Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『知の編集術』

2013-01-24 21:22:32 | 読書。
読書。
『知の編集術』 松岡正剛
を読んだ。

微熱が続く中、この本を読了しました。
サブタイトルに、「発想・思考を生み出す技法」とあります。

人が、一日を振り返る時、その頭の中であれやこれやと
順繰り並べたり思い出したりすることでさえ、
著者は「編集である」といいます。
そういった広義の編集というものを取り扱っています。

編集には、要約と連想だったかな、
があるといいます。
僕はけっこう要約は得意な方で、
学生時代に唯一褒められたのが、レジュメの作りかたでした。
その要約のしかたが素晴らしいと、ゼミ生みんなの前で褒められた。
今となっては、そのワザもサビついていることでしょう。

この本でも、難しいとされていますが、
連想というものを僕は磨きたいですね。
これによって、うまーく比喩を使うこともできるし、
類推して発想を生み出すこともできるし、
かなり重要なワザだと思いました。

それにしても、演習の多い本です。
それも、けっこうレベルが高い。
どういう人を想定して書かれているのかなと不思議になるくらい、
ほんとは好奇心のある中高年向けの本だったのかもしれない。

僕の母校の、僕がいた時の学長の素性が知れた本でもありました。
やっと今頃。


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ホボ回復

2013-01-19 14:49:47 | days
熱は昨晩の39.3度をピークにいまは36.5度になり、
回復傾向にあります。平熱は35.5度なのであともうちょっと。

朝には、たぶん、熱がこもったのでしょう。
鼻血が出て、とまらなくなりました。

で、その後もう一度、汗をかいた時に鼻血が出ました。

鼻血が出やすい体質ではありますが、
けっこうな量でましたね。

寒気がしなくなった時点で、
熱を解放するように足を出したりしないといけないですね。

もしかするとインフルエンザ。
人にうつさないようにしないとね。

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2013-01-18 12:41:57 | days
呼吸が苦しくて、一睡もできませんでした。
夜中の熱は38.0度。

ただいまは、38.8度
やっぱりこの時期の風邪って、大変ですね。
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風邪

2013-01-17 16:48:22 | days
風邪ひきました。

気管支のあたりにピンポイントに症状が出ています。
さらに、頭痛。

たぶん、熱はないのですが、けっこうつらい。
横になるとなお呼吸が苦しくなるために、
寝てもなんだか疲れるし眠れない。

それでも晩御飯は作っている最中。
誰か作ってって思うし、弁当にしたいけど、
それが禁止なのがうちなんですよ。

さらに、親父は、俺に伝染したら迷惑だとか
言っていますしね。

ふつうの、いたわってくれるような家庭の
妄想をしてしまいます。

なんか、寂しい話だ…。

みなさんも、風邪には要注意です!
僕の場合は湯ざめでひきました。
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幻想の現実化ヲ危ブム

2013-01-15 22:25:16 | 考えの切れ端
欧米では協議離婚がなかなか認められないために、
離婚したがっている夫と妻は示し合わせて、
妻が夫に殴られたというウソをついて、
裁判官もそれはウソだと知っていながら離婚を認めたりするそうだ。
そのウソをちゃんとウソとカウントせずに
世間の夫婦関係の傾向はこうだ、DVが横行していると報道したりしていないか。

家庭内暴力ってものはもちろんけっこうな数あるんだろうけれど、
さっきの書いたことにあるようなウソを見抜けなくて誘発されるケースってあるように思った。
ウソを見抜けないことが、社会の雰囲気に変容をもたらして、
それが本当の暴力を誘発するというような。

こういう、深いところのこと、つまり真実が見えなかったり見抜けなかったりしたがために、
ウソによる幻想だったはずのものが、距離的にも心理的にも遠い地で
実際の悲劇なり事件なりに顕在化してしまうことってあるような気がします。

離婚のケースだと、それがウソだとバレてしまってはいけないですから、
真実を知ることは難しい。そして、そこから波及する悪いことっていうのが、
僕の考えでは出てくるのですけれど、そうやって影響されないためには
どうしたらいいか。

