読書。
『はたらきたい。』 ほぼ日刊イトイ新聞
を読んだ。
糸井重里さん主宰の「ほぼ日刊イトイ新聞」から生まれた、
ほぼ日の就職論です。
ぼくもなかなかにふらふらした人間ですから、
労働のスタンス、働くって何か、お金ってなんだ、
そういうことがらについてある程度、
軽めではありますが頭の整理ができてから読もうと思っていた本です。
なぜならば、自分の頭で考えれば出てくるようなことまでを、
楽に本から受けとるとおもしろくないからです。
時間はかかるけれど、頭は萎えるし、
「自分で生きている」感が薄くなるし、
こういう人生にとって身近なことの経験や知識をよそから仕入れてしまうと、
自分の人生での、「自分が主人公なんだ」という気持ちが
ぺらっぺらになってしまうような気がしたんですよ、ぼくの場合は。
本書『はたらきたい。』は指南書ではありません。
働くにあたって、どういうスタンスで面接に臨みなさい、
みたいな具体的な指示うんぬんはありません。
ただひとつ、自分にとって大切なものは何か、を考えましょうと
語りかけられます。
さしでがましいようですが、そこだけは考えた方が良いんです、
というような感じでしょうか。
また、いろいろな角度からの多くのトピックがあります。
たとえば、ぼくは就職のための適性試験なんかでは、
ほぼなにも適性がなかったんだけれども、
そうやって適性から職を絞っていくやり方って、
やっぱり間違っていると今読んでいる本に書かれていることに共感しました。
機械的な歯車として無機質な存在として生きるわけじゃないから、
できれば自分の大切にしているものに即した仕事選びをし、
そういうものを大切にしている自分がいやだと思わない職場を選ぶ。
仕事を決めるときの根本のひとつの部分は、そういうことだなあと。
とはいえ、好きなことと得意なことがあって、
やっていけるのは、得意なことのほうだと、最近イトイさんは言っていて、
適性試験でほんとうに得意なことが分かるなら、
それはそれで役に立つのかな、とも思いました。
でも、要は、そういう適性試験を優先順位の一位にしないことなんじゃないのか。
自分が大切にしてきたことに繋がる仕事があるならば、
そこにはまるで適性がないとは考えにくいです。
大切にしてきた過程で、大切にするための体力がつき、
筋肉が鍛えられていると思うんですよ。
ぼくは、今年ちょっと働いてみた感じではありますが、
まず過重労働じゃなくて、
そこそこでもこれはやれそうな種類の仕事だと思えると、
あとは覚悟を決めて自律的にやることを心がければ、
意外と充実してはたらけます。
自律性は、ぼくは親の面倒見のなかでの、
調理などの家事をするようになったからこそ
培われたもののような気がしているんです。
28歳で一度ドロップアウトしたときは
武器も無いなかで戦い果てた感じだった。
あの頃は本もよく読んでいなかった。
世の中、いろいろな価値観や考えをもったひとと同僚になったりします。
悪いなあというひとも、未熟で傲慢だなあというひともいます。
そういう人たちとの関係で見失いそうなことがでてきたときには、
次の言葉を思い返すといいです。
人間はコマでもコストでもなく、価値、なんですよね。
コマやコストと考えるならば、
それを変えていきたいところだし、
変えていくのが大変ならば、そっぽむいて辞めちゃいましょう。
それが最善策だという場合は多いと思います。
そして、矢沢永吉さんとイトイさんの対談の章。
矢沢さんが就職論かよ!とお思いになる方もいらっしゃるかと思いますが、
不良のようでいて、まじめにちゃんと自分のやることを考えて
実行しているひとですから、筋が通っている。
「自分の人生を、ひとのせいにしちゃダメだよ。
国のせいだとか、まわりのせいだとかにしちゃダメ」。
そこだけは超えちゃダメ、あとは何やってもいいよ、
みたいな言葉はなんだか深いところにズンと響くものがあります。
つまり、自分の頭でよく考えて、自分のやることを見出して、
そしてやりましょう、ということなんですよね。
永ちゃんは、自律性のすばらしさと他律性のよくなさを
十分にわかっているひとだった。
あとがきには、イトイさんが、遠くの灯のようであればいいと思った、
というようなことを述べています。
あそこに人がいるのがわかる、そういう気持ちさえあれば、
各々が自分の足で歩いていけるでしょう、ということ。
そして、その歩く行為が人生そのものであり、
自律性であり、そのひとが主人公であるということなんです。
良い本でしたよ。
中盤の章やみうらじゅんさんのところが箸休めのようになっていて、
堅苦しくもなく、でも、しっかりとした光を目にすることができます。
ぼくもまだまだふらふらした人間のままですが、
それでも、何かしら掴むものはあります。
拠り所としては頼りなかったりはするのですが、
立ち上がる時の手すりみたいな、
ちょっとした助けになってくれるような本だと思いました。
はたらくことについて、真正面から見据えてみようかな、
と思った方、是非、本書を手に取ってみてください。
