Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『一億総ツッコミ時代』

2013-05-31 22:51:15 | 読書。
読書。
『一億総ツッコミ時代』 槙田雄司
を読んだ。

著者の槙田さんは、マキタスポーツという名前で芸能活動をやっていらっしゃる方です、
ご存知の方も多いでしょう。

お笑いブームを経て、いまやお笑い供給過多になっている時代。
一般人までがお笑いの感覚を身につけ、あれやこれやとツッコミを
いれてばかりの世の中になっている。
「そんな世の中は窮屈で生きづらくないか」
そういう見地から、ツッコミが蔓延している世の中を転換するべく、
より生きやすい世の中にするベく、
警鐘を鳴らし、新しいスタイルを示唆するのが本書です。

読みやすくわかりやすく、各章、各節ごとの情報量(中身)の
確かさを頭に入れる気持ち良さがあり、
その情報の持っている価値を考えてみるのも面白い本です。
面白い、といっても、自分を見直す部分が少なからずあるので、
苦みというものがあります。
それはコーヒーのようなもので、苦みあっての美味しさに通じる
味を持つ文章だと思いました。

ちょっとネタバレになりますが、
「ボケ」や「ベタ」な生き方こそが、本当に豊かな生き方だと
論じているのです。読んでみると、そうだよなぁと思いますよ。
ツッコミという息苦しさというものがあります。
合理性原理主義とでも言いたいくらい、
世の中、合理的なものを尺度にツッコミをいれますけれど、
そうじゃなくて整理整頓のできていないような非合理的なものの価値に
スポットライトを当てている。
臨床心理学者の河合隼雄さんは、「合理的なものは心に良くない」と言いましたが、
そこに通じるものが、槙田さんのボケの価値を復古させようとする思想に
表れていたりします。
また、ツッコミをいれること、パーティーション(仕切り)を区切ってその枠の中から
自分ははみ出さないことばかりに気をつけて生きることは、
実は自分を守ってばかりの防御過ぎる姿勢だということも解き明かしています。
どんどんツッコミをいれて、ちょっとした失敗すら指摘して、閉塞感という
身動きのできない空気を生んでいるようにも見えるとも論じている。

つまり、行き過ぎたツッコミというものは、めくじらをたて、
あらをさがし、相手の弱点を突いて自分を有利にすると言う論法なのです。
そんなイヤな行為が笑いの衣をまとっているがために、
笑いを取れるんだという小さな利己心がツッコミを行わせる。
笑いというものは確かに愉快でスカッとするかもしれないですが、
もはやそこには笑いのバブルが生じているかもしれない。
笑いを求める気持ちが行き過ぎているんです。
そこまで他人を笑わなくてもいいんじゃないかな、と
読んでいても感じました。

また、これは、芸能人のファンに対してですが、
「自分たちがいてあげなきゃ」という視線を持っていることが、
傲慢な見方かもしれないってマキタさんは論じているんです。
アイドルが例でしたけど、なんとか手助けしてあげたいと感情移入して見る行為も随分傲慢だ、と。
なるほどなぁと読んでいます。
本谷有希子さんも、舞台クレイジーハニーでそのようなことを題材にしていました。
今の時代、そういったモンスターが見える化されてきているところなんだと思います。
僕もそういうところは気をつけたいな、と振り返りながら考えたりしました。

そんなわけで、芸人さんが書いた本だとあなどってはいけない、真っ当で、
寛容さのある警句が並んだ本です。
一読の価値ありますよ。面白かったです。



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『地球を聴く 3.11後をめぐる対話』

2013-05-25 02:07:56 | 読書。
読書。
『地球を聴く 3.11後をめぐる対話』 坂本龍一 竹村真一
を読んだ。

音楽家の坂本龍一さんと京都造形大学教授の竹村真一さんの対談本です。
竹村さんについては知っている方が少ないと思われますが、
この本を読んだ感じですと、人類学に地理に歴史に生態学にITに、と
今の地球を考える上でのいろいろな学問や情報に通じている人でした。

お二方はともに、時代の先端の情報や思想に通じていて、
読んでいる自分が情弱だということをまず痛感しました。
そして、こういう対談本によくあることですが、
いろいろな知識の「チラ見」ができます。
たとえば、これは言語学ですが、日本語の言葉の成り立ちの話があります。
また、抗菌というものが実はよくなくて、適度に汚れているほうが安全だという話、
西郷隆盛の征韓論の真意などなど、これでも数%いくかどうかで、
軽く触る程度ながら語られていくその情報量の多さは、知識欲を刺激するでしょう。

