Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『自分で調べる技術』

2019-03-19 23:57:17 | 読書。
読書。
『自分で調べる技術』 宮内泰介
を読んだ。

サブタイトルに、
「市民のための調査入門」とあります。

自分たちで自分たちの社会を作っていくことが、
いつからできなくなっているだろうか、
との著者の問いからはじまります。

社会は複雑になり、
決めなければいけない事が一人ひとりではカバーできないくらい
多岐にわたるようになり、
それにともなって、
それぞれの分野にくわしい専門家というポストがつくられ、
彼らが決定を下すシステムになってきた。
ゆえに、現代において社会を作っているのは、
見ようによっては断絶された一人ひとりの専門家の決定である。
それを、少しでも市民の手に取り戻したどうだろう、と
著者は言うんですね。
自分で自分の社会をつくる、
そういった自律性を取り戻すことって、
実は大事なんじゃないかということです。
僕個人の考えとしても、
生活から他律性をできるだけ除くことで、
幸福感は増すものだとしているので、
著者のこちらの考えにも納得はいくところはあります。

本書の入門書としての性質は、
小学六年生くらいから参考にできそうな水準だと思います。
第二章の文献などにあたることについての解説などは、
本当に分かりやすく、そして簡単でした。
しかしながら、本書はちょっと古いので(2004年刊)、
インターネットやパソコンのソフトを使うところでは、
もはや時代遅れになっている部分はあると思います、
スマホなんて文字すら出てきませんし。
それでも、調査するノウハウとしての基本姿勢として
踏まえておける基礎であることはたしかでした。

そうなんですよね、
本書は、基本中の基本を扱う種類の入門書で、
ぜんぜん難しくありません。
ときに練習問題が出てきて、
それを愚直におこなうと面倒ではあるでしょうけど(僕はやらなかった)、
すんなり読めるし、
第三章のフィールドワークのあたりからは、
ぐっと本筋に入ったような気がして面白かったです。
フィールドワークまでいくかいかないかが、
調査しているかしていないかの分かれ目と言えるくらいのところだと思います。
そこのところを解説してくれるのは、
非常にありがたくもあり、
でも実際に、個人としてなにか調べたいと思ってフィールドワークをするのは、
変わった人だと思われそうで腰が重くなります。
僕は小説を書くので、
そのために調べものをする必要って今後もでてきますけど、
なかなかフィールドワークまでは……となってしまう。
そこが勝負の分かれ目なのかなと思ったりもしました。

文献調査をして、フィールドワークをして、まとめて。
そういったサイクルを延々と続けていくうちに、
調査目的のものが、だんだんくっきりしてくるそうです。
一連のそういった連環作業が、
調査目的のひとつの答えを磨きあげます。

また、そういった調査行動と、それらを概念かする思考も、
往ったり来たりを繰り返すものなんです、と説かれていました。
その往復運動も際限がないようなもので、
まるで人生だなあと思うのでした。

あとは、一次情報と二次情報の解説で、
情報というものについてもやっとしていた部分がはっきりしました。
一次情報は、その情報の近いところのものであり、
たとえばお店の経営についてならば、帳簿そのものが一次情報だし、
その帳簿を管理している店主からの話も
一次情報にかなり近いところにあると考えられます。
いっぽうで、二次情報は、その店主から他店の経営についての情報だったり、
噂だったり、ほんとうのところから遠い情報のことを言う。
それらが、インタビューのなかでは混然としているのだけれども、
しっかり仕分けして情報の正確さを見極めるのが大事なんですね。
さらにいえば、インタビューのなかでも、
誘導的な質問をして無理やりしゃべらせた情報の精度はどうだろう、だとか、
こちらの予備知識の無さのために、
浅い情報しか引き出せなかっただとかもあって、
なかなか深いよなあと思うところでした。

こちらがちょっとでもその情報の知識を知っていてそれを話し手に問いかけると、
話し手も話し手で、「おぉ、このひとはちょっと知ってるな」と思って、
話に熱がはいりがちなのが人情。
そうやって知り得た情報がよい質の高い情報のことも珍しくないようです。

市民調査の団体の、
その調査が真っ当で有益であるならば、
たとえばトヨタ財団や日本財団など、それぞれの調査内容にかなえば
助成も得られるようなんですよね。
本気で取り組むなら、そこまで視野に入れてもいいですよねえ。


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『細野晴臣 とまっていた時計がまたうごきはじめた』

2019-03-17 20:05:13 | 読書。
読書。
『細野晴臣 とまっていた時計がまたうごきはじめた』 細野晴臣 聞き手:鈴木惣一朗
を読んだ。

はっぴいえんどやYMOのメンバーだった
ミュージシャン細野晴臣さんと、
同じくミュージシャンの鈴木惣一郎さんとの対談集です。

東日本の震災後である2012年の夏から、
はっぴいえんどのメンバーで、
数多くの名曲を残した御大・大瀧詠一さんのご逝去の年、
2014年の夏までの期間に行われた9度の対話を収録。
その肩の凝らない雑談トークでは、
ユーモアのある冗談やお笑い話から音楽論までいろいろテーマが変わりつつ、
でも、震災後の放射能に関する不安がずっと
うっすらつきまとっている感覚があります。
それでも、人生は絶望するより楽しむものだ、とのモットーがあるようで、
本書で交わされるオフビートのトークは楽しいです。

