Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『誕生日の子どもたち』

2015-06-28 23:38:28 | 読書。
読書。
『誕生日の子どもたち』 トルーマン・カポーティ 村上春樹 訳
を読んだ。

村上春樹さんが訳したトルーマン・カポーティの短編を集めたもの。
コンセプトはイノセンスで、彼の短編の中でもイノセントな6編を扱っています。
「誕生日の子どもたち」「感謝祭の客」「クリスマスの思い出」
「あるクリスマス」「無頭の鷹」「おじいさんの思い出」がその6編。

ぼくはカポーティの文章の美しさ(訳されたものだけれど)といい、
つぶさなところまで及んだり、ぱーっと花開いたりする想像力にみせられて、
10年くらい前だろうか、よく彼の作品を読んでいて、
好きな作家のひとりにあげていました。
作品は素晴らしいけれど、人間としては問題が多く俗っぽい人だったといいます。
そういう分裂性が彼の特徴らしい。

今作は全編村上春樹さんの訳出によるものです。
そのなかでも、「クリスマスの思い出」「あるクリスマス」「おじいさんの思い出」の
三作品は各々独立して山本容子さんの銅版画に彩られたかたちで出版されていました。
それで、この短編集に収録するにあたり、改稿しているそうです。
どおりで、「おじいさんの思い出」は持っていたのですが、
あれ?っていうふうに、印象が違いました。
前の訳の方が、絵本的というか、子どもにもわかりやすい訳だったと思いますし、
それがなんとも作品の調子にもあっていたように感じていました。
今回は大人がじっくり楽しめるような、
たとえば漢字の多さや、噛み下さない状態の単語を使ったりといった、
そういった違いがあると思います。
きっと、「あるクリスマス」も「おじいさんの思い出」もそうでしょう。

今作品のうち二つに、カポーティ・ファンには『草の竪琴』でおなじみの、
ミス・スックがでてきて、ぼくはもう、ちょっと彼女と、
彼女が出てくるときの主人公のバディーには飽きを感じるくらいなのですが、
はじめてカポーティを読むような人にとっては、
こんな純粋無垢な関係性を中心にしたストーリーに、
こころのやわらかい所があたたかくなるような体験をすることでしょう。

バディーやミス・スックが住んでいる土地、農場の様子、豊かな自然を感じとると、
そこにはなにか、現代でいえばテイラー・スウィフトの
ポップスに通じるようなものがあるように思うのです。
アメリカの良心が(それは保守的なものだったとしても)、
いまも自然とともにある田舎の方では、
生き残っているのかなという感じもした(テイラー・スウィフトは農家の出身だったっけ)。

ぼく個人としては、今回初めて読んだような気がする「無頭の鷹」がよかったです。
ああいう不思議さ、それは精神面に欠損のあるような少女と主人公の関係によって
浮かびあがったものでしたが、危険だなと感じながら、
なぜかこころを持っていかれる魅力があるものでした。
その魅力もまた、イノセンスなんでしょう。

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『GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代』

2015-06-22 20:21:36 | 読書。
読書。
『GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代』 アダム・グラント 楠木健 監訳
を読んだ。

人は3つのタイプに分けられるようです。
ギバー(GIVER:惜しみなく与える人)、
テイカー(TAKER:自分の利益を真っ先に優先させる人)、
マッチャー(MATCHER:損得のつり合いを考える人)。

そして、そのどのタイプがもっとも損をするのか。
きっと、想像通りだと思いますが、ギバーなんです。
では、もっとも得をする人はどのタイプか。
それもギバーなんです。
前者のギバーに対し、後者のギバーはどう違うのか。
後者のタイプの成功するギバーに焦点を当てて、
テイカーやマッチャーと比較をしたりなどし、
ギバーという存在がどれほど自分も他者も幸せにするかを
論理立て説明してくれるのが本書。

論理の飛躍も、まどろっこしいところも全くなくて、
丁寧に、つぶさにわかりやすく例をひきながら
説明してくれる良書でした。

与える人、なんていうと、
テイカーたちに骨の髄まで搾取されて燃え尽きてしまうのではないか、
せいぜい、マッチャーまでの生き方しか現実的ではないのではないか、
そういう考えが浮かぶ人も多いでしょうが、
本書では、そうやって搾取されないギバーになるための方策も
かなりのページを割いて教えてくれています。
失敗するギバーにならないように知恵を授けてくれるんです。

それと、本書の最後の方にも書かれていますが、
ギバー、テイカー、マッチャーのどれか一つの生き方で
すべての方面で生きている人はいないということなんです。
ギバーとしての顔も、時折ある人には見せるけれど本性はテイカーだとか、
ギバーが本性なんだけれど、相手によってはマッチャーだとか、
いろいろ時と場合によって変化するようです。

個人的なことを書くと、ぼくが最初に就職した先の上司がどうやらテイカーで、
最後に働いた先では、後からやってきていろいろうるさくて、
そのうち持ち場を牛耳り始めた経験のある再雇用者がテイカーでした。
ぼくはギバーなのですが(こないだやった性格診断でも利他主義者とでました)
どうやら彼らにいいように搾取されて、燃え尽きてしまったタイプなんですよね。
(そうはいいながらも、ぼくも随分と甘さは解消されてきてはいるんです)。
本書では、一番成功に遠いタイプが、この燃え尽きタイプのギバーだとされています。
彼らというか、ぼくらがどうやって燃え尽きないようなギバーになるかについても、
さっきも言いましたが、十分にその方法が書かれています。
おまけに言うと、ぼくの親父も家族に自己犠牲を強いるようなテイカーの性格をよく見せます。
なので、親父が定年退職した今、家に居てもけっこう大変なんですけどね…。

さてさて。
この本はほんとうに多くの人に手に取って貰いたいくらい、
個人の幸福に限らず、社会の幸福の実現にも関係するような内容です。
ブラック企業やブラックバイト、
そしてそれを甘んじてしまう人びと。
そして、そんなブラック企業すら排除できないような、
つまりブラック企業にも頼ってしまっている社会構造を変革させるための、
ひとりひとりの意識の変化をもたらしてくれそうな論旨なんです。
この本に書かれているようなギバーの生き方のほうが、
多くの人にとって幸せや充実感をもたらすでしょう。

そして、常々、生きづらさに関係する最後の砦は「しがらみ」だと考えていましたが、
どうやら、法の整備や道徳教育などに頼らずとも、
このギバーの生き方で解消されるようにも思えてきました。
というか、道徳教育をするならば、
このギバーを分析した内容を教えてあげればいいです。

人びとが互いに温かみを感じる社会で、
さらにギバーとしてふるまったなら。
そういう社会を想像すると楽しくなります。

最後に、本書から抜粋の一言。

_____________


知能が高ければ高いほど、相手の成功に手を貸すようになる。

_____________



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『ダリ』

2015-06-15 21:47:53 | 読書。
読書。
『ダリ』 ジル・ネレー
を読んだ。

ピカソとともに20世紀を代表するスペイン出身の画家サルバドール・ダリ。
すごい人だね。彼の開拓した作風なんかはその後、
アンディ・ウォーホルにも受け継がれていると思う。

時代の流れとともにあった人だからなのか、
ダリの作品は古くても古くない。
そして大胆なアイデアと洗練でもって成立していて、
さらにこの本のなかでのダリ曰く、
その背景には彼が唯一認める天才のニーチェと
同等の自分の知性だからこそできたということらしい。

有名な「柔らかい時計」もおもしろいし、
表紙にもなっている「聖アントワーヌの誘惑」もおもしろい作品だった。
なにか、人を面白がらせる、サプライズする、
そんな精神の元に絵を描いているんじゃないかなあ。
エンタテイメント性十分のファインアート。
ポップなファインアートとも言えそう。

戦前には、ヒトラーを非政治的にではあるけれど面白がっていた人だそうで、
ファシスト認定されたりもしていたようです。
度を越した大芸術家ともなれば、見ている部分が違うのかもしれないし、
モラルだとか度外視で見てしまう何かがあるのかな、なんて思いました。


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『社会の真実の見つけかた』

2015-06-14 22:41:14 | 読書。
読書。
『社会の真実の見つけかた』 堤未果
を読んだ。

岩波ジュニア新書です。
アメリカ社会の現在を見ていきながら、
その背景や原因を探って白日のもとにさらす内容。
アメリカ社会も極まっているなという印象。
そして、そういったアメリカ社会の問題点を、
因数分解するように解いていく過程を示すことで、
読み手であるぼくら自身が、
真実を見つけていくやりかたとはどういうものかを、
読みながら学んでいくような体裁でした。

この本を読んで現代アメリカ社会通になる中学生だとかいるだろうけど、
それもおもしろい存在だなと思う。
学級会なんかで「たとえばアメリカなんかじゃ・・・」って
うんちくをたれていい気になるのも、
オトナになれば(いい意味で恥ずかしい)思い出になる。

それはそれとして。
日本で、のほほんと暮らしているからか、
アメリカの実情をこの本を通して耳にするとすごく世知辛く感じる。
競争原理バリバリで傲岸不遜な政治のように見えるし。
大量破壊兵器もなかったイラク戦争への突入の仕方だとか、
9.11から対テロ戦争へと傾いていったそのやり方、
「愛国者法」や「落ちこぼれゼロ法(経済徴兵制度成立法とも言える)」
を成立させていった過程をしるにつけ、
そんなだから、例えばウィキリークスって、
そういうのに対抗するのにバランスとしてちょうどよかったんだろうなあ、
日本じゃ受け入れられない手合いのものだったとしても、と思ったりする。

日本はまだほんわかしているところがあるから、
ウィキリークスみたいなのはやりすぎでけしからんということになるけれど、
アメリカだとかにすれば世知辛さの真剣勝負だから、
真剣に両足を不正に突っ込んでやってたりするわけで、
つまりはそういうののカウンターとして、ウィキリークスくらいの過激さっていうのは、
「当然」と言った体で出現したものなのかもしれない。
といいつつ、本書を読む進めると、反体制だとかそういったものに限らず、
情報のあり方までを変えて見せたのがウィキリークスなんじゃないか、と
著者は述べているのだけれど。

最終章の「社会は変えられる」はとくに秀逸でした。
この章を読むと、高齢者による巨大な団体であるAARPのことなど
面白いポジティブな情報が得られるし、なにより希望のある章でした。
若者は熱しやすく冷めやすい、それがウィークポイントだ、もっと粘れ、
といろいろと政治に働きかけて社会を少しずつ変えてきた高齢者のひとりは言います。
投票してそれで終わり、では変わらないことだし、
ちょっと駄目だったからといってそこから離れるのはナイーヴすぎるのかもしれない。
アメリカならば、自分たちの抱える学生ローンの問題や就職難の問題などなど、
それら生活に根差した問題を政治にぶつけて働きかけていくことが、
きっと、政府などの政治の暴走を防ぐことになるのでしょう。
弱い立場の国民は、でも、「数」でもって戦えると著者は言います。
そしてそれは、真実でありましょう。


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『心配事の9割は起こらない』

2015-06-10 01:12:33 | 読書。
読書。
『心配事の9割は起こらない』 枡野俊明
を読んだ。

禅僧でありながら大学教授で庭園デザイナーの著者が、
その道で得た経験や知見をもとに、
日々の暮らしを、より平静なこころで過ごすこと、
その方法や考え方を示してくれる本です。

考え方を変えて、それを実践することで、
タイトルにあるように、心配事の9割を、
無駄に案じて汲々とした日々を過ごさないですむようにしたらいかがですか、
というように、柔らかな文体と文章で仏教的・東洋的生き方を提唱しています。

ひとつの項が数ページですし、
引用される仏教用語などもわかりやすいかたちの現代語に噛み砕いてくれていますし、
論理も明快で、すらすら読めながらも沁みてくる感じの読書でした。
そして、ひとつひとつの項で示される考え方を、
自分や周囲の人に照らしてみて、ああだこうだと考えてみるのが面白かったです。

そのなかでも、正論をかざさずに相手を顔を立てた方がよい、
という項では、次のような自分なりの考えが浮かびました。

小説書いたりっていうのは独りの世界でやることだから、
作っていく世界に正論を振りかざしがちになるような気がする。
独壇場となってしまう。
でも、きっとそれは違うんじゃないかって思うんです。
創作の世界でも、相手の顔をたてるべきじゃないか。
むずかしいけど。

カフカの言う、
「世界と君との戦いにおいては、世界の側につきたまえ」
という言葉って、そういうことなんじゃないかって、
この本を読みながら「悟った」。

自分の正論でもってバシバシ斬っていく生き方って迷惑ですごく嫌われるし、
最終的にもう無理ってところに行くつくと思う。
でも、自分で書く小説の場合、それが無理ではなくて書きあげてしまえるんですよね。
ただ、それが世に出てどう評価されるかってところで、
生き方と同じく、それはもう無理、になる。

他人を意識しないような小説は受け入れられにくいんじゃないか、と。
相手をたてることもちゃんとやる小説、
そういう意識が働いている小説こそが力があるんじゃないかって、
空論めいたものを立てている。
でも、この空論めいたものは試す価値があると感じている。

と、まあ、創作について関心のあるぼくですから、
その考えにこの本のひとつの論旨が結びついたのでした。

ときどき、というか、けっこうかもしれないですが、
周囲の人に読ませたくなる本があって、
この本はそういう種類のものでした。


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『阪急電車』

2015-06-08 00:47:25 | 読書。
読書。
『阪急電車』 有川浩
を読んだ。

阪急今津線を舞台にした連作短編集。
面白かったぞー、がおー。

ドライな筆致なんだけれど、
ちゃんと内容には機微や情緒が描かれている。
こまごまとしたところが各章で起点となっているのですが、
そういったこまごまをきちんと書けているし、
多少無理があっても、それをサポートするような展開や描写で、
その無理に対して地に足をつけさせている。
それでいて、くどくないし、軽すぎもしないようなバランス感覚も
著者は持っているようですね。

笑えるし、恋の淡い甘さや苦さを感じられるし、
それは酷いなっていう場面もありながら、
全体を通してハッピーなわけで、
読んでよかったと思える作品でした。

エンタテイメント小説かくあるべき、
なんて思ってしまうくらいでした。

登場人物がたくさんいましたが、
その主要なキャラクターそれぞれに愛着が持てました。
やぁ、よかった。


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『詐欺の帝王』

2015-06-05 23:57:43 | 読書。
読書。
『詐欺の帝王』 溝口敦
を読んだ。

起訴も逮捕もされないでのうのうと暮らしている
オレオレ詐欺などをやった「詐欺の帝王」がいるそうで、
その男と著者が接触し、詐欺の手口やなれそめ、
どういう人物なのかなどについて明らかした本。

その「詐欺の帝王」は、
本書では本藤という仮名で書かれていますが、
ちょっとネットで調べると工藤という男にたどりつきます。
これもまた、実在の人物説、架空の人物説があり、
お互いに工作員呼ばわりして混沌としていたりします。

たしかに、本書に詐欺のシステムなどを語った本藤は、
なぜ表に出てきたのか信じがたいところで、
すべてノンフィクションではなくて、
フィクション仕立てで詐欺の実像を暴いた本なのかなという気もしました。
こういう人物がいたほうが、えたいのしれない裏の世界の詐欺世界に対して、
逆に安堵の気持ちが持てるという人も多いような気さえします。

さてさて、
ヤミ金のシステムから換骨奪胎してオレオレ詐欺が生まれたとのこと。
それも、半グレ集団がやっているそうです。
暴力団は年々衰える傾向にあるようだが、
半グレ集団は勢いを増しているという。
突きつめると、現代の雇用環境の劣悪さが詐欺の世界を肥沃にしているんだとか。

倫理道徳がすたれて、そんなのどうだっていいとして生きている人々が多くなり、
雇用環境が悪化して、ワーキングプアだとかネットカフェ難民だとかになるくらいなら、
違法でも他の人を食い物にして生きてやるという、
万人の万人への闘争みたいなかたちになっているように見えてきます。

前に『キャバ嬢の社会学』を読んでいて、
オレオレ詐欺などで儲けた若者が来店して
大金を落としていく時期があったというようなのがあったけど、
この『詐欺の帝王』にもそんな記述がさらっとあって、
やっぱり詐欺で儲けた金をキャバクラなんかに落としていたようだ。
そういうところから検挙できないのが、
たぶんに大金を落とすものをかばう金目当ての人びとの
欲望のためなのだろうと思いますし、
終章にもそのように書かれていた。

本藤がオレオレ詐欺の黒幕ということなのだが、
彼は六大学出身でイベントサークルを仕切っていた人。
そのあたりの事情をしるにつけ、彼の企画したイベントには
スポンサーにつく大企業がいたりして、
暴力団にも通じていたと言う裏の事情も考えると、
ちょっとしたカオスになっていたなと思った。

学生時分からこうやって金もうけの世界に足を突っ込んで
自分たちのメリットを活かして金を引き出す方法を
血肉化させていった人びとを企業は将来、
自分たちの会社などの利益を第一とするという意味での
健全な金もうけの道を進むことを嘱望していたのだろうけれど、
実際の本藤はもっと姑息な人だったのが正体ということなのだろう。
これはなにも本藤にかぎらず、イベントサークルを仕切っていたような人は
多かれ少なかれそういう気質だったのかもしれない。
まあ、姑息というか、倫理観が薄れていて、
さらに個人主義(利己主義)で、という。
そういう土壌から出てきた人としてみると、
ホリエモンさんなんかの見方もなるほどなと思える部分もありそうな気さえする。
というか、そういう人とホリエモンを比較するなという感じもしますが…。

ちなみに、ぼくが学生時分にも、
大学に遊びのためや飲み会のためサークル、
イベントサークルがあったけれど、
なんだよそれと思って一蹴に付していた。
見るからに、悪徳、反モラルの温床という気がしたから。
時代はちょうど本藤と同世代になるかな。
逆に、そういうのを気にしないで楽しむ人が主流になって生きるようなのが
この世の中なんだろう。

こういうのにも、
生産物や購買物、贈与物などにその送り手・作り手の顔が見えるというか、
存在を感じるような社会は有効だと思うんですよね。
あたたかみを感じる社会。
包摂性のある社会。
今の社会には包摂性がないから、
詐欺をするような反社会的な半グレ集団が勢いをつけるともいえる。

というわけで、
ふだん読まない種類の本で、
さらに内容からして気が引き締まる思いがしました。


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