そういった、有益な雑学とでも言うべき情報ばかりではなく、
本書には確固としたお二人のもつ未来へのビジョンが語られている。
よりより未来を築いていくために人々はどういう意識を持って生活すると
良いのかというのが、一冊最初から最後まで通った線であると思います。

竹村さんは言います。
「人類は進歩しすぎて自然を破壊しているのではなくて、未熟すぎて破壊している」
進歩していく意欲とヒントを得るために役立つ本だと思いました。



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『野生哲学 アメリカ・インディアンに学ぶ』

2013-05-24 01:32:52 | 読書。
読書。
『野生哲学 アメリカ・インディアンに学ぶ』 菅啓次郎 小池桂一
を読んだ。

前半部というか、190pくらいまでは菅啓次郎さんの書きもので、
残りの40pくらいが小池さんによるナバホ族の神話を描いた漫画です。

本書を読んでいると、人間というものは機械じゃない、
熊や蜂や猫と同じ生き物なのだから、
自然の中で生きるのがすごく厳しいことだとしても、
地球を俯瞰する視座でみてみたら、自然の中での生活が一番適当なのではないかと思えてきました。
町や村も含めて、現在の人間の暮らしというのは、
自分で農耕や採集や狩猟をしない都市型(市場経済型)の生き方をしている。
それって、僕の言葉でいえば、
人間が自身のために作った温室のようなシステムにひきこもって
生きているようなものかもしれないです。
温室にこもって、自然と対立する立場をとるのが、今の先進国の人たち。
もっといえば欧州型の考えに席巻された人たちのとる立場。
温室には温室の利点がありますが、そういった生活によって失われる、
人間の野生性というものがあります。

アメリカの広大な土地に住む、いくつものインディアンの部族たちに
伝わる神話や伝承、そしてそれらに基づく生活、生き方の哲学、世界観。
土地に密着し、土地に溶け込むからこそ生まれる、
土地と人間が食い違いを起こさないような考え方に満ちているように思えました。
本当に、インディアンの人たちは、自然をリスペクトしているし、
自然を損なってまで利益を得ようとするような、
欲の皮の突っ張った考え方をしない人たちだと思います
(そういう人たちが多いと思う)。
それでも、部族の儀式は読んでいるだけで痛く感じるくらいですし、
その部族に生まれたかったとは思えません。
仏教の苦行のようなものがそこにはあるようです。
また、太陽を特別視するところなどは、
古代エジプトに通じるものがあります。
そのあたり、人類学の知識のある人は比較してみたら面白いのではないでしょうか。

最後に。
書きもの担当の菅さんは詩人でもあるということで、文章がやはり
そういう趣のあるものでした。かといって、論理がないというわけではなく、
逆に論理の整合性をしっかり精査して書いているようなところもあります。
しかし、後半部になるにつれてそういった趣のある「味」は薄まっていって、
説明文的な文章の「味」が強くなっていったように感じました。
まぁ、僕が疲れたためにそう感じたのかもしれない。

まとめると、自然と対立していくようなライフスタイルは
僕もあまり好まないかな、ということです。
そして、10代の頃ならば「遅れてるな」と笑い飛ばしたに違いない、
アニミズム的な価値観(動物、植物、鉱物、星々などすべてに魂があるという考え)に
ついてすら、その感性にYESを言いたい、ということです。

話は変わりますが、黒人大統領が誕生したアメリカに、
いつかインディアンの大統領が誕生しませんかねぇ。
そういう日が来たら面白いと思います。
それも、アメリカの大量消費、自然との対立の価値観に毒されていない、
インディアンらしい人物がなったらいいな、なんて思ったりもしました。



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『中学生円山』

2013-05-22 22:06:08 | 映画
宮藤官九郎さん監督の映画、『中学生円山』を観てきました。
男子中学生の夢、それも下ネタが前提になっている話なのですが、
「なんの話やねん」と突っ込みたくなるようなアホさです。
良い意味で、そういうアホさ、くだらなさ、に耐えられかつ楽しめる人には
お勧めできますが、基本、人に勧めにくいような作品です。

