Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『ふるさとを元気にする仕事』

2017-04-27 22:56:45 | 読書。
読書。
『ふるさとを元気にする仕事』 山崎亮
を読んだ。

地方から都会へと人口が流入していく昨今、
人口が減り高齢化がすすむ〝ふるさと〟に
活気を取り戻すためのコミュニティデザインという
仕事についての入門書です。

地方を活性化させるためのコミュニティデザインは、
そこに住むひとびとの参加があってこそやっとできるものらしい。
ただのお客さん状態から参加者状態に、というのだけれど、
それでもまだfastなやり方だとぼくは思うんです。
お客さん状態から参加者状態への途上の段階を一段、
踏んだほうがいいのではないかな、と。

というのも、
ぼくみたいな人見知りなタイプからすれば、
いきなり参加者になってアイデアをだしたり目標を共有したりせよ、
とされるのには大きな抵抗があるから。
参加者はなんらかのコミュニティの一員となることで参加者となる。
その段階でまず、信頼や安心を得る必要があるように思う。

そこで登場するのが、目的的ではないコミュニケーション。
ただそこにいっしょにいること。それもリラックスしていれること。
会話の内容よりも、信頼を持って話し共感を持って聞くこと。
そうやって生まれる親密さ、友人感が大事で、
「参加者」になるのはそのあとなんじゃないかな。

そういうslowさが大事なようにぼくには感じられる。
slowのなかの、一見無駄にみえるプロセスのなかに、
信頼や安心を生みだすものがあるんじゃないかな。
お客さんから参加者へすぐ移行させる考えはfastだと思う。
slowなやり方は時間がかかるけれど、
そこにほんとうがありそうじゃない?

いきなり、「ほれ、つながれ!」
とやられて無理に繋がるのは(まあ、それでうまくいくひとはいいけれど)、
内向的なタイプだとかそうはうまくいかないし、
slowなやり方のほうが無理なく、
ある程度シームレスにお客さんから参加者へ移行できそうだよ。

などと、本の感想というよりぼくの意見になってしまいましたが、
終盤の「土の人」のいろいろなケースを紹介するところが
いちばん面白かったです。
コミュニティデザイナーは「風の人」であって、
その土地で種から花を咲かせていくのが「土の人」と表現してました。

楽しんではたらいて、それが〝ふるさと〟の再生につながるのは
きっと面白いでしょうね。
うちの街もたいへんな街ですが、なにかのきっかけで浮上すると面白い。

住民に必要なのは、「意識」と「知識」だそうです。


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今年も新人賞に応募しました。

2017-04-24 18:54:48 | days
本日、郵便局にいってきました!

完成した短編小説を二篇、
文藝春秋『第97回オール讀物新人賞』に応募するためです。

昨日の段階で、短いほうの短編の最終チェックを終えていて、
今日は、応募券目当てで注文した『オール讀物5月号』の到着をまちつつ、
各短編の表紙をつくっていました。

えーと、
正月前後に書いた長いほうの短編は91枚になりました。
ひとりの男の「再生」がテーマになっているかな。
3月末からひと月近くかけて書いた短いほうの短編は58枚。
こちらは子どもの世界の話で、
「さびしさとその対極のものの根源的なところ」がテーマになっているかなあ。
もともとぼく自身の子ども時代にあった小さな出来事を種にしていて、
そこから新たな物語が生まれた感じです。

前回の『微笑みのプレリュード』は、
章ごとに主人公が交互にいれかわる構成でした。
力量がいるといわれる、グランドホテル方式のプチ版です。
それが、『新人賞』の歯牙にもかけられなかったですからねえ。
今回は二作とも、その点では王道の構成です。
主人公がひとりで、だいたいひとつの章でひとつの作品たりえている形式の
短編としてできあがっています。
だから、ひとつの作品を章に小さくわっていると、
起承転結の「起」や「転」が多くなるように思うのですけれども、
今回はどしっとだいたいはひとつながりで語られるので、
「承」で語っている部分が大きいかもしれないです。
それでいて、前作や前々作の『虹かける』よりも説明的な部分は少ないというか、
ほぼ流れの中で語ることができています。
そして、哲学的な思想を語るところが無く、
物語全体でなにかを語る体裁になっています。
それは、大衆文学を意識してのことですね。
でもって、そういうふうに書けたのが、今回の成長分です。

