Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『ゴルギアス』

2023-12-28 20:17:22 | 読書。
読書。
『ゴルギアス』 プラトン 中澤務 訳
を読んだ。


著者・プラトンの師匠である哲学者ソクラテスが活躍を綴った、対話型の哲学書です。タイトルになっているゴルギアスは人名で、当時著名だった弁論家です。著作も残っているほどで、弁論術の大家として広く知られ、弟子も多かったようです。また、余談ですが、100歳を超えて天寿を全うしたという説もあるそうです。BC400年前後の古代ギリシャ世界時代って、どんなふうだったのかあまり想像できないのですが、ソクラテスが刑死したのが70歳ですし、プラトンが病死したのが80歳です。なかなか豊かな時代だったのでしょうか?

さて、本書は弁論術を批判する本です。それも、ソクラテスが屁理屈に近いような論駁を激しく繰り返されながら、しつこくそれに相対していく姿が描かれています。その様は、本書の帯に「怒りの対話篇」とあるほどです。では、引用を中心にしながら内容にふれていきます。長めの記事になっております。


ソクラテスは、弁論家とは何か、との議論で「知らない者が、知っている者より、知らないひとたちのまえで、大きな説得力を持つ(p62)」とまとめています。対して弁論家ゴルギアスは言います、「ほかの技術などなにも学ばずとも、ただこの技術だけを学んでおけば、専門家にまったくひけをとらない(p62)」

この箇所はわかりやすいですが、もっと微妙なところを細心の注意で仕分けするように分析する議論が前後にあります。二千年以上前に考えられ書き残された考察が、まだまだ現代の問題を取り扱っていると、ここの箇所だけでも思いませんか。このあとさらに思考の範囲を広げながら、弁論術とはどういうものかをあぶり出していきます。

弁論術は、他人を支配するもの、言いくるめるもの、聴く者におもねり道筋をつけ誘導していくもの、とされます。ソクラテスが好むのはそういった「弁論術」ではなく、「議論」のほう。「お互いに学んだり教えたりしながら、うまく議論を終わらせるのは、容易にできることではありません(p56)」「このひとは議論に勝ちたいだけで、議論で問題になっていることを探求する気などないのだと思ってしまうのです。(p56)」としながら、そういった議論というものの理想形を目指しているふうなのが読み取れます。


最終の第三幕。ソクラテスがカリクレスにさんざん言われているシーンがあります(第三幕「カリクレス編」は序盤から丁々発止な応酬で、読んでると「うひひひ」というような笑みがこぼれてくるほど刺さってきてすごいです)。哲学なんて若者のすることでいい歳してまだ哲学しているなんて大人を見たら、あまりに大人げなくて殴りつけたくなる、と。

哲学にいい歳してまでふけっていると、自分で自分のことも守れない人間になっているし、社交場でのふるまいも知らなくて恥ずかしい。財産や名声を持つように励め、実生活を生きる技能を磨け、たくさんのよきものを持つものを見習うのだ、と、カリクレスはソクラテスに迫っていました。

カリクレスは、強い者が奪って何が悪いのだ、という考え方。また、不正をするほうよりも不正をされるほうが悪い、とする立場。この本の舞台、古代ギリシャでは不正はされるほうが悪い、というのが一般的ぽいし、今日でも、盗まれるのは本人が悪い、と特に外国ではそうなるなんて言いますね。日本でもそういう傾向はあるのではないでしょうか。

ソクラテスはカリクレスに、きみには知識、好意、率直さがある、と返します。たいていの人は、そうやって真実を話してなんかくれない、ぼくのことを心配してくれないからだ、と。つまり、ここではとてもシンプルに、「心配」は、「知識と好意と率直さ」由来の行いだと考えられるようにでてくる。
ちょっと横道にそれてしまいますが、「心配」ってなんだろうか、と考えていると、ソクラテスの返答って的を射ているなあと思いました。心配していることが興味や好奇心に見えるときは、その心配はおそらくこじれているし、憐みにまで感じられるときは、もっとこじれた心配なのではないでしょうか。興味や好奇心、憐みの情で見られたいとはなかなか思いませんからね。たぶん心配って、好意の段階でストップするべきなんです。


閑話休題。
引用していきます。
__________

カリクレス:(前略)ソクラテスさん。あなたは真実を追求するという。ですがね、これが真実なのですよ。つまり、贅沢をして、放埓に(欲望のままに)ふるまい、そして何ものにも束縛されないこと。[それを実現するための]しっかりとした後ろ盾を持つなら、それこそが徳であり、しあわせなのです。それ以外のあの飾りもの、つまり人間たちが自然に反して取りきめたことなんて、無意味で、なんの価値もないのです。(p188)

ソクラテス:(前略)さて、そんな愚か者たちにあっては、欲望で満ちた魂の部分は、放埓でしまりがない。それを見てとった彼(機知にとんだとあるイタリア人)は、その部分を穴のあいた大甕になぞらえた。いついなっても満たされることがないからね。(中略)そのような<秘儀を受けぬ者(=愚か者)>たちが、最もあわれなのだとね。だって、彼らは、穴のあいた大甕に、せっせと水を運び続けているのだから。しかも、同じように穴だらけの容器、すなわち、ざるを使ってね。(p190-191)
__________

→ソクラテスは、人間は節度を持ち、自分で自分に打ち勝って、自分のなかの快楽や欲望を支配することが大切だと説きます。それに対してカリクレスが上記引用のように、欲望のまま、思うままにふるまい、生きることこそがしあわせなのだ、とその考え方をストレートに表現したのですが、これは現代の経済偏重な考え方に鋭く通じていると思います(「神の見えざる手」を仮定して、人は自由にふるまえ、欲望のままに行動するんだ、と現代資本主義社会は経済学によってそう肯定されました。これによって、カリクレスのような考え方が再浮上した、みたいな現代だったりするかもしれません)。そしてソクラテスは、そんな考え方は、穴のあいた大甕と同じで、いくら注ぎ続けても満たされることはないのだと、たとえ話で論駁しています。


次にいきます。

__________

どうしようもなくろくでなしの人間は、権力者たちのなかから生まれてくるものなのだよ。もちろん、そのような権力者たちのなかに、すぐれた人物があらわれたとしても、なんらおかしくはないし、もしあらわれたら賞賛に値する。だって、とても難しいことではないか、カリクレスくん。だから賞賛に値するのだよ。なにしろ、不正をおこなえるだけの強大な力を持ちながら、生涯を通じて正しく生きるというのだから。(p316)
__________

→政治家は、その政治家的生において、だれかかから不正をされることや、自分が不正をしたときに罰せられてしまうことを最大の悪と考え、弁論術の力で、そうした悪から逃れようとするのです。自分の身を守ることが第一とするのが政治家的生なのでした(p390-391「解説」より抽出)。だから、上記の引用のように、政治家的生≒権力者からどうしようもないろくでなしの人間が生まれてくる、と言っているのです。

__________

それでは、政治家は何をなすべきなのでしょうか。ソクラテスの考えでは、政治家の使命とは、国と市民たちの世話をして、できるだけよいものにすることです。ですが、政治家はこの理念を実現できているのでしょうか。(p392-393「解説」より)
__________

→政治家が、自信の欲望を満たし、国を肥え太らせる、そのように奉仕するような政治家をソクラテスは非難します。また、見るべきところとしては、「国と市民たちの世話をして」だけではなく、そのあとに続く「できるだけよいものにする」が大切なのでした。前者だけならば、それも追従的な奉仕です。後者の、国も市民もよいものにしていく、というところが、それが良い政治なのかそうじゃないのかを見極めるポイントになります。


最後は、気になった部分をいくつか箇条書き的に記します。

p255前後。
「不正をする側が悪いのか、不正をされる側が悪いのか」と「哲学にいい歳してまでふけっていると、自分で自分のことも守れない人になっている」の別々の話題がひとつになる。自分で自分を守れないっていうのは、不正をされてしまうということにあたるのだ、となります。そして「自分のことも守れない」のところでは不正をされる側のほうが悪いのだという論調になっている。これは、僕のような人からすると、あまりにあんまりだなあという感想を持つ箇所です。
ソクラテスの言う「本当に悪いこと」は、不正をして、さらに罰せられないほうでした。つまりは、差別をしたり馬鹿にしたり殴りつけたりするほうがまず不正にあたるのだし、それが罰せられないでいる人こそがもっとも悪い。悪い、というのはもっとも不幸せな状態である、という意味でした。

あと、意外だったのが、ソクラテスは、音楽や創作を程度の低いものとみなしている感じですね。これは古代ギリシャ時代の価値観として強かったのかなあとも思いました。音楽なんかは「快」に関わるものだから価値が低いとされてしまいます(そう考えると、現代でもそういうところはありますね)。彼は節度の人ですから。自分自身の秩序が保たれていると節度が生まれ、節度があると他人にも適切にふるまうことができ、それゆえに、正しく、敬虔で、勇気があることになる、とソクラテスは考えます。そして、そういった人は、あらゆることをよくなすことができるので、しあわせな人間だとなるのでした。


というところです。
二千年以上前の古代アテネの状況を踏まえたプラトンが、本書『ゴルギアス』という布石を打ってくれたわけで、現在でもこういった弁論の問題ってあるなかで、二千年以上前のアテネの状況との違いはその布石があるかないかだと思うんです。だったら、大いに『ゴルギアス』は活かされるとよい本ではないでしょうか。

光文社古典新訳文庫版は文章が読みやすいし、注釈をその都度参照できて、わざわざ巻末まで辿らないといけないタイプではなく、親切なつくりなので、気軽な感覚で古典に親しみやすいです。おすすめです。



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『死をめぐる、悲しみとまやかしの午後』(自作小説・43枚)

2023-12-25 17:00:00 | 自作小説19
 古河蒼太郎が死んだことを、岡島賢人は悲しんだ。あまりに突然だった彼の死の報せは、賢人に大きな途惑いを覚えさせ、やがてあるひとつの考え事に深く沈み込ませていった。

