Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『O・ヘンリ短編集(一)』

2017-03-19 12:53:15 | 読書。
読書。
『O・ヘンリ短編集(一)』 O・ヘンリ 大久保康雄 訳
を読んだ。

アメリカには「O・ヘンリ賞」がありましたよね。
カポーティなんかがその賞をもらっている。

じゃあ、賞の名前にもなったO・ヘンリは
どれほどの腕前の作家だったのだろう、と
気になるものです。
アマゾンで探してみると、
新潮社から短編集が3冊出ていたので、
豪気にも3冊とも購入したのでした。

さてさて。
本書には16編の短編と、
O・ヘンリの生涯を追った解説がおさめられています。
1900年代の作品だから、
古めかしくて堅苦しいのではないか、などと
勘ぐってしまいがちなのですが、
豊富な語彙と柔らかな文体(翻訳も見事なのでしょう)で
洗練された文章が、
読み手に、あたまの隅まで届くような、
豊かな読書感覚を生起させます。
さらには、文章が読みやすくて奥深いだけではなく、
会話文も、内容も、文字の奥に見通すような
遠い存在として感じられるのではなく、
眼前にありありと浮かんでくる体で、生き生きとしています。
イメージが、よい鮮度のまま、文章に封じ込められたかのようです。

16編で、長いものでも20ページちょっとで、
短いと10ページ足らずだったりして、
現在の短編の感覚からすると、ショートショートと短編の間くらいの
長さのものかなあと思いました。

この作家は、最後のどんでん返しが持ち味ということですが、
そうやってどんでん返しの力のみで終わるところのちょっと粗野な感じが
大時代的かもしれない。

それと、最初の二篇なんかはとくに、
コントの筋立てみたいに思える内容でした。
古くはドリフターズだとか、
お笑いのひとたちはこういうので、
勉強したり参考にしたりしていそうだなと思いました。

作家は、借金したり刑務所に入ったり、アメリカから逃げたり、
いろいろとたいへんな人生だったようです。
解説の書き手によると、そういう大変さが
作家の才能を育んだのではないか、としていました。
平和な時代の貴族の三代目とかでもない限り、
楽な人生なんてないもんです。
そして、いろいろな職業を経験して、
街を歩いて、人間を見知って、
これだけのものが書けたということです。
犬も歩けば棒に当たる、だなあと思いました。


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『アイヌの世界』

2017-03-13 23:36:07 | 読書。
読書。
『アイヌの世界』 瀬川拓郎
を読んだ。

「北海道の先住民」という言い方だと誤解があるかもしれない。
本書によれば、アイヌは縄文人の末裔、
それも沖縄のように多数の弥生人によって血が薄まっていなく、
弥生人との混血の程度もすこしで、
あとはサハリンから南下してきたオホーツク人との混血もすこしあるのが
アイヌ民族だそうです。

ご存知のようにぼくは北海道に住んでいますが、
「アイヌ」をどう呼ぶのか、
けっこうデリケートなところなのを知っています。
そのくせ、正解を知らない、
つまり、アイヌの人たちがどう呼ばれるのを好むかを知らないのです。
「アイヌ人」は差別的だとか、「アイヌのひと」はいいだとか、
そういうのが子どもの頃の記憶にあるのですけれども、
ほんとうに、そのあたり、デリカシーがないと言われればそれまでで、
呼称ひとつにしてもためらいます。

アイヌのひとたちは、日本人として、
いわゆる和人と差別なく暮らしていくのをよしとしているのか、
あるいは、アイヌのひとという民族のプライドがあって、
そこは敬意を払って接して欲しい気持ちがあるのか、
まったくわかりません。
そして、それは、アイヌのひと個人々々によっても
異なるだろうという予想はつきます。

ちなみに、同級生にアイヌのひとはいませんでした。
アイヌは江戸時代でも、全道で2万人くらいの人口だったといいますし、
沿岸部に多く住んでいたそうですから、
ぼくの住む、新興の開拓地にはいなかったのかもしれない。
だけど、ぼくの住む街に石炭が出るということを
ライマンという外国人が発見したんですが、
彼や、彼の弟子をその後案内したのはアイヌだったようです。
街の名前もアイヌ言葉由来ですしね。

