Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『西の魔女が死んだ』

2016-03-28 21:20:30 | 読書。
読書。
『西の魔女が死んだ』 梨木香歩
を読んだ。

登校拒否を起こした女子中学生のまいが、
おばあちゃんのところに預けられて、
昔ながらの生活を楽しんで送っていくお話。

おばあちゃんの話す、
魔女の心得だとかその理論が
ほんとによくできていました。

たとえば、
自分の持つ直観に従う気持ちと、
その直観にとらわれて妄想に陥って苦しむ気持ちの
どっちもあることが書かれているのですが、
そういう風に心の動きについて考えたら、
色分けのできていなかった自分のそれに名前がついたようで、
すっきりする人(とくに少年・少女)も
多いのだろうと思いました。

文体は柔らかく、
とにかく内容を際立たせて載せて、
自分は目立とうとしない黒子のようでした。
ストーリーや内容の邪魔をしない、
淡々としながらあたたかい、
読者の想像力を喚起させることに尽きるような文体だと
読み受けました。

また、生活の知恵だとか、
植物や動物の知識だとかが、
単なるエッセンスとしてだけではなく、
物語の滋味として、
そして主人公のまいの復調していくさまに絡む、
主要なエネルギーとして存在していました。

読んでいて感じたのは、
これはジブリ作品が好きな人は好きになる作品だなあということ。
正面から家事を描いているところなど、
共通点があります。

巻末には、その後のまいのお話も。

おもしろかったです。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『経験を盗め 心と体の不思議編』

2016-03-25 22:43:58 | 読書。
読書
『経験を盗め 心と体の不思議編』 糸井重里
を読んだ。

糸井重里さんがホストとなり、
一回ごとに招いたゲスト二人とともに行う鼎談集。

中公文庫から三冊でていて、
5年くらい前に『文化を楽しむ編』を読んでいて、
今回は『心と体の不思議編』を読んだのでした。

対談が行われた時期は、2000年前後のものが多かったです。
新しくても2004年だとか。
それでも、そのトピックが、当時としてはあっていたけれど、
今となっては的外れでした、というものはなかったですね。
「心と体」に括られる内容のものばかりを集めていたとしても、
すべてが違う方向を向いているような感覚で、
章が変わる都度、新たな気持ちで、
あたまの違う箇所をくすぐられるような思いができます。

ただ、当時としては
きっと先進的なトピックを扱ったんだと思われますが、
いまや一般化しているものが多いでしょうかね。
それはYahooニュースで読んだことがあるだとか、
違う本で読んだなあとか、あります。

それはそれとしても、
喋っている三人の傍らにいる感じで臨場感をもって読めて、
ときに感心し、ときに吹きだし、
といった体で読み進められて、
難しい話も会話という性質上、
比較的、噛み砕かれているので、わかりやすく、
肩も凝らずに読み進められます。

おもしろかったです。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『幸福論』

2016-03-21 20:31:02 | 読書。
読書。
『幸福論』 アラン 村井章子 訳
を読んだ。

昔、ヘルマン・ヘッセの『幸福論』を読んだことがあり、
そこから掴んだ幸福というイメージを、
ぼくなりに消化して幸福を定義していました
(というか、書いてあったわけですが)。
それは「没時間性」でした。
時間を忘れて打ち込んだときの幸せ感こそが幸福である、
というものでした。

そういうわけで、
それ以来、幸福を論じる種類の本を避けていたのです、
どうせ同じことを書いているかするんだろう、と思って。
しかし、このアランの『幸福論』はずいぶん著名な作品だと知って、
いつか読もうかなと思っていたら、
個性あるおもしろい体裁の本としてこの村井章子さん訳のが出たんです。
それで買って、長いこと本棚に横たわり、そして今回読みました。
93章からなり、各章2~4ページくらいのボリュームです。

でもって、たとえば、不機嫌と退屈と不幸の関連性などが
何章かにまたがって書かれていて、そうだな、そうだな、
といちいち腑に落ちる感じで読めるのです。
うちの親父のことをドンピシャで言い当てている、と思いながら。
まあ、それはいいですが。

