Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『チルドレン』

2011-04-29 19:30:35 | 読書。
読書。
『チルドレン』 伊坂幸太郎
を読んだ。

もう、7年とかそれ以上前の作品になりますが、伊坂さん初の連作短編集です。
主人公はそれぞれに違う(重複する人もいます)。だけれど、
すべて、「陣内」というキャラクターを中心としての出来事です。
彼は決して主人公にはなりませんでしたが、物語は彼を中心にして回っているのです。
別の言い方をするなら、一つの短編集を刺し貫く閃光のような存在が「陣内」でした。

直木賞候補になった作品だそうですが、そのへんはきっと、家裁調査官について
いろいろと勉強して取材して、それらの情報を咀嚼して物語に使った手法が認められたのだと思います。
たしかに、それぞれの物語のストーリーの意外さなどは、作者の頭からひねりだされたものでしょう。
しかし、際立つのは、やはり家裁の人たちや彼らの関わる少年などの人たちの描かれ方ではないかな。

僕はそういうのはあんまり面白くない方面の人なのです。
勉強してその勉強の成果を提出すれば認められるっていうのが、文学の世界でもなのか、と。
ふんっと鼻を鳴らしたくなります。
文章の構築の勉強だとか、レトリックのオリジナリティだとか、そういった努力は認めやすいです。
そういうのは、自分から生みだす類の努力だからかもしれない。
でも、べんきょーするっていう種類の、元からあるものを読みとってその成果を小説でやるっていうのは、
あんまり好きではないように、今は思います。
まぁ、小説でやるっていうのは、作家としての本分というか、やる意義や意味もありますけどね。
発展みたいなものがあると面白いのかもしれない。『チルドレン』について言えば、発展ではなく、
描写だったかなぁ。それはそれで、力量がなければできないでしょう。

面白かったし、読みやすくて2日で読めましたが、
『オーデュボンの祈り』や『ラッシュライフ』のほうが僕は好みですね。
それは連作短編という形よりも、長編のほうが伊坂さんの本領が発揮されるからなのかもしれない。
それに、はじめての連作短編が今作品だったわけだし。

気分転換に、お気楽に楽しみたい方は、手に取ってみるといいのではないでしょうか。

次は漫画『ハチミツとクローバー』を読んで、その後またなにかしら読みます。
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今ニナッテ言ウ

2011-04-26 19:15:38 | 一言。
あ、石沢雅史さんは仮名です(いつぶりに名前が出たのか)。
彼とは最近、プロ野球オーナーズリーグをやっています。
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見エナイ価値

2011-04-24 20:00:04 | 考えの切れ端
今、今月初めに発売された糸井重里さん特集の『BRUTUS』を読んでいます。
プロローグ的部分では、ほぼ日創刊以前の糸井さんの偉業が語られます。
コピーライター、作詞家、ゲームクリエイター、司会者、などなど
多岐にわたって活躍してこられたんだなぁというのがわかるのと同時に、
いつもほぼ日の今日のダーリンなどでお見受けしている気さくな感じのおじさんである糸井さんが
実はこんなにとてつもない人だったのかっていう驚きからくる身ぶるいもしてしまっています。
ドラマとか漫画とかでもあるじゃないですか、ただのおじいさんだと思っていた近所の人が、
実は若い頃に金メダリストだったとか大企業の社長だったとか、
そういう、隠していたわけじゃないんだけど、おくびにもださなくてっていうの?
人柄からもまるで想像できないじゃないかっていう、その人の過去があったりするじゃないですか。
そんなのに近いものが、糸井さんにもあるような気がしましたが、
それは僕がどんだけ日頃糸井さんを見くびっているのかっていう証明になったりしますかね…。
いやいや、敬愛している御仁なのですよ。
すごい人だってわかっているし、昔から「この人は頭の良い人だ」というイメージを持っているのですが、
この『BRUTUS』に書かれているようにはとらえてなかったんですね。すごいことの七色加減を二色くらいで
考えていたようなところがあります。七色は七色なんだな、とひるみそうになりながら読んだ次第です。
とはいえ、七色を七色だとしても、それを奉るような気持ちでいるようでは、すごい人を前にして
永久に腰がひけたままになります。どこか、「そんなの関係ねー」でもいいし、「そんなの大したことがないぜ」
だのと食ってかかるくらいの気持ちも、成長のためには必要かなと思います。

