Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『わたしはマララ』

2016-01-23 20:47:48 | 読書。
読書。
『わたしはマララ』 マララ・ユスフザイ クリスティーナ・ラム著 金原瑞人 西田佳子訳
を読んだ。

15歳のときにタリバンに撃たれたパキスタンの少女、マララ・ユスフザイさん。
教育の重要性を訴え続けて、過激派のイスラム組織であるタリバンに狙われた。
タリバンの唱えるイスラムの考えは、女性は教育を受けてはいけないなど、
女性をさげすみ、基本的人権すら認めない狭隘さの上に成り立っているように見える。
そして、イスラム世界から遠いぼくたちは、
それがイスラム世界の中核の考え方なんだろう、などと誤解してしまう。
ほんとうのイスラムの考え方は、平和を守り、暴力を嫌い、
女性蔑視などはしないといいます。
本書を読むと、マララさんは、そんなイスラム世界の狭間、
それもどちらかというと、よくないほうに偏っている世界に
生まれたように感じます。
それでも、生まれ育ったスワート県の、
スワート渓谷の美しさこそが世界で一番だと言って、
いまやイギリスに住む身になり、懐かしんでいました。

この本は、マララさんの生まれてからこれまでを追うものですが、
パキスタン、とくにスワート地方の歴史や風土や文化や宗教といった、
背景を濃く知ることも重視しています。
そうでなかったら、マララさんの境遇や訴えなどが薄っぺらくなってしまう。
また、外国の伝記作品ではけっこうそうなのですが、
本書でも、マララさんその人の父や祖父など、
代を遡った記述にも多くページを割いています。

「“タリバンに撃たれた少女”だとは思われたくない。
“教育のために戦った少女”だと思われたい。
そのために、わたしは人生を捧げるつもりだ」

ぼくはこの本で、あらためて自分の世界の狭さを知った。
日本の中という狭い世界。
マララさんには共感するし、彼女の考えや主張を支持する思いです。

マララさんは本書をでたころにノーベル平和賞を受賞されました。
その思いや主張が世界のあらゆる地域の人びとに届けば、
世界はきっと少しずつ変わっていくような気がします。
ノーベル平和賞受賞は、そのための大きな後押しになったのではないかな。

マララさんは将来政治家になってパキスタンをよくしたいと考えているようです。
それでも、本書を読むといろいろでてくるのですが、
テロなどで暗殺される政治家や著名人、有力者がほんとうに多くて、危ない。
できるならば、止めたい派です、ぼくは。

400ページ超ありますが、冗長なところはありません。
巻末収録の国連でのスピーチは、
きっと読者のこころの奥まで響いていくことでしょう。


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119番通報

2016-01-18 15:48:27 | days
もう1週間以上前の、1/9の土曜の夜のことです。

21時半過ぎだったか、
いつものことながら早々と布団に入って寝ていた母がトイレにいこうと起きて、
一緒の部屋に寝ている父の布団を横断するときに、その毛布ですべって転び、
ドア枠の柱に頭からダイビングするようなかっこうで顔を強打したのです。

ドーンという音がしたのでぼくも部屋からでて、大丈夫か?と声をかけると、
居間にいた親父がおふくろの顔を覗き込んでいる。
左目の耳側の横をぶつけたようで、みるみる瞼が腫れあがっていき、
目の横には柱の角によってついた線状の傷跡が
12,3cmの長さで赤く血に滲んで見えました。

親父はすぐさま119番に電話した。
それから10分くらいしてからか、
救急車が到着し救急隊員が家に入ってくる。
意識の有無や痛みの程度や平衡感覚などを問診して、
とりあえず脳挫傷まではいっていないようだと思うという診断。
しかし、目が大丈夫かどうか、本当に脳は無事かどうかなどはわかりません。

母の母、つまりぼくの祖母は当時一人暮らしで、
玄関で倒れて頭を打ち、それでも意識はしっかりしていたので、
みずから救急車を呼んで病院に運んでもらったのですが、
大丈夫だと言われて、とりあえず入院はしたものの3日目に容体がおかしくなって、
脳外科の病院に運んでもらったら、
「なんで早くこなかったんだ、手遅れだ」と言われた。
祖母はそれがもとで痴ほう症になり、3年くらいで亡くなりました。
脳の手術も二回くらいやっているはず。

そういう経緯があるので、
母もそうなってはいけないという頭が父にはありました。
偶然というか、因縁というか、
そういうのってありますからね、迷信のようであっても。

しかし、いざ運んでもらうとなると、
三連休の初日の土曜日の夜ということもあってなのか、
搬送を許可してくれる病院が見つからない。
結局、10件くらい断られ、やっと見つかったのは、
救急車が到着してから1時間を優にこえたころ。
札幌の病院で、うちから1時間15分くらいかかります。

