Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

言葉のための生きづらさ

2015-08-30 00:00:05 | 考えの切れ端
特にこのブログではそうですが、
ぼくはよく、生きづらさをテーマにして考えます。
それはなによりも、ぼく自身が若い頃に、
「世の中って思ってたよりも生きづいらいなぁ」
と感じたことに端を発したからです。

そして、世の中の方を変えればいいやというような、
西欧的な思考(なのかな?)でもって
考えを進めてきましたが、
生きやすくするためには、
自分を変えなければいけないという部分も
けっこうあるわけです。
自分から変わっていこうとするのは東洋的な思考とされますね。

それで、今日はそのひとつである、
「言葉によるがんじがらめ」のための生きづらさについて、
ちょっぴり書いていきます。


言葉にがんじがらめになると生きていて苦しくなるものだ。
言葉にがんじがらめにならない生き方ってなんだろうか?
それは、わからないことはわからないと言い、
言葉で飾り立て過ぎず、ウソをつかないことです。

言葉っていうものは、口にすれば音とともに
空中に消えていくもののように思うかもしれない。
でも、言葉って実はけっこう強いもので、
書き物をして意識から言葉を外に出せば、
意識上から言葉が霧のように消えていくわけじゃないように
(まあ、忘れることはありますけど)、
頭にはその痕跡って残ると思うんです。

それで、わからないことをわかるというとどうでしょう?
ウソをつくとどうでしょう?
そういう言葉が意識を占有するパーセンテージがあがります。
そういう言葉に意識がとらわれて、がんじがらめになるんですね。
それも、実体験や経験に即していない言葉で、でっちあげなので、
普通の言葉よりも意識を占有すると思います。

知ったかぶりも、ウソをつくことも、
すなわち虚飾ってやつをふりかざすことは超言葉中心主義なんですよね。
超がつくくらいの言葉中心主義は人生を苦しくするでしょう。

虚飾を振りかざすと言ったけれど、フィクションはまた別ですね。
フィクションは楽しむがよろし。

また、かといって、普通の言葉の中に矛盾がないわけじゃない。
人間っていうものは矛盾をはらんでいる生きものです。
それに、建前と本音の区別を、当の本人がつかなくなるケースだってある。
それなのに、超言葉中心主義は、自分が吐いた言葉の整合性や完璧さを求めてしまう。
そんなんじゃ、言葉にがんじがらめになってしまいますね。

ではどうすればよいのか。
ある程度、ゆるく、言葉に対しての距離をとること。
そして、自他に対して、寛容さをもつことだと思うのです。

そりゃあ、言葉に対する厳しさだって大事でしょう。
でも、厳しくも、慎ましやかでありたいです。
声高な言葉、その言葉以上の範囲まで適応させてしまう言葉、
そういったものが、人をがんじがらめにします。

そういうわけでして。
できれば、生きやすく過ごしたいですよね。
そのためにはそういうことから一歩ずつ、と思うのです。
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『言葉と無意識』

2015-08-29 15:29:29 | 読書。
読書。
『言葉と無意識』 丸山圭三郎
を読んだ。

第一章が難しかったけれど第二章からついていけました。なんとか。
意識の深層に、制度や秩序を超えて流動的に動く力があるのではないか、
それは従来の政治学が捉えられない目に見えない
「政治的なもの」があるかもってところが
東浩紀さんの『一般意志2.0』に繋がったりもした。

しかし、総じて、この本は言語学者で構造主義の父と呼ばれる
ソシュールを中心にした言語論です。
それもチョムスキーなどが扱う表層の言語論ではなくて、
言葉の生まれる深淵までをも覗きみるタイプの言語学のやり方です。

表層の言葉、すなわちぼくらが口にしたり書いたりして、
意識に上らせて使っているタイプの言葉を「ラング」といい、
表層に行くまでの、もごもごしたかたまりのような、
意味をあらわす言語の種をふくんだもの、
わかりやすくいえば無意識の中にあるような言語的なものを
「ランガージュ」と名付けて区別していました。
この「ランガージュ」は厳密には意識上にもあるんですよね。
一つの言葉の意味するものの周りを漂う、
雰囲気みたいなものがきっと「ランガージュ」だと思います。

