Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

W杯2014 VSコロンビア

2014-06-25 22:58:30 | スポーツ
2014W杯、日本の予選リーグ最終戦、グループトップのコロンビアとの試合は、
勝てば決勝トーナメント進出のチャンスがありましたが、
前半1-1から後半に3失点で1-4。
トーナメント進出条件だった、「ギリシャvsコートジボワール戦での勝者がギリシャになる」
では、ギリシャが見事に勝利したので、とても残念な日本チームの結果となりました。
強かったですね、コロンビア。前半は前の試合から8人を変えてきて、
まさにグループ突破を決めたチームならではの消化試合としての「休養」だなと読めましたが、
後半になって出てきた、2人の中心選手の活躍が見事で、
あっという間に3点も献上してしまった。

終わってみれば、楽なリーグに入ったなんて言われていても、最下位。
これは日本の全試合をみた感じだと、妥当な結果ともいえそう。

リスクをとって失敗したらどうしようっていう気持ちをなんとかしなきゃだと思いました。
失敗したらそりゃ痛いけれども、
うじうじと失敗しないことばかり考えててもなぁ、という気がした。

きっとね、日本男子の国民性による部分ってのがあると思うんですよ、
サッカーが弱いところには。
真面目といったら真面目、不真面目といったら不真面目っていう極端にそうなるところが
災いしているのかなぁと思いました。これは自分も含めた大多数の日本男子にいえそう。

残念な結果になり、僕も「だめだこりゃ!」と思いましたが、
いやいや、ここからです、ここから。
自分の人生を重ね合わせるようにもう一度いいましょう、「ここからだよ」。

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『マルセル・モースの世界』

2014-06-24 01:06:57 | 読書。
読書。
『マルセル・モースの世界』 モース研究会
を読んだ。

まず、19世紀から20世紀にかけて活躍したフランス人の
マルセル・モースという人をみなさん知らないと思います。
僕も知らなかったし、帯を読むまでこの本を読んでみようなんて思いませんでした。
その帯とは、
「レヴィ=ストロースが畏敬し岡本太郎が唯一の師と仰いだ20世紀思想の源流」
というものでした。
レヴィ=ストロースは構造主義の祖といわれるフランスの人類学者で、
岡本太郎はご存知のように「太陽の塔」などが知られる芸術家。
そんなわけで、わくわくはしますけれども、なかなか難しい本でした。

モースやその師匠である人たちって、その当時研究紙を刊行していたようですが、
それってきっと、今でいうと、東浩紀さんが刊行する
『思想地図β』みたいなものかもしれない。
あるいは、モースのほうはもっと専門家向けだったのかなとも思いました。
そこにモースは書評や論文を多数掲載していたらしい。
博識の才人人類学者だったようです。

そんなモースの仕事をいろいろ解説している本書ですが、
これがけっこう難しいので、理解しがたいところが多々ありましたが、
そんな中、「供犠論」というのはなぜだか聞いたことのある内容でした。
生け贄をささげるときに、聖なる世界と俗なる世界がいっしょになるという話。
生け贄がそれらの世界の連絡橋のようになるという話。
文化がまだ未成熟というか、近代化していない、アジアなんかの部族の話ですが、
まぁ、現代人からしたら物騒だし、怖いと思うような習慣ですよね。

そして、モースといえばこれだといわれるような主著だそうですが、
『贈与論』というのがあって、この解説を読んだ時には、ちょっと面白い発見があり、
この本を読んだ甲斐があったとおもったほどです。

『贈与論』現代に応用するように頭の中で考えてみるとすごく深いのです。
温故知新的ですし。これって現代の、成熟社会に進んでいくこれからに役に立ちそうと思えました。
トレーサビリティには、隠されたというか、
みんな気付いていなそうなコトがこの『贈与論』であぶり出されています。
誰それのとった魚です、誰それの農家で作られた葡萄です、誰それの牧場の牛乳です、などなど、
そういうのって最近増えてきたけれども、そういう連帯の感覚があってこそ生産性は伸びるのだ、
というのがモースの考えのひとつです。
技術革新があっても、賃金が増えても、そういう人から人への贈与の感覚が欠如していて、
誰のために作ってるんだかわからないという状態だと、
生産性は低下していくんだよとのことで、それってなんかわかる気がするんですよね。

