Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『第1感』

2021-02-28 23:00:36 | 読書。
読書。
『第1感』 マルコム・グラッドウェル 沢田博・阿部尚美 訳
を読んだ。

副題は、<「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい>です。

はじめての人と出合ったり、本物なのか贋作なのかわからない美術品とでくわしたり、そういったとき人は、無意識のうちに瞬時に正しい判断を下せるものなのだ、というのが、本書の大きなテーマです。逆に、情報過多になるくらいの情報をふまえて判断していくほうがよっぽど間違えるものだ、ということも明らかにしていました。様々な事例や研究から論立てしていく構成になっています。

誰しも第一印象が正しかったケースを経験していると思います。同様に、第一印象で間違ってしまった経験もあるでしょう。それは偶然の産物ではない、と著者は論じていくわけです。最初の2秒での判断を、本書では「輪切り」と呼びます。その瞬間の輪切りから情報を取り出して、人の無意識は一瞬のうちにただしい判断をするのだと。でも、そこには個人差があります。経験や知識、訓練といったものが積み重なっていてこそ、輪切りによる判断はうまくいくようです。また、輪切りから引き出されるさまざまな情報のうち、どれがその場合においてもっとも重要なポイントなのかも判断するカギになる。たとえば、輪切りから10の情報を手に入れたとして、判断に使うのはそのうちでも重要な3つだとかになるわけです。そういった判断、選択、決定の精度が経験や知識、訓練によって上がっていくもので、そうやって精度の上がった「第一感」はより正しく瞬時に判断を下すものだし、「第一感」を信頼できるようにもなっていきます。

また、アメリカでは警察による誤認発砲などで命を落としてしまう黒人のひとたちが多数いるのですが、そういう場合になぜ「第一感」が作動しないか、というところも本書の後半部で明らかにしています。そこには、自閉症の人とおなじように、人の心が読めなくなる心理が働くためだという理由がある。人の心が読めなくなるのは、興奮しすぎている状態がそうだといいます。また、同様に、心拍数が175を超えるなど過剰に血流がよすぎるようになると、これも興奮状態であって、人であってもモノとして捉えるような集中の仕方(これも自閉症的なのです)になってしまう。つまり、落ち着いていないと第一感を捉えられないのです。瞬時に判断する第一感といえど、自らが落ちつくための時間が必要であるのでした。あまりに短い時間での判断を強いられても、第一感以前の最低限の直観的反応しかできなくなるそうです。たとえば、とりあえず怪しい人物へと銃を構えるというような。

本書で特におもしろかったのは、表情からピタリとその人の感情や嘘をついているかなどを当ててしまう教授の話です。目は口ほどにモノを言う、といいますが、顔全体は目よりもモノを言っているみたいです。表情筋の動きや、できた皺から、その人が寛容な人物なのか凶暴な人物なのかさえ判断できるとのことです。そんな人の顔から、僕たちは日常的に第一印象で無意識に判断していて、好感をもったり嫌悪感を抱いたりします。まあ、判断する側の価値観も関係するわけですから、そのあたりも鑑みる必要がありそうだと、僕は考えましたが、人の顔にはそれだけありありとその人の人間性が表出されているのだなあと知ると、ちょっと怖さも感じました。

それと、この表情から人となりなどを当ててしまう教授が学生の頃に競馬の予想屋をやってかなり儲けたそうで、その予想の切り口がどうやら競走馬の心理を考えるものなのでした。あるレースである牝馬に負けた牡馬が、別のレースでその牝馬と一緒になり、となりのゲートに入ったならその牡馬は決して勝てない、だとか理論があるそうで。もうちょっと詳しく知りたくなりましたが、数行程度でその記述は終わっていて、惜しかったです……。

というところですが、読み応えのある良書でした。翻訳もよみやすいです。2006年発刊ですが、内容はまだまだ古くなっていません。言語化することで第一感が鈍ってしまう、という章もありそこもなかなか肯けるのですが、言語化でアジャストしていくことが良いのだ、とする現在の認知科学の方法論と照らして読んでみると、自分なりの咀嚼ができるのではないかなと思います。


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関係性の自律。

2021-02-19 13:52:28 | 考えの切れ端
ユマニチュードの本にでてきた言葉である「関係性の自律」についてずっと考えていてですね、つまりどういうことかわからなかったんです。それで今回、まずこの場合の「関係性」ってなんだろうというところに注目しました。たぶんこれは、「少しずつお互いがお互いに合わせること」、もうちょっとニュアンスを変えれば「少しずつお互いがお互いに合わせあうこと」なんです。

