Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『どうせなら、楽しく生きよう』

2017-07-28 20:39:31 | 読書。
読書。
『どうせなら、楽しく生きよう』 渡辺由佳里
を読んだ。

翻訳家、渡辺由佳里さんのエッセイです。

他人の期待に沿う生き方をしないようにすることが、
楽しく生きることの大事な姿勢のひとつとされている。
また、常識をふりかざされても、幸せに生きられない、とも。
ぼくが考える自律性と他律性、
他律性は幸福感をもたらさないことと重なります。

わかりやすく、言葉に気をつけていて、
おしつけず、読者をまよわせず、
端的にやわらかく、
批判や否定をもそれらを発するひとたちを断罪するようなことはせず、
だからニュートラルな気持ちで読めますよ、
いいなあと思いながら。

帯に、
「矢野顕子さん、大推薦!“この本はあなたの友だちになる”」
とあるのです。
ぼくは以前から、読書とは著者の話を聞くことだし、
著者と対話することでもある、と考えています。
本書は、矢野さんの推薦文のとおり、
友だちを得たような、
それも、知己___つまり自分をよく理解してくれる友だちを得たような、
そんな読書体験をもたらすでしょう。
それも、静かに、落ちついて、
くつろいだ雰囲気の中で語らうような、
そんな読書体験になります。

たとえば、以下のところ、ほんとうにそうだと肯くように読みました。
「楽しむこと」「遊ぶこと」が大事だというところです。
その論拠も科学者の研究結果からひいていたりしますし、
「楽しむこと」「遊ぶこと」を否定する多くの人たちの考え方の
おかしな点を指摘してくれたりします。

ここが勘所ですが、
実は、著者のようにそうやって解きほぐしていく知性こそが、
読者が手に入れるべき大事なスキルなんですよね。
思考していくってことに、大きな自律性ってあります。
借りものの知恵じゃなしに、自分の思考力を使ってものごとを超えていくこと。
だから、本書の経験論や思考をあくまでヒントとしてとらえ、
それらを自分の中で育んでいけたなら、
この本も著者もそれで、きっと喜んでくれるでしょう。
だからこそ、勝手にですが、本書は饒舌に過ぎない形なんだと思いました。
本書で語ることが、読者に対して他律的に働かないように、
読者を支配しないように、そういった配慮のある体裁なのではないか、
と僕には感じられました。

もちろん、どこにも光が見えないような、
落とし穴の底でうずくまっているひとにとっては、
本書は一筋の光明になると思います。
そういうひとたちに肩を貸して、
立ちあがる助けをする、
そんな力を持っている本でもあります。

僕個人としては、考えかたが似ているし、
最近見つけたような考えが
すでにここに載っていたりもして、
まあ、よい距離感でもって読めました。

生きづらくなくしていくこと、幸せになっていくこと、
それらをテーマに考えている点が同じですし、
たどり着いたところもちょっと似ていたんですね。
そして、多くの人がそんな僕のように、同じように感じるのでしょう。
だからこそ、“この本はあなたの友だちになる”のですねえ。


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『向日葵の咲かない夏』

2017-07-20 22:52:16 | 読書。
読書。
『向日葵の咲かない夏』 道尾秀介
を読んだ。

ファンタジー・ミステリー小説かと思って200ページくらい読んでみると、
だんだんそれだけではないことがわかってきて、
最後には、サイコ・ホラーめいた小説に色が変わっていました。
ファンタジ、ミステリー、エロス、サイコ、ホラーなどのジャンルを縦断し、
それらをグラデーションのように扱いひとつの作品として仕上げている印象です。

文章や設定がちょっと雑じゃないかなと思う部分が序盤にありましたが、
それも最後まで読んでみると気にならない程度ですし、
なにより読者を裏切り続ける逃亡者のようなストーリーです。

出来映えからしてみても、出し惜しみしていないですねえ。


(以下、ネタバレというか、解釈バレありです)


