Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『どんぐり姉妹』

2014-05-30 00:44:50 | 読書。
読書。
『どんぐり姉妹』 よしもとばなな
を読んだ。

小さい頃に両親を失ったどん子とぐり子が、
WEBに、メールの返事をする、他愛のないやりとりがテーマのサイトを作るお話。

わりとふんわりとしていて、
もちろん、ばななさんらしい切なさも混じっている小説。

日々、生活する中で、そのスピード感に合わせて、
擦り減っていったり、破壊されていったり、異次元に葬られたりする、
でも、実は大事な他愛のない会話やこころごとに支えられている、こころの部分。
それって生きていくうえでの、その人の豊かさに関係している。

気の利いた冗談やウィットに富んだ話ができるわけじゃなくても、
その人の心の中に息づくいろいろなきらきらしていたりどろどろしていたりする記憶が、
その人自身の厚みを作りだしていて、それが豊かさだったりする。

何も書かないでテレビにもでないで、まったく世に出なかった人が、
その内面にいろいろ宿したまま旅立っていくことだって、美しいじゃないかと
著者は本書の中で言っています。
美しさ、豊かさのそういう捉え方って僕は好きですし、
本書を読んだがために本書から言葉を得て「僕もそう思ってた!」と言えるのですが、
とても共感できるところが多かったです。
集合無意識なのでしょうか、そういうものを描写するところもありましたが、
それってきっとユングと考えを一にするイメージがあるからなのかもしれないです。
よしもとさんは河合隼雄さんとも対談されてましたし。

心が、生活に触れている感覚器であるところが、
じゅわーっと充電できるような作品です。

わりとふんわりとしていて、もちろん、ばななさんらしい切なさも混じっている小説。日々、生活する中で、そのスピード感に合わせて、擦り減っていったり、破壊されていったり、異次元に葬られたりする、でも、実は大事な他愛のない会話やこころごとに支えられている、こころの部分。それって生きていくうえでの、その人の豊かさに関係している。気の利いた冗談やウィットに富んだ話ができるわけじゃなくても、その人の心の中に息づくいろいろなきらきらしていたりどろどろしていたりする記憶が、その人自身の厚みを作りだしていて、それが豊かさだったりする。心が、生活に触れている感覚器であるところが、じゅわーっと充電できるような作品です。



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『知の逆転』

2014-05-27 22:39:48 | 読書。
読書。
『知の逆転』 ジェームズ・ワトソンほか 吉成真由美:インタビュー・編
を読んだ。

高齢な方が多いですが、
その分野で一流の成果を上げた名だたる歴史的人物たちのインタビュー集です。

その方たちとは、
著書がベストセラーにもなった文化人類学者ジャレド・ダイアモンド、
アメリカにいながらアメリカを強く批判することでも有名な言語学者ノーム・チョムスキー、
『レナードの朝』の原作者であり作家兼神経医オリバー・サックス、
AIを専門とするコンピュータ科学者マービン・ミンスキー、
MITの数学教授でありながらインターネットの裏側でハッカーなどと戦いながら、
トラフィックなどを整備してきた知る人ぞ知る大IT会社アカマイ社を作ったトム・レイトン、
フランシス・クリックとともに若き日にDNAのらせん構造を解明した生物学者ジェームズ・ワトソン
の6名です。

共通して「教育」や「推薦図書」についての訊いていますが、
そのインタビュイーに合わせた質問を多数していて、彼らの専門の世界が垣間見られます。
とくに、トム・レイトンさんのいるインターネットの裏側の話は、
まるで詳細に聞いたことが無かったので、とても興味深かったです。
数学にとことん強くて才能もあれば、アカマイ社に入ってネットの裏側で頑張りたかったかもしれない。

また、同じような質問に対しても、答えが人によって違ったりもして、
各々が自分なりの答えを持っているわけで、
正解が世界に転がっているわけでもないのだよな、
ということを改めて感じさせられました。

チョムスキーさんの章では、アメリカがやってきた、
権力を維持するための支配的で利己的な行動についての言及があって、
そういうのを歯に衣着せぬ言いようで言い放つ彼の正義感と勇気には、
それによって逆に、そんなことは露知らない、
あるいは知っていても、臆病さゆえにそれを隠す現代人は
牙の抜けた虎のようになってしまっていることを
感じさせられました。

ほんとねぇ、毒づいてしまうけれども、
個人の知的探究心や好奇心が弱まり、エンタテイメントの享受などにばかり走って、
肉体的には肥満でっていう国民が増えているアメリカや日本を
俯瞰的に眺めてみるとどうですか。
家畜だって思えてしまうきらいはないでしょうか。
僕もとりあえずは肥満を解消したいところだなぁ…。

また、あとがきで教えられましたが、
気配り上手さんがなぜ気配りにがんじがらめなのか。
それは、多くの人が個人の違いを認め合っていないのを知っているから、
ということなんですよね。
はっとしました。

チョムスキーさんの章では、アメリカがやってきた、権力を維持するための支配的で利己的な行動についての言及があって、そういうのを歯に衣着せぬ言いようで言い放つ彼の正義感と勇気には、それによって逆に、そんなことは露知らない、あるいは知っていても、臆病さゆえにそれを隠す現代人は牙の抜けた虎のようになってしまっていることを感じさせられました。著書がベストセラーにもなった文化人類学者ジャレド・ダイアモンド、アメリカにいながらアメリカを強く批判することでも有名な言語学者ノーム・チョムスキー、『レナードの朝』の原作者であり作家兼神経医オリバー・サックス、AIを専門とするコンピュータ科学者マービン・ミンスキー、MITの数学教授でありながらインターネットの裏側でハッカーなどと戦いながら、トラフィックなどを整備してきた知る人ぞ知る大IT会社アカマイ社を作ったトム・レイトン、フランシス・クリックとともに若き日にDNAのらせん構造を解明した生物学者ジェームズ・ワトソンの6名のインタビュー集。

