Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『記号論への招待』

2013-07-30 16:59:04 | 読書。
読書。
『記号論への招待』 池上嘉彦
を読んだ。

もう一年ちょっと前くらいのことだったと記憶していますが、ツイッターで、
「言葉というのは頭の中で考えている言外のモヤモヤしたものを
整理したり伝達したりするために便宜的にそのモヤモヤを翻訳するツールなんじゃないか」
というようなことを書いたのです。
それで、「その言葉というものは不完全なもので、頭の中の言葉以前のモヤモヤした考え事や、
自然の風景でもそうですけれど、表現するときにはそのまんまの意味では、
つまり等価値ではできないで、言葉にすることで、その対象の考え事の本当のところから
こぼれおちるものがある」と、僕は考えていたんです。

だからこそ、表現のための語彙を増やし表現力を磨いて、本当の考え方にできるだけ近く、
言葉で表現・伝達できたらきっと今よりも面白くなるだろうとも単純に考えました。
さらに言えば、そうやって語彙や表現力が増したときには、今度はまた元に戻って、
頭の中のモヤモヤとした言外の考え事の濃度といいますか、
そういうものが逆に大事になってくると思えるのです。
言外の考え方の濃度を高めるには、感性を磨くことだと考えています。
いろいろと感じるセンサーが鋭ければ、それだけ、外の世界から拾ってくる
情報の量と言うものが増えますし、質も高まりますから。
ですが、感性だけを磨いても、語彙や表現力が拙かったら、表現ができなくて、きっと、
心の中に鬱積するものがあり、病んでしまうことも考えられます。
なので、結論として、感性を磨くのも、表現力を磨くのもどちらも、
ポジティブに生きていこうとするならば大切な要素なんじゃないかということになります。

…とまぁ、そこまで考えても、やっぱり完全に言葉で表現することは無理なんですが。

という僕の考えに対して、ツイッター上で某氏が「記号論」を薦めてくれたのです。
記号論というものを僕は知らなくて、その記号論という名前そして薦めて頂いた意図から推測するに、
どうやら言葉を記号として学問するものらしいという考えが頭に浮かびました。
それで、本書を購入したのです。

記号論で扱う記号というものは、その記号で表現された「意味を持つもの」です。
したがって、テストであるような、「(a)~(f)までの記号で答えなさい」という記号とは違います。
著者は、そのような記号は符号とよんだ方が、
この記号論をすすめていくのには妥当だとして区別しています。

本書では、記号の中から主に言語を代表させて扱っています。
言語が、記号の中でもとりわけその記号としての性質を説明するのに適しているというわけです。
そんな記号論の中から、その考え方が頭に残ったもの二つを紹介しましょう。

一つは、「表示義」と「共示義」という見方。
たとえば、「ピンク」という言葉には、表示義としては桃色という意味、
共示義としては、性的な感じという連想があります。
つまり、表示儀というのは、言葉そのものの意味であり、
共示義は表示義を踏まえたうえでのより高次の意味合いというものになります。
この表示義と共示義は一語だけでのものではなく、
一つの文章にもあてはめられます。
また例を出すと、「花の咲き誇る道」という表現をどうとらえるかでわかると思います。
文字通りの、植物の花が咲き誇る道ととらえれば、それは表示義であり、
花のようなう美しい女性たちが歩いている道ととらえれば、それは共示義です。
この件に関しては、以前、養老孟司さんが著書で、共示義のことを文学的表現としていましたが、
彼も記号論を読んでいたのだと思われます。

二つ目は、有契性と無契性というもの。
たとえば、赤く塗ったプラスチック板を見せると赤いボールを渡すという取り決めがあったとします。
この場合、赤いプラスチック板と赤いボールの間には、「赤い」という共通項があります。
こういう特別な関連性があるのを、有契性があるといいます。
逆に、白いプラスチック板に赤いボールという取り決めをすると、そこには特別な関連性は
ありませんから、無契性がある、という言い方をします。
この有契・無契は言葉にもあって、たとえば、「柿食えば、鐘が鳴るなり法隆寺」という俳句の場合、
最初の「柿」の音韻のKと「鐘」の音韻のKが重なっているので、有契性があると考えます。
言葉の意味としても、有契性のあるものが溢れていますが、説明に苦慮するので、
今回は省略します、興味のある方は本書を読んでみてください。