街の名前といえば、
東北地方にも、アイヌ言葉が由来の街がちらほらあると本書にありました。
古墳時代にはアイヌは東北地方へ南下していたようなんです。
当時の東北地方は、まだ大和朝廷によって統治されておらず、
続縄文人と呼ばれる狩猟採集をおもに生業としている集団が
暮らしていたようです。
そして、アイヌが南下したのには、オホーツク人の北海道への南下が
関係しているらしいのでした。

オホーツク人なんてはじめて聞きました。
サハリンに住む、モンゴロイドの民族だそうで、
著者によれば、日本人やアイヌとはまったくの異文化のひとたちで、
コミュニケーションをとるのも難しかったひとたちだったようです。

また、時はちょっとくだって、
平泉で栄えた奥州藤原氏が、北海道、つまりアイヌから
オオワシの尾羽を、矢羽に使うのに取り寄せていたという話がありました。
オオワシの尾羽は高級品として珍重されたそうです。

それにしても、驚いたのは、
クマ祭りについてのところ。
春先にクマの穴ぐらを襲って、小グマを捕獲し、
それを一、二年集落で飼育して、
その後、儀式的になのか、命を絶ち、
どうやらみんなで食べて、
魂を森へ返すような意味のことをやるみたいです。

そして、鮭ですね。
アイヌは干鮭をつくって、
貿易していたようです。

そんなアイヌの最大の勢力圏は、
北はロシアのアムール川流域まで、
けっこう、暴れまわっていたようです。

本書を読むと、
北海道の大自然に抱かれながら、
厳寒の冬を耐えて、静かに命をつないできたかのような、
ステレオタイプなアイヌの印象がぐらんとゆすぶられます。
そのダイナミックな活動と歴史が、
文字を持たない彼らの残した遺跡から読み取れてくる。
おもしろい読み物でした。

最後の第七章は、著者の住む旭川、ひいては上川地方を、
まるでブラタモリのようにその地勢的ところから
アイヌをみていくようになっています。

エッセイと論説文の間くらいの文体で、
内容がぎゅうっと充実した本でした。


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『乃木坂46 2nd写真集 1時間遅れのI Love You』

2017-03-09 08:00:30 | 読書。
読書。
『乃木坂46 2nd写真集 1時間遅れのI Love You』 乃木坂46
を読んだ。

乃木坂全員の写真集。
みんなめんこいぜっ!!

先日、乃木坂を卒業された橋本奈々未さんのソロショットもあり、
大好きな生田絵梨花ちゃんの健康的な水着ショットもあり、
というか、乃木坂メンバーたちの水着ショットが珍しいです。

二倍くらいのボリュームがあってほしかった。
魅力的な乃木坂メンバーたちみんなの、
これは去年の3月ですね、その姿が輝いていました。

巻末には、メンバー全員への各インタビューが掲載されています。
そのなかで、二期生の佐々木琴子ちゃんが、北海道へ行くことになったら、
夕張メロン味のおかしをたくさん食べたいと言っていました。
5万ポイントあげて(なんのポイントだ)、
そのうえに、本物の夕張メロンを食べさせてあげたい…。
琴子ちゃんはアニメ好きで(乃木坂メンバーに多いですよね)、
清楚な美人さんです。
松村沙友理さんがリーダーのさゆりんご軍団のメンバーで、
「白米様」というコミカルな歌詞の歌があります。
どうぞ、佐々木琴子ちゃんをググッてくださいまし!
そんなわけで、
これまで以上に注目して応援しちゃおうという腹づもりになりました。
ぼくは単純だ。


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『動物農場』

2017-03-08 22:48:46 | 読書。
読書。
『動物農場』 ジョージ・オーウェル 川端康雄 訳
を読んだ。

動物たちが反乱をおこして人間を追い払う。
そして独立した「動物農場」はどのような共同体になっていくのか?
1945年に出版された作品で、
ソビエト連邦の真実をあぶりだしたようなおとぎ話だということです。

以下、ネタバレありです。

人間に完全に支配されている動物たちの蜂起は、
はじめ平等と平和という理念のためでしたが、
反乱が成功してからはちょっとずつ変容していく。
知識階級が牛耳るようになっていくのが
悪い方向へ行く徴候なのだけれど、
外敵がいるから知識階級が指示をだしたり計画を練る立場に
ならざるをえないんですよね。
そして、知識層の「ぶた」たちには公共心が薄いところが、
他の動物たちにはみえていなかった。