まあそれでも、運んでもらえて良かった。
ぼくもストーブを消したり、
病院への道筋を確かめて地図を印刷したりなどしてから自分の車で追いかけました。
まあ、命に別条はなさそうだ、一応だいじょうぶだろう、
と踏んでいたこともあって、
のんきにiPodで乃木坂46をシャッフルして聴きながらでした。

病院での救急の診察でも、一応は脳も目も大丈夫ということで、
12日に再度診察ということになった。

12日は一日がかりで眼科と脳外科を回りましたが、
それでも一応は大丈夫で、脳外科では歳を取った人は2ヶ月くらいしてから
脳に出血が見られるケースがあるので、その頃にもう一度と言われて予約してきた。

それにしても、転んだ次の日から母の認知機能ががくんと落ちて、
ごはんもろくにひとりで食べられないし、
トイレでも粗相があるような感じでしたが、
一週間たった15日からちょっとしゃきっとしだしてきた。
転んだ時のダメージは回復しにくいなんて
脳外科の待ちあいにいた老婦人に言われもしたんですけど、
おふくろの場合は持ち直したみたい。
それでも、今飲んでいる薬の影響や、
減らしてみた薬の副作用の軽減の影響なども考えられるので、
はっきりはわかりません。

母の腫れた目は次の日には紫色になり、
腫れが引いていくのと同時に、
濃くて範囲の広い青たんに取って代わっていき、
その青たんや腫れは、寝ていることによって
重力で頬や反対の瞼に移っていきました。
一番ひどく見えたときには、両目が腫れて紫になっている状態でした。
今は大分、腫れも紫色もひきましたが、
そのかわり黄色く変わってきています。

おふくろが転んだ前の日くらいから
ちょっとおふくろの調子がよくなっていて、
そんな矢先の転倒事件だったんですよ。
好事魔多し、といいますか、
そういうのってあるよなあと痛感しています。

そして、ぼくは風邪をひきました。
まだ喉がいがいがして咳がたまに出るくらいです。
家族にうつさないようにしないとなあ。

みなさんも、風邪と、
歳を取った両親や祖父母の転倒にはお気を付けください。
ほんと、危ない。
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『スター・ウォーズ フォースの覚醒』(映画)

2016-01-07 23:07:09 | 映画
『スター・ウォーズ フォースの覚醒』を、
昨日のことになりますが、観てきました。
おもしろかったです。

ネタバレになるのであれこれ言えませんが、
レイア姫やハン・ソロたち旧メンバーの現在形に会えて嬉しかったです。

新しいヒロインはかわいくて凛々しかったですねー。
新ドロイドのBB-8もかわいい。

Ep4に似ているとか言われていましたが、
Ep1もEp4に似てましたよね。
三部作の出だしはそんな感じになるというか、
そういう因果があるよっていう作りなのかもね。
まるっきり同じだとか、強く相似形だとか、そんなことはないですが。
また見方によってはEp2だとか…とネタバレになるのでやめておきます。

ここからEp8,9とどうなっていくのか見物ですよねー。
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『悲しみの忘れ方 ドキュメンタリーオブ乃木坂46』

2016-01-04 00:03:55 | days
去年発売時に買っていた、
乃木坂46のドキュメンタリー『悲しみの忘れ方』を観てました。

生田絵梨花ちゃんを筆頭に、
メンバーみんなそれぞれかわいくて面白いところもあって大好きなんだけれど、
主要メンバーのなかにはいじめにあって学校生活の底辺にいた子や、
不登校でひきこもっていたことのある子もいることがわかった。

そういうところから頑張って紅白出場まできたグループだもんね、
おいらが惹きつけられるわけだわ!
第六感じゃないけれどそういう背景って、
知らなくてもなんとなしに感じる人にはわかるんだよね。
乃木坂の番組なんかを観てたら余計わかるしさ。
そんでもってぼくはそっちの側にいたい人です。

やあ、良かった良かった。彼女らの頑張りの記録に元気をもらった。
出来のいい娘ができたみたいな親近感すら持ってしまって。
ってか、バナナマンでさえ「公式お兄ちゃん」なんだから、
ぼくも彼女らを妹みたいな親近感でもって見てもいいのか。


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『言語学の教室』

2016-01-03 01:35:03 | 読書。
読書。
『言語学の教室』 西村義樹 野矢茂樹
を読んだ。

認知言語学という学問の先生である西村さんが、
哲学者の野矢さんを生徒役に迎えて対談する形式の本です。

本書の中盤にはいるくらいの話になるけれど、
言葉でカテゴライズするときにプロトタイプがあって、
それに拠ってカテゴリー分けしているという。
プロトタイプというものにプラトンのイデア論が思い浮かびました。
似てるかな、と。