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『その未来はどうなの?』

2014-05-23 09:37:50 | 読書。
読書。
『その未来はどうなの?』 橋本治
を読んだ。

「20世紀は理論の時代だったが、それはもう終わってしまった。」
つまりは、いまや世の中のことは、体系立てて整然と解き明かして
説明できるものではなくなったということです。
そして、そのわからない状態に加えて、
どうわからないのかもわからないくらいややこしさを増している。
そんな世界になって、それをどうでもいいとするか、
それとも少しはわかりたいとするか。
本書の態度は後者で、その未来はどうなんだ?という形式にあてはめて
論じていくものとなっています。

著者の橋本治さんはこの本を書き始める前からご病気になり、
どうにも集中力の続かない「頭の停止した」状態からこれ以上回復しないのではないか、
と医者に言われるような、その水準での安定をしている体調だったようです。
なので、知の武装はいたって平準。
とはいえ、読んでいると、その剣豪っぷりがうかがえました。
この喩えをまとめていってみるとわかりやすいと思うので続けますが、
普通の頭のいい人は、剣の腕もさることながら、
装備している防具や武器もたいそうなものなので、それらの能力にまかせたり、
武器防具自慢をしてしまうところってあります。
しかし、橋本さんの場合、病気のために防具も武器も、
軽いものしか身につけられなくなっており、さらに弱っていると見受けられる、
ご自身の剣術しか頼るものがないような状態なんです。
それなのに、最後の章になっていくにつれて、
その快刀乱麻ぶりが発揮されていくように感じられる。
借り物ではない、ご自身で生み出して育んだ、自分でしかない言葉を使って、
身体からにじみだすような思考と論理を駆使して、
わかるところは解き明かし、わからないところはぼんやりとしたまま無理はしない。

僕はまぁ、人並だと思っていますが、
それでも橋本さんのそういうところには憧れ以前に共感をしてしまいます。
僕は、暗記とかそういうのはもうやめて、自分の頭で論理的に解釈したり創造したり
していく方向で行こうと、高校生くらいの時に決めたふしがあって、
それはまぁ極端なんですが、そうやって鍛えられた部分ってあるんですよね。
それで退化したのが記憶力じゃないかと言われれば、そうでございます、と
弱気に答えるしかないんですが、橋本さんの場合はもともと
そのどちらも達者な人なんだろうな、という気がしました。
この方の本を読むのは二冊目でしたが、もっと読みたいな、
エッセイだけじゃなくて小説も気になるな、と思いました。

本書は2012年に発行されたものですが、
TPPについてや民主主義、歴史解釈についてなどの硬派なものが最後のほうに控えていて、
序盤は、テレビについて、ドラマについて、シャッター商店街について、
各々の未来についての考え、いや、現状を確かめる度合いが強いのですが、
そういう内容になっています。

うわべだけとか、表面しかみないでこれはこうだと決めがちなのが人というもの。
著者はちゃんと横からも後ろからも裏からも見る習慣がついている人だという印象です。
それだから、読んでいてハッとさせられたり、頭をくすぐられたりするんですよね。

すごい武器になるような本ではないかもしれないですが、
思考の経路を体感的に学ぶようなものとしてはとても好い読み物だと思います。

私ごととしては、テレビの項とシャッター商店街の項を参考にすると、
うちの従兄を痛烈に批判できそうな感じでした。
テレビ大好きゆえ、そして都市というものを解釈できていないためなのだなぁとわかりました、
服装に気をつけないところだとか。すごくオシャレせい、と言うんじゃないですが、
そこそこ服装に気を使え、と思う人っているじゃないですか。
それでしたね。僕が言うなってところもありますけども。

著者の橋本治さんはこの本を書き始める前からご病気になり、どうにも集中力の続かない「頭の停止した」状態からこれ以上回復しないのではないか、と医者に言われるような、その水準での安定をしている体調だったようです。なので、知の武装はいたって平準。とはいえ、読んでいると、その剣豪っぷりがうかがえました。この喩えをまとめていってみるとわかりやすいと思うので続けますが、普通の頭のいい人は、剣の腕もさることながら、装備している防具や武器もたいそうなものなので、それらの能力にまかせたり、武器防具自慢をしてしまうところってあります。しかし、橋本さんの場合、病気のために防具も武器も、軽いものしか身につけられなくなっており、さらに弱っていると見受けられる、ご自身の剣術しか頼るものがないような状態なんです。それなのに、最後の章になっていくにつれて、その快刀乱麻ぶりが発揮されていくように感じられる。借り物ではない、ご自身で生み出して育んだ、自分でしかない言葉を使って、身体からにじみだすような思考と論理を駆使して、わかるところは解き明かし、わからないところはぼんやりとしたまま無理はしない。
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『福島第一原発観光地化計画』

2014-05-21 00:43:56 | 読書。
読書。
『福島第一原発観光地化計画』 東浩紀:編
を読んだ。

震災によって事故をこうむった福島第一原発を、
ダークツーリズムの観念を中心として観光地化してしまおうという、
思想家で小説家でもある東浩紀さんらによる、
プレゼンテーション的性格の本です。