 *
 
 息を吸うと鼻の穴の中が凍てついてくる。それは、それほど寒さの冴え渡った夜半近くだった。横断歩道を渡りはじめてすぐだったらしい。歩行者である蒼太郎を確認せずに左折してきた乗用車に彼は轢かれたのだ。横断歩道は無人のはずだ、とそれが当たり前だというように決めつけたドライバーは一時停止をせず、アクセルを踏み込みつつハンドルを切った。ぶつけられた衝撃はかなりの大きさで、ダウンコートのポケットに両手をつっこんでいた蒼太郎は、そのまま勢いよく突き飛ばされ、丸太のようにごろごろと激しく地面を転がった。目撃証言によれば、とくに転倒したその最初の瞬間に頭をひどく打ちつけていた。真冬の二月頭とはいえ、撒布された融雪剤の効果のために、路面は剥き出しのアスファルトである。路面を厚く覆うほど雪の降り積もるような夜であったならば、また結末は違っていたのかもしれない。
 意識不明で運ばれた病院で、蒼太郎は翌日の夜明けの頃にはもう息を引き取った。回復の兆しは少しも見られなかったということだった。享年三十七歳。賢人らと同年の、彼が生きる時間の流れは、そうやって断ち切られたのだった。
 賢人はその日の昼休みに、宮家咲からの電話でこの訃報を知らされた。三人は、新型コロナウイルスが季節性インフルエンザと同じ「5類」に引き下げられたころ、結局は流れた同窓会の誘いをきっかけに連絡を取り合うようになり、再会も果たし、それから不定期に集まるようになっていた。
 賢人たち三人は十代の頃、かぐわしかったり酸っぱかったり甘ったるかったりじっとりしていたり眩しかったりしたいくつもの雑多な時間、そしてそれでいて派手さのあまり感じられなかった時間を共に過ごした仲だった。そんな過ぎ去っていった、代わりとなるもののない時間を想い出として共に携えている、なつかしい高校時代の友人たちだった。
 大きなショックを受けた賢人は、西区にある、店長として取り仕切っている道内大手小売チェーン店の、狭い休憩室の壁際に設えられている長机の奥のほうに腰掛けて、自店のから揚げ弁当をほおばっていたところだったのだが、咲からの電話連絡を受け終えた後、食べ直そうと持ち上げた箸の震えが止まらなくなり、震えた指のままで箸を置き、両手をふとももの上に置くと、パイプ椅子の背もたれに深く沈み込み、顎を引いて目を閉じた。左目のまぶたが、ぴくぴくと細かくけいれんしだしている。
 なんでまた、と賢人は蒼太郎が死んだというそのわけのわからなさに混乱する。鼓動が速く強く体の内側で響く。しかしそのうち、死んでしまったのか、と蒼太郎の急逝を現実の出来事として、諦めとして、飲み込めるようになる。そうして、賢人は悲しんだ。ひんやり湿った悲しみの膜の中に全身が包み込まれるようにして。

