Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『編集者の仕事』

2019-07-30 22:55:46 | 読書。
読書。
『編集者の仕事』 柴田光慈
を読んだ。

電子書籍という、本の内容だけのデータをダウンロードして
読書を楽しむような時代になりつつあります。
しかし、そういう合理化や効率化でそぎ落とされてしまう部分、
それは装丁で選ぶ本自体のサイズや紙質やデザインだったり、
フォントのサイズや種類、配置などもそうですが、
本という物体まるごとをつくりだすこと、
つまり、受け手のことを考えて表現し楽しませるための工夫について、
本書は「編集者の仕事」として紹介・説明しています。

そうそう、そうなんですねえ。
文庫や新書ばかりに触れていると、
それほど本の体裁というものを気にしなくなりますし、
それこそ電子書籍のほうが検索とか楽でいいじゃん、
なんて思うようになるかもしれないですが、
本そのものの物体としての魅力について、
その豊かさを軽視するのはちょっと違うかな、と思いました。
単行本なんかは、表紙から材質や紙質、行数と文字数など細かいところまで
いろいろ考えて決定して、内容だけじゃなく、
トータルでの本としてひとつの作品になります。

そのことに気付いたのはけっこう最近。
糸井重里さんの小さいことばシリーズを購入して、
その、「本」としての愛おしくなるような作りに感じ入ってからです。
それまで、本ってのは、文字だけが大事でしょ、
みたいな人でしたから、
それは若い頃にほとんど教科書だけで
文章に触れてきた害悪の部分だなあと
今になっては思うところです。

春に『小説王』を読んだときに、
小説家と二人三脚で作品作りをしていく編集者がでてきて、
本書でもそういった、本の中身作りの場面で、
編集者がどういったことをしているのかを第一に知りたかったのですが、
それについては、最終章の「思い出の本から」から推測するしかなかったですね。

それはそれとして、
本という物体の豊かさを作ってきた仕事の種類を知るための
よいチャンスになる本でした。
読みやすくて、さらりとですが編集の仕事を知ることができました。
こういう分野のとっかかりとしてよいものだと思いました。


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『反知性主義』

2019-07-28 23:52:26 | 読書。
読書。
『反知性主義』 森本あんり
を読んだ。

副題は『アメリカが生んだ「熱病」の正体』となっています。

反知性主義とは、
かいつまんでいうと、
知性と権力とが結びついたものに対する嫌悪や、
それらに反対する心理や行動のようです。

学のあるエリートと大衆的でおおらかな人物とが、
たとえば大統領選挙でまみえると、
前者は知性主義的であり後者は反知性主義的であるので、
後者が勝ちやすいみたいなところがアメリカにはあるようです。

そんな反知性主義はどうして生まれ、
アメリカ人の根底に流れるようなものになったか。
そこには、アメリカという国そのものの歴史、
それも宗教史を考えていくとわかるものがある。

イギリスで起こったピューリタン(清教徒)の系列のキリスト教が、
アメリカに移民とともにはいってきますが、
それはとても知性的な宗教だったのです。
勉強に勉強を重ねたエリート中のエリートが牧師になれて、
それぞれの土地の重鎮みたいにその土地の顔のようになり、
人々を導く役割を持つ。

そんなところに、あまり神学について学の無い伝道者が、
各地を巡回して説教をする時代になる。
それによって、回心という現象が多発するようになります。
これをリバイバル、という。
もともとキリスト教の洗礼をうけてはいたものの、
ぼんやりとした宗教心しかもっていなかった多くの人々が、
伝道者のわかりやすく巧みな話術(説教)に触れたことで、
キリスト教に、あらためて、
いや初めてといってもいいような覚醒をするんですね。
失神したり痙攣したりといった、
狂信的な意識レベルに入ることで起きるような身体現象を伴いもしたようです。

といったように、
そういった反知性の伝道者が受け入れられ、その後、
伝道者によってお金儲けと信心とが結び付けられていき、
まさにアメリカ的なキリスト教になったことで、
反知性主義はアメリカ人たるものの根底にあるものになる。

反知性主義の源泉には、平等(フェアネス)をよしとし、
求め、実現しようという理念があります。
また、たとえば誰かを助けるときにおいて、
知性主義の人は、
立場や法律など社会システムに照らしてから助けるか否かを決め、
反知性主義の人はその誰かの命や生活を優先して
社会システム度外視で助ける、みたいなところがあるようです。
そういうのを知ると、反知性主義のほうでいいじゃないか、と思ったりもしませんか。