本当に実現できるのだろうか、という問いはまず置いておきながら、
現実味の濃いものも薄いものも一緒くたにとにかく計画し、
そして夢想でもあるような本計画を現実というものへと橋渡しをして、
一応のカタチをともなわせてお披露目したのが本書だと言えそう。

うじうじしていても仕方ない。
きっとそういう思いからはっきりしない復興計画を打破するように、
たぶん荒唐無稽から始まったかもしれなくても、
それを練って荒唐無稽じゃないじゃないかと思わせられるものまで
昇華されている計画です。

この本のとおりに実現できるのかはわからないですが、
僕も福島を観光地化することには賛成で、さらに、
原発周辺地区の一部を再開発してこのような施設、
それは博物館でありモニュメントでありホテルでありショッピングモールであり、
そういったものにするのには、いろいろな批判がありそうですが、
それでも、理にかなっている、と僕は思います。

ボランティア、寄付、NPO、税金、そういった「きれい」なお金や人々だけで、
力強く復興をするのには無理があると思っています。
独立採算できるくらいの強いコンテンツを福島第一原発事故というものから
抽出あるいは融合させて、「どうだ!」というくらいの気持ちで提示していくことは
すごく大事なことのように感じられます。

観光地化するにあたって、そのベースとなる理念については、
駒崎弘樹さんの提言に強く共感を持ちました。
それは、かいつまむと、戦後の平和教育のように
しっかりとその経験や悲劇を共有していこうとする態度です。
それによって、もう二度とこんな悲劇を経験してはならないという
共通認識が生まれるはず。
そして、それには、原発依存から抜けだしたいという
思考や心理が芽生えるのではないだろうか。
そういうのって、「まとも」なのではないかな。

また、ダークツーリズムという言葉は、
東浩紀さんのツイッターや本書ではじめて知りました。
災害や戦争や事故に見舞われた場所を観光する行為だそうで、
日本では昔から、広島や長崎を修学旅行で訪れるなど、
言葉以前に定着している向きがある、というようなことも書かれていました。
欧米では一昔前くらいから言葉と行動が一致して、すなわち、
自分の行為がダークツーリズムだと自認しながら行われているということだそうで、
そのあたり、これから来訪してくる外国人とのコミュニケーションなどにおいても、
ダークツーリズムという言葉を知っておくことは有益だろうということです。
初めてこの言葉を聞くと、「ダーク」なんていうから、邪な感じもするし、
面白がって廃墟を覗いて肝試しをする若い連中と似たように感じられるかもしれませんが、
ちゃんとした公式の言葉だと知ると、そういう懸念も吹き飛ぶだろうし、
言葉自体にも慣れてきます。

プレゼン的性格の本なので、ちょっと読み物として面白い、仕事の資料みたいな感じもします。
しかし、遠くから眺めるように読み始めたとしても、中盤に差しかかるころには、
計画に巻き込まれるような感覚を持つくらい、読ませる力も持っています。

福島の今後だけじゃなくて、きっとこれは日本の今後のことになるので、
本書を読んでおくのは好ましいかもしれないです。

この本のとおりに実現できるのかはわからないですが、僕も福島を観光地化することには賛成で、さらに、原発周辺地区の一部を再開発してこのような施設、それは博物館でありモニュメントでありホテルでありショッピングモールであり、そういったものにするのには、いろいろな批判がありそうですが、それでも、理にかなっている、と僕は思います。ボランティア、寄付、NPO、税金、そういった「きれい」なお金や人々だけで、力強く復興をするのには無理があると思っています。独立採算できるくらいの強いコンテンツを福島第一原発事故というものから抽出あるいは融合させて、「どうだ!」というくらいの気持ちで提示していくことはすごく大事なことのように感じられます。
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被曝で鼻血描写の『美味しんぼ』の話題

2014-05-18 21:40:40 | days
もともと『美味しんぼ』は好きです。
さいきん根も葉もない被曝による鼻血描写があったようで問題になっていますが、
美味しんぼって、社会派の硬派なセリフもあれば、こういう大雑把過ぎる、
いわばそこを作者は漫画的と捉えているような構成も特徴でしょう。
まぁ、DANG DANG 気になってきた話題。

美味しんぼは昨今、価値が認められて、どんどん話数を重ねるごとに硬派になっていった。
でも、もともとのB級テーストは失われていなくて、それは作者の手癖のように
今回「被曝による鼻血」描写として、いたずらっ子のように顔を出したように見えた。

作者も自分はA級なのかB級なのか決まっていなくて、
社会的にもA級にみられたいのかB級にみられたいのか、
はっきりしてなくて、それがこういう形で今回センシティブなところに触れたと見ています。

また、『美味しんぼ』はセンシティブなところをセンシティブに捉える、
それもマイノリティの食の問題などではそうだった。
それが今回、その繊細さが無かったのは、
作者が感じているマジョリティとマイノリティのタコツボ感覚があったんではないか、
と思ったりもしました、わかりにくいけども。

「まぁ、この問題はマジョリティだから、ちょっといたずらするように混ぜっ返そう」
としたんじゃんじゃないだろうか。
見ようによってはマジョリティだけれども、決してマジョリティじゃないんだけどね。
農業・漁業や仮設住居に入っている人たちの気持ちは、埋もれているマイノリティだと思う。

自分が一歩先んじていなくては不満、という心理もあったかもしれない。
作者のそういう気持ちで、美味しんぼは引っ張ってこられたようにも思う。
それが、多数の専門家や識者などの一流の人の言論が渦巻く中で一歩先んじるのは、
ああいう形だったんじゃないかな、とも思ったり。