このランガージュという考えを受けたうえで、
著者は、フロイトやユングの精神分析の話にも移っていきます。
本のタイトルにも「無意識」という言葉がはいっているくらいですから。
それで、でてきました、無意識の意識化の話です。
このブログの常連さんならば「読んだことがあるかも」
と思ってくださる方もいらっしゃるでしょうけれども、
かつてユングの本を読んだときにそこから読み取った考えが
無意識の意識化でした。

無意識を意識化していくことによって、
日常生活や幼少期に受けてきた抑圧から、
自らを解放することができるのではないか、という考えです。
そうすることで、ストレスなどの多い現代において、
精神面で病んでしまうことが減るように、
もっと言えば、病んでしまった心が癒えるように、とする考えです。

本書においては、
まず、カタルシスにおける無意識の意識化について述べられます。
演劇や文学、映画などに触れることで、その悲劇的な内容にもかかわらず、
そのクライマックスでサーっと気持ちが浄化される。
それは、無意識にあって言語化や意識化をされないでいたものが、
外部に表現されたものによって意識上に汲みあげられたことによる
意識化があったという図式になります。
そして、さらに深い意識化でいえば、昇華があげられていました。
昇華の考えはそれまでの僕のよりも幾分クリアでした。
たとえば、内部にマグマのようにある性欲動というものを、
性的な形ではなく、代表的な形では、
作品作りなどの創作的なもので外部に出すという意識化を昇華と呼び、
無意識の意識化のやり方においても、よりダイナミックなものだとされている。
こういった行いによって、病的になりがちな現代で、
心の平静を少しでも手に入れることができるのではないかと思われるのです。

それにしても、30年近く前の本だけれど、
その高い知性の人が(東大文学部卒業で中央大学教授など歴任。故人)
結論付けた考えを今のおいらも独自に育てたアイデアとして
(ユングで気づいたわけだけど)持っているというのは、
おいらのアタマもそんなに悪いもんじゃないぞと思わせられることでした。
卑屈になることないんだよね。きっと多くの人がそうだろうと思います。
卑屈になってちゃ、アタマもよく働きません。

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『脳科学からみた「祈り」』

2015-08-25 14:42:38 | 読書。
読書。
『脳科学からみた「祈り」』 中野信子
を読んだ。

本書にありましたが、
お釈迦さまが、弟子に「人生で一番大事なことは何でしょうか」と尋ねられて、
明快に「幸せになることです」と答えたそうです。
本書では、脳科学的に「幸せになることとはどうすることか」について
答えてくれたものになっています。

また「祈ること」によって、
脳内に幸福感や免疫力をアップさせる脳内物質が分泌されることも語られています。
「祈り」から繋げて言うと、利他行動というものは、
自分自身の幸福感の向上にも繋がることだ
というふうに科学的根拠を紹介しながら説明しています。

途中、「南無妙法蓮華経」の言葉の響きから、
その効能に迫る部分が出てきたり、日蓮についての言及があったりするのですが、
それはどうやら、この本の出版元が潮出版社で、
潮出版社は創価学会系の出版社だってことがありそうでした。
まあでも、そんなヘンな本ではなかったばかりか、
良い本だったなあという感想です。

文字が大きく、ページ数も120ページくらいなので、
さくさく読めてしまいます。
著者の中野信子さんは以前、テレビ番組「情熱大陸」にもでたことのある方で、
髪の毛に秘密のある方でした。
この本は、「情熱大陸」を見る前に買って積読になっていたものです。
読みやすい、なんだかパンフレットのような感覚でした。


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『村上ラヂオ2 おおきなカブ、むずかしいアボカド』

2015-08-23 23:18:13 | 読書。
読書。
『村上ラヂオ2 おおきなカブ、むずかしいアボカド』 村上春樹・文 大橋歩・画
を読んだ。

雑誌『アンアン』に連載された村上春樹さんのエッセイ集。
挿絵は大橋歩さんの銅版画です。

約10年前に刊行された『村上ラヂオ』は、
ワケがあるわけでもないのに二冊買ってしまいました。
つまり、読んだのを忘れて買った。
それは当時、読書記録をつけていなかったせいかもしれない。
はたまた、今回のエッセイもそうですが、
すらすらと書かれた他愛のない(でも、おもしろい)
一篇3ページ、挿絵をいれて4ページの短い文章なので、
きっと3ヶ月後くらいには読んだことを忘れてしまいそうなくらいです。
それほどに、毒っ気のないような清涼なエッセイだと言えるでしょう。

