Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『アリス・イン・ワンダーランド』

2010-04-27 19:50:46 | 映画
ティム・バートン監督の最新作
『アリス・イン・ワンダーランド』を観てきました。

ジョニー・デップが演じたということで公開前から随分と目立っていた
マッドハッター(帽子屋)が、映画の中で空回りしていないか、
主演以上に出番の多いキャラクターになっていないか心配
だったのですが、そこはそこ、重要な役どころではありましたが、
アリスを食ってしまうほどではなくて安心しました。
というか、アリスの続編を作ることになって、
原作のキャラクターを生かそうとしたら、帽子屋くらいしか
残っていなかったんだろうなぁ。選択の余地なしだったかな。

アリスを演じたのは、新人なのだろうか、
ミア・ワシコウスカという娘さん。
見たことがない女優さんだけに、以前にやった役からの
イメージがなく、かなりストレートに彼女をアリスとして
飲み込めました。欲を言えば、もうちょっと深いところを
見つめることができるような瞳をしていたら良かったかな。
芯がありそうに見えるのはアリス的ともとれますが。

さて、映画のほうはどうだったかと。
原作のアリス二作は、ストーリーよりも、言葉遊びや発想の力などが
作品の魅力でした。
映画でも、そんなようなところがありました。
ストーリーは単純ですし、最初から道筋が見えているところもある。
でも、ふしぎの国が舞台で、出てくるキャラクターは原作からのものですから、
キャラクター力というものは、原作から継承されています。
大事な、キャラのヴィジュアル面も、さすがはティム・バートンなので、
「これはすごい!」っていうほどではありませんが、
恐れ多くも、言わせてもらえば、そつなく及第点の出来ですか。
チェシャ猫は可愛かったですね、ぬいぐるみがあったら売れそう。

ストーリーは単純と書きましたが、
原作二作から、見劣りせず、でしゃばり過ぎずといった
地点でまとまっていると思います。
それでも、どうなのかな、終止符を打つような位置づけの物語
なんだろうけれど、クライマックスがああいう方面っていうのが
ちょっと残念でした。ルイス・キャロルならそうはしなかったでしょうね。
ちょっと安易かなぁ、と、アリス大好きな人だったら、ため息を
ついているかもしれないです。
でも、アリスの『可能性の未来』として楽しむならば、
本作には満足できるのだと思います。

いろいろしゃべりちらかしておりますが、
アリスとティム・バートンの融合という点では、
心躍る映画に間違いなかったです。
たまらず、女の子が付けたらかわいいだろうという
ストラップを買ってしまいました。
映画のグッズを買うのなんて、いつ以来でしょうね。

さっき、前の記事のResoさんへのレスコメで書かせてもらったのですが、
この映画はですね、原作を踏まえおかないといけないのかといえば、
とりあえず、『ふしぎの国』のおおまかなストーリーや
『ふしぎの国』と『鏡の国』のキャラクターがどういうのが
いるのかっていうのをふまえているだけでも違うと思います。
原作とはまるっきり別物っていう映画ではなかったです。

なにはともあれ、夢のある映画でした。
ティム・バートンの映画の中では、たぶん、
『エド・ウッド』『ビッグ・フィッシュ』にもあった、
優しさみたいなのが、ちょっくらブレンドされている種類のもののようにも
感じましたが、いかほどでしょうか。

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『鏡の国のアリス』

2010-04-26 16:11:26 | 読書。
読書。
『鏡の国のアリス』 ルイス・キャロル 高杉一郎訳
を読んだ。

アリス二作品の二作目にあたるのが、この『鏡の国のアリス』です。
このあいだ、一作目の『ふしぎの国のアリス』を読みましたし、
何故、いま『アリス』を読んでいるかというと、
現在上映中の映画、ティム・バートン監督の最新作
『アリス・イン・ワンダーランド』を観るための、
出来うる限りの準備なんでした。
『アリス・イン・ワンダーランド』は
『ふしぎの国』と『鏡の国』のどっちにもまたがった続編という
位置づけの作品らしいのです。公式WebSiteを見てみても、
『ふしぎの国』にでてこなかったキャラクターが
登場しているので、こりゃ、『鏡の国』を読まねば、と
急いで取り寄せて読んでみました。
大体、このティム・バートン版の映画はディズニーの配給
ですが、昔作られたディズニーアニメ版の『ふしぎに国のアリス』が
そもそも、原作のアリス二作品のどちらをも元にして作ったものらしいんです。
でも、僕はこのアニメを見たことが無いので、どのくらい
『鏡の国』のテイストが生かされているのかわかりません。
『アリス・イン・ワンダーランド』を観るならば、
このディズニー版アニメをしっかり鑑賞しておくのが、
もっとも適切な準備なのかもしれないですねぇ。
まぁ、そこんとこはしょうがない。

