Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『西瓜糖の日々』

2016-10-29 22:35:53 | 読書。
読書。
『西瓜糖の日々』 リチャード・ブローティガン 藤本和子 訳
を読んだ。

久しぶりに、
「やった!見つけた!」と
読み始めてすぐから喜びを隠せなかった作品。

iDEATH(アイデス)という場所を中心とした
西瓜糖で出来た世界の物語です。

西瓜糖って架空の存在のはずなのに、
amazonで検索すると、
西瓜糖濃縮エキスというものが引っかかるのですが、
これは、この『西瓜糖の日々』からヒントを得て
作られた商品なのでしょうか。
なにより、このエキスがどこにどう効くのかも知りたいですが。

名を名乗らないというか、
名のない男が主人公で、
やさしく静かなこの世界でストーリーは進んでいきます。
文章は詩的な散文で、ほとんど接続詞はなかったような(皆無かもしれない)。
そして、描かれる暴力があり、愛があり、そして平和な日常があり、
という感じなのです。
それがとっても、びっくりするくらいに心地よい。
ずっと浸っていたい世界でした。

60年代中ごろの作品です。
村上春樹さんも影響を受けているのではないかなあ。
おもしろくて、不思議と浸透していくるような文章と内容。

iDEATHという土地、場所の名前からして、
ぎらぎらした自分をもったひとがいない、
つまり、そういうわたし(I)を失っている(DEATH)
という寓意があるのかもしれない。
それがいいとかわるいとかじゃなくです。

悪党とされる人々が住み始める
「忘れられた世界」。
そして、ひとの言葉を話す人食い虎たちのいた時代。
そういったひとたちや事柄などが、
白と黒、光と影、表と裏のように、
一様な明るさのなかでiDEATHの人びとが送る生活に
立体感のようなものをもたらしているように読めました。
幻想小説のなかに、現実のシビアさを寓意として、
さらにはファンタジーの翼をあたえて表現したもののように
ぼくには感じられました。

といっても、内容にしても、文章にしても、
これだっていう断定のきかない感じで、
逆に言えば、だからこそ魅力的なのかなあと思いましたし、
それでこそ素晴らしいんだ、というように、
小説というもののとある方面の頂きを極めた作品ともいいたいくらい、
惚れましたし、気に入りました。

ぜひ、手にとってもらえたらなと思います。
今年読んだなかで一番のおすすめです。


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サービス業、アイドル業の心得。

2016-10-23 22:11:20 | 考えの切れ端
訪れるお客さんに楽しんでもらって
その体験などを明日からの生活の活力の糧としてほしいことを望んで働いている。
サービス業の根本ってそういうところにあると考えている。
それもちゃんと対価をもらうことがフェアであるとして。
無料でなんでもかんでもやってもらうというのは違うと思っている。

若い頃から、
いろいろとアイドルとかミュージシャンとか映画とかにハマって生きてきたから、
そういう考えを自然に持てるようになったのかもしれない。
もちろん、何種類かサービス業を経験してのこと。

そして、ぼくの好きな乃木坂46の娘たちも、
私たちから元気を得てくださいという感じで活動している。
ありがとう、と思いながら対価を払い元気を得ている。
そういうことが社会の構成員として健全だとしっかり思えるようになったのが、
オトナになってからの大きな変化のひとつかなあ。

苦しんでまでアイドルを応援することはない。
精神的にも経済的にも。

応援して、応援が返ってくるというようなのが、
たのしいアイドルファンライフでしょう。

手続きとして金銭の授受が発生するのだけれども、
金銭の授受が第一の目的となってしまうと、
途端に中身が無くなりしらけるんですよね。

同じような見た目でも、
金銭の授受が手続きとしてあってサービスが行われる場合と、
金銭の授受は一応の手続きだよという欺瞞があって
骨のないサービスが行われる場合があり、
後者が巧妙なこともあるから皆がそれを疑い、
なんにせよできるだけお金を払いたくない、
という心理が生じるんだと思う。

悪貨は良貨を駆逐する、というパターンですかね。

まあ、一応のまともな商談っていうのは、
悪いけどお金がかかるよ、というエキスキューズののちに、
でもこれだけのことをします、ということを包み隠さず、
拒否権をしっかり相手に与えて選んでもらう、
ということではないのだろうか。
ちょっと牧歌的なようだけど、基本はこれだよね。

欺瞞に多いのが、拒否権をできるだけ与えないような言い方をする、
というやつでしょうか。

商売の立ち上げまもなくのときなんかは、
強引にやっちゃうとは思うんだよね、それはそれで命がけだから。
それを「悪い」ともいえない気持ちで見てしまうんだけれど、
ちょっとそれって危うい気がするんですよねー。