今の美味しんぼがどうだろうが、アニメ美味しんぼの主題歌、
中村由真さん(スケバン刑事3でおなじみ)の「DANG DANG 気になる」は名曲です。
子どもの頃好きだった。林哲司さん作曲。編曲は違う人だけど、アレンジも好きだなぁ。


Dang Dang 気になる/中村由真.avi

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ギャンブルと私(パチンコ編)

2014-05-14 21:23:09 | days
今日は僕にとってのパチンコについて書きます。

パチンコは従兄が好きで、
僕が札幌に住んでいた学生時分には、
車に乗ったら無理やりにパチンコ屋に連れて行かれて、
スロットを隣同士に座って打ったりしました。
それで、嫌ながらも打ち方を覚えた台があって、
射幸心にかられて3,4回くらい一人で打ちに行ったこともあった。
でも、パチンコやパチスロは結果として時間の無駄になるもので、
やるべきじゃないという気持ちでいました。
まぁ、真面目といえば真面目なんですよね。
もっと、自分に有益なことに時間とお金を使うべきだ、
なんて考えていましたから。
ちなみに、覚えて打ちに行った台は海物語のスロットでした。
これは天井、つまり何回転までか回すと必ず大当たりするリミットがあって、
それを狙ったり、大体の回転数によって大当たりしやすさがあるらしいと
雑誌やインターネットで調べたので、それを目安に
お手頃な回転数の台が空いていないかな、と、
いわゆるハイエナって言うんですけども、
そういう風におこぼれ目当てにパチンコ屋に入ったりしていた。
そのうち、従兄とパチンコを、それも平台っていう、昔ながらの感じの
役物(おもちゃみたいな、動くオブジェだとか)と絡んでV入賞すると当たるパチンコを打って、
それはまぁまぁ勝てるので、一箱等価で6000円が出たら
帰るような感じで、ご飯代を稼ぎに行ってたこともありました。
それだって、10回行ったかどうかでした。
自分から、パチンコ行くぞ、と行ったのは5回くらいだと思うけれども、
それだって、僕が言うと、「おまえから言うのか!」と
笑いのタネになったくらい珍しいことでした。

そのうち帰郷すると、まったくパチンコはしなくなりました。
なぜなら、従兄がパチンコ屋に僕を連れて行かなくなったからですね。
わざわざこの僕が住む田舎まで遊びに来ないので。
それで随分、遠い世界になったのですが、
2010年の夏ころにようやっとエヴァンゲリオンを観ることになるのですが、
それでエヴァにハマったんです。とくに綾波レイ萌えです。
それで思い出したんです、従兄がエヴァンゲリオンのパチンコをしたと言っていたのを。
じゃ、今もあるかなと思って、パチンコ台がどのくらいの周期で入れ替えをするかなんて
しらなかったので、ずっと前に従兄が言っていた台がまだあると思ったんですが、
行ってみると最新のエヴァの台が隣町のパチンコ屋にたくさんありました。
そうやって、今日までパチンコにハマることになります。
きっかけはエヴァンゲリオンです。
そういうハマり方をする人も多いのかなと思ったりも。

当時、資金は競馬で勝った分があったのです。
まぁ、パチンコを本格的に打とうとするのは初めてで、
一回の勝負にいくらを予算とするとバランスがいいものなのかもわからない。
当時は一回に8千円から1万6千円くらい投資しました。
それで、エヴァンゲリオンの台は大当たり確率が1/358くらいですから、
200回転くらい回すとよく回した日くらいな感じになります。
で、そのくらい回して当たる可能性っていうのもわからないのです。
ただなんとなく、当たりを目指して回しているだけ。
始めた当時はあんまり当たらなかったです。
当たっても連チャンしないことが多かった。
で、従兄に電話してる時に、パチンコの話になって、
「1万発でたか」と訊かれたので、あぁ、1万発っていうのは出す目安なのかなと
気付いたくらいです。僕はほとんど等価交換の、1発4円のパチンコ屋にいくので、
1万発出すと、4万円の換金になります。
それで、週に一回とか10日間に一回とか通ううちに、2ヶ月くらいでやっと
1万発がでました。初めての1万発を出した時には、従兄連中にたかられたのを覚えています。
奴らは自分が1万発を出した時には、僕におごったこともなかったんですが。

それから、今までで通算150回以上1万発以上の出玉を記録しています。
4年近くでそのくらいだとなかなかじゃないですかね。
今年の四月には1カ月に1万発以上を11回記録しました。
どんだけ行ってんだって話ですが、1月~3月まで、4回しかパチンコに行かなかったので、
その反動と、あまりに勝てるので、行ってしまったというのがありますね。
まぁ、マックスタイプ(確率1/394)のルパン三世の台が面白いというのもありました。

今までの最高出玉は、去年の機動戦士ガンダムの台で、45000発ちょっとでました。
これは大当たり確率が1/399の台なので、こういう爆発をすることも
あるっちゃあるかなという感じです。24連チャンしました。
確変継続率(連チャン率)77%の台です。
それに比べて、2番目の出玉の42000発ちょっとの銭形平次withチームZの台は1/198の台です。
連チャン確率は65%くらいなのですが、その時は最初に5連して、
それが抜けてから5回転くらいで引きもどして31連しました。
65%の継続率で31連は驚異的だと思います。
この台の平均連チャンは2.8連のはずですから、それをどれくらい飛び越えたかというと、
台が壊れたんじゃないかと疑うレベルです。球を入れる箱を交換してくれる店員さんも、
顔が引きつっていました、このときは。