閑話休題。

その『BRUTUS』の序盤で、糸井さんは「見えない価値」についておっしゃっていることがあります。
たとえばミーティングの時に、何を発言するでもなく、
うんうん聴いていて、ただその場にいるだけの人がいる。
そういう人は無駄なのか、価値がないのかといえば、糸井さんはそうではないと言います。
仕事における功績などの価値が見えない人だとしても、その人には1億人いれば1億人分あるだろう価値の一つが
備わっているわけで、そういう見えない部分の価値っていうのに心ひかれるし、
最近の傾向としても、そういう見えない価値を内包するテレビ番組なんかが見られるようになってきて
嬉しいんだ、と。

こういうのは、多様性とか、非画一性へリードする言葉のようにも感じますね。
仕事ができる人だけ集めてやるっていうのも、一つの画一性なんですよね、たぶん。

この間、面接で(してきたのかよ)こんな話を聞いてきました。
30年くらい前の小売業の世界では、イトーヨーカドーがトップだったそうです。
それで、イトーヨーカドーはどういう戦略を取って行ったかというと、
売れ筋の商品のデータを集めて、売れ筋ばかりの商品を陳列して商売していったそうです。
その結果、売れ筋の商品も売れなくなって、トップから落ちて行ったとか。
つまり、売れ筋の商品だけを並べても売れないものなのだそうです。
たとえば納豆なら納豆で、売れ筋のものも売れないものも仕入れて並べる。
その結果、売れ筋のものが売れるようになるという図式が生まれるそうなんですね。
売れない商品はそれ自体が売れることではない価値を持っているわけです。
そのあたり、さきほどの「見えない価値」に近いものがないでしょうか。
僕はその話を聞いて、単純に、「買い物の楽しみ、選ぶ楽しみが関係しているんじゃないか」と言ったんですが、
そう簡単なものでもないような気がします。もっと汎用できる論理みたいなものが、
この「見えない価値」にはあるように思います。

引き立て役には引き立て役の価値ってものがもっと認められても良いということなのかなぁ。
でも、引き立て役ってことだけに限定はできないですね、「見えない価値」については。

「見えない価値」を認める人や求める人、あってもいいかなと思う人って、生活にゆとりを持っていたり
持とうとしていたりしている人なんじゃないかなと思います。
なにせ、価値判断に時間がかかるものでしょうから。
画一的な価値判断にはスピードがついてきます、わかりやすいので。
しかし「見えない価値」は多種多様で、それを掴み、自分との相性とかを考えて咀嚼して、
場合によっては、自分のスタンスを変えなければいけなかったりしないでしょうか。
スローライフでも、ロハスでも、生活にゆとりを持つ方向へと誘うことをやってきたでしょう、だから、
結果として、時間を使うことになる「見えない価値」についての意識が発達したんじゃないかなと思うんですね。

さっき書いた、売れ筋商品だけではうれないという話は、「見えない価値」としては根源的な部分に位置すると思います。
瞬時に損得を判断する、「買い物」という行為において、意識レベルはそれほど高次ではないでしょう。
そこに商品があり、買うか買わないかの二者択一的な選択ですから。そして、商品は安ければ安いものほど、
その「見えない価値」としての根源的な度合いは増すかもしれない。
といっても、100円くらいが良い所なのかもしれないですが。