しかし、どんな主義思想にも欠点はつきもので、
反知性主義には、よくない意味での熱狂を生むし、
原理主義と親和性があり陥りやすいというのがあります。

反知性主義って、
神の子羊である存在を肯定するようなところがあるように見受けられる。
勉強して子羊以上の存在になった者よりも、
子羊のままでいいのだ、と。
そんな無知な子羊が子羊として無垢な存在であるためには、
社会から競争と資本主義を取り去る必要があると思います。
そこはもっと個人的にも考えていかないと、ですね。

「知能」と「知性」は違うという話もおもしろかった。
知能犯はいても、知性犯はいない。
知性とは、自分を振り返る技術や性向をいうのだ、とされていました。
だからといって、反知性主義にも知性は必要で、
権力と知性の結びつきをきびしく監視し分析するのに使われます。

反知性主義ときくと、ちゃらんぽらんな状態がいいのだ、と誤解しそうですが、
本書を読むと、反知性主義であろうと知性主義であろうと、
知性なしでは進んでいかないものであることがわかります。

やっぱり、無知って悪と結びつくとも言われるので、
「主義」はぬかして、知性は大事だなと感じるのでした。


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集団の活性のために-----見かけの協力と、ほんとうの協力。

2019-07-19 21:41:53 | 考えの切れ端
ひとつの集団や共同体のなかで、
表向きの態度とそこに隠された内緒にされている態度とが逆だというのが、
多かれ少なかれ、ある。
一応、皆で手を繋いでいるように見える集団であっても、
その実、各々が各々にいらいらしていてバラバラだというような。
それは話し合いや議論が小手先ばかりでやっていて、
下手くそだというところに理由があるでしょう。

話し合いや議論の場で、
自分の意見を通すために相手を抑え込むための言葉や態度で臨む人がいて、
さらに、相手の話をしっかり聞いてあげないし理解してあげない人がいて、
そうなりがちなんですよね。
さらにいえば、話し合いの場で相手を責めるのはNGです。

話し合いをディベートにしてしまうと、
それは試合でありゲームでありという性質のものになり、
そもそもの、テーマを深掘りするだとか最適解を求めるだとかという
真っ当な性質の話し合いから逸れてしまう。
ディベートはボクシングみたいなものだし、
ふつうの、力を合わせる集団内でやるものじゃない。

なのに、話し合いをディベートにしてしまいがちな人っていうのは、
権力を使おうとしたり、そこにいる人々の立場が不均衡なのを利用したり、
自分の考えを通そうとするようなタイプ。
支配性を感じずにはいられない。
ディベートは周囲が敵だけだったり、
集団vs集団での戦いだったり、そういうときのもの。

だから、話し合いを建設的に行い、
なおかつ集団内でもお互いをより深く理解して
うまく補完しあってやっていくというような姿勢が、
徒労に終わるような時間の浪費からみんなを救うし、
余計なストレスから解放するし、
と集団や共同体の環境を好転させていくものになる。

そして重要なのは、
そうやって好転していった集団内では、
それ以前よりもよい意見が出るだろうし、
そのブラッシュアップも以前の比ではないほどになるだろうこと。

自分は個性的な人間だ、とかすごく頭がいいんだ、とか、
そういう思い込みで人は自己洗脳するようなきらいってあるけど、
ほぼ、そういうひとたちだって実は「ふつう」なんですよね。
自己洗脳して無理しちゃうより、
「ふつう」の自然体で他者とかかわった方が、
相手に伝え・聞いて理解しあう態度になれる。

そんな態度は、
前述のように、
話し合いの内容を深掘りしたり、
状況に応じて内容を広くしたり絞ったり、
柔軟かつダイナミックかつ親和的に議論できる方向になる。
そして、そんな集団(場所)にこそ活性が生まれるのではないでしょうか。
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『空より高く』

2019-07-15 19:28:42 | 読書。
読書。
『空より高く』 重松清
を読んだ。

東京のとあるニュータウン。
予定通りに反映することなく、人口も減っていく。
そんな街で閉校が決まった
「トンタマ」と呼ばれる高校の最後の世代の高校生が主人公の物語。

2005年の作品ですが、2012年に単行本化され、
僕が読んだ文庫版は2015年刊のものでした。
最近のものだと思って読んでいたら、
最近の高校生がまるで知らないようなネタがでてきて、「え?」と
思いましたが、書かれた時期がわかって納得。
昔の作品かあと思ってちょっと残念な気もしたけれど、
中身の部分は色あせることなく、
現代に当てはまっていて教えられるものがあります。

