Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『警視庁科学捜査最前線』

2018-08-14 15:52:48 | 読書。
読書。
『警視庁科学捜査最前線』 今井良
を読んだ。

防犯カメラについてが多かったです。
設置や分析について。
また、パソコン遠隔操作事件など、
ドキュメント形式で事件を追う項がつよく興味をひかれながらの読書になりました。
刑事物、事件物はフィクションでもほぼ読まないのだけれど、
それが読み物になったときの面白味を感じました。

道路の上、空中に設置されたカメラのあるところがあるけれど、
「あれさ、オービスではないけど、犯罪関連の車を見てるカメラなんだって」
っていう噂は聞いていたものの、
Nシステムという、
カーナンバーを識別していたりするものだとははっきり知らなかった。
なんと信号機内臓タイプもあるそうです。

そういった感じで、具体例を引きながら、
科学捜査の現在について教えてくれます。
捜査支援分析センター、略してSSBCについての本ですから、
その組織がどう分かれていて、
部署ごとにどのような仕事を受け持っているかも
事細かに書いてありました。

捜査のためのデータを取りだす端末が一つにまとめられて、
速やかに検証できるようになっただとかがあるように、
ITやコンピューター技術の進展とともに、
捜査能力もアップしていっていて、
今あるような種類の犯罪はもう30年後くらいには、
検挙率が100%近かったりするんじゃないかと想像してしまいます。
難しくなってくるのは、デジタル技術の進展とともに
新たに生まれる種類の犯罪なのでしょう。
そのあたりはイタチごっこになるのか、
警察側が勝つのか、わかりませんけども、
素人にはチンプンカンプンで、
高度な空中戦みたいな駆け引きになりそうに思えました。

最後にですが、
現在の捜査も、
こうやって発達する科学技術に全面に頼る捜査ではまったくなくて、
やっぱり人の行動力や目といったものが大きな決定権を持っているようです。
SSBCによる仕事も、あくまで捜査の支援であり、
主軸となるのは今でもマンパワーなのだなあと知ったのでした。


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『父と娘の法入門』

2018-08-09 00:01:10 | 読書。
読書。
『父と娘の法入門』 大村敦志
を読んだ。

ほんとうに入門書というか、
「法」というものに対しての導入部分での父娘の議論という感じで、
初心者の地固めにはいい感じ。
全編通して、犬などの動物を話題にあげながら考えていく形式です。

これまでモヤモヤしていたところをはっきりさせてくれたのが、
親が子どもに対して暴力をふるうことについてでした。
過度ならば虐待と言われるけれど、
そうでなければ懲戒権としての体罰はありなんだですねえ。
あくまで「親が」であって「先生が」でも「隣の家のおじさんが」でもない。
子どもを叩くのは嫌だけど、
そうでもしないと言うことをきかない場合がありますよね。
こそこそ隠れて陰湿に仕置きではなくていいのです(そっちこそ怖いですが)。

また、最後には、権利についての問いかけ、考察があります。
権利を増やしていくことがより自由を生んでいくという考え方があったりしますが、
本書ではそういうのではなく、
権利というものも言葉の上では「権利」で一緒ですが、
スケールが違う「権利」があることを明らかにしています。
上位概念の「権利」と下位概念の「権利」があり、
たとえば、上位概念は憲法とか大きくて深いところでのルールと関係する「権利」。
下位概念は、町内会の規則だとか、アパートの規則だとかと関係する「権利」。

この記事の前の記事で書いた、
欅坂46の『サイレントマジョリティー』で歌われている自由についてでも、
そういう権利はあるけれど、守らなきゃいけないルールがあるってこととリンクします。

僕は法律にうといというか、勉強したことが無いので、
バリアフリー法も障害者基本法もしらなかったし、
動物愛護法も名前だけしかしりませんでした。
この入門書を契機に、今後、すこし法関係の本にも手を出していこうと思っています。

500年くらい前のイギリス人・ホッブズは、
人間がほんとうに自由な状態でいれば、
それは闘争状態になるのだと言いました。
だからこそ、法律が必要になるってところに繋がります。

人間って、自分に対する善のために行動しますけれども、
それが他人にとっては悪でってことは頻繁にあって、
だからこそ性善説では割り切れないと常々思うところなんです。
そもそも、性善説は生まれたときには善だったという意味だろうし、
オトナになった人には適用できないものでもあるでしょうし、
オトナも善なんだって解釈にするのであれば、
法律なんてこの世には存在しなくてよくなります。