すると「関係性の自律」の意味もすっと解けてくる。お互いがお互いを尊重し、合わせる(合わせあう)範囲内で自律していくことだろう、と。「関係性の自律」と言う言葉に込められたもの、つまりこの言葉の大切な部分は、自分で何も考えずに他者から言われた通りのことをやらないこと、無批判・無批評といった体で行動しないこと、そして押しつけないことなのではないかな。自律する部分は保っていこう、というような。これには、やんわりと他律がまじっていながら、自律性の爽快さは保っていられる良さがある。

ちょっと話は外れますけれど、このあいだ芥川賞を受賞した『推し、燃ゆ』を書かれた宇佐見りんさんのWEBでのインタビューを読んだのですが、世の中では自律性を叫ぶ声が強いですが他律性についてだって救いがあるのでは(個人的意訳)、みたいな内容だったんです。そのうち『推し、燃ゆ』を読むときには、「関係性の自律」をそこに照らし合わせられるかどうか準備しつつ読んでみるのもいいかもしれない。実はもう、『推し、燃ゆ』は購入済みです。

毎日考えていたわけではないけれど、「関係性の自律」が腹に落ちるまで1年かかっているんですよ。亀である。まあ、それでもこうして自分なりに消化できてよかったですけど。

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『超入門! 現代文学理論講座』

2021-02-17 22:47:29 | 読書。
読書。
『超入門! 現代文学理論講座』 亀井秀雄 監修 蓼沼正美 著
を読んだ。

高校生向けのシリーズ「ちくまプリマー新書」からの一冊です。さまざまな現代文学理論のなかでも、とりわけ主要な四つの文学理論を解説する内容です。その四つとは、「ロシアフォルマリズム」「言語行為論」「読書行為論」「昔話形態学」。

国語教育でよくあるのが、作品の「読み」そのものに必ず作者自身の性格や環境、書かれた時代背景などを加えるパターンです。そうやって読解することが深い「読み」であるとされる。また、受験の現代文で問われるのは、言葉の使い方のロジックの部分や正確で客観的なテクニカルな文章の読み方だったりします。前者も後者も、授業を聞いたり勉強したりしていると、まさにこれこそ学業ってやつだなあと、あまり良い意味合いではなく思えてしまいます。いくらか、不必要にすら感じられるくらいの苦痛を内包した学びになっていたりしてはしなかったでしょうか。

ただ、僕個人の経験でいうと、小学校の国語授業では、高学年になるにつれてある種の正解を求めるような読解に近づいていったような覚えがあります。でもまだどこか自由なほうで、「誰々君はここについてはどう思う?」なんて何人か先生に訊かれてそれぞれがそれぞれらしく答えても、初歩的なロジックの部分での誤読じゃなければ「そういう考え方もあるね!」とみんな認められていましたね。北海道の田舎の、進学校でもない小学校の国語教育ってそんな感じでした。中学校もそれに近かったような気がします。まあ、思春期になるにつれてどんどん学校教育とは距離ができていった(自ら距離を取っていったともいえます)タイプなので、その頃の国語教育がどんな傾向だったかはよくわからないことはわからないのですが。ただ、授業でいろいろ発言していたときに、先生が答えを言う段になって教科書にもどこにも書いていないような社会背景や作者の性格や環境がでてきたときには、「そんなのずるい!」と言ったような気がします。教科書に載っている短い作品それのみからいろいろ考えて答えを導き出すゲームじゃないか、と言いたかったんでしょう。

閑話休題。

本書でまず最初に取り上げられる「ロシアフォルマリズム」は、作者の性格や環境、社会背景を考えるような読みはしません。そこに書かれている「ことば」の外にあるものを問題にしないのです。記号としての、機構としての、ことばをみていく。たとえば、そのような読み方で浮き上がってくる文学構造的な特質は、「異化作用」というものです。「異化作用」は、「日常的に見慣れた事物を奇異なものとして表現する《非日常化》の方法」です。そうすることで読み手は「そうだったか!」「そういう見方ができるんだ」と、知覚や意識が覚醒して活性化することになる。それこそが、異化作用の目的なのでした。それは、安定した日常に背く行為でもあります。日々安定したものとして見えていたものが、異化作用によってまったく別の形をして見えはじめる。ですが、そこで新たな気付きが得られるわけです。芸術の目的とは、まずひとつ、こういったようなことがあるのでした。本書での単純な例としては、「上は洪水、下は大火事、これなんだ?」というなぞなぞが書かれています。これは昔ながらの薪で沸かした風呂のことを異化しているのです。小説作品では、もっと長い文章量を用いて、積み重ねて積み重ねてリアリティとか実感を読み手にシンクロさせていって、それから異化して衝撃を与えたりしますよね。異化作用には快感もあると思います。

