Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

モノ申ス

2012-07-31 19:14:29 | days
坂本龍一さんの「電気より命」発言が叩かれるのは
その発言の行間が伝わっていないためです。
坂本さんは、処理できない核廃棄物を子孫に残すことの理不尽さについて
第一に警鐘を鳴らしてきました。
そして事故による汚染についてさらに危ぶまれたのでしょう。
「電気より命」はそういう背景の氷山の一角なんですよ。
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『ダークナイト・ライジング』

2012-07-28 20:56:12 | days
クリストファー・ノーランのバットマン三部作の完結編、
『ダークナイト・ライジング』を昨日観てきました。

前作の『ダークナイト』が面白かっただけに、今作はどうだろうと
期待していましたが、どうやら僕の好みとしては、前作のほうが
良かったということになりました。
今作も、正義の辛さ、苦さ、弱さ、みたいなものはあるんだけれど、
薄かったかなと感じました。

といいつつ、もう前作はどういう内容だったか忘れていまして…。
さらに一作目を観ていないので、序盤、話に若干、おいていかれました。
一作目、二作目の復習をしてからみたほうが楽しめます。

特筆することは、ヒロイン、アン・ハサウェイの魅力でしょうね。
スタイルはいい、美人、アクションも抜群。

前作の方が良くても、今作も楽しめないわけではありませんので、
あしからず。
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『十九歳の地図』

2012-07-23 22:47:11 | 読書。
読書。
『十九歳の地図』 中上健次
を読んだ。

半年くらいぶりに読んだ小説は、初めての中上健次さん。
70年代の作品集でしたが、その文体はまだ現代に通じるものを持っていて…、
というか、僕の世代だとまだ平気で読める文体でした。

4作品、収録されていましたが、それぞれに書き方が異なっています。
実験なのか、確信的な変遷なのか、苦しみの末の変化なのかわかりませんが、
形容の仕方、比喩の使い方や頻度に大きな差が見られました。
でも、それぞれに面白く読みやすいのです。
そういうところは他の作家の人たちも参考したり盗んだりしているんじゃないかなぁ。

『十九歳の地図』はシンガーソングライター、故・尾崎豊さんの代表作
『十七歳の地図』のきっかけになっているだろう作品です。

19歳、予備校生の主人公は人生に希望を持てない。
きっとその彼が目指すは、1か0かなんだと思う。
支配者か被支配者か。
それで、支配者にはなれないことを悟っていて、
自分だけの狭い閉じた世界の支配者になろうとする。
新聞配達の仕事仲間との世界をのぞいた外界との接触は、
ときどきかける公衆電話からの脅迫電話だけ。

それでも、その脅迫電話というものから、世界に繋がるだけまだ救いがあるような気がする。
本当に、現代だと、そういう繋がりさえしない子たちがいるでしょう。
また、その主人公の行動にとってかわる現代の行動といえば、
2ちゃんねるでの威力妨害や誹謗中傷の書き込みをする連中に置き換えることができるかもしれません。

鬱屈さが腐ってそういうふうになるんじゃないかなんて考えるところです。
19歳という年齢。放埓に生きろ、自由に生きろというと、
こういう人も出てくるものです。そういう人になってしまうバックグラウンドが
世の中や親や家族、境遇によって作られるものです。
それがいけないとかそういう話はしません。
『十九歳の地図』は一つの、その当時の現代を描いた絵でもあるでしょう。

村上龍さんほど、突き抜けた生活の小説ではありませんし、
村上春樹さんほど、その比喩で独特の世界観を持たせるものでもないと思いました。
それでも、どうも、中上健次という人から枝分かれした図でもって、二人の村上作家を
位置づけられるような気がしたんですよねぇ。
それはそれ、文学に浅い僕ですから、間違いかもしれないです。
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『原発報道とメディア』

2012-07-10 23:03:28 | 読書。
読書。
『原発報道とメディア』 武田徹
を読んだ。

前回読んだ、内田樹さんの『街場のメディア論』に続いて、
今度は武田徹さんのメディア論を読んでみました。
本当は、原発のことが書かれた本だろうと思い購入したのです。
それが、読んでみると、しっかりとしたメディア論でした。
内田さんの本から連続したメディア論になりましたが、
それはそれ、「奇しくも」といった体であります。

僕はのめりこんで読むタイプなので、読んでいくうちに
内田さんのメディア論のことは忘れていきます。
きっと、武田さんと意見を異にするところはあったとは思いましたが、
全然気付きません。

よって、いい加減な、メディア論考になっているとすごく思うのですが、
まぁ、それはしょうがないと、自分で言ってしまいます。

印象的だったのは、知ることのリスクについてでした。
チェーンメールで拡散された、Rh-の血液型を求む、というものがあり、
それは本当のことだったのですが、そのメールの真偽を確かめる電話が
そのメールで指定された病院に殺到し、病院の事務が仕事にならなくなった。
「診療に支障が出ている。善意だとしても、これ以上の転送はやめてほしい」
と病院側はコメントを出したそうです。

なんでもかんでも、誰にでも知らせて良いわけでもない。
それはジャーナリズムも一緒かもしれない。
その一例として挙げられていましたし、
それがお門違いの例ではないだろうと、僕も理解しました。

しかしながら、本書は感想を書くにはちょっと難しいところがあります。
端的に、少ない言葉で表現すると、不足する事柄ばかりを扱っているからです。

そんな本書を紹介するには、帯にも書いてありましたが、
この文句が良いでしょう。

「3.11の後、どう語るのか?」

僕らはいろいろな悲劇やショックをプラスに変えて、進歩していくべきなんだと思います。
また、悲しいかな、そういう悲劇がないと、
ぐんと進歩できない集団的生き物なんだとも思っています。

うわべだけを見ず、福島第一原発事故であれば、福島に住む人たちを想うこと。
彼らが見まわれた風評被害などにも目を向けること。
そういうことが、ジャーナリストでなくても、
個々人のジャーナリズム性であって、そういう目を養うことが大事になるんだ、
というように読めました。

一般読者に向けられたというよりも、ジャーナリズムの道を目指す人に向けられた
本のように読ましたしたが、それでも十分に面白く勉強できる、視野の広がる本でした。
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