小説家は、小説を書くのに小ネタのようなものを溜めこんでいて、
必要に応じて小説に使うのだ、と村上さんは言う。
そして、『1Q84』を書きあげた後だからこそ、
残った小ネタを放出できるから、このエッセイの連載を引き受けた
というようなことをおっしゃっている。

それで、その吐きだされた、残っていた小ネタの数々なんですが、
おもしろいんですよ。ユニークです。
バーで隣の女性に話したら喜びそうな話ばかり。
そして、その語り口もおだやかかつ軽妙で口当たりがいいのです。

こういうおもしろい話をいっぱいできるから、
村上春樹さんってすごいよなぁって思える。
そこかよ、ってツッコミが入るかもしれませんが。
もちろん、このエッセイでも文章の旨味っていうのは
存分に味わうことができます。

たしか、単行本で『村上ラヂオ3』も発行されてますよね。
こちらも、文庫化待ちです。


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『本へのとびら』

2015-08-21 00:16:06 | 読書。
読書。
『本へのとびら』 宮崎駿
を読んだ。

スタジオ・ジブリの巨匠である宮崎駿さんが、
自身が親しんだり、よい評判を聞いていたりする
岩波少年文庫のなかからの50冊を紹介し、
自らと本についてのインタビューに答えた本。
また、東日本大震災を受けての今後の展望や子どもたちへのメッセージも
収録されています。

やっぱり、あれだけ子どもの心をつかむ作品を作る人ですから、
児童文学の読み下し方なども深いというか、
意識の表層で理解しているのではなくて、
ハートのレベルで理解している人なんだと思う、
それも実感として「児童文学を経験」しているのではないだろうか。
そんな片鱗をうかがい知るとともに、
アニメーターらしく文庫の挿絵へのこだわりも知ることができます。
挿絵あってこその児童文学だ、みたいなことも言っていました。

かたや、マルクスの『資本論』や哲学の本などには相性が悪かったといいます。
宮崎さんの世代くらいの人ならば、最低限これだけの本を読まなければいけない
という強迫観念めいたノルマみたいなものを時代の空気が強いたようですが、
そのなかでも、今書いたような『資本論』だのヘーゲルだのカントだのを
熟読するようなことはなかったみたいです。
また、ドストエフスキーについても、『カラマーゾフの兄弟』までは
辿りつかなかったといいます。
なので、これを知ってバカにする人もいるでしょうが、
ぼくなんかに言わせると、そんなのを言うほうがアホみたいなものかもしれない。
児童文学の世界にどっぷり体を浸らせて、
そして、そこから得た何かを使って子ども心に訴えて
情操を育てるような作品を作り出すようになるために、
『資本論』なんかは必要ないと思えるからです。
豊かさ、ですよね。

そんなわけで、ぼくはまぁ児童文学に興味のある方なので、
この本で紹介されていたものいないものに関わらず
これからもたまに読んでいくでしょう。
その都度、ここで感想を書くことになりますので、
そのときはお付き合いどうぞよろしくお願いします。


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『墨攻』

2015-08-20 00:38:03 | 読書。
読書。
『墨攻』 酒見賢一
を読んだ。

古代中国でおおきな勢力をふるったことがありながら、
秦による中国統一のころには忽然と姿を消し、
それから清朝のころに再発見されたという、
墨家集団をあつかった物語。

墨家は、キリスト教なみに博愛の精神を説く
当時としては過激な思想をもち、
非戦の考えでありながらも、墨守という言葉があるように、
いくさで攻められた城を守る技術や戦術を磨いてきた
ひとたちだそうなんです。
いささかフィクションが混じってもいるかもしれませんが。

中国の春秋戦国時代の趙国が小国の梁国を攻めるのですが、
その防衛に派遣されたのが、たった一人の墨家の人物である革離(かくり)。
はたして、趙の軍勢を退けられるのか否か、
どう革離は防御していくのかがみどころです。