 それから二ヵ月近くが経った土曜日の午後早く、賢人は琴似駅から真駒内方面へ向かう南北線に乗っていた。車内はそれほど混んでいない。車両内側面のシートに座ることができた。
 咲は南平岸駅近くのアパートで一人暮らしをしている。蒼太郎と同棲する話がでていた矢先の事故だった、と賢人はあの日以来、何度か電話で話したなかで咲にそう聞いていた。引き払う予定が白紙のものへと変わった住み慣れたアパートの一室から小声で話す咲の電話越しの声。それは涙でくぐもることが多く、たびたび嗚咽に乱れもした。
 お互いが相手と別れたばかりだった蒼太郎と咲は、再会の日以来、まるで自然法則に逆らいでもしているかのように、不自然に見えるほどの力強さでお互いがお互いを強引に求めあい、あっという間に結びついた。あまりのスピードに、賢人はあっけにとられ呆然とした。いきなり置いてきぼりを食ってしまったその疎外感に、しばらく嫌な思いすらしていたくらいだ。
 もうどうしていいのかわからないくらい、悲しい。咲は電話で何度も賢人にそう訴えた。咲が蒼太郎の弟から四十九日法要の日取りの連絡を受け、そして出席を終えた夜に、賢人は、次の週末にいちど会って話をしないか、と持ちかけたのだった。
 地下を走っていた南北線の車窓の暗闇が一気に地上の風景へと開かれる。賢人の気持ちも、内向きなものから外界に対するものへと、車窓の劇的な変化がもたらす強制的な力によって、あっという間に切り換わる。降りないと。席を立つ。
 駅の出口はすぐに車道に面した歩道だった。今年の雪解けはもう終わりに近い。風は強くて路面は埃っぽかった。空は一面、薄灰色の雲で満ちていて、風がびゅううう、と鳴っている。どこからか舞いあがった白いレジ袋が一枚、そんな空の高いところを転がるように滑っていった。
 賢人は咲のアパートを目指し、地図アプリを確認しながら歩いていく。なにも持ちあわせていないことに気づき、途中でコンビニに立ち寄って洋菓子をいくつか買った。そういった時間も合わせて十五分ほどで、咲のアパートに着いた。葬儀以来に見る彼女の顔ははっきりと青白くて、すこしやつれたようだ、と賢人は思った。それでも咲は、賢人を見ると、化粧の薄い顔にいつもの自然な微笑みを浮かべ、今日はありがとう、どうぞ入って、と言った。
 あまり物の置かれていない静かな印象の部屋だった。黒味のグラデーションがかかったタイルカーペットがまず目を引く。壁際に置かれた背の低い横長の本棚は、眺める側へと角度がついていて並んだ本が見やすい。本棚の上の壁には紺地に幾何学模様があしらわれた小さなタペストリーがひとつ掛かっている。その向かいの窓には淡い暖色のカーテンがふんわりとまとめられていた。
「わたしの時間は、どうやら止まってしまったみたい」
 呟くようにそう言いながら、キッチンから湯気立つコーヒーのカップをふたつ手にして運んできた咲はモノトーンのセーターと明るめのブルージーンズという格好だ。全体的に丸みがかったアクリルテーブルの脇にある、ダークブルーの平らなクッションの上に座るとわずかに俯く。賢人は勧められた灰色のソファに腰掛けている。賢人の斜め右側に咲がいる。賢人は、咲が深い悲しみの奥底にいることを悲しく思った。
「思いつめないで。これはほんとうに、どうしようもないことだったんだからさ」
 その言葉が継がれることはなく、すぐに二人の間の空間は、しん、と静まった。沈黙がむず痒く賢人の耳の奥に響いている。お互いのカップはテーブルに置かれたまま手を付けられず、湯気だけがたゆたう。同じくテーブルに置かれたコンビニ洋菓子の、熊をあしらったイラストの入ったかわいらしい容器も、乾いたのっぺりとした絵面として目に映るだけだった。咲は小さくため息を吐くと、俯いたまま、小さな声で話し始めた。
「覚えているかな。私たちが知り合ったときのこと。なんだか最近、よく思い出すんだ。賢人と蒼太郎はクラスメイトだったけれど、私は違った。高校の三年間、一度もあなたたちのどちらとも同じクラスにはならなかった。だけど、放課後によく、同じ時間に、図書室にいたのよね。私は本が好きで、あなたもそうで、蒼太郎もそうだった。そのうち、なんとなく顔を合わせているうちに、蒼太郎が話しかけてきたのよ。そこから、友達同士のあなたたちに、私が加わることになったんだよね。変な言い方かもしれないけれど、それってとっても、必然だったような気がしたの。そのときだけそういう気がしたんじゃなくて、今振り返ってみても必然でしかないめぐり合わせだったって思う」
 そうだね、俺たちの出会いは必然だったんだと俺も思うよ、俺もよく覚えている、と賢人は同意した。
「毎日、図書館で顔を合わせて、それから近くの公園だとか、マックだとかに行って、やっぱり本の話はよくしてた。みんな、読んだ本の内容を教えたがったものね。今日は蒼太郎が語り、次の日は賢人が語り、その次は私が語り、っていうように」
 賢人の脳裏にもあの日々が小さな光となってきらめいた。当時、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の上下巻を文庫本で読んだことで、感情面や世界観が急激に変化を始め、そのまま丸ごと脱皮まで果たしたかのような感動を味わったものだった。二人に伝える言葉をもどかしく探りながら、つっかえつっかえになりつつ、気持ちばかりが先走りながら単語ばかりの力説をしたことを恥ずかしさとともに思い出した。咲は『ノルウェイの森』をすでに読み終えていて、村上春樹ってちょっと他とは違うよね、とそんな賢人に共感を示してくれたのだった。
「あの日々は、俺もはっきり覚えている。三人だけで完全だったっていうかさ。ほんとうに楽しかった。あの時期に世界は、俺たちみたいな三人なんかのために、不思議と特別な時間をつつましく用意してくれたんじゃないかって、思いあがったことを考えてしまうくらいだよ。無事、大人になったあと、その基盤としてあの日々は今もある、と言いたいくらいだしね」
 賢人を見つめる咲の目が赤いことに、彼は気づいた。
「蒼太郎が亡くなって、あの日々はもう壊れてしまったわ」
「いや、現在の力があの日々にまで及ぶなんてことはないんじゃない? あの日々はあの日々で、もう完結しているんだから。ずっと大切にしていくべき想い出の日々だろ」
「いいえ、違うわ。あの日々の意味は、もはや変わってしまったのよ。悲しみのための日々というべきものに変わり果てたんだよ。楽しかったはずの想い出は、悲しみっていう結末に向かって転げ落ちていくためのつらい想い出に変わってしまったの。楽しかった分、悲しみは深くなる」
 涙がひと粒、咲の左頬をつうっと伝い落ちた。ピアノの鍵盤をひとつ指で押したなら必ずポンと音が鳴るように、しかるべき当然の現象としてというような、なんら違和感を生じさせることのない涙の粒だった。
「そんなふうに考えちゃいけない」
 賢人は窓の外に視線を移す。先ほどと何も変わり映えのしない曇り空と、ここと同じようなアパートがいくつも立ち並ぶ住宅地がある。景色の奥のほうに見える道を歩く人は誰もいない。猫一匹、どこにも佇んでさえいない様子だった。
「あのね、武器商人の裕福な家で育った男の子の話、していい? 聞いてもらえたら、私の心境がよくわかると思う」
 賢人は咲に視線を戻し、出し抜けになんだろうと思ったが、口を開くことなく、うん、と発声だけで返事をする。咲の目はまだ赤いままだったが、眉間に薄くよっていた縦皺は消えていた。
「ある国に武器商人の夫婦がいたの。彼らはその頃起こった大きな戦争のおかげで、親から受け継いだ銃や弾薬の製造工場が大繁盛してとてもお金持ちになった。一生、なんの不自由もない贅沢な暮らしを送ってもお釣りが山ほど貰えるくらいにね。そして、子どもを作った。生まれた赤ちゃんは健康な男の子だった。召使いや女中たちにちやほやされて育った男の子は、そのうち学校に通いだす年頃になる。そこでも、教師からえこひいきされて、友達連中からも気を使われて過ごすの。自分の家はなんの仕事をしているのか、それについて男の子はまだ何も知らなかった。そして何年も経っていく」
 順風な人生といえば、順風な人生だ、と賢人は言った。咲は顔色を変えずに、そうなの、と言う。
「いつしか男の子は思春期の真っ只中にいる。ごく自然な成り行きとして、好きな女の子ができちゃうわけ。その女の子は、美しくて聡明な子だったの。男の子は、友達に協力してもらって、その女の子と仲良くなろうとする。女の子はしぶしぶ男の子の相手をしてくれるようになるのだけれど、一定の距離はずっと保ったままだった。ある時、あまり我慢するのが得意じゃなかった男の子は、たいそう苛立ってしまい、ついに強く女の子に迫った。僕は君のことがほんとうに大好きなんだ、もっと仲良くなりたいんだ、って。苛立ちからだけじゃなくて振り絞った勇気も後押ししたんだと思う。でもそのとき、男の子は女の子にこう言われたの。あなたは武器商人の家族、間接的に大勢の人間の命を奪ったし、間接的に大勢の人間に人殺しの罪を背負わせた、そうやって稼いだものすごい額のお金を力として、あなたは不自由なく生きている、そういう人とわたしは仲良くなんかしたくない、って。はっきりとね」
 ぬるくなったコーヒーを手に取って一口啜った賢人は、その女の子の気持ちはまあわかるな、と呟いた。咲は無言で頷いて応えると、続きを話し出した。
「男の子は幸せだったのよ。両親は毎日愛情たっぷりに接してくれたから嬉しかったし、召使いたちだっていつもにこやか。学校ではずっとみんなと友好的に過ごせていた、なにも疑うことなんかなくね。それが、女の子を好きになったことでがらがらと音を立てて崩れてしまう。女の子を好きになるなんて、悪いことじゃなくてとても素敵なことなのに。男の子は自分が今浸っている幸せのほんとうの理由を知ってしまう。そして、ほんとうの、ほんとうの意味では自分が幸せじゃないことに気づいてしまう。幸せじゃないどころか、見渡せないほど巨大でとてつもなく重い、悪、としっかり言えてしまうくらいの黒い宿命のもとに生まれてきたってことを。男の子は、女の子にほんとうのことを言われたときから、それまでの日々の意味合いがみるみる変わっていくのを感じるの。それまでの日々を男の子は、幸せな日々としてほんのわずかな疑いすら抱かなかった。でも、そうじゃなかった。女の子の一言で、これまで歩んできた日々の意味合いは、ほとんど正反対の重苦しいものへと変わってしまった。他人をすごく苦しめたもののおかげで、自分がどれだけ満ち足りた生活を送ってきたかを知ったから」
 賢人は、咲の言いたいことがよくわかった。でも、ただこの話と咲の心境とがシンクロしている部分をそのまま肯定してしまうのにためらいがあったし、それは実際、まずいことだろうとも思った。彼女の意識に鍋底の焦げのようにこびりついているものを引き剥がさないといけない。考えてというよりも、直感が鋭くそう叫んでいた。賢人は咲の話の感想を述べる。
「男の子も女の子もそれぞれに、なにも間違ってはいない。だからこれは悲劇ではあるな。それと、男の子が女の子に突き付けられて知ってしまった事実で苦しむようになる悪は、自分の意志でそうしたものじゃないのだから、男の子に罪があるとは決めつけられはしないんじゃない? 男の子に罪はないよ」
 賢人がそう言うのを聞きながら咲は目の前まで垂れ下がってきた前髪を横にかきわけている。その目が真剣であることを、賢人は認めた。
「生まれの幸せが、一気に不幸へと転じるところをよく考えてみて。この話で私が賢人にわかってもらいたいのは、そこなんだよね」
 賢人は論点をわずかにずらそうとして、男の子には罪はない、と言ったのだが、うまくいかなかった。咲は、自分の心境をわかって欲しい、とほんとうに強く願っている。賢人は、こうなったらはっきり言おうと決める。
「ねえ、咲。俺たち三人が過ごした日々は、君が話した男の子のようなそんなのじゃないよ。だって、俺たちの日々には、武器商人の家に生まれた男の子のように、武器の製造と販売という、男の子に隠された事実、あるいは、男の子が気づくことができなかった事実なんてまず存在していないんだからね。蒼太郎が三十七歳で死んでしまう予兆が、あの日々の中に隠されてあったかい? あのまま蒼太郎が偏差値の高い大学に入って、公務員試験をパスして市役所に入って、同窓会の誘いをきっかけにずいぶん久しぶりにまた三人で会うようになって、そして蒼太郎だけが事故で死んでしまう、そんなふうに運命が決まっているっていう神様の細工が隠されてあったと思うかい?」
「隠された細工なんてないわ。でも、そうじゃないのよ。蒼太郎が死んでしまったことは、私にとって、過去が意味合いを暗く塗り変えられて、死という終点に向かうだけのものとして閉ざされてしまうことだったのよ」
 今の咲はこのような気分に過度なくらい支配されてしまっている。そうはいっても、しかたのないことなのかもしれない。今日のところはこれ以上、深く話し合うことを賢人は無理だと判断した。とても残念な思いだった。この先、何度も機会を作って、時間をかけてゆっくりと解きほぐしていかないといけないようなことなんだと考えてみよう、とひとまず自分をなだめてみる。現状を飲み込むとうことを試みたのだが、でも待てよ、とひっかかってくるものを感じた。いや、ひっかかってくるというよりも、それが強く主張し始めようとしてくるような感覚を感じ取った。
 賢人は今日、咲の悲しみをすこしでも和らげてあげたくて南北線に乗りアパートまでやってきた。何度かの電話の様子から、咲のメンタル面に危うさを感じ取っており、とても心配していたからだ。実際に顔を合わせて話すことで、いつもの屈託のない仲間内だからこそのくだけた雰囲気が二人の間に再び漂いだし、そうなったときにタイミングよく賢人がちょっとおどけて見せたりすれば、咲にいつもの笑顔が戻るのではないか、というイメージだって頭の隅に描いていた。咲の悲しみによる痛みを緩和させられるのではないか、と。笑えるだなんて思ってもみなかった、久しぶりに気分がよくなったわ、なんて言われることを、期待をもって夢想すらしていた。アパートを訪れた目的はそういうものだった、ときっぱり言い切れる。だが現状は、そうなるにはシリアス過ぎた。
 なにも、簡単に考えてきたわけではない。結果的に、どうやら考えが浅かった、と降参せざるをえなくなってしまったほど、彼女の悲しみの根は異常なくらい深かったうえに、予想がつかないほど複雑に張りめぐらされていたのだ。
 賢人は、咲との間に流れた沈黙のうち、不意に、今を逃しては決定的にそれは終わってしまうのではないか、とあるひとつの考えに胸をざわつかせ始めていた。それが、主張し始めようとしてきたものの、第一声だった。そしてその声を受けて、頭をめまぐるしく回転させた。この状況下の今こそ仕掛けていくべきだ、という選択肢が浮上してくる、いや、甦ってくる。その選択肢とは、蒼太郎が死んでしまったあとほどなくして賢人が深く考え込んでいたときに、自分の中でまだまだ寝かせつけておくべきだ、ととりあえずの答えを出していた考えだった。それなのに、やるのだ、と行為を迫られる心持ちがしてくる。そればかりか、やるのだ、やるのだ、やるのだ、と強さが増していく。そうして、賢人は押し切られたのだった。今日はまだやるべきことではない、と決めて寝かせ付けていたことが、急遽、今日やるべきことに変わり、目を覚ましたのだ。
「咲は、これまでの三人の想い出の意味が、ぐるっと一変してしまうくらいに、蒼太郎が死んでしまったことから衝撃を受けているようだけど、俺にしたって蒼太郎の死はほんとうに残念だし、それに悔しいと思ってるんだよ。俺だってさ、そうなんだ」
 湯気の上がらないコーヒーカップを見つめていた咲が賢人へと顔を向けた。それから二人は少しの間、また何もしゃべることなく、自然に見つめ合う。賢人は思う。自分が咲のことを深く心配していることは、十分に伝わってはきたのだろう、と。心配は事実だ。偽りなどではない。しかし、もはや心配は、背後に目的を隠したものと賢人の中で捉え直されていた。やるべきことのため、そうなったのだ。来た道を振り向いてみた賢人自身の視界に、やるべきことがはっきり形として存在している。
 つまり、賢人はこの静かで短い時間を使って内省めいたことをしていたのだった。賢人はそのわずかな時間に自分の姿を自分で正しく眺めることができ、それゆえに、これからの自分の目的をはっきりと自覚したのだ。
 咲を見つめていた視線の焦点がいつのまにかぼやけていた。それに気づいた時に視線が揺れてしまったのだが、それが意味する内面でのたくらみが見透かされないように、賢人は自分を見つめ続ける咲の注意の追跡をかわすため、大げさに居住まいを正す動作をしてみせた。
「俺が来たのは、咲のことをほんとうに大切だと思っているからだよ。悲しんで、元気を失くして、落ち込んでしまうのはとてもよくわかる。だって、蒼太郎なんだから。だから俺だってつらい。それは咲もわかるよね?」
「わかってる。感謝してる」
 賢人はテーブルへにじり寄るようにして咲の方へとすこし近づいた。
「いや、感謝なんてものはいいんだ。俺は、蒼太郎を失った悲しみを、咲がひとりきりで抱え込んで欲しくない。だから、これまで俺たち三人がいっしょに過ごした頃のことなんかをさ、二人でたくさん話そうよ。そうやって、想い出を辿って、味わい直して、蒼太郎のやったことや言ったこと、姿や表情を懐かしんでさ、少しずつ蒼太郎の死を受け入れていこう。蒼太郎がいなくなった世界に慣れていく努力をしよう」
「あの頃の話をするのは賛成だけど、蒼太郎のいない世界に慣れるのは正直、自信がないな」
 賢人は、テーブルの上に置かれた咲の左手に自分の右手を重ねる。
「咲は一人じゃないから。俺がいるんだから。俺は咲にずっと寄り添っていける。そういう気持ちでいるよ。咲がつらいときには、俺にもたれかかってくれてまったく構わない」
 咲は眉を下げ、困ったように俯く。
「でも」
「俺たちは仲間なんだし。あの頃からずっと、気兼ねの要らない関係だったよ」
 アパートの横の道を小学生くらいの女の子たち数人が甲高い話し声や笑い声を立てて通り過ぎていったのが聴こえて、賢人はちょうど今までの一連の自分のふるまいに、両耳がぽうっとわずかに膨らむみたいな感じで発熱するのがわかる。白々しかった。心配しているのは事実だ、嘘なんかじゃない、と心の中で大声を発し、吹っ切ろうとする。だが、背中の体温までがかあっと上昇していく。俺はなにをしているんだ、と遠くからもう一人の自分に叱責される声を聴いたような気がした。
 俺は、悪いことをしはじめているのだろうか。蒼太郎の死に乗じた、悪いことを。咲の不安定さに付け込んだ、悪いことを。
 いや、待て、馬鹿らしい。悪いなんてことはないんだ。ここで躊躇する方が、自分の気持ちを尊重しないという意味で、偽善なんじゃないのか。自分の気持ちの向くほうに従ってやるべきことだと決めたことなんだから、この際、気にするべきじゃない。それに俺が咲に、これまで以上に近づくことで、咲は救われるに違いないのだし。咲の悲しみ、そして苦しみは、俺という存在が彼女の中で大きくなることによって、忘れ去られるのだから。ということは、お互いに前向きになれる利益があるのだから。
 確信があるからやっているとは言えない。ただ、やるべきこと、という言葉を思い浮かべると、走り出さずにはいられなかった。だって、そういうものだろう、自分に振り向かせたい異性への、そのチャンスに巡り合ったときの気持ちなんて。たとえそれが死に乗じたものだとしても、それは間違いなくチャンスでしかないのだから。
 賢人はさらにもう一度考えてみる。この状況で咲にアプローチして、うまくいっしょになって、幸せになることがおかしなことなのだろうか。アプローチをするきっかけについては、厳しく選ばなければいけないものなのだろうか。露骨に事を運ばなければ、そして咲の気分を害しさえしなければ、今のような機会であっても、いや今のような機会だからこそ、仕掛けてしかるべきなんじゃないのだろうか。
 死に乗じているからといって、蒼太郎が死んだことをそっちのけにしているわけではない。誓っても、彼の死自体は丁重に扱っている。でも、蒼太郎の死を深く悲しむよりも、咲といっしょになりたい気持ちのほうが勝った。それが、率直な賢人の心情、賢人の背後に、賢人自身に気付かれないまま隠れ続けた、やるべきこと、という心情、つい先ほど名付けられたばかりの心情だった。背徳、とは賢人は名付けなかった。優先されるべき情熱、と彼は名付けていた。
 咲にそのままのことを伝えては、拒絶されるに決まっている。太陽が昇る方向がずっと変わらないことと同じくらい明確なことだ。軽蔑される場面だってたやすく想像できる。だから、上手に偽らなければいけない。このまま滑らかに事が運んだとしても、次の段階へ移るのが早すぎる、とたぶん咲はとらえるだろうから、そうならないように細心の注意で、ほころびの無いように偽らなければいけない。それでも遅いくらいだ、と感じるのが賢人だったが。
 賢人は、口の中がひどく乾いているのを感じ、真夏の炎天下で喜ばれるに違いないくらいに冷えたカップの中身を一口啜る。咲が、淹れ直すね、と賢人の手からカップをもぎ取り、自分のものと二人分を持ってキッチンへと立っていった。