そこに並べてみますが、さきほどのミーティングで意見を言わないで聞いてばかりの社員は、
見えない価値としては、どうでしょうか。
やっぱり価値があるかないかの判断においてはそれほど高次ではないでしょうね。
画一性のルールにのっとって処理されてしまうから。
でも、そこで見損なわれている「見えない価値」は、商品の見えない価値よりも高次でしょうね。
いろいろな意味合いを複雑に持っているものだと思います。
優しい顔をしているかずるい顔をしているか、そういうところも見えない価値の一つかもしれない。
まるで仕事と関係なしに、映画が好きだとか音楽が好きだとかというのも、見えない価値の一つでしょうし、
それによって見えない価値が創造されているとも考えることができます。

それで、糸井さんがいうには、そういう見えない価値にみんな惹かれてきているというわけですね。
そういうものが商売になるなら、それは健全な方向を向いているんじゃないでしょうか。
きっと「見えない価値」を真正面からみつめて認める世界っていうのは、
環境問題にも、宗教や民族の対立にも有効かもしれないです。

10年ちょっと前の話ですが、大学生だった僕が受けた講義の中で、こんなことを言う教授がいました。
「散文的抗争体から詩的共同体へ」。
もしかすると、今こそ、この言葉に重みが宿るのかもしれない。

こんなふうに世間は動いて行っているわけで、それは東北大震災と加えて福島原発事故が起こっている
今日においても、180度変わるようなことではないでしょう。
むしろ、生活の質を落としてでも原発をやめようという人がいるようですね、
幸福に対する価値観を変えようとする動きも見られます。
僕の立場としては、まだまだ考えなければ決められないので、はっきりしたことは言えないのです。
でも、今回『BRUTUS』を読んで書いた「見えない価値」などは、突破口にしうる考えの切れはしだと思うのです。

都知事は、今回の震災をいっとき、「天罰」などと評しましたが、
世の中、そういう天罰をもたらされる人たちばかりで動いてきたわけではないことが、
この「見えない価値」を通して感じたりしませんでしょうか。

途中、僕の面接(うかるといいな)の話も挟みましたが、30年も前から、
売れ筋の商品だけでは売れないことがわかっていたようなんです。
それを、もっと他の分野に類推して考えてみるってことを、
あんまりしてこなかったのかなぁ、現代人はという気がしました。
震災のこともありますが、今、日本人はいろいろと真剣に考えなければいけない時期に
生きているようです。
本を読んで知識を仕入れて、自分なりに考えてみたりすることって、将来十分に役に立つ行為でしょうから、
このまま日本人が水に沈む石のようにどんどん深みにはまっていくことはないと僕は考えますし、望みます。
水の中にあって魚であれ、そう日本人にはあって欲しいと思います。
数ある日本人の一人としてそう思いました。

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『知らないと恥をかく世界の大問題』

2011-04-23 17:28:18 | 読書。
読書。
『知らないと恥をかく世界の大問題』 池上彰
を読んだ。

物知りでわかりやすく物事を解説してくれる、テレビでおなじみの池上彰さんの本です。
世界情勢が浅く広くわかる本でした。
僕の感想としては、池上さんはやっぱりテレビの人で、いろいろ受け答えの中から、
説明する方が向いているんじゃないかなという気がしました。
とはいえ、僕はあまりテレビを見ない人なので、最近の番組で池上さんを見たのは
ほんの数回しかありません。

軽い不協和から協和へ、というか、
軽い不安定から安定へ、というか、
そういうふうな語り口、レトリックが多いなというふうに見受けられました。
読んでいて、最初の部分で「それはそうだけど、それだけとは限らないんじゃないか」だとか
思わせられるのですが、読み進めるうちに、それも早い段階で「あぁ、そう繋がるのか」だとか
と納得させられます。