まあ、なにはともあれ、
どう読まれるかです。
まずは、相性のいいひとに読まれてほしい……。



いざ、賽は投げられた。
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『スノーグース』

2017-04-23 23:50:09 | 読書。
読書。
『スノーグース』 ポール・ギャリコ 矢川澄子 訳
を読んだ。

ニューヨーク生まれで世界を旅した作家、
ポール・ギャリコの三つの短編を収録した本。

このなかでは表題作の「スノーグース」が
やっぱりいちばんかなという感想ですが、
あとのふたつ、「小さな奇蹟」「ルドミーラ」もよくないわけじゃない。
しかし、三つともそうではあるのだけれど、
あとのふたつのほうが、キリスト教的な色彩が濃いです。
もう、キリスト教は土着の宗教だ、
といってしまいたいくらい、生活の土台にキリスト教があって、
その価値観のうえで成り立つ短編でした。
「スノーグース」のほうが古い作品なのに、
まだ現代的でした。

三作品に共通しているのは、
報われないものを描いていること。
そして、報われないながらも、
その主人公たちの気持ちや心構えが清いがために、
彼らを主軸とする物語がうつくしい。
さらに、奇跡というスパイスを作者がふりかけて、
なにか、聖なるものごとへと物語を昇華させているふうでもあります。

日本人からすると、
キリスト教的すぎてうけつけない、
と毛嫌いしてしまう心象を持ったとしてもおかしくないかなあと思いました。
まあ、そうであっても、「聖性」というんですかね、
そういったものは、宗教の垣根を超えて、
読む者のこころにひしひしと伝わってくるのではないでしょうか。


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『話すチカラをつくる本』

2017-04-20 00:00:01 | 読書。
読書。
『話すチカラをつくる本』 山田ズーニー
を読んだ。

コミュニケーションについての基礎を教えてくれる本です。
例文は社会人を例にしたものを使っていますが、
中学生や高校生でも参考になるでしょう。

まずは、正論について。
<相手は、正しいことだからこそ傷つき、
でも正しいから拒否もできず、
かといってすぐに自分を変えることもできず、
「わかっているのにどうして自分は変われないんだ」と
苦しむことにもなりかねません。正論は、相手を支配します>
金言ですねえ!
よかれと思って正しさに寄って立ってものを言うことで、
思いもせずにそのひとを苦しめてしまう。
長くコミュニケーションについて考えてこられたからこそ、
気づかれたことなんだろうと思いました。
コミュニケーションって繊細な部分があるから難しいと思っちゃいますが、
その繊細さって、たとえばこういう「正論」の部分にあったりします。

また、
考えるとはどういうことか?それは問いを重ねることだ------
なるほど、たしかにそうだなあと
日頃、読書から問いや答えのヒントをもらっているもんだから、腑に落ちました。
細かい問いを見つけていって、
答えを出す段になるとリスクマネジメントが必要になったりしますよねえ。
ゼロリスクの問題については、
またそのうち違う本を読んで考えたいです。

「嘘は人を動かさない」
→個人的な話ですが、フィクションでひとを動かすには、
書いたフィクションに嘘がないことが大切になるってことですね。
フィクションって、表面は嘘でも、
中身は作者の根本思想と直結してこそのものだってことになります。
人間力、なんていう言い方もありますけども、
小説を書くにしてもそのひとの中身が反映されるものであって、
いろいろ考えて素直に光の射す方を向いていないと
ひとを動かすことはできないんでしょうね。
人間の地のぶぶんがでるものなんだってことですよ。

