Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『成功の言葉』

2015-05-31 20:26:04 | 読書。
読書。
『成功の言葉』 いのちの言葉編集部編
を読んだ。

ハルキ文庫から出ている古今東西の名言集です。
前に、同じシリーズのもので『勇気の言葉』を読みましたが、
同じように、読んでいるうちはうんうんとうなずきながらでも、
読み終わるとほとんど頭に残らないんですよね。
きっと、このたぐいの本は、すぐに読み終えることができるかわりに、
何度も読んで、気に入った金言は覚えてしまわないとならない
というものかもしれない。
そうしないとこの本の効力って実は無いのかもしれないです。

名言自体は深くても、ちょこちょこと文章が書いてある
程度だから、ちょっと離れてこの本を眺めると、浅いんですよね。

まあ、それでも、モノは好き好きですから、
こういう本こそ大事にしたいという人もいらっしゃるはず。

ネタバレになりますが、
最後の、カフカの名言、
「世界と君との戦いにおいては、必ず世界の側につきたまえ。」
というのは、悩む言葉でした。
いまでも、腑に落ちません。しかし、世界をイコール大多数とするのでなければ、
腑に落ちるところもあるのですが、カフカはどういう意味でこう言ったのかなと
知りたくなります。カフカの時代と国は大変な時代のチェコだったようでうから、
もっと物騒なリスクを想定しての言葉だったのかなと思いもしました。

著者 :
角川春樹事務所
発売日 : 2011-05-25

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『メディア・コントロール』

2015-05-29 00:42:40 | 読書。
読書。
『メディア・コントロール』 ノーム・チョムスキー 鈴木主税 訳
を読んだ。

優れた言語学者として著名で、
反戦論者としても有名なノーム・チョムスキーの著作と講演、
インタビューからなる本。

アメリカが、いかに知識や権力を有する特別階級に支配された
民主主義であるかを暴いた論説。
しかしながら、そのアメリカ的な民主主義は、
日本の民主主義にも符合するものであることがわかります。

___________

民主主義社会に関する一つの概念は、
一般の人びとが自分たちの問題を自分たちで考え、
その決定にそれなりの影響をおよぼせる手段をもっていて、
情報へのアクセスが開かれている環境にある社会ということである。
 (中略)
そして民主主義のもう一つの概念は、
一般の人びとを彼ら自身の問題に決してかかわらせてはならず、
情報へのアクセスは一部の人間のあいだだけで厳重に管理して
おかなければならないとするものだ。
__________

そして、チョムスキーは後者こそが今現在の民主主義においては
優勢であるとしている、そんな民主主義があるかと思ったとしても。
それは日本の読者も自国を鑑みてうなずくところだと思う。

そういったところから、
アメリカがおこなってきた悪事ともいえる、対外テロ行為、テロ支援行為、
自分たちの利害のための軍事行動を告発していきます。
そこには耳触りのいい、オブラートに包まれた歴史観はありません。
ベールをはがされた生身の、損得利害による虐殺や侵略やテロなどの
アメリカ政府の所業が並べ立てらています。

ぼくらはなぜ、アメリカや日本が支援するインドネシアの東ティモールの
軍による虐殺を知らない、あるいは忘れてしまったのか?
トルコにおける民族浄化運動によるクルド人が虐げれた現実、
そしてそれを支援したアメリカの立場を知らないのか?
イラクのサダム・フセインをアメリカやイギリスが支援して、
彼の化学兵器による虐殺などを黙認していたことを知らないのか?
国連からもルール違反を指摘されているにもかかわらず、それを無視し、
レバノンの一部を占領してパレスチナ人を虐殺しているイスラエルに、
アメリカが軍事支援をしていることを知らないのか?