知識階級が権力を手中にするのをためらわず、
そしてその権力欲と支配欲を詭弁をつかってめくらまししつつ、
いつのまにやら支配体系ができあがっていく。
平民にはわからないインテリ言葉で彼らを欺きながら、
ウソも用いて、洗脳とも言えるようなことをし、
さらに暴力で脅かして掌握するという方法。
ソ連とスターリンの風刺だそうです。

人間、頭が回らない老人になっても
「ずるさ」ははっきり残るひとには残るし、
頭の回転が速くて人生の全盛時にいるようなひとも
「ずるさ」から離れられないひとは離れられないし、
そういうひとたちって多いと思う。
公共心の有無だとか強弱ですかね。
人間の「ずるさ」という根本的な性質が、
共産主義なんかを成立させないポイントだと思ったり。

そういうのもありますから、
インテリ層が力を与えられて、
計画を練り政策を行うということになったとき、
彼らに求められるのは、
公共心をはっきり持てないならば、
「善いことをしているときには、
悪いことをしていると思ってやんなさい」
という吉本隆明的、ポール・ヴァレリー的姿勢なんじゃないか。

動物農場のインテリ層が権力を牛耳り始めたのには、
「俺たちは善いことをしているのだから、
ちょっと悪いことをしてもいい」という
モラルライセンシング効果が働いたとみることも
できるんじゃないだろうか。
そして、それは、ソ連にも当てはまるのかもしれない。

根本的な「ずるさ」とモラルライセンシング効果が重要でしょうか。
反乱をおこして、
外敵がいるからインテリ層が指導します、としても、
そこで権力をふところにしまいこむのが間違いだ。

でも、
そこで間違わないやつのいない世界がどこにあるんだ!?
と思うほうなんですよね、ぼくは。

読んでいくと、どんどん腹が立つし、
最後までいくと義憤にかられます。
サブタイトルに「おとぎばなし」と題されていますが、
そういう単純化されてわかりやすいからなお、
憤りを感じるのだと思います。

この「動物農場」で展開されることは、
パロディですけれども、
現代にも通じることだし、
その根っこのところは常につかんでおきたいものです。


Comments (2)
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『夜と霧』

2017-03-07 00:41:21 | 読書。
読書。
『夜と霧』 ヴィクトール・E・フランクル 池田香代子 訳
を読んだ。

「生存競争のなかで良心を失い、
暴力も仲間から物を盗むことも平気になってしまっていた。
そういう者だけが命をつなぐができたのだ」
「わたしたちはためらわずに言うことができる。
いい人は帰ってこなかった、と。」
第二次世界大戦ユダヤ人強制収容所の体験から書かれた
心理学者の本です。

強制収容所は、
人間だれしも内部に宿す「生命の火種」すら
踏み消してしまうような場所だなあと思いました。
ただ殺すより、労働力を搾取してから殺すというやり方で、
食事も粗末で、衣服もぼろぼろで、
居住棟もベッドも粗野で、
殺される可能性が高いという精神的な圧迫があり、暴力がふるわれる。
ましてや、その労働なんか、重労働の最たるものだし、
マイナス20度で素手ってなんなんだって思いますよ。

過酷な環境で生きていくこと、
たとえば強制収容所での生活では、
ほとんどのひとは無気力状態か堕落におちいるのだけれど、
ほんのわずかな人々はそんな状況下で内的成長を勝ちとるといいます。
誰しもそうだというわけじゃなく、
「逆境がひとを強くする」場合もあるということです。

そして、
環境などの外的条件でその人間のありようがすべて決まるのではなく
(つまり、場がひとを完全につくるのではなく)、
生活の随所に究極的な選択があってそこでどの道を選ぶかで、
堕落して幼稚な精神性に退行するか、
人間性を高めるかに別れるようです。