コミュニケーション、とくに信頼を築くことにおいては、
陰と陽のやり方があると本書を読みながら考えました。
本書のような、
意見と論拠をはっきりさせるだとか、
目指す結果を考えるだとか、
論点を意識するだとかのコミュニケーションの方法は、陽だと思う。
コミュニケーションで信頼を築く陰の方法は、
前にも言ったことがあるけれど、
目的的じゃないコミュニケーション。
カポーティの言葉を借りれば、
話の内容なんてものはさして重要じゃないんです、
信頼を持って話し、共感をもって聴く、そこに大事なものはあるんです、
というようなことになる。

と、まあ、そういうわけで。
30分で読めると謳われている分量なのですが、
ぼくはいろいろ自分や他人やあれこれに当てはめて読んだので、
1時間を超えました。
それでも、122頁だったかな、そのくらいですから、
一夜漬けもできる本です。
よかったですよー。


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『完璧な家』

2017-04-19 01:39:10 | 読書。
読書。
『完璧な家』 B・A・パリス 富永和子 訳
を読んだ。

全英100万部のベストセラーを記録し、
英国アマゾンレビューが6900を超えた(評価4.2だそうです)という
サイコ・サスペンスです。

ぼくはサスペンスってほとんど読まないし、
サイコ・サスペンスなんてなおさらなんだけれど、
そういう映画は多少見ているんですよ。
『ゴーン・ガール』なんかも面白かったですしね。
サスペンスは、読むより映画で見る派だったんですが、
本作を読んで、読むのも面白いものだなと思いはじめています。

たいてい、酷い目にあう主人公は頭が悪くて墓穴を掘ったり、
それくらいわかるだろってところで鑑賞者をやきもきさせます。
ある意味ドリフターズのコントでの「志村!後ろ!後ろ!」の世界。
『完璧な家』は、敵役の頭のよさでもって支配されてしまう主人公なんだけれど、
いろいろ考えて試すことに対しては、失敗ばかりになりながらも、
まあそれくらい抗うよなあという現実味は持っている。
等身大の知能なんですよね。

だからまあ、ふだん読まないサスペンスを読んで、
中盤までは、エンタメに特化した小説だし、
映画化も計算に入っている感じだし、
ジョージ・クルーニーのあて書きだろうなんて思っちゃうんだけど、
そのプロット、構築をきっちりと(当たり前だけど)
頭を使ってやってるから読ませるんだよね。

ネタバレになっちゃう感じだから、
ここ以下は読まないほうがいいかもしれないですが、
最後には、ぼくもあの部屋はどうするつもりかって考えながら読んでたんです。
でも、うまく処理したし、
ラストの数行で読後感が変わったと思った。
おもしろかったですねえ。

ただやっぱり、敵役がボロだしたところがあって、
それは直接の結末までの筋には関係がないんだけれども、
あの読後感にするためのカギでしたね。
好きな読後感でした。

ハーパーコリンズ・ ジャパン
発売日 : 2017-03-17

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良貨であれ!

2017-04-17 15:54:44 | 考えの切れ端
悪貨は良貨を駆逐する。
検索すると、
「悪がはびこると善が滅びるというたとえにも使われる言葉」
と出てきます。

だから、しょうがないけど負けたくないから悪貨になってしまおうかなあ、
と実際にそうなるか否かを若い頃って考えてしまうことがある。
ひとによっては、悪貨になるのが「現実的」に思えるのですが、
それってたいてい、理想を持っていないし場当たり的。
他者を幸せにしようという気持ちを最初から放棄してますし。

正しさ自体、疑ってかからないと危ないものだと言われるし、
ほんとうにそうなんだと思うのだけれど、
大多数の正しさと比較的少ない人にしか適用されない正しさがあり、
後者は悪と呼ばれることが多い。
でも、大多数の正しさ同士でも衝突するし、
突き詰めると人類の正しさなんて所詮すべて悪だ、
みたいなことにもなり得ると思うんです。