覇権争い、そしてそれに関連するお金というものに、
人間は喰われてしまっているから、こんな歪んだ世界のままなのかもしれない。

そして、今の日本では、憲法を改正しようとしたり、
日米の関係を強化して以上に上げたようなアメリカの対外行為に加担できる体制を
作ろうとしています。

どんなもんかねえ、って思いますよね。

本書は『メディア・コントロール』という題名ですが、
そうやって一般人は騙されていくのだということですかねえ。
個人個人がバラバラであるよりも、何かの組織、
わかりやすい例だと労働組合ですけど、
そういった集まりで抗議なり異議申し立てなり、
発言したり意見を発信したりしていくことが、
最初に書いたような、特権階級が牛耳るタイプの民主主義から
脱却する手立てだと、チョムスキーは言っています。
連帯の力でしょうか。

いろいろな、真の現実を知っておくためにも、
ちょっとかじっておいたほうが良いような本でした。


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『動きが心をつくる』

2015-05-27 22:46:27 | 読書。
読書。
『動きが心をつくる』 春木豊
を読んだ。

行動心理学と東洋の心身一元論的な考えを併せたような、
たぶん独自の学問である「身体心理学」についての本。

このあいだ読んだ『行動分析学入門』にも出てきた言葉でしたが、
ちょっと本書ではニュアンスを異にしてはいるのですが、
オペラント反応、レスポンデント反応というのが本書の大きなキーワード。

オペラント反応というのは意志的な行動です。
道路に落ちているお金を拾おうと身体を動かしたなら、
それはオペラント反応。

レスポンデント反応というのは、反射的な行動です。
心臓の拍動のように意志ではどうにもコントロールできない動作が、
レスポンデント反応。

それで、この本で大事とされるのは、
オペラント反応でもあり、レスポンデント反応でもあるという、
レスペラント反応と名付けた動作でした。
それには大きく8つあり、
「呼吸反応」
「筋反応」
「表情」
「発声」
「姿勢反応」
「歩行反応」
「対人距離反応」
「対人接触反応」
というのがそれ。

たとえば呼吸だと、
無意識に呼吸はしているけれども(レスポンデント反応)、
自分の意志でも呼吸を深くしたり、短くしたりできる(オペラント反応)。
そういうレスペラント反応こそが、体と心の両方にまたがった反応であるため、
体と心に影響を及ぼすことができるという重要な反応群であると言えるだろう、
と著者は述べています。
つまり、先に8つあげたレスペラント行動というものは、
動きによって心を作り、その作られた心がさらに体に作用するという循環的な
働きがあるだろうとうということなんです。

また呼吸を例に説明しましょう。
たとえば呼吸のうちの吐く息の時(呼気)の作用は「沈静」効果があるとされる。
逆に吸う息(吸気)のときには「興奮」効果があるとされる。
よって、心身を落ちつける時には、呼気を重視してゆっくりと息を最後まで長く吐ききり、
さらに吐ききったままの状態のポーズを少しの間とり続けることが大事になる。

本書では、前掲の8つのレスペラント行動について、
その心理的効果の有無や内容を、西洋的な、要は科学的な実験によって
確かめられていることを述べています。
その章がぼくとしてはもっとも読み応えがありました。

著者がなぜ、このような身体心理学を研究したかというと、
身体心理学で得られた結果を参考に、呼吸法や筋弛緩運動などで
心や体をよい状態に----体に生気をみなぎらせ、心は気力に満ちさせる、
そのことによって、健康でいようよっていうのが大目標なのです。

本書のまとめに近い章では、「気」の概念まででてきて、
東洋思想を取り入れているなあという印象を受けます。
人によっては、それって非科学的なものだと感じるかもしれません。
しかし、きっとそこには、ヨーガや禅や指圧など、
いろいろな東洋的なものを試してきた経験がある著者だからこその、
見抜きがあるような気がしています。
ただ、東洋思想的な東洋科学が受け入れない人でも、
レスペラント行動についての論説はおもしろく読めることでしょう。


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『吾輩は猫である』

2015-05-20 15:39:16 | 読書。
読書。
『吾輩は猫である』 夏目漱石
を読んだ。

文豪・夏目漱石のデビュー作品です。
「吾輩は猫である。名前はまだない。」という有名な文句から始まる長編。
長編といっても、ほとんどが登場人物たちの雑談や小さな事件があつまったもので、
ストーリーの軸は細くて、まるでつけたしたくらいのものでした。
それでいて、面白いのです。

漱石は世の中や人間一般に関してよく知っていて、考えているなという印象。
批判的に語るところもあれば、皮肉的に諧謔にしたものもある。
そういうところが、本作に流れるひとつの音であり、味なんです。