保身や暴力や利己心、
それに立場によっては(カポーという立場などでは)
支配欲に身を食われた一匹となるか、
その過酷な環境でも自分を失わずにいて
さらに無私の精神やプライドをもったままでいられるか。
あるいは勝ちとるか。
後者はわずかなひとにしか実現できないというけれど、
やはり僕が常々考えているのですが、
心には生きるための火種ってあって、
その使い方をどうするかなんだと思いました。
火で脅かすタイプや放火するタイプもいれば、
暖をとってエネルギーとするタイプもいるでしょう。
勇気のないのが前者のタイプでしょうか。
いや、もっとも勇気のないのは火種を使わないタイプかもしれない。

僕の母なんかは、
この本で書かれているような感情の消滅や鈍磨の状態にあります。
それは病気のせいでもあり、
その病気を受けとめられない父が
強制収容所の支配層のような行動を取るせいでもあります。
母は強制収容所の被収容者のようなんです、かわいそうだけど。
(まあ、ほんとうの強制収容所ほどひどくはないけどね)

また、父はそういう母の異常性に接するがために、
暴力的になったりいらいらしたりするというのは、
異常性に接したまともな人間のまともな反応らしいことも
この本には書かれている。
まともな人間ならば、異常な状況になじめないということです。
著者は心理学の医師ですからね、
そういう見地から収容所生活を振り返っている。

一角の人物である著者にしても、
感情消滅や鈍磨にあるチフス患者に対応するのに怒鳴ったりもしたし、
手をあげそうになるのを全身の力で制したともあります。
となると、ぼくの父がイライラしたり怒鳴ったり、
ときに手を出したりするのは、ノーマルなことだとも言える。
残念なことですけどね。

でも、それは、人間として「一匹」になり下がることです。
睡眠不足になったり、各種手続きの書類書きなどをしていたとしても。
ぼくはまだ距離を取っているところもある。
現実を見据えてこそ、内面成長の勝利はあるとありました。
運命はぼくに、堕落か成長かの二者択一を申し入れているかのようです。

この「馬鹿たれ」であるぼくに、
運命はなにを望んでいるのかねえ。
浦沢直樹さんの漫画『ビリー・バット』がそうらしいけれど、
自分が生まれてきて生かされてきた使命としての何かがあるんだと
捉えないわけにはいかなくなります。
ぼくはそう考えて、小説で何かを伝えていくべきなのかな。

まあ、それにしたって、
たとえば、僕に対してよい部分が見えるとすれば、
それは日常生活状況が過酷というか、
まるで安らげないときがあるというか、
そういうのによって育まれたものでしょう。
まあ、身体を壊したりもした経験もそうだね。

閑話休題。

『夜と霧』はいい本でしたよー。
おすすめですな。
特に、毎日がつらい、苦しいっていうひとで、
だけれど、まともでありたいプライドをもっているひとに。

ノーベル賞作家・ソルジェニーツィンの小説、
『イワン・デニーソヴィチの一日』はソ連の強制労働の話でしたが、
そういう強制労働のありようについては、共通するところもありました。

最後に。
苛酷な環境にいるひとが堕落しないためには、
未来になにか目的をもつことが解らしいですよ。


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『いっしょうけんめい「働かない」社会をつくる』

2017-03-04 00:50:04 | 読書。
読書。
『いっしょうけんめい「働かない」社会をつくる』 海老原嗣生
を読んだ。

エグゼンプション(例外という意味。ここでは残業代不払い制度のこと)
をうまく活用して、
日本型の雇用環境から欧米のジョブ型雇用環境へ半歩でも進もう、
そのためにはどういうビジョンと知識を持っていればいいのか、
そして、移行していくためにはどうしたらいいのか、
どう構えればいいのか、を説いた本です。
ただ、そこでは、新卒採用からはずれたり、
中途退職したひとの再チャレンジについては、
あまり立ち入っていません。

本書の三章を読んだ時点で、
日本型のよさが、若者たちの就職しやすさという恩恵にあり、
そこが捨てらずに欧米のジョブ型に移行できないのならば、
定年を35歳くらいにして、
35歳からはジョブ型で、
そこから再雇用・再就職したらダメなのかなと思いました。

60歳定年だとかを維持するよりか、定年を無くすか、
思い切って30代で定年にして労働市場に放るかすると
いいのではないかなんて思い浮かんだんです。
それとは別に少数のエリート層がばりばり働けばいい。
フランスはエリート層が長々と働き、
そうではない多数のひとはワークライフバランスを考えるようだ、
と三章までには書いてあった。