細野さんは揚げ物が好きだという話では、
食べるとうれしくてうめき声がでるといいます。
それも、高い声の裏声で。
よっぽどお好きなんでしょう。

また、はっぴいえんどのメンバーみんなでうどん屋へいって、
やくざに絡まれた話。
シェケナベイベといえばの内田裕也さんとの関係など、
興味が惹かれ、その興味を満足させてくれる話が、
ゆったりまったりと語られる感じなんです。

本職の音楽の話になると、深い話というか、
当たり前ですが、素人の僕にしてみればまったくしらないような
洋楽の名前がたくさん飛びだしますし、
その説明の言葉がまたいいです。
細野さんのアルバムを聴いても、
けっこうこれがマニアックな種類のものだと思うんですよ。
YMOやはっぴいえんどは聴きやすいですが。
その土壌の豊かさの片りんを、
本書の雑談対話からも感じることができると思います。

YMOやはっぴいえんどをかじったことのある音楽ファンなら、
読んでみて損はないでしょう。
なにより、おもしろいです。

本書は三部作の二作目にあたり、
予定通りならば、三作目が今年に発刊になるようです。
楽しみですね。

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『ジョッキー』

2019-03-14 01:03:17 | 読書。
読書。
『ジョッキー』 松樹剛史
を読んだ。

2002年に刊行された、
第十四回小説すばる新人賞受賞作。
競馬モノです。

主人公・中島八弥はあまり騎乗依頼のないフリーの騎手。
そんな彼を中心とした競馬世界の日常にみることができるのが、
その勝負の世界であるがゆえの様々な人間模様と馬模様。
いつも金銭面で苦悩する八弥がはたしてどう生き抜いていくか。
読了して、この小説世界にでてきたキャラ達と別れるのが
名残惜しく感じられる、おもしろいエンタメ作品でした。

小説を書くのには、出だしが難しいと言われます。
新人賞ですし、そのあたり、少々難があるように感じました。
さらに、しばらくは「読みがたい…」と感じるところも続く。
(そのあたりは自分の書くものとの比較です。
自分のまずい文章と似ているところがあって、
それは直した方がよいように思うものです)
でも、読んでいくうちにずんずん文章がこなれていきますし、
巧みな部分もうまく活きてくるようになり、
存分に物語世界に没入できるようになりました。
もっと言えば、競馬の世界への知見が、
これを書いた当時23、4歳の若者にしては、
尋常じゃないくらいの広さと深みがあり、
そういったものに支えられて、
執筆が弾んでいるように感じられもしますし、
なかなか他人が真似しようと思ってもできない
その調査力、取材力が察せられます。
新人賞を勝ちえたのは、それらの勝利ですね。

知見に支えられたイマジネーションの深さによって、
読者をぐいぐい引き入れていく文章にどんどんなっていきます。
ただ、いくぶん、女性のキャラクターの造形が薄っぺらい。
主人公の後輩騎手なんて、面白みがあり、
でも、憎たらしいところもありながら、
それでも愛すべきキャラクターに仕立ててあるという旨さがありますが、
女性キャラは単調でうわべ的です。
終盤にかけて、若干厚みがでてきますが、
それでも、造形はもうちょっと足りないと思う。

ま、そういった部分があるにせよ、
騎手のテクニックについての描写など、
ふつうは書けないところにも踏み込んでいるし、
どんどん盛り上がっても行きますし、
エンタメとしてよかったなあという感想です。

競馬小説を読むのは、
もしかすると若い頃に読んだ、
宮本輝さんの『優駿』以来。
あの小説はあの小説ですごくおもしろいのですが、
この『ジョッキー』も良さのあるおもしろい小説でした。


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痛みへと続く笑い。

2019-03-12 23:25:11 | 考えの切れ端
ツイッターのTLに、
バラエティ番組でよく行われているのは、
「いじる・いじられる」などの考え方で笑いをとる、
人の尊厳を無視したやりかたで、
その影響を受けて現実世界でも、
「いじる・いじられる」が行われているというような
一連のツイートがありました。
僕は一時期、ほとんどテレビを見なかったですが、
徐々に目当てのアイドルなんかを見るために
バラエティ番組を見始めたら、
違和感と苦痛を感じたのを覚えています。
それはきっと、このためなんです。