正しさを妄信しない態度でもって、良貨になれればいいし、
実際それを良貨と呼ぶのでしょう。
でも、良貨になるんだっていう道は悪貨になる道より
ずうっと険しいわけですな。
もう大変なんだから。
たとえば、蔑視だとか優越だとか、
生きづらさをつくる心理っていろいろあるけれど、
それらは本人が自覚できない潜在的な意識から
生まれているっていうんですよね。
そのようなことを知ろうとしたり、
アタマをバージョンアップしていく行為を放棄しない態度は、
良貨になるには必要なのだと思います。
悪貨になるには我慢をよせばいいみたいなところがある。
でも、悪貨になれば心が痛んだりはするんだよね。

親鸞の悪人正機を解説する話のなかで、
悪人は犯した罪を悔いて毎日祈るようになる、というのがあったと思う。
そのへんの苦しみは計り知れないでしょう。
そして、そこからわかるのは、
ひとって自分が悪だという意識に耐えられないんだということです。
どんなことにも例外はあるとしてもね。
ゆえに良貨を目指した方がよい。

まあ、現実的に、ぼくは100%良貨的人間です、なんてならずに、
良貨であり悪貨であり、という要素がまぜこぜになりますよね。
そういうものだと思っています。
でも、自分に悪貨の要素があっても、
「悪貨でいいんだ」と開き直るべきではないんじゃないかなあ。
良貨を目指すのは苦しいけれど、
苦しみを知ることで、逆に幸せを知ることができるものなんだ、と
ぼくはそう信じているし、ちょっとした実感すらもっています。

踏みだす勇気はいるけれど、
良貨をめざすひとが多いといいなあ。
そこらへんの、気概、ってあるじゃないですか。
そんな、気概もすばらしい。
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『木のいのち木のこころ<天・地・人>』

2017-04-09 21:47:57 | 読書。
読書。
『木のいのち木のこころ<天・地・人>』 西岡常一 小川三夫 塩野米松
を読んだ。

法隆寺最後の棟梁、宮大工の西岡常一さんと、
その弟子となり、鵤(いかるが)工舎という宮大工の会社を立ち上げ、
技術を後世に残しながら全国の寺社の仕事を受けている小川三夫さんを中心に、
作家・塩野米松さん鵤工舎で修行する弟子たちにも「聞き書き」した、
名著と呼ばれる本です。
もともと、この『木のいのち木のこころ』は三冊組の体裁で
1994年ころに出たものだったのが、2005年に合本され、
今回ぼくが読んだものになっています。

法隆寺は世界文化遺産に指定されましたが、
世界最古の木工建築なんだそうです。
聖徳太子が建てさせたもので、
建築年代は今から1300~1400年くらい前になります。
飛鳥文化の時代に建てられたものが、
ちょっとした直しはあったでしょうが、
今の時代にも立派に建っているのはすごいですよね。

法隆寺の金堂などは一番長持ちするといわれるヒノキで作られているそうです。
建築資材としては、木のランクでも、トップに君臨する木だそうです。
それで、飛鳥時代に、樹齢1000年くらいのヒノキを使ったんですが、
それが朽ちずにいまも柱や梁として建物の一部になっている。
その秘密はなんぞや、というと、
木の癖を見抜き、それを活かして組んでやるにあります。
法隆寺の宮大工にはいろいろな口伝があり、
その口伝をまもることで、
カギとなる飛鳥から伝わる宮大工の考え方の骨を現代の宮大工でも
持つことができるようでした。
さらに、西岡さんは飛鳥や白鳳の建築のあり方を知りつくすほどで、
学者と論争をしたこともあるそうです。

