Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『小坂菜緒1st写真集 君は誰?』

2023-04-30 01:29:36 | 読書。
読書。
『小坂菜緒1st写真集 君は誰?』 小坂菜緒 撮影:藤原宏
を眺めた。

日向坂46のシングル曲で、もっともセンターに立った回数の多い小坂菜緒さんのファースト写真集。

乃木坂46ウォッチャーの僕が日向坂46の小坂菜緒さんに心惹かれるようになったのは、日向坂46の3rdシングル『こんなに好きになっちゃっていいの?』のパフォーマンスをNHKの『坂道TV』で見たのがきっかけだったように思います。それでMVを見て、大好きになっちゃった。心の奥に秘めた強い意志が、静かに瞳の奥に宿っていて、でも立ち姿や歩く姿からはどことなく儚げで何かのきっかけで折れてしまいかねないかもしれないような印象を受けてしまう。でも、重責であるだろうセンターのポジションできっちりとパフォーマンスして躍動していて、すごいなあと見ていました。それに、やっぱり綺麗なんです。

変な話ですが、僕は若いころ、たまに学生時代が舞台の夢を見ると、その夢の中にまるで完璧みたいな美少女が出てきて、瞬く間に恋に落ちてキュンキュンしてしまう、なんてことがあったのです(最近はなくなりましたが)。きっと理想が高すぎたせいでそんな夢を見たのではないかと思うのだけれど、僕にとって、そんな甘く切ない恋の夢の相手である完璧な美少女の記憶を喚起させる人が、小坂菜緒さんなのでした。

でも、彼女のブログを読むようになったりしているうちに、そういった偶像的な思い込みや決めつけから離れていき、一人の人間、一人の若い女性としての小坂菜緒さんを少しずつ知ることができて、さらに大好きになっていきます。叶うものならば、いっぱい話をしてみたいですもんね。ジェネレーションギャップが半端なさそうですけども。

さて。前半は制服姿からはじまって、「高校生の小坂菜緒さん」の青春が感じられるつくりです。読者は写真を見ながら白昼夢を見てしまうことでしょう。夢であり、18歳の小坂菜緒さんのリアルをそこに感じながらの鑑賞になるのだけれど、でもそれは普通の高校生・小坂菜緒さんという「ifの世界」なのでした。前半部の終わりに、直筆の文字でこうあります。
__________

私の高校生活には普通の青春はなかった。
放課後友達と寄り道したり、
文化祭にむけてみんなで準備したり。

でも
私の高校生活にはアイドルという時間があった。
キラキラ輝いていたと胸をはって言える。
無我夢中に走ってきた3年間は私だけの青春だ。
自分の人生に
この3年間があったことを誇りに思う。
__________

寂しい気持ちがあったのかもしれないし、100%吹っ切れているわけではないかもしれない。だけど、そういったものを抱えながら、割り切れない思いがあったとしても、自分で選んだ道を踏みしめて歩んでいくそのあり方がもう素晴らしいし美しいです。いい大人でもなかなかできないことですし。ただ、すごく大変だろうと思いはします。心理的にきつかったかもしれない。そんな、逸らさないでいた生き方は、僕の目には、とっても強い生き方に映るのです。まあ、でも、実際面、勝つか負けるかでやっていくのはきつすぎる部分があるので、いなすだとか、泥仕合に持ち込むだとか、あってもいいと思ったりも。なんだか冗談みたいですが、冗談ではなく。ずっと心を使い続けるとどうしてもきついですから。

後半は、アイドルの小坂菜緒さんとしての写真集という王道ふうに眺めました。全部のページがかわいいですから「すべてがよかった!」と言うところなのですが、あえて挙げるとするとという条件付きで、麦わらハットのカットと最後の浴衣姿のカットがとくにお気に入りです。

最後のインタビューを読むと、もともと乃木坂がお好きで、それから欅坂の長濱ねるさんがお好きになって、オーディションを受けられた、と。類は友を呼ぶ的に、魅力的な人たちが無意識に呼び合うように集まってきたような感じがして、それはそれである種の奇跡みたいに見えてきます。

日向坂の番組の放送はこちらではやっていないので、ほとんど歌番組のみで小坂菜緒さんを拝見していますが、でもでも、録画したテレビ番組を見るとき、必ずCMを飛ばすのに、乃木坂のCMと小坂菜緒さんの出演されているソニー損保のCMだけは飛ばしません。夢心地で拝見しています。ため息をついちゃうほど、綺麗でとってもかわいらしい方です。


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「note創作大賞2023」に応募しました。

2023-04-26 16:59:28 | days
昨日から受付が開始された「note創作大賞2023」に応募しました。

応募要項を読んでいると、エンタメ色がはっきりと打ち出された感じがします。また、オールカテゴリ部門以外には分量の規定もあり、前回よりも枠組みがくっきりとしたものになっています。