このように、「ロシアフォルマリズム」だけでも興味深くておもしろいのですが、つづく「言語行為論」「読書行為論」「昔話形態学」も同じくらい興味を惹く中身でした。とくに「昔話形態学」についてはプロップという人が多くの昔話を分析して見つけた31の物語構造が解説されていて、この31の約束どおりをプロットでなぞってみるだけでもいっぱしの物語ができるに違いないほどでした。また、僕個人がこれまで書いてきた短篇を思い返してみても、知らずしらずのうちにこの物語構造をなぞっていることがわかり、ちゃんとやれてたなという優等生な気持ちと、逆にステレオタイプめいてたかなという残念な気持ちとが半々な気持ちになりました。また、極論すると、「行って帰ってくる」のが物語である、となるのですが、読み終えてすとんと腹に落ちるかたちの物語って必ずそうだと思います。ただ、現代の小説って、そこを気持ち悪く終わるものもありますよね。うろ覚えですが、ポール・オースターの『ガラスの街』なんかは行きっぱなしで帰ってこなかったような気がしますが。帰ってくるけどいろいろ喪失している、っていう終わり方もありますよね。さまざまな可能性があってこそ小説はおもしろいともいえるので、31の定型の形のなかで自由をやる以外の方法もまだまだ残されているのではと思いました。亜種のように出来あがるものもあるでしょうし。

そういうところですが、本書によってもっと読み方が自由になる方はたくさんいらっしゃると思います。理論を知ることで読み方の地平が切り拓かれる。そんなタイプの開いた読書へとつながる本だと思いました。タイトルから受ける印象ほど堅くはないですよ。


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カクヨム投稿版『忘れられた祈り』

2021-02-13 14:17:52 | 自作小説2
小説投稿サイト・カクヨムに2013年作の短篇『忘れられた祈り(2021年直し入り)』をアップロードしました。

ここです。
https://kakuyomu.jp/works/16816452218600288859

最近書くものはあとで読みかえすと難解すぎたりして、要はへたくそなんですが、この頃の作品はほどよい緊張感と自由さと執筆環境面の比較的良好さが好結果をもたらしている作品だと自分では思います。
さながら青い鳥を探しに行ったかのように、幸せを求めて消えたミチル。彼女を愛するシュウの物語です。消えたミチルを探しだすべく、北の森へ向かうことになるシュウ。そしてペンダントの意味は? といった作品です。ご覧あれ。



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『小さな黒い箱――ディック短篇傑作選』

2021-02-07 22:45:12 | 読書。
読書。
『小さな黒い箱――ディック短篇傑作選』 フィリップ・K・ディック 大森望・編
を読んだ。

『ブレードランナー』として映画化された『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』が有名なフィリップ・K・ディックの短篇傑作選の第5集。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の元(創作のきっかけ)となった作品が表題の「小さな黒い箱」です。全11作品。

今回はじめて読んだフィリップ・K・ディックなのですが、彼の作品には映画『ブレードランナー』しか触れたことがなく、ゆえにディックはもっとハードボイルドなSF作家かとイメージしていました。どっこい、その作風にはユーモアとウイットがふんだんに感じられました。

SF作家をプレコグ(予知能力者)とみなす短編があって、舞台となる未来世界から時間旅行をした未来人が1950年代のSF作家の集まりにまじるのだけれど、レイ・ブラッドベリがでてきたり、アシモフを探したり、そこでの主要人物で未来に連れ去られるのが実在のSF作家だったり、ずいぶんくだけたことをやってるなと思いました。ノリはもはや同人誌です。

SF作家をプレコグとみる、なんていうのは、たとえば最近、IT企業が未来予測のためにSF作家を雇うなんてのが実際、現実にあったんじゃなかったでしたっけ? となると、ディックのイマジネーションと論理力、それら自体がまさにプレコグ的であり、自分でそれに気付いて「SF作家=プレコグ短編」を書いたようなもので、なんだかおもしろい。自己言及性が生じていますから。