しかし、アランの言い分に異を唱えたくなるところも間々あったのです。
例を出すと、戦争抑止とか人の気持ちを考えることの大事さだとかの観点から、
想像力を強くしていこうっていう風潮ってあるじゃないですか。
でも、所変われば品変わるじゃないけれど、
想像力は不機嫌の源でもあり、
恐怖や不安を呼ぶものだとする本書でのアランの主張もある。

9.11テロのときに、
死んでいった人たちひとりひとりに
人生があったことを考えようみたいなことを言った人がいて、
ぼくもそうだよなあと深く感じたんだけれど、
そうやって自分の感度をあげて、
木の枝を一つ切ることにも痛みを感じるような感性でもって
生きるべきではない、とこれまた本書の考え方。

アランの主張していた時期は第二次大戦前だから、
感性の話には深みがないと思えもするのだけれど、
これはこれで第一次大戦の傷から立ちあがるのに
必要な考え方だったとも考えられるのです。

何が言いたいかというと、
時世や状況や場所によって考え方って
それぞれになるなあということです。
“想像力”にしても、“感性”にしても、
その捉えかたや重きを置くかどうかも変わってきます。

ひとって、
けっこう自分の核にしたい考え方や視点に
絶対性を求めがちなんだけれど、
考え方ってものも流動的っていうか可変的っていうか
そういうものなんだっていう柔らかい捉え方で、
絶対視せず留保つきで懐にいれておくのがいいのではないか。
「絶対」が見つかると楽だからそうしてしまうんだと思う。

ブレないことを良しとするでしょう、今って。
でも、硬直しちゃいけないですよね。
ブレないように「軸を持とう」という言葉は
ぼくのイメージでは強すぎて。
「芯を持とう」くらいならまだしっくりくるんですよね。

さて、もう一つ話しますが、
スポーツ選手だとかって
自分を鍛えていいプレーをすることでお金を稼ぎますよね。
そのお金を稼ぐプロセスって、
一般の商売のやり方に比べると、
不器用な稼ぎ方のように感じるんですがどうでしょう。
不器用というか無骨な者の稼ぎ方というような。
見方によっては、
潔癖な状態でお金を稼げるという不思議さがあります。

根回しだとか情に流されないきびしさだとか、
そういったものが商売には必要で、
判断や助言なんてものをする能力よりも
ずっと役に立つものだとアランは『幸福論』で看破している。
お金が欲しければいわゆるそういった汚さを避けないこと。
そして、避けなけないでお金を求め続ければ、手に入ると言う。

こういうのを読むと、
ぼくはもっと厳しくシビアにならないとなあと思うのです。
きっと、自分の潔癖さみたいなものを示さないでいて、
外からそのことについて
あれこれ批判されるのが癇に障るからなんだと思う。
お金を稼ぐにも、
そういった厭味だとか批判などを受ける痛みが必ず付随するんです。
そして、厭味や批判がもっともらしく聞こえて、
お金を稼ぐことが悪いことに思えるように言われても、
それは決して正しいことではなくて、観念的なものなんです。

つまり、
厭味や批判に耐えられる者が、
お金を稼げるひとだと。
厭味や批判なんかは、
お金儲けのために何もしないで
潔癖でいたいひとが放つものですかね。
だからといって、
お金を稼ぐひとが自らを汚くて野蛮で…と卑下することはないし、
そう思いこまされることもない。
思いこまそうとするひとのほうが野蛮かもしれない。

…とアタマでわかったところで、
これらを血や肉にできるかどうか。

最後に、
不機嫌さについて一言。
不機嫌さを振り払う、つまり不幸に陥らないためには、
行動ありきだと書かれています。
考えてもしょうがない、考えよりも行動だ、と。
それはそれでわかるのですけれども、
なんでも他人のせいにしてしまう種類の不機嫌さに対処するには、
そのひとが自分と向き合うことが大切だと思います。
これは、身近にそういうひとがいるぼくが
自ら考えて到達した思考です。