そして、そんな木工建築の技術を伝える、徒弟制度があります。
現代では、「悪しき徒弟制度」などというひとも多いようですが、
そこには徒弟制度ならではの、ひとを育てることの、
本質的な考え方があります。
いっしょに寝て、ご飯を食べて、風呂に入り…と同じ生活をずっと続けて、
プライバシーは無いような生活です。
大きな目的は、宮大工として一人前になること。
そのために、遠くて早い道なんだと思います。

早く効率よく教えるっていう教育方法が、
考えたりひらめいたりが苦手なひとをつくる。
そういう効率性重視の教え方で育てられると、
窮地に陥っても、自分で考えてそこから脱するみたいなことが
できないひとができてしまうと言われている。

たとえば、こないだツイターのTLに流れてたのだけれど、
このままじゃダメになるがそれでも頑張れなくて落ちていく
っていうタイプがいるという話がありました。
それは、効率の良さ重視での教育を受けてきたがためにそうなるのかなと思える。
自律的に行こう!という馬力のいる状況で、
それがまったく育まれていないんですね。

宮大工の弟子は、親方が削ったかんな屑を渡されて、
「こうやるんだ」というたったそれだけのヒントのみで、
そこから弟子はあれこれ削り方を試行錯誤して
何年もかかってやっとその方法を見つけたりする。
時間がかかるんですよね。
それを早いのがいいからとあれやこれや教えても、
そんなんじゃ、自律的な馬力は育たない。

プロセスを省略しては得られない大事なものがあるということ。
プロセスを大事にするのはサービス業も同じだから、
なんだかわかる気がするのです。
プロセスの中には、言語化できない大切なものたちが、
いっぱい生きているんですよねえ。
言外の経験ってものがプロセスの中にある。

本書で伝えられている大きなもののひとつに、
こういった、言葉では伝えられないものがあって、
それはすごく大事なものなんだよ、という教えがあります。
それを西岡さんや小川さんは、
徒弟制でもって伝えてもらい、育んでもらったし、
弟子にも伝え、育んでいる、というのがあります。

550ページを超える厚い本ですが、
夢中にさせる力を持った本だと思いました。
宮大工さんってなんだろう、というまったくの素人なぼくでも
興味を持って読めましたから、
日本の木工建築術のすごさとともに、
ひとを育てること、教育とはなにかを考えるための示唆もありますし、
それらを応用して、自らを育てることや、社会のデザインなどにも、
ちょっと話が大きくなっていますが、
役に立つと思います。

まだ400ページもあるなあ、だとかと読みましたが、
読了してみれば、読んでよかった。
おもしろかったです。


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近況2017年4月

2017-04-04 21:49:05 | days
こんにちは。

3月の終わり頃から、また短編を書いています。
今回はのんきな感じで、毎日は書いていません。
もともと、アイデアとしては30枚くらいかなあというものだったのを、
50枚以上までボリュームアップしようと書き始めたものです。
筋やキャラの設定もゆるく、書きながら決まっていくところがあります。

なぜ50枚以上まで膨らますのか。
大衆小説の短編部門で新人賞を公募しているのは『オール讀物』のみのようで、
その応募規定に、「50枚から100枚」とあるんです。
正月前後の期間に書いた93枚の短編もあるのですが、
もうひとつ作って、二作品送ってしまおうという魂胆でした。

とはいえ、前作の93枚のものはまだ最終稿までいっていません。
画面上でチェックが終わったものを印刷して再確認し、
気がついたところを直して最終稿にするのですが、
その工程に足を突っ込んでいないのです。
たぶん、今の短編が最終稿になるときに、
いっしょに最終工程にはいると思います。

前作は前作で、これまでよりわかりやすくて、
比較的エンタメ向きなものができました。
そういうものが書けるようになったのは、進歩したからです。
説明くさかったり、ひとによっては説教くさく感じたりする要素は
だいぶ薄いです。それは、今作でも引き継いでそうですね。