それで、ここからが本の感想になります。
最後の解説にも書かれていましたが、『ふしぎの国』よりも
作りこまれた世界という感じがしました。
論理的にどうこうというのではなくて、
まず、出てくるキャラクターたちが、チェスの駒だったにしても、
統一感があり、マザーグース由来のキャラたちなども、
違和感なくアリスとやりとりしている様などから、
作者は考えているなぁという印象を受けます。
即興的に書かれたものならば、キャラはもっと浅薄なものになるでしょう。
発想勝負で、長い記述には耐えられないものになると思われるのですが、
そこは破綻せずにキャラたちは自分たちの役割を全うします。
注釈にもでてきますが、論理学のパロディみたいなのがでてきたり、
そういうところにも、即興ではないがゆえの、
物語へのエッセンスの盛り付けができている感じがするんですよね。
そして圧巻なのが、詩です。
文章は読んでいて真似できそうな気がしますが
(そういう人は多いと思いますが、やってみると出来なかったりするんですよね)、
その物語の中枢を担う、数編の詩が、
全然素人っぽくないんですよね。それに堅くもない。
そのへん、やっぱ、ルイス・キャロルという人はセンスがある人だったんだなぁと
思わせられたりします。また、英語の原文を読める人ならば、
韻を踏んでいるとか、いろいろ遊びの部分までわかるでしょう。
遊びの部分は、詩にとどまらず、物語中の会話でも、
意味の取り違えの面白さなどを、それこそ英語をわかる人ならば
くすくすと笑ってしまうであろう技巧が盛り込まれています。

しかし、そこがまた!
それゆえに、『ふしぎの国』よりも、
アリスのキャラが立っていないようにも読めました。
まぁ、まだ一度しか読んでいませんから、二度読んだ『ふしぎの国』
よりも印象が薄いという可能性もあります。
それでも、『ふしぎの国』の場合だと、世界はキテレツで稚拙なもので、
そこをアリスは、まともさと賢さでくぐりぬけて、世界に
負けない自分っていうものを発揮しました。
今回の『鏡の国』の場合だと、最後まで、
どこか『鏡の国』のお客さんといったふるまい、動き方、考え方に
見えてしまいます。『鏡の国』の世界とは深いところでは交わらない
アリスというのが見えてきます。
クイーンになりたい、というアリスですが、それも、
まるで夏季休暇に田舎へバカンスへ来た都会の女の子よろしく、
『鏡の国』にひと時の楽しみを求めに来たにすぎない姿っていうのが
読めてくるわけです。
それは、『ふしぎの国』を経験しているアリスだから、
心の底からは鏡の国に動じないだろうっていう、
読者の構え方があるのかもしれないですし、
実際、アリスは、翻弄される場面はあっても、
どこか冷静な部分を持っていて、
すっと我に返って気持ちを立て直すことができているのが
読めるからなのかもしれません。
というか、単に、ふしぎの国よりも手に負えないのが
鏡の国だから、アリスがそういう風に見えるのかもしれませんね。

そうはいうものの、30過ぎのオトコが読んでも
面白いことは面白い。
中3くらいから楽しめるような気がしますが、
今回読んだ「講談社青い鳥文庫」によると、小学校上級生から
となっていました。「英語でこうなっているから」という
解説はよくわからないと思うんだけどなぁ。
やっぱり、僕は中3から対象、を推していきます。

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『葬式は、要らない』

2010-04-25 11:00:54 | 読書。
読書。
『葬式は、要らない』 島田裕巳
を読んだ。

いかに、日本の葬式は、浪費であり贅沢であるかということを、
日本での仏教の変遷などとともに明らかにする、無理のない
葬式無用論といった本でした。

たくさんお金を取られる、死後に名づけられる「戒名」というものは、
実際は仏教の教義とは関係のない、葬式仏教として発展してしまった、
日本の仏教独自の慣習にすぎないことなのだなど、いろいろと、
葬式について知識のある人もない人も頷きながら理解を深められる内容になっています。

