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Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『送り火』

2013-03-29 22:10:41 | 読書。
読書。
『送り火』 重松清
を読んだ。

泣かされる小説というものがあります。
このあいだ読んだ、伊坂幸太郎さんの
『アヒルと鴨のコインロッカー』もそうでしたが、
今回読んだ重松清さんの『送り火』という短編連作集の中にも、
2編ほどが、ほとんどいつも乾季である僕の心の大地に、
恵みの雨季を訪れさせました。
ドライばかりの心ではとらえられないものがあります。
ウェットな心の様であることで見えること、感じること、
想像できることがあるよなぁと、確認しました。

まず表題作の『送り火』がなんといっても文句なしに泣かされます。
家族の、ちょっとした軋轢や、空回りするコミュニケーションなど
描写や状況構築が上手で、また重松さんがよくテーマにするものが、
今作のすべてにおいて描かれていますけれど、そこに、超自然的なものが
付加されて、すなわち、超常現象とか心霊現象とかそういうものなのですが、
そういったものがとても効果的に、現実では埋まらない溝を埋めたり、
崖をわたる橋になっていたりする役目をしています。
きっと重松さんには、人がなかなか言葉にできない、
うっすらとした夢というか願望というか祈念というか、
現実の世界に長く忙しく暮らして、世知辛い目に合って捨てていった
「幸福な夢想」というものをしっかりとらえることができる人なんだと思います。

また、いろいろと自分の家族構成や状況などと鑑みて、
自分の個人的状況に落としこんで空想して泣けてしまったのが、
『もういくつ寝ると』でした。
やるよなぁ、重松。
…というか、勝手にやられてみたよなぁ、僕。

考えさせられるのは、『シド・ヴィシャスから遠く離れて』。
これはツイッターで書いたのだけれど、
たとえば、このようなのがあります。

___

他人や時代につっぱって生きていくことを、
若い時のようにかっこいいと感じなくなって、
えらくもなりたくないし権力もほしくないし、
それ以上にそうは絶対になれはしないわけで。
あれこれ命令をきいて働いたりしてそれでも
残るゴミみたいな小さいのが自分というものだとして、
それを保つ難しさ。

パンクロックとか尾崎とか、もっというと坂本龍一だとか、
音楽でいえばこういうようなところだけれど、
歌詞や発言をほんとに真に受けちゃロクなことはないんですよね。

不純なものを受け入れない人は、生きづらい生活を送ることになる。
不純なものを受け入れないように見せかけて本当は不純な人っていうのが山ほどいて、
さらに、そうしていることに自覚していない人ももっといて、
そういう人は比較的、楽。
問題はそれを真に受けて純粋が素晴らしいと感じてしまう若い人?

僕の言う「不純」というものは、
別に、犯罪や犯罪まがいだとか倫理を冒すとかそういう意味じゃなくて。
やりたくないものもやることだったり、
しょうもないと思いながらも人間関係の建前を繕うことだったり、そういうことです。
___

このように、僕はミュージシャンの発言を(それも特に若い人をですが)批判しています。
しかしながら僕はまたこのほど坂本龍一さんの対談本を購入しましたし、
呪縛だとはいいませんが、一生、ある程度の距離感をもってして、
付き合っていく人たちだなぁと感じています。
当たり前ですが、悪いところだけではないということですね。

重松さんの作品は、まだ数えるほどしか読んでいませんけれども、
さばさばした文体がたばになって涙を生むものを構築するようになっている感じがします。
「泣かせるよ?」っていう筆者の心意気みたいなものが、
文体からありありと、香のように立ち上っている小説も巷間にはありますけれど、
そうではない重松節には、ストレートなものを感じますし、
普段、直視してこなかったものを、ファンタジーを眺めることで何故かできてしまうという
逆説めいたものがあるようにも感じます。


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『「正義」を考える 生きづらさと向き合う社会学』

2013-03-21 23:44:58 | 読書。
読書。
『「正義」を考える 生きづらさと向き合う社会学』 大澤真幸
を読んだ。

より良い社会を作るにはどうしたら考え、行動したら良いか。
そういうことを論じて、提示してくれる本だと思って読んだのですが、
そうではなくて、あくまで「正義」を「考える」という体裁です。
つまりは、より良い社会を作るための土台としての知識、勉強を
この本を通してしようじゃないかというもの。