このように、パチンコって確率ですから、それ以前よりも数字に対する親近感は強くなります。
さらに、データを見るので、なんとなくイメージも作られていきます。
台の上にあるデータ画面でのグラフを見て、流れを見てという具合なんですが、
そもそも、たとえば1/198の確率に流れなんてものが存在するのか?という不思議もあるものです。
僕は、大体確率の5.6倍付近くらいまでには当たりを引けるという経験則を持っています。
銭形平次だったら、1100回転を越えたくらいですか。そこまでハマっている台があれば、
すぐに当たりを引けるだろうという、確率のアヤみたいなのを信じています。
5倍って、けっこう落ちる付近なんですよね。
でも、確率1/229のスケバン刑事の台が、3日間当たりが無くて、累計で2100回転以上ハマったのを
見ています。というか、その台を苦労して落としました。
最後は全回転という、プレミアリーチで当たったんですが、大変でした。

さて、ここからは僕が経験で得た知識を公開することにします。
どれも、パチンコを長年打つ人にとっては当たり前のことかもしれないです。

まず、予算はどうするかというところ。
これは、確率分の分母分を回すのが一つの目安でもあります。
たとえばマックスタイプの1/399だと、399回転回すのに、1000円15回転の台だと、
27000円くらいになります。これはこれで、一つの打ち方だと思います。
区切り良く、3万円をめどにしてもいいでしょうし、僕はマックスタイプを打つ時は、
ひと勝負3万円までとしていたりします。
確率の分母分を回すと、大当たりを引ける確率は、60%ちょっとくらいあるはずです。
つまり、フィフティフィフティよりも当たるんです。
それで、確変突入率が、77%だとか80%だとか82%だとか51%だとかいろいろあります。
これは本当にそのときの運任せです。確変に入れば、連チャンを願うところ。

次に、どういう台を打つかというところ。
1/198の台が1000回転ハマっていたら、その次には早めに当たりを引ける可能性が高めだと
僕は見ます。それは確率の収束を当て込んでのものですが、
実際はそんな短期間で確率が収束したりはしない台も多いのです。
1週間出っぱなしで2週間目で収束するとか、1カ月好調でそれから1カ月不調で、だとか、
そういうのもあるでしょう。なので、絶対というのはないですが、
それでも、僕はハマリ台のあとの出やすさを信じるタイプです。
1000回転ハマって、次に900回転ハマっているような台もあります、
それでも、そこはギャンブルですから、チャレンジしたりもするんです。
それと、さっきの予算のところでも言いましたが、確率の分母分を回すという意味では、
たとえばマックスタイプの1/399で210回転まで回っていたら、残りの190回転を回してみる
という台選びも面白いと思っています。
とはいえ、やっぱり確率ですから、210回転から新たにまた399回転を回してこその
60%の当たり確率だとも言えるんですよね。このあたりは難しいです。

そして、いつ打つべきか。
これはなんとも言えません。朝に出てる人が多い日もあれば、夜にがばがば出てる日もある。
確率なんですけどね、なにかそういうクセみたいなのはあります。
時期でいうと、これは僕の短い経験から、4月は出ます、6月も出ます。
出ない時期は1月です、これはすさまじいくらい勝ちにくいです。

と、こんなものでしょうか。

パチンコ屋に入るようになって、
店員にサービスを受けることに最初は戸惑うタイプでした。
こうやって頭下げているけれど、本音はどうなんだろうとか、
僕自身、競馬場でアルバイトをしてきて、その同僚でイライラしている人もいたので、
きっとパチンコ屋もそうだし、ひいては、他の接客業もそうだろうと、
そういう点ばかり気になっていたんですが、パチンコ屋に通い続けるうちに、
そういう不安みたいなものは薄くなりました。慣れたんだと思います。
また、パチンコ屋の客層を見たり、一緒に並んで打ったりしているうちに、
僕も何も一人の特別な男というわけじゃなくて、みんなと一緒だよなという、
他人との親近感みたいな、それまで感じていた距離感みたいなものが
縮まった感じもしています。ほら、あるじゃないですか、
他人はみんな悪人に見えるみたいなのが。
そういうのが、薄まりましたね。悪人だとしても、自分と似たようなものだ、
みたいな、同じ日本人としての、近しい感じを無意識に近いところで
感じるようになりました。
コワモテのスキンヘッドで革ジャンで体重が100kgくらいありそうな大男でも、
自分の玉が隣にころころ流れ出して、それを隣の台の人が拾って返してやると、
ちょこんとお辞儀したりします。そういうのは僕は好きでねぇ。

確率を肌で感じるには、パチンコは、お金がかかる場合が多いけども、役に立ちます。
確変突入率80%を謳っていても、自分とは相性が悪くて、自分の実戦データ上は30%だ、
っていうことも少なくありません。
こう考えると、たとえば手術の成功率が80%だって話がでても、
なかなか大船に乗った気分にならなかったりする。
まぁ、大丈夫かな?という程度ですよね、というくらいです。

最後に、どれくらい僕は勝ったかというと、まず2010年は10万円近く負けたかもしれないです。
2011年からはずっとプラスで、去年だと70~80万円くらい勝ちました。
3週間で60万円勝ったこともあります。その時はそれからあれよあれよと16万円負けて、
1カ月の最高記録が44万円ということになったんですよね。
行き先は大体、車で1時間15分くらいの範囲で7軒のパチンコ屋をターゲットにしています。
同じ店でずっと短期間に勝ち続けるのは、僕のイメージだと、無い、んです。
なので、店を変え、台を変えながら、勝負し続けてきました。

