Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『そして、暮らしは共同体になる。』

2019-05-24 23:20:08 | 読書。
読書。
『そして、暮らしは共同体になる。』 佐々木俊尚
を読んだ。

「横へ、横へ」「文化を創る」「物語」「マインドフルネス」
「移動」「ノームコア」そして「ゆるゆる」。
そういったキーワードを貫いていく線がたどり着くのが「共同体というありかた」で、
そこが終着点になっている本です、かいつまんで書きますと。
その終着点もそこまでのプロセスも等価に大切というような内容です。

20世紀は、成り上がるために「上へ、上へ」と向かい、
そして、クールであるために「外へ、外へ」と向かいました。
これを著者は「反逆クール」と名付け、批判する。
そこに豊かさがなくゴールもないことを看破したんですね。
それでもって、「反逆クール」を乗り越えるものとして、
「横へ、横へ」のありかたに光をあてます。
それは、「移動」であり、つながりをつくっていく姿勢であり、
つまりは「ていねいな暮らし」をすることであるといいます。
「ていねいな暮らし」には「マインドフルネス」がヒントになる。
たとえば「マインドフルネス」とは、
自然の中にいるとき、青空を眺め、柔らかな風を感じ、緑の匂いを嗅ぎ、
鳥の鳴き声を聴く。そういった一連の体験をいっしょくたに感じて、
今そこにいることを全身で集中して感じてその時間に没入することであり、
その心地よさ、気持ちよさの実感、生の充実感などがそういったものです。
さらに、そんな「マインドフルネス」を内包するような「ていねいな暮らし」は、
「文化を創っていく」基本となったり、
「物語」が生まれるところと近しいところに居るようになったりする。
そんな「文化」や「物語」はどんな意味合いがあるのかといいえば、
それらは豊かに人々をつなげていくものとして機能します。
また、「ていねいな暮らし」はこの先、時代の潮流として、
「ノームコア」という価値観が浸透して作られていきそうだと、
著者は予見します。
ノームコアとは、ノーマルコアのことであり、普通でいることがいいよね、
というような価値観。ファッションでいえば、無理に派手になることなく、
気負いのない服を着ること。
転じて、というか、生き方にこそこの価値観が主流になっていくのではないか、
と見る向きがあり、昨今の体感的にもでたらめじゃないよなあ、と、
みなさん感じられるところだと思います。
こうして繋がっていく線の行き着く先が、「共同体」ではないかと著者は主張し、
昔ながらの共同体のマイナス点であるしがらみや、監視する雰囲気、
プライバシーの無さなどを克服させるためかのように、
「ゆるゆる」という態度を提示しています。
そうやって、共同体への理路は完結します。
もうちょっと言うなら、本書自体の構成や文体など一冊丸々、
ゆるゆる感を持たせて作られています。
体現しているわけです。

ふんだんに現実のエピソードが盛り込まれ、
情報の質も切り取り方も好ましく、
日常生活のお手本としても、
これからの未来予想図として自分の人生の指針としても、
ビジネスに役立てる参考書としても、
おもしろく読めるでしょう。

僕なんかが思うのは、
この本に対して信者になったかのように読まなくていいけれど、
みんなが冷笑的にならずにまず読んでみて、
各々の人生観や価値観に、この本の言うところのことを、
ゆるくくさびとして打ち込んでみたらどうだろうとうことです。
そこからいろんな考えをキャッチボールしあったら面白いのではないかなあ。


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『歌うクジラ 上・下』

2019-05-20 21:04:46 | 読書。
読書。
『歌うクジラ 上・下』 村上龍
を読んだ。

ユートピアとして実現したディストピアの未来を舞台とした、
ひとりの少年が主人公の冒険小説。

細部にわたって練られた未来世界。
そのシステムや背景までもが
現代から順を追って論理的に積み上げられ、形作られています。
それが数えきれないくらい多岐にわたる選択肢のひとつを辿らせたものだとしても、
そこには説得力があり、
現代と地続きにクリエイトされている。
だから、この小説の世界観に悪酔いもしてしまうのです。

猟奇的な殺人描写や暴力や、性描写や性暴力の描写がたくさんでてきます。
「現代をオブラートで包んでいる」と解説で吉本ばななさんが書いていらっしゃるとおり、
物語としてはそうなのだと思うのですが、
エロやグロやバイオレンスを物語の表面に刻んでいく手法は、
オブラートに包むというよりは、
現実にタトゥーをいれる方法で物語にしているようにも感じられました。
倒錯というか逆説というか、複雑というか作家独自の手法なのかもしれない。
昔からよく言われているように、脳に直接響くような文体と相まって、
この手法によって、物語や文章のインパクトが強くなっていて、
ときに心理的にダメージを受けもします。
読み手に対して爪痕を残すようなところがある。

しかし、文章をひとつずつ見ていくと、
内容としては難解な箇所はあっても、
文章を読む行為に対しては比較的バリアフリーというような、
やさしい文章で書かれています。
くだいて、わかりやすく、
これは人に伝えるためのものなのだ、ということがはっきり意識されています。
それは伝える内容のイメージがとても強いがためなのもありそうです。
僕も、自身の文章を推敲する時には参考にしようと思いました。
わかりやすさを考え、文章それ自体の難易度は低くすること、ですね。

本作の印象は、村上龍という作家がさらに全力をぶつけてきたな、というものです。
それは本作の内容の、甘さの無さにも表れていると思いました。
それは、プロフェッショナルであることのひとつの極致だろうと。
もう、いろいろと大きな選択肢を見てとれる分岐点にはいないのです。
選択したあと、その道を突き進んで、
分岐点からからなり離れた場所で見えたものや、
そこにいたるためにとられてきた姿勢などが、
物語の吐く呼気に濃く含まれているような感じがします。

主人公・タナカアキラのたどる冒険には甘さがみじんもありません。
だからといって、そのような苛烈な状況を、
運の良さだけでくぐりぬけてきたようには書かれていません。
想像し、思考し、勇気を持ち、冷静でいることでなんとか物語が進む。
そして、そこで培われた知見、それは移動が大事なのだということ。
いろいろな人を知ることが大事なんだ、とよく言われますが、
またちょっと角度の違う方向から
そういうことが語られているような読め方もするのですが、
違う角度から違う景観として見えてくるので、
新鮮さと気づきが得られる。

とまあ、そんなところなんですが、
上巻の半分くらいまでを読んだ時点では、
殺人描写などが激しくて、もう勝手にやってくれと思うくらいでした。
いったい、なんの意味があるのだろう、と
「これが変態小説なんじゃ…」なんて思ってしまうくらい。
でも、佳境を迎え、それから結末を読み終えると、
たしかにそこには光るものがあるのでした。
疲れはするけれど、最後に宝箱は開く。

僕からは、万人におすすめできないなあと思いながらも、
挑戦者的なひとは一度チャレンジしてよいと思います。




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