 賢人はひとり、ソファの上で前かがみになり指を組み合わせている。咲の心理は蒼太郎の死に捕らわれ過ぎだ、とあらためて考えていた。
「ねえ、咲?」
 キッチンの内側で、咲はデカンタに溜まっていく琥珀色の液体をじっと眺めている。先ほどまでの真剣さはどこかへ消え失せていて、両目にあまり生気が感じられない。彼女は、うん? と薄っぺらい声で返した。
「蒼太郎が死んでしまってからこのふた月近く、俺も俺であいつの死と真剣に向き合っていたんだよ。高校生の頃、あいつはたいてい哲学の本を読んでいたけど、気が付けばミュージシャンのことを書いた本なんかもよく読んでいたりね、そういった些細なところを想い出したりもしてさ。去年、再会してから、昔のことだってほじくりかえすようにいろいろ喋っていたのに、ひとりで想い出しているとそれでもまだすごく懐かしいと感じるんだよ」
「私もそう。彼と付き合い始めてからだって、二人でいろんな話をした。想い出話も含めて。それなのに、蒼太郎といっしょに想い返した時よりも、蒼太郎が亡くなってから私ひとりであの頃を想い出しているときのほうが、なんだかずっと生々しくてリアルに感じられるのよ。不思議よね」
「確かにそうなんだよな。妙な話だけど、蒼太郎が亡くなってからのほうが、想い出の解像度が上がったような気がする」
「そういえば、ミュージシャン関連の本は最近も読んでたみたい。秋の終わりころだったと思うけど、古本屋さんでベックの半生を綴った本を見つけた、って喜んでたもの」
 咲はさっと洗って拭いた先ほどのカップに、落とし終えたばかりのコーヒーを注ぎ始めた。賢人はその姿を眺めながら、想い出の解像度ってどうして上がったんだと思う? と訊いた。咲は、どうしてだろうね、蒼太郎を求める力が増したからかな、と賢人を見ずに答えた。コーヒーの香ばしくて好い匂いが漂ってくる。
「実はそこなんだ。あのさ、咲。これから俺が喋ることは、俺が自分を見つめ直して気づいたことなんだけど、たぶん咲にも当てはまることじゃないかと思う。ちょっと聞いて欲しいんだ」
 キッチンからテーブルに戻り、賢人と自分の前にコーヒーカップを置きながら、咲は、わかった、とまたダークブルーの平たいクッションの上に座り直した。
「おそらく、というか、ほぼ確かだと俺は思っている。どうして蒼太郎が死んでしまってからのほうが、想い出の解像度が上がったものとして感じられるのか。もともと、想い出ってあやふやで、こうだとは決めつけられないようなものだと思うんだ。なんていうかさ、想い出を中心に、蒼太郎、咲、俺が、その中心から伸びたそれぞれの長さのロープをつかんでいるイメージなんだ。それぞれの長さっていうのはね、その想い出へのインパクトの違いを表しているっていうかさ、強烈な想い出として残っている場合はロープが短いんだ。で、そんなロープをそれぞれがゆるくつかんでいる。ゆるく繋がっているわけだよ、想い出と。そして、そのロープの先に想い出があることを知っているから、その方向に注意を向けたり身体全体を向けたりして、想い出を見て感じることができる。そうやって、想い出を共有している。それが通常の、想い出に対しての姿勢だと思うんだよ。ここまでは、いい?」
「けっこう独特な考えだね。ここからもっと混み入っていったりするのかな?」
「いや、これ以上複雑にはならないから、安心して聞いて。だけど、ちょっと傷つく覚悟はしておいて」
 咲は背を伸ばし、まつ毛が弧を描いた目をそれまでよりも大きく見開いた。賢人は、ちゃんと聞いてくれているな、と内心ほっとした。賢人は話を続ける。
「想い出の解像度が上がって感じられるっていうのはつまり、想い出から手元に伸びているロープを引っ張るからなんだと思うんだ。そうやって、想い出を引き寄せようと力をいれて、実際、自分のほうへ引き寄せている、綱引きみたいに。あるいは、ロープの先へと腕力だけで進んでいくんだ、そうやって想い出に近づいていく。だから、想い出との距離が近くなる分、解像度が上がる。どうしてロープを引っ張ったりするのかといえば、想い出を求めてしまうから。もともと想い出は、それぞれが共有しているもので、それぞれに対して気兼ねしながらゆるくロープをつかんでいるはずのものだった。それが、急激な欲求にさからえずに、自分だけ想い出に近づいてしまうんだ。そして、想い出を求めてしまうそのきっかけ、欲求を生じさせたのは、蒼太郎の死だ。あと、これは今思いついたことだけど、想い出には蒼太郎も繋がっていたのに、その蒼太郎が欠けてしまったことで、力の均衡が崩れたのかもしれない。そうやって崩れた均衡が、ロープをつかむ俺や咲の手にそれまでと違う手ごたえを感じさせて、違和感のために手に力が入ってしまうのかもしれない。なんてね。そんなところだよ」
 咲は視線を横に流したまま何度も瞬きをしていて思案気だ。賢人は一口だけコーヒーを飲み込む。街灯が順々に灯りをともすみたいにして、その熱が胃へと降りていった。
「要するに、それは」
 咲はやっと口を開いてそこまで言ったのだが、そこでまた口を閉ざす。言葉がまとまらないようだった。
「そうだよ。想い出はそれぞれロープをつかんだ地点からしか見えない。まあ、事実という面で言えば想い出そのものは同じ想い出だよ。だとしても、咲には咲の、俺には俺の、それぞれの見え方があるし、理解の仕方がある。さらにそんな想い出を、ロープをたぐって自分に引き寄せて見てしまったりするんだ。そうやって解像度の上がって見えた想い出をつぶさに眺めて、涙を流してしまう。それってどういうことか。もうわかると思う。きつい言い方だけど、結局は独りよがりということなんだよな。独りよがりな心持ちで想い出を眺めたのだから、その想い出は自分だけの解釈を持った想い出にすぎないのに、自分が思っている意味しかないものとしての、いわば個人的な想い出を、みんなが共有している想い出なんだと勘違いしてしまう。そういうことなんだ」
 咲はまだ思案しているのだろう、すこし厳しい顔つきになっている。
「それで、話を進めていくけどね、蒼太郎の死を悲しむことも独りよがりということになるんじゃないかと思うんだよ。自分だけの解釈をしている記憶を元にして勝手なイメージを蒼太郎に当てはめてしまい、彼の死は悲しい、としているんだから。もともとの、揺るぎない事実から自分の思うように生成した記憶も、そこからイメージを作り上げたのも、全てが自分なんだ。自分で作り上げたものを、悲しいと言っている。蒼太郎の死を悲しむ? そうさ、自分が彼の死をこの上なく悲しむために、演出までしているんだ。自分ではそれと気づかずにだけど。実際、悪意だって無いんだよ。だからこれは、突き詰めていくと、蒼太郎を失った自分が悲しい、ということにならないか。蒼太郎の死が悲しいんじゃない、蒼太郎の死に見舞われた自分自身こそが悲しいんだ。俺はさっき、想い出を辿って、味わい直して、蒼太郎のやったこと、言ったこと、姿や表情なんかを二人で懐かしもうって言ってしまったけど、考えてみるとこれは対症療法的な些細な効果しか得られないもので、根本から克服する方法ではないんだと思うんだよ」
「よくわからないな。自分を憐れんでいるだけっていうことなの? 私は蒼太郎の死を悲しいと思っている。それがそうじゃなくて、自己演出をして、そのために悲しむことになっているっていうの? 自作自演みたいに言わないで」
 咲の強い言葉とは裏腹に、彼女の表情に表れた感情は乏しく、それまでの憔悴さえもがどうやら静止していることがわかった。それはまるで、十字路で呆然と、いま私はどこにいるんだっけ、と突然に見当を失ったかのように、そんな空虚さを咲は全身から漂わせていた。自分の感情の流れの、どこが上流でどちらが下流でといったような、自明のものとして知覚していたものが幻影だと気づかされたからだろう、と賢人は見てとった。
「無理もないことだと思うよ。人間はだれしも多かれ少なかれ、ほとんど無自覚にそういった傾向で生きている。俺も例外じゃない」
 咲はますます青褪めていた。賢人は、彼女に気の毒なことをしている、と表面的な心理の層ではやましさを覚えていたが、それに勝る実感的想像のほうにこそ包み込まれるように支配されていた。その実感的想像とは、身体中を勢いよくめぐり続けている自分の血液は、咲を自分のパートナーにしたいという欲望の粒子を飽和近くまで溶かし込み貪婪さに充ち満ちていて、それを肯定している感覚だった。自分が思い、考え、行動している基盤にあるのは、己の渇きを満たすための欲望だという自覚が、否定されることなく芽生えていた。
 咲の口元がわずかにわなないているのを賢人は見逃さなかった。このまま放っておけば、咲は元の自分に戻ろうとする。そういう力が働くに違いない。変化してしまってはいけない、と元々の自分の状態へ引きずり戻そうとする自身の力が働くだろうからだ。心理的な弾性、と賢人は言葉を当てはめた。負荷を跳ね返して元に戻る力。対するように、心理的可塑性、と賢人は思いつく。力が加わったことで変形したそのままの状態でいること。咲への負荷が、可塑的に作用すると、咲の心理はこのまま元に戻らず、あらたな形をとったままになる、あるいはそれ以上にもっと形を変えていくかもしれない。弾性が勝れば、咲は元の心理に戻る。自分が与えた可塑的変化が弾性に負けないよう、賢人は、なにか手を打たなければ、ときつく目を細める。目の色が暗く変化していることに、賢人自身は気づいていない。
「死は死でしかない。俺たちは、蒼太郎の死を都合よく弄んでいる。俺も、咲も、蒼太郎の死を、ああでもないこうでもない、と意味づけすることで蹂躙してしまったんじゃないだろうか。違うかい? それとも、凌辱したといったほうがいいのかもしれないか。咲、死は死なんだ。点のようなものだよ。もう意味づけするのは止めないか」
 咲は涙を流す。混乱が増している、と賢人は考えた。咲の涙は止まる気配を感じさせないくらいの勢いで流れ出ている。彼女は口を小さく開くと、嗄れた小さな声で呟きはじめた。
「蒼太郎の死。死んだこと。死の意味って。わたしはそんなこと。死。蒼太郎の死。どうして。死は死でしかない?」
「死は死だ。そのままの意味に何も付け加えることはないよ。蒼太郎の死はただの死だ。死という状態に個性も個別性もない。死は死であるのだから、つまり、純然たる死を受け入れよう」
 咲は頬を伝う涙をぬぐうこともしない。
「彼の人生が終わったこと、もう彼と関わり合えないこと、彼の考えを知ることができなくなったし、声すら聴けなくなったこと」
「純然たる死がもたらすものだよ」
「存在自体から醸し出されてくる、言葉にはならない感覚的な、蒼太郎独自だったものを、私はイマジネーションの中だけであっても再現するようにして感じたいのに」
「死は、眠らせておくに限る」
「死」
「それが死だよ」
 感情に深く訴えて止まない事実だった蒼太郎の死が、いまや賢人には深い意味をなさない事実になった。それはまもなく、咲も同じようになるはずだ、と賢人は考えている。もはや蒼太郎の死は、咲にも賢人にも作用しないし、影響を与えない。蒼太郎から咲を奪いとるために踏み込むタイミングはここだ、と賢人は構えた
「自分の気持ちが平板に感じられてくるわ、あなたの言い分を聴いたせいで。あれだけ感情に訴えていた蒼太郎との想い出が、もう遠くへ過ぎ去っていったみたいに感じられる。望んでいないのに」
 咲の鍵盤を容赦なく叩き続けた、蒼太郎の死が司る指先が止まったのだ。賢人は、話の流れをうまく運べたようだ、と思った。
「純然たる蒼太郎の死、というものを守るためなんだ。俺たちは、あまりにも誰かの死を混然とさせる。好き勝手に、色を塗る。自分の見たい場所に置く」
 二人で話をしていたさきほどまで、蒼太郎の死は生きていた。それがどうやら、今しがた、死んでいった。二人の間で死が死んだことを、それに成功したことを、賢人は感じ取っていた。純然たる死とは、解体された死であることを、賢人はわかっていた。そして、解体への過程は、賢人が意欲的に望んで道筋をつけたものだった。
「死はたった今、死んでいった。ようやく本来の死の状態になった」
 そのときの咲の様子が、彼女を自分になびかせようとしている賢人によっては、よからぬ印象へ変わった。敷いた道を逸れていることを瞬時に察知する。
「死が死んだ?」
 彼女の視線が宙を彷徨うように、揺れている。勝手な意味をもたされた死が意味から解放され、これまで自身が意味を持たせていたことを理解した咲はきっと、諦めるという手段を選び、だんだん気持ちを落ち着かせ、平常に戻っていくはずだと賢人は推測していた。蒼太郎が死んだ日から今まで、乱れ続けた咲の気持ちの足を地面につけさせる。その重力を賢人はこの場でもたらす自信があったのだ。だが、目の前の彼女の様相は、予定とはかなり異なっている。咲は言った。
「もっと死を見てみて、賢人。死をじっと見てよ。感じるものは無い?」
 死という一点だけを見つめる。それはまさに点なのだ、と納得する。なにも生み出さなくなる、なにも吐き出さなくなる、そうなることへの地点。だが、そうであっても、賢人にも感じられるものがある。それは、賢人にとっては逸らしてしまったほうがいいものだ。無視を決め込んでしまったほうがいいものだ。厳然として賢人にも感じられてしまっている、脱落感みたいなもの。
「喪失感」
 賢人は意味を知らない言葉を片仮名で喋るみたいにしてその言葉を吐きだした。心理の穴だけがある。前を向いたとしても、死が解体されても、穴だけは歴然としてそこにある。
「そうよ。死が意味を失って、喪失感だけが重く残っているのよ。純然たる死って賢人は言ったけど、それは不完全な死なのよ。死はたぶん、点ではないの。私たちが生きているっていうその仕組み上、点としての死は、不完全で、近寄るべきではない危険なものだと分類されるような死なんじゃないの?」
 手遅れだ、と賢人は思った。敷いた道は崩れ落ち、死は、画用紙に描き殴った「穴」の絵のようになった。それは、死という特異な地点。その人の生命が抜け落ちる地点。穴に底はあるのか、それとも穴の奥には行く先があって、どこかに続いているのだろうか。行く先があるのならば、蒼太郎はまだ旅をしている。だが、賢人は蒼太郎の旅を許さなかった。そういったことではなかったのか?
 涙の止まった咲がこれまで見せたことの無いような、苦悶に醜く歪んだ顔つきになっている。賢人の感情は浮遊しだした。どうやら咲の表情からだけではなく、五感ではっきり把握できていないところからのなんらかの影響を受けているようだった。腹の中で、不穏に沸き立つなにかを感じる。
「咲の言う通りかもしれない」
「賢人の言ったことはある意味ではまやかしで、でも、もう二度と引き返せないところまで連れて来られてしまったような気がする」
 その場から、言葉はもう、なにひとつ出てこなかった。

