Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『新版 原発を考える50話』

2013-08-30 21:47:03 | 読書。
読書。
『新版 原発を考える50話』 西尾漠
を読んだ。

青少年くらいから読める、50個のトピックに分けた、トーンのやわらかい反原発の本です。
「新版」とありますが、2006年版で、福島第一原発の事故については扱われていません。

あの震災による事故以来、原発や放射能について勉強をしている人は多いと
思いますが、どうにも勉強をせずにいて時代に遅れてきているような人にお薦めの本です。
放射性物質の処理はどうなるのか?だとか、原子炉の危険性だとか、
民間人は年間被曝量が1mシーベルトと決められているのに対して、
原発作業員が年間50mシーベルトまで被曝が許されることだとか、
原発のド真ん中の知りたいことはもちろん、原発立地の構造と社会の問題にも踏み込んでいて、
それも、著者の主観や思いこみに汚されていない公平な目線で語られています。

原子力を小学生から高校生までの間に、「よいもの」として教育しようと
政府や電力会社は躍起になってきたらしいですが、
そういう、「原発推進」の教育だけでは公平じゃないですから、
このような、反原発目線で書かれたわかりやすい本というものは
大切だなと思いました。

原子力に詳しい人にならば釈迦に説法となるでしょうけれど、
そうでなければ、勉強になる良書です。
科学の方面での説明、たとえばアルファ線だとか被曝の仕方だとか、
そういったところの説明は弱いですが、社会面での切り込み方や深みは、
各章ページほどなのに、実に読ませられる充実した内容になっています。

もうちょっと、僕が早く読んで、
夏休みの学生たちの読書感想文用図書におすすめしたかったですね。
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哀悼

2013-08-27 14:22:18 | days
報道を見て驚きましたが、宇多田ヒカルちゃんのお母様の藤圭子さんが22日、逝去されました。
彼女の場合、そういう人は多くいると思いますが、僕もヒカルちゃんのデビュー時からのファンです。
それに、DVDやブルーレイで初めて買ったディスクがそれぞれヒカルちゃんのものだったりもします。
藤圭子さんについていえば、名前と、歌の一部分を少し知っているくらいで、やはりヒカルちゃんの
お母様だという認識でいました。

そのお母様が自殺という、悲しい選択をして、自らの命を絶ってしまった。
そして、昨日、ヒカルちゃんがご自分のサイトで、
説明と自身の気持ちを述べた文章を発表しました。

ずっとサイトには繋がりませんでしたが、RSS登録をしてあるので、
メーラーのほうに、彼女とお父様のメッセージが届きました。

それを読んで、彼女たち3人のこれまでの人生の辛かった部分をひしと感じました。
それぞれに、心のどこかにいつも辛さや哀しさを宿して生活していたのかもしれない。

精神の病を抱えて、症状が緩和しないまま、
重症化していく家族を見守るだけでなく、
接するということは、そういう境遇にない人が想像するよりも、
ずっとずっと大変なことだと思います。
ましてや、ヒカルちゃんは「何もできなかった」というようなことを述べています。
ふつうの人であれば、病を抱える人に対して、その人を愛する気もちで
症状を和らげたい、よくしてあげたいと思うはずで、そしてそうなるようにと、
自分なりに考えたり勉強したりして働きかけるはずです。
憶測になりますが、きっとヒカルちゃんもそうで、
そうしたのに、「何もできなかった」と感じているというのは、
相当な無力感を抱えている証拠だと思います。
自分の、この「つよい愛」の弱さという挫折感に似た感覚が生まれるように思う。
しかし、そんな中、彼女はいくつもの輝かしい、聴く者の心に訴えるような
素晴らしい歌を作り、歌ってきました。
その、悲しみの中での強さを、これまでのヒカルちゃんの姿を思い返して、
今回のカミングアウトとでも呼べるようなコメントからリニューアルして噛みしめてみると、
抱きしめたい気持ちになりました。
そこまで強くならなきゃいけないものなのか?と。
そうはいっても、24時間1週間1カ月1年…と
たえず暗い気持ちを抱えたまま暮らしているようなこともないはずではあります。
暗い影を抱えてはいても、心の明るい部分を使って過ごしていた時間は多いでしょう。
暗い影におびえ、常に泣きぬらしているようなのは、残酷な言い方かもしれないですが、未熟だろうと思います。
身近に暗い影をのばすものがありながらも、強く生きることは、なにも薄情ではありません。

ヒカルちゃんとお父様は大変なショックを受けただろうと思います。
そこから立ち直るのは大変かもしれない。しかし、家族がいつまでもくよくよしているのは、
藤圭子さんからしてみれば、本望ではないだろうと思います。
あまり、思い悩みませんように。