頭に余裕がないくらいに忙殺されていないことですね。
誤解があるかもしれないですが、
自分も含めた日本人に対して言えば、もっとふざけたほうがいいような気がする。
ふざけていて、知的探究心も持っていて、事象に対する懐疑心も忘れない。
最後に、肝心なのが、自省できることだと思うのです。

極端な方向に考えや行動が向いてしまう心理っていうのが、
こういう場合には、もっともよくなくて、雰囲気とかに、
まるで洗脳みたいに頭に刷り込まれやすいんじゃないかと思います。


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『シャネル--最強ブランドの秘密』

2013-01-12 00:29:09 | 読書。
読書。
『シャネル--最強ブランドの秘密』 山田登世子
を読んだ。

20世紀のフランスに生まれた、世界をまたにかけた一流の女性向けブランド・シャネル。
その創始者であるココ・シャネルの仕事、恋、考え方、などを軸にして一生を追った本です。

彼女がその絶頂期と言われるくらいの活躍をした1920年代のパリの描写があるのですが、
ストラヴィンスキーやサティやピカソにコクトーなど、そうそうたる顔触れがみられます。
あの時代の、世界の文化の中心地だったんでしょうね。その空気を僕も嗅いでみたいくらいです。

それはさておき、
シャネルという人は、この一冊を読みとおした印象だと、
自己肯定によって成功した人のようですね。
肯定された自己が、時代の空気、その変化の時期にジャストに合っていた。
それまでの大仰なドレスを着ていた女性たちは、
男性のファッションからフィードバックされた新しい、実用的なファッションを選ぶようになり、
それはまさに革命だったようです。

ただ、シャネルは、最初こそ、長く着られる服こそぜいたく品として、それまでの使い捨ての
ぜいたくを批判したのですが、それから自らが大きな会社を持つようになると、
その否定したはずの、使い捨てのファッションを肯定することになります。
それが、ビジネスにとっては都合が良いからです。
そのあたり、たくましさを感じますし、そういうところだけ頑固じゃないのが、
商売のうまさであり、商売人そのものの姿を感じさせられました。
巨額のお金のためならば、そういう自分の小さなこだわりは捨てる。
「シャネルおばさん、そういうところだけ便宜的だね」と軽く言葉のジャブを見舞ってやりたい
気持ちもしました。

また、彼女は、自分のシャネルというブランドの服のコピーが大量になされて、
安く売られている様を肯定し、逆に喜んだそうです。
それは、本物の質の良さに対する自信があって、偽物が出回るほど、本物の価値が高まるという論理を
最初からわかっていたためのようです。
また、イミテーションジュエリーというものを作って、
本物の宝石類のもついやらしさ(権威や財力の象徴としての宝石のいやらしさ)
を抹殺してしまおうともしました。
彼女の人生には、このように、いろいろなコピーが出てきます。

彼女が他のクチュリエたちとは違って、コピーを認めたからといって、
それを現代に適応して類推してしまうのはちょっと違うんですよね。
音楽のデジタルコピーなどは、話は変わってきます。
しかし、それに類する、ポストモダン期になると出てくるという
コピーの氾濫のさまというものの走りは、きっとこの20年代のファッション業界に
あったんじゃなにかと思ってしまいますね。
ポストモダンのコピーというものは、オリジナルがまずあって、それをデータベースとして、
そこからコピーがどんどん生まれていくというもので、コピーであっても、すべてが
本物と同等かそれに近いものだったはずです。
ポストモダンについての詳しくは、東浩紀さんの『動物化するポストモダン』を読んでください。
このシャネルの本を読んで、きっと、初めてポストモダンというものを考えた人は、
この20年代のファッション業界から、それはきっとあまり悩まずに未来を見たんだなという気がします。

それほどに、ファッションというものは、
人間の感覚においての先鋭的なものをくみ上げられるんじゃないかと思うのです。
言葉も論理も追いつかない感覚の早さ、その最上級の早さでもって動く世界が、
当時のファッション業界だったかもしれないです。