 その土曜日の午後はそうやって過ぎていった。賢人は咲の部屋を出て、駅まで歩き、地上から地下へ潜っていく南北線に乗って帰路につき、自室でこれまでの時間を反芻しながら、自分の感情や考えを省みた。おそらく初めから失敗していたのだと思った。
 翌日は日曜日で、出勤する日だった。かなり客の来店があるだろう特売日で忙しくなるはずの日だ。
 穴の重力は薄らいでいる。働いている最中には感じられないほどになる。くたびれてやっと退勤し、帰路、外を歩いているときはまだ、職場にいたときの活気づいた気持ちが火照って残っているのだが、アパートの自室に着くと穴は、賢人の背後で待ちわびたように開きだしている気がしてならない。
 賢人は咲と、同じ穴を宿す者同士として引き合い、再び語り合う日がくるのかもしれなかった。あるいは反発し合う、もしくは、双方が共に興味を失っていくものなのかもしれなかった。賢人の計画は消え去ってはいなかったが、これ以上、時が来るのを待っても仕方がないような気がした。
 それから幾日か経ったある日の帰り道の途中、たまに寄り道する書店に寄って、昨年発刊されて話題になった村上春樹の新作長編を買って読んでみようかと賢人はぼんやり考えていた。久しぶりに彼の作品世界を味わいたい気分になったのだ。この今の気分から抜け出すには、彼の小説のほかに無さそうだから。