「物語」というものが失われがちな現代というところからはじまって、
これまで考えられた、「正義」を位置づける数々の思想の紹介と論考。
そして、それらに足りなかった資本主義社会というものの構造から受ける力の解説。
後半には、キリストの言葉から考える、現代思想を補うものの説明。
といった感じの本です。
まぁ、キリストはなかなか深いなぁと思いました。
一瞬、親鸞の悪人正機と通じるのかな、
なんて思えるキリストの言葉もあり、
脳みそをくすぐられる体験をしました。

読みやすく、後半はちょっと難しいのですが、面白かったです。

以下、ネタバレを含む、感想に代えた僕の考えをツイートから。

___

現代人の病んでいるゆえんは物語の喪失だとか言われますが、
情報化社会になったがために許容しなければならない物語が多様で大量で大きくなったので
無意識的に拒否している部分もあるんじゃないかと思った。

本にも書かれてたことだけれど日本人としての物語には、
アジアで最初の近代化に成功した国民であり戦後の復興をとげた国民であり、
被爆国であり、太平洋戦争でいろいろな国に迷惑をかけてもいるなどがある。
それに細かい歴史だとか個人的だとか共同体的だとかがあってオーバーフローするんじゃないでしょうか。
そういう「物語の喪失」「物語の拒否」もあるんじゃないかなと思う。

目的があって、それに向かうことで意味のある人生になったら、
物語のある人生になる。そっちのほうの物語の喪失には、
夢も希望もみにくい社会が原因だとも考えられていて。

ひきこもりの心理は、「何かをしたり、しようと思う自分」の土台になる、
「存在する自分」(アイデンティティ)が傷ついたためだと解説されていたし、
なるほどなあと思った。土台が壊れちゃ何もできない。
物語を支える屋台骨が壊れているともいえる。ここにも物語の喪失が。

震災もそうだけれど、天災やテロや通り魔だとかの、
理由なき暴挙を受けるような事柄による心的外傷っていうものもありますよね。
そういう暴挙ゆえんの傷は物語化しにくくてただ拒否感や否定感、
もしくは恐怖感しか湧いてこなかったりする。

でもやっぱり社会構造が物語を消しているんだと思うんですよね。
映画「レ・ミゼラブル」でもあったけれど、
革命の学生たちの屍が街にたくさん転がっていたりして、
それを片づける市民がいた。彼らはその行為で物語を失ったりしないけれど、
現代人が同じことをしたら物語を失うでしょう。

現代社会においての、自然的・人的の問わない暴力性や死とか汚いものだとかに対処する精神性が
科学の名のもとに消されたような気がする。または技術革新によって。
天災は神さまが怒ったためだとかあったわけです、昔は。良くないことの前兆だとか。
そんな捉え方で安定したのが人間の心だった。

死というものだって、宗教的なデコレーションがしてあって近づきやすかったり、
そもそも昔って死とか死体が身近だったんじゃないかな。怖いとか汚いだとか、
ちょっとは思うかもしれないけれど、生物ってそういうものでしょ的な、
前提としての認識が今とは違っているような気がする。

バーチャルだとか、やんややんや言われたことがありますけれど、
やっぱりそれには理由があって、生々しさというものを、
たとえば死でもエロスでもなんでもいいけれど、感じた方があとで
「生きやすい精神構造」になりやすいってことだったんじゃないかな。

肉を得るためのと解体だっていまや分業で、
まるで隠ぺいされているかのように切り分けられてスライスされたものしか見る機会がないし
誰も見たいと思わない。魚すら解体するのを見てグロいってことになる。
そうやって、現代人が視界から排除していったものに物語と人を結びつける何かがあるかな、なんて。

という一連のツイートから導き出されるのは、
死も汚物の処理も身近にあらざるをえなくなるペットの世話と交流が、
人の物語性の喪失にあらがう手段になるんじゃないかということです。
今身近な手段としてはこれですよね。