それにしても、漱石の博覧強記ぶりに恐れ入る次第です。
古今東西の書物を読み漁った人だからこその引用にあふれている。
それでもって面白おかしくユーモラスに仕上げていて感服してしまいます。
一流の人が作家をやったという感じ。
そして、そんな、新しい明治の文化に重きがあった時代なんだろうなという感じがします。
昭和時代の初期から敗戦、戦後の復興期までに比べたら、
よっぽどいい時代に感じるんだよなぁ。

550ページくらいあります。
滑稽小説だけれど、会話の部分以外はぎゅっとした文章。
たたたーっと読み進めるのももったいない気がして、
味わいながら読んだら、読了までにだいぶ時間がかかりました。
なれてくるとスピードがあがるのは、どの読書でも一緒ですが。

もっと漱石の作品を再読したり読んでいないものを読んだりしたくなりました。


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言葉の生まれる源泉を見つめる。

2015-05-17 12:28:01 | 考えの切れ端
言葉というものはよくできているけれど、
やっぱり便宜的なものなわけです。
言語化すると、言語化以前のものからいろいろなものが零れおちたりする。
言葉と言葉になる前のものは決してイコールじゃない。
言葉以前のもやもやしたものは、
それほど単純じゃないということを忘れないでいたい。

これは自分自身の考えや気持ちだけではなくて、
たとえば絵画や写真や音楽の言語化を考えるとわかりやすいと思う。
言葉で100%等価で表現するとなるとほとんど無理だ。
絵画とかほど難しくない感じがするから、
自分の感情などは100%言語化できていると思ってしまうかもしれないけれど、
そんなことはなくて、それは言葉以前の沈黙への洞察が足りていないということなんです。

かといって、表現をあきらめてしまうのはよくないし、
表現力を磨くことで無意識の意識化っていう精神衛生上よい行為にも磨きがかかるし、
他人がその言葉を見たり聞いたりして深く共感すると、
その他人の無意識の意識化にも繋がるだろうから、
それも小さな部分ではあるけれど、よいことではありますね。

というように、
もう何度も考えたり書いたりしていることですが、
そうやって考えが深まったり定着したりするんですよね。
考えはらせん状に上昇していきます。

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こういう態度で今を生きる。

2015-05-10 23:36:41 | 考えの切れ端
リチャード・ローティという学者の言葉で、
人間の連帯で重要なのは理念の共有ではなく
「あなたも苦しんでいるのですか」という問いかけだ、というものがあります。
散文的な抗争しあう関係より、詩的な共同しあう関係を好むと、
このような考えはいいなあと思うんだよね。

ルソーや村上春樹なんかは、
人と人との繋がりは傷や痛みなどによってこそのもので
それこそ真の調和なんじゃないかって言ってます。

これはなにも傷のなめ合いがいいというのとは全く違う。
そういうことはしないで、胸の奥、根底の所で共有する気持ちのことを言っている。
「憐れみ」は役に立つ、と。

しかし、「憐れみ」なんて言葉ひとつにしても、
受け取るニュアンスは人それぞれだったりしうるもので、
上から目線の動作のように思う人もいれば、
横並びの視線の言葉に感じる人もいるでしょう。言葉は難しい。

憐れみなんかできる立場じゃないし、
受け手としては同情なんかされたくないと思う人もいる。
それはきっと、集団社会内での「しがらみ」というものが関係していると思う。

でも、僕はこう考える。
理想ばかりをみていてはきっと空回りしてばかりになる。
だからといって現実ばかりをみていたらきっと右往左往してばかりになる。
交渉とおなじく、両の言い分の落とし所を決めることが必要だけれども
「理想に近づくこと」それこそが尊いと思うので理想と現実のせめぎ合いになった時点で喜べる。
漸進的だといえる。


・・・とまあ、最近の読書や思索からの、ぼくの最新の態度でしょうか。
『贈与論』からえの考えもくっつけたいところです。
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『ハッカーの手口』