<了>
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Merry Christmas!

2023-12-24 13:57:55 | days
メリークリスマス!

イヴに言っても間違いじゃないですよね?
身体も気持ちもあたたかに過ごせますように。これは特別な記念日に限らず、冬場のすべての日に言えることですけれども。

今、初稿が終わった短編作品の直しをしています。
書き上げたぞ、とその翌日に読み直してみると、混乱や錯綜、矛盾が目立っていて、僕の執筆経験上最高レベルの直し作業になるなあ、と気構えをして取り組んでいる最中です。
夜中に目いっぱいの力を使って書いたラブレターは役に立たない、みたいなことってよく言われるじゃないですか。もし夜中に書いても、ちゃんと読み直してちゃんと判断しろ、みたいな。この意味がなにか、体感としてわかるような初稿でした。

読書方面は、プラトン『ゴルギアス』の終盤あたりです。本編を読み終えてからは100pほどの解説もこのあとに読んでいきますので、レビューを書くにはもう少し時間がかかりそうです。年内、レビュー・感想をアップするのは、この本プラス、もう一冊できるかなあ、とったところでしょうか。

まず短編を仕上げたいので、読書はあと回しです。読書記事を読みに来てくださる方、申し訳ないです。短編は、できあがれば年末年始の期間内でも無理くりアップするかもしれません。まあまず出来上がってから考えます。……と、近況報告になってしまいました。

それでは気を取り直して。
よいクリスマスを。
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『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。』

2023-12-12 21:35:13 | 読書。
読書。
『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。』 ほぼ日刊イトイ新聞・編
を読んだ。

「岩田聡 任天堂元代表取締役社長 世界中のゲームファンとゲームクリエイターに愛された人。」(帯より)

__________

「いまあるものを活かしながら手直ししていく方法だと2年かかります。いちからつくりなおしていいのであれば、半年でやります」(p193他・糸井さん制作のゲームソフト『MOTHER2』が頓挫しかかって、HAL研究所社長だった岩田さんに糸井さんがお願いしたときに岩田さんが言った、伝説的な言葉。)
__________

糸井重里さんが『MOTHER2』を制作していた時期に、糸井さんがヘルプを申し出たことで、糸井さんとの交流がはじまった岩田聡(いわたさとる)さん。当時彼はゲーム制作会社HAL研究所の社長であり、そののち任天堂社長となられて、ポータブルゲーム機「ニンテンドーDS」や家庭用ゲーム機「Wii」をつくって世に送り出し、世界中のほんとうに大勢の人たちをよろこばせた方です。僕は大人になってからほとんどゲームをしなくなりましたが、それでも「ニンテンドーDS」は買いましたねえ。それも発売まもない時期に、「これ、なんかいいぞ、たぶん、きっと、絶対」みたいな妙な予感とともに買ったのでした。

本書は、ほぼ日や任天堂のサイトに掲載されている岩田さんの言葉をあつめてほぼ日刊イトイ新聞スタッフが編集したものです。半生記的な章、考え方を知れる章、個性を知れる章、岩田さんはどういった人を信じるかの章などなど、うまくまとめられていて、「おもてなしの読書感覚」すら覚えるくらい仕上がった編集本だと思います。人物特集本であっても、本人の言葉がダイレクトに(でも言葉自体はやわらかです)響いてきますから、堅苦しくありません。そこは岩田さんのひととなりとリンクした造りなのかもしれないぞ、と思いました。

そうやってできているこの一冊まるごと、クリエイティブに満ちています。クリエイティブというものを知ることができますし、多少なりともクリエイティブを知っていると「そうそう、それがクリエイティブ!」と肩を叩き合いたい気分になったりもします。そして、自分のなかにある未言語化クリエイティブを、「そのあたりのことを、うまく言語化されているなあ」と、岩田さんの言葉で客観的になぞったりする経験も本書にはあるでしょう、僕はそうでした。

また、なんていいますか、岩田さんは、社会の真っ只中にいながら、本書に掲載されているような真っ当な言葉をこれだけ言えていて、実際にそうやってこられたということが、僕には信じがたく感じられるのです。触れ慣れていない「希望」か「奇跡」のようなものが、実際に存在しているんだ、と知るみたいに。

岩田さんは高校生のころから特殊な電卓を使って複雑なプログラムを組んでゲームを作るなんてすごいことをやっています。技術者としてのトップクラスさが、経営者としても通用したふうにも感じられる。それはもちろん経営者になって一から考え学んでという日々を経ていることがあるのだろうけれど、もともとの思考部位がかなり鍛えられていたからじゃないのでしょうか。そう思いながら読み進むと、まさに岩田さんご自身が、そうである、と話していました。

たとえば、本書の最後のほうですが、彼の思考システムがどういうものだったのかが知れる言葉がありました。
__________

疑問を感じたら、きっとこういうことなんじゃないか、という仮説を立てる。そして、思いつく限りのパターンを検証して、「どういう角度から考えても、これだったら全部説明がつく」というときに考えるのをやめるんです。「これが答えだ」と。(p210)
__________

これって、プログラマーとしても経営者としても、どっちにも通用する姿勢ではないでしょうか。それもしっかりした仕事を成し遂げる姿勢です。こういった問題解決への臨み方は本書序盤でも見受けられて、いろいろ考えさせられたので、以下にちょっと書いていきます。

「問題」には、具体的なものや抽象的なものがあるし、具体的と抽象的のあいだでそれらのさまざまな割合のものもあります。問題解決が得意な人って、それらどのタイプの問題も毛嫌いしない人で、だからこそ具体的・抽象的な問題を問わず場数を積んでいるんじゃないかなあと思ったのです。たぶん、具体的でそれほど混み入っていない問題を多く解決していくことから、解決能力に実力がついていくんじゃないでしょうか。いくらか力がつけば、抽象度の高い問題にも、まったく歯が立たないわけではなくなっていくのではないか。

「アイディアとは複数の問題を一気に解決するものである」(p104)という宮本茂さん(『スーパーマリオブラザーズ』や『ゼルダの伝説』などの開発者で、岩田さんとはアイディアや思考を発展させ合う関係)の言葉がでてきたところで、それを岩田さんがご自分の経験から考えながらご自分の言葉で咀嚼しているさまがあります。そこの部分も、問題解決を考えるのに、大きな示唆のあるところでした。

問題解決に慣れていないうちは苦手なタイプの問題(抽象度の度合いなどによる)に触れたとき、どこから手を付けていいのかまったくわからなくなりますよね。また「この手の問題って扱いたくないんだよね」と苦手意識が生じていたりもする。克服のためにはまず自分にとって解決しやすい問題に直面するその場数なのではないのでしょうか。問題を小分けにして、分析して、優先順位をつけて、ひとつひとつ潰していくという方法はあるけれども、アイディアが必要とされる「複数の問題を一気に解決する」ケースへの能力は場数をこなすことなのではないか、と思ったところです。



というところで、ちょっとばかり偏った感想になりましたが、最後にふたつほど引用します。
__________

やはり、人と違う道を取るというのは、本来恐怖ですから。「みんなで進めば怖くない」というのが、いまのふつうの社会での生き方なのに、人と違うことをしなければならない。「人と違うことをするとほめられる」というのが任天堂という会社のカルチャーではありますけど、違うことの種類も規模も大きく、人と真逆に行くようなときは、とくに恐怖が大きい。
しかし、わたし自身は、なによりも、従来の延長戦上こそが恐怖だと思ったんです。(p148)
__________

__________

ゲームのなかに意味もなく置かれている石ころがある。
「どうしてこれを置いたの?」と訊くと、
「なんとなく」とか言うんですけど、
「なんとなく」はいちばんダメなんですよ。(p159)
__________


いいところとしてではあるけれども、糸井さんに「野暮」とも形容されてしまうくらいの人格者で、おしゃべりによるコミュニケーションをほんとうに多用して、アイディアにしても組織の在りようにしても、建設的にやっていく方だったようです。それに、本書を読んでいると、実際、接しやすい感じの方だったのではないかなあと思えてきました。なにより、話しっぷりがいいんですね。どこか、安心して聞いていられるような。