ただ、ページ数の問題でしょうか、多角的に解釈することはちょっと足りないかなと思いました。
そこが、広くて浅い、と僕が評した所以です。
なので、一つの章で、その情報を読者が吟味する楽しみといいますか、情報を吟味する労力でしょうかね、
そういうのはすごく省かれる種類の本でした。
ということは、そこに書かれている情報については、そのまま、比較検討などの材料も無いままに、
著者の物言いをそのまま信じてしまわないといけなくなるきらいがありました。
そういうのはできれば避けたく思ってしまいます。
そりゃ、他の本でも、書かれていることを「信じる」という行為は必要になってきますよね。
だけれど、池上さんのこの本に関しては、あまりにスマートすぎて、整然すぎて、
もっと現実は入り組んで複雑なはずなのに、その複雑さを省いてしまってこちらに見せているな
という気がするのです。納得がいきやすいことの裏返しです。
つまり、自身の論説に都合の悪い情報などもご存じのはずなのに、それは見せないようにしながら
論理的に情報の解説を構築していっている気がする。
さりとて、省いた情報には、省いたなりの考証がちゃんと著者の中にあって、
もし、ページ数にゆとりがあるなあらば、
そこのところもきちんと説明してくれるのかもしれない。

と考えてくると、やっぱり、意図的に軽くて、浅くて広い本を作ったんだなぁとわかってきたりします。
そして、そういう、全体を見渡して、主要なところだけを網羅した、世界情勢の本に
ニーズがあるだろうと踏んでの製作だったのかなという気もしてきます。

ここで気をつけたいのは、こういう本を読んで、なんでも知った気にならないようにすることでしょうか。
やっぱり、それなりに自分の頭をひねってこそ得られる知識や解釈ってあると思うんです。
数多く端折られて論じられたものは、全体的に軽くイメージを持つためというような目的で
手に取る、あるいは向かい合うべきじゃないでしょうか。

そういう僕は、こういった入門書的なものはまぁまぁ読むけれど、そこから専門的な本に挑戦することが
本当に少ない気がしますね。僕にしても、みなさんにしても、いろいろな種類の事柄に触れて、
そこからどれが自分の興味に合うのかがわかれば、
その分野の深い所に足を踏み入れてみるべきなのではと思うところです。
どうなんだろねぇ、ずーっと浅くて広いままでいることと、少し的を絞って、
それなりに深いものを身につけることって。


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『国際協力ってなんだろう』

2011-04-17 13:33:55 | 読書。
読書。
『国際協力ってなんだろう』 高橋和志 山形辰史編著
を読んだ。

発展途上国の問題。
貧困、感染症、教育、知的財産、環境etc...
さまざまな問題を紹介し、他に、より学術的な分析、
たとえば産業集積(一つの都市や地方に産業が集中して経済活動をなす)、
そして技術革新の例、たとえば農業においての東南アジアにおける
「緑の革命」(1960年代からつづく、生産拡大のための米の品種改良など)
の紹介などがなされている本です。

各章の一つの単元が7Pで区切られていて、よくまとまっていて、
集中して読む分には読みやすいです。
ただ、それでも法制度のところなどは、言葉がうまく頭に入ってこなかったので、
ちょっと苦労して読みましたし、理解度は低いです。

そういう、ちょっと難しいところがあります。
岩波ジュニア新書なのですが、たぶん、中学生が読むにはけっこう厳しいと思います。
現代文が得意でいろいろな言葉を知っていたり、辞書で調べる労をいとわない人には
いいかもしれません。

海外で国際協力をしようと思っているわけでもないのに、何故このような本を
読んだかと言えば、内容からいろいろ類推して役立つことがあるだろうと
思ったからです。その読み通り、格差社会が到来している今の日本においても、
上記の貧困や、それと保険の問題ですね、そういったことがらが、
まるで遠くの出来事ではなく、日常の問題だということに気づくことになります。
日本は豊かですから、そういう社会の暗部的な問題って、霧に隠れているような
感じだと思うんです。そこを、発展途上国の現実を眺めることで、
他人の振り見てわがふり直せじゃないですが、自国の状態を把握するのに
フィードバックがあったりします。

条件付き現金移転政策というものが、途上国向けにあります。
たとえば、85%以上の出席をする子どものいる家庭の母親に対して、
補助金を与えるだとかというものです。
これって、日本でいえば子供手当じゃないですか。
子供手当が条件付き移転政策の簡易版のように見えてくる。
そして、なぜ条件付きなのかというところが本書に書いてあります。
85%の出席によって、勉学に挑む時間が増えて、子供の教育レベルが上がるというものです。
そのためには、出席させたことに見合う、教育の質っていうものが必要になってきます。
さて、そのあたり、日本の子供手当はどうなのか。
どうも、教育レベルを上げるためじゃないことが推察されますね。
つまり、高齢化、出産率の低下をおさえるための、現金(所得)移転政策なのでしょう。