僕は、今年の目標として純文学の新人賞に応募することを設定しています。9月下旬の締め切りで、夏場の暑い時期には執筆が無理なので、近々始めるつもりではあるのですが、ぎりぎりかなと踏んでいます。純文学という、ある種の生々しさを書きつけるような小説の試みを、あまり意識してやってきていませんから、苦闘するのがはじめから決まっているような執筆になりそうです。それでも、切り拓いていくつもりで書いていきます。

で、note創作大賞2023ですが、この賞に向けた新しいエンタメ作品を2万字以上の分量で書くと、純文学のスケジュールとかち合って、「あぶはち取らず」になってしまいそうに思いました。静観しようかなと思っていながら応募要項を眺めていたら、旧作を手直ししてみようと思いついたのです。

応募したのは『パッシブ・ノベル』です。序盤を手直しして元々感じていたもたつきを解消しました。この作品は昨年、北海道新聞文学賞に応募したのですが結果は出なかったものです。

どうしてこの作品を応募作品にしたのか。その理由のひとつには、つい先日、話題のAI・ChatGPTに読んでもらって、講評を述べてもらったらすこぶる高評価だったこともあるんです。当日まで今年のnote創作大賞があるとは知らなかったので、巡り合わせの妙でしょうか、ChatGPTに背中を押してもらったような形です。

さてさて、今回の創作大賞は前回とは違い読者選考があり、「スキ」の数や読了率がモノを言うことになるみたいです。どうかなあ、といまひとつその点に自信はありませんが、でもまずはそういうのとは関係なく、より多くの人にじっくりと読んでいただきたいんですよね。

そんなわけで、このブログにアップしているバージョンと、ちょっと入り方が違う創作大賞Versionの『パッシブ・ノベル』を、ぜひ楽しんでいただければと思います。以下にリンクを貼ります。

『パッシブ・ノベル』(創作大賞Ver)第一話

昨年は『春の妻』で、note創作大賞一次選考通過でした。『春の妻』もこのあいだChatGPTに読んでもらったのですが、「主人公が犯人だったなんて驚きました」なんて言ってくれて。でもそう読めるかもしれないけれども作者の本意はそうじゃないですから、「終盤の穴の底の場面はマジックリアリズムで解釈し直してみてください」なんて注文を付けてみると、それでも好意的に講評してくれたのでした。ChatGPT、なかなかかわいいやつです。
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『アダルト・チルドレン 自己責任の罠を抜け出し、私の人生を取り戻す』

2023-04-21 14:28:22 | 読書。
読書。
『アダルト・チルドレン 自己責任の罠を抜け出し、私の人生を取り戻す』 信田さよ子
を読んだ。

帯に、<「私は親から被害を受けた」そう認めることが第一歩となる。>とあります。生きにくさを感じている人が、その原因はなんだろうと考えたとき、自分がAC(アダルト・チルドレン)だからなのではないか、と認識する。まずは、そういった自己認識が必要になるのでした。また、ACは世代で連鎖しやすく、それが怖くて家庭が持たなかったり子どもを作れなかったりする人たちがいます。

ACは3つのタイプに大別されます。1・責任を負う子ども(責任者)、2・なだめる子ども(調整役)、3・順応する子ども(順応者)が、その3つです。以下に詳しく書いていきます。
1(責任者)は、親が親の役割をとらない、つまり何かを決定しなければならないのに親が逃げてしまうので、子どもが代わってその役割を背負うタイプです。このタイプであることの良くない面は、他の人にまかせることができず、自分でなんでもやってしまう。仕切り屋になってしまう。チームプレーが苦手になってしまう。
2(調整役)は、親の不和や緊張に満ちた空気をなんとか解消させようと、スケープゴートになったり、ひょうきんな道化を演じたり、テストでいい点を取るなどのヒーローになったり、面倒見よくふるまい家事手伝いをよくし周囲の事ばかり考えてするようになったりする。このタイプであることの良くない面は、このタイプの周囲の人たちがこのタイプの人に甘えてしまい、そういった人たちの自立する能力が削がれていったり退化していったりしていくことです。また、このタイプ本人の周囲には、世話してほしい人たちが集まってきてしまいます。
3(順応者)は、いるかいないかわからない人たちです。父母が激しいケンカをしていても、ずっと漫画を読んでいたりなど、周囲にどんな状況が生じようとも、自分の世界を守っている。このタイプの人は、積極的に人との関わりに入っていかなくなるので、友達ができません。人とどうやって親密に関わればよいかわからないし、人間関係をどうやって求めてよいのかもわからない。同窓会などで人との集まりのなかにはいって、その場が盛り上がった時(笑ったりふざけたりが盛んになった時)、その場からすっと身を引いてしまうのがこのタイプです。ひとりぼっちになり、溶け込めないという結果になります。無気力や無関心とは違って、そうしていないと激しい渦のような世界に巻き込まれてしまうという恐怖が強い。ひたすら自分の世界を守るためにそうしているのであって、このタイプの人たちの生活の底には緊張と恐怖が存在すると思うと著者は述べてします。