藤圭子さんの苦しみ、辛さは、きっと当人じゃないとわからないくらい深いものだったかもしれない。
それが、今では解放されていますように。
清浄な魂が天国へと旅立っていきますように。
そう願っています。



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『スター・トレック イントゥ・ダークネス』

2013-08-27 13:37:48 | 映画
昨夜、SF映画『スター・トレック イントゥ・ダークネス』を観てきました。
その後を引き継ぐシリーズがたくさんある、
SFドラマの名作『スター・トレック』の初期のシリーズのメンバーが活躍する
(もちろん、俳優さんは若手にバトンタッチ)、ドラマ版以前の彼らを描いた作品。
前作『スター・トレック』もその時代設定のものでした。
監督も引き続き、J・J・エイブラムス監督が担当しています。

『スター・トレック』は本家アメリカでは大人気のSFシリーズらしく、
そのファンはトレッキーと名付けられているほど。
作られたシリーズも、5シリーズもありますし、映画もこの作品で10何本目かになります。
しかも、シリーズが進んでいくにつれてSFの固有名詞が多くなりますし、
いきなりスタトレの世界に飛び込むと、面食らうことになると思います。

しかし、今作『スター・トレック イントゥ・ダークネス』は、
そういう難しさを出来る限り除去してあり、みんなが観られるSF大作映画に
位置づけていいような出来栄えになっていました。
それでいて、往年のファンが小躍りするような、設定や登場人物もいたりして、
(というか、彼がいるおかげでこれまでのシリーズとの結びつきが感じられるというように、
娯楽大作としての色合いは、これまでのスタトレシリーズより濃くなっています)
そういう配慮もできています。

掛け値なしに面白かったですから。
あんまり最近、娯楽娯楽した映画をみてこなかったから、
余計に新鮮だったせいもあるでしょうね。

とはいえ、この映画を見て、エイブラムス監督の次回作になるであろう、
「スター・ウォーズ」の続編に対する期待が高まりました。
それにしたってすごいですよね、アメリカでSF人気を二分するスタトレとスター・ウォーズの
監督が同じ人なんですもの。
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『クリスマスの思い出』

2013-08-21 22:24:54 | 読書。
読書。
『クリスマスの思い出』 トルーマン・カポーティ 村上春樹:訳 山本容子:銅版画
を読んだ。

カポーティの作品の中で、もっとも愛された作品とも呼ばれるのが、
この『クリスマスの思い出』という短編だそうです。
この作品は『誕生日の子どもたち』という短編集にも収められていますので、
ただ読んでみたい人は、そちらで読んでみてもかまわないと思います。
しかし、この本は山本容子さんの銅版画で彩られた絵本というスタイルを
とっていますし、1ページ1ページぜいたくに使って、文庫の短編集だと30pほどなのが、
この本だと80pくらいに紙的にはボリュームアップしています。
なので、金銭的にお得な文庫本をとるか、一冊の本としての完成度の高さがお得な
本作をとるかはけっこうな迷いどころだったりします。
僕はアホなので、どっちも買ってしまいましたが・・・。

誰もが持っている、心の瑞々しさがあります。
そういうのは、子どもの頃につちかわれた柔らかい心の土壌だったりします。
それが、大人になって、知らず知らずのうちに死角のようなところに
押し込められ、わからなくなっていたりする。
また、社会生活をしていくうえで、主に働いていくうえで、
そういうのが合理的でなく、機能的ではないので、邪魔っけにされて、
使われなくなった心の部分として、いつか出番を待っていたりします。
そして、幼く、弱いものとして嫌悪されたりもします。

でも、そういったもののもつ純粋さ、美しさは偽物ではないはず。
そういった心でしか見えなかったりできなかったりする、
世界の美しさがあり、人の暖かさや情愛があり、生の本来の輝きがある。
と、訳者の村上春樹さんの言葉も重ねて書いてみました。

またそういった世界を構築する文章の完成度とセンスそして暖かさは、
カポーティという天才的な文学人から発せられた唯一無二のものだと思います。
日本語訳は、そういうところを損なわないようにされているのでしょう、
読んでいても柔らかな凄さに圧倒されました。

こういう本を読んで感じ入る心の部分っていうのは、
人間の土台の部分だと僕は断言したいくらいです。
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『細野晴臣 分福茶釜』