以前、葬儀屋、死体洗い(湯灌)のアルバイトを急に始めて
サイトに書いて本になった若い女の子がいましたが、
これって彼女なりの物語の喪失からの抵抗だったのかなぁと思ったり。
檀蜜さんが葬儀屋の専門学校に行っていたというのも、物語が関係しているよなぁ、たぶん。

エロ・グロ・ナンセンスって、
物語喪失の現代のその理由を感覚でキャッチして出したものなんだろうかね。
はっきりわかってないからとがった表現だったりしてさ。
今みたいに解説書が出ていて研究が深まっていると、
もっとやんわりした表現作品が「あり」になりそう。
エロ・グロ・ナンセンスの文学って、その時代の人のわめきかな。
なんかヘルニアみたいな。

___


こんなことを考えるようになる本です。


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『芸術ウソつかない』

2013-03-15 09:56:58 | 読書。
読書。
『芸術ウソつかない』 横尾忠則
を読んだ。

画家・横尾忠則さんの対談集です。
横尾さんについては、ほとんど知らないんですよ。
どんな絵を描かれる人かというのも知らない。
ただ名前を知っていたのと、以前ケータイの待ち受けにした画像が、
2年前くらいに横尾さんのだとしって、
そうだったのかと驚いたことくらいですね。

この対談集のゲストたちは、細野晴臣さん、吉本ばななさん、
河合隼雄さん、篠山紀信さん、瀬戸内寂聴さん、ビートたけしさん
中沢新一さん、鶴見俊輔さんなどなど15人。

横尾さんがツイッターでしゃべっておられたこともある、
YMOの件の新事実には驚き、
細野さんとのインド旅行話には笑えてしまいました。

そういう笑える話も序盤は結構続きますが、
大体の人のところでなるほどなぁと考えさせられたり、
刺激を受けたりしました。

のめりこむように読むと、各対談ごとに軽く疲れて、
少し休んでから次の対談へというようになりました。
だからといって、重厚感のある対談は最後の、
横尾さんのインタビューくらいなんですけどね。

随所に、三島由紀夫さんの自決のことが書かれています。
横尾さんとも親交があったそうなんですが、
その死をうまく意味づけできない、難しい問題としてあるので、
今も(対談は2000年くらいのものですが)考え続けることに
なっているのかなと思いました。

最初は、知らないものだから、横尾さんを斜めに見ていましたが、
この本を読み、彼のサイトで作品を少し眺めて、
真正面から見られる人だなと認識を新たにしました。
今思えば、もう少し早く彼を知りたかったです。
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3.11

2013-03-11 21:35:44 | days
東日本大震災から2年がたちました。
「未曾有の災害」という言葉が、少しも大仰ではない、
とても悲惨なできごとでした。

まだまだ終息への道の途中。
でも、また巡ってこの日になり、黙祷を捧げました。



福島第一原子力発電所の事故によって、
僕は反原発の立場にいるようになりました。
反原発なんていう言葉を使うと、
えてして過激な感じがしますけれど、
僕個人の感覚で言うとそうではないのです。
反原発にも、自分が健康被害にあったり
死の危険にさらされたりするのがイヤだという
保守的、個人的、利己的なものと、
みんなが被害にあうのは避けたい
という利他的なものがあると思います。
僕は、みんなのためになると思っての、
原発からの脱却を理想としているのです。
目を三角にして、「反原発!」と
叫んでいるわけではありません。
でも、それにしたって、
原発を否定することは「現実的ではない」と言われると、
本当に現実的ではないかもしれません。


反原発といっても、
代替エネルギーは何にすればいいのかわかりません。
風力・地熱・波力・太陽光…。
他力本願で、研究者の方々の研究の進み具合に
頼るしかなかったりします。
そして、作ってしまった原発の処理の仕方もわかりません。
でも、わからないからといって、
使い続けて良いというものでもないでしょうが、
では、それまで、原子力はモラトリアムの中で
使っていくことになるのかと考えもしました。
しかし、本当をいうと、それも避けたいのです。
事故は恐ろしいですし、どんどん産みだされる核廃棄物という、
処理方法の無い、生物を死に至らしめるどころか、
何かの間違いがあれば、
この地球が死の星に変貌してしまうような負の物質の存在が、
明るいものだと描けたはずの未来への希望すら、
灰色、あるいは暗闇のイメージに塗り替えてしまう。