あのアイドルがどれだけ稼ぎました!
どれだけのDLがありました!
と数字の大きさを報道する場合も、
その仕方によっては、
実はアイドルを潰す行為になるんだと思いますよ。
報道が毒になる難しさじゃないかな。
なぜなら先述のように、金銭の授受は手続きなのに、
それが目的のように見受けられちゃうから。
数字の大きさを見て、ああこんなに今、愛されているんだ、だとか
勢いがあるんだだとか、その程度に数字を見るには、
しらける心理は生まれにくいようにも思うのです。
金もうけが第一義で、
みんなが受け取っているサービスは、
心からのものじゃない、となると、
随分しらけてくるでしょう?

それなんですよね。

ただ、マナーの悪いお客さんや、
過剰な要求ををするお客さんがいて、
そういうひとたちとのやりとりで、
お互いが劣化することもあると思います。

心得るのは、
なにもサービスを提供する側だけじゃない。
サービスを受ける方にも心得は必要なんですね。
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『普段着』

2016-10-20 00:01:46 | 読書。
読書。
『普段着』 西野七瀬 撮影:藤代冥砂
を眺めた。

乃木坂46の西野七瀬さん、通称なぁちゃんの1st写真集。

このあいだ2nd写真集が発売されて、
めざとくぼくはそれも手に入れているのですが、
まずは1stを見てみないと、と、開封しました。

水着姿がまぶしく、でも、しっとりとして
おとなしい感じのなぁちゃんらしさが漂う
等身大の写真が並んでいました。

無口で、でも、前を向く強い気持ちもきっとちゃんと持っていて、
自分からは前へ前へとでなくて、謙虚だったりもして、
しゃべるのには四苦八苦しているところもあり、
爬虫類が大好きで、「どいやさん」という珍キャラを発明した
西野七瀬ちゃん。

non-noのモデルもされていて、女性にも人気があるのだとか。

こういう写真集をみると、被写体の女の子とねんごろになりたい、
そんな気持ちがむくむくとわいてきます。
このなぁちゃんの写真集も類にもれずでした。
かわいいもんねえ。

守ってあげたさってものも、
男性読者諸氏の胸の中のスペースを大きく締め出すことは間違いない。

なぁちゃんの悩みをいろいろ聞いて、
相談に乗り、彼女を抱きしめる妄想を抱いていいですか。

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『声優魂』

2016-10-19 20:46:03 | 読書。
読書。
『声優魂』 大塚明夫
を読んだ。

帯に大きく、
「声優だけはやめておけ」
と書いてあります。
恋人や伴侶にするのはやめておけ、
という意味ではなく、
声優になるなんて勘違いをするな、
と言っている。

裏表紙を折った返しのところには、
____

「大塚明夫がやめとけって言うのならやめておこう」
とすぐに思ってもらえないのは、
私がまだまだ未熟な人間である証でしょうか。
せめて本書を読んで、
声優という夢をさっぱり諦めていただければ幸いです。
____

とあります。

ハイリスク・ローリターンの最たるものである、
声優という仕事。
そのハイリスク・ローリターンぶりを、
現実感を持って頭に描いていないひとばかりが声優を目指し、
専門学校に入ることを、著者はちょっと立ち止まって考え直せ
と終始一貫して言っています。

ほんとうに自分のやりたいことと声優業が一致していて、
さらに努力を惜しまず、才能を持っている。
そういうひとで、さらに、安定をもとめずに
声優の仕事を好きでいられるのならば、
声優を目指し、そしてやっていくことに文句は言わない、
というように、逆説的に本書から読み取れもします。

しかし、やはり、
「声優を志すお前等若者よ、その勘違いに気づけば、
声優なんて目指すことのバカさ加減がわかるだろう?」
という調子なんですよ。
それはある種の不器用な思いやりなのかもしれない。

ぼくはもちろん、声優を志すことも、志そうと思ったこともありませんが、
著者の大塚明夫さんが、昔、従兄と一緒にやった
「メタリギア・ソリッド」という有名なゲームの主人公の声を担当していたこと、
新スタートレックの副長の声を担当いていたこと、など、
彼に対してうまくて印象に残る声優だなあというイメージがあたまにあったことから
本書を読んでみたのでした。

本書の論調のひとつの骨にもなっている、
「なによりも好きであること」については、
でも、嫌いでも得意ならやっていけるんだろうなあ、と、
最近の糸井重里さんのツイートから考えてもみました。
好きよりも得意な方が、何かをやるには向いている。
それは幸福か否かとは別次元の話なんでしょうね。
やっているうちに好きになる得意なこともあれば、
まったく嫌なままの得意なこともあるでしょう。