たとえば『ほぼ日』の商品って顔が見えるでしょう。
ああいうのは、古代からの贈与の感覚である
「自分自身の何か、自分の生命、自分の時間がモノに宿っていてそれを交換している」というのと
繋がると思うんです。モースの『贈与論』はそういうところで深くて温故知新。
そういう、顔が見える商品、商品に込められた生産者の時間や生命力みたいなのを
感じながらやっていくという経済活動って古代の感覚で、
そこに回帰・再考することで経済の活力、みんなの働く意欲も増すんじゃないかって思えてきます。
イノベーション以上に大事なんじゃないだろうか。根本なんです。

現代でも、このモースの『贈与論』を源として、
連帯というものに注目して論じる本を出している研究者もいるようです、あとがきによると。
僕なんかもこの本を読んでハっとしましたから、すごく重要なコンセプトのように思えます。
現状や21世紀の停滞した先進国の経済や労働状況を打破するヒントになるんじゃないかな。

モースは社会主義者ですが、共産主義者でもマルクス主義者でもないということです。
なんだかわかりにくいですが、違うものだそうです。
そういえば、日本は社会主義国だって言った自民党の議員の人がいましたが、
現代にモースがやってきて、日本という国の有り様を見たら、
なんていったでしょうね、意外と気に入りそうな気がするんですけども。


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W杯2014 VSギリシャ

2014-06-20 18:52:23 | スポーツ
W杯第二戦のギリシャ戦。

相手が前半の内に一人退場になったにもかかわらず、
数的有利を活かせずに、0-0のドロー、勝ち点1となり、
決勝トーナメント進出のチャンスは薄くなってきました。

代表に足りないのは「化学反応」だけと言っていいかもしれない。
みんながただだまって待っていては化学反応は起きないです。

誰かが、誘え、セッションに。
それに乗るんだ、日本代表。
誘えったって、自分勝手に動いて「俺についてこい!」
っていうんじゃ、しらけちまうからね、
「どう?」っていう感じで動くのがいいよ。
抽象的な言い方だけどさ。

リーグ戦最後のコロンビア戦は朝5:00キックオフで、
起きるのが辛い…のだけれど、みて応援します!
がんばれ、日本代表!

化学反応さえ起これば、他の細かいところは無かったことになるくらいの
リターンがありますよ、きっと。

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『ソロモンの犬』

2014-06-19 22:04:31 | 読書。
読書。
『ソロモンの犬』 道尾秀介
を読んだ。

主人公を含む4人の大学生の青春とつながる、とある事故。
その事故から広がっていく運命と人間模様。
この年代の人たちからしか発せられないような滑稽さと素直さと、
そこにはやっぱりある、恋の花や芽のビタースウィートさ、
そういった生活を飲み込みながら最後まで走っていくミステリーでした。
面白かったです。

道尾さんの文体は、序盤のほうなんかはともすると、
自分の他所行きの文体に似ているかもしれない、と
思いましたが、どんどん内容が深まっていくにつれて、
その体力、知的体力も含めた持久力と、クスっと笑えてしまうセンスなどに
「やる人だなぁ」と思いました。
素人が書いたフリーの小説は、このWEB世界に数多ありますけれども、
やはりお金を払わなければ読めない小説には、それだけの力と面白さがあります。
勉強量もけっこうなものと見受けましたし、そのあたりの真面目さも感じられるのに、
文章には砕けたことを表現していて、なかなかに幅の広い人のようです。

ミステリーで読みやすくて面白くて深さもあるといえば、
伊坂幸太郎さんが思い浮かびます。
彼の作品をどんどん読んでいきたいし、彼がその業界・世代では抜けているのかな
なんて思っていましたが、道尾秀介さんのレベルも高かったですね。
全力投球している感じが好印象。
さぞかし、充実感もあるでしょう。
さわやかな技巧派という印象を受ける、今作でした。

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社会からの逸脱欲求と創造性。

2014-06-18 15:45:22 | 考えの切れ端
タバコって、新大陸として発見されたアメリカの
ネイティブアメリカンからヨーロッパに伝わって広まったものなんだね。
大航海時代に広まっていった嗜好品。