文明の進歩、経済の進歩による生活スタイルの
高エネルギー消費化というものは、
本当に不可逆的なもの、つまり、
後戻りはけっしてできないものなのでしょうか。
自分の生活を考えても、かなり難しいことは間違いありません。
このあたりは、温室効果ガス削減の
いろいろな方策の実行とも重なるところがあります。

気候変動の原因が温室効果ガスの増加によるもので、
気候変動が続きエスカレートしていくと、
生物の多様性が失われてしまうし、
人間の住みにくい星になってしまう、そう言われると、
なんとかしなきゃと思います。
同じように、原子力発電というエネルギー捻出方法にも、
核廃棄物や事故によってこの星が
人間の住みにくいところに変わりはてる可能性が
十分にあるのではないでしょうか。
それに、フィンランドには、
実際にある、またはそうする計画、だそうですが、
核廃棄物を地下に埋めることで処理したとし、
10万年またはそれ以上の立ち入り禁止区域を設けるのだそうです。
人間のエゴによって、そんな土地が作られてしまうという、
この寒々しい現実。
地球は人間のものと考える人類中心思想、いわば自己中心主義が
そこにはあります。
それは、キリスト教の欧米の考え方が影響しているようにも見受けられます。
神は自分に似せて人間を作った、という特別な存在である人間という考え方。

キリスト教を否定するわけではないのですが、
日本人には深く仏教の考え方が根ざしているとみてまず間違いなく、
そこにこそ人間中心性を絶対視しない感覚が付随しているんじゃないかと思うのです。
チベット仏教の本なんかを読むと端的にわかりますが、人間は来世そして前世、
人間である保証はありません。カラスかもしれないし、キリギリスかもしれないし、
白くまかもしれない。だから、チベット仏教国のブータンなんかでは、無闇に
ハエも殺さないそうです。逆に、死んだ人間の肉体にも執着せず、
魂が輪廻することを信じているので、お墓にもこだわらないそうです。
話が少しそれましたが、そういう気質が備わっているならば、利他的な意味で、
原発には賛同しない姿勢になりがちでしょう。

まぁ、そこまで宗教的にならずとも、日本人には、虫の声をめでる性向があります。
欧米人に聞かせると雑音としか聞いていない反応が脳にでるそうですが、
日本人の脳には、意味ありとして反応が出るそうです。
そんな、小さな虫にも心を感じてきた歴史を持つ種族なのですから、
きっと、ここ数十年でアメリカナイズが激しく進行してきたものだとしても、
日本人としてのベースには、そういった多様な生命体を
認める気持ちが備わっていると思うのです。
したがって、この世界は人間だけのものではないことはわかるでしょう。
原発という人間中心思想の権化のようなものをこれ以上利用することは
きっと、フラットな日本人の心からすると呵責を感じるものではないかと、
少々決めつけすぎ加減ではありますが、考えます。

また、今の時代の多様な生物のためを思うこともありますが、
自らも含めた、生物たちの子孫、未来のことを思いやって、
原発を見てみることも大切ではないでしょうか。



重ねて言うことになりましたが、今日は大震災から2年目です。
原発の事故からも2年目になります。
そんなときですから、
ニュートラルな気持ちで、
自分の心に問うてみてください。
自分のためだけになるような答えが出ますか。
それとも、我々みんなのためになるような答えが出ますか。

前を向いて歩いて行ける。
難題にでくわすことも、くじけることもあるだろうけれど、
前をむいていられるということが肝心ではないですか。
現実を直視できなくても、
直視したい気持ちがあるだけで十分かもしれない。
そういう気持ちに合うのは、
やっぱり原発の無い世界じゃないだろうか。


