読書。
『学びのエクササイズ 文学理論』 西田谷洋
を読んだ。
文学理論の概説書であり、おそらく教科書でした。
記号論にメタファーなど文学をミクロな視点でとらえるところからはじまり、文法論、物語論などを経て、現代思想や哲学の領域といった文学へ影響を与えるマクロな地平に出て行くかたちで終わっていきます。
ではまず、フォルマリズムから。
__________
フォルマリズムは、社会・政治・思想に関する側面を排除し、もっぱら形式・文体・技法を考察の対象とすることで、文学言語と日常言語とを区別し、言語が自らの特性を前景化することに文学性の根拠を求めたのである。(p10)
__________
→つまりは作家の技術的な面・力量ばかりを問うのがフォルマリズム、といえそうです。これは文学作品を審査するのには大きく関与する考え方ではないでしょうか。フォルマリズムだけでは作品の持つ力の半分しか評価できないでしょうけれども、作家の職人性に点数をつけなければならない審査というフィールドだったら社会性や思想の表現よりも重視されそうで、反対に文学を楽しむ一般的な読者からすれば、フォルマリズムよりも、作品の魅力の残り半分を形づくっている思想や、表現している内容の面白さを問うほうが強いのではないでしょうか。
それでもって、フォルマリズムが文学作品から読み取れる一方の価値だとすると、他方の価値である思想や社会性についても考えないといけません。
いろんな思想や哲学を知らないといけないのは、文学が社会から乖離しないことが大切だからでしょう、例外はあれども。いろんな思想体系を知っていたり、社会の現在を知っていたりするからこそ、それらから生まれてきている問題をすくい取り、可視化・言語化して提示できます。そういったものは内容だけで言えば価値が高くて、そこにフォルマリズム的な領域、つまり技巧を用いて質の高い作品に作り上げていくことになりそうです。なんていいますか、現実の苦しみや生きにくさを拾い、つきつけるのが文学のひとつの大きな役割でもあります。(ちなみに、声なき声、と言い表すといいような事柄や想いが世の中にはたくさんありますけれども、そういったものを表現する「サバルタン(=沈黙を強いられる存在)」という用語があると、本書に載っていました)
__________
文学はそれ自体では意味を持たず、それを成り立たせているものとの関係で意味を持つとすれば、文化・社会を捉えていくアプローチが必要だろう。(p109)
__________
とも後半部に書いてあるくらいでした。
あと、こんなふうにはっきり言ってくれて良かったなあ、と思ったのが以下の文章です。
__________
むろん、文化研究のそうした折衷主義的な性格は悪くない。世界は一つの理論だけで裁断できるほど単純ではなく、教条的に自分の立場に固執するのは辞めて、自分を疑い柔軟に変えていけばいいことを意味しているからである。(p115-116)
__________
最後に、ジェンダーやクィア批評、フェミニズムを扱った章で出合った「ポスト・フェミニズム」という言葉を。
__________
男女の平等は既に達成されたとして、生と消費における自由な選択を賞賛するかたちで個人主義的に女性の自己の規定・達成を語るポスト・フェミニズムは、抑圧は社会制度の問題で性差別ではないとして、男女には自然な差があり、自ら弱さや可愛さをアピールし、恋愛の諸局面を男を喜ばせるためではなく自己の欲望の選択の結果とする。(p98)
__________
→男女には自然な差があるじゃないか、としたうえでの、ポスト・フェミニズムという考えかたがちゃんとあるんですね。フェミニズムには、急進的で強硬なイメージを持ってしまっていたところがありました。性差別には反対だし、男らしさや女らしさが社会に規定されたものというのも、そういうところが色濃く有るのはわかるのだけれど、でもちょっと針が振れ過ぎなんじゃないか、と感じていたので、ポスト・フェミニズムの考え方はまだ自然だと思えます。
中身については以上です。
限られた分量で語らなければいけなかったからだと思いますが、どちらかというと悪文で書かれているなあという感じがしました。
あと、思いだしたのが学生時代のこと。大学生の講義に使う教科書が教授の著作なのはよくあることですが、ある講義に使う教科書に誤植が多く、あげく、「○○となるのである」が「○○となるのではない」レベルの間違いがあったのを教授が口頭で訂正してくるなど、この本を講義以外の目的で買った人たちはかなり読解に苦しむな、と当時あきれたのを思いだしたのでした。
本書にもそういったところがちょっとあります。目くじらを立てるほどではないし、珍しくもないのだけど、「個人的幸福・最大化を目指する。(p118)」なんかははっきりと誤字としてありました。あと論理的に難しくて矛盾に感じるところがあって、それが悪文的な文章だからなのか、それとも僕が若い頃に経験したような、ただの教授のミスなのかがわからなかったです。途中からは、こだわらずにすらっと流すように読みました。
『学びのエクササイズ 文学理論』 西田谷洋
を読んだ。
文学理論の概説書であり、おそらく教科書でした。
記号論にメタファーなど文学をミクロな視点でとらえるところからはじまり、文法論、物語論などを経て、現代思想や哲学の領域といった文学へ影響を与えるマクロな地平に出て行くかたちで終わっていきます。
ではまず、フォルマリズムから。