そうして読み進めていくと、
著者もちょっと似たような結論を持っていました。
30代くらいまでは日本型のメンバーシップタイプの、
新卒採用で総合職として「人に仕事をつけていく」やりかたを残し、
それから限定社員など欧米型のジョブ型の雇用方針にしていくというのです。
僕のぼんやりした思いつきが、詳しく論理的に展開してく感じで、
その後は読み進めました。

欧米型のジョブ型というのは、「仕事に人をあてがう」タイプです。
同一労働同一賃金で、仕事は総合職のように
あれこれいろいろなことをさせられずに、ひとつに決まっている。
そして本書のかかげるイメージだと、
ワークライフバランスを考えて、有休休暇などもとるし、
残業はあまりしない働き方だと言うことです。

欧米では、労働者は家族と一緒の時間を大切にして働く、
そして、自分の時間もあって、
そこで自分に投資して自己を開拓していくイメージがあります。
欧米人は自分の考えを強くもっていて、
たとえばヨーロッパではいまも哲学は廃れていないだとかあるようです、
本書以外の知識ですが。
そこらを考えれば、日本人は政治についても教養についても、
あまり成熟していない印象がありますが、
それこそ、この日本型メンバーシップ労働体制によって、
長く働き、自分の時間を持てないことに理由があるからかもしれない。

悪い言い方をすると、日本型の労働者は、
会社に振り回されていろいろな仕事をする。
一方、欧米型は、決められた仕事を自律的にこなす。

と、まあ、こんな印象を強く持つ本でした。
『若者と労働』の濱口桂一郎さんが登場したりして、
本書の著者は彼をリスペクトしているようで、
内容にも繋がりを感じられました。
というよりも、正月頃に『若者と労働』を読んでいたから、
本書をすらすら(それでも難しいところはありました)読めた。
本書を読む方は、ぜひ、『若者と労働』
いっしょに手に取ってほしいです。
そのほうが理解が深まりますよ。


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『舟を編む』

2017-03-02 21:46:34 | 読書。
読書。
『舟を編む』 三浦しをん
を読んだ。

笑いあり涙ありの辞書編纂物語。
2012年本屋大賞受賞作です。

ヒロインの香具矢さんみたいな女性を、
女性作家が書くのか!と嬉しくなりました。

以下、ネタバレもちょっとあり、かな!?

女性だから受け身なんだというのは固定観念で、
美しくてしっかりしたひとだから、
ぼさぼさ髪でおずおずとした性格の主人公の男を
好くはずはないというのはこれも固定観念だ、
と、この作品上ではそうなっています。
男の夢想みたいだねと思ってしまいましたが、
なかなかどうして、ねえ。

最初の方の、主人公・馬締の章がおわって、
この段階からイチャイチャがはじまると読む気なくなるな
と思いつつページを繰ると次は西岡の章で、
これが馬締の章に負けず、いやそれ以上によかった。
擦れたヤツの内面が、いやらしくなくわかる感じというか。
ある意味、人間臭いんだよね、西岡。

西岡の章が挟まることで、だいぶ作品としての幅が広がりました。
小説とか文学とかに適合しやすい人物ばかりで話が進むと
枠にはまった作品になっちゃうんだろう。
そこを、この作品では特に西岡が枠を破って面白みさえ生みだしている。

つづく、岸辺さんの章も、
作品の都合上、この辞書編集部にマッチした人材という登場ではなくて、
やはりそこに違和感を感じるような、現代的な人物なわけでした。
それが仕事をしっかりしていくうちに、
辞書編集部に適合するようになってくる。

大きな筋は、辞書を作ることなんだけれども、
副次的なテーマとして、
ひととひとの間の距離や亀裂が、
受容や理解などによってうまっていく話でもありますね。
それがひとの成長としても描かれている。

最後まで楽しくおもしろく読めました。

ぼくが読んできたものはたいていそうだけれど、
力作っていうか、いい仕事したね、っていう感想を持つ小説が多い。
そこの高みまで到達させてこそ、
世に出せるレベルなんでしょうね。
ぼくもそういう基準を客観的に持ちつつ、
自分の小説を書きたいです。


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