Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『必笑小咄のテクニック』

2014-11-29 00:25:05 | 読書。
読書。
『必笑小咄のテクニック』 米原万里
を読んだ。

全12章で語られる小咄(こばなし)の数々。
それらいろいろな小咄を読むにつけ、
フッ、とか、クスッ、とか、ブバッ、とか
笑えてしまいます。

論理的に分析して、12章に分類してあるわけです。
そんな笑い話の考察の仕方って、
あとがきにもありますが、珍しいものですよね。
そうやって分類されたものを楽しみながら読むことで、
そして各章の最後にある問題に頭をひねらすことで
(ぼくはすらーっと読んでしまったので、二問くらしか解けませんでした)、
自分の笑い話の創作技術の向上も見込めるような感じが
ありましたね。
ほんとに笑い話を得意になるんだと決意する人なら、
本書を研究して愛読することで、センスは磨かれるかもしれない。

しかし、よくこれだけのお仕事をしてれくたなぁと
著者の米原さんにはグッジョブと言いたいですね。

米原さんは若くして亡くなられてしまって、
本書は存命中に発行された最後の作品にあたるみたいです。

各章、13,4ページくらいで非常に読みやすいですから、
通勤のときに読むにも向いているかもしれないですね。
そういうときにあんまり集中力が発揮されない人でも
読めそうな雰囲気のある本です。

面白かった。


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『うさぎパン』

2014-11-28 00:04:10 | 読書。
読書。
『うさぎパン』 瀧羽麻子
を読んだ。

表題作で第二回ダ・ヴィンチ文学賞大賞の「うさぎパン」と、
書きおろしの「はちみつ」の2編を収録した文庫を読みました。
読み終わると、パンがいとおしく、食べたくなります。
パンは本作の重要なエッセンスで、本筋とはまたちょっと違うんですが、
裏にあるパン万歳!的な風の流れを、読み手の心はしっかりとらえる、
というか、書き手にしっかりとらえられてしまいます。
ちかぢか、パン屋さんでトレーとトングをかまえてみようと思います。

「うさぎパン」はやわらかで、やんわりした物語でした。
幸せを感じられるような作品ですね。
裕福でありながら、家族関係がちょっと複雑なのが
物語をぐにゃりとさせていないところかもしれない。
ヒロインの優子はふつうにちゃんとした子で、
まるいイメージなのがいいです。
つまり、とげとげしたところがないのが、ヒロインにもいえるし、
本作品全体にもいえることで、
そういうものがいいよね、っていう作者の価値観のあらわれでもあると
思うところでした。

つづく「はちみつ」では、序盤からちょっと苦しいヒロインの心理が
描写されますが、やっぱりクライマックスに持ってきたものはそこだね、
っていう、明るいものをみる作者の目だとか価値観が
あらわされているような気がしました。
明るさは作者の願いかもしれないですが、
文章のトーンからして、作者の生活から出てくるもののようにも
読めたのですが、どうなんでしょうね。

比喩はほとんどないけれど、描写に、生活を大事にしているひとの
豊かな感性を感じました。
鋭くがゆえに冷たい感性ってよくあると思いますが、
そうじゃない温かな感性がこの小説にはあります。

ほっとして読める面白さでした。


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その名も、ソースレッド

2014-11-27 13:35:29 | スポーツ
あたらしい玉、いい玉、
上等なたまを手に入れたんです。

おっと、玉っていっても、女の子のことじゃありませんよ、
上玉だ、なんて言い方しますけれどね。

手に入れたのは、8カ月ぶりに再始動したボウリングの玉のことです。
その名も、ソースレッド。

この特性は、お好み焼きにたっぷり塗ってあげるととっても美味しい、
…そう、それはソースオタフク!

じゃなくて、
とんかつに相性抜群なほう
…そう、それはソースとんかつ!ソース中濃!

麻婆豆腐の隠し味に抜群な効力を発揮する、
…そう、それはソースオイスター!