僕は最近、自分がACだとやっと気づいたのですが(とはいえ、親からの被害についての認識はあって、この概念をよく知らなかったのでした)、前記の3つのタイプはどれも僕にはあるなあと感じます。なかでも、小さいころに父母がよく諍いをしていたとき、介入できずに順応者のタイプであった影響が大きいと感じています。うちの両親は、結婚しなきゃよかった、と小さい子どもである僕の前で言い放ち、それじゃ僕はいなくてもいいのか、と訊いても答えない人たちだったので、そのダメージがそうさせた部分は大きいのだろうなあと思うところです。いまでも、父親は、結婚しなきゃよかったってよく言っています。それで、親を介護・世話をしているのですから、まあどうかしているようなところがあります(というか、はっきりわかっていないもっと複雑な事情が水面下にあるのだろうとも思えます)。

さて、ここからはいくつか引用を。ACの起因となるところについてです。

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 「もう、あなたはあなたの思うままに生きていいのよ」というふうに、いずれは手を離さないといけない時期というのものがあります。それがずっと言えなくて、子どもが大学に入るような年齢になっても、一日帰ってこないと探しに行ってしまう親や、結婚した後までもずっと、相変わらず「ああしなさい、こうしなさい」と言い続ける親がいます。
 こうした親は、「すべて子どものために」と言いますが、実は、親が子どもへの支配感を満足させるために子どもが自分の思い通りに成長しているかどうかを確認するためであることが多いのです。自分の今の生き方に対する空虚感や不全感を、子どもや夫の面倒を必要以上に見て、自分のいいように仕立てることにすり替えていく、こうして自分の支配感を満足させることができます。(p51)
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 たとえば父が母を支配するとき、母がそれなりに成熟した女性であれば、そこで支配を止めて、自分より弱い存在を支配しないように努力するでしょう。その子どもは、家族のなかのコントロールからは自由でいられます。ところが、自分の苦しみを自分で抱えらえない女性は、その支配された苦しみを、必ずと言って良いほど子どもに垂れ流します。ゴミ箱のように。「お母さんは苦しいの、お父さんはこんなひどいことをするのよ」と言ったら、子どもはその感情を受けざるをえません。母が壊れてしまったら、この家が壊れてしまう、そうなると自分の居場所がなくなるからです。夫にされたこと、姑に言われたことを子どもに垂れ流す。子どもは誰にもそれを言うことができず、母の感情のゴミ箱のようになってしまいます。(p75-76)
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 親の不幸、親から受けた傷を「私のせいである」「私が悪い子だから」と思うことで過剰に背負ってきた彼らは、自分が存在しなければすべてはもう少しましであったかもしれないという感覚を、人生の早期に、心のどこかに刻み込んで成長してきました。
 そして、周囲の人々に気に入られ見捨てられないための過剰で必死の試みを繰り返します。なぜなら、彼ら彼女たちにとっていちばん安全であるはずの親が自分をもっとも傷つけるという状況のなかで生き延びてこなければならなかったのです。そのために自らの安全を守るのに必要な、対人関係における動物的とも言える直感を研ぎ澄ましてきたのです。(p79-80)
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また、著者は、関係性に着目してみていく臨床心理士なのですが、その関係性というとらえ方に、ハッとするように思いの至ったところがありました。たとえば親から「出て行け!」と言われたその言葉にフォーカスして、その言葉が傷になった、と考えてしまうことがありますが、もっと洞察した方がいいのは、そんな言葉を浴びせられるという親との関係性にこそ、心に深いダメージを与えるものがあるということ、がそれです。

僕が子供の頃、風邪をひいて寝込んでしまったとき、父親が「迷惑だ」と機嫌を悪くしてクリスマスのお祝いなど無しにされたことが何回かあります。ケアマネにその話をしたら、そんなのクリスマスのお祝いすらできない子がいるんだから大したことはない、と言われました。ここで、関係性に注目すると、貧しくてクリスマスの催しが出来ない子どもは、よその子どもとの関係性で負い目を感じるかもしれないですが、親との関係性においてはとくに深いダメージはないように思えます。親と子の気まずさ、それぞれの無念さはあるとしても。で、僕の場合のような、父親の機嫌で恣意的な罰則としてクリスマスの催しを無しにされた時のその親との関係性に着目すれば、傷よりも深く広い範囲に及ぶようなダメージが推測できると思うのです。繰り返しますが、関係性がどういったものかを見ていくことで、それがACの心的マイナス面の起因となっているかが見えてきたりすると思います。こういうところが、はっきり言葉になっていない段階でも感覚的に、それは大変だとか、それはかわいそうだとか、感じる人もたくさんいます。でも、うちについてくれているケアマネはそういうのとは遠い感じがあって、少々やりにくいと思うことがあるのでした。

まあそれはそれとして。本書は、ちゃんと論理的に説明してくれながらも、その言葉遣いに人間らしさがあるというか、体温のある言葉で書かれていると言ったらいいのか、人と接しているような感じで知ることができます。温かみある文章で、間近でお話を聞くようにACを知っていくことができる読書経験となりますから、DVや支配などのダメージにある人でも内容についていきやすいと思います。ただ、感情面では、書いてあることでいろいろなことが窺い知れていくので、その面ではなかなかの疲労を覚えました。無理をせず少しずつ、噛みしめるように読んでいくとよい種類の本かもしれません。