ただ、やっぱり、中盤から後半にかけて見えてくる実際面によって、
がっくりきますし、つらい気分になります。
なんでこんな作品を作るのだろう、と思います。
それも、100万部を売ったというじゃないですか。

そういうつらさが読者の中に生じることを織り込んで、
つまり、痛みをあえて感じてもらい、
それでも語りたいものがあったのではないかと考えてみると、
それは、自分のやったことや
未熟なあたまで考えたことが引き金であったとしても、
その結果から、良くない負の影響を多大に受けて、
人生がねじ曲がってしまうんだ、
無かったことにはしてもらえないんだ、
そして、そういうことに耐えられるほど、ひとは(子どもは)
強くないんだ、っていうことかなあと思いました。

主人公のミチオにしろ、
S君にしろ、岩村先生にしろ、おじいちゃんにしろ、
子ども時代か若い時分にねじくれる運命にあっています。
それだけ、子どものあたまというのは狂いやすいのだ、とも読める。

最後のあたりで「物語」についても触れられていますが、
一般的に人生の上での「物語」とは、
その結果ばかりではなく、場合によっては結果と対等以上に
過程を大事にすることにあるのではないでしょうか。
本書での「物語」は現実や運命による分断や亀裂を補ったり、
カモフラージュしたりするための
ツールのように書かれている印象を持ちました。
また、そういう物語観を持っていることが、
主人公ミチオが救われないところなのでしょうか。

『向日葵の咲かない夏』。
このタイトルはつまり、
主人公にとっては向日葵の咲かない夏という意味なのでしょう。
人生の最後に向日葵の花をみて、
それを神様だと思ったS君は死んで生まれ変わった。
しかし、主人公のミチオは、死なないし、生まれ変わらない。
つまり、慈悲が無いのです。
苦しんでも苦しみ続ける道を往くのが、主人公のミチオでした。
いつかその苦しみと真っ向から勝負して打ち勝つ日が来るのか。
その日を期待したい、と、本書の結末を読んでからの願いでした。


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自律性と幸福感。

2017-07-17 01:03:04 | 考えの切れ端
努力が必ずしも報われるものではなくても、
やるだけやることは大事なんですよね。
それも、一生すべてにおいて、
いろいろとやるだけやるのは大事だと思います。
なんらかの理由があるなどして努力できないひとでも、
毎日善く生きることがなによりも素晴らしいことだったりする。

やるだけやるっていったって、
ずっと苦しめというわけじゃないです。
それよりか、楽しんでやったらいいんじゃないのかな。
大変さの中に楽しさが潜んでいる。

ちょっと話は飛びますが、
「結果を出しましょう」「結果を見せてください」、
結果ばかり求められてしまい汲々とする毎日になっても、
そこで充実感や幸福感をとりこぼさずにちゃんと感じるためには、
結果を出すまでのいろいろなプロセスを噛みしめることにある。
過程を楽しんでこそ、生活がおもしろくなる。

資本社会の世界で、
スピードや効率が命とされ、
過程というものはその価値を見下げられていがち。
そして、そんな価値観が正しいとされて、
みんなそうすればいいのに、と会社の論理でおされがち。
ひとが擦り減り、ゆがみ、すさむことを助長するのは、
そういう風向きにあります。

労働時間が減り、休息日、余暇がふえ、
それでもまずまず稼ぐことができ、
生活に苦しむほどじゃなければ、
幸福度とともに、倫理観が強くなり、
それにつれて教養の度合いもあがっていくんじゃないのかなあ。
自律性をもてていて、
やるだけやることが大事だと教育されてきたひとであるならば。

他律性に対してはそれにしたがってやたら頑張るけれど、
自律性の面では怠ける、
というのがいちばん幸福を感じにくいと思いませんか。
また、そういうのが、社会を生きづらく、
世知辛くしていっているのが直観できると思います。
そうわかっていても、なかなかこれまでの社会の慣性からは逃れられない。