ソースオイスターくらいになると、
そのままボウリングの玉のような名前ですが、
違います、僕の玉はソースレッドです。
おいしそうな名前でちょっと辛口なイメージが湧きます。
が、ボウリングの玉です、繰り返しますが。
そして、エボナイトというメーカーからでているものです。

以前使っていたのが、ロトグリップというメーカーからでている
ダークセオリーという玉だったのですが、
それと比べると、曲がりの軌道が軽くてキレがいいです。
15ポンドの玉を投げているのに、
ソースレッドならば14ポンドくらいの軽い走りをしてくれて、
投げてて面白いんですよ。
ダークセオリーは一年くらい使って、
210点を二回記録したのが最高得点だったのですが、
このソースレッドを使用した二度目の日で、
なんと215点をマークしました。
まだまだ伸びるかもしれない。

一緒にボウリングに行くいとこは、
ジャッカルという大人気の玉を買って、
それはまだポテンシャルを引き出せていないようです。
使い勝手と、パフォーマンスではソースレッドはいいですよー。

あとは、二、三種類、投げ方の方式をぼくはもっていて、
その種類ごとの、ストレート・カーブがあります。
その中でもっともよい投げ方を見出すのが課題かなぁ。
それと、ストライクをどれだけ重ねられるかのレベルまで、
調子のいい時はきているので、
その集中力を磨くことです。
「ゾーン」ってやつに入っている感覚も、
これかな?って感じでありますね。

ボウリングはマイボールを持つと面白いので、
ボウリング好きの人は、マイボールを持つまで踏み込んだら
いいのになぁって思うくらいまで、
僕はボウリングに浸かっていますです。

主戦場は厚別パークボウル。
そして最近は値段の安さにひかれて、
ディノスボウル白石もいきますね。
ラウンドワンはマナーの悪い客層が多くて
敬遠しがちです。
最近は行ってませんが、オリンピアボウルも
面白かったかなぁ。

ただ、ボウリングで一度、腰をいためていますので、
腰が疲れ気味の時は行かないようにしなければ。
腰の回復には何がいいんだろう。
入浴剤なのかなぁ。
もう、うつぶせになって本を読むってのはしなくなりました。
腰に悪いっていうから。
そのぶん、今は安定してますね、腰。

ソースレッドは厚別パークボウルのドリラーの方に
話を聞きながら決めました。
ほんとは、ストームというメーカーのクラックスというボールが
欲しかったんだけれども、もう品切れでした。
結果的にソースレッドで良かった、という。

ボウリングは、マイボールにしてから1年2カ月で休養にはいり、
その8ヶ月後に再開なので、1年3カ月くらいのプレー歴になります。
だけれども、ボウリング欲があれば、
休養中に頭の中でデータや経験が整理されるみたいです。
腕が落ちなかったどころか、アベレージも上がってるんですよねぇ。
脳のすごいところだなと思ったりもして。
また、ボウリングってそういう競技みたいですね。

次は来週に行く予定です。
つねに200点オーバーを目指しています。
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『インターステラー』

2014-11-26 00:38:35 | 映画
クリストファー・ノーラン監督の最新作、
『インターステラー』を観てきました。
面白かった~。

気象がおかしくなった未来の地球。
このままでは人類は滅んでしまう。
そこで移住できる星を探す話。

ロボットがいいわき役でしたよ。
海兵隊仕込みの性格なのがおっかしかった。

3時間近い長い映画ですが、
面白くて、時計も見ずに最後まで集中してました。
相対性理論や宇宙論について知識があれば、
なお面白いのではないかな。
相対性理論については、
にわか知識しかなかった僕でも楽しめましたよ。

しかし、難しい話を野心的に物語ってくれたよなぁ。
『2001年宇宙の旅』の後を継ぐ、
新しいSF映画の金字塔かもしれない。
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『負けを生かす技術』

2014-11-25 15:44:42 | 読書。
読書。
『負けを生かす技術』 為末大
を読んだ。

陸上の400mハードルの世界大会で2度の銅メダルを獲得された
「走る哲学者」こと為末大さんによる、スランプの考え方、
メンタルの整え方、どういう気持ちの姿勢がいいか、
期待との付き合い方、などなどについての
人生に役立つ論考エッセイです。
僕の場合は、ボウリングへの取り組み方にも役立ちそう。
(ボウリングには最近、復帰しました)

