です、と言っているかのように、
ぼくにはとれるようなふしがありました。

しかし、
民度が高くてなんでも言える世の中で、
自己開示していけるならばそれが一番いいのでしょうけれど、
あんな街だとかあんな病気だとか、
負のイメージにこりこりに固まるひと(スティグマにとらわれるひと)が多いから、
自分はこういう窮状にいてこんなことに困っているのだと、
自己開示して共助を求めるよりか、
自助でなんとかしようというほうが現実的な場合が多々あるでしょう。

本書によれば、
逆境や窮状にいるひとでも、
めげないでがんばるためには希望を持つことだそうです。
ぼくもなかなか大変な立場にあるほうだけれどまあ元気なのは、
希望のほうを向いているからなのかなあと、
自分のことはよくわからないながらもそう感じました。

本書のおもしろいところは、
学業で秀でていたひとよりも、
学業でぱっとしなかったひとでも努力したひとのほうが、
出世したりうまくいっているパターンが多いことを書いている点です。
ほんとうのエリートはどうか知らないけれど、
ふつう程度の学校にはこれはあてはまると思う。

重ねて言いますが、150年も昔の本です。
よって、昔の人みたいな堅さがちょっと残っているし、
四角四面に感じられるところもあります。
でも、そういうところがあることをわかったうえで読めば、おもしろい。

要点は、「勤勉さ」でした。
勤勉に誠実に、努力していこうというもの。
金銭面では、節約が第一にあげられていて、
ぼくも参考にしようと思いました。
けっこう浪費するほうなので。

そして、
過保護と束縛は、自助の精神を育まないそうです。
むしろだめにする、と。
ここはひとのために気をつけたいところです。

「天はみずから助くるものを助く」と書いてあります。
この世界はそういうものなのでしょう。

ぼくは、ゴールデンウィークからバイトもはじまり、
家ではできるぶんの家事と介護をしていくわけですが、
『自助論』を読んでいると、
そうしながらでも、
今と同じペースは無理だとしても読書をし続けられそうだし、
創作にかかることもできそうな気持ちになってきました。

前を向いて歩くための自助を、
あらためて実践していくつもりです。
みなさんにもおすすめです、『自助論』も「自助」も。


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『きみ去りしのち』

2016-04-18 01:03:50 | 読書。
読書。
『きみ去りしのち』 重松清
を読んだ。

まだ1歳の誕生日を迎えたばかりの息子を失くした父親の旅の物語。

出だしがうまいなあ、
と最初は技術的なところに目を向けて読んでいたのですが、
読み終わる頃にはそういうことよりも
物語に入り込んで味わうというふつうの読書になっていました。
物語の中へと引き込む力に負けたのです。

それに、だんだん、登場人物の動きやセリフが
こなれていったのだと思います。
それで、読んでいて自然に感じられる土台が前半部分に作られて、
その貯金分みたいなもので、
後半の大事なところをスパートをかけているような感じでしょうかね。
こういうのは、長編だからこそ効く「溜め」と「解放」なんじゃないか、と、
長編を書いたことのないぼくは考えるのでした。

第五章では熊本が舞台になります。
なに言ってるんだとおもうひともいるでしょうが、
熊本地震とシンクロしてしまった感があります。

はじめて小説を書いたひと月後に東日本大震災が起きました。
今回、4作目を書きあげてひと月後に熊本地震。
小説を書くと1/2の割合で地震が起こっています。
まあ、ナンセンスな話だけれど、
縁起を担ぐひとならやだなあって思いますよね。

物語のほうはというと、
主人公は、最初は北へ北へと進み、それから西へ西へと進んでいきます。
東京を中心に、です。

幼い息子の死をうまく受け入れることができず苦しむ主人公と、
同様に苦しむ、妻の洋子。
そして、前妻との子である明日香と父親の微妙な距離感での再会。
そしてその前妻の向かっていく死というもの。

全9章のうち、それぞれの章に、
それぞれ個別の、人生の問題や壁のようなものが描かれています。
そうしながら、全体として、主人公たちの問題が、
解決へなのか、消滅へなのか、進んでいく。
人生を省察したその知見からの描写や語りにこそ、
重松清が読ませる力が宿っているように思います。
いろいろと取材にもとづく描写や知識が語られていて、
勉強しているなあと感じさせられても、
そこはやはり二番手の感慨なような気がするのです。
物語の構築上、リアリティだとかをだすための
素材なんだよなあという感じ。