年齢制限があるからこそ、酒とかタバコとかに反社会性を持たせて
未成年が飲むこともあるわけだけれど、反抗精神の象徴みたいな気持って
20歳を越えてもまだあった気がする。
それは僕が20歳を越えても学生だったのが理由かもしれない。
酒はそこそこに飲まなくなり、タバコは頑張ってやめた。

年齢制限もそうだけれど、酒もタバコも
気分などに関係する化学物質を体内に取り込むことだから、
そういう意味での、逸脱行為としての気持ちよさもあるわけで。
ドラッグもそうだが、逸脱したい欲求、常日頃から脱したい欲求が、
それを摂取させる。

だからかもしれないけれども、そういうのは「一種の安易な逃げ」に見えてきたりも。
逸脱なんかの欲求は創造面だとかで発散する方法もあるので、
そうしないでただ溺れるようなのはかっこよくない(と思えるようになってきた)。
まぁ、ほどほどに、だよなぁ。

酒を飲みながら絵を描く画家、
タバコを次々と吸いながら文章を書く作家、
ドラッグをやりながらプレーするミュージシャン。
そうしないとスイッチが入らないのか。
そういう化学物質無しで逸脱する自信がないのか、
そうすると戻ってこれない怖さがあるのか。
化学物質無しのクリエイターは腹がくくれてるように見えませんか。

人間は社会的な生き物だから、
ノーマルな状態で社会生活をしないといけないという、
ノーマルへの重力を感じながらみんな生活をしている。
だから、しらふで逸脱できちゃうと、
社会的な生き物である人間の、
人間性そのものの在り方に問題がでてくるんじゃないかなぁ。

だからこそ、
正気でもって逸脱できるのはすごい人で、
正気を失って逸脱するのは病人ということになる。

と、頭で考えてみたものの、
でも、ホントのところはどうなんだろう?
過剰な真剣さを薄めてちょうど良くするために、
酒やタバコを飲むというのはあるだろうか?
力みをとる、というような意味合いで。
それでも、やっぱり、そういう化学物質を取りこまないで
自分自身で調子を整える方法をもっているほうが
かっこよく感じてしまう。

ちなみに、ヤクザやマフィアといった逸脱は省きました。
彼らは自身の両足を社会の枠組みからはずれたところにつっこんでいる。
ここで論じているのは、片足だけ社会からはずれたところにつっこんでみている、という、
まぁ、まだ通常の行為です。
通常といいつつ、前出のドラッグは、
違法だし身体が蝕まれるからやるべきじゃないですね。

また、社会性を反映した作品、だとかってよくありますが、
音楽にしろ小説にしろ絵にしろ、
そういうものがもうすでに逸脱的な存在だったりしないかな、
と思っての考えでした。
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W杯2014 VSコートジボワール

2014-06-15 15:46:12 | スポーツ
ついに始まったW杯2014ブラジル大会。
そして今朝、日本の初戦であるコートジボワール戦が行われましたが、
残念でしたね、1-2で逆転負け。

長友選手からのパスをすぐさま決めた本田圭祐選手の先制点は見事でした。
日本の特徴はたぶん、早い展開、つまりパスなり動きだしなりが、
相手の意表を突くというか、相手がよくわからないうちにフィニッシュを決めるのが
形だと思うんです。ゴールまでの構築の素早さと、
そのイメージの共有あるいは即興ですよね。
それが短い間だけれど見られたのが、この先制点。
こういうのは、日本選手各位が意識してかかるべきなんじゃないかなと思ったり。

また、今回のコートジボワール戦は、試合会場の天候、
つまり暑さや湿度の高さによっての苦しさからかもしれないですが、
スタティックなサッカーに見えた。
別に、ダイナミックであれというわけではありません。
スタティックにしろダイナミックにしろ、
攻守の意識が感じられるようなサッカーをしたらもっといいんじゃないかな。
今の感じだと、攻撃の時にも攻撃の意識は65%くらいであとは守備の意識が35%で、
守りの時には守りの意識が65%で攻撃の意識が35%で、くらいに感じられる。
これを、攻撃の時には攻撃意識を80%以上、守備の時には守備の意識を80%以上、
そうやって大きく気持ちを切り替えながらやってみたらどうだろうと思うのです。
それは消耗が激しいかもしれないし、もしかすると会場の天候によっては全く問題なくできる、
っていうものかもしれない。

