Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『ねむりひめ』

2013-12-28 00:03:15 | 読書。
読書。
『ねむりひめ』 荒井良二
を読んだ。

絵本作家として著名な(僕は最近知ったんですが)荒井良二さんの絵本です。
グリム童話の『ねむりひめ』を、彼の暖かで美しくかわいらしい絵と、
わかりやすい文章で再生させたような本が本書です。

『ねむりひめ』と聞いて、結末をなんとなく知っていても、
細かく全部の話は知らないもので、そういう人は多いのではないかな。
そういう人が触れる作品としてとても好い作品になっていると思います。
何度でも読み返して、荒井さんの世界に浸るのも良いでしょう。
そして、そのような読者の扱いに耐えうる体力を持った作品に
仕上がっていると思いますし、そこが、荒井良二さんの力なのだと
思ったりしました。

本の帯に書かれていますが、子どもから大人まで楽しめる愛蔵版です。

絵本作家として著名な(僕は最近知ったんですが)荒井良二さんの絵本です。グリム童話の『ねむりひめ』を、彼の暖かで美しくかわいらしい絵と、わかりやすい文章で再生させたような本が本書です。『ねむりひめ』と聞いて、結末をなんとなく知っていても、細かく全部の話は知らないもので、そういう人は多いのではないかな。そういう人が触れる作品としてとても好い作品になっていると思います。何度でも読み返して、荒井さんの世界に浸るのも良いでしょう。そして、そのような読者の扱いに耐えうる体力を持った作品に仕上がっていると思いますし、そこが、荒井良二さんの力なのだと思ったりしました。
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『分析哲学講義』

2013-12-27 22:09:21 | 読書。
読書。
『分析哲学講義』 青山拓央
を読んだ。

「哲学」ならば、聞いたことがあるし想像もつく学問の分野だな、
という人は多いですよね。
じゃあ、「分析哲学」となると、どんな分野の学問なのか、
「分析」とつくだけで、多くの人にとって憶測の範囲の学問になります。
哲学よりも、細かいことを考えるんだ、と思う人もいるでしょう。
しかし、哲学は細かいこともちゃんと考えていく学問です。
なにか数式を使ってアナライズしていく学問かな、と思う人もいるでしょう。
確かに論理式を使ったりもすると書いてありますが、本書のような入門書には
ごくごく少ない数式の登場に抑えられていました。

かいつまんで「分析哲学」を紹介すると、
言葉を考えていく学問と言うことになります。
言葉と言っても、単語を掘り下げていくというよりか、
ひとつの文章を一つの単位として読んで、
その中での単語の働きなどからでてくる意味から探っていく感じです。
そうやることで、信じられないかもしれませんが、森羅万象にも近づいていくことになるんです。
言葉をベースにちまちまと哲学すると言ったほうが早いのかもしれないです。
イメージ先行、発想先行で考えていくわけではなくて、
言葉で論理的に、飛躍せずに考えていく哲学といえるでしょう。

そのあたりの説明などはまったくといいほどないのですが、
それはそれ、分析哲学のありかたとして、哲学者・ウィトゲンシュタインの手法のように、
一つの文章を読んで、その方向性や全体としての意味などを見ていくスタイルなので、
読者は自分で本書を読みながら汲み取っていかなければいけない。
いろいろなトピックを、著者に導かれながら考えていくのですが、
そうすることで、あぶり出されるようにわかるのが、分析哲学と言うものの有りようだ、
という構造になっています。

言葉の欠点というか盲点というか、そういう部分を見つけ出してそこを埋めるために
考えていくというのが多いです。

「トマトは赤い」という言葉から伝えられる「赤い」は、一体どんなイメージなのか、
という話もありました。「トマトは赤い」と言った人の見た「赤い」が、
相手にそのまま伝わることは不可能で…、でも、相手には「赤い」が伝わります。
そのイメージの差があると同時に、その「赤い」を相手はどこから想起したのかが
謎ではないかというのです。発話者の「赤い」は私的な言葉ですから、
その私的さが相手に伝わるわけはないんですよね。
…とまぁ、くどくど書いていくと、僕もアラがでますので、
いろいろ知りたい人、考えたい人は本書を手に取ってみてください。
難しい本ではあります。

言葉は完璧じゃないからこそ、浮かび上がってくる深みっていうものがあります。
そこを、さらに言葉でえぐることに限界はあるんじゃないかなと僕は思うのです。
分析哲学はそういう意味での弱点ってありそうです、素人考えですが。