以前読んだ地方創生に関する本で、
よくしていくために変わっていくのには、
住民の意識の変化とともに知識を増やすことが必要だ、とありました。
よい気持ちを持つのは素晴らしいこと。
そして、そんな気持ちを持てたらさらに一歩進んで、
いろいろと知識を得るために動くことが大事なんだと思います。

きっと、クリエイティブをたのしむことに、
それぞれの自律性をはぐくむ種がありますよ。
余暇を楽しむクリエイティブ、なんて自律性あってこそです。
あれやんなさい、だとかと、
他人に指図されたり行動を支配されたりする
他律性になれさせられがちな世間の中、
クリエイティブで自律性を発見(再発見)する。

買い物でストレスを解消するひとっていますが、
このことも僕の考えでは、
誰かれの干渉や指図なく自分の好きなように
お金を使うことによって自律性を感じるところにあるとなる。
それだけふだんの他律性から解放されたいんじゃないでしょうか。
そういう意味では、お金の無駄遣いをすることで自律性に気づく場合はある。

となると、浪費家は他律性に過敏になっていて、
その悲鳴としての浪費行動なのかもしれないですよね。

ひとは、なにかやることをみつけていろいろやってみることに、
面白みや楽しさを見出します。
そして、そこには自律性があります。

まあ、ぼくの考えの基本には、お師匠さんについて道を歩く、
っていうより、独学で、つまりひとりで先達とは一定の距離を保ちながら、
その言葉などを読んだり聞いたり見たりしながら
道を歩くという姿勢ですから、
すべてに通ずる考えではないのですが、
独学でなにかをしていくのって、現代的でもあると思うんです。
だから、今回の考えの切れ端もそういった意味で、
みなさんの考えるヒントになればなあと思いました。
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『虚人のすすめ』

2017-07-05 00:00:25 | 読書。
読書。
『虚人のすすめ』 康芳夫
を読んだ。

肩書が「国際暗黒プロデューサー」ですから、
初めて彼を知った僕なんかにすれば、
彼はとても色モノ感の強いひとに思えます。
で、本書を読んでいると、
「業界のなかに安住するな」みたいな語句が飛んできます。
つまりは、あえて色モノ的に見えさえするポジションに
好んで立つひとなのか(たぶん、そうです)。

本書は、彼のこれまでの興行師としての成果、内容、
そこにたどり着くまでの話を聞くようなところが多いです。
それは、日常のルールや常識といったものを
重要視して生活しているひとにしてみると、
まるで、日常の奇譚、日常の冒険譚とでもとらえちゃうような、
破天荒で眩しく、虚実がいりまじっているのではないか、と
感じられすらする内容になっているように思えます。

多くの人にとっては夢想するだけでも珍しいような
非日常のものごとを、現実に浮かびあがらせてしまう、
実現してしまうのが、伝説レベルの興行師の仕事です。

鋭い思いつきを元にして、
でもどっちに転ぶかわからない状況でも勝負するときはし、
うまくいけば大金を手にし、銀座なんかでぱあっと使い、
また次の、世間をあっと言わせるようなイベントの開催に、
頭や感性を使う。
失敗すれば、夜逃げしたこともあるといいます。

日本初のインディ500の開催、
モハメド・アリの世界戦の日本開催、
ネス湖のネッシー探検隊、
アラビア魔術団の日本全国での興行、
人間とチンパンジーのハイブリッドかと謳われた、オリバー君の来日、
大物歌手トム・ジョーンズの日本公演、
などなど、これらを著者は立案し遂行しました。

一時代を盛り上げ、楽しませたのは間違いないですね。
フィクションみたいなものも混じっていますから、
マジメなひとからすると、
こんなの詐術だ、ということにもなるでしょうね。