また、他の諸問題についても、ぶっ飛んだ類推を必要とせずに、
日本の現状を改めて考えるのに役立つかなという気がしました。
問題認識に適しています。

ということで、本書の結びにも書いてありますが、
国際開発の問題全体を広く見回すのに向いている本でした。
国際協力をやりたいなと漠然と考えている方は、
まず、この本を手に取ってみて、どういうものなのかを把握してみて、
それから、気になるカテゴリーを新たに深く掘り下げてみるのが
良いかと思います。

まぁ、いまは日本が大変な時期ですから、海外に目を向けていられない
人が多いかもしれないですが、それであっても、
さっき書いたように、日本の諸問題としても読めるものなので、
時間のある方はさらっと読んでみても損はないでしょう。
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放射能差別ヲスルナ

2011-04-14 19:15:10 | days
放射能は感染しません。
住み慣れた土地を離れて、住み慣れないところで
適応していこうとしている避難している人たちにたいして、
放射能差別なんかするもんじゃない。

他人の傷口に塩を塗り込むような行為です。
足を引っ張る行為です。

差別っていうのは、するほうには妙な快感があるものです。
快感というか、優越感にひたるたぐいの感情が、そこにはあります。
そして、差別の対象の人たちに近づいたり接したりすることに、
心地よい恐怖感、といったら変な意味合いだけれど、
ドキドキを楽しむ面白さというものさえあったりします。

みんなで助け合っていかねばならないときに、
そういうくだらない行為が存在するということは非常に残念です。

はっきりいって、そういうことをする人たちは外道です。
なにはなんでも、外道です。
僕なんかにも言われてしまいますよ、言い訳無用に外道です。
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文系ノ推理ヲ訂正

2011-04-08 09:48:38 | days
放射性物質とタバコのリスクは同じくらいじゃないかなんて、
先日の記事に書きましたが、どうやら恐ろしく間違っていたようなので、お詫びいたします。

そして、訂正のためのリンクを貼ります。

英語圏の総合科学誌「ネイチャー」の福島原発事故Q&Aの日本語訳
これはツイッターで糸井重里さんが紹介していました。

なんでも、100mSvの放射線を浴びても、
タバコを吸う場合の1/50~1/100の発がんリスクなんだそうです。
まぁ、何十年と放射線を浴び続けるとどうなるかとか、
内部被ばくした場合とか考えますが、
まずはそれほど、思っていたよりは危険ではないみたいです。
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原発関連ツイート

2011-04-06 19:04:49 | days
ツイートから。
そして補足します。

◇「喫煙はあなたの心筋梗塞のリスクを高めます」とかって、
タバコの箱に表示されていますが、今後、食品に対しても
「これだけの放射線物質が含まれているので白血病のリスクを高めます」
とかって表示はされるべき(バカ)。基準引き上げってなんなんだよ…。

→つまりは、タバコと放射性物質の健康に対する悪影響の具合が、今のところ
似て見受けられるということです。ただちに健康を害する危険はないが、
将来的にガンだとかのリスクを高めます、というところが。
じゃあ、タバコに関しては、分煙促進、増税などをやって、
喫煙者を少しづつ追い立てていくような風潮が世間も政府も席巻していますが、
放射性物質だって同じようなものなのに、政府は「安全だ」と謳う。
こりゃ、タバコのときと違ってフェアな対処じゃないね、となる。
そして深読みすると、タバコのように民衆に嫌なイメージを放射性物質に植え付けることが
政府はできないんだなぁというところに行きつきますね。
どうしようも逃れようもないから、真っ当なイメージ、つまり危険だというイメージを
根元から持たせないように、あるいは、もうダメだと分かっている人同士で、
「大丈夫だよ」と、不安に飲み込まれないそのためだけに言いあうのと
同じような「安全です」宣言のように思えてしまいます。
とか、こんなこというと、不安を煽りますね。
僕はやっぱり良くも悪くも考えますが、タバコレベルなんじゃないかと考えています。
これが甘い判断か辛い判断かは人に夜でしょう。