とまあ、書きすぎた感がありますが、
ひとつ本書から短いセンテンスを引用して終わります。

<愛してくれる人のために、
なしうる最善のことは、
自らが幸福になることである。>

いいでしょ、この言葉。

著者 : アラン
日経BP社
発売日 : 2014-07-10

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『そして誰もいなくなった』

2016-03-12 00:01:01 | 読書。
読書。
『そして誰もいなくなった』 アガサ・クリスティー 青木久惠 訳
を読んだ。

有名なミステリーの名手、アガサ・クリスティーの代表作です。
タイトルだけは知っているという方も多いでしょう。
もちろん、読んだことがあるという方も。

そんな「ミステリーの名作」と呼ばれる本作なのですが、
これが一気に読めてしまうタイプで、
格式ばった感じのない敷居の低い文章でした。
それでいながら、わかりやくて無駄がなく、冗長さがなく、
かといって書き足りないところも無く、
スピーディーにストーリーは展開されます。
そして、10人の登場人物のだれがだれかわからなくならないように、
書き分け、つまり個性を立てて色分けする技術と想像力がすばらしいです。

ぼくは最後までトリックがわかりませんでした。
読み終わって、ああなるほどそうなのか、という感じで。
そんな裏設定みたいなところも綿密に作り上げられていて、
すごいもんですよ。
ああいうのはひらめきから作るんでしょうかね、
それともロジックありきなんでしょかねえ。

きれいにするっと終わって、
さらにその裏が整然としています。

ミステリーはあんまり読まないですが、
こういうのはおもしろいなあと思いました。

似たような作品を読んだような記憶の断片があるんですが、
それは雪で閉じ込められた山荘で
ひとりづつひとが死んでいくというものなのです。
誰が書いたのかは忘れましたが、
きっとこの『そして誰もいなくなった』から触発された
作品だったんでしょうね。

ちなみに、アガサ・クリスティー作品でドラマ化された
デビッド・スーシェ主演の『名探偵ポアロ』は
子どものころにNHKで放送されていて、
母が好きだったので、つられて何度かみたものでした。
あの作品もおもしろかったです。


Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

震災から5年

2016-03-11 11:46:12 | days
今日は3月11日です。

東日本大震災から5年がたちました。


昨日、NHKアーカイブスで、
あの地震の発生から72時間のなかでの報道の様子を
時系列で見られる動画を見ていました。

今見ても、あの津波の圧倒的な力には、
信じられないような気持ちになります。
上空や高台から映された津波が、
ひとの生活しているところを襲っているんだと思うと、
ただの自然の作用としてではなく、
恐怖や畏怖、そして、
あのときも感じたなすすべのない憤りをふたたび感じました。

死者と行方不明者を合わせると、1万9千人近い数になります。
そして、直後に発生した福島第一の原発事故はいまもまだ
冷却作業が続き、どうしたらいいのかを考えています。
避難している方は、まだ17万人もいるといいます。

亡くなった方々に祈りを。
被害を受けた方々に、痛みを分かち合いたい想いを。
原発事故の処理がうまくいくように願いを。

黙祷。

2016.3.11



Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『君の足跡』

2016-03-10 19:44:18 | 読書。
読書。
『君の足跡』 生駒里奈 撮影:青山裕企
を眺めた。

乃木坂46で何度もセンターを務めている
生駒里奈ちゃんの1st写真集。
いろいろな学生服を着用して撮影に臨んでいます。
めんこかった。

生駒ちゃんと言えばその透明感。
化粧やヘアスタイルによっては、
その際だった美しさが「透明な閃光」のように感じられます。
今回の写真集でも、黒地で花模様がはいっていて、
ウエストが上下に比べて
幾分タイトなワンピース(あれなんていうのかな)を着て、
無造作な感じのヘアスタイルの生駒ちゃんが綺麗でした。
アナスイのアジア圏モデルに抜擢されたそうなんですが、
きっとその透明な美しさが
アナスイの広告担当の目に留まったのでしょうね。
どんなファッションを纏ってポスターに出てくるのかなあ。
オトコでも楽しみになりますねえ。