重松さんは、オトナであるだけでなく、
子どもの心理にもよく通じていると思いながら読みました。
ぼくの子ども時代に感じたことを掘り起こされるような
気さえしました。
そういうところが、
重松さんの一番のストロングポイントなのかもしれないです。

おもしろかった。


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『なぜローカル経済から日本は甦るのか』

2016-04-15 19:53:33 | 読書。
読書。
『なぜローカル経済から日本は甦るのか』 冨山和彦
を読んだ。

ともすれば、すべての企業がグローバル経済で生き残るため、
そして成功するための経営が求められているように感じられるものです。
本書では、グローバル経済圏とローカル経済圏を、
それぞれGのものとLのものとして区別し、
GとLは連関の薄いものだという前提で論を進めていきます。

つまり、どれだけグローバル企業ががんばって儲けても、
いわゆるトリクルダウンと呼ばれる、
グローバル企業からほかのサービス業の人びと、
もっと言えば、格差の下のところにいる人々への潤いは
ほとんどもたらされないものだという見抜きがあるんです。

よって、グローバル企業はグローバル企業で、
ローカル企業はローカル企業で、
というフィールドと性格の違いを
しっかり考えていくのがこの本のねらいです。

ちなみに、あまりスポットライトのあたらない、
サービス業(医療、介護、飲食、交通など)に従事する
労働人口は、総労働人口の7~8割だそうです。
そして、この分野では、グローバル企業のひとのように、
「自分を変革して、世界に飛躍していこう」
という世界観、人生観で労働者を語るのには無理がある。
別個の、質の違う世界観があるということです。
たとえば、看護師や介護士のような職に就くひとたちに、
どんどんキャリアアップして儲けていこうと説くのは、
一部のひとには共鳴をうむかもしれませんが、
多くのひとたちはそんなことよりも、
誇りだとか社会的な意味合いのほうを重視して働いている。
そして、そのような、生きがいの持ち方が、
サービス業、ひいてはローカル経済圏でのやり方のゴールになると、
著者は述べていました。

一方で、
グローバル企業のほうでは、
弱者は切り捨てていくという厳しい世界にしなきゃいけない、
ということです。
弱者の救済なんてやってると余計なコストがかかるという考え方。
どんどん、世界でやっていけない企業は退場していってくださいという
考え方なんですね。

また、さっきのトリクルダウンがおこらない説明になりますが、
グローバルな製造業にぶらさがる中小企業はいまや少なく、
サービス業中心の世の中なために、
グローバル企業から利潤が下のほうへ流れないのだそうな。
格差が縮まらないのはそのためだと。
連関が薄いのです。

ローカルな経済圏のサービス業などは、
平均的な能力をもってされるもので、
高度な仕事は与えられない労働になっているとされるけれども、
そのぶん賃金の上昇は鈍い。

ただ、サービス業では、
生産性の低い会社も高い会社もごちゃまぜになっていて、
生産性の低い会社がのうのうとやっていることが、
生産性の高い会社の足を引っ張る構図にもなっているようです。
日本は特にそうだと。
サービス業の最低賃金をあげていって、
それで苦しくなるような生産性の低い会社は淘汰されるべき、と。
考え方として、最低賃金を上げていって、
労働者の労働の質も上げていくのが理想のようです。
3人でやっていた仕事を、2人でこなせるようにしていく。
そうやると、賃金が50%上がってもいいくらい。
そういうふうに、個人の仕事の効率性をあげていくのが
今後、ローカル経済圏では大事になるということでした。

ローカルにも、高級品の製造や生産があり、
それらがグローバルで戦えるものだったりもします。
混ざり合っているわけですね、グローバル経済圏とローカル経済圏は。
それらを峻別して考えてみて、やり方の違いを理解して、
かつ、それぞれの選び方も考えていくのが大事になっていく。
それでいて、それぞれの行き来についても
考えていくのが必要なのではないかと思いました。

どうですか、7~8割のひとびとが、
グローバルで戦うための啓蒙的言説とは関係がないのです。
そういうところをはっきりさせてくれたのは、
本書の大きな手柄のひとつでしょう。
いまって、労働者の7~8割という多くのひとたちに
陽があたっていないように感じました。

