Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

日常

2005-09-28 19:49:57 | days
絶望的なくらいに本が多い。雑誌もけっこうある。マンガもたくさんある。
CDも多い。ビデオはさほどでもない。どうやって整理しようか、と考える。
捨てられないでいる雑誌は、取っておきたいページをスクラップしてやればいいか、と。
本やマンガは厳しく審査して捨てようか、と。CDはどうしようもない。
部屋の整理、思案のしどころ。こういうのが生活のスタイルに大きく関わってくる。

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視座フィルター

2005-09-27 21:32:04 | 考えの切れ端
判断のモノサシについて、メモるように書いておこうと思う。

ものの本に書いてあったやつ。
1、好悪による判断。
2、損得による判断。
3、正・不正による判断
というのがまずある。

次に、三権分立の見方
1、行政的見地。
2、立法的見地。
3、司法的見地。

また、
1、自然(nature)的見地。
2、文化(culture)的見地。
3、国家(nation)的見地。
というのもあると思う。

最後に、
1、経済的見地。
2、政治的見地。
3、文化的見地。
というまとめ方。

これらのフィルターの使いようによって、
物事のいろいろな解釈ができるなぁと思いました。
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ネバーエンディングストーリー

2005-09-27 19:02:18 | 読書。
今月10冊目の読書。ただいま『はてしない物語 上巻』第9章。
たまにはこういう物語も良いもんです。
しかし、深い話。確固とした夢の世界が無いために、
人間は戦争をはじめるという論理。揺さぶられました。
虚言・妄想がファンタージェンの国(確かな夢の国)を滅亡へ向かわせ、
さらにそのことが人間世界の退廃にも影響を及ぼすという悪循環。
真っ当な夢・空想を失うと、想像力が妄想や虚言の方面へ助長し、
その逆もまたしかりという話。
太い芯の通ったファンタジー小説だなぁと感心しながら、また読み進めたいと思います。
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願ワクバ

2005-09-26 21:57:02 | 一言。
どなたか僕に、もっともハッピーな答えをください。
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社会ヨ

2005-09-24 17:12:02 | 一言。
必要悪なんて、自然災害で充分すぎるじゃないか。
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溜息ト共ニ

2005-09-23 19:43:36 | 一言。
どうして、こう、世の非難の論理って歪んでいるのか。
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2005-09-22 20:49:10 | 考えの切れ端
いまさら書くことでもないけれど、
読書だとか音楽鑑賞だとかも、体系的にやると違うんだろうなぁとぼんやり考える。
散文的にやっていって、いきなりいろいろ繋がりだすのも良いのだけど、
記憶力の良し悪しがカギになる。
強引に、体系的やり方=ミクロ的やり方、散文的やり方=マクロ的やり方と
してみる。じゃあ、体系的やり方は詩的やり方と換言可能だなと思いつく。
それでは、詩的なやり方は共同体的で、散文的やり方は抗争体的だなという
方向へもいく。
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『チャーリーとチョコレート工場』

2005-09-21 18:51:35 | 映画
昔はこれでも、MIDIでオリジナル曲を、下手くそなりに作ったりもしたんだけど、
どうやらそれも忘れてしまったようだ。独自の作り方も、鍵盤を叩くのも、
全盛期でも大したものじゃなかったとしても、衰えた。
勉強しなきゃとも思うし、本も読みたいし、養生もしたいし、音楽をつくりたいし。
欲張りなんですかねぇ。

今日は『チャーリーとチョコレート工場』を観てきた。
バートン監督にとって『ビッグ・フィッシュ』の次の作品だけあってか、
嘘つきまくりな映画です。
はちゃめちゃなところにちょっと『ビートル・ジュース』感もあるが、
もっと不可知論的というか。
しかし、約2時間であっても、観終わって疲れてしまう。
体調的なものだなぁと思う。

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フラキーニョ

2005-09-20 21:29:47 | 読書。
ぐらぐらふらふらしていることを、ブラジルではフラキーニョと言うそうだ。

アントニオ・カルロス・ジョビンの伝記を読んでいて、
彼はフラクタルな世界を感じ取っていたことを知る。
世界の対称性。けっこう危険な世界だ・・・、
と垣間見て具合が悪くなった僕は思うのだった。
埒のあかない世界?あきまくる世界?
どっちのようにも思えるような、どうでもいいような。

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グラスハープ

2005-09-17 18:23:34 | 読書。
「話の内容というのはさして大切なものではないんです。
大切なのは、信頼をもって話し、共感を抱いてそれを聞く、そこにあるんですよ」
・・・トルーマン・カポーティ『草の竪琴』より。

久しぶりに読む小説としては出来すぎなくらいすごく素晴らしかった。
4,50年くらい前の小説ですが、現代のとくに田舎にはまだ全然通用する内容で、
さらに、世知辛さだとか世の厳しさに負けそうなんですが、現代では失われて
しまいそうな情緒感とか豊かさがこもっています。
強い生命力とはいえないんだけど、なんていうんだろう、主要キャラクターたち
には、良い方向性を向きつづけるほほえましさというか、共感を得ました。

最近、とみに考えるポピュリズムですが、この小説に登場する主人公側の人間は
とくに頭のいい人はいなく、愚かしいといえば愚かしい。
だけど、彼らがポピュリズムに毒されているとは言えないんですよね。
頭の良し悪しの基準が短絡的に感じているものとは違ってるのかもしれません。
簡単にはいえませんが、「陰」と「陽」で言えば、表面は「陰」でも根っ
このところが「陽」な人たちというか。この小説を読む人は大概そう思う
のかもしれませんが、自分は主人公側の人間だと感じましたし、仲間に入れ
て欲しいようないとおしさを持ちました。
また、得意の「感情移入」で、主人公の切なさが伝染してきたりもしました。

良いモノはまだまだ残っているんですね。

国は国語教育をもっと豊かなものにするべきだなぁ。
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