普段、まるで足を突っ込まない分野だっただけに新鮮な本でした。
女性の方は、もっと面白くそして身近なこととして読めるのでしょうかねぇ。


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市政ニ提言シマシタ

2013-01-10 22:57:04 | days
年始に、「市政に口を出す」と宣言しました。
その直後に、僕の住む市のサイトのメールフォームから投書メールをしたのです。
3300文字くらいの長文になりました。
返事は未だこないです。たぶん、ずっときません…。

おおまかに、3つの分野について提言しました。
一つは農業について、二つ目に医療について、三つ目に高齢化ならびに人口について。

詳しいことは書きませんが、農業と医療については、
発展途上国における方策にならって考えをまとめました。
これは、「ほぼ日」で糸井重里さんが、世界銀行の元副頭取の西水さんとの対談の中で、
東北地域(気仙沼のことだったかもしれない)を発展途上国のように考えてみる、
というようなことを発言されていたのをアイデアとしていただいてのことです。
もともと、国際協力関係の本を読んでいたこともあって、
案外すぐにひらめいた方策がありました。
でも、強引に、財政の厳しすぎるうちの市、それも、基幹産業がないような地域
に当てはめた感があります。けっこう、無理を言っている提言になっています。

メールという形で、意見させて頂きましたが、
案としてはボツになったとしても、100%まるまるボツにならないかもしれない。
どこかで、僕の案の片割れが生きて、それをきっかけに違う方策が練られるかもしれない。
そういった希望も託しての投書だったのです。

犬も歩けば棒にあたる、といいます。
何かをやってみると、意外な何かに結びつくこともある。
それは幸運かもしれないし、災難かもしれない。
現状維持よりはきっとプラスだと踏んだからこそ、
僕は、犬ではないけれど、歩いたのです。

創造者か、破壊者か。
どっちも紙一重です、歩く者にとっては。

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『耳で考える』

2013-01-05 22:47:12 | 読書。
読書。
『耳で考える』 養老孟司 久石譲
を読んだ。

解剖学者の養老孟司さんと音楽家の久石譲さんとの対談集です。

本書のタイトルや表紙、裏表紙そして帯に書かれている文章を読む限り、
これは音楽や聴覚についての対談の本だと思ってしまいがちですが、
読んでみるとそれだけではなく、
現代の社会の話や意識というものの話(これは聴覚もつながっている)
にも大分、時間を割いて(ページを割いて)話し合っておられる。

まず、序盤の養老さんの、クオリアの話からして目からうろこでした。
一つの言葉あって、それで表現したとたんにこぼれおちてしまうもの、質感、
それがクオリアだというのですが、
僕は20代の頃に音楽を作っていた時期がありますので、
その音楽の源泉としていたのがクオリアと名付けられるのだなと
やっとわかったようなところがありました。

また、音楽づくりの話でいえば、音楽というものの論理だけで
作ってしまえう音楽もあれば、エモーションやメッセージをモチーフとして
作られる音楽もある。後者は、それがいつ「降りてくる」かをまたなければならず、
前者の方法も使えないようだと音楽家としてはやっていけないみたいな話でした。
僕は、後者のタイプで、常に何かが「降りてくる」のを待ったり、無理に降ろしたり、
そうして音楽を作っていた。
これは、2年前に書いた小説もそう言うところがって、僕の創作に対する考え方っていうのは、
その方式しかありませんでしたし、それ以外は邪道なんじゃないかとすら考えていました。
それが違うんだなというのがわかって、今さらながら少し楽になったような気持ちがします。

本書の中での音楽の話でもっというと、売れる、売れないの話も興味深かったです。
売れる音楽というのは、共感性というものが強いから売れるのだといいます。
それで、共感性ばかりが強ければいいのかといえば、それは作り手としても、芸術作品という
観点からしても、そうではないんじゃないかと、久石さんも養老さんも疑問を持っています。
僕もこの意見には賛成で、共感性だけではなしに先見性や説明的なものや新しい概念が含まれているほうが、
たとえ売れなくたって価値は高いと思いますし、大体、売れるものだから価値が高いかと言えば
そうじゃないでしょう。
よく売れる安いハンバーガーがあったとして、その価値は否定しませんが、
それに至高(あるいはその近辺)の価値があるとはいえないのに近いような気がしました。