そんな岩田さんの本でした。
受け継ぎたいところがたくさんありました。


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『PK』

2023-12-08 23:35:00 | 読書。
読書。
『PK』 伊坂幸太郎
を読んだ。

2002年ワールドカップアジア最終予選の試合終了間近に、日本代表チームがPKを獲得したことでW杯出場が決まるのですが、その場面での謎を、2011年に大臣をしている男が気にするのです。そういったところから始まる、「PK」「超人」「密使」の三作からなる連作短編です。「PK」「超人」は、同じような場面で事実が異なっているところがあり、そこは大切な注目ポイントなのですが、だからといってあとではっきり解き明かされはしません。そういう投げっぱなし加減も、読み手としての自由度として捉えれば、シンプルに、読み手の読み心地のよさにつながっている要素なんだろうなとしてみても、大きく外れてはいないのだろうと思います。

なんだか、どう書いてもネタバレになってしまいそうなので、とくだん内容には触れませんが、伊坂幸太郎さんらしい、さっぱりした軽さがあって計算されていて軽妙なおかしさがあって、読むことに没入させられる力がほんとに強力な作品だったことは書いておきます。アイデアも、ところどころの発想の飛んでるところも、冗談のセンスも、外さない人だなあと毎度ながら感心してしまいます。時間を忘れて夢中になって楽しんでしまいますからねえ。

「密使」はタイムパラドクスの解説や、タイムパラドクスが起こらない場合に世界が分岐する「パラレルワールド」論について、とてもわかりやすく登場人物が主人公に教えてくれている場面があります。いわば、主世界Aと、そこから分岐した並行世界A'やA"があるとすると、メインの世界はやっぱりAの世界だとこの作品では述べられている。ここを読んでいるときに、「でも、A’の世界を生きている人が、自分が分岐した世界の住人であり、目に見えている世界がメインの世界ではないなんて気づくことなんてできやしないし、A'もA"もそこの住人はその世界こそが唯一無二のメイン世界だと前提して生きているだろうに」と僕は思い始めてしまったのです。そうしたら、なんだか、ほんとうに今の僕がいる世界が分岐していないメインの世界なんだろうか、と強い疑いが生じてきまして。

というのも、「PK」「超人」と読み終えて「密使」にはいっていく前に、一旦『岩田さん』という本に移りました。任天堂社長でニンテンドーDSやWiiを世に出した方の考え方や言葉が詰まっているすばらしい本です。60pくらいまでを読んで、さて、それじゃあ『PK』に戻ろうと、最後の「密使」を開いた一行目が、<きっかけはポータブルゲーム機の予約だった。>でした。「ああ、岩田さん!」と思ってしまった(笑)。もうひとつ、本書の解説の最後、伊坂幸太郎さんのエッセイの文章が引用されて終わるのですけれども、そのほんとうに最後の一文が<仮面ライダーがいてくれて、本当に良かった。>なんですね。僕のユーザーネームは、仮面ライダー555を連想させるものだろうと自分でわきまえているので、ここでも、「ああ、仮面ライダーかい!」と思ってしまいました(笑)。そういうところから、この世界は、主世界であるとするならなんだか嘘くさいと思ったところなのです。……とまあ、ほぼ冗談ですが、それでなくても本作品の内容は不思議なものなのに、そこに奇遇と考えてよさそうなものまですり寄ってこられると、おもしろいもんだなあ、と掃いて捨ててしまわずに、取り上げておいて書き残したくなったのでした。あしからず。



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「善く生きる」とは、人生に意味を求めないこと。

2023-12-07 15:55:28 | 考えの切れ端
「人生には意味がある」と、いつしか考えている自分がいた。

私の場合、「好奇心を持って、いろいろな知識を得て、学び、考え、どんどん積み重ねていくこと」が人生の意味にあたる。それは人生の終わりまで続いていく、揺るぎない自明の種類のものだと考えていたので、ちょっと立ち止まって疑いを挟んでみるなんていうことは、試みようと思ったことすらなかった。だが、その「ちょっと立ち止まって疑いを挟んでみる」瞬間が昨夜、唐突に訪れたのだ。

「あれ? ちょっと待てよ、これってもしかすると」胸がざわめき、穏やかだった心の水面に薄い波紋が漂いだし、そのうち少し不穏に波立ってくる。「老境に達した作家が、自死してしまうことがある。これっていったい、どんな理由があったからなのだろう?」

脳裏に浮かんでいるのは、文豪・川端康成の自死について。

私は、川端康成先生の自死の理由を知らない。遺書が残されていたのか、近しい人に愚痴をこぼし始めていたのか、まったくなにも知らない状態で、「彼の自死」という事実のみと思いがけず向かい合ったのだ。

自分の人生に意味がなくなったから、死のうか、と決めてしまうことはあると思う。もしも死ぬ勇気が十分に湧いてこなくて死ねなかったとしても、人生の意味の無さに強烈にとらわれてしまったならば、自暴自棄になり堕落したふるまいを重ねていくかもしれない。川端康成は、前進・進歩という「人生の意味」を考えていたのではないのだろうか(世間体とかプライドとか、他にもあるでしょうが、そういった種類のものを省いた「ごく単純な想定」であることはわかっています)。

もしかすると、昨今の研究によって、彼の死にはいくつかの有力な仮説が立っているのかもしれない。でも、私は無知で、そして調べてみようとも思わない。だが、これは何かに繋がることだと予感し、自分で仮説を立ててみることにしたのだった。

* * *

老化が始まって、目や耳が弱くなったり、あらたに物事を切り拓いていけるような考えが進んでいかなくなったりしたとき、ちゃんとそういった自分のそれからの人生を肯定できるのか、と考えてみた。文筆業だったら、年齢的にピークを過ぎれば、書く文章の勢いがなくなり書くもののレベルが下がっていくことは考えられる。

人生を、「前進」「進歩」を柱として生きていたとしたら、その柱は必ず崩れ去る。だから、進歩すること、そして積み重ねていくことに「人生の意味」を持ってしまうと、危うい。

とくに子孫を残さなかった人は、自身が老いていって、それまでできていたことができなくなっていくときに、「人生の意味がなくなった」と感じてしまいやすいのではないか。そんな下り坂にさしかかったときに、息子、娘、はたまた孫がいたなら、彼らが進歩するさまを見守ることで、自分が次の世代を残したことに意味を感じて、精神が安定するのではないか。子孫の存在は、セーフティー・ネットたりうるように思う。

人生の意味、というものを設定しないほうがいい。そもそも、人生の意味、は幻想なのだ。人生は、「やれるうちはやったらいい」、というだけではないだろうか。命を懸けて仕事をする人、しなくちゃいけない人は、「人生は厳しいんだ」とはっきり言い切るけれど、成熟した社会においては基本的に、そんなに簡単に命なんか懸けるものじゃないんだと思う。人生において無理をする場合も、「やれるうちはやったっていい」、というだけだ。

人生の送り方に正解は存在しない。だから、ここまでいろいろと論じておきながら、これから述べる結論としての一言はとてもシンプルなところに行き着いてしまっており自分でも驚いてしまうのだけど、つまりは、ルールにのっとった上で(つまり、盗みや殺人などはしないという前提で)好きにするべきなのだ。「やれるうちは、やったらいい、というだけなのが人生」なのだし、そうであるのだったら、人生は好きにするべきなのだ。

ルール無用の行為だとかグレーゾーン内のズルい行為だとかで、他者を出し抜こう、自分だけ良い目を見よう、とはしない範囲で、人生って好きにするべきなんだ、それこそが善く生きることなんじゃないのだろうか、と今のところの結論がでた。

「人生には意味がある」と、いつしか考えていた自分は危うい。これはどういうことなのか、と考えられるうちに考えておかなければ、心の水面に生じる波の大きさは次第にもっと高く激しくなり、乱れる時間も長くなっていくのかもしれない。時としてそれは、死を望むようになるほどに。

* * *

ここからはおまけとして、わずかながら付記します。上記の結論で満足した方は、読み進まなくて問題ありません(ここまで読んでくださり、ありがとうございます!)。

* * *

では補足するように、ちょっとだけ続けます。

老人を見て、「存在しているというだけで、それだけでいいものなんだ」という洞察のある人ですら、自身に関しては厳しくて狭い価値観をあてていたりなどし、自分が老人になったときには、もはや生きている意味はない、と捉えてしまったりしないだろうか。価値を生み出せないことに罪悪感を感じるのだ。私なんかの場合だと、若い頃に達成したものや残した価値すらないのだから、なおさらだ。余生、という段になって、いままで頑張って価値を創出してきたのだから、休んでもいいのだろう、とはなりにくい。

人は、歳をとってから罪悪感をもってしまうことのないように、身体が動くころには仕事をする、という意味もあるのだろうか。でも、働けないくらいの障がい者の人たちはどうなるのだ。ベッドで寝たきりで仕事を持てない人も少なくないだろう。そういった人たちの人生に意味はないのだろうか。障がい者も、子孫を残さない人も、前進・進歩に傾いている人も、みんなすべての人が人生を精神的に貧しくしないで全うできる人生観があるといい。そしてそれが、「やれるうちは、やったらいい、というだけなのが人生」、「好きにするべき人生」とはならないだろうか。
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『現代オカルトの根源』

2023-12-05 21:39:35 | 読書。
読書。
『現代オカルトの根源』 大田俊寛
を読んだ。

スピリチュアルもUFOも、ヨーガによる覚醒も、オウム真理教や幸福の科学、そしてそれらの源流となったいくつかの新興宗教の教義も、それら現代に息づくオカルトは、「神智学」という根を持っています。