2015-05-06 00:02:04 | 読書。
読書。
『ハッカーの手口』 岡島裕史
を読んだ。

サイバー世界のセキュリティ対策、
セキュリティ意識を向上させるための本。

「サイバー世界なんて、そんな大して関係ないや。
だって、いままでになにもなかったし、
経験上、何もしなくても安全だと思ってる」
という人には是非読んでほしい本でしたね。

どうやってハッカー(クラッカー)という人たちが、
他人のコンピュータを操作したり情報を盗んだりするのかを、
ローテクなものからハイテクなものまで丁寧かつ簡潔に記しています。

暗号技術で今も使われているWEPという技術だと、
今のハッカーならば数分で解読してしまう、だとか、
僕でも知っていたDos攻撃について、など
まだまだ主流の、ハッキングの今について語られている。

ルータから情報を盗まれるだとか、
どうすりゃいいんだという専門的なところの記述もありますが、
おおむね、理解できる範疇の内容です。

僕らが住むこの時代において、
もはや現実と仮想空間は蜜月であり一体となっている。
だからこそ、万全なものは不可能にしろセキュリティ対策は不可欠なんですね。
僕はセキュリティソフトを購入して使っていますが、
本書によると、それだけで大分ちがうということでした。
スマホだとかタブレットなんかもセキュリティの対象ですけども、
どれだけの人がやっているんだろうなぁ。

そういえば、この間、某ブログをみていたら、
ブラウザの更新ボタンが勝手に連打されていたので、
ページを戻ってブラウズしなおしたらなんともなくなったんですが、
あれもDos攻撃みたいな感じになってますよね。
なんだったんだろ、ブラウザのバグみたいなものならまだいいんだけど。

妙に危機感を煽るような本ではないです。
現実をそのまま述べ、控えめにではありますが、
やっぱり現実的にこれからの未来についての見通しも述べている。
おもしろかったです。

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『弱いつながり 検索ワードを探す旅』

2015-05-05 00:28:19 | 読書。
読書。
『弱いつながり 検索ワードを探す旅』 東浩紀
を読んだ。

挑発的だったり、
アジってるようなところもあったりしながらも、
しかし、しっかり全体としては落ち着いた論調で、
著者なりの「生き方」についての考えを説いている本。

金持ちになりたければ金持ちの知り合いを作ればいい、
みたいなのが書いてあったけど、それなんですよね。
この場合は、金もうけのノウハウなんかが
わかるようになるからっていう理由があるけれど、
でも逆に、漠然としながら利益にならない人は
きりすてられていくものなのかもしれないという論理に行き着く。

環境を変えていくことで自分の幅が広がっていく、という。
境遇のよろしくない人の方へ近寄って環境の幅を広げる人って、
なかなかね、義侠心がないとしないだろうなと思います。
自己の利益を求めるのが、優先順位一位で、
それが二位以下とかけはなれて優位であって、
それでいて義侠心の無い人っていうのは多いような気がする。

自分はなにも不幸なにおいはしませんっていうのを、
たいていの人は目指していたり前提としていたり。
そのために切り捨てられる物事や人ってありますよねえ。

そう始めの方で感じて、ムムム・・・と顔をしかめたのですが、
中盤から最後にかけて、そこを補う論考が出てきました。
それはルソーのいう「憐れみ」です。
人間は他人の苦しみをまえにすると「憐れみ」を抱いてしまい、
ゆえに群れを作り社会を作っているのだ、とする考えです。
加えて、リチャード・ローティという学者の言葉で、
人間の連帯で重要なのは理念の共有ではなく、
「あなたも苦しんでいるのですか」という問いかけだ、というものもでてきました。
ここは以前の著者の著書である『一般意志2.0』にもあったことでしたが、
村上春樹さんの『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』に出てくる、
人と人との繋がりは、傷や痛みなどによってこそのもので、
そういうのこそ真の調和なんじゃないかっていうところとリンクします。

つまりは、本書の前半で予感された社会的排除の可能性が、
後半で社会的包摂の方向に帰結した、ということになります。
これはうれしい点でした。

また、ひとつの場所にとどまって、いまある人間関係を大切にして、
コミュニティを深めて大切にしろという「村人」タイプ、
ひとつの場所にとどまらず、どんどん環境を切り換えて、
広い世界をみて成功しろという「旅人」タイプという二種類の生き方だけではなく、
その中間のような「観光客」という生き方を提示し推奨していました。
ある程度の無責任さでもって、頭の中にない物事、事物を見知っていくこと、
そうやって新たな検索ワードを手に入れることこそが、
大事じゃないかという話でした。