◇放射線物質の規制値を引きあげて異常を普通にしていくことが非常事態。
「まぁまぁ、そんなに不安がらないで…」みたいな政府の対応。
そんなに「非常事態だ」という意識は国民にとって不必要なのでしょうか。
まぁ、風評被害どころですまないことになるからなぁ…。

→さっきと同じように、基準値を上げていって、
原発事故以前ならば「異常」とされていたものを、
「普通」に変えてしまう行為を政府はやっているんですね。
異常なはずなのに、非常事態のはずなのに、その基準となるものを変えてしまうことで
普通にするイリュージョンを政府はやりました。
こういうのがエスカレートすると、「この基準値ならば50歳まで生きられるから安全にしよう」
というところまで行きますよ、民衆が文句を言わないならば。
まぁ、その線引きがどこまで許されるものかというのが心理学的なところで決まりはするでしょうが。
そうまでして、「非常事態」だと言わないのは、
非常事態宣言をすると不利益がたくさんでてくるからだと思います。
民衆に対する対内的なものでも、貿易とか外国に対する対外的なものでも。
これも心理学的なものですよね。大丈夫だ大丈夫だと言い続けていたら、
なんとか大丈夫だったってこともあるかもしれない。
客観的にというか、唯物的にというか、そう言うならば、非常事態です。

と、最近は、煽るようなことばかり言っているような僕かもしれないです。
不正な感じがなんだか少しばかりイヤなのです。子どもっぽいかもしれない。
放射性物質の飛散予測も、気象庁がずっと出していたのに、政府は発表していなかった
ってニュースもあったでしょう。信頼を失墜するとどうなるか。
この情報社会の世の中で、政府は、旧来の情報処理や隠ぺいの仕方では乗り切ることはできません。
大丈夫なら大丈夫なりに、もっと説得力のある説明や、隠ぺいをしないことなどを
徹底してやってほしいですね。

※2017年1/23追記
→「放射能など風評被害につながる記事を修正しました。」に、
この記事よりも正確な情報に繋がるものが載っています。
是非、そちらをお読みくださいませ。
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『悪霊 上下』

2011-04-03 19:52:50 | 読書。
読書。
『悪霊 上下』 ドストエフスキー 江川卓訳
を読んだ。

いわゆる、ドストエフスキーの五大長編と呼ばれている小説の中で、
僕が読む一番最後の作品がこの『悪霊』でした。
最初に『罪と罰』を読んで、つづいて『白痴』、『未成年』、『カラマーゾフの兄弟』と
読んでいったのでした。
けっこう、読んだ作品の間の期間が長いのですが、
読むたびに深く作品に入り込めていけているような気がしています。
『罪と罰』よりも『白痴』のほうが作品の理解度が高くなった、というような気がする。
それだけ、ドストエフスキーになれてくるのでしょうね、そのうち何年かして再読したら
もっとよく読めそうな気もします。