本の裏表紙にも書いてありますが、
日本の葬式の平均費用は231万円なんだそうです。
これが、お隣の韓国だと37万円。
イギリスだと、12万円。
お金も資源もパーっと使うアメリカでさえ、44万円だそうです。
そして、そんな、葬式へのお金の使い方を、「世間体」「見栄」「名誉」
などといった視点で説明しています。

また、お墓についても、「ヨーロッパではお墓参りはしない」など、
日本の慣習が真理ではないことを知らしめてくれます。
僕は毎年、墓参りに行くタイプではないのですが、
たとえば周囲が「俺は今年もちゃんと墓参りに行ったぞ」と胸を張る
ことに違和感を感じていたんですよねぇ。
そこらが、少しスッキリしたというか、味方ができたというか、
そんな安堵感を得たような気持ちになりました。

うちの親はこの本を読んで、自分の葬儀は費用のかからない葬式で
済ませるという持論に勢いを得たようで、「家族葬」にするとか
言っていました。戒名はどうするんだろうねぇ。

僕の場合だったら、無宗教式に、僕が好きだった音楽を流してもらって、
花でも添えてもらえればそれでいいかなと思っています。
迷うのは、墓ですね。墓参りをそれほどしない身で言うのもなんですが、
墓が無いのはちょっと心もとない感じがします。
それでも、無縁仏になって、きったない墓をさらすようになるくらいならば、
散骨とか、土に埋めてその上に植樹するとかそういった方法のほうが、
マシなのかなぁとも思いますねぇ。なんか、自分が死んだ後の、
抜け殻としての肉体って想像しがたくないですか。

なにはともあれ、この本はかなり売れているようですね。
それだけ、今までの絢爛豪華な葬式というものに、
みんな疑問符をつけているってことを象徴しているのかな。
葬式を頭から否定しているわけではなくて、亡くなった方とのお別れとしての
意味合い、けじめ、というものがあることをしっかりと肯定して、
かつ、高額の葬式について論じている本なので、偏った感じはそれほど
感じませんでした。興味のある方は読んでみてください。

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『ふしぎの国のアリス』

2010-04-22 21:10:16 | 読書。
読書。
『ふしぎの国のアリス』 ルイス・キャロル 北村太郎訳
を再読した。

前回読んだのが3年前だったのですが、そのときよりも
断然面白く読めました。

初めて読んだときは、なんだこりゃ、とあまりなじめませんでした。
アリスは独り言が多いし、訳されかたもどこか軽すぎるように感じていました。
それが、時をおいて2回読むと変わるものです。
そして、まともじゃない、おかしすぎる世界が舞台なのですが、
そのおかしさを許容できる年齢に僕はなったのか、と、荒い鼻息がでてしまいました。

アリスはキテレツな世界に最初は戸惑い、翻弄されますが、
物語が進むにつれて、そんな世界に慣れてくるどころか、
自分らしさを発揮し出して、持ち前の利発さと素直さと、
これが大事だと思うのだけれど、まともさで、
「ふしぎの国」を力強くもすいすい泳ぐように進んでいきます。
そうなんです、おかしな世界でも、自分のまともさを失わず、
かといって「ふしぎの国」の狂気を拒絶せず、
アリスは絶妙な付き合い方をしているんですよねぇ。
だからこそ、物語がしらけないのかもしれない。

とはいえ、この作品は、読む人を選ぶっていうわけではないでしょうが、
読んで、面白く感じる人とそうではない人っていうのが出てくるのは
当然な感じがします。「鑑賞(解説その2)」に書かれていましたが、
物語のストーリーの魅力で読ませる作品ではないんですよ。
僕だって、最初に読んだときは、今回読んだ時よりも
面白味がわかっていなかったです。
面白いことは面白いのだけれど、丸ごと受け止めてはいなかったっていうんですかね。
人生経験を重ねることで、そういう、守備範囲が広がったり、読み方が
うまくなったりってするものなんだなぁと実感しました。