はたして、好きなことを得意していくことはできるのか?
本書では、まず勘違いから逃れることで、
ほんとうにそれが好きかどうかを洗い直すことが大事だとしている風です。
そこから、自分の進む道をどうするか、
それは楽しいほうを選びなさい、
そして、楽しい方とは大部分のひとにとっては、
声優というハイリスク・ローリターンな世界ではないでしょ?
という結論になっていきました。

これは、物書きの世界だって同じようなことが言えますよね。
個人業の夢を持つ人なんかには、
ちょっと類推しながら、ところどころをメタファーとして読むと
いろいろと考える種が見つかる本でしょう。

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『砂漠』

2016-10-18 00:32:07 | 読書。
読書。
『砂漠』 伊坂幸太郎
を読んだ。

直木賞候補にもなった作品です。

読んでいると、自分の大学時代を思い出しましたねぇ。
そうなんですよ、この作品は、主人公たちグループの、
大学入学から卒業までの期間のなかでの物語なんです。

麻雀やボウリングに興じながら、
友人関係、恋愛関係を楽しむ彼ら。
まるで「人生でもっとも良い時」であるという輝きすら感じさせます。
そんな、タイトルの「砂漠」と相反するような「オアシス」な学生時代なのですが、
社会の「砂漠」に囲まれているそのなんともいえない、
当人たちからするときっと不気味でうすら寒い感覚を
ふとした瞬間に味わったり、考察の対象にしたりなどして、
それでも、そんな砂漠にいつかは出ていかなくてはならないことを
主人公は漠然と予感している。
しかし、たぶんに、主人公たちかれらは
そんな「砂漠」たる社会に足を踏み入れた後にも、
砂漠にいる渇きや飢えに苦しむことにはならないように思える。
「砂漠」は彼らにとって幻影になり下がったんだと思えます。

「砂漠」を予感しながらも、
それに捉われず、有意にも無為にもそのどちらに偏り過ぎずに、
とにかく、生活してきたこと。
主人公・北村の変化や鳥井や南や東堂や西嶋たちみんなの変化が物語るのは、
最後の場面、卒業式での学長の言葉そのものが当てはまるのではないだろうか。

外的な関わりとしては、
連続強盗犯、空き巣グループ、キックボクサー・・・などがいて
いろいろと彼らがテーマになったり要素になったりして、
物語は進んでいきます。
そういう絡み合いを読みながら、
やっぱり、仲間ってものの好さ・大学生くらいの時期の好さを味わうような
作品だったかなあという感想です。

いやぁ、良かったですね、おもしろかったです。
自分が書くことを考えて勉強しようと序盤から中盤にかけて、
そういう意識でもいたのですが、
語られる中身がしっかりしていることの大事さを知ったような気がしました。
・・・とか、そんな感じでもなかったりして?!


Comments (2)
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他律性の正体がみえてきた。

2016-10-17 12:51:48 | 考えの切れ端
前にも書きましたが、
他律性はイライラや強い疲労感を生む。
で、他人の人生の主人公にまでなろうとするひとが
他律性を行使するんですよね。
そうやっていって他人が苦しみだしたら、
自分は関係ないと言うどころか、
アイツはダメだとかディスりはじめます。
自律性の確保、他律性を近づけない、
これができたら大分生きやすくなりますよね。

ほんとうに、
干渉や他律性の行使が目に余るひとには、
蹴りを入れてやっていいと思います。
個人的に。

俺だ俺だ!っていう自分のことだけしか考えないと
生き残れないんだと思わせられる種類の競争社会が、
他人に対して他人自身の自律性よりも
自分の考えや意図をおしつける他律性を流行らせるんだと思いますよー。

世の中、出る杭は打たれるのだから、
「他律性を発揮する」という出る杭こそ打たれればいいのに。

また、
世のなかでどれだけ、他律性が大目に見られているかっていうことです。
みんな、少なからずそういう干渉したい気持ちがあって、
それが強引過ぎて他人をコントロールしようとしてしまう、
つまり他律性を発揮してしまうんだろう。

善意なんだよね、干渉したい気持ちの源って。
だからこそ、善意を発揮する時は申し訳ない気持ちで、
もっと言えば悪いことをしているような気持ちになることは大事になるんです。
吉本隆明さんが言っていたんですよね、
善いことをしているときは、悪いことをしていると思ってやる、
みたいなことを。

利己によるものと善意によるものと。
他律性(他者コントロール性)ってその二つからあるものかなあと
今のところ考える。
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