こんなことを書いていると、読んだことのない人は、きっと難解なのだろうと
推測してしまうと思うのですが、ドストエフスキーの場合は、
その重厚感に疲れる手合いの小説でしょうか。
たしかに、意味が取れない難しい思想を披瀝する会話文などが出ては来るのですが、
大体においては、やさしい文章が積み重なって、物語の多義性というか、多角的なスケッチの仕方というか、
伏線をたくさんこしらえ、それらが本流に合流していくという形がとられているんじゃないでしょうか。
そして、キャラクターの性格の、文章中での構築の仕方も、無駄がないように思います。
かといって、文章も構成もカツカツしていないですね。
非常にゆとりをもちながらも、そんなあれやこれやを包括してしまう才能を
ドストエフスキーは持っていて、きちんと作品を完結させます。
まぁ、カツカツしていない、きゅうきゅうとしていない、といって、何と比べてそうなのかって話になりますが、
現代の小説と比べてになるのかなぁ。それだけ、五大長編は1作品で2冊とか3冊とかで編まれていますから、
分量のせいでそう感じるのかもしれません。
また、ドストエフスキーの作品は現代の予言書とも形容されることがあるらしいです。
すなわち、いたって現代的なテーマを取り扱っていて、現代的に出来ている。
19世紀の世から彼の作品をリアルタイムに見ていた人々は、
随分新しいものだ、と捉えていたのかなぁとも思います。
しかし、その現代的である彼の小説の背景、つまり産業革命は起こっていても、
まだ近代化していない時代という、なにかそこのところが大時代的と言っても良いようなゆとりを
もたらしていて、カツカツとしていない要素をちょっと感じさせるんじゃないのかなと思うのです。
とはいえ、混沌期の不安定感はありますが。

『悪霊』について言えば、道化が何人か出てきますし、またこれがうまく書かれていて、ドストエフスキーの
性格の悪さというかユーモアを感じさせずにはいられませんでした。
そして、1300ページくらいある中で、最後の300ページくらいは目を離せない展開なのですが、
それまでの前置きとでもいえる部分には読むのに忍耐が必要でした。
それは僕の読解力や想像力が至らないだとか、本当の読書好きじゃないだとか理由は出てきます。
だけれど、普通の本好きとしては、やや読むのが面倒くさいです。
さて、その最後の300ページですが、その展開とそれまでの流れからくる計算を考えてみると、
ドストエフスキーは本当に酸いも甘いも噛み分けた、
悪党であり識者であり才人であり愚か者だなぁという感想を持ちました。
愚か者だっていうのは、小説に出てくる愚かな人物にすごく血が通っているから
これは彼の分身じゃないのかと思うせいもありますし、
登場人物を苦しめすぎだという気もするからです。
ただ、後者の、登場人物を苦しめすぎだ、という感想は的外れなのはわかっています。
そうでもしないと、表現できないことというのがあるからですよね。

それにしても、主人公のニコライ・スタヴローギンはどれだけイケメンだったんだろう。
これだけの色男で悪漢っていうのはなかなかいませんよね、創作の中の男だとしても。
逆に、ファム・ファタールなんて呼ばれる、魔性の女はわんさかいませんか。
女ってやつぁ…。そしてそれにひっかかる男ってやつぁ…。
ん。なんで、魔性の女にひっかかる男っていうのはちょっと哀れだけど愚かな感じがして、
スタヴローギンにひっかかる女はすごく哀れで可哀相なんだろう。
女ってものの一途さがそう感じさせるんですかねぇ。

この作品のテーマの一つに、無神論がありますが、
現代ではそれが当たり前になってしまいました。
とくに、日本では、ほぼ無神論だったりしないでしょうか。
19世紀のロシアでは、無神論の世界こそ退廃であり終わりであるみたいな
捉え方をしているところがありますが、
それだけ、人間という存在は神様抜きでは暴走して破滅するであろうことを
自覚しているといえるでしょう。
はたして、現代の無神論の世で、神様の代わりに秩序を繋ぎとめられる存在というのは、
なんなんでしょうね。法律、愛。ぱっと思いつくのはそういうところかな。
そういえば、人間の脳には電気で刺激すると神様を思い浮かべる部位があるそうです。
神様を信じたり、その存在を考えたり、祈ったり、そういう行為は遺伝子にすら記載され
設計されているものなんですかね。
人間の人格の安定のためには、神様が必要なのかもしれない。
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試聴プリーズ

2011-04-02 23:38:58 | days
vitamix music」に置いてある曲の
中から一曲貼りつけました。どうぞ試聴してみてください。
被災者に届けば元気の芽に水をあげることができるんじゃないかって、
もしかするとですが考えているんですよ。どうかなー?

Free Will
Comments (2)
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