ぼくは、言語の成り立ちや構造にも興味があるけれど、
言語化の前段階の意味だけの状態にもっとも興味があるみたいなんです。
学生のときから、言葉の源泉のどろどろしたものとして興味を持っている。
独創性に絡めてね。つまり、独創性はそのどろどろの内容によるというわけです。

認知言語学は、
けっこう文学的な言葉の使い方についてあれこれ考えている人には面白いんじゃないか。
レトリックだとか、同じ真理を表現していても、
言葉の並べ方で意味が違ってくるんだ、って思える人は認知言語学向きです。

日本人の使役文でもってする「~~させてしまった」みたいな言い方のうちには、
責任を持ちすぎなのが多いようです。
また、たとえば、借りたウォークマンなんかが壊れたときに、
「壊してしまった」といって謝るのが日本人で、
「壊れたわ」とただ報告して返すのがアメリカ人
という違いがあるというようなことも書いてありました。
日本人ってのは、責任を感じて謝る国民性なんだなあ。

また、「壊れたよ」と言って返されるとムッとするのが日本人だ、とも。
勝手に壊れてもそこに責任を見るのだなあ。
言われてみると、そういう思考の中にいるとわかったりする。
なかなか気づけない。

なんでも自分のせいにするっていうのは日本人のメンタリティとしてあるようだ、
って言語学から見えてくるんだけれど、
なんでもかでも他人のせいにするメンタリティの人もいるわけです。
自分のせいにするにも他人のせいにするにも
「責任」ってものを重く重ーくとらえているのが共通しているのかな。

初めて知ったものとしては、メトミニー(換喩)がありました。
赤い頭巾をつけた女の子を、「赤ずきん」と呼んだり、
メガネをつけた男の子を、「メガネ」と呼んだり、
「村上春樹を読んでいる」という言い方で、
村上春樹さんの作品を読んでいる意味になることだとか、
そういう種類の、言葉の使い方については、
そっか、そういうグループの言葉だったのかと初めてカテゴライズして認識しました。

全編とおして、ちょっと難しいのですが興味が勝れば読み通せます。
言葉自体に興味がある人はきっとエキサイティングな読書になりますよ。


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謹賀新年2016

2016-01-01 21:50:36 | days
あけましておめでとうございます。


やー、2016年ですよ、エロいですね。

(どこが)

サル年ですからね、エロさ満点!

(なにげに意味深になってくる・・・)


とか、酔ってないのにふざけるのはこのへんにして。


昨年は書くことのなかった小説を今年は書きます。
昨年は一昨年の暮れに完成させて応募した小説の結果待ちだけだったんですよね、
振りかえってみればそうだった。
軽くネタ切れだったっていうのもありますが、
そういうのは無理にでも捻出できるものだと思うのです。
なので、無理をせず、内側にいろいろと溜めるべく、読書をしていた。
だからといって、小説をひとつのジャンルにつき通算で1000冊読んだわけでもないし、
作家を目指すならばこのハードルは超えなさい、
と言われているハードルを超えているわけでもない。
モノを書く勘所はわかっているわけじゃない。

でも、そんなアンバランスな状態でこそできあがる、
面白いものだってないわけじゃないだろうし、
その可能性が10%とか20%とか低くもないとぼくは睨んでいます。
つまり、ぼくはおもしろいものを作りたいのでした。

できれば、というか、本年度の目標を2作品完成としたい。
一つ作ると、空っぽになってそこから回復するのに時間がかかりがちですが、
あえてそこに負荷をかけてみたい。
まあ、ぼくのことだから、きっと長くても100枚そこらな気がするので、
できると思う。
そのうち、もっと長いものも書きたいんですよ。
視野にはいれています。

抱負はそんなところでしょうか。
いろいろとでこぼことした日常を過ごしているので、
すんなりと集中してきれいに一連の作業を終えるというのはまず無理です。
そんななかでもやり遂げることに自分の成長はあるだろうし、
楽しさがあり、楽しいけれど苦しいというのも混ざってくるし、
楽しませたいという感情も当然あるだろうし、
そういう混濁したあれこれにピーンと一筋の糸を串刺し状に通すこと。
その糸はざっくりと言えばおそらく「ぼくの思考」というものだと思うのです。
暗記よりも考えることを大事にしてきたぼくのこれまでの態度が
またしても試されていくことでしょう、へなちょこでもね。

1年は長いようであっという間ですから、最初から大事に時間を使いたいですね。
ハナから飛ばすようなことはしませんが、ハナから無駄ばかりの過ごし方はしたくないです。
積み重ねが大事ですね。

そういうことですから、こっちの方面については応援してくださると嬉しいです。

読書感想なんだかレビューなんだか本の紹介なんだかっていう記事も
今年は去年よりも減りそうですが続けますので、そちらはお楽しみください。




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