同世代だし、言葉遣いがわかりやすいのもあって、
すごく共感を覚えるのが多いです。
そしてその共感以上のものも、
この本から感じられたり教えられたりします。
徹底した現実主義の立場からの言葉ばかりです。
この本を読むと、どれだけ自分は現実に対して
薄ぼんやりしていたんだろうと気付かされるところも
多々ありました。
為末さんが現役時代から考えたり感じたりしていたことを
言語化してくれててウソがなくて考え抜いてある。
それでわかりやすい。

ただ、ちょっと気になる点もあります。
とくに最終章ですが、
勉強を頑張っていい大学にはいるのは、
そうじゃなければ一流の企業に入れないということがあるからだ、
という答えを為末さんは書いていますが、
それはちょっと、彼らしくない枠にハマりすぎの考え方だと思いました。
現実的という観点からいえば、彼らしい現実主義なのですが、
そこはそんなことのために勉強をするのではない、
と多くの人は感じるのではないかな。
人の役に立てるため、助けになれるため、
自分のやりたいことを増やしたり深くしたりするため、
知的好奇心のために勉強するのが本当なのではないか。

それと、ブレないことを人生においてもよしとするところも
少し安直なのではないかと思いました。
たしかに、競争社会、とくにスポーツなどの厳しい競争の世界においては、
それは必要なんだと納得できますが、
ふつうの社会はいつも戦争ではないし、
競争を常に意識していてはぎすぎすしてしまうと思います。
ブレない正義ほどたちの悪いものもないでしょう。
正義同士でぶつかって争うことになりますからね、
争うのならスポーツだけでやってくれと思うでしょう?
そんなわけで、何事に対しても、ブレないことをよしとするのは、
いまの人間の成熟度からしたら無理なのではないかな。
自制心が強い人であれば、ブレない考えなんかがあっても引っ込めて、
譲歩できたりするとは思うのですけど。
でも、心から譲歩するというのはブレですよね。
頭だけで醒めた感じで譲歩するのは、自制だけかもしれない。
前者は詩的だし、後者は散文的です。
違う言いかたをすれば、
前者は共同体的だし、後者は抗争体的です。

と、まぁ、批判ぽい事を書きましたが、本書の分量でいえば
ほんのちょっとのところが気になったというだけで、
良い点が山ほどばかりか、溢れんばかりの本です。
きっと為末さんの頭の中には思索したものがはちきれんばかりに
入っているのでしょう。
僕が「あっ」と感じた一番のところは、自分のストーリーを考えて、
自分の文脈に合うか合わないかで選択していく、というところでした。
自分のストーリーという、客観的に、それも伝記のように自分を
捉えてみるという視点は無かったですね。
そうやって見えてくる自分の姿って、きっとそれまで考えているよりも
ずっと自分らしいものなんだと思います。

警句というか、アフォリズムに溢れています。
そういうところは太字になっていますが、
ほんとうに響く言葉でした。
きっと本書でいっていることを突き詰めると、
「自助」と「利他」にもなるでしょう。
そこを具体的に考えを深めていったのが本書です。
多くの人の役に立つ本だと思います。

著者 : 為末大
朝日新聞出版
発売日 : 2013-04-19

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『投資家が「お金」よりも大切にしていること』

2014-11-23 20:26:01 | 読書。
読書。
『投資家が「お金」よりも大切にしていること』 藤野英人
を読んだ。

非常に客観的に日本人のこと、
とくにお金に対する意識を中心として見ている本だなと思いました。
そうやってあぶりだされた、守銭奴であり、
ケチな日本人の姿を文章中から目の当たりにして、
「そうだそうだ」と膝を打ったり、
「そうなのか」と驚いたり、
「ムムムム」と痛いところを突かれて、
唸るような気持ちになったりしました。
地に足が付いている論説でありながら、
歯切れのいい文章なので、けっこう興奮して
読み進めることになります。
言うまでもなく、面白いです。

真面目な人は本流になれないのが、この国の性格なのかなぁ。
「大人になれよ」的な言い方をして、
どれだけ要領よく責任を回避できるかを考える人たちが、
本流になっているみたいです。
大企業だとかそうらしい、顕著に。
いかにリスクを背負わないか、と。

失敗したらハラキリだっていうような深いイメージがあるから、
リスクを避けてあいまいな感じの、
「失敗は無いけど、大きな成功もない」っていう方向で仕事するのでしょうか。
周囲からの目、客からの目も、「腹を切れ」
っていう目だったりするんじゃないか。
日本人の意識が変わっていくしかないです。