虚人というのは、「実業」に対する「虚業」という言葉から
著者が発展させた言葉だそうです。
虚業は、ジャーナリスト・大宅壮一が言いだした言葉。
投機的金融経済、それに群がるマスコミ、広告代理店、
時代の徒花のような芸能人や文化人を、揶揄を込めて、
虚業、および、虚業家と呼んだということでした。

著者は、虚業家とはまた別種である虚人の生き方こそ、
現代のようなノールールにどんどん向かっていく世界で生きていくための
生き方なんじゃないかとしています。
「虚」とはゼロということで、
その「虚」のゼロとしての本質に無自覚であるのが虚業家で、
ゼロであることがなんらかの按配で露呈されたときに、
パニックをおこさない、つまりゼロに自覚的であるのが虚人であるとしている。

さらに、酔狂ともいえるロマンや夢を持つことが大事なのだ、
それこそが虚人だ、と言っています。

ゼロであること知っていながら、
そこに「無」ではなく「有」を出現させ、熱狂をつくる。
国際暗黒プロデューサー・康芳夫さんの根本姿勢ってそこなんですね。

本書は仕事の休み時間に読むことが多かったです。
そうやって外に持ち出して読んでいるときと、
自分の部屋で読んでいるときとでは、
なにか、理解の仕方がちょっと違いました。
外で読んでいるときは、すんなりおもしろく読めるのですが、
部屋でやや内向的な気分で読んでいると、
うっすら拒絶反応を感じるんですよ。
書いてあることは納得してわかるのだけれど、
なんとも得体のしれない不信感みたいなものも、
自分の背後にたちのぼるのがわかる。
そこらへんは、修羅場をかいくぐり闇を知る著者に対する、
読者であるぼくの警戒心なのかもしれないです。

まあでも、それはそうと、
おもしろく、そしてさらっと読めてしまって、
考えさせられるものもちょっとある感じの本でした。
常識にがんじがらめになっているひとには、
あたまの刺激的な凝りほぐしになることうけあいです。

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『世論 上・下』

2017-07-04 00:06:09 | 読書。
読書。
『世論 (上・下)』 W・リップマン 掛川トミ子 訳
を読んだ。

ものごとを言葉にすると、
言葉にした時点で、
そのものごとの元々のところからなにがしかを零れおちさせてしまう。
つまり、ものごとは100%言葉にはできなくて、
省略してやっと言葉にしている。
また、各々の文脈によってものごとのとらえ方は変わる。
同じものごとでも、
配管工によるとらえ方、株主によるとらえ方、教師によるとらえ方は違ってくる。
そういった文脈というものがある。
しかし、人々ははっきりした言葉に踊らされてしまう。
・・・というような認知科学と記号論のような説明が続く。

そして、この論で重要な概念である
「ステレオタイプ」への言及が続いていく。
ステレオタイプやはっきりした言葉による表現など、
それらイメージ化で零れおちてしまうものがあるにも関わらず気付かず、
イメージ化されたもののみに注意をもっていかれる。
そしてそれらが重なりあっていったものがどうやら「世論だ」となります。

また、こういうのもありました。
「頭脳的訓練が少なければ少ないほど、
同時に注意をひく二つの物事には因果関係があるという理論を考えつきやすい。」
・・・たとえば小説って、伏線の回収だとか、
いろいろすべてが糸でつながっているのが良い
みたいなひともいるかもしれない。
でもそれって、知的ではないということとなります。
と、ここまでが上巻の感想です。

下巻は、
それまでの、今でいえば記号論や認知言語学にあたるものの萌芽をふまえた上で、
政治や新聞(マスメディア)について論じている部分が多いです。

民主主義の実際面において、
民主主義の理論面から外れて支配層を作ってしまうことが
さらっと書かれています。
さらに、専門家をたとえとして
「彼らも人の子」ゆえに「権力を楽しむ」とある。
狭い範囲での(一人だけだとかの)利己的な善が、
この権力を楽しむ行為ですよね。
周囲からすれば悪になる善。