日本のサッカーって特徴がなかなか見つけられないって言われます。
一時、スペインのサッカーを目指したらいいといわれたりもしました、
日本と同じくスペインの選手たちも小柄だから。
でも、結局はそうならなかった。
でも、日本のいいところってあると思うのです。
堅守なんかはそうだし、フィニッシュまでの構築を早くして相手が右往左往、
あるいは棒立ちになるっていう攻撃の俊敏さもそうですよね。
そこは自信を持って、さらに意識を高め、イメージの共有または、
即興で作り上げていくセッション感覚を持ってほしいです。
スタティックなサッカーでそうしていくとしたら、
コンセプトは「忍者」だね。

まだまだリーグ戦はあと2戦あります。
コロンビアとギリシャに勝てばきっと決勝トーナメントに進出できる。
優勝から逆算したら、選手のコンディションが今ピークなわけはないですから、
これからあがっていくことを考えたら、チームとしてのパフォーマンスも
次戦ではあがっていることと思われます。

というわけです。
応援します。

がんばれ、日本代表!
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『わかりあえないことから』

2014-06-14 22:16:12 | 読書。
読書。
『わかりあえないことから』 平田オリザ
を読んだ。

著者の平田オリザさんは演劇人で、
僕は大学生の頃に友人が録画してくれたNHK-BSか何かの番組で、
そこに出演されていたのを見たことがありますが、
どんな人なのかはそれから何年かを経て知ることになりました。
鳩山首相のスピーチの台本を書いていたりもしたみたいですね。
大阪大学では演劇を中心としたコミュニケーションの講義をされているようです。

僕の好きだったボウリングが出てきたり、
僕の住む街の名前が出てきたり、
前回読んだ、みうらじゅんさんの「自分無くし」に通じるような、
「演じる自分」を楽しむようにしていこうという主張だとか、
すごく自分にとって、自分とリンクした情報の載っている本でした。
こういうのって、運が良いというか、運命というか、
そういうものを感じます。

みんな、感じ方や考え方が違って大変ななかでどうしようか、
っていうまとめが最後の章なんですが、
そのへんの考え方というか、目のつけ方は、
僕の最初の短編小説に通じるものがあって、
自分の作ったのだけれど読みなおしてみようかと思うくらい。

また序盤ででてきたのが、いたるところででくわすアレ。
いったいどっちよ?どっちを信じればいいのよ?っていう
矛盾的指図だとか、規律と現実の矛盾だとか。
そういうのって「ダブルバインド」というそうですね。
社会や家庭やいろいろなところでのそういうのがひきこもりの大きな一因なんだとか。
「コミュニケーション解決能力を持て!」というのと、
社会に浸透する同調圧力。これも大きなダブルバインドだとか。
提案したり発言したりをよしとしながら、
一方では空気を読んで発言を控えろとか発言で波紋を作るなとかいわれるアレです。

建前が「提案や発言をしろ!」で本音が「波風立てるな、同調しろ」だったら、
社会はもう「GAME OVER」って感じがしました。誰も参加したがらない。
まぁ、本音と建前じゃなしに、やっぱりどっちも本音としてあるんでしょうね、
だからダブルバインドなんです。
それも全くもってよろしくないわけですが、
著者はそういうのも甘受して、受け止めていこうと言っています。
一段階ぐっとおなかに力が入るようでいながら、
力が抜けていくような決意が必要というわけです。

コミュニケーション能力が低くなったわけではない、
コミュニケーションの意欲が低下しただけだ、という観点から始まります。
僕もそんなにコミュニケーションが上手くはないし、
意欲もそれほどないような気がするので、
自分もまだまだ途上段階の若者であるかのように読みました。

わかりあえる、か、わかりあえない、か。
どっちを前提にコミュニケーションをしていくか。
僕は前にも記事に書いたことがあるけれども、後者なんですよね。
それで、共通項を探っていくけどもそれで万事がわかりあえたような錯覚はしないし、
わかりあえないと感じれば排除するというムラ社会的な行為はしない。
たぶん、これからもそうやって生きていきます。