なんていうか、この作品はイメージの面白さなんですよね。
出てくるキャラクターや場面によって、喚起される読み手の感情、想像っていうものを
計算されて創られているのかなぁという気もしましたね。
ただ、ま、もともとがこの作品って、即興で語られたものらしいですから、
作者のルイス・キャロルの感性が、読み手に語りかけて化学反応を起こさせるという
種類のものなのではないかと思います。
というか、ルイス・キャロルが「これ、どうよ?」と提示する、自身の脳の状態を
相手の脳の状態へコピーさせようというものなのかもしれない、なんて、
ちょっと訳のわからない言い方ですが、考えたりしました。
つまり、文学作品でありながら、本質は言葉にあらずな姿勢が感じられるのです。
言葉というツールを使って、言語外のモノを伝えたり、自分の中にあるそういった
言語外の感情なりイメージなりを、言語をとりあえず使って、
読み手の脳の中に再現してもらいましょう、という色合いを強く感じます。
それも、「イメージ」とはいっても、具体的な、物とか人とかのイメージではなくて、
抽象的で感覚的なイメージであり、これを読むことで発見できる種類の
ものだったりもする。

僕は文系タイプの人間ですが、これを書いたキャロルは数学者です。
そんな理系の頭を、楽しく疑似体験できるのが
この『ふしぎの国のアリス』なのかもしれません。
もう一度そういう体験をしたい、などと、
また何年後かに読みなおしそうな作品です。

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『のだめカンタービレ 最終楽章 後編』

2010-04-19 15:45:18 | 映画
『のだめカンタービレ』の完結編を観てきました。

無くなり次第配布終了の、ポストカード4枚と原作漫画が2話収録された
ブックレットをもらってきました。
ポストカードはなんだか得した気分。
でも、今は細かく映画館の中をみていなからわからないですけれど、
一昔前だったら、ご自由にお持ち帰りくださいとされる映画のポストカード
が何種類か、映画のチラシと一緒に置かれていたりもしたよなぁ。
あれはあれでキャンペーンだったのだろうか。

それで、映画はどうだったかといえば、
まぁ、『のだめ』らしいストーリー、描かれ方をしていて、
ファンを裏切らない形になっていたのではないでしょうか。
しかしながら、期待しすぎて観にいくと…、
「なんだかなー」と阿藤快さんのようなぼやきをもらすことに
ならないとも限りません。

毎度のことながら、のだめが可愛かったですねー、上野樹里ちゃん。
あんな素敵な女の子が、あんな変わった女の子の役をやるのが面白いです。
同じように、あんな清潔感のある子が、ばっちいことや格好をする「のだめちゃん」を
演じちゃってるのにも興味をひく。
そして、やりきっているのが、気持ちの良いところです。

のだめちゃんはドラマ版からずっと同じようなところをぐるぐる回ってきているような
印象を受けますが、それでも、一歩一歩前進しているんですよね。
「人生はスパイラル」の典型的な例です、虚構の人物ではありますが。
ぐるぐる回っているようで、らせん状に上昇していくのが人生だって、
僕は20代前半のころに発見したんですが、その後、同じようなことを言っている
人の記事を読むことがあったりもしたので、もう過去にも同じことを
考え付いた人はたくさんいるんでしょうね。
それはそれとして、逆に、そんなのだめちゃんは着実に一歩一歩進んでいるように
見えたとしても、ぐるぐると同じようなことを繰り返す日々の中から
進歩したことであって、すんなり進めているわけではないのだということです。

対照的に、千秋君の場合は、障害物競争のような人生を送っているように
見えますね。ぐるぐる回らずに、ずっと前をがむしゃらに突き進み、
そこにある壁やら障害物を乗り越えていく。

そんなわけで、のだめ型と千秋型の2種類あるってことなのかなぁ、人生は。
それとも、やっぱりそんな千秋君も、ぐるぐる回っていたりするのかもしれない。

それにしても、こう、のだめを観ているとクラシック音楽をすんなり聴けるばかりか、
良い音楽だ!と感動すら覚えるのですが、これに気を良くしてクラシックのCDなぞ
買って聴いてみたら、それほど頭に入ってこない音楽で、眠たくなったりする
んですよね。やっぱり、場面での使いかたや映像とのリンクのさせ方なんかが、
クラシック音楽を聴きやすくしているのかなぁなんて思いました。
あ、それでも、ベートーヴェンの「7番」と
ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」は
掛け値なしで良いですね。ドラマ版ののだめのサントラに入っていたので
けっこう聴きました。

それで、まぁ、映画のほうは、誰にでも勧められません。
ドラマ版からずっと観ている人じゃないと面白くないです。
それでも、そんなドラマを観ていた人のために、というか
ターゲットなんだけど、それでも、こうやって続きを、そして完結編を
作ってくれて嬉しいです。すっきりと、ひとまず物語は終わったかぁと
いう気になりました。ミルヒのその後が気になるんだけど、
全然そのへんはスルーされちゃったな。ぎゃぼー!