とはいえ、グローバルに活躍する企業が経済を引っ張るのは確かです。
こちらが下火になるようではいけないですし、
いつの世にも、そんな世界でやっていこうとする気概のひとや、
ばしばしやっていける能力をもつひとがいるものです。
そういうスター性のあるひとはグローバル経済圏でやっていってほしい。

と、まあ、こんな調子の本なのです。
こうなっていくのも、グローバル化、少子高齢化、
団塊の世代の大量退職、などの背景があるからです。
きっちりと、自分がいるポジションがどういう経済圏か、
という把握ができていると、
いまよりも戦略が立てやすくなるかもしれないです。

コンパクトシティについての言及も数ページにわたっていて、
このあたりのイメージを深めるものでもありました。

ぼくがここで書いたことよりも、もっと詳しく広いことが
本書には書いてありました。
ちょっと雑だなと思った箇所もありましたが(第六次産業の扱いなど)、
それでもそういうところは行間を拾うように読むと、
内容の深さが増します。

予備知識が必要なところもありますが、
ネットで調べながら読めば大丈夫だと思います。
今の日本の経済のありかたの大局をつかむのに役立つ本でした。


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『確率を攻略する』

2016-04-12 00:04:41 | 読書。
読書。
『確率を攻略する』 小島寛之
を読んだ。

サブタイトルに、
「ギャンブルから未来を決める最新理論まで」
と書かれていますが、
そういう読み物ではなく、
数式をひも解いていって確率を理解しようという、
数学を真正面からやる(それも大学レベルまで)
本でした。文系のぼくにはかなりきつい。

たとえば、最初のところで、
金融関係のことば、「コール・オプション」
を使った例があるんですが、
そこですら小一時間かかって理解しました。
そこは数式すらない論理だけの箇所でしたが、
ことばが足りないようにも見受けられるし、
たぶん、そこだけならぼくのほうがうまく説明できますね。

そんな感じで、読み進めていくと、数式がばしばしでてきて
もう理解しようという気にもならなくなってきます・・・。
ごく初歩的な、基礎の部分だけわかりますが、
いざそれらを使って大きなことをやるともうお手上げです。

しかしながら、確率には、
頻度論的確率、
数学的確率、
主観的確率、
ゲーム理論的確率の四つがあるということを初めて認識しましたし、
そのなかでも、頻度論的確率については、
パチンコで馴染んでいるようなものなので、
大数の法則っていうのも幾分わかりやすかったです。
大数の法則は、たとえばサイコロを振って出る目の確率は
おのおの1/6ですが、実際に10回くらい振ってみると
4の目だけ多く出たり1の目がでなかったりするものですよね。
ですが、1万回振った、10万回振った、とやると、
1/6の確率にぐっと近づくわけです。
それが大数の法則のおおざっぱな説明になります。

しかし、こんな複雑なことをやって
保険だとか株だとかなりたっているわけでしょう。
数学者ってお金に関係のなさそうな職業でいて、
いまや一番、儲けそうなな立場なんじゃないですか。

競馬で、パソコンソフトを使って
何億と払い戻しをする人がいますが、
その賭け方なんかは、ゲーム理論的なやりかただと、
本書を読んで感じました。
いろいろちまちま賭けて、
とにかく少しずつでも増やすやり方ですよね。
でっかい資本でもって、少しずつ儲けを出すっていうのは、
ぼくもパチンコや競馬で得たギャンブル感ですが、
やっぱりそういう方向で金融商品なんかでは
儲けるような形なんでしょう。

いやー、久しぶりに場違いな本を読みましたが、
それなりに得られるものもあったような気がします。
limとかlogとか久しぶりにみました。


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『Carver's Dozen レイモンド・カーヴァー傑作選』

2016-04-08 21:02:39 | 読書。
読書。
『Carver's Dozen レイモンド・カーヴァー傑作選』 レイモンド・カーヴァー 村上春樹 編・訳
を読んだ。