ACはアメリカで生まれた言葉です。もともと、アルコール依存症の父親を持つ子どもをテーマにしていますが、日本ではもっと広義にとらえています。以下の引用を読んでください。
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ところで、嗜癖という難しい言葉をここまで何度か使用してきましたが、英語ではアディクションと言います。たとえば、父親はアルコール依存症ではないけれど、仕事依存症やギャンブル依存症だとか、酒を飲まないけれどひどい暴力をふるうというように、「アルコール」に置き換えることのできる他の習慣的な問題行動の事です。(p71)
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この「嗜癖」というワードがポイントで、アルコールに限らない親の嗜癖によって子供に害が及ぼされるとダメージとして残ってしまい、ACと自認することになるのです。ここで言っておかないといけないのは、ACは自分で主張する言葉だということです。精神科医や心理療法士から言われる場合もあるのですが、基本的に自分の主観でそう考えられたり思ったりしたら、「わたしはACです」と宣言していいものなのです。ACだと自己認識することで、心理的に楽になるものがあり、それもこの言葉の効能であるのです。

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親の影響を受けつつも、それに支配されつくされることなく、それを怜悧に見つめきり、言語化する能力と、それを支えるあふれるような感性を保ちつづけてきたこと。これこそが人間の尊厳です。ACは誇りなのです。(p211-212)
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何よりも必要なものは、「知識」です。そのためには本を読み、言語を獲得することが欠かせません。権力や支配の構造という視点がなければDVを理解することができないからです。頑張って夫と別居し、弁護士と契約して離婚調停に臨んだとしても、経験してきたことを再定義できなければ、容易に足元は崩れ去ってしまいます。夫の語る正義からの離脱は極めて知的な作業なのです。(p237-238)
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DV被害者の女性たちは、実に論理的で隙のない話し方をするといいます。すべてにおいて夫の許可や納得が必要なために、そして繰り返される尋問への説明が必要なため、論理力が磨かれてきたのだそうです。ACも、そういった論理的言語化が自らを助けることになるでしょう。自分がACだと認めたならば、上記の引用が励ましてくれるはずです。

おまけですが、本書の終盤に触れられている哲学者ミシェル・フーコーのいう「状況の定義権」なるものがあります。自分の価値観や正義を、その場のルールのように決めてしまう。たとえば父親が、自分こそが正義だとするように。これを野放しにしてしまうと、母親などの家族が、父親を怒らせないことが目標となり、そのための努力をするようになってしまう。「夫の機嫌は私しだいだ」となってしまうのです。思考や行動の判断基準を握って家庭の中で絶対化しているのが父親で、それは真理などではまったくもってないのだけど、そう決めて押し付けることが、「状況の定義権」なのです。これもDVであり、ACを生んでしまう要因なのだと思います。

というところです。
父母から子へ、というように、世代間の連鎖のある、克服のなかなかに難しい心理的状況がACなのでした。言語化し、認知していくことは大切なのだと本書から教わりました。ACの度合いが低くても、自分の子どものことなどを想って、こういった知識を持っておくことはおすすめしたいです。

最後に。締めの引用として以下に記して終わりにします。(今回、とっても長くなりました、おつきあいいただきありがとうございます)
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家族が安心・安全な場であるためには、父と母の関係性こそが鍵となることを強調したいのです。(p239)
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『現代思想入門』

2023-04-14 11:35:11 | 読書。
読書。
『現代思想入門』 千葉雅也
を読んだ。

デリダ、ドゥルーズ、フーコーを中心に、フロイト、ラカン、ニーチェ、マルクスらにも遡り、レヴィナス、メイヤスー、マラブーらにも言及する、できるだけの平易な言葉で語られる現代思想の入門書です。

本書の最後では、現代思想の読み方指南もあります。そこでは、まずデータをダウンロードするように読むことが大事だとされる。中途でいちいちツッコミをいれてはいけない、と。これは話を聞いているときと同じだ、とあります。僕はほんとうによく、読んでいる中途で「待て待て?」とツッコミをいれます。それをメモっておいて、こうして感想・書評を書くときに使うのです。マナー違反なんだよなあ、ということを改めて思い知ってしまいました(それでもやめませんが……)。

どうして読んでいる最中にツッコミをいれてはいけないのか、というと、そうしてしまうとその先をきちんと読めなくなるからです。まず、著者の主張をまるごと受け入れてみることが大切だといいます。僕がツッコミをいれるときは、ツッコミの地平線と著者の地平線の二重線で読んでいるところがあるかもしれません。ふつうに読んでいる時よりも疲れますから。

さて。序盤では、秩序つまり権力の側や規律なんていうのものは、それにそぐわないものを矯正したり排除したりする、ということが述べられます。僕の考えとしてもまったくそのとおりで、そこから脱出するべきベクトルが、現代思想の推進力であるのでしょう。