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誕生日ヲ機ニ

2010-04-13 19:40:36 | days
今日は僕の誕生日でした。
Twitterのほうでお祝いの言葉をいただきまして、
ありがとうございました。

そんな今日に限ってといいますか、
日頃の疲れが幾分たまっていたのが出てきたようで、
くたーっと昼寝などして過ごしてしまいました。
雨も降っているし、気だるい一日でしたねぇ。

ちなみに、自分への誕生日プレゼントは、
おおはた雄一さんの新譜『光を描く人』です。
まだ封を切っていないので、感想は書けませんが、
1月にやった「ほぼ日」での、「キリン」という曲ばかりを
プレイしたライヴが良かったので、楽しみにして待っていたのです。

そんな「ほぼ日」の、何日か前の「今日のダーリン」で、
できることをずっとやりつづけることで、
今できていないことの発達をさまたげることもある、みたいなことが
書かれていたのですよ。
一理ありますよねぇ。

このブログだってそうです。
毎日書くってのをやってみようと決めて、
やってみたら1年半以上は続いているのかな?
できたわけです。
でも、そうやって、アウトプットの量を増やしたことによって、
本来ならば頭の中で溜めて熟成させていくべきものたちに、
その前に出荷を迎えさせてしまったということも少なからずあったと思います。

逆に、考えるという作業をしなければいつまでたっても言葉にならなかった
ものが、ブログを書かなければと思案することによって、
考えが進んで言葉になったということもありました。

そういったものを含めて、書くという作業に、いろいろと範疇外のものまで
パッケージングされてしまっているような気もするんですよねぇ。
本来、違う形で表に出されるべきものが、ちょっとした文章を書くという作業に奪われて、
簡略化されて一応の形になってしまっていることってあるように思います。


ここは一つ、自分の未知の部分の発達のために、
ブログを辞めるとはいいません、更新頻度を低くすることにします。

まぁ、そんな志を宣言してみたものの、怠ける可能性が大ですが、にゃはは。

そんなわけで、ここを訪れて、つたない文章を読んでくれる皆様、
ありがとうございますね。これからもご愛顧よろしくお願い致します。

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サイレン

2010-04-12 18:57:14 | days
正午のサイレンは時報としか思わないけれど、
火事のサイレンって、どうしてあんなにざわざわさせられるんだろう。
おばけくらい怖い。同じサイレンでこうも違うのは何故なのだろう。

もともと、サイレンというものは、怖く感じるものなのかもしれない。
それが、お昼に決まって鳴ることに慣れることによって、
感覚がボケて、怖くなくなるのかな。
そのお約束が反故にされるように感じるのが火事のサイレン。
異常事態なり!っていうのを聴覚から感じとるわけだから、
どきどき感っていうのがひとしおなのだろうなぁ。
聴覚ってほら、ホラー映画の効果音でもわかるでしょう、
場面(画面)はそれほど怖くないけれど、音で驚くというのがありますね。
敏感に危険を察知するようにできているのが、人間の聴覚なんじゃないでしょうか。
車のクラクションもそうですね、音で警告し注意する。
これが、クラクションの代わりに、ボンネットから派手な旗でもぴょんと
飛びでて注意を喚起しようものなら、まったく役に立たないでしょうね。
視覚は限定されている。それに対して、聴覚は360度に対応しています。

しかし、正午のサイレンが鳴る地域って、けっこう少なかったりするんだろうか。
うちの地域はバリバリ鳴りますね。
そのかわり、午後5時くらいに童謡のインストゥルメンタルが町内に設置された
スピーカーから鳴るということはありません。
あれはたまに聴くならば平和ですが、飽き飽きしないものかなって思います。

それにしても、消防署の近所に住んでいる人は迷惑だろうなぁ。
正午のたびにウゥーーというのを大音量で聞かなくてはならない。
あ、夜中の火事のサイレンはもっと迷惑か。

そんなサイレンを鳴らす装置というか、建物は、「サイレント」というらしいですよ。
あ、「サイレン塔」か!こりゃまた、しんずれぇすますた。

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アノ星ヲ見ヨ

2010-04-11 19:59:19 | days
夜空に光る数多の星々を見上げながら、
「この中のどれかが、俺の星なんだ」と確信して
目を輝かせる同級生が、中学の頃にいました。