またモノレール交通システムがよくでてきます。1950年代のアルヴェーグ式モノレール(ゴムタイヤモノレール)の登場で、それ以降はモノレール交通システムが普及していくと見られていたようですから、この近くの年代のSF小説作品での未来世界ではモノレールが走っていたりするのでしょう。アニメ化や実写映画化された漫画『映像研には手を出すな!』の舞台となる未来世界でモノレール交通システムが普及しているのは、そんな昔のSFへのオマージュなんだなあと納得しました。昔の時代に思い描かれていた未来世界の断片的実現を、創作世界で何十年もたった今やっているのでした。オマージュは、愛ですね。

特に好みの作品を挙げるとすると、次の二つになります。「ラウタヴァーラ事件」と「時間飛行士へのささやかな贈物」。二つとも、生から死への直線的な道理からはずれている作品です。前者はエイリアンによる蘇生が呼んだ過去の追体験が物語られていますし、後者は閉じた時間の輪のなかにいる者たちが自分たちの葬儀に参列するなどの奇妙な時間の送り方が描かれている。こういった死生観みたいなものを、ほとんど考えたことのないような分解の仕方をして再構築して物語ってみせるようなのものは、どうやら僕はおもしろいと感じやすいのかもしれません。不意をつかれるのに似てもいます。

SFは、現代物理学はもちろんそうですが、いろいろな理工系の知識に明るくなければ本格モノって書けないような印象があります。そればかりか、哲学や精神医学にも並大抵以上の知識をもって物語を構築していくようなイメージがあります。僕なんかはSF始めは「SF=すこしふしぎ」の藤子F先生で、藤子っ子としてSFに触れていますし、その後に手塚作品で『火の鳥』を手始めとして子どもの頃にいろいろ読んだものでした。そういった漫画作品と、『スターウォーズ』『スタートレック』といった映像作品が土台にあります。でも、SF好きのひとって、そういう子どもの頃の刷り込みを超えて、柔軟にいろいろと新たなSFにも対応できるような頭をしている気がします。少なくとも僕自身はそういうタイプだと思うんです。まあ、面白いですよね。

世の中には、こういったSFという世界も豊饒なものとして存在しているわけで、まだその片鱗しか知らないような僕にとっては、わくわくしてきますし、楽しくうれしい気分になります。


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広義のエンタメ短編新人賞が消滅

2021-02-01 22:42:31 | days
エンタメ短編の唯一の新人賞だった『オール讀物新人賞』が、次回より『オール讀物歴史時代小説新人賞』へと生まれ変わることになってしまいました。

僕にとってこれは大きな出来事です。なぜかといえば、エンタメ短編を突破口にすることを目標に、小説造形力を磨いていくその道程にありましたので。よりおもしろいエンタメ短編をつくっていくために歩いてきた道が右か左かの丁字路にさしかかってしまったようなものです。

まあでも、途方に暮れるようなことでもありません。それならそれで、丁字路の右か左かに振り切ってみるのも、逆に楽しくなるかもしれないし、あらたな自分が開拓できるかもしれないですから。そうなってしまったことは仕方がない、そこにこだわっているのは無駄に過ぎます。なので、まずは、

A:エンタメの長編に挑む
B:純文学の短編(から短めの中編)に挑む

のどちらかの道を取っていきます。

今月から書く予定で設定やキャラ設定をすすめ、ぼんやりとではありますが内容を思い描いていた作品があります。これはエンタメ短編向けとして考えていたのです。さてさて、ボツにするか、長編になるかどうか再考するか、純文学へと舵をきってみるか、の三択になりますね。

長編エンタメと純文学(短編から短めの中編を許容する)新人賞にはどのようなものがあるかについても検索して調べてみました。どうかなあと思うのが合計6つ。そのうち4つが3月31日締め切りで、内訳はエンタメ1つ純文学3つ。長編を2カ月で仕上げるのはちょっと今の僕には厳しいですから、もしも間に合えばですが、純文学のほうは狙えることになります。

焦らず行くわ、と思いつつ、でも今年はいつもよりも多く書きたい気持ちなので、とりあえず執筆してみる、という姿勢でいくかなあという予感はあります。いままでの取り組み方がスカスカだったと思えるくらい、読みも含めて今年はぎゅっと濃い内容でやっていきたいのです。考えながら書いてフィードバックして考えなおしてバージョンアップしていく、そんなトライアンドエラーで行きますよ。

そういうわけでして。ちょっとした転機がやってきました。

エンタメ短編新人賞一筋でやってこられた方だっていらっしゃると思いますが、めげずに書き続けてほしいです。能力を上げる機会だと思えばいいです!
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