それで、有契性のある言葉、それも意味の部分においては、それは病んだ表現であると
本書にちらと書かれていて、僕もそうだよなぁなんて思ったのですが、これは表示義と共示義の
共示義の方にも言えることだと思うんです。意味のスパイラルみたいになって、
記号表現(メッセージ)の受信する方の取りようによっては、いろいろな可能性がでてきて、
混乱しかねませんから。そこらあたり、きっとパワハラだとかセクハラだとかに使われたり、
受け取ったりするのは、共示義や有契性などなのだろうなぁと思えたりします。

長くなりました。
最後に、ちょっとこれはサッカーの男子日本代表にも言えることだぞと思った部分を書き抜きます。
___

共通性を踏まえての差異という「対立」の構造は、意味作用を生み出す「母体」である。
なぜなら、もし共通性ばかりであったなら、それは完全に均質な場であり、
完全に均質な場は安定していて何も起こる余地がない。
一方、差異ばかりであれば、二つの完全に相互に独立して干渉のない場が存在するだけで、
そこにはやはり何も起る余地がない。
共通性を介して両者が同じ一つの場に入り、そこで両者の差異が衝突する時に何かが
起こるわけである。
___

共示義で読んでみてください。

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『ぱるる、困る』

2013-07-21 20:59:40 | 読書。
読書。
『ぱるる、困る』 島崎遥香 撮影:中山雅文
を読んだ。

読書?っていう感じですが、
AKB48のメンバー島崎遥香ちゃん、通称ぱるるの写真集を買いました。
かわいいんですよねぇ、とっても。

握手会ではそのそっけない対応が「塩対応」だとか言われているらしいですし、
無理に作る笑顔が自分でも好きではないみたいなことで、
そういうところからトレードマークの「困った顔」が生まれたという逸話があったりします。
なんていうか、もしかすると少し不器用なところのある人なのかなぁと思ったりもして。
とびきりかわいいのにちょっと不器用だという性質の組み合わせが最高だ、と思う人もいそうです。

びっくりしたのは、村上春樹さんや綿矢りささんや水嶋ヒロさんや芥川龍之介の小説を
彼女が読んでいたと書いてあったことですね。
そしてそのラインナップが、僕も好きなので(水嶋さんのは読んでいませんが)
嬉しく感じました。

本書では、福岡、札幌、大阪、名古屋、東京の、
AKB48がこれからドームツアーを行う5都市を舞台に
撮影が行われています。
どこにいても、ちょっと弱そうなのに不思議な存在感のある、ぱるる。
もう一度言いますけど、かわいいですねぇ。
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『日本語教室』

2013-07-12 00:56:25 | 読書。
読書。
『日本語教室』 井上ひさし
を読んだ。

「ひょっこりひょうたん島」の脚本を書いていたのが、
この本の著者である井上ひさしさんでした。
その他にも、小説や、芝居の戯曲を多数残し、2010年に亡くなっています。
僕は名前しか井上さんのことは知らなかったですが、
この本を読んでみると、彼の学識の深さと、
それを咀嚼して簡単な言葉で人に伝える力と、
その内容の面白さ(学問の面白さ)を大事する姿勢の素晴らしさに
圧倒されずにはいられませんでした。

序盤などは、茶髪にふれて、「ちょっと頭が固いおじさんだな」という
印象を持ちましたし、他にもそういうところがちらほら見受けられました。
でも、一冊まるまる読むと、そういったところはちょっとした
心のニキビのようなものだったりもして、
井上さんの根っこのところは、もう少し寛容でおおらかだよなぁと感じられる。

