読書。
『戦争の時代の子どもたち』 吉村文成
を読んだ。
滋賀県大津市瀬田国民学校五年智組の女生徒7人が、
昭和19年の4月から同20年3月まで書きつづけた
絵日誌を紹介し、そこから当時の軍国主義日本、
そして当時の国民学校教育を読み解き、
さらに、この絵日誌のもつ不思議な明るさに迫っていこうとする本です。
戦争による抑圧の中、臣民を作る教育、つまり
自分で考えてはいけないという、枠にはめた人間作りが
叫ばれた時代がこの太平洋戦争の日本です。
本書で紹介される絵日誌にも、そんな空気のなかで、
なんとか落ちこぼれずに空気と同化しようとする、
ある意味健気な感じは読み取れます。
しかし、どこか明るく、絵も文章も自由なところがある。
その不思議さには担任の西川綾子先生の放任主義があり、
矢嶋校長の「ほめる教育」が影響しているようです。
それだけではなく、土に触れる教育なども好い影響を
与えているようです。
戦時下の暗い中での明るさがこの絵日誌の中にはあります。
当時を生きた人たちの中からは、この絵日誌をつけた人たちに対して、
「この人たちはめぐまれている」などと感じる人も多いそうです。
きっと、本当に恵まれていたのでしょう。
でも、その恵まれたゆえんは教育のありかたに起因するものだったり
するのではないかと思わせられます。
現代の教育が受験教育化して、その本来の人間形成という意味では
機能しているのか疑問があったりします。
本書でも、現代では即制栽培の教育などとも書かれていて、
この本の主人公の子どもたちとは正反対だったりします。
効率化がすべてではないことも、この本は教えてくれるような気がしています。
『戦争の時代の子どもたち』 吉村文成
を読んだ。
滋賀県大津市瀬田国民学校五年智組の女生徒7人が、
昭和19年の4月から同20年3月まで書きつづけた
絵日誌を紹介し、そこから当時の軍国主義日本、
そして当時の国民学校教育を読み解き、
さらに、この絵日誌のもつ不思議な明るさに迫っていこうとする本です。
戦争による抑圧の中、臣民を作る教育、つまり
自分で考えてはいけないという、枠にはめた人間作りが
叫ばれた時代がこの太平洋戦争の日本です。
本書で紹介される絵日誌にも、そんな空気のなかで、
なんとか落ちこぼれずに空気と同化しようとする、
ある意味健気な感じは読み取れます。
しかし、どこか明るく、絵も文章も自由なところがある。
その不思議さには担任の西川綾子先生の放任主義があり、
矢嶋校長の「ほめる教育」が影響しているようです。
それだけではなく、土に触れる教育なども好い影響を
与えているようです。
戦時下の暗い中での明るさがこの絵日誌の中にはあります。
当時を生きた人たちの中からは、この絵日誌をつけた人たちに対して、
「この人たちはめぐまれている」などと感じる人も多いそうです。
きっと、本当に恵まれていたのでしょう。
でも、その恵まれたゆえんは教育のありかたに起因するものだったり
するのではないかと思わせられます。
現代の教育が受験教育化して、その本来の人間形成という意味では
機能しているのか疑問があったりします。
本書でも、現代では即制栽培の教育などとも書かれていて、
この本の主人公の子どもたちとは正反対だったりします。
効率化がすべてではないことも、この本は教えてくれるような気がしています。