僕が最初に就職した会社では、
僕は幹部候補として入っていて、
幹部だけの会議にも新入社員の身で顔を出してたんだけど、
そこの上司に初めて言われた訓示みたいなのって、
「出る杭になるなよ」だった。
目立つな、やりすぎるな、って最初からくぎをさされた。
日本的ってのはそういうのなんだろう。

おおくの日本の会社には、
社会主義的な平等主義のような側面があって、
それには責任回避の性格がある。
そういうことが本書を読んでいると、
脳裏に浮かびあがってきます。

「言われたことしかできない」
なんて言われ方で批判されてきた若い世代は、
そういう社会の有り様を敏感に感じ取っていて
ある意味やる気を失くした感じになって
そんなスタンスになっているのかもしれなくて。
それって、悟った感じですよね。
彼らはそうやって社会から影響を受けてきたと、
言えないことはないでしょう。
ぜんぶ雑用に感じられるってのがあるかしれない。
それでもって雑用もはかどらないしっていう。

また、「互恵関係」という、
重要なキーワードも登場しました。
____

まわりとの関係で私たちは
生かし生かされているのだと認識することが、
経済を理解する上でもっとも重要なことです
____

と書かれていますが、「経済」ってものは本来、
言葉の意味の上に置いてもそういうものだそうです。
みんなつながっている、っていうとで、
これは、人と人のあったかみやいとおしさに繋がる話ですね、
つまり、モースの『贈与論』的な姿勢をよしとする言説が
またひとつ見つかったということです。
進むべき目標はやっぱりそこなんです。
経済は回るし、生きやすくもなるだろうという、
よいコンセプトだとぼくは考えています。
そして、それは、やっぱりみんなの気の持ちようで実現する。
気持ちですよ、気持ち。
気持ちを感じられるかってところです。

本書には星を5つつけたいところですし、
心意気をすごく感じましたが、
もうちょっと説明が欲しいところがあるように感じられて、
それは僕の読みの足りなさでもなく、
「行間を読め」ってものだとは思うのですが、
少し気になってしまいまして、
星4.9くらいで考えてください。5点満点です。

よく書いてくださいました!
と拍手を送りたくなる本です。


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『砂漠化ってなんだろう』

2014-11-20 12:58:24 | 読書。
読書。
『砂漠化ってなんだろう』 根本正之
を読んだ。

砂漠とそうでないところの、
「際」の部分をみつめるような、砂漠化の本。
おもに植生、つまりそこにどんな植物が根付いているのかを
クローズアップして、砂漠というものを説明してくれている。

2007年の本で、その当時のデータですが、
砂漠化していたり、する寸前だったり、しやすかったりする、
乾燥、半乾燥、乾燥半湿潤地帯には、8億5000万人もの人が
生活しているそうです。
そういう頼りない植生地帯に暮らすことは、そんな多くの人々が、
貧困に直結する環境に置かれてしまっているということだと思います。
本書ではその環境から脱する処方箋を記すばかりではなく、
砂漠化してしまうメカニズムを知ることで、
砂漠化をさせないようにしていこうとする志向性が強いです。

砂漠、砂漠といって、あなたの頭にはどんな景観が浮かびますか。
細かくて黄色い砂、砂、砂の景観でしょうか。
昼は暑くて、夜は寒く、緑の見受けられない土地。
しかし、どこかにオアシスと呼ばれる水たまりと緑の小さな地帯があったりする。
そういうイメージが多いと思います。
ところが、そういう砂砂漠と呼ばれる砂漠は、
全世界の砂漠の1/5に過ぎないそうです。
岩石が多かったり、硬い土地だったりして植生が貧しいという砂漠のほうが
よっぽど多いようなのです。

なぜ砂漠化するか。
自然環境の変化もそうですが、
この本では人工的、人為的な自然環境への負荷によっての砂漠化を
多く取り上げていました。
とくに遊牧民が国の方針で定住化させられて、
家畜のヤギやヒツジによってその土地が丸裸になり、
砂漠化していく過程が紹介されて、
それが悩ましい問題だと書かれていました。
また、土地のかんがいによって、塩害に見舞われて、
使えない土地になり砂漠化するという例もありました。
地下に塩類が濃くたまっているのを、
かんがいによって吸い上げられてしまったりするんだそうです。
なかなか単純なことではないみたいです。