2013-08-20 22:50:25 | 読書。
読書。
『細野晴臣 分福茶釜』 細野晴臣 聞き手:鈴木惣一朗
を読んだ。

はっぴいえんどやYMOそしてソロなどで、
面白い曲、やさしい曲、かっこいい曲などなどを作ってこられ、
おもにベースをプレイしておられる
ミュージシャンの細野晴臣さんのインタビュー本です。

細野さんなりの独特のトーンやリズムは、
その言葉が活字になっても感じられ、
つかみにくいんだけど魅力的で、奥の深い人物だよなぁと思ってしまいます。

彼なりの哲学と、雑学にいろどられたような話でこの本は出来ています。
的を得た深みある洞察もあるし、ユーモアのある笑いもありました。
読んでいて、共感する部分も多々ありましたし、
導かれるようなところもありました。

たとえば、自尊心について。
どうやら今のヒマ人っていうのは、自分の自尊心を磨いてしまうようだということを、
細野さんは言っています。そして、自尊心は嫉妬につながるし悪びれないし戦争をするし、
として批判していましたが、その通りだ!と思って、うなずく気持ちで読んでいました。

つまるところ、このインタビューは「少なくとも僕の場合はそういう人生だった」という視座で
語られているのですが、狭い世界にいる人ではないですし、
精神世界においても経験豊富な方ですから、話が面白いのです。
細野さんのことを知っている人はぜひとも読んでみたらほかほかになる本だと思いました。

最後に、おまけとして言いますが、
僕は中学生の時に羽田空港の本屋さんで細野さんに出会ったことがあります。
雑誌を立ち読みしていた細野さんに気付いて、僕は「あっ!」と思い、
気もち悪い中学生として細野さんのそばに立って見つめていると、
彼は気付いて雑誌を閉じ、通路に出て、そこまでついていった僕を眺めて、
そのあとに、腰を曲げ、足をよちよち歩きにしたおじいちゃんの動作で
去っていきました。僕はあっけにとられて逃げた、という。
すごいでしょう、細野さんのこういうところって。


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『「上から目線」の時代』

2013-08-18 22:25:29 | 読書。
読書。
『「上から目線」の時代』 冷泉彰彦
を読んだ。

社会学の中のコミュニケーション論という位置づけになるでしょうか。
僕たちの会話の中から生まれる、「上から目線」や「見下された」という感覚。
それらが感情的な紛糾を生むことを解き明かすような本です。
最終章では、では、どうやってその「上から目線」による
コミュニケーションのうまくいかなさを解消するかという処方箋が出されています。

「上から目線」と言われれば、尊大な態度でものを言う人を思い浮かべるのではないかと
思うのですが、もっとデリケートなところでも無意識的に上から目線を感じたりするようです。
たとえば、本書で書かれているところでは、平和主義を唱える人が、その正しさを信じるがゆえに
平和を強く訴えると、それを聴く人の中には平和主義者のその強い口調を上から目線だととらえて嫌悪し、
平和主義自体も嫌悪するといった具合のプロセスがあるそうです。

また、他の例では、野良ネコに餌をやるタイプの人たちと、野良ネコを駆除しようとする人たちの間でも、
お互いに上から目線を感じ合うがために、対立を深めていく構図が説明されています。

「上から目線」を軸にさまざまなディスコミュニケーション事象を見ていくと、
実にいろいろなケースが該当するんですよねぇ。もう日常茶飯事です。

趣味の世界でもなんでも、「上から目線」、具体的には
「(年季の入った私は)あなたとは違うんです」という目線が、関係に不協和音をうむ。

そして、コミュニケーションにおいては価値観論争というものが危険とされてました。
その危険とは相手から嫌悪される「上から目線」を感じさせる
断言口調を連発せずにはいられなくなる点にあるそうです。
そうですよねぇ、自分の価値観が正しいですから、さらに、
いきなり自分が善であり相手が悪でありという立場にしてしまいますし。

曲のソロのところになるとステージの中央に飛び出してくるギタリストのように、
みんながなってきたのかもしれないですね。自己を尊重するのはいいことだけれど、
自己を高みにのっけるくらいまで重くとらえるのはどうかと思うところです。
「誰にも汚されないわたし」なんてありえないからです。

きっと、経済的に豊かになって、IT革命が起きて、個性の尊重と育成が行われて、
個人の主人公感っていうものが強くなったためにこういう社会の流れになったんだと
僕は思います。

本書で取り上げられた「上から目線」と、以前このブログで紹介した
槙田雄司さんの『一億総ツッコミ時代』で取り上げられた「ツッコミ過剰」を
併せて考えてみると、今の多くの日本人の心性というものがみえてくるような気がします。