本書には、クラシックのどうどうどうたらの曲が素晴らしいとかそういうスノッブ的な
話はほぼありませんので、音楽というものに興味があり、社会一般にも興味がある人には
向いていると言えるでしょう。養老さんファン、久石さんファンは是非。




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『パン屋再襲撃』

2013-01-04 00:38:15 | 読書。
読書。
『パン屋再襲撃』 村上春樹
を読んだ。

新年の読書始めはこの短編集からでした。
久しぶりの小説です。

きっと、この頃から(85年頃)の村上春樹さんの文章が、
いわゆる村上春樹的と言われるような文章と内容なんだと思います。
これとか、高校一年だったかに読んだ『カンガルー日和』だとか、
その最初の感じですね。

表題作の「パン屋再襲撃」からずっと、最後の「ねじまき鳥と火曜日の女たち」まで、
ずっと奇妙な感じがあります。
ずっと出てくる、渡辺昇という名前も、「またか」と顔をゆがめて笑ってしまいました。

「ファミリー・アフェア」のような、軽いトーンでの諧謔作品はいいよねぇなんて思ってしまう。
愚弄される渡辺昇的人間にしてみれば、面白くないとは思うのですが。
そうそう、この作品に登場する主人公の、傲慢で偏狭だとされる性格が、なんだかうちの親父に似ているような
気がして、苦笑いしてしまいました。
「見せつけがましくスパゲティを残す」ところだとか、やりそうなんですよね。

「ねじまき鳥と火曜日の女たち」は、その後『ねじまき鳥クロニクル』という長編に発展しています。
なんか、読んだことがあるんだよなぁと、既視感まではいかないのですが、
記憶がくすぐられながらも新鮮に読んでしまいました。

どうも僕は、村上春樹さんの小説作法をを知ろうとして読んだようなところがあります。
読みやす過ぎるとか、翻訳文的だとか、批判もされるのですが、その内容とか、
情景の飛び方とか、発想のユニークさだとか比喩とかは多くの読者をひきつけるゆえんだと思うので、
客観的に読んでみて勉強になっているようにも思います。
時間もあることだし、そのうちまたへんてこりんな短編でも書いてみようかなと思ったりも。
そう書いたとたんに、いつになることやらと頭の中にこだまする言葉。

とにかく、新年らしく、面白くユニークな感じで読書始めをできました。
面白かったです。

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2013謹賀新年

2013-01-01 22:06:20 | days
あけましておめでとうございます。


それでは、今年の抱負みたいなものを。

今年はまず、市長に投書メールという形で市政に口を出して
一年を始めようと思っています。
うちの街の財政の厳しさはきっと日本一。

このあいだの衆議院総選挙で日本政府のことを考えてみて、
何かおかしい、ズレてるなと感じるところがあったのです。
それ以前にも、東北、もっといえば福島のことを考えて、
食べて応援しようと決めた時にも、ちょっとズレているんだけどなぁと
感じるところがあったのです。

それが、自分の住む街のことを考えずに、よそのことばかり
考えること、つまり、自分の足元を見ていないということでした。

ちゃんと、っていうわけでもないんだけれど、アイデアがあれば
自分の街の市政にも役立ててもらえればなぁという気持ちで、
今年からはいたいです。

だからといって、国政に関しても情報を摂取していかないわけではないですし、
東北地方のことも福島のことも忘れないでいたいし、できれば力になりたい。

そして、楽しい部分にかけては、一番の優先事項を長澤まさみちゃんの活動を見つめることとして、
世の中の楽しい部分にも目を向けて、楽しんでもいきたいです。

ブログもねー、もうちょっと更新できればいいんですけれどね。
そのへんは、まちまちになるでしょうが、今年もよろしくお願い致します。

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