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『さよなら私』

2014-06-10 11:47:52 | 読書。
読書。
『さよなら私』 みうらじゅん
を読んだ。

自分探しならぬ、自分なくしこそ大事なんだという、
みうらじゅんさん流「生きやすさへの道」説法。

極論めいたふうな語り口のところもありますが、
それであっても、読んでいて妙に「そうかもしれない」と
納得というか説得されてしまうのが、
みうらじゅんさんのマジックというか、
みうらさん流につかんでいる本質の伝え方のうまさ。

最近「意識が高い」なんていう言い方をする人がいますが、
意識が高いというちょっと背伸びした感覚をもてはやすことによって、
気付けなくなったり見えなくなったりする、
自分というものだとか物事のありようだとかの
ニュートラルな状態ってあると思うんです。
そういったものをわかりやすい言葉で、仏教の影響も受けてきている著者が
仏教の教えや自分のこれまでの葛藤などを元にして哲学しています。

こんな名言もありました。
「人を忘れた瞬間、人は幸せになれるということです。」
ゆるキャラを見てるとそうなるっていう気付きだけれど、
猫とか動物を見ている時にもそういう幸せ感ってあるかもしれない。
自分なくしこそ生きやすさに近づく道っていう考えの一つの面です。
自分探しじゃそうはいかない。

読みやすい文体で、内容もしっかりしていて、
読み進めていくうちにどんどん彼の世界観が近づいてきて、
クスっと笑ってしまったり、
ときには悦に入るくらいの可笑しさを感じたりもしてしまう本です。
著者流の性の解析みたいなのもあります。
読むと気分転換にもなってしまう、面白いエッセイでした。

角川書店(角川グループパブリッシング)
発売日 : 2012-09-25
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『魂にメスはいらない -ユング心理学講義』

2014-06-08 14:13:43 | 読書。
読書
『魂にメスはいらない -ユング心理学講義』 河合隼雄 谷川俊太郎
を読んだ。

1979年初版発行の本です。
もう35年も前ですが、今読んでも面白いです。

ざっくりとしてわかりやすく、
河合さんがご自身のしている心理療法のベースとなる
ユングの考えや経験、ご自身の所見などを語っていきます。
谷川さんはあくまでわき役として、質問を投げかけていきます。

これは!と思ったところを引用すると、

___

谷川:普通の人間は、その自己治癒能力ですか、それを不断に働かせているわけですね。

河合:普通は、それが適当にうまく働いているわけです。
   だから深く悩むこともなく深く治ることもなく、みんな生きているわけでしょう。
   いわば普通の人間は自分で自分なりの治療行為をしているわけですね。
   つまりすってんてんになるまでパチンコをするとか、
   途方もない大金を競馬で使ったりするとか、
   それなりにみんな治るための儀式をやっているんですね。
   日記を書くのも、友だちと話をするのもそうでしょう。
   それをもっと凝集し、非常にコントロールされた形でやるのがわれわれの仕事ですね。
___

というところがありました。
僕はここ何年かパチンコや競馬で大勝利したりすっからかんになったりを
何度も経験してきていますが、自己治癒のためと言われると、
腑に落ちるところがあります。
「えーっ?」と思う方もいるでしょうけれど、これはそうだと思いますよ。

また、昨日はAKBグループの総選挙がありましたが、そこで8位だったかな、
こじはること小嶋陽菜さんがしゃべったのがすごく面白かったんですけども、
この本を読みながらだったので、彼女から感じられる母性というものの強さに注意がいってしまって、
「母性」のいいお手本、つまり「母性ってなんだろう」と問う人に対して
この人が母性をよくあらわしているからよく見てみたらと言えるのは、彼女だと思いましたね。
あんなに、おんなおんなしたおんなのお手本のストライクみたいな人って実はなかなかいない。
母性って、いろいろ他人とかと繋がっていくもので「まぁ、なんでもいいじゃないの」
というものだというのですが、その逆のなんでも断ち切っていく心理っていうのも女性には
アニムスという名前で男性的なものとしてユング心理学では言われていました。
アニムスが強いのがよくわかるのがぱるること島崎遥香さんです。
でも、ぱるは横山由依ちゃんと仲良しだったり、孤立しているわけではないから、
病的とは全然違います。ちょっとアニムスが強いっていう。
思春期だとかにそういうのが出てきたりするっていいますから、
若い子だしそういうのがあるのかもしれないですね。