はーっ、面倒くさいもんですね、人との関係性のあり方と言うものは。
そうはいっても、それはそれ、もっと良くなるための過渡期の事象だと
とらえたいですね。

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『小さいことばを歌う場所』

2013-08-12 00:46:59 | 読書。
読書。
『小さいことばを歌う場所』 糸井重里
を読んだ。

2007年四月発行の「小さいことば」シリーズ第一冊目がこの
『小さいことばを歌う場所』です。
それまで『ほぼ日刊イトイ新聞』でイトイさんが書かれたことの中から
短いセンテンスを抜粋して編まれた本です。

僕は『ほぼ日』の初期の頃から読みに行っている人です。
とくにメニューページに毎日更新される「今日のダーリン」が大好きな人です。

僕がインターネットを始めた97年、
いろいろなホームページを見て回りましたが、
著名人の中で糸井重里さんのページが無いことを残念に思っていました。
そのうち、知らない間に開設されましたが、
大瀧詠一さんとの対談が載ったという噂をききつけて、それで
『ほぼ日』を知ったんだと思います。
もう、けっこう、定かじゃないんですけどね。

この本に収録されているイトイさんのことばって、
「含蓄がある」「重々しい」と表現すると的外れになってしまうのだけれども、
こころに適度な重みと温度でもって残ってくれることばなんです。
少なくとも僕はそう感じました。
小さいことばが歌われている…、本当にそうですね。
うまいたとえではないかもしれませんが、
寒い冬、雪の降る夜に街を歩いていて、
見つけた家の灯のような暖かみに通じるような。
暑い夏、強い日射しをくぐりぬけてたどりついた場所で、
おいしい水がこんこんと湧く泉を見つけたような。

もう長く、糸井さんのことばに接していますから、
言葉そのものにしても考え方にしても、いろいろと影響を受けています。
前にも、「頭の良い人だ!」と失礼ながらもどこかで評したことがありますが、
いまならこう言うでしょう、「とっても好人物!(たぶん)」。
ちょっと弱い表現になりましたか?
僕としては、グレードがアップしたというか、
素敵さを以前よりもわかってきたなと思っています。

本書には、随所に愛犬ブイヨンの姿もあります。
それらも目に入れながら、読んでいると、考える顔になったり、にこやかな顔になったりしました。

そして、持った感じ、装丁、質感がすばらしいのです。
読み始めたら中身もこれまたすばらしくて。
トータルでもって気持ちがぽかぽかする本でした。

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『放射性物質の正体』

2013-08-11 00:21:35 | 読書。
読書。
『放射性物質の正体』 山田克哉
を読んだ。

福島第一原発事故によって飛散した放射性物質が問題になっていますが、
その放射性物質について、文系の人間でもわかりやすく説明してくれているのが本書です。
著者はロサンゼルス・ピアース大学物理学科教授。

いったい、被曝とはなんなのか?
放射線とはなにか?
どうして健康被害が生じるのか?
そういった疑問に答えるベく始まるのが、
なんと、原子の構成の説明からなんです。
そんな、ミクロの世界から始めなければ、
放射性物質については説明できない。

ウランを使う原子炉から、なぜ、
放射性物質のヨウ素やセシウムやストロンチウムが飛び出したか。
そして、どうして放射線が出るのか。
アルファ線、ベータ線、ガンマ線とはなにか。
すべてに、わかりやく答えてくれています。
ただ、やはり、本来、物理の難しい言葉でこそ説明がつくような
事象なので、ときどき読みながらもWEB検索してみて、自分なりに
この本の説明の捕捉に充てたりもしました。

それにしても、僕は思いましたよ。
この本に書かれているような説明を事故直後に大々的に国民に説明しなかった政府・東電は、
たぶんに国民のパニックを恐れたのだろう、と。
さらに、今もしないじゃないですか、説明を。
そして、自己努力で知識を得ないといけない。
そういうところが、政治って信用できなくないかなと思ったんです。

憲法の改訂もそうだけれど、「わかるやつだけわかればいい」
「勉強する奴だけついてくればいい」っていうのを、
あんまり都合のよろしくない問題についての政治家の態度に感じたりします。

「政治家に徳目を求めるのは、八百屋で魚をくれというのに等しい」という言葉があります。
「徳目」は「道徳」と考えて近いものだと思いますが、広辞苑に、
道徳は「法律のような外面的強制力を伴うものでなく、個人の内面的な原理。」と書かれている。
政治の世界はつまり、生き馬の目を抜くような世界で、抜け道とかグレーゾーンとかで
駆け引きをやっていくのが多いのかな、と思いました。道徳的な世界ではまったくないんですね。