さらさら読めてしまう新書の範囲内に収まる本ではありますが、それでもそれぞれのオカルトの要所要所をつかんで書かれているので、かなりくわしく読んでいくことができます。しかしながら、荒唐無稽な妄想ともいえるものをたくさん扱っているので、終盤にあたる現代日本の新興宗教までいくと、そうとう疲れてしまいました。

プロローグでオウム真理教の教義に触れているのですが、努力して進歩していこうとする「人間」と快楽におぼれて堕落した「動物(的人間)」という二元論を用いて、動物を駆逐して人間の王国を作ろうと信者を扇動しサリン事件を起こしたことを示していました。1980年代の東西冷戦時代、資本主義でもなく社会主義でもない宗教の王国を目指したのがオウムで、70年代から流行したノストラダムスの大予言に代表される終末思想が広く世の中に浸透していたことがその土台となったのでした。オウムはそういう土台の上での「排除の論理」だったか、と気づくに至りました。

時代と同期して生きていたら、その時代の最中では疑問に思いにくい領分ってありますし、その時代に勢いのある領分の論理に論破されて同化をせまられて困ってしまいそうな場面なんてものが、けっこうかんたんに思い浮かんでしまいます(マスメディアとか、テレビとか。大きなものを共有して時代と同期していると、そのときどきって、同期している感覚無しに同期してしまっているものなんだと思うのです。いまは、インターネットがそれにあたるのかもしれません)。はたまた、そんな彼らに冷笑や嘲笑を浴びても、それだけでは教義や宗教的信条が論理的に破綻しないので、冷笑などはレベルの低い者からの迫害であって、レベルの高い我々信者はそれらを乗り越えてみせなければならない、なんていう宗教的使命を強化させもしてしまいます。この「教義の頑健さ」が厄介です。そして、教義を形作る源に、「神智学」があります。

人間と動物(動物的人間)という分類にあらわれている「二元論」や、最終戦争が来ると予言する「終末思想」、そして「排除の論理」などは、オウム真理教独自のものではなく、19世紀にブラヴァツキーが誕生させた「神智学」を祖としていて、そこから無数に枝分かれしたうちのひとつに過ぎないのでした。



「神智学」を誕生させたブラヴァツキー夫人は、母親が小説家だったこともあるのでしょうが、幼少時には物語を作って周囲を楽しませる才能に長けていたと言われているそうです。ブラヴァツキーは7つの根幹人種というものを想定しています。現人類は第5根幹人種に位置し、第7根幹人種まで行くと、霊性としての進化が終わる、すなわち、完成されるという論理になっています。

「神智学」以来のオカルトは、輪廻転生のシステムをデフォルトとして備えています。霊性(≒魂)が生まれ変わりながら繰り返しこの世の肉体を持った生命として修養を積み続けて霊性を上げていく、という考え方です。著者はこれを「霊性進化論」と名付けているのでした。

ブラヴァツキーの「神智学」に影響を受け、神智学協会で力をつけていったリードビーターという人物がブラヴァツキーの次に挙げられているのですが、彼は神智学に傾倒する以前に『来るべき種族』という小説を愛読し、自身でも幻想的な物語を作ることを好んでいたそうです。彼はインドの貧しい少年・クリシュナムルティを新たな教団「東方の星教団」の教祖に据えて、神智学を展開していきます。しかし、16年経って、クリシュナムルティが救世主的役割である「世界教師」という立場を自ら否認し、教団は解散します。

読んでいるといろいろ出てくるのですが、ブラヴァツキーにしても自分には霊能力があると見せたがって、詐術に走っているんです。霊能力というのは最大のカギですから、最近の宗教でもそこには最大の注意を払わなければいけません。霊能力が信者を取り込み、教義を信じさせる最大のカギであることを、霊能力を使えるとする側はしっかりわかっているので、誰かが「霊能力なんてそんなものないでしょ?」と疑問を呈したり否定したりすると、霊的な位からするとザコだだとか、悪魔かあるいは悪魔の手先か何かに指定されるとかされて、攻撃すらされかねなくなります。そういうことを無しに教義を展開するような公正さのないところが、「神智学」以来の新興宗教やスピリチュアルの弱点だと思います。それと、UFOや宇宙人のオカルトにすら、その根源に「神智学」の論理があります。なので、UFOフリークでもやっぱり排外主義的な心理傾向を陥りがちなのではないかと思います。


さて、話を進めていきます。19世紀半ば、フランスのゴビノーによる『人種不平等論』で、「黒色人種は知能が低く動物的、黄色人種は無感情で功利的、白色人種は高い知性と名誉心を備えている」とされましたが、その源には、「インド・ヨーロッパ語族」という言語分類の学問的発見によって派生した「アーリア人」という概念があったということです。「アーリア」はサンスクリット語で「高貴さ」を意味し、インドに侵入したサンスクリット語を話す人たちが自らを「アーリア」と称していて、そんな彼らが北西に進路を取りヨーロッパに入ってヨーロッパの人たちの祖となっているとしたことから、「アーリア人」が生まれたそう。「アーリア人」は神智学の第5根幹人種のことを指します(神智学は、これらの学説から多大な影響を受けてできあがっているのでした)。アーリア人種は白色人種の代表的存在で、インド、エジプト、ギリシャ、ローマ、ゲルマンといった主要な文明は彼らによって築かれたとされます。それで、19世紀末に『一九世紀の基礎』(チェンバレン著)によって、アーリア人種の中でもゲルマン人こそがもっとも優れているとされたのでした。

この先鋭化が、ナチスドイツのイデオロギーを支えたわけで、ナチスドイツへの国民の熱狂っていうのは、いわばオカルトに飲み込まれていたということだと言えるのだと思います。もうすこし詳しく見てみると、アーリア人のうちでもゲルマン人がとくに優秀とする学説と神智学が結びついたものを「アリオゾフィ」といい、ドイツに「アリオゾフィ」を説くトゥーレ協会(宗教結社)ができあがります。そして協会はトンデモ政党のドイツ労働者党を結成し、それが後にナチスと改称したその翌年にヒトラーが第一書記に就くのです。やっぱりオカルトに飲みこまれてそうなったんです。



ここからは「これは言い得ている!」と思った箇所の引用をふたつほど。
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これまでいくつかの例を見てきたように、この世は不可視の存在によって支配されているとするオカルティズムの発想は、楽観的な姿勢としては、人類は卓越したマスターたちに導かれることによって精神的向上を果たすことができるという進歩主義を生み出し、悲観的な姿勢としては、人類は悪しき勢力によって密かに利用・搾取されているという陰謀論を生み出す。(p160)
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→昨今注目されている陰謀論って、こういうところからも生み出されてきます。

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古来、悪魔や悪霊といった存在は、不安・恐怖・怨念といった否定的感情、あるいは過去に被った心的外傷を、外部に投影することによって形作られてきた。近代においてそれらは、前時代的な迷信としていったんはその存在を否定されたが、しかし言うまでもなく、それらを生みだしてきた人間の負の心性自体が、根本的に消え去ったというわけではない。そうした心情は今日、社会システムの過度な複雑化、地域社会や家族関係の歪み、個人の孤立化などによって、むしろ増幅されてさえいるだろう。一見したところ余りに荒唐無稽なアイクの陰謀論が、少なくない人々によって支持されるのは、(中略)現代社会に存在する数々の不安や被害妄想を結晶化させることによって作り上げられているからなのである。(p178)
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→これは爬虫類型宇宙人(レプタリアン)の存在を強く主張するデーヴィッド・アイクというイギリス人の節での文章です。不安や被害妄想を緩和するなにか別のもの、あるいは受け皿となるものが他にあるといいのに、となりますよね。



というところで、まとめにはいっていきます。たとえばオウム真理教であらずとも、「理想郷・シャンバラ」っていうユートピアを掲げる神智学由来の宗教者や思想家が数々いることが本書からわかります。そうやって様々なところから同じ言葉や理想像が出てくると、連作短編を読んで受ける感銘に似た印象的なインパクトがその人の心理に生じやすいのではないでしょうか。神智学も、それ以降の流れのものも、それまでのいろいろな宗教教義を折衷しています。そして、とんでもないくらいの想像力でそれらの隙間を埋め、あるときにはひとつ上の段階でまとめあげて融合させたりしています。

それらを踏まえて。
まとめて言うならば、これらは「壮大で超強力なフィクションである」と僕は言い切ることにします。

最後に、神智学由来のオカルトの害について、本書の「おわりに」から要約的に紹介します。

(1)霊的エリート主義の形成:霊性進化論の信奉者は、みずから修養に励むことで他の者よりも自分の霊性が高いと信じることになる。また、信奉者たちの格によって序列が生まれ、格の高い者の意思に服従するという構造が生まれてしまう。対極的に、霊性の低い者には、「悪魔が憑りついている」「動物的存在に堕している」とされて、差別や攻撃の対象となる。
(2)被害妄想の昂進:霊性進化論の諸思想を知り、それらを信じることになると、世界の見えないところを知ることができたという興奮や喜びを信奉者は得ることになる。しかし、それらの団体が拡大していく影響で批判にさらされるようになると、闇の勢力によって攻撃・迫害をされているのだと思い込むようになる。そればかりか、闇の勢力による真理の隠蔽であり、闇の勢力が広範囲にネットワークを作り上げていて人々の意識を密かにコントロールすらしているという陰謀論の体系に発展していく。
(3)偽史の膨張:「人間の霊魂は死後も永遠に存続する」という観念を近代の科学的な自然史や宇宙論に持ち込もうとする。その結果、地球が生まれる前から人間の霊魂は存在していた、という奇妙な着想が得られていく。この論理によって、地球が存在する前から、人間の魂は他の惑星で文明を築いていただとか有史以前に科学文明を発達させていたなどという超古代史的な妄想が際限なく展開されていく。その結果、歴史は、光と闇の勢力が永劫にわたって抗争を繰り広げる舞台となり、両者の決着がつけられる契機として、終末論や最終戦争論が語られるもするようになる。


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