村上春樹さんによる、
アメリカの小説家、レイモンド・カーヴァーの傑作選。

初期のものから死の間際に書かれたものまで。
マスターピースとされるものから、編者の村上さんの好みによるものまで。
全13作品収録。

初期のころのふたつは、
読んでいて、
なんだろ、なんだかよく出来ていないような気がするな・・・、
なんて思うくらいに違和感のある、しっくりこない小説だったのですが、
三つ目の「あなたお医者さま?」からおもしろくなり、
続く「収集」ではもう夢中になって楽しんでいました。
それからは作品の完成度の高いのばかりが続く感じで(偏見もあると思いますが)、
ずっとおもしろがりながら、そして、最後のほうになると
村上春樹さんの訳文のためなのかわかりませんが、
なんとなくずっしりとして疲れてきました。
そんな体力の(頭脳的体力でしょうか)の限界とともに
ちょうど終えた読書でした。

さっきも書きましたが、「収集」がおもしろかったし、
「大聖堂(カセドラル)」も好きでしたね。
その他の作品でも、
夫婦間の馴れたかんじの性的な目線とか行為に、
とくにその心理に身体性みたいなのが宿っているようにうかがえて
新鮮に感じました。
なんていうか、アメリカだなあという感覚はありながら、
中年くらいの夫婦間の性の、
あっけらかんとしたところが書かれているんです。
そういうところに、はっとして、
そうだよなあ、仲がよくて長年連れ添うとそうかな、
という気もしましたし、
それでいて、やはり文化の違いかという気もしました。

「ぼくが電話をかけている場所」に出てくるロキシーという女性なんて、
現実にぼくの生活にも出てこいと思うような、
ぼくにとっても素敵な女性でした。
そういう、レイモンド・カーヴァーならではの
女性登場人物のキャラクターが印象的でした。
ぼくのイメージや見方の枠組がひろがったような気がする。
でも、そんな広がったイメージが現実の日本の女性とフィットするかは
また別の問題なのでしょうね。

アカデミー賞作品賞をとった
『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』
では、マイケル・キートン演じる主人公が
レイモンド・カーヴァーの作品「愛について語るときに我々の語ること」
を演劇にして演じてました。
この作品は本書には収録されていませんが、
レイモンド・カーヴァーの作品は風化せずに生きているのだなと
この映画で感じましたね。
なにせ、この本を買ったのは、
昨年『バードマン』を観たときよりも前でしたから。
なかなか読まない本は、3年4年と積まれたままです・・・。

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『標高8000メートルを生き抜く 登山の哲学』

2016-04-06 00:21:03 | 読書。
読書。
『標高8000メートルを生き抜く 登山の哲学』 竹内洋岳
を読んだ。

世界には高度8000メートルを超える山が14座あり、
そのすべてがヒマラヤ山脈と、そのとなりのカラコルム山脈にあります。
ネパールだとかパキスタン、中国の境の山脈です。
そんな8000メートル級の14座すべてに登頂したひとを、
「14サミッター」と呼ぶようなのですが、
日本人としてはじめてその「14サミッター」になられたのが、
著者の竹内洋岳さんです(世界では29人目)。
そんな竹内さんの半生を振り返りながら、
高所登山の魅力や、
彼なりの高所登山にたいする考えかたなどを綴っています。

高所登山をつづけるなかで、
「プロ登山家」を、覚悟を決めて名乗り始めます。
雪崩で死にかけた経験も、失敗談も、
隠すことなく紹介されていました。
それが、竹内流のプロ意識なんですね。

ぼくはEテレの対談番組ではじめて彼のことを知って、
それからこの本を購入し、
14座登頂という偉業についても知ったようなひとです。
登山家といえば、植村直己さんの名前しか知なかったです。
それゆえなのか、登山の話が新鮮でした。
クレバス(氷の地表の亀裂)だとか、
以前『岳』という映画を見たこともあったために
知っていることもありました。
でも、少しずつ高所に体を慣らしていくだとか、
登山に慣れてるならすぐに登るわけでもないのだな、
とド素人的に思ったりもしたのです。
そういうレベルでもとっつきにくさのない本です。

最後のほうで、
登山とはいかなるものなのか、という
著者流の答えが書いてあります。
何度も山に登っても、
それが同じ山であるとしても、
気候や季節などが違うし、
まったく違う顔を見せるのが登山である、と。
だから、登山はすべて、いつもゼロからのスタート。