都市砂漠として、東京副都心も取り上げられていて、
「この東京さばく~♪」なんて昔の歌がありましたが、
あれは詩的な表現だけじゃなくて、
学術的に正当な言い方でもあるんだなと知りました。

環境問題で生態系が変わる、絶滅種が増えて多様性が低下する、
などが言われることですが、
そういうことを突き詰めると砂漠化だと思うので、
それを防ぐということは、環境破壊に歯止めをかけることなので、
ちょっと知っておくのもいいんじゃないかなと思っての読書でした。
そんでもって読んでみると、
みんなに読んでもらいたくなるものなんですよねぇ。


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『ためらいの倫理学』

2014-11-16 22:21:15 | 読書。
読書。
『ためらいの倫理学』 内田樹
を読んだ。

十年ちょっと前に発刊された、
内田樹さん初の単著作がこの本でした。
おもに、ご自身のサイトで発表されていた
エッセイや論考などを集めたものだそうで、
内容は単純化されていない難しいままのものではありますが、
語り口が柔らかなので、念入りに読むと
ちゃんと読解できるものが多いと思います。
それでも、僕なんかは「前景化」なんてわからない言葉でしたし、
「プラグマティック」や「パセティック」なんかは、
意味を忘れてしまっていてWEB検索しました。
そういう労をいとわないで、時間をかけて読むことができる人には、
とても質の高いリターンがあるでしょう。

戦争、性、審問の語法、物語、という四部構成ですが、
なにかしら一貫しているようなものがあります。
思想や事象を咀嚼する、その借り物ではない知性が語り手です。
単純化もしません。
たぶん師匠であるフランスの思想家・エマニュエル・レヴィナスの哲学を
頻繁に引用はしますが、それは著者の血となり肉となったもので、
彼なりの深い洞察と混然一体となっていて、
彼とレヴィナスの間に段差のような、階層の差のようなものはほぼ感じられない。
だからこそ、自身の知に対してフェアな人なんだろうなという印象を
読み手は持つことになるのです。
そして、そんな印象を持った著者の本ですから、
それじゃ、その語るところを拝読しようじゃないかという気概にも
繋がるんだと思うところです。

著者によると、知というものは、自分のことをいかに疑えるかという
ところにある、というようなことだそうです。
わからないことや知らないことを隠さず、目をそらさずにいられることが
知性が高いか低いかの条件になるということです。
知識が多かろうが、知恵に富んでいようが、
前掲の条件にそわなければ、知性が高いとはいえない。
それほど、自分の弱いところや愚かなところや邪悪なところを見つめる
ことは大事ですよ、ということなんですね。

ところどころに冗談だとか、言い回しの面白さが出てきます。
そういうところも魅力の一つですが、フロイトの弟子にあたる
ラカンという構造主義の主要人物の人の書くものの
わけのわからなさを、わからないでしょ、と書いてのける素直さと、
その本当にわけのわからないような難しい引用文には苦笑してしまいました。

また、本書のタイトルと同じ題名の「ためらいの倫理学」の章が最後にありますが、
それこそ、この本のまとめ的な、カギとなる章なので、読む人は
そこは飛ばさずにいてほしいですね。
ここで言われる「ためらい」は、僕の考え方にも通じるものがあって、
僕の場合は「ゆらぎ」という言葉で表すことが多いです。
ある種の重要な判断には、ブレないことよりも、ブレブレなほうがいいんじゃないか
っていう考えですが、本書の「ためらい」、これはアルベール・カミュ論から
カミュのものとして飛び出した言葉を元にしていて、
それとほぼ同じだなと思っています。
個人的にカミュは昔『異邦人』を読んだことがありますが、
そのときは、「太陽のまぶしさ」ばかりが印象に残るという、
あまり深い読書ではなかったような気がします。
今でも、そんなものかもしれないですけどね、読解力。

まとめていえば、けっこう難しい本です。
よくわからないなぁ、とフェミニストの章の部分はとくに感じました。
それでも、本書のところどころから得られるものは、
有用であったり、なぐさめであったり、「それでよかったんだ!」っていう
気付きだったりもします。

