Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『日向の温度』

2019-04-12 00:26:41 | 読書。
読書。
『日向の温度』 与田祐希 撮影:前康輔
を眺めた。

乃木坂46三期生、与田祐希ちゃんの1st写真集。
シングル『逃げ水』では大園桃子ちゃんとWセンターを務めた三期生のエース。
そのちっちゃさが余計にかわいい、存在感のある女の子ですよね。

今でも三期生には初々しさを勝手に感じてしまうのですが、
与田さんの本写真集は今から1年半前に発売されたものですし、
『逃げ水』以降の時期ではありますが、
まだ乃木坂としてのというか、
芸能人としての色にあまり染まっていない感じがあります。
一ページ一ページをめくっていっても、
彼女が乃木坂のメンバーになっていなかったとしたら、
芸能人になっていなかったとしたら、
というストーリーを想い浮かべやすいような、
そんな天然的な女の子を見ているような印象を持ちました。

それだけ、それまでの人生で、
自分の生きてきた時間と自分自身の間に、
解離が少ないのではないか、と思いました。
なんていうか、自分が生きてきた時間や場所、空間と、
自分自身の頭の中が離れていがちな人っていると思うんです。
逆に、田舎に住んでいて、田舎感をすごく感じさせる人もいます。
与田祐希さんのこの写真集に感じるのは、凛としたものです。
時間や場所や空間が与える影響が、
幸いにも彼女に対してうまく作用した感じですかね。
なんていうか、彼女の存在に、
肯定感みたいなポジティブなエネルギーを感じるんです。
そういう人なのかなあと。

「乃木坂工事中」を見ていると、
彼女が涙を流す場面がけっこうあります。
10代の女の子らしく、心が柔らかいのでしょう。
何年か後には、今の一期生や、
卒業していったメンバーのように、
人としての強さを獲得し、
より美しくなっていそう。
その歩む道に大変なこともたくさんあるだろうけれど、
一歩一歩ふみしめていってほしいなあと、
老婆心みたいに思うのでした。

そういえば、浪費癖があったはずで、
そのあたりはどうなったんでしょうね。
まあ、余計な心配ではあるんですけど。


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悪い噂を流したヤツラ。

2019-04-09 14:14:59 | days
先日、僕の街の鉄道が廃線になりました。
我が街を走る鉄道支線の終着駅では廃線を名残惜しんで、
鉄道ファンのみならず、
市民の方々もかけつけて手を振ったりしたそうです。

それで、そこにたたずむ駅舎なのですが、
ぼくの親父が設計したものなのでした。
親父は役所の建築科に長くいた人で、
市内のいろいろな建物を設計しているらしい。
それで、こんな話を思い出しました。

僕が小学校の低学年か中学年かくらいのときに、
うちの近所の空き地に家を建てることが決まった親父の職場の人がいた。
それで、親父に家の設計をやってくれと言ってきたそうだ。
余談ですが、親父は我が家の設計もしたひとなのだけれど、
我が家は平屋の小さな家だったりします。
それで、親父はあとで出来あがった家に住んでから、
いろいろ文句を言われることもあると考えたのだったか、
その要望を断った。
たぶん、先方は、これだけお金出すよ、とか言ってきたのだと思う。
それでも、お断りします、と断った。

すると、先方はよほどそれがおもしろくなかったのか、
うちの親父が建設会社から賄賂をもらっているなどと嘘ついて、
噂を広めたようなのだった。

僕もうっすら覚えていることがある。
家の前の公園で遊んでいると、見馴れない夫婦がやってきて、僕を呼ぶ。
そして、ニコニコしながらやさしい感じで、
「近頃、ごはんのおかずがよくなっただろう?」
などと聞いてくる。
僕はまだ幼い子供で、大人に人たちには愛想よく感じよくしないといけないと
教えられていたので、うーーーーん、と考えて、
「うん」と答えたと思う。
それを先方は言質ととり、噂を広めたのだと思う。
おぼろげながら、奥さんのほうはうしろめたそうに、
「やめたら」みたいなことを言っていたと思う。

僕の家では、なにかよからぬことが起きているといったふうな、
親父と母の会話を耳にし、僕にもなにかあったら言うんだぞ、
みたいに言ったと思う。
9時には布団に入らなければいけなかったけど、その後、
居間から親父と母が小さな声で話をしていた。

もともとその噂は虚偽のものだし、
親父は賄賂なんかもらってなどいないし、
上司もわかってくれていたようで、
気にするな、みたいな感じで、
親父と母は凛として生活していたと思う。
僕は僕で、よくわからなくはあったのだけれど、
よく遊んでいた1つ上とか2つ上とかの子どもに、
大丈夫か、みたいなことを言われたし、
僕や僕の家を信じるよ、と言ってくれたりした。
その当時、子どもながら、いや子どもだからなのか、
僕はかなり信頼と信用があったのです。

この悪い噂の話は何年か前に親父に聞いたので、
それまでずっと妙な記憶として頭の隅っこに打ち捨てられていました。
加害者である、悪い噂を広めた人たちは、
僕に覚えがないうちに引っ越していて、
問題の家には、違う人が住んでいる。