負けが込むことも承知の上で打たねばなりません。
借金を背負う人の話を聞いたこともありますし、
パチンコ屋のトイレで自殺した人の話もきいたことがあります。
また、遠隔コントロールというのが本当にあるのかどうか、
そういう不正があるものなのかもわからないところです。
まことしやかに言われているのは、ホールコンピューターで出玉管理をしているという話です。
1日にどれだけの玉を出すか決まっていて、それで連チャンが止まるというような。
まぁ、そういうのがあったとしても、たとえば一人の客を標的にして、
「この人はこの間だしたから今回はださない」というのは無いと思うんですよね。
大体、調子の悪い時、いい時は、どの店に行っても似た結果がでたりします。
3連チャン病にかかっていたり単発病にかかっていると、
つまりそういう運勢・流れ(どういうわけかそういうのはある)のときには、
どの店に行ってもそうなるものです。

僕としては、やっぱり時間を取られるものだし、
ほどほどにしたほうがいいものだという認識はありますが、
中毒性もあるので、その点をしっかりふまえないと、
痛い目に遭うこともあるでしょう。
ギャンブル依存症というのがありますから、気をつけねばならない。

そんなわけで、僕はうまくフェードアウトしたいところです。
パチンコをすることで目をそらすことになっていたものに、
もう一度目を向けたいな、と思っています。

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ギャンブルと私(競馬編)

2014-05-13 21:30:41 | days
パチンコや競馬から何を得たか。
いや、お金だけじゃなくて、それ以外にも。
思いつくところだけで、ちょっと書いてみます。

まず競馬。
競馬は長いんですよ。
高校時代は毎週日曜日の競馬は欠かさず見て、
さらにスポーツ新聞を購読して競馬欄をチェックしていました。
自分でノートをつけて、レースをテキスト化して残していました。
もちろん、予想もしてます。

牧場巡りもしました。
北海道ですからね、社台スタリオンステーションでトウカイテイオーらを見、
シンボリ牧場でシンボリルドルフを見、
優駿スタリオンステーションでオグリキャップを見ました。
そう、競馬の場合、僕は馬への愛着がまずあって、
ギャンブルはその次に位置していました。
高校の担任が、生徒に自分の進路を決めさせるときに、
僕は漠然と四大に行くだけしか決めていなかったんですが、
まぁ無理に、ですね、就職先にどこを優先順位一位にするか決めなさいと言われて
JRAにしたんです。そしたら、JRAに電話して募集要項をきけ、となってしまって、
その頃はインターネット前夜の1995年のことなので、調べるあてがなかったのです。
それで、電話しました。そしたら、けらけら笑われて、
まず四大を出なさいと言われたのを覚えています。

そして、縁あって、予備校に通った時期は札幌競馬場のある桑園に学校があって、
そこの学生会館のようなところに住んでいたので、夏場は朝の調教を5時頃かな、
観に行っていました。ブルッブルッという馬の鼻息を聴きながら、まだ寒い
北海道の初夏の朝を競馬場で過ごしたことが2度か3度ありました。
学生会館は朝の6時半か7時かにならないと玄関が開かないのを、
頼んで開けてもらったんですよ。それくらい馬が好きだった。

そして、大学生になって、札幌競馬場の安全対策課警備二班でアルバイトをすることになるんです。
思った通り、夏開催のアルバイトがあるなぁというのを見つけて、
応募したら受かって、その現場で通年のバイトがあることを知って、
通念をやってる先輩と仲良くなってそれなりにそつなく仕事もこなし、やる気も出していたら、
夏開催が終わった翌年の3月頃にJRAから電話がかかってきて、採用となりました。
そこから4年、勤務しました。

競馬場関係者になると、馬券を買ってはいけないルールになります。
もちろん、学生なので、それ以前に馬券を買ってはいけない。
でも、競馬好きの僕は、たとえば一日の内何回万馬券が出るものなのかとか、
そういうのを感覚として掴んでいったんです。
万馬券とか高配当って珍しくないなというのがわかった。
それまでは、競馬は大体強そうに見える馬たちで決まることが多いものだと
思っていました。しかし、強そうに「見える」のであって、実際はそのときの
調子や本当の実力などなど、いろいろな要素がからんでレースが決まるのだと知りました。

そして、親からもう遊んでないで帰って来い、というよくあるタイプの電話が来たので、
競馬場を辞めてみると、それからほどなくして、あと一年だぞ、という身も蓋もない
ほろ苦くも甘いような電話がかかってきて、それなら帰らないぞと、何もせずに一年を
過ごしたのですが、その頃は大学も卒業していたので、馬券も買えます。
競馬場に顔を出すのは気がひけたので、WINSに通いました。
結果、一カ月の間に万馬券を2度ゲットして、大体100円単位で買っていたのですが、
2万円くらいプラスになりました。
その当時、最初は、騎手の生年月日を調べて土日の運勢を調べて、それで買い目を決めるという、
オカルトな買い方をしたのですがまったく当たらず、それで、その頃改修工事が終わったばかりの
東京競馬場での開催だったので、ダート・芝の馬場の違いそして1200mや1300mなどの距離、
馬の逃げ戦法や追い込み戦法などでの、馬番による出目というか、枠順の有利不利を求めだして、
それで買ってみたらよく当たったんです。たとえば、ダート1600mの少頭数だと差し戦法の3番がよく
馬券に絡んでいる、というように。これは発見でした。