そういう意味で、前作は、
前々作までよりもパワーアップした感じが自分ではします。
一年、空いてましたし、そのぶんでクリアになったところがあり、
その間の読書で勉強になったところがあり、
一年空いていても、前の経験が消え去らず、積み重なった強みがありました。
でも、小説の文体で書くことの、序盤の筆の勢いは、
まるで書かなかったときの感覚に近いくらいに、戻ってしまうんですよね。
そこのところは、頻繁に小説を書いているひとのほうが
すらすら書けるんだと思います。

というわけで、今作の強みは、前作から間もないことで、
比較的すらすら書ける、その文章力にあるのでした。
内容の盛り上がるところは、今回頑張っても前回を越えるかどうかは難しい。
分量的にも、がんばって前回とどっこいどっこいでしょうか。
しかし、文章がすこしこなれている感じがあります。
そこに今回、分があります。

すこしネタばらしすると、前作のテーマは「再生」。
本筋と副筋がわりと未分化な感じで絡み合っています。
そして、前々作『微笑みのプレリュード』やその前が
章を区切ったものでしたが、そうなることなく、
一本で繋がったものになっています。
より短編的になった。

今作のテーマは「寂しさとその反対側の根源的なところでの気持ち」
となるかなあ。まだ書き終わっていませんが、そういうヴィジョンを持って
書きつづけています。
前作の半分近い分量でもありますし、
今作も、途中で切れる形式というより一本で繋がっています。
そういう短編的な形式では主流というか、
ふつうというか、そんな形式で勝負します。

それで、読書の方が滞っていますが、
今、分厚い文庫本を半分まで読んだところで、
つぎは、ブクログから献本プレゼントに当選した小説を読む予定です。
なかなか更新ができませんが、
気長に待っていてください。

テレビは、99%録画したものを見ているんですよ。
それがやっと去年の12月分が終わるところです。
乃木坂関連などはすぐ見るんですけどね。
EテレのSWITCHインタビューなんかけっこう見るほうです。

映画はブルーレイやらDVDやらで。
こないだ『グッドウィルハンティング』を観ました。
おもしろいし、落ちついた作りでもあったんですが、
脚本・原作が主演のマット・デイモンで、
彼が20代の前半から中頃のときに書いたものなんですってね。
でも、それを知ったからってわけじゃありませんが、
どことなく生硬な感じも残っているように
感じられました。
でも、アカデミー賞とってますね、この映画。
そして、『∀ガンダム』劇場版のⅠ&Ⅱを観ました。
この作品はなんといってもテレビシリーズの時期に、
「黒歴史」が話題になり、いまや定着した言葉にもなっています。
ぼくはテレビシリーズのときには飛ばしとばしみていたタイプで、
通してみたのは初めてでした。
ゆるい感じのガンダムで、これはこれでよかったですが、
とくに菅野よう子さんの音楽が白眉だったかなという感想です。
そして、DVDは乃木坂の『推しどこ』の橋本奈々未さんの巻を見終わった。
11巻持っていて、あと5巻あります。
さらに、追加で3巻、昨年末に発売され、これは今年そろえようという気でいます。

車を使うときは、
iPodで、乃木坂の60数曲をシャッフルして聴いています。
これが、めちゃめちゃ楽しい。

と、無駄話が長くなりました。
月末から仕事が始まる予定です。
雪のない時期は、仕事をして、
雪が積もれば小説を書いて、
という予定通りの生活でした。
いや、「でした」というには早いですね、
まだ、最新作は8500字くらいで、
20000字まで到達せにゃならないですから。

いろいろ励みにして、頑張っていきます。
ちょっとしたアイデアならば、30枚くらいは書けるのがわかりました。
今度は50枚だとか60枚だとか、そういう膨らまし方を覚えること、
そして、そのうち、200枚から300枚くらいの中編を書くこと、
これが目標になります。

経済的には苦しいですが、
まあ、なんとか、
この先のことを考えながら、
どうにかやっていくつもりです。

ぼくの働きや、
ぼくが生み出すものが、
有機的になっていけばいい。
そうなれば、嬉しいですよねー。
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