近しい人が亡くなった小さな子供に向かって、
たとえば、「おじいちゃんはお星様になったのよ」
と、ちょっとベタだけど、そう告げる
お母さんやお姉さんが、これまでに多くいたんじゃないだろうか。

死んだ人は星になって、輝き続け、生者を癒し、
地上を見守る役目を担う。

また、生まれ持った星が無くとも、流れ星なんかが、
人の死を暗示するものだなんてことも。
三国志の諸葛孔明が死んだときに、ライバル司馬仲達が
彼の死を知ったきっかけが流れ星だったということもあったようです、
ほんとかどうかは知りませんが。

話は戻りますが、自分の星があるんだと云った同級生は、
きっとそういうくらいだから、1等星クラスの目立つ星を
選んでいた可能性もありますよねぇ。

そういう、「自分の星」があると信じる人はこの先も、まぁまぁな数
いるのかもしれない。そんな人が、オリオン座の赤い星・ベテルギウスを
選んでいたらどうだろう。まもなく超新星爆発をするらしいです。
まもなくといっても、数百年後とかかもしれないそうですけどね。

「あ、俺、死ぬ」って思うのかな。
「運が尽きた」と思うかもしれない。
とにかく良い印象は受けないでしょうね。
あまり信じきっていると、元気がなくなりそう。

期待しすぎると、それが上手くいかなかったときのダメージが大きい。
そういうのと、信じすぎて、裏切られたような結果が出てダメージが大きいのと
同じことですよね。
味気ないかもしれないけれど、傷つきたくない人は、
「信じる・信じない」「期待する・期待しない」のグレーゾーンに気持ちを
落ち着けるといいでしょうね。
人生経験を積んでいくと、そういうところに落ち着く人が多くなるようにも思います。

さて、なぜ同級生の彼が、自分の星があると信じていたかといえば、
それは、手のひらにほくろがあったからでした。そういう人は
自分の星をもっているそうです。
僕にもほくろがあったので、彼は笑顔で、「○○くんにも星があるよ」
といってくれました。
だけど、最近、そのほくろが消えたことに気づきました。
物心ついたときからあったほくろも消えるものなんですねぇ。

きっとどこかで、超新星爆発。
地球に光が届かない超新星が、僕の星だったと思われます。

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BPP進行中

2010-04-10 20:01:38 | days
先日、ここでも紹介しましたが、
芸能生活10周年となる長澤まさみちゃんの誕生日に、
ファンのみんなのメッセージを集めて、
それをハードカバーの本にして、まさみちゃんに贈ろう
というプロジェクト、「Birthday Present Project(BPP)」が現在進行中です。

それで、そんな、わくわくどきどきさせられる企画を思いつき、
実行している方たちは、どんな人たちなのだろうかと気になりはしませんか。
そして多少なりとも、実行委員の方たちの人物像がつかめると、
この「BPP」という企画が、より立体的に感じられるんじゃないですかねぇ。
立体的というか、企画に宿っているぬくもりを感じられるように思います。

で、なんとこの企画の発案者の方とプロデュースをされた方が
対談をされています。「BPP」に至った経緯や裏話が読めますので、
これまた企画にこもった温度を感じることができると思います。
興味をもたれた方は、対談をやられている

Nagasawa Masami FUN CLUB

を訪れてみてください。

と、勝手に紹介してしまって大丈夫かなぁ…。
おいらには、なかなか野次馬的根性があるようで…。

さて、今夜は『わが家の歴史』の第2夜ですね。
第1夜、面白かったです。
昭和の昔ってものも悪くないって思いました。
過去に対して優越感を持たせるようにも作っていないし、
登場人物がみんなきらきら生き生きしていますね。
長丁場なのがヘビーだけど、耐えながら楽しみます。

_______

芸能生活10周年」の長澤まさみちゃんの誕生日に、
ファンのみんなのメッセージを集めたハードカバーの本を贈ろう!
(※この企画に関する僕の記事はココです。)
-Birthday Present Project-

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重ナルモノ

2010-04-09 18:45:07 | days
今日からフジテレビ系で三谷幸喜さん脚本の3夜連続のドラマ
『わが家の歴史』が始まりますよね。
僕の好きな長澤まさみちゃんも出演するということで、
かなりはりきって待っていたのですが、
珍しく、急きょ予定がはいって、録画することに。
明日はどれだけテレビにかじりつけばいいのだ…。

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