それから就職して辞めて、しばらくバイトとかして過ごしながら、
その頃はもう競馬をPAT、つまり競馬専用口座に入金してインターネットで馬券を買うように
していたのですが、しばらく馬券を買わないとそのPATの権利が無くなるらしいと
聞いていたので、じゃ、しばらくぶりにとちょっとやってみたらもう全然当たらなくて、
それでリベンジだと思ってやった函館開催の最終レースで、当てずっぽの三連単馬券を3頭のBOX、
100円×6通り買ったら、見事に的中して100円が289610円に化けたのでした。
これはまったくのひらめきで、そのころよく三着以内に10番人気の馬が突っ込んできていたので、
そのレースでも10番人気を絡めて、あとは3番人気と4番人気くらいかな、と人気で買ったんでした。
そんなことは今までしたことが無かったのですが、
ヤキが回ったとしか考えられないような買い方でした。
儲けたお金は、その頃退院してきたおふくろのために羽毛布団を買ってあげて、親父にもこづかいをあげて、
あとは服を買ったりしたのかな、もう覚えてないですが、有意義に使いました。

それでもしばらく競馬はやらずにいたのですが、震災後にパートを始めて得た給料で、
たまに馬券を買ったりしました。競馬の本を読んだりもしましたが、研究したてのころって、
なかなか当たらなくなります。競馬の勉強をして、それを忘れたころにまた当たるようになるのが、
競馬の不思議。そうじゃない人もいるかもしれないですけどね。そして、自分で馬券を買って、
こういう馬が来たのかというのを真剣に記憶して、競馬というもののイメージを掴むことが大事ですね。
叩き三戦目で一変だとか、二走ボケだとか、芝からダート代わりだとか、休養明けの成長分だとか、
そういうのってやってみて実感としてわかる部分がある。馬のレースのローテーション感覚も、
僕はまだあんまりつかめていないけど、けっこう重要なデータだという直感はあります。

その後、2012年、ゴールドシップが勝った皐月賞に大賭けして勝ったり、
馬連の10万馬券をゲットしたり、いろいろな武勲を立てました、が、
やっぱり、競馬は勝った分、吸収されます。大体、回収率は今までの累計でとんとんくらいなんですよ。
すごい馬券を当てたりしていても、その後に取り返されちゃいます。
また、馬券の賭け方も非常に重要です。
せっかく10万円勝ったのに、次のレースで10万円かけて負けたら、せっかくの勝ちが無くなる。
予想上手の馬券下手です。できれば、予想はまぁまぁの馬券上手になりたいところです。
ちなみに僕はなかなかの穴党ですが、的中率は15%ラインです。
これだ、と強く賭けたレースで当たることがけっこうあるので、
その強みでなんとか回収率がとんとんなんだと思います。
「少し馬券上手」な僕です。







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前を向け、足を洗え。

2014-05-12 23:26:29 | days
ほぼ決まったところをさすらう
「さすらいの」というよりか、
気分に任せて出動・巡回するギャンブラーでした。
ここ3年くらいそうだったかもしれない。

競馬とパチンコしかしませんが、
どうやら毎年累計でプラスなんですよ。
去年はどこかにアルバイトかパートを
一年務めていたくらいの勝ちっぷりでした。

そういう生活をする所以は何かといえば、
親父が退職するまでは、
おふくろの面倒を看るのが僕の仕事、
という決まりになっているからで、
さらに、その分の手当というか小遣いが少ないので
なんとかたくさんのお金を持って買い物をしたいという欲求からなんです。

親父は夜勤などで家にいないときがあって、
そういうときは家に缶詰でおふくろと一緒にいますが、
いざ、親父が帰ってきて家にいる日中だとか夜だとか・・・、
炊事は僕の役目なので、まぁお昼は適当に食べてもらうことが多いのですが、
夜は必ず何か作るので、それ以外の時間帯に博打しにいっていました。

それで勝ち負けを繰り返しながらも、
トータルで十分に勝つというのは出来すぎに感じていて、
なにか、パチンコ屋に良いように目をつけられて
勝たせてもらってるんちゃうだろか、なんて思うくらい。
でも、競馬で勝つのは自分のアタマでだから、
やっぱり博才みたいなのがあるのかなと思ったりもして。

でも、ついに、というか、ゴールデンウイーク明けくらいから
あれよあれよと20万円くらい負けて素寒貧になってしまいました。
まぁ、親元に暮らしているので、食べるのに困るというのではないのですが。
でもきっと、今年のトータルでいえば、プラスなんですよね。
勝った分のお金をかなり使ったということで。
たとえば、母の日にはおふくろに2万円くらいのスカートをプレゼントしました。

それで、もうなんだかんだで去年の秋くらいから考えていましたが、
徐々にギャンブルからフェードアウトしたいなぁっていうことなんです。
勝つからいいじゃないか、といえども、明日はどうなるかわからないような、
風向きによって生死が決まるような危うい生き方なので、
このやり方を主軸にしてこれからも生きていくわけにはいかないなぁと思ったんです。
それと今までって、若い頃、あんまり遊んでこなかったので、
ここらで派手に遊びたかったんですよね。
あまりに遊んでいなかったので、ちょっと遊ぶと重い罪の意識を感じるくらい、
心には枷がはめられたような感じで生きてきていた。
だからといって、勉強しているわけでもなく、20代前半は音楽作りばかりして、
後半は病気で不調で、という具合だったのです。
もうね、枷は砕け散りました。
遊べば、心から遊べます。
これは良かったことの一つです。