男子の大勢は試みたよね?届くかどうかってさ…。
(これがいけてない男子の証拠だったりして)

時おり、それもごくたまーに、はっとさせられるセリフがあったりして、
でも、シリアスに事は進まずに流されて行っちゃうんだけれど、
そういうスパイスがなければ、本当に本当のアホ映画だったかもしれない。

マドンナ役の刈谷友衣子ちゃんがかわいかったです。
『あまちゃん』の能年玲奈ちゃんとともに、可愛い若い子をまたもや発見です。

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『面白いほどスッキリわかる!「ローマ史」集中講義』

2013-05-12 00:00:29 | 読書。
読書。
『面白いほどスッキリわかる!「ローマ史」集中講義』 長谷川岳男
を読んだ。

駆け足で辿りながらも、要点にはページを割いて説明してくれる
ローマ帝国の歴史本です。

なぜローマ帝国は繁栄したのか、なぜ領土を拡大し続けたのか、
ローマ人とはどういう考えや感覚を共有する人たちだったか、
などが要点です。
どういう戦争をして、どう領土を得ていったかだとか、
皇帝がどう変わっていったかというところが駆け足。

もともと、前の職場の上司に、塩野七生さんの『ローマ人の物語』を
すすめられたのがきっかけとなって買いました。
『ローマ人の物語』のほうは何巻かある長編だというので、
気持ちがくじけてこっちを選んだわけです。
皇帝やコンスルの中には個性が強かったり、まさに英雄だという人がいたり、
また、カルタゴのハンニバルとの戦いが興味をそそったりと、
細かく楽しむには『ローマ人の物語』のほうが適っていそうです。
なんでも、同性愛で女装癖のある皇帝もいたとか…。

しかしながら感じたことは、ローマ人の血なまぐささでしょうか。
昔の中国とか、昔の日本でもそうだと思いますが、
残酷なんですよね。
根っこのしっかりとした宗教に縛られる前の人間って、
こうなるのかなぁと思ったりもしました。
宗教がなければ、人間ってこういう野蛮なものなんだよと
考えられないこともなく…。
無宗教でもモラルがあって、感謝を忘れず楽しく救われて生きる
みたいな世界はいったい何千年後にやってくるのかなと思ったりもし、
それとも滅ぶのが先かなと寂しい気持ちにもなりました。

カエサルたち、共和政から帝政への移行期の動乱の時代っていうのは
やっぱり面白く、たぶん、中国の三国志なんかが好きな人は、
こっちの歴史物語も好きになるのではないかな。
クレオパトラの実物はいったいどんな人だったか、永遠の謎だけれど、
またこの本を読んで気になったところでした。
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「コミュ障」ト仕分ケスル害悪

2013-05-11 19:35:36 | 考えの切れ端
ツイッターのタイムラインを流れてくるので知りましたが、
コミュニケーション障害(以下、コミュ障と略)という言葉がありますね。

昔は、…そうですね、僕が20歳くらいの頃の15,6年前だとか、
そういう言葉は聴きませんでした。
いつから、コミュ障なる言われ方がするようになったのかは定ではない
(そりゃそうです、若い人ならいざ知らず、最近知ったんですから)。

自分に自信がない、他人を信用できない、話ベタ、話し馴れしていない、人見知り...etc、
人との付き合いがうまくいかなかったり苦手だったりする理由があり、
「もう少し社交的になれば」と言われれば、「いや、自分に自信がなくてね」などと返答したのが昔。
特に、この「話馴れしていない」というのが、対人関係におく手の人の、
一つの悪循環によるものだったりします。
人と話をする機会を避けるので、話の妙味、流れの捉え方、
相手の意図など何を考えているかということに
思いを巡らす察知力が育っていないからです。
そういう人でも、少しづつ、人に慣れて、人生経験を積んでいくうちに、
人づきあいが苦手だったその理由が緩和され、察知力が育ち、会話の面白味も
わかってくるものです。人によっては、孤独を愛するという性格もあります。
そういう人は、コミュ障とは言われないのかな。

そういう人たちが大半だと思うのですけれど、
今はコミュ障というレッテルがはられ、カテゴライズされるものなのですか。
いやなものですねー、「ちょっと他人を信用できないんだよね」
「話がへただからさ」レベルで済む人が多いのではないのかな。
コミュ障という言葉によって、
差別を感じます。コミュニケーションに長けた外向的な人だけが優性種で、
そうじゃない人は劣性種扱いというような。
そういったようなコミュニケーションが苦手か得意かは
コミュ障のような言葉を使って区別しなくていい事柄だと思います。