「クオリア問題」た「心脳問題」も、こころの哲学の章で少し扱っています。
後半3章は楽しむ内容で、それまでの章が、後半を楽しむための修練的でもありました。

かいつまんで「分析哲学」を紹介すると、言葉を考えていく学問と言うことになります。言葉と言っても、単語を掘り下げていくというよりか、ひとつの文章を一つの単位として読んで、その中での単語の働きなどからでてくる意味から探っていく感じです。そうやることで、信じられないかもしれませんが、森羅万象にも近づいていくことになるんです。言葉をベースにちまちまと哲学すると言ったほうが早いのかもしれないです。イメージ先行、発想先行で考えていくわけではなくて、言葉で論理的に、飛躍せずに考えていく哲学といえるでしょう。そのあたりの説明などはまったくといいほどないのですが、それはそれ、分析哲学のありかたとして、哲学者・ウィトゲンシュタインの手法のように、一つの文章を読んで、その方向性や全体としての意味などを見ていくスタイルなので、読者は自分で本書を読みながら汲み取っていかなければいけない。いろいろなトピックを、著者に導かれながら考えていくのですが、そうすることで、あぶり出されるようにわかるのが、分析哲学と言うものの有りようだ、という構造になっています。

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『「しがらみ」を科学する』

2013-12-10 22:39:16 | 読書。
読書。
『「しがらみ」を科学する』 山岸俊男
を読んだ。

こういう本に出会うか出会わないかで人生は変わるんだと思います。
だから本ってときにすごく大事なものにもなるんですよ。
本書は中高生向けに書かれていながらも大人も読んでほしいというスタンスです。
かいつまむと、「世間」や「空気」という「しがらみ」に苦しむなら、
「法律」や「契約」で整備された「社会」を生きろ、なんです。

コミュ障だとかと言われた人、認めた人は、
自分の人生がチェックメイトしたかのように感じられるかと思いますが、
本書を読むと、新たな気持ちでもう一局、人生のチェスを打てることになるでしょう。
そういう人たちには、新たなる希望のように、本書は感じられるんじゃないかなぁ。

山岸俊男さんは長く北大の教授として社会心理学を研究されてきた人ですが、
最近の動向をWikiで読むと、今は東大の教授として研究されているようですね。
そして、今秋、文化勲章を受けられていました。

僕のかつてのバイト仲間で、社会心理学をずっと研究してきた友人も、
「山岸俊男さん」と名前を出すと、すぐに、「山岸先生は…」と
ちゃんと知っている人でした。この分野では第一級の人物なのでしょう。

僕も山岸先生の本を読むのはこれで三冊目なのですが、
今までで一番わかりやすかったです。
山岸先生の本を読むことで得たものと、
僕の性向をブレンドして出来あがったスタンスでこれまで生きてきています。
失敗したりすることも多かったですが、
それは、ちょっと妙な感じな人と仕事を組まされた時にバランスが崩れてしまって、
対応が遅れるということが起きるためなんですが、
それじゃなかったら、おおむね良好といった感じで社会生活を送れます。
そのあたりは、まだまだ、他人のインセンティブを掴むのがわかっていないからでしょう。

迷惑がかからない範囲で、ある程度気ままに生きて良いんですよ。
それが、やれ「空気を読め」だとか言われたり…、
もっと酷いと、「空気を読め」という空気を醸し出されたりして、
生きにくくされることがあります。
本書の最後のほうに書かれている実験の様子だと、そういうことを望む人は少ないんですよね。
それが「みんな空気を読めと思っているんだ」という周囲への誤解みたいなものが、
現実へと昇華してしまって、しがらみを生んでいたりするようです。

以下が、しがらみである「空気」の解説。

____

「空気」というのは、こんなことを言うと馬鹿にされてしまうとか、
ここではこんなことを言えないという共通理解のことなんだ。
この共通理解の下では、誰も自分が非難されるようなこと、
つまり冷静な判断は口にしない。誰もが冷静な判断を口しないので、
多くの人が個人的には冷静な判断を下していても、そうした判断を口にしようとしなくなる。
そのため、そうした判断を口にする人間は見下されるだろうという理解に
疑いが生じる余地がなくなってしまう。

____


また、序盤では、なんでもかんでも、心のあり方のせいにする
「心でっかち」は目を曇らすことを著者は述べています。
「最近の若者の心が荒廃してきている」とか根も葉もないことがらを
本当のように確信してしまう考え方は、僕も気をつけねばなと思いました。
油断すると、「心でっかち」な考え方ってしやすいような気がする。

僕は以前から、「生きやすい世の中を作る助けをしたいものだ」と
考えています。それは政治ではなくて。
そういうことの先達として、山岸俊男さんのような素晴らしい人が
おられることは非常に嬉しいです。

こういう本に出会うか出会わないかで人生は変わるんだと思います。だから本ってときにすごく大事なものにもなるんですよ。本書は中高生向けに書かれていながらも大人も読んでほしいというスタンスです。かいつまむと、「世間」や「空気」という「しがらみ」に苦しむなら、「法律」や「契約」で整備された「社会」を生きろ、なんです。コミュ障だとかと言われた人、認めた人は、自分の人生がチェックメイトしたかのように感じられるかと思いますが、本書を読むと、新たな気持ちでもう一局、人生のチェスを打てることになるでしょう。そういう人たちには、新たなる希望のように、本書は感じられるんじゃないかなぁ。