現代思想のセントバーナードという喩えで、
著者を語る章がありますけれども、
たしかに、本書は、現代思想に遭難した人に、元気になるブランデーを
飲ませてくれるような本かもしれないです。
そうやって、ブランデーだけ飲ませて、
「あとはがんばりな」と去っていきます。

まぁ、それでいいんじゃないでしょうか。


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『新美南吉童話集』

2014-11-12 15:54:10 | 読書。
読書。
『新美南吉童話集』 新美南吉
を読んだ。

小学校の教科書で「ごんぎつね」を読んだのが、
新美南吉作品に触れた、最初で最後の体験だったかなと
思っていたのですけれども、
いつどこで読んだのかわかりませんが、
「手袋を買いに」という、これも狐が主人公の話も覚えていて、
意外に自分の子ども時代の情操ってものに影響は受けているの
かもしれないな、と思いなおすことになりました。

いわゆる童話なんですが、
大人でもふつうに読めてしまうのは、
まずその、著者の感性の清いところにあります。
子ども時分の、まだ大人のように理性の厚い鎧で身が守られていない
瑞々しい、感じやすいこころで感じられる、
こころのうちの変容や、こころの中で生成されるウソじゃない感情は、
童話の中で簡単な言葉で表現されていますが、
ほとんどそういった本当のこころのあり様とブレがないように
感じられました。

そして、次に、作品の根底にある
新美南吉の思想が深かったことにあります。
悲しみといったものをとくによく表現しています、
それも、物悲しいというか、うら寂しいというか、
そういったものまでを含む、幾種類もの悲しみを
いろいろな作品で一つずつ
(二つ以上ある作品もあったかも)扱っている。
人は、孤独を通してそこから自己犠牲と報いを求めない愛の
築設につとめなければならない、というような
南吉の思想があって、そこには確信があったでしょう、
だからこそ、しっかりと子どものこころを導くような、
そして大人の心にも修正を欲する気持ちをおこさせるような
効果があるのだと思います。

南吉は30歳目前にして亡くなってしまった人です。
それでこれだけの作品を残しました。
若くして深い思想を持って、作品を作るという行動にでていたこと、
それは、昔の人の迷いの無さ(情報量の少なさも関係しているとは思いますが)、
密度の濃い生き方が想像されます。
こういう人の作品に触れたりすると、昔の人のほうが、
頭を使う時間が多かったんじゃないかっていつも思うところです。

最後に、ひとつ、彼の作風なんかを忘れ去ってしまっている
このブログ記事を読んでくれた人のこころに風を吹かせるべく、
引用を載せます。

____

或る悲しみは泣くことができます。泣いて消すことができます。
しかし或る悲しみは泣くことができません。
泣いたって、どうしたって消すことはできないのです。

「小さい太郎の悲しみ」より
____

こういう種類の悲しみを、悲しみなんだととらえること、
あるいは見つめることを、現代人はしなくなりがち
だったりしないでしょうか。
こういった感情をうっちゃっておかないことで、
建設的にこころは広がったり深くなったりすると思います。


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『美女と野獣』

2014-11-11 23:30:14 | 映画
フランス映画の『美女と野獣』を観てきました。
ヒロインのレア・セドゥ、綺麗でした。

ちょっとネタバレあります。

この物語の大きな魅力はその寓話性でしょう。
王女との約束を忘れて、黄金の雌鹿の狩りをおこなったがために、
つまり、愛を忘れて自分の享楽で追求したいものを優先したために
王子は野獣と化してしまったわけですね。
言うなれば、愛を忘れて自分のやりたいことをしてしまう人間は、
野獣と同等、あるいは野獣そのものであると、いう寓意なんですね。
それで、その呪いを解くには、その姿であっても愛されることだっていう。
それで人間に戻れるということでした。

それにしても、王女の慈悲深さには膝まずきたいくらいのものがありました。

原作は高校生のころだったか大学生のころだったかに読んでいるんですが、
そのころははっきりとその寓意には気付けませんでしたし、
なにより今となっては筋はまったく覚えていませんでした。
だから余計に、楽しめたのかもしれません。

面白かったです。

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