では簡単に、内容との格闘へと入っていきます。序盤部分の引用から。

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多かれ少なかれ、自分が乱される、あるいは自分が受動的な立場に置かれてしまうということにも人生の魅力はあるのです。(p21)
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能動性と受動性が互いを押しあいへしあいしながら、絡み合いながら展開されるグレーゾーンがあって、そこにこそ人生のリアリティがある。(p22)
__________

これまで僕が考えてきたのは、他律性を排することで(≒自律的であることで)その人の幸福度や生きているぞという感覚が強まる、ということでした。他律性を支配に重ねて考えてもいる。なんでもお仕着せでさせられているとストレスフルだし寿命だって短くなるらしいことを知ったのも根拠にあります。

本書で言っていることは、他律性を受け入れよ、ということで、僕の考えよりもダイナミックな生を想定している。だとしてもの僕の考えだと、それでもなお、他律性を排すのは大事だとなります。これはたぶん、人間一般がどういうものか、社会一般がどういうものか、という個々の世界観に拠っているのではないか。

他律性を受け入れながらそのグレーゾンーンでやっていけるのは、それなりに高い知性そして理性のある人たちで構成されるグループに限定されるのではないか。いわゆる一般大衆、マジョリティであるだろう層が前提だと、他律性を受け入れるうんぬんでその個人も関係も疲弊するのではないか。

社会的な競争、性的な競争、個人的優越のためなど、そういったものがひしめくマジョリティ層の社会では、他律による「足を引っ張る行為」があったり、誹謗中傷の酷いレベルのがあったりもする。自分を守るため、自己の安定のためには、他律をできるだけ排す方法は有効だと思うのです。

ただ、このあいだ河合隼雄さんの『コンプレックス』を読みながら考えたこと・学んだことに照らすと、そうやって自分を守ったり、自律的にやっていったりすることで、少しずつ自分が成長して、他律(外の社会との関係)に耐えられるようになっていく。それから、他律を受け入れるようなダイナミックな生へ移行するとよい。

『コンプレックス』では、自我が弱い段階ではコンプレックスと対決しても耐えられないことがあることが書いてありました。自我が育ってから、少しずつコンプレックスと相対して対決し、解決してエネルギーとしていく。他律を受けれいることも、似たような感じでやっていくのが最善なんじゃないかと考えるところです。

本書『現代思想入門』では未練をもちながら決定を下すことが大人ではないか、と書かれています。これは後悔もそうだと考えられそうです。また、感情を切り捨てながら技術的なポイントを反省するのはこころの負担にならないのでお勧めなのですが、これも、こころが育ったなら感情も込みで反省するのがよい、と僕は思うし、本書の後半で著者もフーコーを引きながら「無限の反省ではない有限の反省」として同じようなことを述べています。

ということで、デリダやドゥルーズの現代思想の前提をまず考えてみて、そこで一般のマジョリティたちに適用するにはずれがあるのでは、という話でした。他律を受けいれるダイナミックさはわかるのだけど、耐えきれない人たちは多数いると思うので。ただ、本書では、フーコーがその後期に、主体性と言うか自律性というか、そういったものを重視していたらしいこともちらっと述べられています。

ちょっと先走っていて個人的な解説になりました。ここで、デリダ、ドゥルーズ、フーコーの現代思想のキーワードを書いておきます。それは二項対立からの「脱構築」です。
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二項対立は、ある価値観を背景にすることで、一方がプラスで他方がマイナスになる。(p27)
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善と悪、健康と不健康、身体と精神、自然と文化などの二項対立のどちらかを取るのではなく、そのどちらの間のグレーゾーンの立場を取ったり、そこからはみ出したりするのが「脱構築」です。ここがまずおいしい匂いのするところで、ここを突破口に他の枝葉末節的な部分や、その根っことなったところを探っていく構成になっています。

ここでまた、秩序による排除や矯正について考えたことを。
たとえば発達障害なんていうカテゴライズこそが、管理社会という秩序による支配からでてくるもので、それってマジョリティの側が強固であることの証拠にもなっています。ですが昨今の、発達障害と言われるような傾向・性質の人つまりマイノリティを、治そうとしたりせず共存していこうというのは近代の見つめ直しで、近代以前への回帰でもあると考えることができます。

一説に、世界中の精神科病床の25%が日本にあり日本の精神医療は50年遅れている、なんて言われるそうですが、これこそ、いまだに管理体制・権力というものへの思慮が欠けていることの現れなんだろうなあ。排除・矯正や差別を副産物として生む、秩序・管理・規律・権力といったものに無批判であり、ゆえに強力だからなのかもしれない。フーコーへの理解度や浸透度がものを言ってる気がします。権力は、被支配者側がそれを支えているという見抜きが大きくひとつあります。管理体制・権力に対する日本人の意識は、もしかするとガラパゴス化しているのかもしれない。また、外国人労働者への冷たい処遇なども、差別・排除など秩序や規律の論理が強力すぎるためゆえのことが表面にでてきているのかもしれない、と思いました。