この「旅人」タイプというのが都会的なんだろうと思いましたが、
これだと、旅の恥はかき捨てのように、
使い捨てに近い精神で利己的に生きていくスタイルのように思えるのです。
そこには、サイクルが無い。
サイクルのないところにサステナブルはないでしょう。
一方、「村人」タイプにはサステナブルはあるでしょうが、
既得権益だとかしがらみだとかが生きやすさの邪魔をするでしょう。
そういう点からいって、「観光客」という中間的なポジションのタイプの提唱は
苦し紛れにみえるかもしれませんが、柔軟な創造だと言えると思います。

他に補うものとして「言葉と物」についての論考などもあり、
長大な書物ではないですが、芯のある本でした。


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『教育再定義への試み』

2015-05-02 00:34:08 | 読書。
読書。
『教育再定義への試み』 鶴見俊輔
を読んだ。

著者の鶴見さんの半生を振り返りつつ、
教育というものの真の意味にたどり着こうとする論考エッセイです。
むずかしい言葉でがちがちになっていなくとも、
ちゃんと物事の深みを表現して伝えることができるという
良い見本のような文章でした。
むずかしいことはむずかしいという部分はあるのですが、
時間をかけて読むことできっとイメージはつかめるという感覚。
巻末の芹沢俊介さんの解説を読むと、
ああそうか、とそれまで読んできた言葉がすっと胸に入ってクリアになります。

まず、痛みによる教育の試みだといいます。
痛みは身体的なものも心的なものもどっちも。
そうして、著者が自分で経験した痛みからくる教育を披歴していく。
そこで読者は、著者の経験に自分の経験や記憶を照らし合わせて、
自分の内に著者の考えを落としこんでいくことになる。

______

自分の身体と自分の家庭からまなんだことが、教育の基本である。
私以外の人でも、そうではないか。
家庭の外では職場、(中略)さらに男女関係、自分のつくる家庭、
自分の子どもから受ける教育、近所の人たちとのつきあいから受けるもの、
社会活動から引退した人として孤立ともうろくから受ける教育、
近づいてくる死を待つことから受ける教育である。
______

そして、サークル活動というもうひとつの教育というものに話は移っていきますが、
ここで言われているのは、自己教育と後半で述べられるものです。
学校で受けさせられる教育とは違います。
逆に、そういう教育は害があることを本書では解き明かしています。
大事なのは自己教育、ということ。

たとえば、先生が握っている正答をあてるだけの教育は違うんじゃないかというような、
先生を観察して先生に自分を合わせるような生徒を作る教育もどうかという話もある。
答えは一つっていう教育は、現実というものに正面きって立ち向かえない人を作る。

ここからはこの本を読んでの僕の考えですが、
優等生のままの人っていうのは、
いざ現実と対面したときになにも歯が立たない人間なのかもしれない。
生きてくというのは、もっと腕っぷしのいるものだと僕も思うし、
自分にはまったく足りていないとも思う。
優等生でいるというのは怠惰であるという側面もある。
もっと掻きまわして、現実との間に軋轢を生みながら
それを修復し自己や周囲を修正していくような作業を泥くさくやっていく。
それでこそ、役に立てる人になっていける道を歩めるってことなんじゃないか。

杓子定規というかステレオタイプというか、
そうやって、人に教育されるがままでいいや、だとか、
流されるまま流れにのって生きていくのでは、
真っ当に生きられないと言っているのではないかと思うのです。
たしか糸井重里さんの言葉で、なぜ勉強しなくてはいけないか?
という問いに対して、
それは友だちだとか恋人だとか大事な人が困っている時に助けになれるため、
っていうのがありました。
そういう勉強、ここでいう自己教育が、
そんな自分の可能性をひろげることに繋がるっていうことでしょう。

とても好くて深い本だったので、
いろいろ読んでもなにか足りないと感じている人にはおすすめです。


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