こういう、卑劣で残念で汚らわしい愚かな奴らっているんだよね。
これらの経験は、親父と母に、
いまでもなにがしかの負担をもたらしていると思う。
親父が酒をよく飲むのも、
母が病気になったのも、
たぶん、遠因としてこれらのことがあるのだ。
噂を広めた夫婦にとっては嬉しいことに違いないだろう、腹が立つけれど。

僕がこの街に帰ってきて入った会社の歓迎会で絡んできた人がいるんだけれど、
その人はどうやら親父と同期で、
たぶんこの件とかもあってのことだったかもしれない、と
いまになって思うのだった。
その人は今、議員やってます。

勝手な怨恨を抱いて、嘘を噂として広める人はいるし、
それを真に受けて態度を決める人もたくさんいる。
どちらも軽い気持ちなんだよね。
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『鈍感な世界に生きる敏感な人たち』

2019-04-02 01:21:48 | 読書。
読書。
『鈍感な世界に生きる敏感な人たち』 イルセ・サン 枇谷玲子 訳
を読んだ。

世の中の5人に1人はHSPと言われる敏感な人だといいます。
疲れやすく、怒ることを嫌い、
競争社会に向いていないと思っているような人たちですね、簡単にいうと。
そんなHSPの人であり、
牧師やセラピストなどとして活動する著者による、
敏感な人の味方になる本です。
HSPの人は、自分は間違っているんじゃないか、などと
自身をせめてしまいがち。
そうじゃないこと、そしてもっと気楽に生きる術を教えてくれます。

興味深かったところをふたつみっつ。
まずは、これですね。
自尊心が低いと自分に過度な要求を課して努力をするようになるという。
だけどそうやっている間、満たされることはなく、延々と努力は続く。
一方で、自尊心が高ければ努力なんてしない。
ありのままの自分でいいからだ。
どちらにせよ、人からの評価や人から愛されるか否かが基準なんだ。

幸せでいたいなら、バカでいろということになりますかねえ。
人生ってそういう裏腹なものの両方をいったりきたり
あくせくするのがほんとうみたいなところがあるように思っています。
割り切りたいし、
「割り切った方がいい」と
苦しみから逃れることを説いたような本書には出てくるけれど、
苦しみはあって当然なんじゃないのかな。
そこのところは、ちょっとまだ異を唱えたいところです。
まあ、人によりけりなんでしょうけども。

次はこれです。

<恥じていることや隠したいことが多いと、
会話をするのは難しくなります。
秘密を守ることにエネルギーを使うため、
言葉がすらすらとでてこなくなるのです。>

僕はこれで大変だったんですよ。
しゃべらなくなりますよね。
それに加えて、意味のあることを喋らないといけない、
失礼だし馬鹿にされるみたいに思ったから余計に喋れなくなった。
隠しごとを通すことを選んだ代償として、孤独になっていったのでした。
30歳くらいまでこういう傾向だったと思う。
くだらないこと喋っててもいいじゃん、って罪悪感なく思えるまでですね。

でも、この本を読んでいると、
いわゆる本のとおりのケースにとどまらずに
あがいたり勇気を出したりして克服しているとろもあるようで、
他人からみえないところで戦ってきた人生だったなあと感じるのでした。
僕は「静かにアグレッシブ」みたいなところはあるようだ。

最後に、これは、本書に書いてあったことと僕の思索のハイブリッドなんだけれど、
それはこういうことになります。

夢を追い、成功しないのならばもう終わり。
オール・オア・ナッシングである。
そういう見方をして、
うまくいかなかった人を直接的にでも間接的にでも断罪する人は多く、
本人ですらそうだったりする。
もしかして日本人は特にそうなのではと思いもするのだけれど、
それってね、人としての成熟度が非常に低い行為なんだ。

夢を追う最中の自分というものは、
理想の自分とかけ離れていて自尊心が低い。
酔っているときもあるけれど、
自分ってダメだなあと思うこともしきりだ。
そして夢をあきらめるとき、
辛い思いをして最後には自分を受け入れる。
その心的作業を経て、
それまで認めてこなかった自分と和解することになる。

自分はダメなやつだったなあ、ということを受け入れること。
そう、自分はダメなんだと認識することで、
それまで突き放していた自分と肌が触れ合う。
厄介者レベルとすら思える自分を受け入れることは、自尊心を回復させます。
それまでより自分を愛することにもなる。
それって素晴らしい過程じゃないですか。

だから、夢を手に入れることだけに関して言えば、
オール・オア・ナッシングかもしれないけれど、
人生にしてみればそんなことはないのです。
自分へのほろ苦さとともに慈愛をも手に入れる人は多いでしょう。
だから、そういう人を見る成熟した人は、
きっとほのかに微笑んで彼を見やるのですよ。

巻頭にHSP診断簡易テストがあるのですが、
僕もその傾向があるようでした。
まあ、そうでしょうね。
だからこの本のよさもよくわかりました。

ディスカヴァー・トゥエンティワン
発売日 : 2016-10-22

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