本書『世論』は、
「ひとは見たいようにものごとをみるものだ」
(ひとは見てから定義するのではなく、定義してから見てしまう)
っていうことが一番の主張であるとされているところがあるみたいですし、
実際そうなのだろうけれど、
その一番の主張ばかりをみるためにそぎ落とされた、
『世論』全体にちりばめられている、
面白くてそれなりに大事な部分があって、
一番の主張さえ記憶すればあとはいい、みたいな、
歴史の年号と事件名だけ覚えるようなのではもったいない。

でに価値は決まった、とされている本でも、
そんなの知るか!と読んでみれば、
そうやって読んだ者の数だけ、
やっぱり感想や教訓はでてくるんじゃないでしょうか。
いやいや、それは間違いであり、価値はすでに決まっており、
本書の主張は解析され尽くしています、
とするのはおもしろくないですよねえ。

著者・リップマンは俊英の伝説的ジャーナリストですが、
そういった、「ひとは見たいように見てしまい、そこから生じるのが世論」
というメカニズムを構造的に変えたかったようです。
そのために、情報をつぶさに集めることを重要視します。
ちゃんと諸事実に光をあてて、関連付けをして、
それを民衆が受け取ることができるのを理想としました。
そのために、ジャーナリズムも各種情報機関もがんばろう、
といったように読み受けることができます。

本書が出版されたのは、第一次大戦後の1922年。
その後、第二次世界大戦が始まってしまい、
本書は平和に役立たなかったのか、
とネガティブな印象を持ってしまいがちですが、
その時代に溜まっていた良からぬ雰囲気や、
どうしようもないベクトル、人類としての経験の無さつまり未熟さ、
などなどいろいろ混ざり合った時代の空気を
一変させることはできなかったとしても、
今読んでみてもわかるように、
その内容は色あせてはおらず、むしろ新鮮です。
つまりは、この本の内容の高みまで、
この本からすれば後世の人間にあたる僕らでも、
まだまだ消化できていない考えである、
ということなんだと思います。

学生ががんばって読むような種類の本かもしれませんが、
その時期を過ぎても、興味を持って読んでみれば
楽しめると思いますよ。




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権力を楽しむ性分。(他律性の正体Ⅱ)

2017-07-01 00:02:35 | 考えの切れ端
今読んでいる本の感想とかぶってしまうから、
今回はずらずらと言葉を並べることはしません。

ただ一言、これは言っておかねばと思うので書きますね。

他律性の正体は善意だ、と以前書きました。
しかし、お話にもならないような他律性っていうのが
実はあるんですよね。

ひとは権力を楽しむものだ、と。
ひとのそういう愚かな性質から生じる他律性がある。

そうなんですよ、ひとって権力を楽しみがちですよね。
まず他律的にひとを動かすよろこびがある。
他律性の正体のひとつは、さっき書いたように善意なのだけれど、
話にもならないような他律性の正体は、
権力を楽しむという人間の愚かな性質にあるんだと思います。

他律性は、善意にしても権力を楽しむがゆえのものにしても、
どちらにせよつっぱねたいものです。
自律性にこそ幸福感があると考えるからです。

でも、どういう姿勢でもってつっぱねるかは、
その他律性の正体のタイプを見極めないと決まってきません。
お前さんの善意はわかったけど、それで相手を苦しめるんだよ、と
さとすようにつっぱねるか、
お前の指図はお前のただの楽しみのためのものだから、
そんな利己的な行為を認めて従うわけにはいかないし、
お前はその、お前自身の迷惑な心理に気づかないといけない、
とつっぱねるか、変わってきます。

まあ、実際には、そんなにマジメにやるこたーないとは思いますけれども。

他律性の正体をバージョンアップすると、
「善意」と「権力を楽しむという人間の性質」にある、となりそうです。

(うーん、意外とずらずら言葉が並んでしまった……。あしからず。)
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