酒見さんの作品はあの『後宮小説』以来二つ目で、
デビュー作と二作目のを読んだことになりますが、
二作目にしてガツンと本格化したかのような、
しっかりとした作品になっていた。
ほぼ空想の産物のストーリーだけれど、ぐいぐい読ませる。

和田竜さんの『のぼうの城』がおもしろかったという人ならば、
古代中国が舞台ではあるけれども『墨攻』も楽しめるでしょう。
そして、難しい漢字がよくでてくるけれど、不思議と読みやすいです。

あとがきを読むと、やっぱり小説家らしく頭をよく使い、
さらに頭の良い人なのかなという印象を受けました。
酒見さんといえば、この『墨攻』と『後宮小説』なのだけれども、
他の作品にも手を出そうかなと、そんな気すらしてくるおもしろさでした。


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『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』

2015-08-18 23:14:57 | 読書。
読書。
『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 加藤陽子
を読んだ。

日清戦争から太平洋戦争までの近現代史を扱った、
第9回小林秀雄賞受賞作の、中高生向けに行われた講義録。

たいへん勉強になりました。
歴史、とくに近現代史はよく知らなかったですから。
そして、考えながら読むという感覚の歴史の本です。
内容が濃いので、何回か読まないと、アタマに定着しなそうではあります、
が、読みごたえはすごくありました。

まず、日清戦争も日露戦争も、朝鮮半島がかなり深く関係しているんだなというのを、
はじめて認識しました。だからこそ、1910年に朝鮮半島を日本は占領したんですね。
また、あの時代、力で示さないと欧米列強に認められないという時代だったようだから、
一等国を目指すには避けられなかったかのようでした。
時代の流れっていうのがありますよね。
すべて自律的、独善的に歴史を切り拓いていったわけじゃなくて、
他律的とまでいわなくても、他国や時代の空気、その当時の考え方などによって
誘発される行動ってあるもので、こういった日清・日露の戦争なぞは、
そういったものとの絡み合いで起こっている感じがしました。

そして、第一次世界大戦をへて、
満州事変、日中戦争、太平洋戦争へと転がっていきます。
勢いがついてそうなったように見えてしまう。
というか、明治維新が起こったそのスタートからして、
太平洋戦争の敗北へのゴールは決まっていたかのようにすら思えてしまいました。

そしてそんな坂道を転がるように戦争の道へと突き進んでいった日本の、
その勢いに拍車をかけた軍部の影響力増大の理由のひとつに、
当時の政党が実現できなかった、農村部などの大多数の庶民を保護する
政策を、軍部が掲げてそれを実現してしまい人気を得たというのが印象に残りました。
戦争になってしまえば、そんな政策は吹き飛ぶのですが、それでも
民衆は彼らを保護する政策を掲げた軍部を支持してしまった。
そして勢いづいていく。
2・26事件に代表される血なまぐさい粛清事件や暗殺事件も多いし、
憲兵による厳しい検閲など、民衆や知識人らの取り締まりが厳しい時代になっていき、
本当に軍部が主権を握って、果てしのないアジア制覇の侵略戦争が起こっていきます。
要は、経済で日独伊の三国で世界の覇権を握ろうというものですよねえ。
日本の場合は欧米へのコンプレックスも関係しているように読めました。

さらに驚いたのは、勉強不足ゆえの、戦争に関する死傷者の数値について。
日中戦争から太平洋戦争で死傷された中国人の数は、
兵士で300万人、民間人で800万人、あわせて1100万人だそうです。すごい数です。
また、広島への原爆投下後の1945年8月7日にソ連が日本へ宣戦布告して攻めてくるのですが、
当時満州にいた200万人のうち、24万人が死んでいる、そして64万人がシベリアへ抑留され、
その1割強の人が、過酷な環境のために亡くなっているそうです。
ソ連の南下もバカにできないどころか、大きな戦禍だったのだなあと知りました。