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フォルマリズムは、社会・政治・思想に関する側面を排除し、もっぱら形式・文体・技法を考察の対象とすることで、文学言語と日常言語とを区別し、言語が自らの特性を前景化することに文学性の根拠を求めたのである。(p10)
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→つまりは作家の技術的な面・力量ばかりを問うのがフォルマリズム、といえそうです。これは文学作品を審査するのには大きく関与する考え方ではないでしょうか。フォルマリズムだけでは作品の持つ力の半分しか評価できないでしょうけれども、作家の職人性に点数をつけなければならない審査というフィールドだったら社会性や思想の表現よりも重視されそうで、反対に文学を楽しむ一般的な読者からすれば、フォルマリズムよりも、作品の魅力の残り半分を形づくっている思想や、表現している内容の面白さを問うほうが強いのではないでしょうか。
それでもって、フォルマリズムが文学作品から読み取れる一方の価値だとすると、他方の価値である思想や社会性についても考えないといけません。
いろんな思想や哲学を知らないといけないのは、文学が社会から乖離しないことが大切だからでしょう、例外はあれども。いろんな思想体系を知っていたり、社会の現在を知っていたりするからこそ、それらから生まれてきている問題をすくい取り、可視化・言語化して提示できます。そういったものは内容だけで言えば価値が高くて、そこにフォルマリズム的な領域、つまり技巧を用いて質の高い作品に作り上げていくことになりそうです。なんていいますか、現実の苦しみや生きにくさを拾い、つきつけるのが文学のひとつの大きな役割でもあります。(ちなみに、声なき声、と言い表すといいような事柄や想いが世の中にはたくさんありますけれども、そういったものを表現する「サバルタン(=沈黙を強いられる存在)」という用語があると、本書に載っていました)
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文学はそれ自体では意味を持たず、それを成り立たせているものとの関係で意味を持つとすれば、文化・社会を捉えていくアプローチが必要だろう。(p109)
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とも後半部に書いてあるくらいでした。
あと、こんなふうにはっきり言ってくれて良かったなあ、と思ったのが以下の文章です。
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むろん、文化研究のそうした折衷主義的な性格は悪くない。世界は一つの理論だけで裁断できるほど単純ではなく、教条的に自分の立場に固執するのは辞めて、自分を疑い柔軟に変えていけばいいことを意味しているからである。(p115-116)
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最後に、ジェンダーやクィア批評、フェミニズムを扱った章で出合った「ポスト・フェミニズム」という言葉を。
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男女の平等は既に達成されたとして、生と消費における自由な選択を賞賛するかたちで個人主義的に女性の自己の規定・達成を語るポスト・フェミニズムは、抑圧は社会制度の問題で性差別ではないとして、男女には自然な差があり、自ら弱さや可愛さをアピールし、恋愛の諸局面を男を喜ばせるためではなく自己の欲望の選択の結果とする。(p98)
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→男女には自然な差があるじゃないか、としたうえでの、ポスト・フェミニズムという考えかたがちゃんとあるんですね。フェミニズムには、急進的で強硬なイメージを持ってしまっていたところがありました。性差別には反対だし、男らしさや女らしさが社会に規定されたものというのも、そういうところが色濃く有るのはわかるのだけれど、でもちょっと針が振れ過ぎなんじゃないか、と感じていたので、ポスト・フェミニズムの考え方はまだ自然だと思えます。
中身については以上です。
限られた分量で語らなければいけなかったからだと思いますが、どちらかというと悪文で書かれているなあという感じがしました。
あと、思いだしたのが学生時代のこと。大学生の講義に使う教科書が教授の著作なのはよくあることですが、ある講義に使う教科書に誤植が多く、あげく、「○○となるのである」が「○○となるのではない」レベルの間違いがあったのを教授が口頭で訂正してくるなど、この本を講義以外の目的で買った人たちはかなり読解に苦しむな、と当時あきれたのを思いだしたのでした。
本書にもそういったところがちょっとあります。目くじらを立てるほどではないし、珍しくもないのだけど、「個人的幸福・最大化を目指する。(p118)」なんかははっきりと誤字としてありました。あと論理的に難しくて矛盾に感じるところがあって、それが悪文的な文章だからなのか、それとも僕が若い頃に経験したような、ただの教授のミスなのかがわからなかったです。途中からは、こだわらずにすらっと流すように読みました。