だから、好きなアイドルさんのバラエティ馴れに、
淋しい思いをするのってあるんですよ。
それは、素人っぽさがなくなったからっていう理由とは
ちょっと違うのです。
バラエティのあり方は、
「精神的なじゃれあい」としては一方的だし、
人としての大事なところから離れていく「プレー」
という感じがするからなんです。
(芸人さんたちなんか、もっときびしい、
胃が痛くなるいじりをされてますよね)

バラエティ慣れに淋しい思いをするその理由としては、
その人が持っていた
「人としての弱くて繊細だけど美しい部分」
がなくなっていくからっていうのがひとつの理由になるか。
仕事をうまくこなしたい、
もっとうまくなりたい、
売れたい、
と思ってした選択に伴う代償だ。

「代償の伴わない選択はない」
とリンダ・グラットンも書いてたもんね。
この場合の選択っていうのは、
ごはんにしようかパンにしようかみたいなものとは違うと思いますけども。

また、どうしてああいう「いじる・いじられる」の
バラエティ番組が生まれるかというと、
まず先行して学級だとか会社だとかに
意識していない状態で存在した関係のありかたがあったかもしれない、
それが、今日まで幅を利かせていないにしても。
そのことへの恐怖心・不安の裏返しとして今日市民権をもたらしたのだと思う。

不毛な予防接種みたいなものかな?
いまや、そういう「いじる・いじられる」が
ごくふつうのものとして社会に蔓延しています。
まさに社会儀礼のひとつであるかのように。
いじるか、いじられるかしない人って天然記念物だね、
みたいな目で見る人もいます。

こういうのも「社会性」としてみる向きがありますから、
そこを感じとって、
「社会ってなんなんだ!?」って
疑問や怒りや憤りをもつ若い人が一定数でてくるもんです。

そして、いつしか、そんな社会で生きるために、
仮面を被ったりするんですよ。
仮面と分かる人は分かるもので、
分かる人同士では仮面を脱いで話をしたり、という。
そういうのが老獪さに結びついて、
人によっては、姿を見せないレジスタンスみたいになる場合もあるでしょうね。

さて、あなたは、
いじる派? いじられる派? そんなものゴメンだ!派? のどれですか?
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『世界の廃墟』

2019-03-11 20:20:23 | 読書。
読書。
『世界の廃墟』 佐藤健寿
を読んだ。

世界に存在するその界隈では有名な廃墟のなかから
26の廃墟の写真を紹介文でおくる写真集。

序文のタイトルに、
廃墟とは、
「忘却された過去と、廃棄された未来の狭間」とあり、
うまいことを言うもんだなあ、と大きく肯いたのでした。

僕の住んでいる街も、廃墟ファンの人たちが、
その廃れた街並みを楽しみにして訪れたりするんですよ。
ネットにも、「こんなに廃墟になってるよ!」
っていう写真がアップされているページがあります。
そういうのを見ると、
どうも、馬鹿にされているような気がしてくるんですよ。
廃墟になるような失敗をした街だ、
と嘲笑されているような気がしてくるし、
僕のイメージだと、
廃墟ファンって、
とにかく廃墟を通して人間を嘲笑したいんじゃないか、
っていうのがあります。
だから、僕にはそのケはないぞ、と。
でも、小説のイメージやネタとして発火材料になるかもしれないから、
読んでみようかな、という動機で買ったんですが。

それで、本書を眺めてみる。
「忘却された過去と、廃棄された未来の狭間」
なんて形容をするくらいのことはあって、
その写真たちから、廃墟を眺めることでの、
馬鹿にする感じがないのです。
廃墟に対する自分たちの優位の感覚を持とうする気配がない。
これこそ、ほんとうの廃墟ファンの視座だ。

軍艦島とあだ名される、端島であっても、
ヒトラーが一平卒のころに療養した有名なサナトリウムであっても、
地下で石炭が燃えているせいで有毒ガスなどが生じ廃墟になった街であっても、
写真の捉え方が、それらへ、
深い思索対象としての興味を持ってこそのものとなっている。
(ちなみに、僕の街でも、
石炭が何十年前から鎮火せずに煙を漂わせている土地があります)

というように、
先入観としてあった、廃墟に対する、
浅薄な人間が好むものだといったイメージが、
本書によって、
深い洞察と思索が試される現場なのだ、
というものへと刷新されることでしょう。

そして、そう捉えることができてこそ、
創作のインスパイアになる可能性がでてきます。
なかなかおもしろかったです。

しかし、あの、
今日は東日本大震災から8年の3月11日でした。
そんな日には、ふさわしくない本のイメージをもたらすかな、
と読み終えて、感想を書き終えて思うところでもあるんですが、
さきほども書いたように、
深い洞察と思索の必要性を読み手に知らせるような本でしたので、
悲劇を考える上でまずいことはないと思い、
本日のうちに更新することにしましたので、
悪く思わないでくださいまし。


著者 :
飛鳥新社
発売日 : 2015-01-31
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