生駒ちゃんの全開の笑顔は屈託なくて好きですし、
無表情のクールな感じは透明感を
しっかり感じさせてくれますし、好きです。
そんないろいろな表情の中でも、
ぼくの好みは生駒ちゃんの微笑みかなぁ。
ちょっと微笑んでくれている顔って、ええなあって思いますねー。
にこにこをちょっと押さえて微笑んでいる表情の生駒ちゃんって、
けっこう彼女のスタンダードなイメージにあると思うんですけれども、
見ているほうもちょっと好い気持ちになります。

ちょっとばかりなのですが、
いろいろ乃木坂関連の映像を見ていますとわかるのですよ、
なにがって、生駒ちゃんはたぶん、私服ではボーダーが好きですね。
ボーイッシュな感じになります。

あと生駒ちゃんの秋田訛りも何度か耳にしてますが、
ほんとうに地で行くネイティブな訛りを聴かせてくれます。
ドキュメンタリーのときも、素の自分を隠さず、
お母様との会話の中で「んだ。」と答えていました。
「君の名は希望」のPV中の映画オーディションシーンでも、
訛りを武器にしているところがあった。

いいよね、自分をちゃんと肯定して生きている。
それで頑張り屋さんで。
仕事中に彼女がぶっ倒れたシーンも見たことがあります。
全力でぶつかっていって、
成長していっているひとだなあと見ています。
すばらしい。
でも、たまにブレーキもかけてあげないと、と思ったりも。

そうそう、こないだ乃木坂46が
冠番組「乃木坂工事中」のロケで
グアムを訪れているとニュースになっていたんですが、
その頃に、このブログになんとグアムから
日本語端末でのアクセスがあったんです。
きた!と思いました。
何がきたのか。
・・・グアムで乃木坂を見かけた
観光客の方からのアクセスがきたに違いない、と。
乃木坂記事が検索でヒットしたのでしょう。
残念!


Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『AKB48、被災地へ行く』

2016-03-09 23:28:17 | 読書。
読書。
『AKB48、被災地へ行く』 石原真
を読んだ。

その規模も名声も実力も、まさにビッグな、
「国民的アイドルグループ」とすら呼ばれるAKB48グループが、
2011年の5月からずっと毎月一度続けている
東日本大震災の被災地訪問活動の様子を記した本です。

読んでいると、じんわりとこころが震えてくるんですよね。
AKBの子たちの献身的な行動も理由だろうけれど、
困った人たち、かわいそうな人たちがいるんだから、
そういう人を見捨てておけるはずがないというような、
より根源的な気持ちを感じるんです。

峯岸みなみさんが小さな女の子からもらったシロツメクサの花束。
そのときの写真も掲載されていて、
ああいう気持ちと気持ちのふれあいは本当だなあと
感じられるものとなっていました。

主要メンバーは忙しいから、
あまり知名度のないメンバーばかりでやっているのかな、
なんて、思っていましたが、
知名度の高いメンバーも忙しさの間を縫って、
応援の為に現地に駆け付けている。
北原里英さんなんて、メンバートップの14回だそうな。
みんな5時前起床だとかの文句も言わずに、
力になろうと頑張ってるんですよねえ。

それで、やっぱりそういう行為に「売名」だとか
ケチをつける輩がいるそうなんですが、
スタッフはもはや気にせずに、
これには絶対意味があるというようにわかっていて、
活動しているわけです。
これは美しいし、人間的な行為だとぼくは思いますし、
多くの人はそう感じるのではないでしょうか。

もう卒業したけれど、
ぼくの好きなメンバーの松井玲奈ちゃんのエピソードも
心を打つというか、しっかり前を見るひとだよねやっぱり、
という気がしました。

あの時、テレビでものすごい津波の様子や火災などを見て、
刻々とその惨状が明らかになっていく様子を見ていました。
それでも、どこの町でそんな被害が、という
細かいところまでは知らないんですよね、恥ずかしながら。
壊滅した地区だとか、
100名超の児童のうち、70名以上が亡くなった小学校だとか、
あっ…と息をのんでしまいました、もう5年もたってるのに。