閑話休題。
インターネットでもそのシンボルの意味が辞書みたいに調べられる夢判断のサイトがありますが、
河合さんの心理療法での二枚看板みたいなのが、この夢判断と箱庭療法でした。
しかし夢判断については、たとえば黒猫がでてきたっていうのがあったとして、
夢診断サイトだと、それはこういう意味だっていうように、一対一で対応していたりしますけれど、
河合さんに言わせると、そんなのは違うっていうことになり、その人の現在の状況や夢の状況などによって、
重層的かつ多様に判断しないといけないらしいです。
それはそうだよなぁ、とかねてからWEBの夢診断のシンボル判断に違和感を持っていた者としては、
納得の行った発言でした。

そして「抑圧」の話も興味深かったですね。
子どもが悲しいとか痛いとかいっても、親とか先生だとかは
「痛くないでしょ!」「悲しくないの!」とかってなだめようとしますが、
それがその場限りの対処ではいいように思えても、そういうのが「抑圧」として
心の中、無意識のほうに溜まっていって病んでいってしまう。
言語化すると意識上にのぼってそれは癒しの効果がありますが、
知らず知らずに無意識に、澱のようにたまっていくと、
それは非常に破壊力をもったものになってしまうということです。
また話はAKBになりますけども、このあいだのノコギリでメンバーを襲った犯人は、
きっと、そういう無意識のほうに溜まったものが破壊力を持って、
自分を破壊するか他人を破壊するかのところで、他者を選んでしまったのかもしれない。
襲われた方はたまったものじゃないです。
(襲われたメンバーとスタッフの方は一日も早く元気になりますように)

巻末には谷川さんの詩や散文を河合さんが心理学者的解釈をする
というのが収録されています。
谷川さんの詩はよくしらなかったですが、数篇読んでみてすごく好かったです。
「はしれはしれおちんちん」というのが出てくる「男の子のマーチ」は
楽しくて楽しくて大笑いしそうでした。
散文も含めて読んでいくと、なんだか村上春樹さんに通じるものを感じたりもして、
さては春樹さんは谷川さんからも影響を受けているのかなと思ったりもしました。

この本に書かれていることをまぁ、日本人みんなが7割くらい理解して、ふまえていると、
きっと社会はもう少し生きやすくなると思いました。良書です。


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ボウリングからの引退

2014-06-04 18:57:19 | days
それまでなんとなーく好きだった「ボウリング」という遊んでる感覚の強いスポーツ。
おととしの12月に従兄とともについにマイボールを買い求め、
その扱いに慣れてきた頃に200点の大台を超え、
それからさらに上級者向けのボールを購入し、
自己最高の210点を2回マークするほどまでに上達していました。

が、しかし、
今年の2月末、競技中に腰を痛め、
3週間くらい辛くてほぼ寝たきりというありさまになりました。
もともと腰に椎間板ヘルニア(さらにいうと首にもヘルニアを抱えています)を
持っていて、たぶんそれが関係したのだと推測され、
それからというもの、ボウリングに行っていませんでした。

従兄とメールのやりとりをしていたら、
「ボウリングは腰に悪いから」なんて言われて、
そういうの知ってたのかよ、とツッコミたくなりましたが、
それを飛び越えて、もう引退しようと決意したのです。

面白かったよ、ボウリング。
腰が悪くなければ、まだまだやっていたかったスポーツです。
決して嫌いになったわけじゃない。
名残惜しくも、引退です。

好きな女子プロ選手は名和秋さんでした。

僕はまぁ、レーンのコンディションにもよりますが、
たいがい真ん中あたりから外側にふくらませて投げて、
それがカーブしてポケットを強襲するスタイルを基本としていました。
ストライクの気持ちよさがもう味わえないのはさみしいけれど、
しょうがないもんねぇ。
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