というように、法って大事だなあと。
若い頃はルールなんて無視だ!っていう姿勢に憧れもあったくらいで、
それはそれで、音楽を作ったりというクリエイティブな作業の位相では
意味のあることだったかもしれないですけれど、
他の位相でも混同してしまうとすごく厄介で、
そういうところはいい歳になったら分別をもっていたいところです。

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『サイレントマジョリティー』の受けとめ方。

2018-08-08 14:19:32 | 考えの切れ端
欅坂46のデビュー曲で大ヒット曲の
『サイレントマジョリティー』のサビに、

「君は君らしく生きていく自由があるんだ 大人たちに支配されるな」

とありましたけれど、
たとえば歌っている本人たちも含めて若い子たちがこの歌によって、
「じゃあ私たちにはなんの制約もない自由があるんだ」
と勘違いを招いたりするのかもしれない。
でもね、
自由主義にも法律があるように、自由にもルールがある。

「君らしく生きていい、そういう自由がある」
という言葉には、
転落も自堕落も汚さに染まることも誰も責任はとらない、君の責任になるのだ、
という厳しさが裏側にあることに気付けなくてはいけない。
そして、大人たちにコントロールされるのがいやなら、
自分で自分をコントロールしなきゃだ。

容姿に特に優れているかどうか、
歌やダンスのうまい下手、
キャラがおもしろいかどうか、
いろいろもっとあるけれど、
人気が出る出ないだとか好かれる好かれないだとかでは
不公平なのってどうしてもしょうがないわけだから、
そこを認めないとアイドルってやってられないんじゃないだろうか。

と、まあいろいろ、
ツイッターのTLを眺めていて、
あれれれというのがあったので考えてみたのでした。
あしからず。


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『かもめ・ワーニャ伯父さん』

2018-08-03 20:43:09 | 読書。
読書。
『かもめ・ワーニャ伯父さん』 チェーホフ 神西清 訳
を読んだ。

戯曲です。
チェーホフ四大戯曲のひとつ目と二つ目だそう。

『かもめ』の途中までの段階で、
女優の息子で若くて自分の文士としての才能を認知されたい人物と、
才能を認められる流行作家との対比がまず出てきていて、
前者のむきだしの苦悩と後者の隠された苦悩についてがなるほどなあと思いました。
人物のタイプとして違うのだろうけれど、
打って出たい気鋭の若者とはえてしてそういうもので、
世に出た創作者はそういうものだったりする、
というようなスケッチのように読めた。
さらに、ニーナという若く美しい女優志望の女性の転落があり、
作者は人生の苦味を無慈悲にも盛り込んで、
そこでその魅力的なキャラクターがどう考えるかに賭けているように読めました。

つづく、『ワーニャ伯父さん』。
女性の登場人物、エレーナに、ソーニャに、どちらもすばらしい。
アーストロフ医師に対するソーニャのセリフがまたよかった。
破滅の影の中に足を踏み入れ気付かず苦悩していると、
そっと優しく正しい言葉で道を照らすのです。
博打とか酒とかに手を染めても、
「あなたはだれよりも立派な方です」と言ってくれて、
「どうしてご自分でご自分を台無しになさるの?
いけないわ、いけませんわ、後生です、お願いですわ」なんて返されたら、
たいがいの男は大きな感謝とともに自分を顧みて自らを正そうと発起するんじゃないかな。

心からそういうようなことを言い
アクションをしてくれたりするのって、
まあたとえばチェーホフの『ワーニャ伯父さん』の女性がすばらしいといったって、
時代が時代で、女性の地位が低いなかで形成された最善の姿勢だろうと思うわけで、
みんな一人で生きていく現代ではそういう要素は薄くなるんだろう。

現代は、同じことをするにしてもテクニカルだったりして、
それがほんとうにうまくてもどこか響いてこなかったり興ざめだったりするんです。
ある種の素直さ、それは防御力が低くなって傷を負う危うさを裏返しに持っているものだけれど、
そうやって生きる人からでる奮い立たせる言葉には力がある。

戯曲を例にとっても時代をそのまま汲み取ったことにはならないのだと承知しながら、
それでも、『ワーニャ伯父さん』の時代はまだ人と人とのつながりが強くて、
それがストレスにもなるだろうけど、素晴らしい面もあったよなあと思いをはせる。

なんだか、女性の自立、インディペンデントな女性の生き方、だとか昔から言われてきて、
その性格がどんどん強くなっているのかもしれないけれど、
もしかすると、頼り・頼られするような性質は、
ある程度男女間では持っていた方が生きやすいし、
もっとうまく生きれるのかもしれない、なんて思いました。