本書は、僕やあなたの母語である
(そうじゃない方もいるかもしれませんが)日本語について、
その「今」「なりたち」「特徴」「ルール」などをかいつまみながらも、
井上さんの視点からとらえた彼なりの要点というものを軸に、
しっかりと説明してくれます。
といっても、180pくらいの新書ですから、網羅的かつ専門的に
論じている本ではないわけです。
本ではないというか、もともとが上智大学での4回の講義をテキスト化したものなので、
研究のさわりや彼の推論を楽しむような講座なのです。
おまけに、笑いに満ちていたりします。

本書の内容を感じてもらうための具体的なトピックを一つ紹介するならば、
ちょっと日本語から離れてしまいますが、ピジン語とクレオールの話がいいでしょうか。
ピジン語というのは、たとえば英語を知らない奴隷の人たちが、
主人の英語を聴いて仕事をするうちに、少しづつその内容がわかってきて、
自分のネイティブの言語をもとに、それを応用しながら英語を話すようになる。
そういった英語をピジン・イングリッシュといい、
フランス語などでもそういうのが見られるそうで、総称するとピジン語です。
それで、その奴隷の二世ともなると、そんな不完全なピジン語を話す父母に
育てられるのですが、そのピジン語を完璧に使い始めるそうです。
そうすると、クレオールという、安定した言葉ができあがるのだそうです。
1世が自分のネイティブと被支配の言語の混ざったものをぎこちなく使うのに比べて、
それを生まれたころから聴いて育つ2世ともなると、
そんな言語の要点をうまく把握して、滑らかで合理的でさえある言葉にしてしまう
ということらしいです。

面白いと思いませんか。
言葉というものはこうやって柔軟に改造され創造されていく面があります。
日本でも、外来語が定着するのには、1世ではまだ不完全で、
2世になってから安定すると言われると、なんとなく納得できる節はないでしょうか。

さらに、僕は個人的に考えたのですが、これって音楽にも言えます。
たとえば、テクノという音楽が出てきて、それを作った人たちと同世代の人たちよりも、
一回り下の、それらを子どもの頃に聴いて育った世代のほうが、違和感なく
テクノの音楽を理解し、作れたりする。言葉でいえば、クレオールってものが
そこにあるんじゃないでしょうか。僕なんかがわかりやすくクレオールを感じるのは、
Perfumeやきゃりーぱみゅぱみゅさんをプロデュースする中田ヤスタカさんですね。
彼の音楽には、テクノやポップスが定着した後の、普段着的な音使い、音の構築を感じます。

閑話休題。
この本には、そういった脱線的な話題もふんだんに盛り込まれ、
そこが面白かったりし、なおかつ読者もそんな脱線に触発されて、
自由な脱線思索を読書中に味わうこともあろうかと思います。

井上さんの軽妙さがベースにありますので、読みやすい本です。
内容については、日本語についてもっと勉強したい人にとっては、
プロローグになるでしょう。

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『アフター・アース』

2013-07-09 13:56:38 | 映画
映画『アフター・アース』を観てきました。
地球が住めなくなり他の星に移住したあとの話。
ウィル・スミス親子が主演です。
おまけに、エンドロールで「STORY BY WILL SMITH」
と書かれていた。

すごく面白かったわけでもないし、
面白くなかったってこともなくて、
まぁ、普通に面白かったというところ。
100分はあっという間でした。

こんなに未来になってテクノロジーが発達しても、
身体能力の面は非常に大事で、
逆にそれがあるからこそ、
人間という生き物なんだよなぁ、などと思いました。

本編が始まる前、
ジブリの『風立ちぬ』の予告編をたっぷり観ることができました。
4分にもわたり、主題歌の荒井由実「ひこうき雲」が
まるまる使われていて、泣きそう。