これは、小説を書くのにも同じことが言えると思いました。
書けば技術は磨かれるし、鍛えられる部分はあるけれど、
書いた経験がそのまま次回に役に立つどころではなく、
想像力を奪ってしまうことになる。
そのため、経験は道具の一つくらいのものであり、
想像力こそを豊かにもってゼロから組み立てていく。
ほんとうにこれは、登山と小説の執筆の共通点だと思います。

それにしても、酸素や水蒸気のうすい8000メートルの世界って、
夜はすごく星がきれいなんですって。
すべての星が、瞬きもせずに強い光を浴びせてくる。
星座もわからないくらいに満天の星が輝くのだそうです。
そして、写真や動画ではなかなか伝わらない、
その場にいるからこその見え方がするそうなんです。
ぼくは一生、そういう体験はできないだろうから、
目いっぱい想像してみることだけにしますかねえ。
たまに雑誌なんかで満点の星の写真がありますが、
ああいうのに近いのだろうなあ。


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『はじめての福島学』

2016-04-04 23:26:57 | 読書。
読書。
『はじめての福島学』 開沼博
を読んだ。

東日本の震災、そして原発事故後の福島のことを、
そのままのかたちで伝えてくれる本でした。

そのままのかたちの福島を知らないひとは、
きっと本書を手に取っていない福島県外のひとの
ほぼすべてでしょう。

ぼくは原発事故の問題は福島だけの問題じゃなくて、
日本の問題なのではないか、と大きく捉えてきたふしがあって、
いろいろと放射線や原発関連の本を手に取ってきました。
つまり、自分の問題としても福島の問題をとらえていた。

けれども、やはりそこに住まう人々とはかなり温度差があります。
こっちで勝手に想像している日常や気持ちなどが、
事実とはまったくの正反対を向いていたりもする。
データを用いながら、そういうことを教えてくれる本です。

結局、いまの福島は、日本全体にあるような
少子高齢化や過疎などの問題が福島にも当然あり、
それらが原発事故によって加速されて現実化しているのが
一番大きい問題のようです。
そういう、いわゆるふつうの問題に、
放射線関係の問題が薄い膜のように
覆いかぶさっているとでもいえばいいのか。

最後の章では、
福島を応援したいのならば、「迷惑をかけない」ことだとして、
福島への「ありがた迷惑12カ条」が掲げられていますが、
これがなかなか厳しい物言いで、
ふつうの心理に密着している憐憫などいろいろな心理を
ひっぺがえさなければならないような、
ちょっと痛みをともなう行為をしましょうとなっている。
開沼さん、これは手厳しいのはしょうがないけれど、
これじゃちょっと福島人の孤高を奨励するかのようですよ。
ほうっておいてくれというような、
ひとを遠ざけちゃいそうな感じです。
学者らしい率直な物言いではあるのですが。

憐憫の情などいらぬ、そんなのは野暮である、とされるみたいです。
実際、震災直後なんて、
かわいそうだって非被災地のひとは思ったでしょう。
その延長の気持ちで、いまもちょっと憐憫の情を
持ってしまうひともいるだろうけれど、
迷惑だってやられると、傷つきますよね。

まあ、言わんとしていることはわかるんです。
ぼくの福島の友人にも、
(ぼくは)福島人じゃないのに、
なんでそんなに福島の事を考えるの?
みたいなニュアンスを感じたことがある。

だけれど、きっと難しいところなんですよね。
ぼくの住む街も有名な破たんした街ですが、
憐れみもちょっとはもってくれて構わないんだぜって
このごろ思うんですよ。
前面に憐れみを出されても困りますし、いやですが、
苦境にいることは忘れてほしくないものなんですよね。
まあ、ぼくは多少あまったれなんで、
たまにそういう気持ちになるだけかもしれないですが。

閑話休題。
多少乱文(ひとのことは言えないけれどね)ではありましたが、
論理がしっかりとしていて、読んでいてわかりやすいです。
ただ、それでも、ボリュームがあるし、
ちょっと疲れる部分もありますが、
興味を持って「もっと知りたい!」と思って読めば、
理解できるレベルの論説です。
もう発行から一年がたってしまいましたが、
今読んでもまだ間に合うでしょう。
きっと続編というか、アップデート版が数年後に出版されると思います。
そのときにはまた読みたいですね。

著者 : 開沼博
イースト・プレス
発売日 : 2015-03-01
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