そして最後に解説を読むと、ぐっと深読みした気分になります。
忍耐というのがカギであるといいます。
苦しい人生、境遇、運命、それらに対しての忍耐に希望があるような感覚。
この本書の二作に関しては、希望まで昇華されていませんが、
「なにか深くまではわからないけれど、どうやらこれが突破口だ」
とチェーホフが言っているかのようなラストになっている。

実際、人間、ガマンして生き抜いていくものですよね。
ずっと楽をして生きていく人はいるかもしれないけれど、
それだと、人間としての深みにかけたまま歳をとって死んでいく。
人生の醍醐味って、辛さや苦しみとも関連があって、
そこに忍耐やガマンが処方箋になってたりする。

でも、ストレスにさらされてガマンし続けると、
僕なんかそうですけど、心臓が悪くなったりしますからね、そこは限度があります。
息抜きの時間をとり、そして我慢や忍耐をしすぎないこと。
過ぎたるは及ばざるがごとしですから。

この作品は100年以上前のものですが、
『ワーニャ伯父さん』に登場するセリフに、
苦しんで開拓をして、その後、
こなれた土地で暮らすようになる後世の人たちは自分たちに感謝してくれるだろうか?
いいや、そんな開拓者のことなんて、ゆめにも思わないだろう、
というようなのがあります。
かなり意訳ですけど、そのようなニュアンスのセリフがあります。
そうなんだよなあって思いますよね。
僕も北海道の開拓された土地に住んでいますけれども、
開拓者である屯田兵たちに感謝したことってたぶんないです。
開拓者たちは、未来の孫や玄孫たちが
自分たちに感謝して生きていくことを夢想したかもしれない。
でも、薄情というか、そうじゃないものなんですよね。
だからといって、未来の子孫たちへ国の借金だとか環境汚染だとかの
負の遺産を背負わせていくのもどうかとは思います。

こういう、100年とか、あるいはもっと長いタイムスケールで、
その時々を生きている人たちに対して、血の通ったイメージで考えてみることは
実はけっこう大事なんじゃないでしょうか。

古典を読むと、そんな本筋とは関係の無いことも考えてしまいます。


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『黄色いマンション 黒い猫』

2018-07-31 14:46:01 | 読書。
読書。
『黄色いマンション 黒い猫』 小泉今日子
を読んだ。

アイドルとして一世を風靡し、
その後もずっと活躍されている小泉今日子さんのエッセイ。
こういうエッセイは、
人生が濃くて、そしてその濃さになんとか負けなかったから書けるんだと思いますよ。
面白くてしょうがないくらいです。
人生の苦味、雑味、辛味、甘味。
いろいろな人生の味わいのどれかに目をつむることなく、
正面から受けきって生きてきたからこその言葉たちがここにはありました。

チャラチャラした世界として見える芸能界の中心にいて、
自分を見失わずにいることって、難しいことだと思うのですが、
自分の言葉を失くさず、
思いや考えや過ぎ去っていく出来事を言葉として表出させることを諦めず、怠けず、
自らぐいぐい向かっていく人だからこそ書ける文章だと思いました。

著者の人生にとって重要な土地、それが原宿。
本書でもたびたび、原宿で遊んでいたり住んでいたりした頃の思い出が語られていました。
まるで原宿に憧れたまま愛するというか、そんな眼差しを感じる。

僕は子どものころ、テレビでキョンキョンが歌っているのを見ながら、
いい気持ちになっておどけながら一緒に歌ったりしていました。
親戚が集まる祖母の家で、
おじさんといっしょに「なんてたってアイドル」を歌ったりもして。
元気でキュートで弾けてましたからね、好きになる。

著者はNHK朝ドラの『あまちゃん』でヒロインの母親・春子役をやっていました。
『あまちゃん』はすごくおもしろかったですよねえ。
朝ドラって、はじめてちゃんとみたのがこれでした。
春子が娘のアキ(能年玲奈)を守るためカッとなって啖呵を切ったりするところが、
まるで若い頃にスケバンでもやっていたかのような堂に入った態だったんですけども、
若い頃はアイドルでしたしね、どこでそんなのをと思いましたが、
彼女が中学生の頃の時代が時代だし、
このエッセイを読むと、
なんとなくその頃の周囲の雰囲気が
彼女の体にも沁みているんだろうなあと慮られるのでした。

と、ちょっと逸れましたが、
とても好い読書時間を提供してくれるエッセイでしたよ。
発刊されてから二年くらいたってますが、
実は初版の段階で購入していて、ずっと積読だったんです。
そういう本、部屋には山のようです。宝の山。


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