でも、政治家に対して「わかるやつだけわかればいい」っていう態度を感じるのは、
テレビとかショービズの世界のいたれりつくせりに慣れてしまったがゆえの感じ方なのかもしれない。
してくれて当たり前、してくれない物事は重要ではないという感覚って恐ろしいです。
くれくれ君、してくれ君、それが当たり前君。

まぁ、ショービズに限らないですね、ガソリンスタンドで車の窓を拭いてもらうのが当たり前とか、
過剰なサービスを空気のように当たり前と感じてしまっている感覚があります。
いろいろなところにそういうのがありますよね。

…と、そうはいっても、放射性物質や被曝についての説明に関しては、
エンタメ式に政府がみなに丁寧に説明「してやる」べきだったかなぁと思うのですが。

それがなかったのですから、自分を守るため、自助努力をしないといけません。
それにうってつけの、ありがたさすら感じるのが本書でした。

怖がり過ぎずに怖がろう、というか、
恐怖やリスクはゼロではないし、ゼロにはならないのだけれど、
それらに捉われすぎないでいよう、というか、
そういったスタンスでこれからもいたいと思いました。

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『火星年代記』

2013-08-08 00:15:29 | 読書。
読書。
『火星年代記』 レイ・ブラッドベリ
を読んだ。

SF小説の名作で、ブラッドベリの代表作がこの『火星年代記』です。
その名の通り、火星での様子・出来事を年代順に語る様式の作品。
短編はおおむねそれぞれが独立した形でありながら繋がっていたりもし、
連作短編SF小説と言えそうです。

ネタバレになるので、中身に触れないように説明するのは難しいのですが、
いろいろな要素が詰まった、つまり、いろいろなジャンルの話がありながらも、
どれも火星を舞台にしていて、その時系列で話が進んでいくことによる
統一感、筋の通った感じのある短編集。

僕の読んだバージョンは「定本」というもののようで、
この作品は発刊された時には1999年から始まった物語だったそうなのですが、
2030年から始まっています。つまり、31年、未来に話がずれたようです。
それは、このSF小説が今後も読めれていくための修正です。
内容は変わっていないようで、もしかすると、2030年くらいになったときの
この世界のテクノロジーや社会の進歩具合によっては、さらにまだ「生きている作品」
としての寿命が延びる可能性もありますね。2060年とかにずらしたりして。

それで、この「定本・火星年代記」は2010年発刊のものです。
そして、作者のレイ・ブラッドベリが亡くなったのが2012年だそうです。
92歳だったそうですが、亡くなる間際まで現役だったとか。
生命力の強い人だったのかもしれないですね。
本作でいえば、もしかすると、ウォルター・グリップのような人かもしれない。

さて、その『火星年代記』で描かれた世界は、
ユートピア的であったか、ディストピア的であったか。
それは読者だけが知りうることです。よかったら読んでみてください。

SFは、架空の未来世界に人類を置いてみて、そこでどう考え、反応するかという
思考実験的な初体験を、未来が来る前に体験してみようという趣旨があります。
そして、そこが面白味だったりする。
通常の人生では得られない、読書上ではあるけれど、新しい体験をSF小説で
してみてください。
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『風立ちぬ』

2013-08-03 00:29:06 | 映画
レイトショーで、スタジオジブリの最新作、
宮崎駿監督の『風立ちぬ』を観てきました。

ゼロ戦を設計した堀越二郎が主人公。

人の、大人の部分での読解力が試される作品だと思いました。
大人の中の大人の部分もあれば、子供の中の大人の部分もありますから、
小学生の高学年のちょっとませた感じの子だとかは、
観て面白がるかもしれないですね。
また、大人が観て、「子供に帰れる」という意味合いはちょっと薄いですかねぇ。
だからといって、面白くないことはなくて、
細々と単館上映でやっているうちにヒットしていく映画に似たような
佳作と受け止めました。面白かったです。

なんだか、作品のストーリーは関係ないのですが、
序盤からして、観ていて生きる力をもらうような、
そんな人に活力を与える力を持っている作品だなぁと感じました。
これはなんなんでしょうね、不思議なものです。
細部まで生きている映像だからなのかなぁ。
キャッチコピーは「生きねば」ですが、そういうところも
コピーをつけた人(鈴木敏夫さんですか)は汲み取っているのかもしれないですね。

空にあこがれて、飛行機をつくるのが夢だって子どもが大人になって
夢をかなえる段になったら、それが戦争の目的にしか使われないんだから、
社会の真っ当さって大事だなと思いました。
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