そういった人の性格などでもなんでも言葉を当てはめて「仕分け」すれば幸せになるものでもない。
逆に無理やりはっきりさせて、「あなたはこっち、わたしはあっち」扱いすることで不幸になる。

新しい概念に新しい言葉がずばっとハマってすっきしたり視野が広くなったりすることがあります。
でも、なんでもかんでもそうすればいいってものじゃない。

親しき仲にも礼儀ありとはよくいったもので、
人との付き合いでも言ってはいけないこととかあるじゃないですか、
それを言っちゃお終いよ、という、絶交につながる決定的な一言だとかあります。
あれといっしょで、それを「仕分け」しちゃ、人間関係の暖かみや連帯感を持つうえで
やっかいになるものがある。それが、コミュ障だと思います。
つまり、人をつかまえて、あなたはコミュ障です、などと仕分けするなどというのは、
人の尊厳からしても、愚かではないかと思います。

本当に、病気としての重いコミュニケーション障害は別だとは思いますけどね…。
そういう人は、心理療法士の方などの助けが必要なのでしょう。

軽い意味で、コミュ障などとは言わない方がいいです。
新しい言葉だからと、飛びつくように使って、自分の優越を確かめたり、
自分を卑下してみたりするのは、まだまだ心の成長途上の人だよなぁと、
30代を過ぎた人はみるでしょう。

とにかく、人とコミュニケーションするのが苦手で、コンプレックスを持っている人を
追い込むなということですね。
僕も人見知りですからね、まぁ、馴れるとよくしゃべったりしますけども。

コミュ障という言葉で、不当に生きづらさを産むむことはないです。
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『東京DOLL』

2013-05-08 21:44:28 | 読書。
読書。
『東京DOLL』 石田衣良
を読んだ。

若くてして成功した、ゲーム作りの天才であるMGと、
彼が見つけたモデルのヨリ。この二人を中心に進んでいく
恋愛小説です。

ゲームのヒットによって得た莫大なお金を持つMGには、
ギラギラした出世欲のようなものはありません。
もともと、良いゲームを作ればそれでいい、というような人のようです。
なので、ある意味で、やぼったい生活臭のない、夢のような生活の中の
おとぎ話のような恋愛がそこにあります。
おとぎ話と言ったって、小学生が読むような話ではなくて、
ちゃんとセックスが行われていて、それが官能的に読者の心を喚起したりもする。

面白い小説でした。
僕はどっちかというと、「文学」と呼んだ方がしっくりくるような読み物を
読むことが多く、この石田衣良さんのような「小説」と呼ぶ方がふさわしい
ような読み物に触れることは少なかったです。
特に、東京の今の話なので、余計に自分とは遠く感じてしまうがゆえに
新鮮なところがある。

石田衣良さんって、NHKか何かでみたときに、ちょっと独特な人なんだけれど、
ちょっと「?」がつく印象の人物だなぁと見ていましたが、
小説はとても上手なんですね。
また、違う作品を読んでみるかもしれないです。

ヨリは魅力的な女性でした。
新たな「マイ・フェア・レディ」として読んでも良いですね。

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長澤家ノオ嬢サン

2013-05-02 22:49:57 | days
相変わらず、といいますか、
長澤まさみちゃんが好きです。

最近は俳優の伊勢谷友介さんと恋仲だ、なんて記事も出ていましたよね。
伊勢谷さんについては、出演作の『金髪の草原』と『あしたのジョー』を観ています。
とくに『あしたのジョー』での力石徹役は素晴らしかった覚えがあります。
力石の仮面をかぶって演じているというよりか、力石と同じ血を身体に流れさせて
演じているといったような印象をもったものです。
どっちかというと僕の好きなタイプの俳優さんなんですよね。
芸大を出たのも知っているし、有名なデザイナーと異母兄弟なのも知っている。

まさみちゃんのお相手としては十二分に素敵じゃないかと思うわけです。
まぁ、週刊誌の記事ですから、本当かどうか、お付き合いされているのか
わからないところもありますが、もしも本当であったら、
まさみちゃん、僕の次に良いオトコをつかまえたね!と言ってあげたいくらい
(つまり、本音は、僕をつかまえろということである)。