帰りに、『風立ちぬ』『潔く柔く』『スター・トレック イントゥ・ダークネス』
のチラシを頂いてきました。

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『とかげ』

2013-07-07 02:20:30 | 読書。
読書。
『とかげ』 吉本ばなな
を読んだ。

今から20年くらい前の、よしもとばななさんの6篇収録の短篇集です。

主人公たちはそれぞれ、自分の運命を受け止めながらよく考えていて、
自分の哲学をもっているほどで、そうやって、真剣に考え抜いて考えを言葉にしたうえで、
怠惰とは違うけれどもより生きやすい方向へと顔を向けているような感じがしました。

自分であれこれ考えても、言葉にして残して、書きながら再度考えるということを
しなかったりしないでしょうか、そういう人は大勢いるのだと思いますけれども。
頭のいい人で、特に言語能力に長けていると言われる女性からすると、
そんなことをしなくても、しゃべることで考えの整理はつく、と
言われるのかもしれないです。
それでも、やはり、「書いて読む」という客観的行為によって、
整理がついて、考えが深まって、ゆえに自分の進むべき道がわかったり、
ただただそれだけで癒されたりすることがあるんじゃないでしょうか。
主人公たちの考えの深さや筋の通りかたは、まさに、こういったレベルにあります。

日記を毎日つけていたとか、ノートに思いを書き連ねたとか、そういう描写はありません。
だからきっと、相当な生きることへの真剣さによって、
そうやって考え抜かれた哲学が、主人公たちによって語られている。
どれだけ大変な思いをしているか、どれだけ自分の人生の在り様に危機感を持ち真摯であるかが
うかがい知れるというものです。そして、孤独です。

この場合での孤独であるということは、自立していることの裏返しでもあるでしょう。
自立するということは、孤独な時間の中でいろいろと自分なりに真剣に考えることだ、ということを、
若きよしもとばななさんは表現し、そして自らも実践したのではないか。
それは、よしもとさんに限らず、多くの文学者がやってきたことでもあるでしょう。

と、考えることに重きをおいて書きましたが、
この「とかげ」はその考えの深さや独特さなどを楽しめて、
さらにストーリーというか、主人公の境遇に醍醐味があるような作品群なのですけれど、
そういうところも楽しめます。純文学のカテゴリにはいるのかなぁと思いますが、
つまらないとか、読んでいて退屈になるとか、そういうことはないですね。
瑞々しい感性による言葉が、きっと、読者の脳に潤いをもたらすことでしょう。
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『謎の1セント硬貨』

2013-07-02 00:37:17 | 読書。
読書。
『謎の1セント硬貨』 向井万起男
を読んだ。

お医者さんであり、
アジア人初の女性宇宙飛行士である向井千秋さんの旦那さんが著者です。
かなりのアメリカ通であるらしく、実際にアメリカに行って見聞した知識と、
本などで知った情報など、それぞれを広く深く持っているような人です。
そんな人が、平易で、小学生でも読めるような文章と興味を引く話題でもって
書いたエッセイが本書です。

副題に「真実は細部に宿るin USA」とあります。
帯には、「「アメリカ人のホンネ」がよーくわかる本」とあります。
もうその通りでした。

アメリカを夫婦で旅しながら、見つけた不思議や疑問を、
Eメールでもっていろいろなところに質問をして、
その返答をもらって謎を解くタイプの、15編の書きものが
どれも、予想のつかない話題で成り立っていて、面白いのです。
「こんなにアメリカって知られてないんだなぁ」という、
知られていておかしくないようなアメリカの、
地に足がついた部分のことがピックアップされている。
ことによっては、アメリカ人も忘れてしまっているようなことも、
著者の疑問として、取り上げられていて、
読者はきっと「それ、知りたいよね!」と気持ちで後押しするように、
読み進めることにあるでしょう。

こういうエッセイは、気軽に読めて、バラエティ番組を見るように
楽しめます。それでいて、テレビ番組のようにやかましくないのが
いいところですね。


Comments (2)
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