『はたらきたい。』 ほぼ日刊イトイ新聞
を読んだ。
糸井重里さん主宰の「ほぼ日刊イトイ新聞」から生まれた、
ほぼ日の就職論です。
ぼくもなかなかにふらふらした人間ですから、
労働のスタンス、働くって何か、お金ってなんだ、
そういうことがらについてある程度、
軽めではありますが頭の整理ができてから読もうと思っていた本です。
なぜならば、自分の頭で考えれば出てくるようなことまでを、
楽に本から受けとるとおもしろくないからです。
時間はかかるけれど、頭は萎えるし、
「自分で生きている」感が薄くなるし、
こういう人生にとって身近なことの経験や知識をよそから仕入れてしまうと、
自分の人生での、「自分が主人公なんだ」という気持ちが
ぺらっぺらになってしまうような気がしたんですよ、ぼくの場合は。
本書『はたらきたい。』は指南書ではありません。
働くにあたって、どういうスタンスで面接に臨みなさい、
みたいな具体的な指示うんぬんはありません。
ただひとつ、自分にとって大切なものは何か、を考えましょうと
語りかけられます。
さしでがましいようですが、そこだけは考えた方が良いんです、
というような感じでしょうか。
また、いろいろな角度からの多くのトピックがあります。
たとえば、ぼくは就職のための適性試験なんかでは、
ほぼなにも適性がなかったんだけれども、
そうやって適性から職を絞っていくやり方って、
やっぱり間違っていると今読んでいる本に書かれていることに共感しました。
機械的な歯車として無機質な存在として生きるわけじゃないから、
できれば自分の大切にしているものに即した仕事選びをし、
そういうものを大切にしている自分がいやだと思わない職場を選ぶ。
仕事を決めるときの根本のひとつの部分は、そういうことだなあと。
とはいえ、好きなことと得意なことがあって、
やっていけるのは、得意なことのほうだと、最近イトイさんは言っていて、
適性試験でほんとうに得意なことが分かるなら、
それはそれで役に立つのかな、とも思いました。
でも、要は、そういう適性試験を優先順位の一位にしないことなんじゃないのか。
自分が大切にしてきたことに繋がる仕事があるならば、
そこにはまるで適性がないとは考えにくいです。
大切にしてきた過程で、大切にするための体力がつき、
筋肉が鍛えられていると思うんですよ。
ぼくは、今年ちょっと働いてみた感じではありますが、
まず過重労働じゃなくて、
そこそこでもこれはやれそうな種類の仕事だと思えると、
あとは覚悟を決めて自律的にやることを心がければ、
意外と充実してはたらけます。
自律性は、ぼくは親の面倒見のなかでの、
調理などの家事をするようになったからこそ
培われたもののような気がしているんです。
28歳で一度ドロップアウトしたときは
武器も無いなかで戦い果てた感じだった。
あの頃は本もよく読んでいなかった。
世の中、いろいろな価値観や考えをもったひとと同僚になったりします。
悪いなあというひとも、未熟で傲慢だなあというひともいます。
そういう人たちとの関係で見失いそうなことがでてきたときには、
次の言葉を思い返すといいです。
人間はコマでもコストでもなく、価値、なんですよね。
コマやコストと考えるならば、
それを変えていきたいところだし、
変えていくのが大変ならば、そっぽむいて辞めちゃいましょう。
それが最善策だという場合は多いと思います。
そして、矢沢永吉さんとイトイさんの対談の章。
矢沢さんが就職論かよ!とお思いになる方もいらっしゃるかと思いますが、
不良のようでいて、まじめにちゃんと自分のやることを考えて
実行しているひとですから、筋が通っている。
「自分の人生を、ひとのせいにしちゃダメだよ。
国のせいだとか、まわりのせいだとかにしちゃダメ」。
そこだけは超えちゃダメ、あとは何やってもいいよ、
みたいな言葉はなんだか深いところにズンと響くものがあります。
つまり、自分の頭でよく考えて、自分のやることを見出して、
そしてやりましょう、ということなんですよね。
永ちゃんは、自律性のすばらしさと他律性のよくなさを
十分にわかっているひとだった。
あとがきには、イトイさんが、遠くの灯のようであればいいと思った、
というようなことを述べています。
あそこに人がいるのがわかる、そういう気持ちさえあれば、
各々が自分の足で歩いていけるでしょう、ということ。
そして、その歩く行為が人生そのものであり、
自律性であり、そのひとが主人公であるということなんです。
良い本でしたよ。
中盤の章やみうらじゅんさんのところが箸休めのようになっていて、
堅苦しくもなく、でも、しっかりとした光を目にすることができます。
ぼくもまだまだふらふらした人間のままですが、
それでも、何かしら掴むものはあります。
拠り所としては頼りなかったりはするのですが、
立ち上がる時の手すりみたいな、
ちょっとした助けになってくれるような本だと思いました。
はたらくことについて、真正面から見据えてみようかな、
と思った方、是非、本書を手に取ってみてください。