また、朝鮮半島からは朝鮮人の16%が日本の炭鉱などに連行されていたようです。
ぼくの住む街にも炭鉱がたくさんあって、朝鮮人労働者慰霊碑っていうのを
子どもの頃に見学して見たことがあるんですよね。
先生からはそのことに関しては触れられなかったような気がする。
日本人として卑屈にならないようにだとか、そういう消極的な判断があったのかなと
今になって推測するところですが、そういうところにこそ、
時間を使って議論をしていくべきだったのではないのか。
大人になっても難しいことではありますが。
まあ悪いことは悪いと、占領下の人びとを統治する仕方が悪いとか、
差別が本当によくないだとか、
そういうことをできるだけクリアにしたほうがいいのではと思ったり。

それにしても、こういう歴史の授業なら、食い入るように聞いたでしょう。
それでも、難しいしペースが早くて落ちこぼれたかもしれないですが、
興味は残ったと思うんです。
こういう近現代史を題材にしてレポートを書いてみるという自由研究だって
あっていいよなぁと思います。
もう夏休みが終わるころですので、中学生の人なんかは来年の自由研究の
素材のひとつとして読んでみたらいかがでしょう。
大きなお世話かな・・・。


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『売り方は類人猿が知っている』

2015-08-12 00:00:10 | 読書。
読書。
『売り方は類人猿が知っている』 ルディー和子
を読んだ。

ビジネス書のようであって、なかなかどうして人間学のような本。

論理的に物事を判断して、買うか買わないかを決めているのが
われわれ人間である----というのは間違いであることをつぶさに見ていって、
解き明かしてくれます。

同じワインを飲んでも、値段が高いのだときかされれば、
そっちのほうがおいしいと感じるのが人というもの、
といったポピュラーな心理学実験の話もあれば、
嫉妬や妬みが類人猿に発生した段階で、それを解消しようと
平等や公平の考え方、すなわち民主主義の考えが生まれた
という深い論考の話もありました。

主に海外の行動経済学、神経学、進化心理学で発表された
知見をもとにして、それをしっかりと理解している著者が
自分の言葉で編んだ文章でもっておもしろくわかりやすく
伝えてくれます。

なぜ、現代日本人はセックスから遠ざかるのか。
草食系と言われる男たちはどうしてそうなのか。
そういった問いにも答えてくれているばかりか、
性の意識に対する「なぜ?」に割いているページも
なかなか多かったですね。

ポイントはやはり、人間と言ったって、
狩猟採集時代を経て農耕を始めても1万年くらいしか経っていなくて、
それまでの400万年だとかの類人猿の歴史と習慣と生き方が
人間の脳の基本をなしているのだ、というところでしょう。
生存のために、直感的(ヒューリスティック)に判断をしなければならなかった、だとか、
「欲張り」は健全な衝動である、なぜなら食いだめなどをして生存の可能性を高めるから、
など現代人に残るそのなごりの説明が的を射ています。

ぼくは本書を読んで、
進化心理学や行動経済学に興味を持ちました。
とても引き込まれますし、
こういう学問を名も知らずに待望していたようにさえ思います。
高校生だとか大学生だとか、きっと読んでみるとおもしろいですよ。
「不合理な人間」っていうものがだんだんあからさまになっていきます。


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激突(鹿)

2015-08-11 15:55:59 | days
最近またパチンコなんかに行っていて、
20日間くらいで40万円以上勝ってるんですが、
そういうときこそこういう手合いの不運に見舞われるものなのかもしれない。

昨日の深夜、鹿をはねました。
鹿はぶっとんでいったけれど道路にその姿は無かった。
車は、ボンネットが山折りのように曲がって、
いちおう家まで帰ってきたけれど(場所は家まで15分くらいの所)、
なんとなく、走ると変な音がする。

鹿は真正面に、右から突如として現れました。
30~40mくらい前を走る車がいたので、ハイビームにしていませんでした。
なので、鹿を照らすこともできず、鹿は暗闇の中から車の40cmくらい前に突然出てきた。
かわすだとかそんな隙はまったくありませんでした。
まるでテレポーテーションでそこにピンポイントに現れたかのようでした。

警察官に話を聞くと、ここらの地区では年にだったか2,3ヶ月にだったか、
ちょっと忘れてしまったけれど、10件くらいこういう事故はあるそうだ。
こんな過疎地の田舎でそれだけあるのは多い方だと思いました。