というか、本書を第三章まで読んだらそこに気づけるのですよ。権力は被支配者が支えている、なんてところからどんどん繋がっていきました。自由が好きで大切だと思うならば、本書は面白く読める本です(少々難しいところはあるにはあるのですが)。

個性だとか多様性だとか、もっと育てようと言いながらも、それらは権力の手のひらの上でならばね、という注釈がこの社会ではついている。権力、マジョリティ、秩序というものはそういうものなのです。いわゆる、「はみださない範囲で」という都合の良い注釈がつきます。鎖国してたのなら通用するのでしょうけども。

国の競争力を上げるならば、国・権力・マジョリティ・秩序の側がもっとリスクをとらないといけなくないでしょうか。堅牢な安心の城であれこれやっても、それが通用するのは鎖国みたいな閉じた世界でだけです。ある程度、泳がせないと、はみ出させないと、何か生まれたりしません。

国・権力・規律・マジョリティ・秩序を重視しすぎたあと、どうなるか。考えてみたら貧しい軍事国家になるんじゃないのか。自然にそういうイメージが湧くのだけれど。権力・規律・マジョリティ・秩序のどんな部分が良くないかって、それらにそぐわないものを排除したり矯正したりするところなんですよね、返す返す言いますが。

最後に。

脱構築といった現代思想の出番って、日本では待望されるべきものなんじゃないでしょうか。現代思想の考え方やそれに促される姿勢、そして自覚的でいられることが、日本人の栄養素として不足しているんじゃないか。日本人としての群れがバージョンアップしてちょっと変わっていくためには、ですね。

でもみんな、自分が生きることに精一杯で、「それどころじゃねーんだ」なんでしょう。生きることに精一杯同士で競争して、足を引っ張ったりし合ってもいますし。そうやって疲弊している民衆は支配しやすそうで、そういう民衆はただ時の流れに乗っかって生きてしまうのかもしれない。自戒を込めて、になりました。

<
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『しろいろの街の、その骨の体温の』

2023-04-08 18:57:24 | 読書。
読書。
『しろいろの街の、その骨の体温の』 村田沙耶香
を読んだ。

ニュータウンに住まう主人公・結佳。彼女の小学生時代と中学生時代の二部構成の物語。ニュータウンの開発とその停滞、そしてまた開発が進んでいく様と、結佳の身体と心の成長のその様子が、静かにリンクして描かれていたりします。


<今回は、ほぼネタバレとなっています。お気を付けください!!>


黒子に徹しているような文体。静かにそうっと丁寧に、物語を文字にして記していったかのようです。著者は、水槽の中に登場人物や舞台となるところがあって、そこで起こることを眺めて書き移しているというようなことをテレビでおっしゃっていたのを見たことがあります。水槽というか、箱庭みたいな感じなのでしょうか。著者は小説世界が動いている水槽(あるいは箱庭)の中をかなり引いたところから見ていて、自分がわずかにであっても影響を与えないように、息をするかすかな音さえもたてないように気配を消し、集中している感じがしました。自身が思い浮かべた世界の動きではあっても、私情をいれず書き写している感じなのかもしれません。あるいは、自分という文章を書ける存在を物語に捧げているかのような書き方なのかもしれません。そんな気がしてくる、まずは第一部でした。

結佳は、若葉というおしゃれな女子と、元気だけれど少し子供っぽい信子という女子と、三人でよく遊んでいました。同じ習字教室に通う伊吹という男子への未熟な欲望に端を発する秘密の関係もそこで芽生えていきます。

第二部に入ると、生々しいスクールカーストの現場が繰り広げられる。結佳、若葉、信子の関係性も変わっている。そして著者の、その現場のエッセンスを、紙へと文章でトレースする技術がベラボーに高いのでした。

第二部に入って、ひりついた感じがするというか、スクールカーストの現場を想像することで胃が重くなりそうな感じがするというか。やっぱり生々しさが堪えるようなところがあります。僕個人の過去過ごした中学や高校のことが不意に想起されたりしますし、この作品を読むことで、10代の曖昧だった部分を清算することになるかもしれない、という予感もありました。

性的な目覚めによってできた、性的な優劣による階級(でもその優劣はとても狭義で恣意的でいい加減なものです)。教室のなか、学年の中、学校の中などのくだらなくてあやふや価値観が絶対化されてしまって、息苦しさを生んでいる。そうやってできた既得権益にしがみつき、大人になっても同じ力関係を保持するのが当たり前だと考えているたとえば地方都市の住人は多いと思います。僕の住む町でも、そういった話を聞いたりしますから。

そういったどうでもいい価値観すら秩序として守ろうとしてしまう保守性。自分を守るために、窮屈な世界に閉じた状態で我慢してしまっています。この小説では、そういった、性的な目覚めによってできあがったような階級が、その恋愛感情という性的な気持ちがどんどん高まっていくことで、そのあと崩されていくのかどうかが、ひとつの大きな読みどころです。