そして、僕の年齢的なこと。
親父が引退してから働けといわれて
今日までやってきましたが、振り返って考えてみると、
もう随分前にデッドラインを越えてしまった気がしたんです。
これは終わりだ、と、そういう気持ちになったというわけです。
そのうえ、うちの両親の支配的で自分のことしか考えないようなスタンスがあり、
そういうのが僕自身に悪影響だなぁって思いながらもずっと我慢してきたのも
やっぱりよくないなという、正気になってきたのがあります。
特に親父なんかは口うるさくて、なんでも指示したりレールを敷いたりして、
「お前のことを思ってるから言うんだ」みたいな、こっちのせいにして
自分を正当化してしまっています。
さらに不機嫌さを撒き散らして、声を張り上げて文句の言い放題を1日中やるのですが、
それが嫌でパチンコ屋に逃げていたというのも、
僕のギャンブル生活没入の理由の一つなのです。

これから何がやれるか、
何をやるといっても、ジャンプして手を伸ばすようにして掴みとれるものって、
相当に少なくなってきたように思います。
準備して勉強して、という時間がないのですから。
今の僕の能力で何かをやるとなると、
チャレンジできることはほぼ無いんじゃないか。
だからといって、チャレンジせずに働くといっても、
首と腰にヘルニアを持つ身なので、こっちもそう簡単にはいかない。

僕の人生を一から今まで見つめてきた存在がいるとしたら、
きっと、捨て身になれ、捨て身になるしかない境遇だぞ、
と言われるような気さえします。

それは、人生をギャンブルすることになりそう。
じゃ、僕はきっとそんなことはしない。
どうしてもギャンブルしないといけなくても、
ガミることはあっても、すっからかんにはならないように、
そういう負け方はしないように賭けると思います。

とにかく、最善を尽くせるように。
やれる範囲でベストを尽くせるように。
そうやっていこうか、と帯を結びなおしたような心境でこれを書いています。

が、しかし、とはいっても読書は続けますので、
ここの更新はお楽しみに。
読んでくださる方、ありがとうございます。
今は2冊同時進行でちょこちょこ読んでいます。
ギャンブルに勝ててきたおかげで、
部屋には購入した未読の本が100冊以上積んであります…。

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『生態系のふしぎ』

2014-05-07 12:01:42 | 読書。
読書。
『生態系のふしぎ』 児玉浩憲
を読んだ。

小学校高学年くらいから読めそう。

植物や動物や微生物など、みんな複雑に思いもよらぬところで
関係し合っているものなんだなぁと思い知らされる一冊。

食べる、食べられる、といったわかりやすい関係もありますが、
たとえば日本の「干潟(干潮のときに姿をあらわす浅瀬)」のように、
波の影響が少ないがために生息しているゴカイや貝類らが、
川から流れ込む生活・工業排水の有機物や無機物を分解する役割をして
水を浄化します。さらに、渡り鳥などが中継地として飛来して、
それらゴカイなどをついばんで自分のエネルギーとして、
目的地まで飛んでいきます。
つまり、干潟は、水質浄化とともに渡り鳥の繁殖や越冬地になり、
さらに、ヒトにとっては潮干狩りなどの機会を与える場所になっている。
そんな干潟は最近までその役割が理解されずに、
よく埋め立てられて各地の干潟は無くなってきました。

そんな干潟のような、最近になってわかって、
理解のしやすい生態系もあれば、
もっともっと複雑に相互作用し合っていて、
まだよくわかっていない生態系もあるだろうと思われ、
そういうのを考えると、人知の及ぶ範囲で自然を征服するような、
パワー型の開発なんかはやめたほうがいいよなぁと思えてきます。

また、動物の絶滅の項では、
ステラーカイギュウ(これはこの前読んだ綿矢りささんの本でも言及されていた)、
リョコウバト、絶滅間際までいった種としてはバイソンなど、
人間が自らの享楽のためや、深い欲望や短慮のために、
滅ぼされてきた種が紹介されていました。

そして、人口が多すぎるという点。
地球のもつ、人間扶養能力をもう随分こえているようだ、という指摘がされています。
とくに森林の伐採は深刻なもので、熱帯雨林の消失量のデータをみると、
元気がなくなってきます。

植林についても、植える木の種類まで考えないと効果がなかったり、
悪影響を及ぼしたりするものだという説明もされています。

というように、
この一冊で、ざっくりと「生態系」というものがつかめます。
僕は結構前から、パワーでもって押さえつけるやり方は、いろいろな場面において、
それは違うんじゃないか、ほんとうに短い間の対症療法的な効果しかないんじゃないかと
考えてきたタイプですが、この「生態系」というものを考えた時にも、
その考えはすごく間違っているわけじゃないぞ、という気持ちになりました。

もともと、柔よく剛を制すを地でいく柔道をやってたもので(当時、軽中量級)。
その前でも、なんか、気功なんかを好きだった(当時、小学生)のも
関係があるのかもしれない。

この一冊で、ざっくりと「生態系」というものがつかめます。僕は結構前から、パワーでもって押さえつけるやり方は、いろいろな場面において、それは違うんじゃないか、ほんとうに短い間の対症療法的な効果しかないんじゃないかと考えてきたタイプですが、この「生態系」というものを考えた時にも、その考えはすごく間違っているわけじゃないぞ、という気持ちになりました。
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