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『寝ながら学べる構造主義』

2013-03-05 23:54:06 | 読書。
読書。
『寝ながら学べる構造主義』 内田樹
を読んだ。

本書の冒頭に書かれていますが、
現代は「ポスト構造主義」なんだそうです。
それは、構造主義の次に来た時代という意味ではありますが、
構造主義が終わった時代ではないと内田さんは言います。
構造主義の物の見方や考え方があまりに深く我々の生活に浸透した時代のことを
言っているんじゃないのか、と言います。
しかし、そう言われても、構造主義と聞いてピンときません。
というわけで、構造主義を平易な文章で説明してくれているのがこの本です。

まず、構造主義を支えた前史的なものとして、マルクス、フロイト、ニーチェについて。
それから、構造主義の始祖とも言われる、言語学者のソシュールについて。
最後に、構造主義の四銃士として、フーコー、バルト、レヴィ=ストロース、ラカンについて
見ていくことで、構造主義を学ぶ形になっています。

マルクスとラカンのところが、ちょっと集中力が切れたせいか、あるいは難しかったせいか、
よくわかりませんでしたが、その他のところは興味深かったです。
また、ニーチェのいう、大衆を罵倒した言い方、
「畜群」という蔑んだいいかたが印象に残りました。
そこまでバカが嫌いなのかという。
確かに、僕も畜群にはなりたくないですが。
で、現代において畜群はなくなったかというと、実はある意味で畜群だらけじゃないですか…、
特にネット上なんかは…。

やっぱりね、こういう勉強はした方が良いんだよなぁと思いましたね。
大学の講義を受けているような感覚で読める本です。

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『アルゴ』

2013-03-04 00:02:58 | 映画
アカデミー賞作品賞を受賞した『アルゴ』の
リバイバル上映を観に行ってきました。

こう言っては失礼なんですが、
主演・監督のベン・アフレックってただの二枚目だと思っていたので、
その才能に驚きました。

映画は、1979年のイランでアメリカ大使館が占拠された事件を題材にした実話です。
大使館から逃げた6人を救出するべくたてられた計画は、
6人を映画のスタッフとして出国させようというものでした。

僕がもしも、この6人の一人であったならば、たぶん死んでいます。
生き延びられない。生き死にをかけただまし合いなんて出来そうにありません。
危機感と目的のための努力も積めそうにない。
これが実話としてあぁなんだから、すごいなぁ。

大きな不満は、カナダ大使館のお手伝いさんのその後についてですね。
あれはいかんともしがたいです。
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『脳には妙なクセがある』

2013-03-01 21:40:36 | 読書。
読書。
『脳には妙なクセがある』 池谷裕二
を読んだ。

26の章からなる、脳に関する最近の知見などを紹介しながら論じる本です。
各章名のアタマには「脳は妙に」とあって、
そこから「恋し愛する」「食にこだわる」「議論好き」などと繋がっています。
つまり、そんなタイトルの感じの読みものなのです。

けっこう刺激的なトピックに溢れています。
たとえば、人差し指が薬指よりも短い人は、株式の投資などでより多くの儲けを出している、
というものは、若干指の長さがそれに当てはまる僕、それもギャンブルがなかなか好きっていう性格と
これまでの成績に重ね合わせるとなるほどそうなのかと勉強になるというか、
新しい情報に感心してしまいます。
「運」というものさえ、それを活かすのにはとある男性ホルモンが関与しているらしいとされます。
「そこまできているのか、脳科学は」と驚きました。

そんなわき道を含みながら、脳の活かし方、脳を活かしよりよく生きる方法の示唆が、
この本の各章には貫かれています。
肝心なのは、出力だそうです。
アウトプットを惜しまず、アウトプット中心の生活を送ることで、
よりよい脳の反射が得られる、つまり、正しい行動をとれるようになるということです。
…わけがわからない人には、本書を手に取ってもらうしかありません。

面白いですし、これら本に掲載されている情報が話のタネにもなります。
脳ブームが去ったようななかで、静かに脳について考えてみたい、考え直してみたい、知りたい、
という人はぜひ読んでみるといいでしょう。
そうでなくても、よりよく生きたいという人にはもっとオススメです。

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