いつの時代でもずっと欠けているものがあって、
それは日本人の性質や文化が、
なかなか変わらないからだったりするかもしれない。
また、本作の主人公である高校生たち。
彼らのような若い世代、
つまり誰でも通る未熟な時期を描いているから、
普遍的な「欠けているもの」を描けているのかもしれない。

そういったところに気付いてなおかつ直視しそらさず考えて、
でも、硬くならずに平易に庶民の感覚で物語にしています、
それも夢のある形で。

こういう場面でこうできていたら、
きっとこういうふうに現実は進んで、
それはステキだったに違いない。
著者はそういった夢想の数々を物語の上に現実化していって、
積み重ねていく。
だから、読者はこの物語に、
数々のこれまでの後悔や鬱憤にたいして共感してもらったような感覚とともに、
本当はそうできたかもしれない失われた現実、選択しそこねた現実を、
読書でもって仮想体験する。

よって、読者がそこで直面するのは単純な感動ではなく、
胸の奥からこころが撹拌されて、活性する感動。
嬉しさもあるし、面白さもあるし、楽しさもあるし、
前へ進んでいこうとする活力も湧きおこる。
反面、苦さもあるし、悔しさもあるし、むずがゆさもあるけれど、
それらすべてひっくるめて、
自分自身と対峙できた反応なのだと思うのです。
小説という「虚」の世界を使う、つまり体験することで、
うまい具合に現実にフィードバックできちゃったりする。

自分と向き合わないことには、時間は進んでも人生は進んでいかない。
それどころは、後ろ向きに進んだりする。

この小説は、物語内の高校生たちがオトナになっていく道程で自分と向き合う。
そして、読者も、彼らの物語を通して、自分自身と向き合えるようになっている。
まあ、物語とは、往々としてそういうものなのかもしれない。

最後、ネタバレになりますが、世の中を料理に喩えて、
よい「ダシ」になりなさい、とするところはうまい表現でしたね。
そうなんですよね、いいダシだなあと感じる料理はたいがい旨い。
世の中もしかり、なのでした。


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『[三訂版]わかる!使える!労働基準法』

2019-07-01 16:26:59 | 読書。
読書。
『[三訂版]わかる!使える!労働基準法』 布施直春
を読んだ

「学生は社会人になる前にまず労働基準法を勉強しておくように」
などと言われることがあります。
起業などしない多くの人の場合、
お金を稼ぐために労働者になりますから、
そんな自分自身を守るためにこの法律を知っておきなさい、というのです。
また、それだけ会社側は労働者を、
法律すれすれだったり、違法だったりする環境で使おうとしがち。
「うちの社員やパートさんたちは労働基準法を知らないから、
こういうところまで仕事してもらおう」みたいなブラック会社も多いようです。
そのための労働基準法と、それを盾に取り締まる労働基準監督署なのでした。

そんなことをのたまう僕であっても、
労働基準法をちらっとしか知らなかったようなタイプでしたから、
恥ずかしながら本書に書いてある法律の知識が新知識である場合が多く、
かなり勉強になりました。

たとえば、労働時間が一日に8時間を超えた場合や、
週に40時間(接客業などの場合は44時間)を超えた場合に、
時間外労働として残業代がつくとなっていますが、
僕はこのあたりは、
会社が各々で取り決めるものなんだろうとお気楽に考えていたんです。
そうじゃなくて法律できちんと決まっていたんですねー。
僕の今の仕事ではこのあいだ週に44時間を超えたときがありましたから、
どのくらい割増で残業代が発生するか、
そして、きちんと残業代として計算してくれるのかを会社の担当者に訊こうと
文書を作成したところなのでした。

また、労使トラブル、つまり、
セクハラやパワハラ、一方的な労働条件の引き下げなどのトラブルについては、
「個別労働紛争解決システム」という、
各都道府県労働局に設置されているシステムを利用するものなのだそうですが、
なんと、年間のこのシステムの利用件数は100万件以上なんだそうです。
(ちなみに無料で利用できます)
それだけ、そういった、
不当だったり、人間性を問われたりする問題が多いということです。
どこまで人の自由をというか気楽さを縛るかという問題もありますが、
世の中全体がブラック体質なんだなあ、
という印象を持ってしまうのも仕方がないですよね。

本書は法律の解説書でありながら、非常にわかりやすく、かつ読みやすく、
労働者の味方として役立ってくれる本です。
そろそろ労働基準法を勉強しなきゃならないのか、と身構えたりする人にとっても、
すうっと頭にはいっていくだろう文章なので、
きっとストレスなく労働基準法を知ることができると思います。

おすすめですね。


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