物語の中盤から終盤にかけて、物語が、そして主人公の在り方が揺るがされていきます。進退が極まる局面へと、追いつめられていく。そしてその結果、
__________

身分制度の外側に突き落とされた私(p276)
__________

となってしまう。誰からも距離を置かれる存在に落とされてしまう。読んでいくと、カーストの底辺よりも価値が低いようなポジションです。

教室の身分制度自体が、きわめて恣意的で、めちゃくちゃな価値観でできあがっている身分制度です(僕もかつて、そういったものから排除されたことを思い出します。また、僕の自作小説『ラン・ベイビー・ラン』に出てくる中学生が、ハッと気づきそうになる価値観の転換にひるむ場面があるのですが、この作品の終盤間際にちらっと主人公が気づくあらたな、そしてほんとうの価値観と同じもので、そこにはなんだか共感を持ったのでした)。

階級の底辺にいる信子は、一番わたしを見下しているのは結佳ちゃんだよ、と言う。主人公がいちばん冷静に、客観的に、その階級をそのままのものと確定させて眺めている。階級上位の男子である井上や荒木は、主人公よりも階級意識について考えが浅いぶん、強固な教室の価値観に流されて信子ら階級の低い者たちをからかったり、いじめたりしている部分があるのかもしれない。しかし、結佳は、価値観の有り様をしっかり見据えて見破ってすらいるのに、それに自分の意志で従っている。考えが深い分、下の階級を下の階級と固定してみることへの意識は強いのかもしれない。

著者の村田さんはグッジョブだと心が温かくなりました。たぶん、切り傷や打撃痕を負いながら、それでもこの閉じた世界観というか、大勢の人々の記憶に刷り込まれているであろう閉じた世界に、単身切り進んで世の中に開いてくれたような仕事が本書だと思います。

また、こういう作品を書くと、自分自身が自分自身に立ちはだかる敵になったりもしているんじゃないでしょうか。負った傷痕は、自分が敵となって自らを攻撃したものも多数ある感じなのではないのか。聖人君子じゃなければそうなるし、聖人君子ならばこういう作品は書けまい。

僕の、カーストから外れたケースは、学祭の演劇の役を一方的に押し付けられたので、セリフを覚えずにステージに立つということをしたんです。もちろん劇はめちゃめちゃで、それから階級の外に落とされたような状態に。まあ、教室では文庫本を読み、放課後は部活で汗を流し、という日々でした。かといって本書みたいにはっきりとした状態ではなく、もっとずっと曖昧なものでしたけどね。

終盤、身分制度の外に落とされた結佳は、きもい、嫌い、などと言われたいと欲します。なぜなのかといえば、自分が大嫌いな自分自身と決別するためには、自分ひとりの力では足りなかったがためだと思えるのです。好きな人、嫌いな人、誰彼構わず、自分を否定する言葉を欲し、飲み込む。そうして、結佳はそれまでの自分と決別し新たな価値観を持つ自分へと再生した。

そこには、性の欲求に押し出されるようにして、自分という個性ある身体性が発見され、大人の身体へと変化した自分の存在のリアルな感覚を不意に掴んだ経験が、大きな後押しになっていたと思う。たまたまそうなったのかと読めなくないですが、おそらくこれは性欲の根源的なエネルギーが強くなっていくことの必然なんだと僕は捉えました。性欲という根源的で強大な力の増大が、性欲の初期の段階である未熟な成長のスタート期に由来していてその段階で固まってしまったかのような身分制度とその価値観を打ち破る。

ラストの部分。結佳と伊吹が結ばれるところ。その結ばれ方が、中学二年生の終わりのまだまだ子どもたちのやり方なのに、とても正当で本当で素直なところに、この物語が宿す大きなカタルシスがあるように思いました。コントロールが難しく、あらぬ方向へと暴れ出して行きがちな性欲を、きちんと開放する道筋、それも自然なかたちでの道筋が照らされ、その道程は開かれていて読者はともに歩んでいくことができる。そこのところは、頭でもわかるし腑に落ちもする感覚で描写されているのでした。

もう一度いいますが、著者はグッジョブです。これまでで村田沙耶香さんの作品に触れたことがあるのは『コンビニ人間』のみでした。僕の読解力では、一作だけで作家を立体的にとらえることは無理で、そのことを本書を読んでよくわかりました。情けない話ですが、『コンビニ人間』だけでは、村田沙耶香という人の指先くらいしかわかっていなかったかも、なんて思うくらいです。

そういった、作家の人となりみたいなところを知りたいか知りたくないかを別としても、つまりそういうところを抜きにしても、本書はしっかりとしたパワーを持った作品でした。しっかり自分を生きたい人には読んで欲しいと、つよくつよくおすすめしたい作品でした。