原発事故についていろいろ本を読んだけれど、それでも、
東北のことをわからないことに、恥ずかしさを感じます。
3.11は多くの人たちの命日にあたると書かれていて、
そうだよなあと、今年は明後日が3.11ですが、
ひとり黙祷しようと決めました。

支援っていうものも難しいものなんですが、
AKB48グループは成功したなあという感想です。
すばらし。


Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『夜』

2016-03-08 22:11:42 | 読書。
読書。
『夜』 橋本治
を読んだ。

女の側からの視点で、
男の背中を描いた短篇集。

女性の側の心理がわからなくては、
この小説群は書けないです。
そして、愛憎が絡んでいるから、
なお、難しい表現なのでは?と思ってしまいますが、
著者の橋本さんはそんな苦労を一言もあとがきで発していない。

やっぱりこの小説を書いた50代の半ばになって、
わかることなのか、それとももっと若いころから
「わかっていた」ことなのか。
知りたいのはそのあたりでしたが、ようわかりまへん。
橋本さんは若い頃に『恋愛論』という本も書かれていて、
ぼくの本棚ににもたぶん復刻版なのかな、
それが積読になっています。
それを読めば、この謎は解き明かされるような気がする。
つまり、若いころからもう女性の心理は喝破していた、という。

本書の最後の章は、なんとゲイ話。
うげえと思って、最初は気色悪いな、
なんて感じて読んだのですが、
読んでいくうちにちゃんと読めていく。
一度休止して再度読み返すと、またうげえと思うのですが、
また読み進めるとちゃんと読める。
不思議なもので、
ぼくのなかにも同性愛気質みたいなものがあるんでしょうね。
共感まではいきませんでしたが、想像はできてしまう。

三人称で進んでいきますが、
それでも心理描写は見事で、
それでこそ、浮き彫りになった男の後ろ姿が生きてくる。
おもしろいものだなあと思った小説でした。


Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しつけにおける子どもと大人の在り様。

2016-03-05 00:09:19 | 考えの切れ端
大半の大人が、わかっていないことをわかっていることとしてものを言う。
もっと考えるべきことだったり、
考えても答えなんてなかなかでなかったり、もしくはなかったり、
どっちを選択するか重い決断をしなければならなかったりするのに。
そういうのは、子どもになめられないことを優先するからなのだろう。

しつけ、教育すること。
それらが大人を変形させる部分はあると思う。
大人自身が小さくまとまらないと、なかなかしつけってできない。
まさにとりあえずの「知恵」「知識」を授けることが多いんじゃないだろうか。

大人が子どもにしつけや注意をすることは、
その子どもが大人になるための基礎部分を固めることで大事だし、
基礎は単純なことだったりもするかもしれないけれど、
大人になれば、その基礎すら疑ってかからねばならなくなる場合も多々ある。
つまり、大人になるまでの、
リミット付きの知恵や知識を処方されていたという部分が見えてきます。

子どもは、ある程度おおきくなったら、
大人がしてくれたしつけや注意は、
自分の行動や思考に付箋をつけてくれた程度のことだと考えて、
考え直せるところは考え直すことをやったほうがいいし、
知的探究心が強ければそうなっていくでしょう。

その段階で、子どもは一時、大人ってウソつきで真実を教えてくれない、
なんて反抗的に思うかもしれないけれど、
ひとが大人となって教育する側に立ち、
しつけをし、注意をしなければならない立場に立たされれば、
途方に暮れた揚げ句にそういう便宜的な考えに行き着いて
しつけをしていることに気づくと思う。

未完成で、不完全で、未熟。
そういう思想や考え方のまま親や教育者、大人にならなければならない。
だからといって引け目を感じながらだと子どもになめられる。
子どもにも教えられながら、
相互に学んでいこうとする空気を共有する大人と子どもだったら、
やりやすいなあとは思う。

よって、大人は人に教えたりしつけたりする立場に立つと変形せざるを得ない。
そのことは大人自身の為にも忘れてはいけないですね。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする