Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

孤独の扱い。

2017-08-31 10:58:54 | 考えの切れ端
孤独とはなんなんだろう。

孤独は、寂しくて辛くて涙が出るものだ、なんて
あまり孤独になれていない若いひとのイメージとしてあると思うのです。
たしかに、そういう局面はあるけれど、
孤独を前提にして、孤独を丸のみにして生きてみると、
「そういうものなんだよな」と生活するから、
特段に気をとられなくなります。
気をとられても、耐性がつくように思います。

甘えを否定するわけじゃないんですが、
孤独と対峙できないひとというのは、
孤独を感じると他人に理解を求め(それは間違いじゃないんだけどね)、
理解されない、関心をもられないと、
他人に怒りを持つようになる。
それって、甘え心の裏返しなんですよね。

孤独を自覚しつつ、特別視しない。
ありふれた孤独をそのまま受け入れて、孤独を前提にして生活していく。
まあ、そこまではいかずとも自覚するだけでも、
他人への怒りやそこから生じる
「他人の足を引っ張る」ような行為
(愚痴や文句を長時間垂れ流して他人の時間を奪うこともそうだ)
は少なくなりますよね。

少しくらいは愚痴を言ったり聞いてやったりって
ふつうのことなんだと思っているのだけれど、
度を越してくるのが甘えなんです。
そして、それは度を越してくるくらいのSOSでもあるんです。
他人に受け入れてもらわないと生きていけない、
というのもひとつの人間の有り様。
でも、自覚してね、と思う。

たいがい、そういうひとは、
孤独を真正面から見つめたことがないかもしれないひと。
かといって、そういうひとが急に孤独に対峙してみると、
まるで防衛手段がないから、自分を責めすぎたり、
場合によっては、自死を選んだりすることはあり得る。

詩人の谷川俊太郎さんはこう言ったそうです。
「孤独は前提でしょう」
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『感情労働シンドローム』

2017-08-24 19:24:21 | 読書。
読書。
『感情労働シンドローム』 岸本裕紀子
を読んだ。

あまりおすすめできる本ではないかなあ。
珍しく、批判的な内容の感想文になります。

気持ちの管理や抑制に重点を置いた精神労働を
感情労働と言うそうです。
たとえば、キャビンアテンダントの仕事ぶりを思い起こしてみる。
高圧的で不遜な態度の客にも、他の客と同じように笑顔で、
きちんとした言葉遣いで、また他の客にするよりも細やかに
相手の感情を読んで対応する。
そういうのが、感情労働です。

また、職場内での人間関係を考えて、
気持ちを抑えて話をしたりすること、
これも感情労働に当たるとされる。

しかし、本書の質がよくないのか、
ところどころ論理的な破たんみたいなところだとか、
若者叩きのところなどが見受けられる。

例を出すと、
職場で上司がみなのいる前で新入社員をしかりつけ、
それを新入社員が恨む。
なにも、みんなの前で叱らなくてもいいじゃないか、と。
著者は、これについて、新入社員のほうが常識が無い、といいます。
仕事、職場、とはそういうものだという常識なんでしょうね。
たぶん、新入社員がいる文脈と、著者のいる文脈が違うのに、
著者は自分の文脈で判断して叩いているんじゃないのかなあ。

どうにも、著者がゆるぎない正義の場所にいるかのような、
若者の叩き方が、そのほかにもいろいろありました。
それで、章の最後の数行だけ、でも社会がサバイバル型になっているから、
若者がそう変わったのだ、みたいなことを言います。
そんなことを言うならば、なぜ叩くのだ、言いたくなる。

そういった、言うだけいっておいて、
最後に手のひらを返すように少ない言葉でまとめて、
自分の言い分を隠すようなにおいがする本です。
さらにいえば、前半は、雑誌を読んでいるような感覚でした。
解決策などを述べる種類の本ではなく、
感情労働の例をひたすらあげていく本です。

それでも、「女性は過去に固執する」だとか、
「アルバイトは、昔と比べて今は異質なものになった」だとか、
「最近の、生徒による先生いじめの様相」だとか、
なるほど、と思える箇所はありました。

それでもなあ、論旨がなあ。
「昔がよかったのはゆるぎない事実で」
という基盤からのモノの言い方ですし、
若者叩きとは真逆に、中高年には同情めいた態度です。
昔がよくても、その流れで今があり、
その今を作ったのが、まあ世の流れに流されたとはいえ、
その中高年であり、
苦しんでいる若者の住む世界が息苦しいがゆえ、
昔と違う形の考え方で生き方を模索しているのに、
そのあたりを理解せずに叩く。

まるで、若者は自然発生したもののような扱い方です。
若者の態度や常識を生みだしたのは、誰か。
そこまで言及してくれないと、違和感があふれだしてきます。

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『雪男は向こうからやって来た』

2017-08-21 15:15:10 | 読書。
読書。
『雪男は向こうからやって来た』 角幡唯介
を読んだ。

冒険型ノンフィクションライターである著者の雪男探索記です。

雪男、と聴くと、オカルトな分野のUMA(未確認生物)
を思い起こすひとは多と思います。
巨漢で白い毛で黒い顔で牙が生えて、
ウワーっと両手を振り上げて
こっちに襲いかからんとするイメージはないですか。

ヒマラヤなど多くの山を制覇したなだたる登山家たちが、
実は雪男を見ていたり遭遇したり、
足跡を発見していたりしていたことが、
本書で明らかになります。

体験談が、その登山家の格を落としたり、
登山話を聞く者、読む者を興ざめに追いこんだりしないためのように、
ほんのちょっとだけだとか、そっとだとか語られたことがあるような雪男話が、
彼ら登山家の、知る人ぞ知るサイドストーリーとしてありました。

著者は青天の霹靂といった体で、
雪男捜索隊の隊員になるよう頼まれ、
雪男に魅入られた、個性豊かな山男たちに随行して、
ヒマラヤのコーナボン谷を訪れる。
はたして、雪男の痕跡、そして雪男そのものは見つかるのか。

解説の三浦しをんさんが述べられているように、
なにかに人生を賭けるようになることは、
それが雪男だったにせよ、幸せなことかもしれないです。
著者自身は、なにかに夢中になることと
雪男に夢中になることをいっしょくたにせずに、
「雪男に捉われてしまうなんて……」
という反応でもって本書を書いていたりする。
しかし、ぼくも三浦しをんさんといっしょで、
それでいいんだ、と思うほうです。
価値観や考え方、もっといえば正義だっていろいろあって、
そのどれが真理かなんて、なかなか言えないと思うのです。

最後の日本兵、小野田寛郎さんを見つけた鈴木紀夫さんという冒険家も
雪男捜索に命を賭けたことが書かれています。
彼がまた、ヒマラヤ付近の住民たちの持つ
雪男像を作り上げている疑いがあることも、
著者が気づいていました。
そして、本書では、彼が人生を雪男に賭したのはなぜなのか、
という問いから彼の足取りを追いかけ、
雪男に魅入られるとはどういうことなのか、を考える上での
キーパーソンになっています。

また、ここがグッときましたが、
鈴木紀夫さんというひとは、その人懐こい笑顔とは裏腹に、
他人からの無理解・無関心を飲み込むことでの孤独を
抱えていたのではないかという鋭い仮説がありました。
著者は、そのあたりを哀れに思うようなニュアンスで綴っていましたが、
それはまだ若い時期に書いたこともあると思います、
ぼくには、人間ってそういうものだと思えるふしがあったりする。

閑話休題。
序盤から文章がうまくて、重厚さがありますが、
なかなかに読ませるノンフィクションです。
「え、雪男?」と笑っちゃうひとでも、
読んでいくうちに、その真摯で誠実なスタンスに、
腰を落ち着けて読みこむことになるのではないでしょうか。

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『賭博者』

2017-08-16 20:34:16 | 読書。
読書。
『賭博者』 ドストエフスキー 訳 原卓也
を読んだ。

ギャンブルの描写が、
ギャンブルを知っているからこそ書けるというものでした。
主人公が後半に大勝負するところも含めて、
ギャンブルにはいろいろな面があり、
いろいろな局面をつくり、
いろいろと作用することがよく描かれていると思った。
そして、その魔性についても。

このギャンブルの描写はちょうど良い距離感なんでしょうね。
もっと深く、微に入り細を穿って描けそうな気もするのだけれど、
そうなると個人的すぎて、
ギャンブルとしてはひとつの断片的性格が強くなりそう。
『賭博者』の極端なギャンブルの例たちが合わさって、
ひとつの全体性みたいなものが感じられるようになっている。
ギャンブルそのものについては、そう。

ぼくもね、
けっこう競馬とパチンコではあるけれど
ぐぐっとギャンブルに両足を突っ込んだことのあるひとだから、
その点でこういう『賭博者』を書く作者(ドストエフスキー)の
ギャンブルについての知識というか、
どれだけわかっているのかを
値踏みするように読もうとしてしまうところがあります。

さてさて、賭博の成功体験をもつ主人公はどうなってくのか。
重要な脇役からの辛辣な「見抜き」で締めくくられています。
そうなんです、ギャンブルにハマるとはそういうことなんです…。

五大長編の読破以来、
久しぶりにドストエフスキーを読みましたが、
やはりよかったですね、おもしろいです。


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『高山一実写真集 恋かもしれない』

2017-08-07 12:39:04 | 読書。
読書。
『高山一実写真集 恋かもしれない』 高山一実 撮影:佐藤裕之
を眺めた。

乃木坂46・高山一実ちゃんの写真集。

グループ結成当初、そのキャラクターとトークのおもしろさで
白石麻衣ちゃんと人気を二分したという高山一実ちゃん。
乃木坂のなかでも、バラドル的な立位置寄りな感じがしますよね。
個人活動でバラエティ番組にもよく出演されているようです。
それで、メンバー想いのところがあったり、
本を愛し、『ダ・ヴィンチ』に小説を連載していたり
(本になったら買って読むぞ!)、
と才媛でもあるんです。
前に読んだ、『乃木坂と、学ぶ』でも、
知性と思いやりを強く感じさせる発言をされていて、
「ああ、このひとは真っ当なひとだ」と思いましたし、
けっこう年下ですが、リスペクトの念も持ちましたし、
シンパシーを感じさせるところもあります。
また、ぼくよりも鋭く先を見ているような部分もあるなあ
という感じがあります。
それは男性とは違った視点の鋭さかもしれないのですけどね。

この写真集は彼女の地元の千葉で撮影されたものです。
乃木坂の他メンバー、生田絵梨花ちゃんがドイツ、
橋本奈々未ちゃんがニューヨークなどと
撮影地には海外を選んでいたりするメンバーが多い中、
地元の千葉で勝負!しています。
これは大成功だと思いました。
なぜなら、あまり余所行きにならないような、
地に近い部分で、
彼女のよさ、輝きってでてるなあと感じられたからです。

なんというか、この写真集の彼女には、
見ているものにとって「見つけた」と思えるような、
ひめやかさの中から目を惹かれる魅力があるんですよね。
さらに、近しい関係を感じさせるような、
ストーリーというか、日常感というか、
そういう流れで構成されていて、
そこに彼女のラブリーさがあいまって、
幸せが表現されているかのように見えてきます。
はたまた、読者の気持ちに幸福感が生じるようでもあります。

写真の高山一実ちゃんの微笑みがこちらにも伝染するかのような、
そんな写真集です。めんこい、めんこい。

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『生物から生命へ』

2017-08-01 00:43:42 | 読書。
読書。
『生物から生命へ』 有田隆也
を読んだ。

生きているモノとしての生物観から、
生きているコトとしての生命観へ…。
そのためには、共進化という見方がカギになります。
そうやって見ていくことで解き明かされる多くのことがあり、
獲得できる多くの視点があることがわかります。
複雑系と呼ばれる科学分野に属する学問・研究のようです。

たとえば、こういうおもしろい実験があります。
囚人のジレンマをベースにしたプログラムを
コンピュータ上で動かしてみる話。
協力個体と裏切り個体、どちらか強くなるか、
つまり協力しあう社会になるか裏切りの蔓延する社会なるか、
その他にネットワークの多さを見たりなど
共進化の観点から実験してみる。
裏切り個体の多い中で、
偶然、少ない協力個体のネットワークが生まれるとそこが強くなり、
そのうち協力をする個体が優勢になり、
協力しあう社会になっていくそうです。
しかし、そこで安定せずに、
協力しあう社会の中で裏切り個体が得をするようになり、
ついには殺伐とした裏切り社会に戻るようなのです。
そして、その繰り返しになるというのだけれど、
世の中の移ろいもそのとおりかもしれないなあ、なんて思いませんか。
安定せず、巨視的にみるとたえず揺らいで、
協力と裏切りの間を行き来する。
協力がよい、裏切りがよい、というそれらのための文脈、
というか背景ができあがるためなんだろうなあ。

こういうことを知ると、
永世的に続いていけばいいような思想や論理なんて
実はないんじゃないかと思えてくる。
そういうのを求めても徒労に過ぎないのかもしれない。
生きやすさや生きづらさとはなんぞや、
という問いも、また違って見えてくる。
だから、今、
「これが真理」だとか「これが正しい」とか言われていることも、
瞬間的なものでしかないんだってことになりますね。

また、ひとは、協力、模倣、言語、心の四つでもって、
他の生物と異なる存在であるとしている。
そのなかの、模倣に関してですが、
ひとは模倣していく生きもので、
それはかなりの量に及びます。
一方で、他律性を嫌う。
自律的に模倣をしていき、
模倣される側からの他律性が感じられない状態が、
幸福なのかもしれない。
口出しせず、気前よく、模倣されればいいんです。
模倣するほうも、そこに矜持と敬意があればいい。
なーんて、思ったりもして。

ちょっと難しめの内容ではありますが、
読んでいるとはっとするような実験結果がでてきたりします。
共進化に関した様々なプログラムを
機械(本書では計算機と呼ぶ)上で動かして、
それら人工生命の挙動を解釈していく。
そうやって知見を得るのがこの分野だそうです。

まるで知らない領域の門前から中をひょこっと覗くような感じで、
いつもと違った角度からものごとを考えるきっかけにもなり、
楽しい読書体験でした。

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