と、与太るのはこのくらいにして。

髪型はショートからまたセミロングっていうのかな、そのくらいまで
戻しましたね。素敵だなぁと思って見ています。

『モテキ』や『都市伝説の女』のまさみちゃんはセクシャリティを武器にしていました。
僕はまさみちゃんを好きといいながら、あまり彼女に性欲を刺激されるような
気持ちになったことはなかったのですが、『都市伝説…』では「おっ」と
新たな感覚が生まれてしまいましたよね。
女性として抜群だという感想。
それと、常々、言っていきたいことなんですが、
彼女の、ものを考える思考回路にも魅力がある。
そのアウトプットされた発言を読むと、独自性があったり、
深いところを突いていたり、年下の人だなんて思えないくらい、
考えさせられたり頷かされたりすることがあります。
そんなまさみちゃんだからこそ、10歳以上年上の伊勢谷さんと仲良くできるのかな、
なんて思ったり。まぁ、重ねていいますが、お付き合いが本当かどうかはわかりません。

まさみちゃんのツイッターbotによると、まさみちゃんは
空想世界を肯定するようなところがあります。
ドラゴンはいると思った方が豊かな心だみたいな感じの発言を、
詳細は失念しましたがされていました。
そのあたりに、彼女の内面のオリジナリティの秘密があるような気がしています。
彼女に限らず、面白い人だだなぁという人は、けっこう子どもの頃だとか、
空想好きだったんじゃないかと思うわけです。
空想にどっぷりつかって、自分からコミットしていくと、その経験が
現実の経験に近いくらいの価値を持つことがあると思うのです。
これはユング派心理学の本からそう読めるところがあります。
その考えが本当だとすると、かさみちゃんは一種独特の空想世界を持っていて、
そこを大股で闊歩しているくらいの経験を積んでいるんじゃないかなと、
失礼ながら分析したりしました。
みなさん、人間性豊かな人になりたかったら空想に浸ることも大事かもしれないですよ。
妄想ばかりしているのは、ちょっと心理的に異常な方向へいくようなので、
そのへんも線引は必要だとは思います。

話はそれましたが、
長澤まさみちゃん、ぜひまた、僕の行きつけの映画館でも上映するような
メジャーなタイプの映画にも出てくれぇと願っています。
このあいだのウッチャンが監督した映画は観にいきませんでした…。

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『デフレの正体』

2013-05-01 22:11:29 | 読書。
読書。
『デフレの正体』 藻谷浩介
を読んだ。

あとがきに書いていますが、
「経済を動かしているのは、景気の波ではなくて人口の波、
つまり生産年齢人口=現役世代の数の増減だ」
というのが、この本の要旨です。

前半部では、具体的な数字をもとに、
国際競争の面や地域間格差など、よくよく言われていることを
バスッと斬って捨てます。それも、論理的に、盲を開くように。
中盤は、人口の波について。つまり現役世代が減るために、内需が減るのです、
ということを丹念に語ってくれます。
後半部は、筆者の提案です。

以下、ツイートから。
___

生産性向上の名の下、機械化したりして一人あたりの仕事量を増やし、
退職者をつのり人件費を削ったところで総体的にみたら経済の規模を縮小していることになるんか。
内需が減少するものねぇ。

生産性向上で人件費を抑えるくらいならば、
商品力向上に力を注ぐべきだぁね。
それを阻害するのが、短期的に株式を取得して売って利益を得る人たちとそのシステムなのだなぁ。
短期的に利益を出すことは、人件費を抑えることで実現するから。

生産者(労働者)は消費者でもあるんだよなぁ。
仕事に追われてお金を使う暇がないっていう友人がいますが、
そういう人の使われ方が内需を低下させているのかね。

___


問題は内需の減少なんですよね。
デフレで何が悪いかっていうのは、それだけ経済の規模が小さくなると、
税収が下がって国力が弱くなることです。
世界規模でそうならばどうってことないのかもしれませんが、
世界の中の一国としてデフレ傾向が続くと、各国との力関係が変わってくる。

さぁ、安倍内閣はどうやって内需を拡大する方向へ持っていくでしょう。
この本は大きなヒントになると思うんだけどなぁ。
難しいけれど、興味深い本でした。

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