車はディーラーが休みなので見てもらっていないです。
さらに、お盆休みがはじまって、最短でも16日になるのですが、
きっとそれ以降に車を見てもらうことになりそう。
警察官の人が事故証明のためなどに書いていた調書には「中破」のところに○印が。
廃車の可能性もあるなぁと思いつつ。
修理できればいいのだけれど。
車両保険には入ってるんですよね。

あぁ、あたまが痛い。
昨夜は眠れず、今朝になって交番へいってきたんです。
そのあと入院中の親父にも電話したし、
明日はこれまた入院中のおふくろのところに
親父の車を借りて見舞いにいって報告することになりそう。

3年前の8月には一時停止無視の車にぶつけられて廃車になった。
怪我もしました。
今回は怪我もなく、エアバッグも作動しませんでしたが、
どうなることかと。時期もわるい。

鹿にはわるいことをしたけれど、
鹿だってもうちょっと考えようがあるじゃないか。
走っている車と車の間にひょいと飛んでくるヤツがあるか。
申し訳なくも憎たらしいです。
人間のほうがわるいんだけどねぇ。

本を読む気にもなれず、
テレビを見る気にもなれず、
いたずらに時間をやり過ごすのみの今です。
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『愛国者の憂鬱』

2015-08-05 21:50:50 | 読書。
読書。
『愛国者の憂鬱』 坂本龍一 鈴木邦男
を読んだ。

音楽家で、その発言などから「左」寄りかなと見受けられる坂本龍一さんと、
右翼の大物・鈴木邦男さんの対談本です。

ぼくは鈴木邦男さんという人を知らなかったですが、
本書のあまたの発言から、教養があり自分の言葉があり、
激しい感情に流されたりせずに、
冷静に、理知的に考えることのできる人だという印象を持ちました。

一方の坂本龍一さんも、話し相手を得たりといった体で、
いつも以上に普段着に感じられる深みのある博識さと、
聡明な思考のありさまをみせてくれる。

坂本さんは高校生の時に学生運動をやってたこともある人なので、
右翼の鈴木さんとは、必然的に左翼や右翼の話題になるのがおおかったです。
その他、鈴木さんの興味に応えるかたちで、
坂本さんは音楽の起源についてや、アラブ音楽に関する雑学話や、
自身が出演された『ラストエンペラー』の撮影秘話などを話している。

途中、各々の若いころのルーツをしるにつけ、そのめちゃくちゃさに
なんともコイツらけしからんやつらだ、なんて思ってしまった。
でも、若い時なんてそんなもんなんですよね、多くの人が。
そういうところを隠したり否定しつくしたりせずに、
受け入れて今ってものがあるっていう感覚が良かった。

また、「個」というものが大事だと両者は主張されていて、
それはたとえば最近だと、ぼくも嫌いじゃない考えですが、
自分ってものを失くしてしまえっていうのがありますが、
その逆なんですよ。
確かに、ぼくも、自分を失くしてしまったら操られてしまう危険性について、
このブログかツイッターかに書いたことがあるような気がするんですが、
そこがポイントなんです。
人が一人独立していくことで国も独立していくっていうような、
福沢諭吉の言葉を引用して述べてもいて、
国力を強くする気ならば、「個」を強くしていこうという、
提唱とまでいかないですが、提案みたいなものがありました。

それと、軍備に関しても、このあいだ安保の改正がありましたが、
それ以前の対談である本書の両者の発言から、するどい批判が述べられています。
そうなんですよね、もしも中国が攻めてくるならば、
2011年の東日本大震災の混乱に乗じて攻めてきたはずで、
安保の改正で自衛隊が戦闘に使われる範囲が広がりましたが、
それっていたずらに東アジアの緊張を高めているかもしれない。
加えて、そうやって軍備をしなければいけないっていうことは、
外交がうまくいっていないことの裏返しなので、
そこについて重点的に安倍首相を批判するべきなんです。

と、なかなか熱くなる話もあっておもしろかった。
坂本さんは昨日だったかな、
癌の治療で休業されていたお仕事に復帰されるという発表がありました。
お元気になられてうれしいかぎり。
それでも、まだ慎重になさってほしいなぁと願うところです。


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