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坂本龍一さんへ。

2023-04-03 11:47:02 | days
坂本龍一さんが亡くなられた。

3月28日のことだったらしい。もう葬儀は近親者で済ませていての報道だった。

僕は小学校高学年の頃に坂本龍一さんの音楽にドハマッて、以来、YMOと併せて130枚以上、プロデュース作品を併せるともっとになるのだけど、それだけのCDを集め、そして何千回も聴いてきました。好きな曲を一曲なんて挙げられないし、時期によって好きなアルバムは変わる。最初に買ったのは『メディア・バーン・ライブ』でした。

たくさん本を読んでいらっしゃって、そういった、教養を積むことは当たり前なんだ、っていう感覚を、僕は坂本さんの姿から学びました。10代はずっと傾倒し、20代の半ばくらいからは、ちょっと考え方や思想面で合わないところがあることに気づいていき、その後は、彼の発言や考え方をより客観的に受け取るようになっていきました。

でも、最初の、絶対的ですらあったヒーローが彼です。僕が若いころ、パソコンを使って作曲していたのは、彼の音楽をずっと聴き続けて素養が養われたから。

Ars longa, vita brevis.
芸術は長く、人生は短い。

関係者から出された書面の最後に締めくくられた、坂本さんが好きだったというラテン語の語句です。僕が20歳くらいのときにやっていたホームページの掲示板のタイトルがこの言葉でした。

昨夜は、最後のオリジナルアルバムとなった『12』を、二度ループして聴きながら眠りました。ありがとうございました、と伝えたいです。

どうか安らかに、お眠りください。
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『【実践】 小説教室』

2023-04-02 11:04:33 | 読書。
読書。
『【実践】 小説教室』 根本昌夫
を読んだ。

「海燕」「野生時代」の元編集長で、島田雅彦、吉本ばなな、小川洋子、角田光代、瀬名秀明らの作家デビューに立ち会った著者による小説指南書。著者は現在、小説教室を開き、多くの生徒を教えているそうです。そのなかには、芥川賞をダブル受賞した若竹千佐子さんと石井遊佳さんもいらっしゃったようです。

僕も小説を書きますが、ふだん、原稿を書くことについて話をする人が、オフラインでもオンラインでもいないので、たまにこういった本を読むと、原稿書きの知己や先輩が得られたみたいな、そんな気持ちになり、楽しくなります。

書いてある内容は、どれも腑に落ちます。こういった指南本では、「ほんとうにそうかな?」とか「ちょっと自分の感覚とはずれてるな」とか、自分でもある程度経験があるのに、その外側にあってよく理解できない内容の言葉が書かれていることがあります。理解するように努める、というより、自分の持ち場からぴょんと飛ぶようにして信じてみるしかない、というような種類の言葉です。しかし、本書は、どれも、自分の経験に照らしてみて「わかるなあ」と思えるし、そのちょっと先を行く内容のものも、自分の経験の延長上から逸れていないことが直観でわかるものだったりしました。だから、僕にとって、信用できる小説指南本だったのでした。

本書は三部構成です。「1.小説とは何ですか?」「2.書いてみよう」「3.読んで深く味わおう」、全てわかりやすい文章で書かれていますが、でもそれぞれが歯ごたえのある中身です。小説の文章と正しい文章は違うこと、平叙文が正解ではないこと、小説家に向くタイプなどから始まり、小説のテーマとはどんなものか、書き出しが大切なこと、人称の説明、リアリティについてなどから書くときのポイントを教えてくれ、最後に村上春樹、綿矢りさ、山本周五郎らの作品の解説をしてくれて、小説のその読みの深みに触れられる仕掛けになっていました。

さまざまな面から小説を書くことについて述べられていて、すべて覚えていたいくらいなのですが、なかなかそうもいかないものですから、本棚のとりやすい位置に立てておいて、その都度ページをめくり直したい本です。

では、以下の引用をもって終わりにします。

__________

いい小説を書くには、言葉の組み合わせから作る描写、叙述、文脈のなかで、あなたが表現したい原物を、ほんの感触でもいいからつかまえて書くよう努めることです。あなたが操る言葉と、あなたの内面的真実の距離を、文脈の中でどうにかこうにか近づけていくのです。
それが小説を書くという営みであって、それをやりおおせたときに初めて、納得できる作品が生まれるのです。(p71)
__________

__________

小説とはもちろん、作為的なものです。むしろ作為の産物といっていいでしょう。
作家の仕事は、その作為が自然に見えるように書くことです。するとそこにリアリティが生まれます。作為を自然に見せることこそ、小説に求められる技であり、言葉の技なのです。(p74)
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ただ一つ言えるのは、短編小説を書くにはものすごいエネルギーが要るとうことです。それには相当なエネルギーがなければなりません。短編小説のすぐれた作品に、小説家が若いときに書いたものが多いのはそのためです。(p78)
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(小説を書くことによって)ものの見方、考え方に深みが出てきて、生きていること自体が楽しくなってくるのです。(p223)
__________


というところです。本書は、小説を読むのも書くのも、より深く楽しめる道のりを歩むための、その地図でしょうか。おすすめなのでした。

著者 : 根本昌夫
河出書房新社
発売日 : 2018-03-20

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