Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『ダーク・シャドウ』

2012-05-24 21:10:22 | 映画
ティム・バートン監督の最新作で、
またしてもジョニー・デップ主演の映画
『ダーク・シャドウ』を観てきました。

60年代から70年代にかけて5年間放送されたTVドラマを
映画化したものだそうですが、良い意味でB級。
久しぶりに映画を観たこともあるでしょうけれど、
とても楽しめました。

映画冒頭のわくわく感から、
ほどなくしてB級に落ち着いて、
肩の力が抜けて観られるのです。

そして、ティム・バートン色を抜きにして
考える最大の特色は、キャスティングの妙でした。
とくに美女たち…。

家族を大事にすること、というテーマがありましたが、
それによってどんな良いことがあるかのような、
説得力はとくになかったですかねぇ。
そういう教訓映画ではありません。
「家族を大事に」というのがでてきたとしても、
それを映画ないで統一して作ったり、内包させたりという
ものではなく、映画のパーツの一部的に
使用するという方法がとられています。

内容に破たんがないかどうかをあまり気にしていないところが
B級に感じるゆえんなんだと思います。
面白ければいいという、B級方法論。
ティム・バートン監督は、史上最低の映画監督と言われる
エド・ウッド監督にシンパシーを感じる人で、
彼を映画にしたくらいですから、
エド・ウッドに「こうだろ?な?」と語りかけるような
映画を作るのではないでしょうか。

僕としては、『チャーリーとチョコレート工場』、
『スウィーニー・トッド』、『アリス・イン・ワンダーランド』ら
近作の中では、もっとも面白く観られたバートン監督映画でした。

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未熟ナ人類ヲ保護シテイタ(ル)モノ

2012-05-17 23:51:20 | 考えの切れ端
たとえば。
18世紀のヨーロッパの保守的な人たち、いや、一般的な人たちでもいいかな、
そんな人たちが21世紀の世界を知ったら、
きっと、「世も末だ」
「堕落した」
「悪に席巻された」
と思うんじゃないかと、今読んでいる本から感じた。

その本については、読了してから感想を書きますが、
秘密結社の思惑通りに、実は世の中は進んだ…というオカルト的な考えよりも、
そういう秘密結社の先見の明というか、世の中の進歩の仕方とそれによる変化を
十分に捉えていたのだろうなという結論を持ち始めています。

なんのことかわからないでしょうが…。

まぁ、イルミナティとかの話ですよね。

それと、「理神論」というやつ。
それこそ、おいらの考える創造主の考え方だなと思いました。

つぶやきみたいな更新になりました。

未熟な人類を保護していた(る)もの。
それは宗教ではないかな。

神様はよくぞ、人間の脳に「神を感じる部位」を作られたものです。
それがあってこそ、人間はとりあえず今日まで滅びずに済んだのでしょう。

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『公式本 LIVE福島』

2012-05-03 13:03:54 | 読書。
ほんじつ二冊目の読了。
『公式本 LIVE福島』
を読んだ。

すべては読まずに、ぱらぱらと読みました。
箭内さんのところとか、長澤まさみちゃんのところだとか。
被災地でのLIVEによる応援。歌ってこういう場合、すごく不器用なんだと思った。
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『梅棹忠夫 語る』

2012-05-03 11:48:13 | 読書。
読書。
『梅棹忠夫 語る』 聞き手 小山修三
を読んだ。

糸井重里さんが『ほぼ日』で、
この梅棹忠夫さんの著作の一つ、
『情報の文明学』を崇めるくらいに(?)評価していたと思います。
ほぼ日の生みの親の一つは、この梅棹さんの著作でした、というように。
それを聞いて以来、僕も梅棹さんに興味を持ち、『情報の文明学』を読んでみたりしたのです。

それで、まだ全然、吸収し足りない。
梅棹忠夫という人に少しも触れていない気がしていました。
本書『梅棹忠夫 語る』を書店で目にしたときに、どうも軽すぎそうな本だなと、
買うか否かを逡巡したのを覚えています。
それでも「えいや」と思い切って購入し、しばらくしたった今回読んだのでした。

--日本人は批判に弱い、批判は非難とは違う--

--現象論ではなく、若い人は本質論をやれ--

など、90歳を間近にした梅棹さんの口から、今あげた言葉の前後をまじえると
やはり老いたためか柔らかくなったと感じる言葉が飛び出します。
しかし、そんな柔らかな言葉は本質を突いていたりします。

言うことの、言葉の中身だけを考えるのも良いのですが、
その言葉を発する人の、人となりを知ることもすごく大事だと僕は考えています。
ましてや、巨人と評されるような人はどういう人で、どういう思考をして、
どういう経験をして、どう生きてきたか。
そう言うのを知ることは、生きていくうえでの参考にもなりますし、
人間理解に役立つこともありますし、
場合によっては、他人へのアドバイスの源泉となったりもするでしょう。
つまり、見識が深まります。
「わたしには理解できないわ、あの人」という機会が減ります、
いろいろな人を知っておくことは。
そうして、なかなか現実に出会いが少なく、立派な人と接することがないという人にとって、
こういう本という媒体が役に立つんですよね。
僕は常々、読書は対話だ、と思っています。

若いうちに、いろいろな考えに触れておきなさい、最低でも30人…だったかな、
僕の母校の教授がそんなことを言っていましたが、
それは正しいような気がします。
まぁね、頭が柔らかけりゃ、少し年を取ってからでも、いろいろな人の考え方に触れて
「そういうのがあるんだな」と踏まえることが出来たりもするでしょうね。

話は逸れ加減ですが、
そんな文化人である梅棹さんに大きく共感したことが本書にありました。
偉人と言っても良い梅棹さんでさえ、自分は世界のほんの一部にすぎないと思っていたこと。
自分がいなくても世界は回るという身の程をしっかり持ってらっしゃったようです。
そういうの、僕は大事だと思っているんですよ、なかなか説明はできないですが。

すらすら読める本です。
箸休め的な読書をしたい方に向いているかもです。
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