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Returns

2013-12-07 21:32:40 | days
母が退院。
元気になって戻ってきました。

が、再発が怖いのがこの病気。
そこらへんを頭にいれつつ、
それでも、戻った日常を楽しんでもらえればいいかな。

僕はまぁいそがしくなりますわね。
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『綾瀬はるか「戦争」を聞く』

2013-12-05 21:48:35 | 読書。
読書。
『綾瀬はるか「戦争」を聞く』 TBSテレビ『NEWS23』取材班 編
を読んだ。

広島出身の女優、綾瀬はるかさんが聞き手となっている、
TBS系列の『NEWS23』内でたびたび放送される
「戦争を聞く」企画を書籍化したものです。

原爆を落とされた、広島と長崎、太平洋戦争の激戦地・沖縄などを
生き残った人たちから、「戦争」を綾瀬はるかさんが聞きます。

岩波ジュニア新書のなかでも、読みやすい部類で…というのも、
写真が多く、行間が広く字数が少ない本であり、
インタビューの中身も少ないのですが、
その内容から感じられる痛みや苦しみを想う気持ちや怒りといったものが、
読者である僕の身体全体にみなぎりました。
原爆被害について、本書の前半は割かれているのですが、
そこを読むと、悲惨さとアメリカへの怒りで、
胃がしめあげられるような感覚になりました。
沖縄やハワイの章を読むにつれて、
その怒りは、アメリカへではなく、戦争というものへ向けられるようになりました。
戦争とは、実にえげつない行為です。

本当に、戦争というものは愚かしい行為です。

原爆が落とされたのは、1945年ですから、もう68年も昔のことです。
そんな昔にそんな強烈な破壊力を持った爆弾が日本の土地に炸裂して、
多くの人の命を奪ったことについて考え、想像し、
本書でその生き証人からの証言を読むと、絶対にいけないことだという思いが
強くなりました。

ほんと、殺し合いを合法化してやる戦争なんてものが人類がたびたびやることのなかにある
ということから感じるのは、本当に、残酷なサル種なんだなぁ、僕らはということです。

綾瀬さんは若い女性で、そういう人がこういった戦争の記憶を受け継いでいこうと…、
それが仕事であってもしていってくれていて、その番組や本書を手にとって、
同じように戦争に対する感覚を健常な形で改めてだとか初めてだとか持つことになる
人たちのことを考えると、この「戦争を聞く」という企画は大事なものだと思えます。

昔は、夏休みの8月になると、朝、NHKで、戦争を体験したおばあさんなんかが
その体験談を語るという番組をやっていたりしました。
その番組が担った役割のように、平和とはなんだ、戦争とはどういうものだ、
そういうことをしっかりと僕らが見つめるためには、本書がそのとっかかりになると思います。


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『お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ』

2013-12-03 22:34:58 | 読書。
読書。
『お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ』 糸井重里 邱永漢
を読んだ。

コピーライター、そして『ほぼ日刊イトイ新聞』でおなじみの糸井重里さんと、
お金の神様とも呼ばれる商売上手で作家もやられていた邱永漢さんの、
お金に関する対談集です。

お金に関する対談集と言っても、「こうすればお金が儲かる!」という
啓発的なハウトゥー本ではありません。
お金とはどういうものなのか、その性質を知る邱永漢さんから出る言葉を
糸井さんが引き出して軽く咀嚼して、あとは読者が読み下すという感じの本でしょうか。
そして、話は人生観だとか人の欲望についてだとか、人間の心理や性質の話が
中心になっていきます。

もともと2001年の本が文庫化されたものですが、
その当時の糸井さんが本当にお金について知りたかったことがわかるような、
問いかけになっています。
お金について知りたいと言っても、さっぱりした感じでまったくぎらぎらしていません。
かといって、アカデミックに難しい話をするでもないのです。
邱永漢さんはもはやお金の神様であり、達観しているからそうなのかもしれませんが、
糸井さんのほうは、ちょっとお金に対する欲望が薄いようで、だからこそ、
本書のこのタイトルになったのかなぁと思いました。

ひとつ、本書に「これは!」という言葉があったので紹介させてください。
若いうちは「そそのかされて生きている段階」っていうのがそれです。
誰かの言葉に導かれて生きたり、それがミスリードだと怒ったり、
そういうの全部、「そそのかされている」んですよ。
だから、後悔するんだと邱さんは言っている。
名言です。

僕が嫌いなのは、人をそそのかすことを商売としている人です。
「私はこうやって大金を稼いだ、そのノウハウの一部を伝授しよう!」
などと、DVDや本を売ったり、セミナーを開いたり…。
もっとも嫌いなのはそういう類のそそのかしですね。

だからこそ、そういう感じではない「お金の本」である本書は読み通せたのです。
まぁ、糸井さんの本ですからね、そんな心配はしていませんでしたけども。

けして、大きな武器が眠っている本ではありませんが、
お金を考えてみたい人の、それも一般の人のきっかけになりそうな本です。
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